世界で一番貧しい大統領と呼ばれるウルグアイのムヒカ大統領が注目を浴びてきているようだ。
若い頃に南米を旅した時にウルグアイへも行った。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから船で2時間ぐらいでウルグアイの首都モンテビデオへ着く。
初めての街で地図を広げていると通りがかりの人が来てどこへ行きたいのかと聞かれた。
知らない人が寄ってきたら金をせびられるかもしれないしどこか変な場所へ連れて行かれるかもしれない、という警戒心で対応したのだがその人は道順だけ教えるとさっさとどこかへ行ってしまった。
警戒していたこちらが唖然とするぐらいに、そしてしばらく経ってから、あれは単に親切心で道を教えてくれたのだなと気がついた。
そんな事がウルグアイ滞在中に何回もあった。
ウルグアイにはこれという観光名所はないので観光客は少ない。
だからだろうか、人々が観光客ずれしていなくて親切だ。
南米の中では小さく国の力は弱いが、土地は豊かで牛も肥えていて人はやさしく、ニュージーランドと似た印象を持った。
ニュージーランドは観光立国になりつつあるが、ウルグアイは特になにもない。
何も無い中でも、地元の人の教えで静かな村という場所へ行った。
そこはその名の通り静かな村で小さな池が一つあるだけの何もない場所だった。
夕方散歩をしていると、所々に蛍が現れた。
へえ南米にも蛍はいるんだ、蛍なんか見たのは何年ぶりかな、などと思っていたが、夜になり暗くなるととんでもない数の蛍が出てきた。
何万、いや数を数えることがバカバカしくなるくらいの蛍だ。
日本ならこれだけで観光名所になるのは間違いない。
街灯のない闇の中で幻想的な蛍の光は美しく、時間を忘れて僕は光の渦に浸った。
その時の感動は今でも僕の心に残っている。
何もない豊かさとはこういうものなのかもしれない。
そんな国なのでムヒカ大統領のような人が出てくるのも僕には頷けた。
給料の9割を寄付してしまい、自分は月に十万円程度でやりくりをする。
乗っているのは古いビートル、そしてたまにヒッチハイカーも拾ってしまう気安さ。
権威にとらわれず、公式の場でもノーネクタイ。
真実をズバズバ言い、自らの行動で指し示す。
口ばっかりで行動が伴わないリーダーが世界を動かしている。
真のリーダーとはムヒカ氏のような人のことを言うのだろう。
インタビューでは彼の生い立ちに触れ、少年時代に近くに住んでいた日本人家族から影響を受けたようだ。
ムヒカ氏曰く「彼らは農民の思考で狭い土地に多くの物を耕していた。」
この言葉が心に残った。
それはまさしく自分が今やっていることだからだ。
我が家はクライストチャーチの郊外の住宅地にあり、ニュージーランドでは平均的な大きさの敷地だ。
僕は何年もかけそこに畑を作った。
限られた場所でいかに効率よく畑や温室を作るか、それを考えてやっていく事が愉しみでもある。
地形、土の質、日の当たり具合、水はけ、風の向き、そういった自然の要素を考えて、庭をデザインするのだ。
そして植物の性質を学び、適材適所に植えて育てていく。
日当りの良い所を好むものはオープンな場所へ、日陰を好むものは家の陰のジメジメした場所へ、背の高い作物は壁際へ、ニワトリエリアでは野菜を食べられてしまうので果実の木を植えるなど。
この限られた土地で、というのが一つのポイントだと思う。
課題を与えられそれをクリアーする、パズルを解くのに近い考えではないかと思うのだ。
それには自分の力量、道具の種類、費やす事の出来る時間やエネルギーも関わってくる。
これがムヒカ氏が言う、農民の思考なのではなかろうか。
そして多くの物を耕していた、という多様性。
多様性というのも重要なキーワードだ。
多くの物を育てるにはそれの特性を知らなければいけない。
単一の作物を広範囲でやる農法と違い、多種を作るにはやはりアイデアという物が必要だ。
百姓という言葉は蔑みの言葉にもなりつつあるが、もともとは百の職種からなる多様性の仕事のことだ。
効率ばかりを追い求めた結果、人間が単一の作業だけして金を稼ぐ世の中になってしまったが、本来仕事とはいろいろなものが組み合わさってやるものだ。
例えば家を建てる大工は木を切る組み立てる以外にも、計算もするし刃物も研ぐといった具合にいろいろな事が組み合わさり一つの仕事を成す。
その『いろいろ』が大切なのだし、頭を使って考えてやることが大切なのだ。
農民の思考とは賢くなくてはできないことだ。
この前日本を旅した時も、うまく土地を使っているなと思うところはたくさんあった。
猫の額のような土地でも、アイデア次第で立派な庭になる。
いやいや、限られた土地だからこそ、人間が頭を使って大地と調和するのではないだろうか。
これが限られていなかったら、いくらでも土地を使えるというような場所では、違う思考になるだろうな。
人間の英知というものは限られた場所で育まれるのではなかろうか
西洋の大規模農業を否定する気はないが、日本古来の農業とは違うだろう。
それは自然を征服するものという考えが根底にある、人種の自然観にも繋がる。
日本人の自然観とは征服ではなく受け入れる調和だ。
ムヒカ氏が影響を受けた日本人とはそういう人達だったに違いない。
そんな縁もゆかりないと思っていたウルグアイの日本人の生き様が、ムヒカ氏に影響を与え彼の言葉がネットに乗って僕の所へ来た。
農民の思考で狭い土地に多くを耕す。
その言葉がニュージーランドの僕の庭を言い当てた。
うーむ、こうやって繋がるのか、面白いぞ。
そうだな、自分のルーツはやはり日本にある。
それは日本に居なくても感じる日本の文化、精神、そして行動を伴った生き様なのだろう。
どこにいるか、ではなく、その場所でいかに生きるかだと。
そしてまた苦い言葉もあり。
日本人は西洋の真似をして金に目がくらみ、大切な物を失ってしまったと。
僕も日本がイヤになって脱出した口だが、海外にいる日本人だってやるべき事をやっている人はいる。
僕の周りの友達はみんなそれぞれにするべきことをしていて、誇りに思う。
同時に金に目がくらんで本質を見失っている人もいるが、そういう人との付き合いは今はもうほとんどない。
ムヒカ大統領の言葉をどれだけの人が真摯な想いで受け留めたか。
目を醒ませ、日本人よ。
何も難しいことではない。
自分達の数代前までの祖先がやっていた事を思い出すだけだ。
そうすれば何をするべきか、自ずと道は開ける。
どこにいるか、いついるか、誰といるかではなく、人としてどうあるべきか。
簡単なことだが、それは一番難しいことでもある。
若い頃に南米を旅した時にウルグアイへも行った。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから船で2時間ぐらいでウルグアイの首都モンテビデオへ着く。
初めての街で地図を広げていると通りがかりの人が来てどこへ行きたいのかと聞かれた。
知らない人が寄ってきたら金をせびられるかもしれないしどこか変な場所へ連れて行かれるかもしれない、という警戒心で対応したのだがその人は道順だけ教えるとさっさとどこかへ行ってしまった。
警戒していたこちらが唖然とするぐらいに、そしてしばらく経ってから、あれは単に親切心で道を教えてくれたのだなと気がついた。
そんな事がウルグアイ滞在中に何回もあった。
ウルグアイにはこれという観光名所はないので観光客は少ない。
だからだろうか、人々が観光客ずれしていなくて親切だ。
南米の中では小さく国の力は弱いが、土地は豊かで牛も肥えていて人はやさしく、ニュージーランドと似た印象を持った。
ニュージーランドは観光立国になりつつあるが、ウルグアイは特になにもない。
何も無い中でも、地元の人の教えで静かな村という場所へ行った。
そこはその名の通り静かな村で小さな池が一つあるだけの何もない場所だった。
夕方散歩をしていると、所々に蛍が現れた。
へえ南米にも蛍はいるんだ、蛍なんか見たのは何年ぶりかな、などと思っていたが、夜になり暗くなるととんでもない数の蛍が出てきた。
何万、いや数を数えることがバカバカしくなるくらいの蛍だ。
日本ならこれだけで観光名所になるのは間違いない。
街灯のない闇の中で幻想的な蛍の光は美しく、時間を忘れて僕は光の渦に浸った。
その時の感動は今でも僕の心に残っている。
何もない豊かさとはこういうものなのかもしれない。
そんな国なのでムヒカ大統領のような人が出てくるのも僕には頷けた。
給料の9割を寄付してしまい、自分は月に十万円程度でやりくりをする。
乗っているのは古いビートル、そしてたまにヒッチハイカーも拾ってしまう気安さ。
権威にとらわれず、公式の場でもノーネクタイ。
真実をズバズバ言い、自らの行動で指し示す。
口ばっかりで行動が伴わないリーダーが世界を動かしている。
真のリーダーとはムヒカ氏のような人のことを言うのだろう。
インタビューでは彼の生い立ちに触れ、少年時代に近くに住んでいた日本人家族から影響を受けたようだ。
ムヒカ氏曰く「彼らは農民の思考で狭い土地に多くの物を耕していた。」
この言葉が心に残った。
それはまさしく自分が今やっていることだからだ。
我が家はクライストチャーチの郊外の住宅地にあり、ニュージーランドでは平均的な大きさの敷地だ。
僕は何年もかけそこに畑を作った。
限られた場所でいかに効率よく畑や温室を作るか、それを考えてやっていく事が愉しみでもある。
地形、土の質、日の当たり具合、水はけ、風の向き、そういった自然の要素を考えて、庭をデザインするのだ。
そして植物の性質を学び、適材適所に植えて育てていく。
日当りの良い所を好むものはオープンな場所へ、日陰を好むものは家の陰のジメジメした場所へ、背の高い作物は壁際へ、ニワトリエリアでは野菜を食べられてしまうので果実の木を植えるなど。
この限られた土地で、というのが一つのポイントだと思う。
課題を与えられそれをクリアーする、パズルを解くのに近い考えではないかと思うのだ。
それには自分の力量、道具の種類、費やす事の出来る時間やエネルギーも関わってくる。
これがムヒカ氏が言う、農民の思考なのではなかろうか。
そして多くの物を耕していた、という多様性。
多様性というのも重要なキーワードだ。
多くの物を育てるにはそれの特性を知らなければいけない。
単一の作物を広範囲でやる農法と違い、多種を作るにはやはりアイデアという物が必要だ。
百姓という言葉は蔑みの言葉にもなりつつあるが、もともとは百の職種からなる多様性の仕事のことだ。
効率ばかりを追い求めた結果、人間が単一の作業だけして金を稼ぐ世の中になってしまったが、本来仕事とはいろいろなものが組み合わさってやるものだ。
例えば家を建てる大工は木を切る組み立てる以外にも、計算もするし刃物も研ぐといった具合にいろいろな事が組み合わさり一つの仕事を成す。
その『いろいろ』が大切なのだし、頭を使って考えてやることが大切なのだ。
農民の思考とは賢くなくてはできないことだ。
この前日本を旅した時も、うまく土地を使っているなと思うところはたくさんあった。
猫の額のような土地でも、アイデア次第で立派な庭になる。
いやいや、限られた土地だからこそ、人間が頭を使って大地と調和するのではないだろうか。
これが限られていなかったら、いくらでも土地を使えるというような場所では、違う思考になるだろうな。
人間の英知というものは限られた場所で育まれるのではなかろうか
西洋の大規模農業を否定する気はないが、日本古来の農業とは違うだろう。
それは自然を征服するものという考えが根底にある、人種の自然観にも繋がる。
日本人の自然観とは征服ではなく受け入れる調和だ。
ムヒカ氏が影響を受けた日本人とはそういう人達だったに違いない。
そんな縁もゆかりないと思っていたウルグアイの日本人の生き様が、ムヒカ氏に影響を与え彼の言葉がネットに乗って僕の所へ来た。
農民の思考で狭い土地に多くを耕す。
その言葉がニュージーランドの僕の庭を言い当てた。
うーむ、こうやって繋がるのか、面白いぞ。
そうだな、自分のルーツはやはり日本にある。
それは日本に居なくても感じる日本の文化、精神、そして行動を伴った生き様なのだろう。
どこにいるか、ではなく、その場所でいかに生きるかだと。
そしてまた苦い言葉もあり。
日本人は西洋の真似をして金に目がくらみ、大切な物を失ってしまったと。
僕も日本がイヤになって脱出した口だが、海外にいる日本人だってやるべき事をやっている人はいる。
僕の周りの友達はみんなそれぞれにするべきことをしていて、誇りに思う。
同時に金に目がくらんで本質を見失っている人もいるが、そういう人との付き合いは今はもうほとんどない。
ムヒカ大統領の言葉をどれだけの人が真摯な想いで受け留めたか。
目を醒ませ、日本人よ。
何も難しいことではない。
自分達の数代前までの祖先がやっていた事を思い出すだけだ。
そうすれば何をするべきか、自ずと道は開ける。
どこにいるか、いついるか、誰といるかではなく、人としてどうあるべきか。
簡単なことだが、それは一番難しいことでもある。