あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ムヒカ大統領の言葉

2015-10-25 | 日記
世界で一番貧しい大統領と呼ばれるウルグアイのムヒカ大統領が注目を浴びてきているようだ。
若い頃に南米を旅した時にウルグアイへも行った。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから船で2時間ぐらいでウルグアイの首都モンテビデオへ着く。
初めての街で地図を広げていると通りがかりの人が来てどこへ行きたいのかと聞かれた。
知らない人が寄ってきたら金をせびられるかもしれないしどこか変な場所へ連れて行かれるかもしれない、という警戒心で対応したのだがその人は道順だけ教えるとさっさとどこかへ行ってしまった。
警戒していたこちらが唖然とするぐらいに、そしてしばらく経ってから、あれは単に親切心で道を教えてくれたのだなと気がついた。
そんな事がウルグアイ滞在中に何回もあった。
ウルグアイにはこれという観光名所はないので観光客は少ない。
だからだろうか、人々が観光客ずれしていなくて親切だ。
南米の中では小さく国の力は弱いが、土地は豊かで牛も肥えていて人はやさしく、ニュージーランドと似た印象を持った。
ニュージーランドは観光立国になりつつあるが、ウルグアイは特になにもない。
何も無い中でも、地元の人の教えで静かな村という場所へ行った。
そこはその名の通り静かな村で小さな池が一つあるだけの何もない場所だった。
夕方散歩をしていると、所々に蛍が現れた。
へえ南米にも蛍はいるんだ、蛍なんか見たのは何年ぶりかな、などと思っていたが、夜になり暗くなるととんでもない数の蛍が出てきた。
何万、いや数を数えることがバカバカしくなるくらいの蛍だ。
日本ならこれだけで観光名所になるのは間違いない。
街灯のない闇の中で幻想的な蛍の光は美しく、時間を忘れて僕は光の渦に浸った。
その時の感動は今でも僕の心に残っている。
何もない豊かさとはこういうものなのかもしれない。
そんな国なのでムヒカ大統領のような人が出てくるのも僕には頷けた。
給料の9割を寄付してしまい、自分は月に十万円程度でやりくりをする。
乗っているのは古いビートル、そしてたまにヒッチハイカーも拾ってしまう気安さ。
権威にとらわれず、公式の場でもノーネクタイ。
真実をズバズバ言い、自らの行動で指し示す。
口ばっかりで行動が伴わないリーダーが世界を動かしている。
真のリーダーとはムヒカ氏のような人のことを言うのだろう。

インタビューでは彼の生い立ちに触れ、少年時代に近くに住んでいた日本人家族から影響を受けたようだ。
ムヒカ氏曰く「彼らは農民の思考で狭い土地に多くの物を耕していた。」
この言葉が心に残った。
それはまさしく自分が今やっていることだからだ。
我が家はクライストチャーチの郊外の住宅地にあり、ニュージーランドでは平均的な大きさの敷地だ。
僕は何年もかけそこに畑を作った。
限られた場所でいかに効率よく畑や温室を作るか、それを考えてやっていく事が愉しみでもある。
地形、土の質、日の当たり具合、水はけ、風の向き、そういった自然の要素を考えて、庭をデザインするのだ。
そして植物の性質を学び、適材適所に植えて育てていく。
日当りの良い所を好むものはオープンな場所へ、日陰を好むものは家の陰のジメジメした場所へ、背の高い作物は壁際へ、ニワトリエリアでは野菜を食べられてしまうので果実の木を植えるなど。
この限られた土地で、というのが一つのポイントだと思う。
課題を与えられそれをクリアーする、パズルを解くのに近い考えではないかと思うのだ。
それには自分の力量、道具の種類、費やす事の出来る時間やエネルギーも関わってくる。
これがムヒカ氏が言う、農民の思考なのではなかろうか。
そして多くの物を耕していた、という多様性。
多様性というのも重要なキーワードだ。
多くの物を育てるにはそれの特性を知らなければいけない。
単一の作物を広範囲でやる農法と違い、多種を作るにはやはりアイデアという物が必要だ。
百姓という言葉は蔑みの言葉にもなりつつあるが、もともとは百の職種からなる多様性の仕事のことだ。
効率ばかりを追い求めた結果、人間が単一の作業だけして金を稼ぐ世の中になってしまったが、本来仕事とはいろいろなものが組み合わさってやるものだ。
例えば家を建てる大工は木を切る組み立てる以外にも、計算もするし刃物も研ぐといった具合にいろいろな事が組み合わさり一つの仕事を成す。
その『いろいろ』が大切なのだし、頭を使って考えてやることが大切なのだ。
農民の思考とは賢くなくてはできないことだ。

この前日本を旅した時も、うまく土地を使っているなと思うところはたくさんあった。
猫の額のような土地でも、アイデア次第で立派な庭になる。
いやいや、限られた土地だからこそ、人間が頭を使って大地と調和するのではないだろうか。
これが限られていなかったら、いくらでも土地を使えるというような場所では、違う思考になるだろうな。
人間の英知というものは限られた場所で育まれるのではなかろうか
西洋の大規模農業を否定する気はないが、日本古来の農業とは違うだろう。
それは自然を征服するものという考えが根底にある、人種の自然観にも繋がる。
日本人の自然観とは征服ではなく受け入れる調和だ。
ムヒカ氏が影響を受けた日本人とはそういう人達だったに違いない。
そんな縁もゆかりないと思っていたウルグアイの日本人の生き様が、ムヒカ氏に影響を与え彼の言葉がネットに乗って僕の所へ来た。
農民の思考で狭い土地に多くを耕す。
その言葉がニュージーランドの僕の庭を言い当てた。
うーむ、こうやって繋がるのか、面白いぞ。
そうだな、自分のルーツはやはり日本にある。
それは日本に居なくても感じる日本の文化、精神、そして行動を伴った生き様なのだろう。
どこにいるか、ではなく、その場所でいかに生きるかだと。

そしてまた苦い言葉もあり。
日本人は西洋の真似をして金に目がくらみ、大切な物を失ってしまったと。
僕も日本がイヤになって脱出した口だが、海外にいる日本人だってやるべき事をやっている人はいる。
僕の周りの友達はみんなそれぞれにするべきことをしていて、誇りに思う。
同時に金に目がくらんで本質を見失っている人もいるが、そういう人との付き合いは今はもうほとんどない。
ムヒカ大統領の言葉をどれだけの人が真摯な想いで受け留めたか。
目を醒ませ、日本人よ。
何も難しいことではない。
自分達の数代前までの祖先がやっていた事を思い出すだけだ。
そうすれば何をするべきか、自ずと道は開ける。
どこにいるか、いついるか、誰といるかではなく、人としてどうあるべきか。
簡単なことだが、それは一番難しいことでもある。










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留守番の日々

2015-10-20 | 日記
妻が日本に旅立った。
僕が半年前に日本へ里帰りをしたが、今度は妻の番だ。
女房は2年おきぐらいに日本に帰っていたが、仕事がらみだったり娘と一緒だったりで何かと忙しそうだった。
長い事働いていた会社も辞め、自分の時間ができたところで、今回は完全な一人旅。
東京を観光して長野の家族を訪れ、そして奥飛騨温泉郷に行くのを楽しみにしていた。
大糸線に乗って日本海までの小旅行なんてのもありかな、などと話していた。
子供も大きくなり自分の事を自分でできるようになり、親も自分のエネルギーを自分だけのために使えるようになる。
自分もそうだったが、一人旅というのは何から何まで自分で決めることであり、自由もあるが面倒くさいところもある。
山でもグループで登るのと単独で登るのではかなり違うものになるように、旅でも似たようなことが言えよう。
自分のペースで歩き誰も居ない場所で自然の中に溶け込み静寂を楽しむ時もあるし、気の合う仲間とワイワイやりながら登り山を見ながら一緒に酒を飲む。
どちらもいいものであり、どちらでなければいけないというものでもないと思う。

さて僕はお留守番。
専業主夫となり炊事、洗濯、掃除、犬の散歩、ニワトリの世話、野菜作りなどなど。
娘を学校に送り出したら後は自分一人。
何をするのも自由ならば何もしないのも自由。
手を抜こうと思えば抜けるのがだが、ついつい色々とやってしまう。
昨日は子供のおやつにお餅を薄く切って乾燥させ、油で揚げて塩をまぶしおせんべいを作った。
買っても高い物ではないが、添加物なし味は塩だけという健全なおやつができた。
こういうような手間が親の愛であり、自分ができることでもある。
その瞬間ごとに自分がやるべき事をやるのが人間のあるべき姿なのだ。

奥さんからは、おばあちゃんの原宿、とげぬき地蔵に行って面白かったというメッセージが着いた。
巣鴨は僕もこの前行ったが、あれはあれで独特の雰囲気があっていいと思った。
女房殿も羽を伸ばしているようだし、僕は娘と2週間親子水入らずの日々。
ますます野菜作りに精を出してしまいそうである。


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10月11日 Broken River Last Day 2015

2015-10-13 | 最新雪情報
2015シーズン最終日、僕は旧友ブラウニーと一緒に山へ行った。
普段なら9月、そして10月にも何回か雪は降り、ウハウハとパウダーを滑るのだが今年は全く降らなかった。
自然界でも「今までなら」という言葉が通用しない、そんな世界に変わってきている。
それは自然界だけでなく人間界でも同じ事は言えるだろう。
そんな中でも我々人間は与えられた状況を受け入れ、最大の喜びを得るために努力を惜しまない。
この山はそういう場所でもある。
振り返ってみれば今シーズンもいろいろあったが、それなりに良い冬だったと言えよう。
新しい出会いもあったし、古い友達にも会えた。
ブロークンリバーの中で自分の立ち位置がちゃくちゃくと定まっていくのも分かる。
誰も居ない山を旧友と滑りながら妙に感傷的になり、そして最後に山に手を合わせ山を下った。


ブロークンリバーのリフト券は毎日言葉が変わる。今日の言葉はズバリこれ。


アクセストーにはほとんど雪が無い。パーマーロッジまで歩くか草の上を根性で滑っていくか。
僕とブラウニーはトライして9割ぐらいまで乗った。


メイントーも雪が無い所はこうやって補う。最後まで何とか持たせたという感じだ。


ハッピーバレー。訪れる人を幸せにしてくれる谷。でも一体誰が名付けたんだろう。


何本か滑った後は、ブロークンリバー・ラガーでハッピーになれる。


飲みながら昼飯のバーベキュー。


一杯めのジャグが空になった頃、肉が焼けた。


マネージャーのサムも1シーズンお疲れ様。


午後になり、パーマーロッジの片付けが始まった。


ベイビートーのロープを外しデッキに並べる。


最後のランはアランズベイスンを下まで。あらかじめ車をデポしておいたのだ。


歩くより滑って下った方が楽だからね。


雪が無くなる場所まで滑り、車までは3分ぐらいの歩き。


この車も1シーズンお疲れ様。
今シーズンはエンジンを乗せ代えた。人間で言えば心臓移植である。
新しいモーターはとても調子が良い。20年前の車だがまだまだ走れそうだ。
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カンタベリー観光。

2015-10-11 | ガイドの現場
よく晴れたスクールホリデーの1日、娘の深雪と友達の海ちゃんを連れてキャッスルヒルへ行った。
海ちゃんは深雪と同じ学校に通う日本からの留学生。
年は深雪より3つ上だが、馬が合うのかよく一緒に居て、時々うちにも遊びに来る。
最初はブロークンリバーにスキーに行こうか、などと話していたのだが雪があまり無いので急遽キャッスルヒルに行く事になった。
クライストチャーチから1時間ほど走ると岩場に着く。
キャッスルヒルは石灰岩が浮き出た地形で、岩登りのメッカでもある。
この場所は不思議な場所で、マオリの聖地でもある。
いわゆるパワースポットという所でエネルギーは高いのだが、ニュージーランドのパワースポットはひたすら牧歌的でほのぼのしていて、のんびりと時間が流れる。


「うーん、気持ちいい~」
「気持ちいいとは体が自然のエネルギーを感じ取っている証拠なんだよ」


岩のブリッジに登って記念撮影。


街から見える山の裏側にはこんな世界があるんだよ。


娘は何回もこの場所に来ているが、今回は違う見方ができたようだ。成長するにつれ景色も変わって見えるものだ。


今までにあちこちのパワースポットに行ったが共通して感じたのは、不思議な場所という感覚だ。
マオリ、それもワイタハ族の聖地であり、最近この場所で封印が解かれたという話をある本で読んだ。


そんな場所で食べるお弁当は旨いのである。


キャッスルヒルから車で5分、次のポイントへ。ブロークンリバーの川へ降りる。


するとこんな洞窟が。ここは1時間くらいかけて歩き抜けられる。ただしきちんとした装備が必要。


この日は入り口だけ見学。次は装備を整えて来ようね。


さらに車を走らせるとワイマカリリ川の広い川原、そして氷河を載せた南アルプスを一望できる場所に出る。


アーサーズパスのカフェでアフタヌーンティー。


お次は原生林の森林浴。


キャッスルヒルの岩場とは違う種類のエネルギーが森にある。


森の中を流れる清流で水を汲み、記念撮影。


そしてアーサーズパスの駅。


1日観光の締めは高原列車でクライストチャーチへ。


列車からの眺めは車と違うものがある。

二人の娘を列車に乗せ、僕は1人で車を走らせた。
自分に出来ることをするというのが信条だが、この日も1日自分がやるべきことをした。
そんな時に飲むビールは旨いのである。
それにしても盛りだくさん、フルコースの1日だったな。


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鶏糞肥料

2015-10-06 | 
土作りは農業の基本であるが今回は肥料の話。
我が家ではニワトリを飼ってその糞を肥料にしている。
毎朝ニワトリ小屋の中の糞を拾いそれを貯めておいて、貯まったら土の中で寝かせる。
その作業を1年に2回、秋と春の仕事が忙しくない時にやる。
オガクズと鶏糞を混ぜ容器の中で半年、そして土の中で半年。
一年後にはいい肥料ができあがる。
この時間を掛けるというのがコツだと思う。
鶏糞もオガクズもそのままでは畑に使えない。
時間をかけることによって微生物に分解されいい土になる。
パッとやってサッと出来上がるのを求めるのが現代社会の特性のようだが、時間が必要なものもある。
さらに土の中で熟成させることで何か分からないが良い影響が出るような気がする。
我が家の庭には他にも堆肥用の大きな穴が3つ、犬の糞用の穴が一つある。
犬の糞は肥料にせずにそのまま土に還してしまう。


半年間地中で寝かせた土は臭みは全くない。


それを掘り起こして袋詰め。


穴は空になり、半年分の肥料ができた。これらは物置で保管。必要に応じて使う。


ニワトリ達はこの横木の上で寝るので朝にはこの下に糞が固まる。


オガクズと一緒に糞を拾い容器の中で貯めるのが半年。


それを一輪車で運びEMボカシを多少混ぜて穴に投入。


こんな具合で容器は空になり、ニワトリ達は周りの小さな虫を食べる。


穴はいっぱいになりまた半年間熟成だ。

この一年に2回の作業がわりと好きで、サイクルの中に自分がいるのが実感できる。
ニワトリ小屋もきれいでニワトリも(たぶん)喜ぶ。
良い肥料で野菜も喜び、美味しい物ができ人間がそれを食べて喜ぶ。
健全なシステムでは誰も不幸にならない。
それに関わる人も物も全て幸せになる。
それには自分の行動ありき。
行動をすれば結果はついてくる。
そしてこういった仕事に終わりはない。
次はニワトリ小屋の中にまくオガクズを仕入れて、それを袋詰めにして保管という作業が控えている。
僕はこういった作業の中に自分の存在を見つけ喜びを感じる。
仕事とは本来は楽しく生き生きとやるものである。
さて、今日は何をしようかな。


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10月2日 Porters

2015-10-04 | 最新雪情報
シーズン終了間際のポーターズ。
スキー初めて、という小学生の子供達を連れて山に上がった。
スクールホリデーだとこういう仕事もある。
街では桜が満開、山では春の雪。
スキー場はもうすぐ終了ということでパトロールが片付けを始めていた。
自分にも経験があるが、春のうららかな日差しの中でやわやわと片付けをするのはこれまた独特の感じで良い。
今シーズンは、この山に来るのはこれが最後だ。
振り返ってみれば、まずまずのシーズンだった。
ブロークンリバーはこの後も営業を続けるので、春スキーはまだまだ続く。


庭の桜もよく咲いた。春爛漫。


春の陽射しは強く、雪がすぐに緩む。


滑るコースも限られてきた。


山から見える街もよく晴れた。温室の野菜がグングン育つだろう。


新雪でもスプリングコーンでも人より奥のラインを求めてしまうのだ。


顔なじみのパトロールのブラッドがリフト支柱に登り片づけをしていた。
シーズンが終わればみんなバラバラになり、それぞれの場所へ行く。
スキーヤー、スノーボーダーにとって春は別れの季節でもある。
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9月30日 Porters

2015-10-01 | 最新雪情報
シーズン終了間際のポーターズ。
雪は減り、滑るコースも限られてきた。
スタッフも一人去り二人去り、明るいのだけれど何となく物悲しくもある、春のスキー場独特の雰囲気があった。
ポーターズは今週末で営業終了だ。


日当りの良い場所は雪がないが、メインの滑走コースにはなんとか雪はある。
今週末でクローズは妥当な判断だと思う。


最後の好天で人々はスキーを楽しむ。天気は下り坂。このままずるずるとシーズン終了という事もありうる。


名物コースビッグママも下部の雪が途切れ終了。雪が無くなれば名も無いただの山だ。


クレーギーバーンも閉まった。オリンパスも今年は行けなかったなあ。


日本の少年を連れて山頂へ登った。16歳、この景色を見て何を想う。
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