あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ゲテモノ食いの夏休み。

2017-06-29 | 過去の話
今月はトーマスの記事が多かったな。
さながらトーマス友好記念月間というような感じで、もう一つ10年以上前のお話。
身内ネタだけど、話に出てくる友達は今も付き合いはあり、みんな違う場所で違うことをやっている。
同じことをやっているのは僕だけだ。


3月の前半、南島西海岸のホキティカという町で、ワイルドフードフェスティバルというものが開かれる。
モノによってはゲテモノ食いというものもあるが、野生のものをいろいろ食ってみようという祭りだ。
その祭りに友達数人とキャンプをすることになった。今年の夏、西海岸を訪れるのは初めてだ。
ハーストパスを越え、しばらくブナの森を走るとチラホラとリムが目立ち始める。僕は車を走らせながらリム達に挨拶をする。
「やあやあ、みんな、また会えたね」
リムはブナより背が高く、森の天井から頭を突き出している。慣れてくるとすぐに見つけることができる。僕がこの国で一番好きな木だ。
ハーストを抜けるとそこは太古の森である。森のまん中を道路が走っており、道の周辺にはリムやカヒカテアの大木が立ち並ぶ。
僕は車の窓を開け、森の空気を感じながら車を走らせた。気持ちの良いドライブである。
夕方近く目的地ホキティカに着いた。
ホキティカは人口約2万人。人が少ない西海岸ではこれでも3番目に大きな町になってしまう。
祭りの為、市内中心部数ブロックを交通規制している。川沿いの道には出店が並ぶ。
ゴーティーに電話をして待ち合わせの場所を決め、数分後に僕らは固い握手をかわし肩をたたきあった。
ゴーティーはトーマスの友達で、以前は仕事仲間でもあった。
日本人だがアゴヒゲをはやしており、やぎのようなヒゲなのでゴーティーと呼ばれている。
お洒落で女にもてそうなクールな雰囲気とでも言おうか。無精ヒゲで泥臭い雰囲気の僕とはまさに雲泥の差である。
今ではカイコウラでガールフレンドのミエと一緒にオーガニックレストランのシェフとして働いている。
彼は日本で10年近く板前をやってきて、ワーキングホリデーでこの国を訪れ、そのまま山歩きの楽しさを覚えトレッキングガイドになってしまった男だ。
彼と一緒に歩いた事は2~3回ぐらいしかない。それでも彼がどの場所をどのように歩いたか聞いて、実力のある山男として尊敬しているし良き友でもある。
出会って間もない頃、ゴーティーの誕生日パーティーに呼ばれた。じっくりと話をしたのはその時が初めてだったが、僕はへべれけに酔っ払ってしまい主役の彼に介抱された。
いい年をして全く、と自分でも思うが年とともにそんな回数も減ってきているので、まあよしとしよう。
次の日謝りに行った僕に快く夕飯を御馳走してくれて、僕らのつきあいは始まった。
今回はガールフレンドのミエと一緒にカイコウラからやってきた。
もう1人、ゴーティーとトーマスの仕事仲間だったサニー。
サニーは今年の夏はミルフォードトラックのロッジで働いている。パン屋の経験などもあり楽しい女である。
仕事でミルフォードトラックを歩いた時に今回のキャンプの話をしたら、休みを合わせ山から下りてきたのだ。
英語でサニーは晴れだが、こいつは雨女だ。ヤツの行く所行く所雨が降る。
僕はキャンプの前に、サニーが行くなら雨だろうからやめようかな、などと言っていたのだ。
あとはトーマスとガールフレンドのミホコ。
トーマスは見た目も普通の日本人で、スーツを着ればそのままフツーのサラリーマンになってしまいそうだ。
実際、彼はある会社の営業の仕事を何年もやってきていて、この国が気に入りここに住み着いた。
日本社会の上下左右をわきまえており、言いたい事を言って会社をクビになる僕とはこれまた対照的なのである。
これに僕が加わり6人で今回のキャンプなのである。

町はずれには屋台が並び、その脇には丸太がゴロゴロと転がっている。祭り前日のイベントは丸田切り競争だ。
アックスマンと呼ばれる肩の肉が盛り上がった男達がケースから自前の斧をとりだす。斧はピカピカに磨いである。
この日の試合はニュージーランド対オーストラリア。競技の前にはちゃんと並んで両国の国歌を歌う。
選手の平均年齢65才ぐらい。この日は別の場所でも祭りがあって現役バリバリの連中はそっちへ行ってしまった。
競技はリレー方式で7人で5種類の切り方をする。結果はオーストラリアの圧勝だったが、競技が終わればノーサイド。このまま皆でパブにでも行くのだろう。
ホキティカの祭りはのんびりと過ぎていく。
買出しをしてキャンプ場へ。全員アウトドアに慣れているので手際がよい。あっという間に宴の準備ができあがる。
1人で何も出来ない人が集っても何も始まらないが、個人で行動できる人が集るとすぐに面白い事が始まる。
僕はゴーティーに持って来いと言われていた七輪をだして炭をおこす。その合間にさっさとテントをはって準備完了。
僕の七輪は小さくて一度にたくさんのものは焼けないが、時間はたっぷりあるし、酒だって、焼きあがるまでのおつまみだってたっぷりある。
ゴーティーはシェフの腕をふるい、ラム肉と鶏肉を自家製焼肉ソースに漬けて持ってきた。それを僕が焼く。もちろんビールを飲みながら。
「ゴーティー、どうよカイコウラは?」
「楽しいよ。森が無いのがちょっと寂しいけどね」
ゴーティーは去年まではクィーンズタウンをベースにルートバーンでトレッキングガイドをしていたのだが、新しい人生を切り開く為、数ヶ月前にカイコウラへ移った。カイコウラの辺りは牧場が多く、原生林が少ない。国立公園内で働いていた今までとは大きく環境が変わっただろう。
「たまに山が恋しくなるでしょ」
「そうなのよ。だけど海があるからね。サーフィンもぼちぼちやってるし」
「そうかあ、新しい事をやるのって楽しいよね」
「うん。そっちはどうよ?たまには海が恋しくなるんじゃないの?」
「そうだね。今年はねえ、なんか忙しくて自分の山歩きを全然やってないよ。西海岸に来るのだって初めてだし。これがオレの夏休みだな」
「じゃあ、飲まなきゃ。ビール足りてる?」
久しぶりに会う友と飲むのは楽しい。
トーマスとミホコとも久しぶりだ。同じ町に住んでいながらも、お互い忙しい身なので会えない時は全然会えない。彼等は結婚を1ヵ月後に控えている。
「トーマス、結婚式の準備はかどっている?」
「いやあ、なんだかんだで、やる事がたくさんあってねえ」
「オレに何かできる事があるかい?」
「うーん、実は会場に駐車スペースがあまり無くて困ってるんだ」
「それならバスとか借りればいいじゃん。オレがドライバーになるよ。会社の車を借りれるか聞いてみよう。20人乗りぐらいでいいだろう?」
「そう言ってもらうと助かります。会社の車を大丈夫なのかな?」
「大丈夫大丈夫。めでたいことなんだから、仕事で使ってなければ貸してくれるさ。そんなケチくさいことを言うようなヤツ等じゃないよ」
 ヤツ等とは、僕が働く会社の社長達3人のことだ。昔からの友達でもあり、僕の事を良く分かってくれている(と僕は思っている)ヤツ等だ。会社の方針は『できるだけシンプルに』そしてルールは一つ『ネクタイ着用禁止』。僕はこの会社の方針とルールが気に入っていて、夏になると同じ職場に戻ってくる。
「本当にそれなら助かるよ。ありがとう」
「なんのなんの、こういったことは自分が出来る事をするんだよ。出来ない事はやらない。ただそれだけ」
僕は車からギターを出してポロリポロリと弾き始めた。いつのまにか日はすっかり落ち、雲の隙間から星が瞬く。
辺りの森からモーポークというミミズクの鳴き声がする。近くの茂みで何かガサゴソと動く音がする。茂みから1羽の鳥が姿を現した。
ウェカという飛べない鳥である。僕らのキャンプの周りをウロウロと歩く。彼等は人間がこの国に入ってくる、はるか以前からのこの国の住民である。ニワトリより一回り小さい体は茶色い羽毛で覆われる。茶色いのでキウィと間違える人もいる。
テントのそばのファンテイルトラックに、ヘッドライトを頼りに入って行った。10mも進めば外とは全く違う世界となる。ライトを消せば闇、何も見えない。
闇に対するおびえは人間の本能的な感情である。暗さがあるからこそ、太陽を神と奉った。月や火を拝む宗教もある。
そのままブラブラと森を散歩する。昼とは全く違う姿をライトの明かりで見た後、仲間の輪に戻る。
僕は持参の日本酒を出し、栓を抜きながら言った。
「じゃあ、そろそろこんなのいくかね」
ゴーティーが言った。
「ひっぢ、こういうのはもっとひっそり出さなきゃあ。女達のいない所でとか。すぐに飲まれちゃうよ」
ミエがさえぎる。
「そんなことないですよね。あたしもお酒いただきまーす」
「まあまあ、こういうのはさっと飲んじまうのがいいんだから。まあどーぞどーぞ」
ウマイ肴にウマイ酒、友と過ごすこの時間この空間。
他に何が必要だろう。

明くる日、雲の切れ目から晴れ間が覗く。サニーの雨女ぶりも今回は影をひそめているようだ。
僕のバンに全員乗り込み会場へ向かう。キャンプ地から会場までは車で10分ぐらいだ。
僕は初めてなので勝手が分からないが、トーマスとゴーティーについて行けばいいので気が楽だ。ガイドが2人ついているようなものだ。
入口では荷物チェック、ここで液体は全て捨てなくてはならない。ペットボトルに入った水もだ。テロの影響はこんな所まで来ているのか。バカバカしい話だ。
チケットを出して紫の腕輪をつけてもらう。これがあれば一度会場から出ても戻ってくることができる。
中に進むと一つの列が目に入る。ここでID(身分証明書)を出して成人であることを見せる。
ニュージーランドの法律では酒の販売は21才以上である。25才以下に見える場合はIDを見せなくてはならない。25才に見えるというのがミソで、そのへんが微妙な女心をくすぐるところだが僕には全く関係ない。
会場内ではビールなどを売る所は込み合うので、一々IDを見せているようでは話にならない。このテントでIDを見せピンクの腕輪を付けてもらう。ピンクの腕輪があればすんなりと酒が買える。合理的なシステムだ。
日本人は若く見られるので全員列に並ぶ。僕は坊主頭にヒゲ面でどう見ても25歳以下には見えないが手持ち無沙汰なので皆と一緒に列に並ぶ。列と言っても並んでいるのは10人ぐらいだ。
トーマス、ゴーティー達が次々とピンクの腕輪をもらい僕の番になった。受付はマオリの大男だ。
「キオラ、ブロ(よう、兄弟)オレにもピンクのヤツをくれるかい?」
男は僕の顔を見て笑い出した。
「オマエにはこんなのいらねえよ。ビールを売らないヤツが居たらここに連れて来い」
周りの人達も笑いながら頷く。まあそれもそうだと思いながら、笑っている友の輪に戻る。
最初のテントの外には朽ちた木が山積みされている。男がナタで木を割り、中のイモ虫をつまみ出す。フーフーグラブ、蛾の幼虫はイベントの目玉の一つでもある。1匹3ドル。テントの中にはフライパンで炒めたものもある。最初からイモムシもなんだなあ、と思い先へ進む。

会場内は様々なものを売るテントが並ぶ。
僕が最初に買ったのはカジキ鮪の煮付け。可も無く不可も無くといった感想。
サニーが牛の乳首を買って来た。見た目はただの脂身を炒めてあるだけ。味もただの脂身。
ゴーティーがカタツムリを買って来た。にんにくとオリーブオイルで炒めてある。みんなにおすそ分けだ。
「エスカルゴだね。どれどれ、フツーに美味しいね」
「うん、フツーにおいしい」
ゴーティーはシェフだけあって、いろいろと興味は尽きない。
「ゴーティー、あのさあ、これってゲテモノ食いの領域から出ないのかなあ。もっと美味しく食べようという工夫が少ないよね」
「そうそう。去年はイクラが出てたけど味付けも何も無く正にゲテモノ食いだったよ」
「素材の旨さを引き出すなんてのは無いのかねえ」
「無いんだろうね」
「ゴーティー、どうよ?シェフの目から見たこの国は?腕のふるいがいのある国だと思わない?」
「というと?」
「素材が何でも美味しいでしょ。肉でも魚でも野菜でも。シンプルに作ればいいと思うんだけどなあ」
「そう。だけどシンプルに作るのは本当は大変なんだよ」
「だからソースを濃くしたりしてやりすぎちゃう」
「その通り」
そんな会話をしながら会場を回る。出店の数は100以上もあり、とても全部など食べきれない。
これは、というものを買いながらみんなで味見をする。
僕が並んだテントはマウンテンオイスター。羊のキンタマである。ついでに羊の脳ミソも頼む。キンタマも脳ミソもバーベキューで焼くだけである。
キンタマは山の牡蠣というだけあって味は牡蠣に似てなくも無い。最初の一口二口なら良いがそれ以上食うとウッとなる。
トーマスがどこからかミミズを買って来た。みんなにはミミズチョコでヤツ自身にはミミズ入りゼリーである。味はちょっと泥臭いがチョコの味がほとんどだった。ミミズチョコのミミズは言われなければ分からないぐらいの大きさだが、ゼリーの方はミミズの姿も生々しくあまり食う気にもならない。ミエが言った。
「ミミズはお腹をこわすって職場の人が言ってたわよ」
「大丈夫大丈夫、平気だって」
そう言ってトーマスがミミズ入りゼリーを一気にあおるのを、全員で「大丈夫かよ、こいつ」という目で見守った。
出店は圧倒的に肉が多い。野菜は無いのかな、と思っていると一つの店が目に入った。
マオリのマークとプンガ(大きなシダ)の絵が描いてある。他の店ほど目立たなく行列もできていない。
大皿にプンガの幹の中心をスライスしたものが並んでいる。甘酢につけてあるのだ。一つ1ドル。他のものに比べ安い。僕は3種類買ってかじってみた。
サクサクした歯ごたえ、食感は山芋のようでぬめりは無い。とてもおいしい。そうか、やっぱりプンガだって食えるんだ。味付けも濃すぎず素材の旨みがでている。
僕は正直感動した。他のモノのようにハデさはないが、シンプルに美味かったのだ。肉料理の付け合せにピッタリだと思う。さすがマオリ、なかなかやるじゃないか。
出店を一回り巡って最初のテントに戻ってきた。フーフーグラブ、イモムシのテントである。
山積みの朽ちた木はほとんどが崩れ、あとは人々がてんでに木を壊し中の虫を探している。見つけたらタダで食っていいようだ。
トーマスが中に入りガシガシと木を砕き虫を見つけた。周りの人達はこれを生で食うのかと興味深そうに見つめる。と、何を思ったのかトーマスはその虫を近くで見ていた人にくれてしまった。全くお人よしなんだから。
そして再び木を砕き、先ほどより一回り大きな虫を見つけだし、今度は観客の前でパクッモグモグと食ってしまった。
僕らは生で食う勇気はなく、炒めたものを食べたが、正直そんなに美味いものではなかった。

ブラブラと歩いていると一人のパケハ(白人)に呼び止められた。
「ヘッジ!ヘッジだろオマエ!覚えているか?」
「おお!スティーブか。懐かしいな」
僕がまだ下手くそなスキーヤーだったころ、彼はコロネットピークでスキーパトロールをしていた。15年以上前の話だ。
何かの事で彼に捕まりこっぴどく叱られた。その晩に地元の飲み屋でバッタリ会い、説教の続きを聞きながら一緒にビールを飲んだ。それ以来の友達である。
「今どこにいるんだい?」
「クロムウェルでこの店をやっている」
屋台はウサギ肉のパイだ。きっちりとした食事もせずにつまみ食いばかりしていたので小腹も減ってきたところだ。せっかくだし一つもらおう。
「アナも元気か?」
奥さんのアナも元コロネットのスキーパトロールで、僕は彼女にも捕まって説教されたことがある。
「ああ、一緒にビジネスをやってる」
「そりゃなによりだ。子供は?」
「2人。7歳と9歳だ」
「うちのは5歳になって、学校に行きはじめたよ」
「お互い年をとるわけだ」
僕らはしばし会話を交わし別れた。思いがけない場所で思いがけない人と会うのは楽しいものだ。
スティーブのウサギのパイは美味しかった。僕はウサギの肉は普通においしいと思う。
ニュージーランドではウサギは牧場を食い荒らし、害獣と呼ばれる。
前に居たファームでは撃ったウサギを冷凍して、ぶつ切りにして犬の餌にしていた。
なんでも生だと病原菌がいるのだが、冷凍にすれば菌は死ぬらしい。もちろん火を通せば料理にも使える。
友達は家のキッチンの窓から1日中ウサギを撃ったことがあり、その日は57匹しとめたそうだ。
ウサギはこの国ではそんな存在だ。

会場を後にしてキャンプへ戻る。
町はずれにある橋を渡ると、警官が一人で検問をやっていた。これだけの祭りでたくさんの人が酔っぱらうのだからやらないほうがおかしい。
僕は今日はドライバーなのでアルコールを控えていた。ビールを3杯、最後に飲んでから4時間以上経っている。
車の窓を開けると若い警官が器械を出して言った。
「すみません、チェックさせて下さい。1~10まで数えてください」
僕は数を数え警官は器械を見て言った。
「ハイ、OKです。ありがとう」
「大変だね、こんな日に。ごくろうさん」
「気をつけてどうぞ」
僕は車を走らせると横のゴーティーに話した。
「絶対でないって分かっててもいい気分じゃないよね」
「そうだね。今日あんまり飲んでなかったね」
「うん、酒はキャンプでゆっくり飲めばいいからなあ」
キャンプに戻り再び宴の用意をする。と、トーマスがいない。
「あれ、トーマスは?」
「トイレ。お腹こわしちゃったんだって」
「やっぱりねえ」
「何が当たったんだろう」
「あれだけたくさんあったから分からないなあ」
「一人だけで食べたヤツだよ」
「生のフーフーグラブかな」
「ミミズだよ、きっと」
「調子に乗って食うから」
「バカだねえ、全く」
みんな本人がいないと言いたいことを言う。まあ本人がいても言うのだが。
そうしてるうちにトーマスが戻ってきた。
「どうだい、腹の調子は?」
「うん、ちょっと下したけどもう大丈夫」
「じゃあアルコールで消毒しなくちゃな。さあ、まずはビールからだな」
そしてキャンプ2日目の夜はふけていくのであった。

次の日、朝早くに散歩をする。キリリと朝の空気が引き締まっている。
僕のテントの直ぐ脇からベルバードトラックという道が森の中へ続いている。その名の通り鳥が多い。
ブラブラと歩いたあとボチボチと朝飯の支度をする。トーストを炭火で焼くという、とてもぜいたくな朝飯だ。
今日、僕はクィーンズタウンへ帰り、ゴーティーとミエはカイコウラへ。
トーマスとミホコはもう数日西海岸を周り、サニーはアーサーズパスへ向かう。
僕の夏休みは終わろうとしていた。
「あーあ、短い夏休みが終わるなあ。楽しかったなあ。こんな時にはこれかな」
僕はギターを引っ張り出し、唄を歌い始めた。
『祭りの後』吉田拓郎の古い歌は、今の僕らの気持ちにぴったりだ。
そしてもう1曲マオリの唄『アウエ』この歌はマオリの神イーヨ・マトゥアに捧げる歌で、ことあるごとに僕はこれを唄う。
今はマオリの歌のレパートリーも増えたが、最初に歌えるようになったマオリの歌だ。
今誰かに、あなたは神を信じますか?と聞かれたら、マオリの神イーヨ・マトゥアを信じる、と迷わずに言える。
僕にとってそんな歌である。
僕の歌声はキャンプ場に響いた。イーヨ・マトゥアにも届いたことだろう。
仲間と再会を約束して車に乗り込んだ。
となりでキャンプをしていたマオリのオバサンが僕に手をふった。
 

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トーマスとモレーンクリーク 2

2017-06-03 | 過去の話
素早くテントを張り、ビールを小川に浸す。コケの中をぐちゃぐちゃ歩きまわり薪を探す。
倒木はいくらでもあるが、どれもコケをびっしりと付け、湿っていて燃えにくそうだ。
小川を渡った所に、ブナが何本も倒れていてその枝を折り焚き火の場所に何回も運ぶ。ぐちゃぐちゃの靴を脱ぐ前にやることをやっとく。
トーマスが枯れ木の中で枝をバキバキ折りながら言った。
「いやあ、今日の焚き火はしぶそうだなあ」
「みーんな濡れてるねえ」
「この枝だってほとんど朽ちていますからねえ」
「シダの葉っぱを下に敷くといいみたいだよ」
「ナルホド、やってみましょう」
シダの古い葉をかき集め焚き火の跡地に敷き詰めるのはマオリの知恵だ。その上に比較的乾いている小枝を積み上げる。
火をつけると白い煙をもうもうと出し、チョロチョロと燃え始めた。メラメラというにはほど遠い。
さあ、やっと濡れたブーツから足を解放させられる。乾いた靴下を履き服を着替え、小川からキンキンに冷えているビールを出す。
焚き火は相変わらず心細い勢いで燃え、白い煙がぼくのテントを包む。
「あーあ、またテントが焚き火くさくなるなあ」
ボクはつぶやき、最初のビールを開けた。
「今日も又、間違いなく『大地に』だね」
「大地に」
自然の中でとことん遊ばせてもらった時、その日最初のビールの一口を地に捧げる。
『そんなのビールの無駄じゃん』と思う人には、そう思ってもらって結構。これは自分の心の中の話だ。
友が始めたこの儀式をボクらはやり続ける。もう何回これをやったのだろうか。
できれば毎日やりたいところだが、そうもいかないだろう。



煙くさいテントで一晩過ごしたあと、テントに余計な荷物を置きボクらは再び歩き始めた。
空は晴れているが谷間の中は日が差し込まず、全ての物が露で濡れている。
森を抜け、開けたところで地図を見て方向を確認。この辺になると地図上の点線も切れている。右手は垂直な岩の壁が続いているが、1カ所だけ『あそこなら、なんとか登れるかもしれないなあ』という切れ込みがある。そこを目指して進む。
オレンジマーカーは無く、歩きやすそうな所を探しながら歩く。足元は大小の岩が重なり不安定だ。
かなり大きな石でも不用意に体重を乗せるとグラリと動く。
そんな登りを1時間も続けると、やっとレイク・アデレードが見えてきた。湖の周りは岩の壁で囲まれ、容易に人を近づけさせない。
「あれがレイク・アデレードかあ。まだまだ遠いなあ」
13~15時間。納得。
今回はボク達にも時間は無く湖まで行くのは最初から諦めていたが、もし湖まで1日で、と考えていたら途中でイヤになっただろう。
湖に背を向けてさらに登る。
周りにはスノーベリー、日本でいう白玉草が白い実をつけポツリポツリと生える。この草は赤い実をつける種類もあるが白い実の方が美味しい。ほんのり甘いスノーベリーを食べながら黙々と登る。



一つのテラスで名もない小さな氷河の末端部を越える。
数年前にはこの氷河だってもっと長かったのだろう。
周りには運ばれてまもない土砂がたまり、以前の姿がありありと見える。
そして数年後にはどんどん短くなり、やがて消えてしまうのだろうか。
それとも再び大きな氷の流れとなり周りの岩を削りながら運ぶ時が来るのだろうか。
ある見方をすればこんな氷河など単なる氷の塊である。そこに命などなく、生き物として見るのはナンセンスだ。
果たして本当にそうか?氷河は生きていないのか?人間が氷河の命を感じ取れないだけではないのか?
ボクは目の前の氷河を見ながら消えいく者の寂しさを感じた。物言わぬ者の哀しみを感じた。
さらにボクたちは上り、大きな岩のとっかかりについた。
周りを見渡しても、これ以上登るならここしかないでしょうという場所だ。
ここから先は岩登りである。斜度は45度ぐらいだろうか。両手を岩につきながら登る。
一つのテラスで休憩。ここから先はさらにきつくなる。目指す稜線ははるか上だ。
「なあ、トーマス、上まで行くには時間がないんじゃないか?」
「僕もそう思ってたんです」
「オマエならこんな岩場どうってことないんだろうけど、オレはダメだな。時間をかければ行けるだろうけど、そんなことしてたら暗くなっちまうしなあ」
「そうですね。ここで引き返しましょう」
「悪いな、足をひっぱっちゃって」
「まあ、いいじゃないですか。ここまでだって」
そうは言ってくれるが、ヤツ一人だったら稜線まで行って帰って来られるだろう。



下りは怖かった。
岩は垂直ではないといえかなりの急勾配で、足を滑らせればそのままゴロゴロと転げ落ちるのは目に見えている。
どうしても腰がひける。今までにこれくらいの岩場は経験あるのだが、今日はなぜか怖いのだ。
「靴の底全部に体重をかけて歩きましょう」
「それは分かっているんだけど、なんか怖くてなあ」
「岩が濡れているからですよ。これが日が当たって乾いていればずいぶん違うんですよ」
ナルホド、考えてみれば濡れた岩場歩きの経験は少ない。天気が悪い時にきびしい山歩きはしないからだ。
急な所は岩に両手をついて下りる。トーマスが下からもっと右とか、左に足をかけてとか指示を出してくれる。
ガイドとはありがたいものだ。
「チクショー、こんな下り、雪がついてスキーを履いていればなんてことないのに」
「それは確実に下れる、という自信がそうさせるんですよ」
「確かにそうだ。今はすごく怖いもん」
「怖いと思う感覚は大切ですよ」
そんな怖い下りを終え、岩場の下に着いた。
「ふう、やれやれ。さて、どこか日の当たる場所で休もうかね」
「そうですね、ちょっと下ってあの大きな岩で休みましょう」
ボクらはゴロゴロした岩の重なる斜面を慎重に下った。
平らな岩の上で昼を食べる。
レイク・アデレードを見ながら時間をとる。
湖は蒼く、周囲は灰色の壁がそびえその上に澄んだ青空が広がる。
「なあ、トーマス、あいだみつおの言葉でな『幸せは自分の心が決める』ってのがあるんだよ。全くその通りだと思わないか?オレは今、幸せだ。それはオレの心が決める。この景色と、この空、それを楽しむこの時間。オレは今、この瞬間、自分が望むものが全てある。この為に生きているんだっていつも思うよ」
「全くねえ」
ボクは誰もいない谷間にさけんだ。
「ウオー、オレは幸せだぞー」
「ケーァ」
頭上でそれに答えるようにケアが鳴いた。



再びボクらは歩き始めた。
氷河に押され盛り上がった場所は、土があり歩きやすい。
しかしそこから外れくぼみの中へ入ると、大小の岩が不安定に重なりおまけにコケまでついてすべりやすく非常に歩きにくい。
しりもちをつくなんてざらにある。
こういう場所ではどちらかがケガをすれば、相手方はすごく大変な仕事を背負うことになる。
動けなくなった相棒を背負って下るのも、電話のつながる場所まで下りて救助を要請し又同じ道を上がってくるのも、どちらもやりたくない。
慎重に、慎重に。一歩一歩時間をかけながら下る。それでもしりもちをつく。
地をはうボク達を見下ろしながらケアが鳴く。
「ケーァ」
先ほどのケアがついてきているのだろう。鳥は飛べていいなあ。
ニュージーランドにオウムは3種類いる。
一つはカカポという世界一重い夜行性の飛べないオウム。これは絶滅寸前で手厚く保護されている。
もう一つはカカという飛べるオウム。大きさはケアと同じぐらいだが、こちらは森の中に住む。
そして高山オウムのケアである。
ケアは標高の高い所に住むオウムで、体長40cmぐらい。茶色っぽい緑色だが、羽根を広げて飛ぶときれいなオレンジが羽根の下に見える。
町では見ることはないが、スキー場の駐車場で車にいたずらをしているのをよく見る。特にゴムの部分が好きでワイパーのゴムなどをつつく。
知能は高く、チンパンジーよりも賢いとも言われる。実際にザックのファスナーを尖ったくちばしで器用に開け、中の手袋などを引っ張り出して持っていってしまう。
ボクも以前仕事をした時、ちょっと目を離したスキにお客さん用のビスケットを袋ごと持ち去られたことがある。
無人の山小屋で窓を開けておくと中に入り、これ以上荒らしようがない、というぐらいまで荒らす。ブロークンリバーではケアに荒らされた写真が見せしめのように壁に貼ってある。
ここはケアの住む場所、人間が注意する他ない。
スキー場にいるカラスぐらいの存在だが、南島の山岳地帯にだけ生息し、その数は5千ぐらいだ。
こんな誰も来ないような谷間なら人間が珍しいのだろう。ケーァケーァと鳴きながらついてくる。
ケアの鳴き声は人間にも真似しやすい。ボクは甲高い声で鳴いてみた。
「ケーァ」
「ケーァ」
ケアが応えた。
「ケーァ」
「ケーァ」
再び応える。
「ケーァケーァ」
「ケーァケーァ」
「ケーァ」
「ケーァ」
2回鳴けば2回応じ、1回鳴けば1回応える。オウム返しとはうまく言ったものだ。
しばらくそんなことを繰り返しながら下る。いい道連れができた心境だ。
ボクは試しに3回鳴いてみた。
「ケーァケーァケーァ」
ケアは応えてくれなかった。そう言えばケアが3回鳴くのを聞いたことがない。ヤツらにとっては2が限界なのか。それともヤツらは二進法なのかもしれない。
ケーァケーァと付いてきていたケアもボクらが谷間を下るとともに姿を消した。



キャンプ地まで下りテントを回収。日中陽があたらず露でびしょびしょのテントが重い。
荷物をたたんでいると、トーマスが何かを探している。
「何かなくした?」
「ええ、サングラスをなくしちゃったんです」
「そりゃ大変だ。よく探した?」
ボクらは2人でキャンプ地の周りを探したが見つからない。
「あーあ、高かったのになあ」
「オマエ、昨日まきを集める時にバキバキやってたじゃんか。あそこは見た?」
「ええ、さっき見たんですけどねえ」
「もう、このあたりには無いからあるとしたらあそこだよ。もう1回見て無かったらあきらめろよ」
すでに陽は落ち始めている。いつまでもここにいるわけにもいかない。
倒木のそばでゴソゴソやっていたトーマスが叫んだ。
「あったあ、ありましたよ」
ニコニコ顔で戻ってきたヤツが言った。
「何かねえ、あの木に向かう途中でここにあるって感じたんですよ」
「それはごく近い将来を感じたんだろ。サングラスがオマエを呼び寄せたのかもしれないぞ」
「そうかもな。大切にしよっと」
物に対する愛というものは存在する。
それは自分の心の反映でもある。
自分の気持ち次第で、道具というものはガラクタにも宝物にもなる。



キャンプ地を出てしばらく歩くとテントフラットだ。
狭い谷間の中の平場である。
来る時には水の流れをまたいだり、少しでも濡れないように乾いている所を歩いたが、帰りは目標に向かって真っ直ぐ湿地帯の中をぐちゃぐちゃと歩く。
鏡のような池を越え、幻想的なコケの世界を抜けると急な下りになる。
「ここはけっこうな下りだなあ、よく登ってきたねえ」
「本当ですね。来る時は一生懸命登っちゃったんですね」
ここを歩いたのは昨日なのだが、濃い時間を過ごしたせいか、ずいぶん前の事のように感じる。
道は急でシダが覆い被さり足元は見えない。濡れた石は滑りやすいので早くは歩けない。
そんな歩きを続けるとスリーワイヤーの橋に出た。ここまでくれば一安心である。
『BULL SHIT 15時間』の看板に頷きながら、森を抜けるとホリフォード・リバーの吊り橋が出てきた。
ゴールである。
トーマスがタッチと言い、車に手を当てる。ボクは友のこの儀式が好きだ。
グチャグチャのブーツを脱ぎ、車に置いてあったビールを開ける。そして大地に。
トラックを振り返ればリムが何も無かったように立っている。
ボクはビールを持ち上げ、リムに言った。
「やあ、無事帰って来ました。おかげでこうやってまたビールが飲めます。ありがとう」
薄暗くなった谷間で、リムは暖かく僕達を見下ろしていた。








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トーマスとモレーンクリーク 1

2017-06-01 | 過去の話
もう この話を書いたのも10年ぐらい前になる。
死んだパソコンと一緒に葬ってしまうのも、なんだかもったいないので記録がてらここに更新しておこう。


トーマスという山仲間がいる。
日本人だがボクらはトーマスと呼んでいる。
なぜ、トーマスなのか?という質問もあるそうだ。
トーマスの名付け親はボクだが、出会った日に「オマエは今からトーマスだ!」と叫んでそれ以来トーマスとなっているようだ。
と言うのもボクはベロベロに酔っぱらっていたのでその時のことを全く覚えていない。
ワーキングホリデー、略してワーホリという若者対象に海外で生活を経験してみませんか、というシステムがある。
ボクもトーマスも最初はワーホリだった。
ワーホリの期間は基本的に1年間である。その1年をどう使おうと本人の勝手だ。
ボクはヤツほど1年という限られた時間でこの国を深く見た人を知らない。
素直にこの人はスゴイなと思い、今でもつきあいは続いている。
スキーに関してはボクの方が経験はあるが、それ以外の山、夏山、沢登り、岩登り、野宿、などは全くかなわない。
まあそんなものはどっちが上だからエライなどというものではないので、ボクらは互いの実力を知っている者同士、気楽にあちこちの山へ行っている。
そんなボクらも最近では忙しくなり、シーズン中は仕事に追われ時間が全く取れない。
ボクらの仕事は波があるので忙しい時は殺人的に忙しくなるが、ヒマな時は全く仕事がない。
今年も4月の半ばになり、やっと互いに都合のつく時間ができた。
目的地はモレーン・クリーク。
モレーンとは氷河の堆石堤。氷河によって運ばれた岩などが氷河の後退によって取り残され、堤みたいになっている場所のことだ。クリークは小川。どんな場所なんだろう。




朝、クィーンズタウンを出てテアナウに向かう。
テアナウでは勝手にテアナウ・ベースと呼んでいるトキちゃんという友達の家があり、そこでトーマスと合流。
手早く荷物をまとめいざミルフォード・ロードへ。この道は観光ルートでレンタカーやバスなどが多い。ボクもトーマスも何十回も通っている道だ。
「どうよ、トーマス。最近何か面白いことをした?」
「ありましたよ。ボランティアでゴミ拾い」
「へえ、どこの?」
「それがねえ、フィヨルドランドの海岸線。人が全く入らない地域」
「ほうほう、で、どうだった?」
「まあ、人が入らなくてもブイとかそういう物が流れ着くわけです。それよりも、その場所というのは観光客はおろか、人間が行かない場所なんですよ。絶対に人目に触れることのない場所のゴミ拾いなんです。一緒に働いている人達もほとんどボランティアですしね」
まったくこいつは色々と面白いことを見つけてくるものだ。
「すごいねえ。これがこの国の人達なんだよね。やって良かったでしょ?」
「うん。だって自分だけだったら絶対行けない場所じゃないですか。そんな所へヘリで行って、誰も人が来ない海岸線のゴミ拾い。湘南の海岸のゴミ拾いじゃないんですよ」
「へえ、いいなあ、そんなの。あのね、トーマス、そういった仕事はお金にならないでしょ?」
「ならない」
「お金の為に働くのは当たり前だけど、こういったボランティアというのはお金よりも精神性が高い仕事なんだよ。ボランティアでも色々あるけど人助けのボランティアとも違うでしょ」
「違いますねえ」
「人助けのボランティアは対象が困っている人だけど、この仕事の対象は何?この国?自然?地球?」
「ですね」
「周りの人みんないい人だっただろ?」
「いい人だった」
「そういう仕事をする人は、愛に満ちあふれた人達だからね。一緒に居ても気持ちがいいよね」
「うん」
「いいなあ、トーマス。それは良い経験だよ。そういった経験がトーマスの人間性を大きくさせていくんだよ。」
ハンドルを握りながらヤツがつぶやいた。
「そうねえ、そうかもな。実はねもう一つあるんですよ」
「なになに?」
「リソレーション・アイランドっていう島でストート(おこじょ)トラップをしかける仕事」
「ナニそれ、面白そうじゃん」
「ええ。その島はこれから鳥の保護区となる島なんです。その前に徹底的にワナをしかけて哺乳類を一掃するんです」





ニュージーランドは元々哺乳類というものがいなかった。厳密に言うとコウモリが二種類いただけで四つ足の動物というものが存在しない国だった。は虫類もトカゲが数種類であとは鳥、ここは鳥の楽園だったのだ。
そして飛べない鳥、言い方を変えれば飛ぶことをやめてしまった鳥というものもこの国にはいる。
一番有名なのはキウィだろう。もともとキウィはその鳴き声から取った言葉である。
果物のキウィフルーツの命名もそこからきている。但し原産国は中国である。
ニュージーランド人のことをキウィと呼んだりもするし、よく家事をする旦那さんのことをキウィ・ハズバンドと言う。これは鳥のキウィの雄が卵を暖めるのをよく手伝うことからきている言葉だ。
昔はニュージーランド全国であちこちにいたのだそうだが、今では動物園でしか見ることはできない。
飛べない鳥で一番人目に触れるのはウェカだろう。ウェカはミルフォードトラックなどにもいるし、西海岸のキャンプ場の辺りをウロウロしているのをよく見る。色が茶色なのでキウィと間違われ、観光客が「キウィがいた」と大騒ぎするが、こちらはクイナの仲間である。
タカへという鳥は一時は絶滅したと思われたが1948年に再発見され今では手厚く保護されている。現在200羽ぐらい残っている。
カカポという世界一重い飛べないオウムは現在90羽ぐらいかろうじて残っている。これなどは一般に公開されておらず、ボクも写真でしか見たことがない。
その他、モアという世界一大きい鳥は体長3m体重250kgにもなったというが、すでに絶滅してしまい博物館に骨が残っているぐらいだし、フイアという鳥は飛べたんだけど絶滅してマオリ語の唄に残る。そういった鳥がたくさんいた。
現在、残っている鳥でもユニークな者はたくさんいる。
ロビンは森の中で会うと人間の方へ寄って来る。じっとしていると靴ひもをつつきブーツの上に乗ってくる。一番人なつっこい鳥だ。
ニュージーランド・ピジョンは世界で2番目に大きい鳩で普通の鳩の倍ぐらいの大きさだ。この鳩は木の実を食べるのだが、それを食べて酔っぱらってしまい地面で寝ていることがある。それでかどうか知らないが、この鳩の目は赤い。
鳥が地面に下りて生活ができた国。鳩が酔っぱらって寝ていても、襲われる心配が無かった国。
ここはそんな国だった。
そこに人間がやってきた。
人間はこの国にいろいろなモノを持ち込んだ。
植物、動物、虫、魚、鳥。あるグループの目標が、ニュージーランドをイギリスと同じような環境にするというものだった。今の世の中で言えばそれがどんなに愚かなことかすぐ分かるが、当時はニュージーランドの自然がどんなに貴重なものか人類は知らなかったのだ。
動物で言えば、ネズミ、猫、犬、羊、牛、馬、鹿、ポッサム、ウサギ、そしてストートなどイタチの類である。
これはひどい話で人々は狩りをする目的でウサギを持ち込む。ウサギの天敵がここにはいないので大繁殖して牧草を食い荒らす。怒った牧場主はウサギの天敵のイタチを持ち込む。イタチが鳥を襲う。
イタチから見れば逃げ回るウサギなど捕まえるより、敵のいないところで何万年ものほほんと育った鳥を襲う方が楽だろう。
人間がこの国に持ち込んだ最悪の生き物がイタチであり、現在この国に唯一いる捕食動物なのだ。愚かな人間がヘビを持ち込まなかったのは不幸中の幸いである。
話を現在に戻す。この国の人は過去に自分達の先祖がどういうことをやってきたかを知っている。その結果この国の自然がどうなったかも見ている。そして今、自分達が何をするべきか分かっている。その一環が空港でのきびしい検疫だ。何も知らない人は「こんなにきびしいなんて」とグチをこぼすが、植物の種一つから生態系がガラリと変わる可能性だってあるのだ。山にびっしりと生い茂ったエニシダを見ればよく分かる。この植物は地元では『侵略者』と呼ばれている。
もうこれ以上この国を変えないように、できることなら昔の状態に戻すように人々は働いている。
原生の木を植える仕事もあれば、人のいない海岸線のゴミ拾いだってある。そしてこれからトーマスがやろうとしているのが動物のワナを仕掛けるボランティアなのだ。
ガイドであるからこそ、その仕事にどんな深い意味があるのか分かる。
ボクはそんなことをやる友達を持つことに喜びを感じた。
「いいじゃん、トーマス。すごい仕事だな」
「でしょう。それでね、その仕事はワナを持って山の中歩くわけです。その重さが一人あたり25キロぐらい・・・なんですって・・・」
今回のボクらの装備は一人15キロぐらいだ。しかも道なき道を・・・。
「ガハハ、トーマス君、そんな仕事は選ばれた人しかできないぞ。そうかあ、君は選ばれた人だったのね。ガンバレよ。陰ながら応援するよ。それが何日間?」
「10日間」
「タフだなあ」
「でもね、舟の上で寝泊まりするのでシャワーとベッドはあるんです」
「そうだよな。それぐらいしなきゃ。どうせ夜はフリーなんだろ。酒は持っていけるの?」
「10日間ですからねえ。ビールじゃあっという間に終わるからバーボンでも持ってきます」
「星とかきれいだろうなあ。がんばれよ」
今回の仕事はさらにトーマスを大きくすることだろう。



観光ルートのミルフォード・ロードはバスやレンタカーが多いが、メインの道から外れホリフォード・ロードに入ると他の車は姿を消す。
選ばれた男トーマスが言う。
「おっリムが出てきましたよ」
「ホントだ」
ボクの住んでいるクィーンズタウン、それから仕事場のアスパイリング国立公園にはこの木はない。ボクが一番好きな木だ。
この木が多いのは西の海岸線沿い。この木に会うためにボクは西海岸へ足を運ぶ。そう、ここはもう西海岸のすぐそば。あと数キロ先はタスマン海だ。
未舗装の道をゴトゴトと10分も走り、車はガンズ・キャンプを越えた。このガンズ・キャンプだって「よく、こんな所に住むなあ」というぐらいワイルドだ。もうこの奥に人は住んでいない。
夏山のバックカントリーである。
「この谷を行くのかなあ?」
窓から山を見ながらゆっくりと進む。青空に切り立った岩壁が映える。気持ちのいいドライブだ。
車を置く場所を発見、白いステーションワゴンが1台。トランパーかハンターか、最低一人はこの奥に居るわけだ。
遅めの昼飯を食い、歩き始める。
トラックの入り口に立派なリムが立っている。ボクはリムに言った。
「やあ、歩きに来たよ。帰りもこうやって君と会いたいものだね。明日帰ってくるから道中の無事を祈っていてくれよ」
吊り橋でホリフォード川を渡り森の中へ。そこはもうフィヨルドランドの森である。雰囲気は森と言うより密林に近い。歩き始めてすぐに一人の男と会った。ライフルをぶら下げている。どうやらハンターのようだ、と思いきやトーマスが親しげに話し始めた。なんだ、トーマスの友達か。
「鹿を撃ちに山に入ったけど一頭も見なかった。人の足跡ばかりだし、頭の上は遊覧の飛行機がブンブン飛んでるのでイヤになって下りてきたところだ」
「ふーん、ボク達は1泊2日でレイク・アドレードを見に行くんだ」
「そうか。そういえばトーマス、オマエは今マナポウリに住んで居るんだよな。近いうちに遊びに行くぞ」
「OK、テアナウの仕事はまだやっているのかい?」
「やめちまったよ。ボスは悪いヤツじゃないんだけどな。金曜日にもらえるはずの給料が月曜になっても火曜になっても貰えないんだぜ。クソッタレ」
「たしかにな、まあいつでも遊びに来てくれ」
「ああ、オマエ等も気をつけて楽しんでこい」
彼と別れ歩き始め、ボクはトーマスに聞いた。
「前からの知り合い?」
「ええ、クリスっていうんですけどね。テアナウでシェフをやっていたんですよ。辞めたのは知らなかったなあ。でもまさかここで会うとはね」
「ホントだな。でもああやって会話の中に普通に『くそったれ』って出てくる人はいいねえ」
「ハハハハ。じゃあさっきの車はクリスのだったんだ。ということはこの奥に今日は誰一人いないわけですね」
心地よい緊張感である。何事もなく山を下れば良いが、それは100%保証されているわけではない。気を緩めればどんな山であろうと事故現場になりうる。



やがてスリー。ワイヤーの吊り橋にさしかかる。その名の通りワイヤーが3本だけの吊り橋である。
小さな看板が橋の脇にある。『レイク・アデレード 11~13時間』
その横に石でひっかいた落書き『BULL SHIT(ふざけんな)15』
誰が書いたのか知らないが、この人はこれぐらいかかったのだろう。甘いコースじゃあなさそうだ。
スリーワイヤーは吊り橋というよりも綱渡りだ。ワイヤーの1本を踏み両方の手に1本ずつ、計3本。
気を抜けば落ちる。だがここにこれがあることにより、靴をぬらさずに川を渡ることができる有りがたいものだ。スリーワイヤーでギャーギャー言う人はこれ以上奥に入らない方がよろしい。
そしてきついアップダウンを繰り返しながら進む。前を行くトーマスに話す。
「そういえばさあ、この前ワナカの航空ショーの仕事があってねえ。面白かったよ。お客さんにどっかの大学のセンセイがいて解説付きで見れた」
「あれ、行きました?僕は2年前に行きましたが面白いですねえ。あれ出ましたか?あのオーストラリアのジェット戦闘機?」
「出た出た。火い吹いてたよ」
「これは聞いた話なんですけど、昔はニュージーランドもああいうの持っていたらしいんですね」
「そうらしいね」
「それで、ああいう飛行機ってのは持っているだけでもすごい維持費がかかるそうなんです」
「ナルホド、それで?」
 なんとか会話ができるぐらいの坂を上りながら話す。
「それで、『こんなのうちが持っていてもしょうがないべ、やめちゃおうか?』『うん、ヤメヤメ』って簡単に決まっちゃったそうなんです」
「いやあ、トーマス。ニュージーランドってそういう国だね。いい国だ」
トーマスが振り向いて言った。
「ホントにねえ。新しいものを手にいれるんじゃなく、今まで持っていたモノを必要ないからといって簡単にやめられる国。これってスゴイですよ」
「うんうん」
やがて道は急な登りになり、ボクらは口数も少なくぜいぜいと登る。急な登りは2時間以上も続く。トーマスが前方上部を指して言った。
「ホラ、だんだん木が低くなってきましたよ。あの上辺りがテントフラットのはずです」
「テントフラットというぐらいだからテントを張るのに良い場所なのかねえ?」
ボクらが今まで通ってきた道はずーっと森の中で、テントを張れるような場所はない。
「うーん、本にはけっこうな湿地帯となってますが、どうなんでしょうねえ」
息も絶え絶えに台の上に上がると、そこは一面のコケの世界だった。
「うわあ、すごいなこれは」
「今までの所とは違いますね。こんなのあるんですねえ」
今までもずーっとコケの中を歩いてきたのだが、コケの厚さがここまで来ると一気に厚くなる。まさにここだけはコケが支配している幻想的なコケの世界だ。



さらにその奥には鏡のような池があり、正面の岩山、その奥の青空をくっきり映しだしている。池まで出て本物の山と見比べてみたが、池に映る山の方がきれいなのだ。ウソだと思う人は歩いて行って自分の目で見てみるといい。
迷わずザックを置いて休憩である。
「ここまでがんばったボーナスだね。こういうごほうびも必要、必要」
しばし静寂の池を眺める。一体今までに何人ぐらいの人がこの景色を見たのだろう。この国にはそんな場所がいくらでもある。苔の持つ無数の命のエネルギーに包まれ、ボクらは時を離れ自然にとけ込んでいった。
いつまでもここに居たいがボクたちには先がある。ザックをかつぎ池に別れを告げた。
再び歩き始めてすぐに森は開けた。正面に切り立った岩の壁が広がる。テントフラットである。
絶対にこんな所でテントなんか張りたくないな、というような湿地が数百メートル続く。ちょっと油断すると足首までずぶずぶともぐってしまうような場所だ。
ボクは流れをまたいだり草を踏んだりして出来るだけ濡れないように歩いたが、奮闘むなしく平場を渡り終える頃には靴の中はグチャグチャになってしまった。
テントフラットから森に入る辺りの地面が乾いていて焚き火の跡がある。
時間はまだ早い。最悪、ここでテントが張れるということを頭の隅に置き歩き続ける。
森が切れたと思ったら今度はシダである。
谷間の底は日も当たらず、露でシダの葉は水滴をびっしりとつけている。シダを払うと水滴はボタボタと葉を伝って流れる。胸の高さまであるようなシダをかき分けながら進む。
トーマスはカッパを着てたので平気だがボクはびしょびしょになってしまった。
「いやいや、こんなに濡れるとは思わなかったよ」
「ぼくもダスキートラックをやった時に、もう少しもう少しと歩いているうちにびしょ濡れになっちゃったんですよ。露もバカにできないですよ」
「全くだ。さすがフィヨルドランドだな。さて次はどこかな?」
この辺りまで来るとオレンジマーカーの数は極端に減る。一つのマーカーから辺りを見回し、遠くにポツンとあるマーカーに向かってひたすらシダをかき分けて進む。
やがてそのオレンジマーカーも姿を消し、石を積み上げたケルンを探しながら歩く。
右手には断崖絶壁がそびえ、白い滝が数百メートルの筋をつくる。
滝から流れている沢を渡り、次の森に入る辺りでキャンプ地を決めた。空はまだ明るいが谷底が暗くなるのは時間の問題だ。




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トーマスとUパス 4

2016-06-23 | 過去の話


翌朝、テントの中でウダウダと日が当たるのを待っていると、突然ゴロゴロと雷のような音が鳴り響いた。
あわててテントのファスナーを開けると、正面の氷河の一部が崩れ、雪崩が落ちる瞬間だった。
雪は岩壁に無数にある窪みの一つを流れ落ちる。
朝日をあびてキラキラと光りながら、雪の流れは一番下の残雪に吸い込まれていった。
「なんとまあ、朝っぱらからすごいものを見せてくれるね、この山は」
朝食をゆったりと取り、テント撤収。そしてUパスに登り始める。
真横から見るとアルファベットのUの直線2本を上に5倍くらい伸ばしたような形をしている。
すごく縦長のUの字だ。言葉で説明するのが難しい。
直線部分は垂直に切り立った岩壁が200m以上。
ナイフで切ったように岩が切れていて思わず笑ってしまう。
人間とは、こんな説明のつかないような物を見せ付けられると笑うしかないのだ。
登るにつれ2つの壁が迫ってきて、どんどん視界は狭くなる。
壁の圧迫感を体で感じながら一気に上り詰めた。

峠の向こうには、見たことも無い山並みが連なっていた。
向こう側も壁に挟まれているので視野は狭い。直下はガレ場が細い谷間に吸い込まれている。
後ろには昨日キャンプをした平ら場が、壁の隙間の向こうに広がる。
頂上には小さなケルンが積まれている。人間が存在した証拠だ。
一体何人の人間がここを通ったのだろう。
なんだかずいぶん遠くに来てしまったような気持ち。
それぐらいに、この場所は人間の世界から隔絶している。
観光バスが通る道から、直線距離で僅か5キロほど。しかしこの場合、距離や標高は問題ではない。
密度の濃い時間、山や氷河からにじみ出る力、岩壁から押し出される奇妙な圧迫感。
神の領域、と呼ぶには安易に来れてしまう。かといって人間の住む世界ではない。
不思議な空間だ。
ビルの谷間のような空を見上げると、糸のように細い月が青空に浮かんでいた。
視界の端で動く物があり、僕を現実に引きずり戻した。
ロックレン、地味だが可愛い小鳥だ。この鳥は標高の高い岩場にしか住まない。
普段森歩きの多い僕は初めてこの鳥を見た。
僕が畏怖を感じたこの場所も、鳥にとっては生活の場でしかない。
鳥はあざ笑うかのように、青い空へ消えていった。



「さらば、名無しの山よ」
もう一度後ろを振り返り、僕らはUパスを後にした。
登りより下りの方が怖いのは、つい昨日味わったばかりだ。
辺りはガレ場、石は不安定で足をのせるとグラリと揺れる。常に『この石は大丈夫かな?』と考えながら次の一歩を踏む。
左右にはカールが並び残雪が点在する。壁という壁は全て垂直に切り立ち、人間の進入を拒む。
「すごいなあ」という言葉しかでてこない。
30分も下るとUパスは完全に見えなくなった。あの向こうにあんな世界が存在するなんて・・・。
自分の想像を越えるものがそこにあるのは毎度の事だが、今回もまたこの国の自然にやっつけられてしまった。
岩の裂け目を下りハットクリークの本流に合流、ここで休憩。
この場所もまた、別の巨大なカールがある。カールに次ぐカール、U字谷の先のU字谷。
こういう所でいつも感じるのは人間の小ささだ。
「すごいなあ」何回、何十回この言葉を口にしただろう。言葉が景色に追いつかない。
よって口を開けば「すごいなあ」になってしまう。
もうちょっと気の利いた言葉の一つでも欲しいのだが、それしか出て来ないのだから仕方がない。
僕の思惑をよそに、山は無言で僕達を見おろす。

川原沿いをしばらく歩くと、Uパスへ続く細い岩の裂け目さえも見えなくなった。
「あの奥にはあんな世界があるんだね。まるで夢みたいだよ」
「ホントにねえ」
「夢だったのかなあ」
「2人一緒に同じ夢を見てたんですよ、きっと」
「うーん、それにしてもあの谷間の奥の世界は人間の想像の限界をはるかに越えているよね」
「全くです」
「だけど、これを人に伝えるのは難しいよね」
「難しいですね」
「行った人なら分るんだろうけどな、『そうそう、あそこはスゴイんだよ』ってね」
「ナルホド」
「しかしさあ、このコース2日かけて正解だよ。1日だったら何が何だか分らなくなるよ。きっと」
「ホントにそうですね」
間も無く森の入口に見慣れたオレンジ色の三角が見えてきた。
森に入ると世界は一転する。それまでのゴツゴツした岩を踏む感触から、柔らかい苔へ。苔の弾力が限りなく優しい。まるで苔達がお疲れ様、とねぎらってくれるようだ。
見るものも無機質な岩肌から、無数の命が溢れる森へ。濃い緑色が目に心地よい。
道はなだらかに下り、思う存分森歩きを楽しめる。肩の力を抜き、しっとりした空気を吸い、森に身をゆだねる。森は僕たち2人を優しく包み込んでくれた。
昨日の午後に森を抜けて、まる1日も経っていないのだが、なんだかとてつもなく長い旅をしたような気分。
それくらいUパスの印象は強烈であり、密度の濃い時間があったのだ。ほんの数時間前の景色が夢のようだ。



森から出て川原を歩き、再び森へ。前方下にエグリントン川が見えてきた。ゴールは近いのだろう。
ここにはほとんど人が入らないのだろう。数々の花がトラック上にも咲いている。
とてもよけながら歩くなんて不可能だ。よってスマンスマンと言いつつ花を踏んで歩く。
森相が変り、見慣れた赤ブナの森へ。かなり降りてきた証拠だ。
そして渡渉。川をブーツのままザブザブと渡る。
汗でムレた足が冷やされて心地よい。但し川を出ると、ブーツの中に水がたまり、不快である。
厚さが30センチ以上もある苔のじゅうたんをモソモソ歩いていると、前方にバスが通るのが見えた。
そして車道に出たとたんにガソリンの臭いがした。文明という世界に帰って来たのだ。
ザックを下ろしブーツを脱ぐと、トーマスが尋ねた。
「まさかビールなんて無いですよね」
「あるよ。飲もうぜ。昨日のがまだ残ってる」
「ウヒョー、やったあ!ビールがあればいいなあ、って思いながら歩いてたんですよ」
「まあまあ。今日も大地に、だね」
「大地に」
2日間遊ばせてもらった山に、氷河に、森に、川に、そしてそれら全てをのせた母なる大地に感謝を捧げスパイツを飲み、一つの山旅が終わった。

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トーマスとUパス 3

2016-06-22 | 過去の話

道標のある山道はここで終了、この先は支流沿いの歩きやすい所、登れそうな所を選んで行く。
時には水の流れのすぐ脇の岩を伝い、時には茂みをガサゴソ掻き分けて進む。
こういった路はアンマークドルートと呼ばれ、トレッキングでも上級者向きだ。
そんな調子で歩いていくと正面に滝が見えてきた。
周りの景色の中では小さく見えるが、あれだって落差50m以上はあるだろう。今日のポイントは、あの滝をどうやって越えるかだ。
滝の両脇は岩が切り立っていて登れそうも無い。ちょっと離れた斜面は心もち緩やかで何とか行けそうだ。
呼吸を整え、登り始める。斜度は50度以上あるだろうか。時折り両手で岩とか草の根を掴みながらよじ登る。
上を行くトーマスの足元から崩れた石がゴロンゴロンと数m横を転がり落ちる。
大人の頭ほどの大きさの石だ。当たれば痛いでは済まないだろう。
こんな所ではちょっとしたルートの選択が命とりになる。
トーマスのルートと離れ、誘われるように進んだ先で僕は動けなくなってしまった。
上へ登る取っ掛かりが無くなってしまったのだ。下へ下ろうにも重いザックを背負った体は自由が利かない。
恐怖という感覚が僕をおそった。
まずは足場を確保して、呼吸を落着かせることだ。
目の上にはいかにも滑りやすそうな岩が続いており、30センチ横には岩の切れ目が数十m下へ落ちている。
下を覗いたが、怖くなるだけなのですぐにやめた。
ここで落ちたら間違いなく死ぬだろう。こんな時にいつも浮かぶのは妻子の顔である。
こんな所で死ぬわけにはいかない。あたりまえだ。
来た場所を下り始める。
山に登ったことのある人なら分るだろうが、登りより下る方が危険で怖い。
絶対に落ちない事を第一に考えながら、三点確保でソロソロと岩を下る。
時々足元の岩が崩れ、はるか下へ転がり落ちる。あんなふうにはなりたくないものだ。
やっとの思いで数mほど下り、別のルートを探す。
トーマスがよじ登った所を試してみたが、僕には無理だった。
またまた冷や汗を流して下り、さらに別のルートへ。
トーマスが上から覗き込んでルート取りを教えてくれた。
そこへ向かうのだって決して楽ではないのだが、他に選択は無い。
なんとかかんとか上の台に体を押し上げてトーマスと合流。やれやれ。
緊張が緩み、やっと景色を見る余裕ができた。
眼下にはくっきりしたU字谷が横たわり、正面には別のU字谷が岩壁の中腹から奥に伸びている。
いわゆる吊り谷と呼ばれるものである。
自然の造形とは美しいものだ。
「ああ、怖かった。一時はどうなるかと思ったよ。それにしてもきれいなU字谷だね。オレ考えてみたらこんなU字谷の中を歩くのは初めてだ。ミルフォードもこんな感じ?」
僕は世界一美しい散歩道と言われているミルフォードトラックを歩いた事は無い。じっくりとプランを温めているのだ。
「そうですね。ミルフォードはもっと長い谷なんです。何日もかけて谷底を歩くから、ここよりはるかに長いU字谷ですよ」
「ふーん、そうか。それに植生も違うよね。この辺の草花はオタゴでは見られないからなあ。これがフィヨルドランドの植物なんだな」
本でしか見たことの無い花を実際に見るのは楽しいものだ。
しかしここへたどり着くまでは、それどころではなかったのだ。
トーマスが僕の知らない草花の説明をしてくれる。ガイド付き山歩きだ。
さらに登り、一段上の大地にたどり着くと、そこには別の世界があった。



広さで言えば陸上競技場3つ分くらいだろうか。人口構造物がないので大きさが掴みづらい。
その広さのまっ平な土地の周囲をぐるりと200m以上ある岩の壁が囲む。
この場所をカールと呼んでいいのだろうか。イメージとしては巨大なタライだ。
唯一切れている向こうには、今怖い思いをして登ってきたU字谷が続く。
Uパスがあるであろう岩の切れ目が見えるが峠自体はまだ見えない。
正面には一番大きな氷河を中腹に抱いた山が居座る。
氷河の上下に数百mの垂直な壁が立つ。この山にも氷河にも名前が無い。
名無しの氷河の下には無数の溝が壁に深い切れ込みを作り、それらの中央、平場のはずれには残雪が厚く積っている。
そんな景色を見ながら僕達はトラバースを続け、Uパスの下に出た。
「なんだ、こりゃ?」
「なんでしょう?」
僕らの頭上には、200m以上のスッパリと真っ直ぐに切れた岩の壁が向き合っている。
2つの壁の間は30mほどあり、その向こうに真っ青な空があった。
「あれがUパス?」
「そうみたいですね」
「なんとまあ。どうしてこんなのが出来ちゃったんだろう」
「ホントにねえ」
「あんなに狭い所、風が強そうだね。それに景色だって見えるかどうか分らないぞ」
「朝日も当たりそうに無いですね。寒そうですよ。ここでキャンプにしましょうか?」
「そうしようよ。この名無しの山だってスゴイよ」
当初は峠の頂上にテントを張る予定だったのだが急遽変更。
目の前にはまっ平な大地が広がっている。フカフカのクッションプラントの上に寝たら気持ちが良さそうだ。
テントを張り終えると、トーマスがザックからビールを出しながら言った。
「まあ、とりあえず乾杯しましょうよ」
スパイツ、それも500ミリ缶2本。単純に考えても1キロの重さだ。ヤツはそれをかついでこの急な岩場を登ってきた。やるなあ。
「でかしたトーマス。じゃあ今日は文句無く、大地に!」
「大地に!・・・・・・くーっ!ウマイ!」
「プハー!効くなあ。しかし、まあ、すごいねこの景色」
「全くですよ。これだけの山と氷河があって、ここに見えるものは全て名無しのものなんですよ」
「うーん、なんだかなあ。言葉にならないよ。こんなところ冬は絶対来れないなあ。雪崩の巣だよ。雨の時もイヤだな。きれいだろうけど」
「雨が降ったらこの辺は滝だらけでしょうね。・・・そうか!ああやってカスケードができるのはミルフォードだけじゃないんだ。この辺りの山が全てそうなんですね。人間が手軽に行けて、見えるのがミルフォードだけのことなんだ」
ミルフォードサウンドへ行く道は、切り立った崖をかすめるように通る。
雨の日にはカスケードと呼ばれる無数の滝が現われ、それはそれで綺麗なのだ。晴れの日と雨の日では景色は全く違う。
「そうかあ、この辺の山が全部、アレなのか。うーん」
「さてさて、ご飯でも作りましょうか。ウヒョー!こんな景色を見ながらメシを作れるなんて!」
ヤツは調理をしやすい方向に座りなおした。
その先には自分達が這い上がってきたU字谷、そして落差が大きすぎて途中で消えてしまう滝がスローモーションのように落ちている。
いつのまにかビールが無くなり、僕の缶が倒れていた。
「あら、ビール終わっちゃったんですか?じゃあ、もう1本、これは半分コです」
そう言いつつヤツはビールをザックから引っ張り出した。さらに
「それが終わったら、こんなのはいかがでしょう?」
焼酎入りのペットボトルだ。
「あれまあ!やるなあ、トーマス。重かっただろ?」
「いやいや、このひと時のためならね」
こういった遊びは徹底的にやった方が楽しい。その労力を惜しまない人はステキだ。
食事のあとでも周囲は充分明るい。
「じゃあ、こんな場所で本を読んじゃうのはどう?」
僕はザックから1冊の本を出してトーマスに渡した。
今回持ってきたのは野田知佑の『旅へ』。こんな場所で読むのにピッタリだろう。
「いいですねえ。ではでは、今度は氷河の方を向いて・・・ウヒョー!こんな中で本が読めるなんて」
ヤツは幸せそうに本を読み始めた。
どこで飛んでいるのだろうか、高山オウム、ケアの甲高い鳴き声が夕闇せまる谷間に響いた。




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トーマスとUパス 2

2016-06-21 | 過去の話
次の日は鳥の声で目を覚ました。ベルバードと呼ばれる鳥で、まさにベルのような音階が朝の森に響く。
テントから出ると、朝のキリリと引き締まった空気が体を包む。
川の水をすくって飲む。朝起きて最初に口にするのは水が良い。
特にこんなウマイ水ならなおさらだ。体の隅々まで濁りのない水が行き渡る。
雲一つない青空にクリスティーナが朝日をあびて輝いている。
その手前にはトライアングルピークがその名の通り三角にそそり立つ。
今回はあの山の周りをぐるりと一周するが、たぶん下からは山が急すぎて見えないだろう。
のんびりと朝食をとり、ユルユルとテントを片付ける。
今回は頑張れば1日で歩くコースを2日かけるので慌てる必要は全く無い。
装備を整え歩き始めるとすぐにウォークワイヤーがある。
通称スリーワイヤーと呼ばれる通りワイヤーが3本、川の両岸を結んでいる。
各ワイヤーはV形に結ばれていてバラバラになる事は無い。
下のワイヤーを綱渡りのように歩き、左右のワイヤーを両手で掴みバランスを取る、実に原始的な橋だ。
定員はもちろん1名。非常によく揺れるが、靴を濡らさずに川を渡れるのはありがたい。
まずは赤ブナの森である。新緑のような雰囲気が特徴的だ。
朝の光が斜めに差し込む。森が一番美しいのは、誰がなんと言おうと朝なのだ。
木の根が複雑に絡み合っていて、その下は空洞になっているのだろう。踏むとギシギシと揺れる。
そして苔。10センチ以上も厚みのあるミズゴケのじゅうたんを歩く。苔はフワっと僕の足を受ける。
非常に気持ちが良いのだが、常に良心の呵責に悩まされる。スマンスマンと苔にあやまりながら歩く。
近くの岩にびっしりと苔が生えていたので、どれくらい厚みがあるのかストックを差し込んでみたらストックはするすると20センチ以上もぐってしまった。
僕は歩きながらトーマスに話し掛けた。
「あのさあ、この苔を踏むのって気持ちいいよな。前から思っていたけど、足で踏む感覚って全部違うよね。苔、落ち葉、木の根、土、ドロ、石、岩。だから長い木道が続くとイヤになっちゃうんだ」
「そうですね。僕が思ったのはこの靴、これはなんとかショックを和らげようと最先端の技術を導入しているわけです。それなのに僕等の足はその下の地面を感じ取っている。これってスゴイと思います」
「そうか、オレ達ってスゴイんだ」
「スゴイんです」
他愛の無い会話を続けながら歩く。
トラックにはシダが多く所々道が見えなくなる。ガサガサとシダを掻き分けオレンジ色の道標を探しながら歩く。
僕が道を探しているとトーマスがこっちです、と正しい道を見つける。そうするとトーマスが先を行き、僕はヤツの後ろを歩く。
木の枝のはらい方、シダの中の歩き方が実にサマになっている。ここはフィヨルドランド、ヤツのホームグラウンドだ。
時は春とあって、様々な花が咲き乱れる。今年は暖冬だった為、花が咲くのが例年より2週間ほど早い。
緑色の葉っぱのような花の蘭、ラッパ形をした赤いフューシャ(日本ではフクシャとかホクシャとか呼ばれるらしい)、白いスミレ、黄色や白の菊達、ブルーベルと呼ばれる桔梗は限りなく白に近い青だ。
少しづつ、確実に高度を上げていくと植生がガラリと変る。それまでの明るい赤ブナの森から、やや密度の濃い銀ブナの森へ。こういう変化がとても楽しい。
木の幹には苔がびっしりと独特の形でまとわりつく。
トーマス曰く、エビのテンプラ。それも安い定食屋で出てくるような、エビが細くて衣がボテッとしたテンプラ。
ナルホド、言われてみればその通りだ。



そんな森歩きを3時間ほど続けると、いきなり視界が開け、目の前に巨大な壁が現われた。
このあたりの山は岩と氷の塊である。どの山も垂直に近い角度で谷の底からそそり立つ。
U字谷という名のごとく、谷の底の部分は平なのだ。
左右の岩壁は何百mの高さだろうか、大きすぎてスケールがつかめない。
その壁にはこれまた何百mという落差で滝が落ちる。
滝の上部では水が白い筋となって見えるが、下に落ちるに連れ滝はバラバラになり見えなくなる。
見えなくなるが水が消えてしまうわけではなく、その下の方にはちゃんと小川が流れている。
そんな滝がいくつもあるし、雨が降ればここは滝になるだろうという場所がいくらでもある。俗にカスケードと呼ばれるものだ。
雨の日には無数の滝が現われそれは綺麗なものだろうが、雨の時にこのルートは歩きたくない。
川が増水して危険度が加速度的に増加するのが目に見えているからだ。
「あれがナティマモエ、ピラミッドピークそしてフラットトップピークだあ!いつもこの山たちを違う角度で見ていたんですよ。そうかあ!あの山の真下に来たんだ」
トーマスが地図を見ながら嬉しそうに声を張り上げた。
ヤツは仕事でこの山たちを何十回と見てきた。計画は2年越しで、充分にプランは温まっている。
僕にはプランを温める時間は無く、この種の感動は無い。ちょっと羨ましいぞ。
ナティマモエはこの辺りのマオリの部族の名前、マウントクックを小さくしたような形だ。
ピラミッドピークはピラミッドのような形で、フラットトップは上が平な山だ。
どれも2300mほどの高さだが、この山の険しさを標高から想像する事はできない。
谷の底は巨大なカールとなっており、千m近くの壁、そして氷河がぐるりと囲む。
そうか、U字谷の起点はこんな形をしているのか。納得。
山を見ながら休憩するものの、どこに視点を置いたらいいのか戸惑う。






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トーマスとUパス 1

2016-06-20 | 過去の話
夏の仕事が終わって一月半、毎日やることはいくらでもある。
専業主夫というものは怠けようと思えばいくらでも楽をできるし、きっちりやろうとすればそれなりに忙しい。
もうすぐ冬の仕事が始まれば、雪山という日常とは違う環境に身を浸すのだが、今は手付かずの自然とは遠い場所にいる。
山が遠くなっている。
そんな自分を慰めるためにもこの話を載せる。
これも12年ぐらい前に書いた話だろう。
目をつぶっても情景が思い出されるが、こうやって記録に残すのもいいだろう。


気の合う仲間と自然の中で遊ぶ。
これほど楽で楽しいものは無い。
忙しい中ポッカリと2日ほどの時間ができたので、山仲間のトーマスと出かけることにした。
西のタスマン海には大きな高気圧が居座る。
南からの前線を寄せ付けないのでブロッキングハイと呼ばれる現象だ。
こんな時には普段は雨の多いフィヨルドランドにも好天の日が続く。何処に行くにも間違いなく良い。
週間予報でも快晴微風という日が4日ほど続く。
できればこの天気の良い間ずっと山に入っていたいのだが、生きていく為には働かなくてはならないのも現実である。
今回は2日半という時間があり、いろいろ相談したあげくフィヨルドランドのユーパス、アルファベットのUの字峠へ行くことにした。
その日の仕事を昼で終わらせ、バタバタと荷物を詰めテアナウへ向かう。
「何か忘れ物してそうだな」
僕は誰にともなく、つぶやいた。
空は青く澄み渡り明るい緑の大地に子羊が跳ね、遠くには雪を被った山が立ち並ぶ、のどかだ。
テアナウは湖沿いの小さな町で、湖の向こう側にはブナの原生林が広がる。
この国独特のくすんだ緑の山を見ているとなぜか落ちつく。
トーマスは2年間ほどテアナウをベースにガイドをしていた。さすが地元というほどこの辺りの山を知っている。
ガイドをしている僕が聞いていても、なーるほど、ということが多い。ヤツの話はとても楽しい。

フィヨルドランド、ニュージーランド最大の国立公園。
どのくらいの大きさかと言うと、新潟県とほぼ同じ大きさだと考えると分りやすい。
その広大な土地はほとんどが森と岩山に覆われ、人間は全くと言っていいほど住んでいない。
大陸の事を僕は知らないが、この国にそれだけの広さの手付かずの土地が残っているのを考えるとぞくぞくする。
南島の南西に位置するので、南極からの低気圧に伴う前線が常にこの辺りをかすめる。よって、雨が多い。
雨が降って当たり前の場所であり、この辺りの森は雨がなければ生きていけない。
観光で有名なミルフォードサウンドやミルフォードトラックなどもこの国立公園の中にある。
フィヨルドランドと言うだけあって、氷河で削られた入り江が西の海岸線に並ぶ。

ミルフォードへ行く道沿いの数あるキャンプサイトの一つでテントを張る。
午後も深まると車の通りはほとんど無くなる。
キャンプ地は川のほとりで水はふんだんにある。火を起こす場所も用意されている。
車で乗りつけられる場所でこんな良い場所があるのだ。
「今日はこのせせらぎの音を聞きながら寝れるな」
僕は独り言のつもりで言ったのだがトーマスが応えた。
「それについては面白い話があるんですよ。日本のキャンプ場である朝管理人に苦情が来たのです。『川の音がうるさくて眠れなかった。何とかしろ!』ですって」
「なんとかしろって言われてもねえ。管理人さんも困るよな。じゃあどうすりゃいいのだろうってね」
「その後どうなったか分らないけど、そういう人もいるんです。キャンプでカラオケやる人もいるし、テレビ持ち込む人もいますしね」
「そういう人はなんでキャンプなんかするんだろう?カラオケやりたきゃカラオケボックス行けばいいじゃん。テレビ見たけりゃ家で見ればいいじゃん」
「僕が思うにですね、普段していることを屋外でやる事をアウトドアだと思っているじゃあないでしょうか」
「ふーん、そんなもんかねえ」
森に入り枯れ枝や倒木を拾い集める。ミソートと呼ばれる寄生植物が赤い花を咲かせている。
トーマス曰く、ポッサムが葉を食べるので数は減っていて、この国には5つのミソートがありそのうち4つは固有種だ、そうだ。
全く勉強になる。こんな勉強なら楽しいぞ。
火を起こし、とりあえず乾杯。車にはスパイツがどっさり。今日のお隣りさんは500mぐらい向こう。
マウントクリスティーナが赤く染まるのを見ながらビールを飲む。マズイわけが無い。
テレビもカラオケもないが僕たちは幸せだ。



きょうのメニューは前菜に種付きオリーブ。よく種を抜いたのを売っているが、絶対種付きの方がウマイ。オリーブのしょっぱさがビールを美味くする。
メインはアスパラ、鳥の手羽先、マッシュルーム、チョリゾと呼ばれるピリカラソーセージ。全部七輪で焼く。
その時になって忘れ物に気が付いた。醤油だ。今日の味付けは塩コショウだけとなった。
「トーマス、もう焼けたぞ、食え」
「どれどれ、いただきます」
ヤツは数秒間うつむいて止った。そして
「ウマーイ!美味いね、これ」
「でしょう。七輪で焼くと、何でも美味くなるんだよ。醤油を忘れたのは失敗だったけどな」
「いやあ、これでも充分美味いです。僕ね、この七輪まだニ回目なんですよ」
「え~?本当?じゃあ一回目はあの時?」
「そう、あの時」
あの時とは数年前、友人たちと牧場の中の一軒屋で七輪バーベキューとスパイツという、いつもの飲んで食ってガハハの夜を過ごした。
その時に僕等は初めて会ったのだ。
ちなみにトーマスというニックネームはその時についた。名づけ親はどうやら僕のようだが、理由は覚えていない。
それ以来、僕らの仲間からヤツはトーマスと呼ばれている。
見た目はごくごく普通の人で、風貌からはガンガン山に入る男には見えない。
スーツを着ればそのままサラリーマンで通る。実際ヤツは日本ではそうだったのだ。
言葉使いも丁寧で、日本の社会でも充分上手くやっていけるだろう。言いたい事を言って会社をクビになる僕とはエライ違いだ。
「あの時以来かあ。じゃあ、じゃんじゃん食って。今宵はアウトドアクッキングの夕べ。レシピはただ焼くだけ」
「いいですねえ。で、どうやって手に入れたんですか、この七輪?」
「ん?飛行機に乗る時に持ってきたんだよ。手荷物でね」
「本当ですか?」
「うん。空港のそばのホームセンターで買って、ペラペラのビニール袋に入れて持ってきた。周りの人にすげえジロジロ見られたけどね」
「ワハハハ、そりゃおかしい」
僕はソーセージを一口かじり言った。
「ム、トーマス、これはビールだ。絶対ビールだ。食ってみな」
「・・・本当だ。これはビールだ。ビールビール」
ビールがたっぷりあるキャンプはうれしい。
腹が落着いたらデザートである。サツマイモを皮ごと焚火の灰の中に入れただけの焼き芋。なぜこんなに?と思うほど甘くて美味い。
「いやあ、美味かった。七輪ってすごいですね。でも昔の人は毎日これで焼いて食べていたんですよね。それってある意味豊かですよね」
「そう。美味いものを食うのは豊かなことなんだ。幸せになれるしね」
焚火をいじりながら僕は続けた。
「こうやって焚火の炎を見ながら星空を仰ぐ。これって洋の東西を問わず人類が何千年もの間やってきたことなんだよ。人間の原点に戻っていく気がするよ」
「ナルホド」
「オレはこういうことを娘に教えたいな。テレビだってインターネットだってほんの何十年のものだぞ。それよりこの焚火は何千年の歴史があるんだってね」
南十字星が濃い藍色の空に瞬いた。時間は限りなく緩やかに流れる。

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田舎の航空ショー

2016-06-03 | 過去の話
これまた古い話を載せる。
書いたのは10年前ぐらいだろうか。
航空ショーの仕事は1回きりだったが、普段とは違う色々な物事が見えた。
貴重な体験のお話。



3月の終わり、ニュージーランドはイースターホリデーを迎えた。
イースターは復活祭というもので日本ではあまり馴染みがない。
春分の日から数えて、最初の満月の日の後の週末がこのイースターホリデーである。
週末を挟むように金曜日と月曜日が休みになるので4連休となる。
この週末にはニュージーランド国内でも、あちらこちらでイベントがある。
今回の仕事はワナカの航空ショーへのドライバーである。ちなみにボクはこの航空ショーへは行ったことがない。
お客さんは世界の航空ショーを渡り歩いている航空マニアの人達である。
バカでかいレンズをつけたカメラをかまえカシャカシャと写真を撮るような人達だ。
何の世界であれ、その分野に優れた知識や経験を持っている人の話は面白い。
お客さんの一人に大学のセンセイがいて、いろいろと話をしてくれる。解説付きの航空ショーである。
僕らの目の前に一機の古い複葉機がやってきた。
メインのプロペラが2つ下の翼についているが、上の翼の左側、飛行機に肩という言い方があるのかどうか知らないが、ちょうど肩のあたりに小さなプロペラが一つついている。
ボクはセンセイに聞いた。
「あの小さなプロペラは何ですか?」
「あれはバッテリーを充電するもの」
「え~!バッテリーを」
ボクは思わず笑ってしまった。だってそんなのあまりに原始的じゃないか。
「君は笑うけどね、あれは電気系統が壊れた時にも使うんだよ。飛行中電気のものが動かなくなると困るでしょう。コンパスとかあるのだし」
「ナルホド、じゃあ他の飛行機にもあるんですか?しまってあるか何かで?」
「まあ、そうだね」
「ふーん、そうなんですか」
よく考えてみれば当たり前の話である。車であれば電気がなくなっても止まればよい。
だが飛行機は簡単に止まるわけにはいかない。安全に止まるためにも電気は必要だ。
飛行機は飛んでいる間は常に風を受けているんだし、その風をバッテリーの充電に使うことは理にかなっている。
メインのプロペラで生んだ動力エネルギーをワンクッションおいて電気エネルギーに変える。
文明の進化の過程にあった飛行機なのか。その後バッテリーはエンジンから直接充電されるようになり、小さなプロペラはなくなってしまったのだろう。
別のプロペラ機がやってきて、センセイの話は続く。
「この飛行機の前期型はプロペラの羽根が3枚、後期型は羽根が4枚なんです」
「へえ~」
この人はそんな事まで知っているのかスゴイなあ、とその時は思った。だがこれだって進化の過程だろう。
同じシャフトを回して風を作るなら、プロペラの羽根が多い方が効率が良いのではないか。
そういえばクィーンズタウンへ飛んでくる飛行機はプロペラの羽根は6枚だったな。
同じ飛行機の前期型と後期型の間には、研究室での度重なる実験なんてのもあっただろう。皆さん、ごくろうさん。
センセイのいろいろな話を聞いて、その時はへ~と思うだけだが、後でよくよく考えてみると全て理にかなっている。
文明の進化の過程が一つ一つの飛行機にやどっている。
人間はどんな話を聞いても、受取手がボンヤリしていると目の前を素通りしてしまう。へ~、で終わってしまうのだ。
話を聞き自分で考え、かみ砕き消化して自分の物とする。
知らなかった事を知るのは楽しいことである。勉強とはそもそも楽しいものなのだ。
楽しいはずの勉強をつまらなくしたのは誰だ!と怒ってみても始まらない。
センセイの話は続く。時々難しくてついていけないこともある。
話というのは聞く方もある程度の基礎知識が必要である。
でないと会話のレベルが下がり、文字通りお話にならないとなってしまう。
が、そこはそれシロートの強みで「ボクは何も知らないのでいろいろ教えて下さい」と頼みこみ話のレベルを下げてもらう。
それでもなおセンセイの話は難しいのだ。
これがお客さん同士の会話だとボクにはもうお手上げ、チンプンカンプンである。
「この飛行機は世界のどことどこにあり、どこそこではまだ飛ばしている」
「どこそこの航空ショーでは、こんな具合だ」
「どこそこの国でジェット機を操縦する免許をとった」
などなど、ボクは素直に『へ~、マニアってすごいな』と思うばかりである。
同じ飛行機の写真を撮るのでもバックが砂漠か山かで絵は全然違うそうだ。
バックに雪の載った山なんかがあると最高。今年は周りの山は緑だが、2年前は山が白かったと言う。
だが飛行機の音がするたびに、大の大人がワクワクと「次は何が来るんだろう」と滑走路を覗く姿は微笑ましいものだった。
この人達は本当に飛行機が好きなんだなあ。
これが軍事マニア(会ったことは無いが広い世の中には居てもおかしくはない)ならば軍用機にだけ興味を示すのだろう。
今回出会った人達は飛行機なら戦闘機から旅客機、輸送機、山火事を消すような仕事をする飛行機、自家用のセスナ、果てはグライダーや一人乗りのヘリコプターみたいな物まで空を飛ぶ物なら全ての飛行機がとことん好きなのだ。
古い飛行機をたんねんに整備して飛ばす喜びがあれば、それを見て楽しむ喜びだってある。
そこには愛がなくてはならない。人間が愛するものは生き物だけではない。
機械や道具に対する愛も存在する。女の人にはあまり理解ができないだろう。
そしてそれを『男のロマン』と呼ぶ。

それはそうとボクは航空ショーというものを見るのは初めてだったが、なかなか楽しいものだった。
一昨年はこの横の道路を車で通っただけで、何かやってるなあ、ぐらいにしか思わなかったのだ。
ショーにはプログラムがあり、シナリオごとにその時代の飛行機がでたり、アクロバットをやったり編隊で飛んだりする。
第一次世界大戦のシナリオではフランス対ドイツの模擬戦闘である。
複葉機というのは翼が上下に2つあるものだが、ドイツ軍のやつは上中下と3枚もある。ボクは思わず言った。
「へえ、3枚なんてのもありなんですね」
「そうさ、最高で8枚なんてのもあったんですよ」
複葉機の上には機関銃がちょこっと乗っかっている。
「あれはどうやって撃つんですか?」
「上からヒモがぶら下がっていて、それを引っ張ると弾が出るんです」
飛行機はほんのわずかな距離の滑走であっという間に飛び上がった。
スピードは極端に遅く、風の中でフワフワと飛ぶ様子はイメージとしては凧だ。
ベトナム戦争のシナリオでは、地元の軍事愛好家の人達だろうか、大砲を備え付け滑走路を挟んでドンパチとやる。
飛行機が低空飛行で機銃掃射をすると、向こう側のハリボテの基地から火の手が上がる。
BGMはジミーヘンドリックスそしてドアーズ。
カーキ色のスカートにシャツ、ネクタイ、斜めに帽子を頭に載せたお姉さん方がジープでやってきて愛敬をふりまく。
遠くから見るとお姉さんだが近くで見たらオバサンだった。
第二次世界大戦のシナリオではアメリカ対日本。
ゼロ戦に見立てた緑に赤い丸は日本軍、ただしこの飛行機は中国製だそうだ。
これがアメリカ軍にやっつけられるというもの。
どうせやるならBGMは軍艦マーチなんてのがいいな。
会場の周りは盆地のような地形で、山の手前にクルーサ川が流れている谷間がある。
谷間へ煙を出しながら下っていく様子は本当に落ちているようだ。
なかなか見せるね。

プログラムは昔の戦争のシナリオばかりではない。ニュージーランド空軍の時間もある。
ハーキュリーズという名前の輸送機が出てきた。
ギリシャ語で言えばヘラクレス、ギリシャ神話に出てくる神ゼウスの息子だ。
いかにも軍用機です、といった緑色の機体にプロペラが4つ。大きさは中型の旅客機ぐらいだろうか。
それが滑走路の中程からスピードを上げたかと思うとあっという間に離陸してしまった。
「あんなに短い距離で離陸できるんですね」
「そう。作戦によっては滑走路を長く取れない場所もあるからね」
「ナルホド、そうですよね」
飛行機は急上昇である程度の高さまで行くと、機体の後ろがパカリと口を開けナンダナンダと思う間にバラバラと人が落ちてきた。
落下傘部隊である。ショーなのでいろいろとある。
飛行機は谷間を旋回し急下降、谷間に入り着陸の前に姿を観衆の前から一瞬消し、フワッと浮かして着陸するサービスぶり。
やるじゃん、ロイヤルニュージーランド空軍。
「すごおい、軍用機ってあんなこと出来ちゃうんですね。普通の旅客機なら絶対にやらないでしょう」
「うん、そうだね。それよりも日本だったらまずあんな飛行許可おりないよ」
飛行機は滑走路に着陸。メインスタンドの前を通り過ぎるのかと思いきや、ブーンという音と共にピタっと止まってしまった。
これにはボクも驚いた。だって普通、あの大きさの飛行機なら滑走路の向こうまで行って戻ってくるのに。
「どどどどど、どうやって止まるんですか。あんな短い距離で?」
「あれはね、4つのプロペラが板になるでしょ?」
「板に?」
「プロペラの向きを変えれば高速で回っているんだから、板と同じことですよ」
「ナールーホードー」
短い距離で離陸しなければならないのなら、短い距離で着陸しなければいけないのも軍用機の宿命である。
プロペラの羽根の1枚1枚が向きを変えれるようになっているのだな。
マニアの間では当たり前の事かもしれないが、ニュージーランドの南島なんて羊しかいないような場所に住んでいる人間にとっては全てが珍しいのだ。

ロイヤルニュージーランド空軍に引き続き、ロイヤルオーストラリア空軍の時間である。
突然耳をつんざく音がしたと思ったら音速のジェット戦闘機がやってきた。
ボク達の頭上を轟音と共に通り過ぎる。空気がビリビリと震える。ボクは思わず聞いた。
「すごーい!これって最新なんですか?」
「これはベトナム戦争が終わる頃出た物だから40年ぐらい前の物です。今じゃあこの機は古くてオーストラリア軍ぐらいじゃないかな、使っているの」
最新の戦闘機がこんな田舎の航空ショーに来るわけがない。
「ニュージーランドはこういうのを持っていないんですかね?」
「昔はあったようだけど、今は無いですね」
こんな戦闘機を持つ必要の無い国がニュージーランドなのだ。お隣オーストラリアからショーの為に持ってきたのだという。
飛行機は盆地を大きく旋回しながら、時々会場の真上を飛ぶ。
一般席ではテントはビリビリ震えるわ子供はびっくりして泣き出すわの騒ぎだった。
見ていると飛行機の形が変わっていく。来た時には全体の形は三角形だったのだが今は翼が横に広がり普通の飛行機の形である。
「あれって、翼が出たり入ったりするんですか?」
「そう、音速で飛ぶときにはしまうんですよ。見ていてご覧なさい。そのうち火を吹くから」
火を吹くってなんだ?と思っていると機体の後ろから大きな炎が出た。
ジェット燃料を放出してそれが燃えるのだ。サービスサービス。
ジェット燃料のムダ使い、と言ってしまえばそれまでだが、多くの人が楽しむ為にちょっとぐらいのムダ使いはあってもいいと思う。
以前読んだゴルゴ13の中で、音速のジェット機は速すぎて複葉機を撃墜できないという話があった。
確かにこの鉄の塊がぶっ飛んでくるようなやつじゃあ、あのフワフワ飛ぶ凧みたいなのはやっつけられないな。
但し、凧でジェット機を打ち落とすこともできない。
戦闘機の次は大型輸送機である。さきほどのヘラクレスより一回り大きいジェット機が会場を旋回する。
車輪を出し低空で飛行するが着陸はせずに飛び去っていった。
会場のアナウンスによると、ワナカの飛行場の滑走路はこの飛行機の重さに耐えきれないので着陸はしない。
滑走路の重さ制限なんて普段考えたこともないがここでもやっぱり「へえ、そうなんだ」である。
「飛行機の歴史、というのはスピードの進化でもあるんですね」
「そうだね」
「最新式のが出てくる航空ショーもあるんですか?」
「あります。だけど一般に公開するのは1日か2日ですね」
「残りは?」
「軍の関係者とか」
「武器商人とか?」
「そうです」
あーあ全く、と思いながらこのニュージーランドの田舎の航空ショーにいることを喜んだ。
だって砂漠の武器商人やゴルゴ13みたいなのがウロウロしている航空ショーはいやだ!
「今、最高の戦闘機はどれぐらいのスピードなんですか?」
「マッハ1,5ぐらいかな」
マッハ1,5って時速何キロぐらいなんだろう。
「今でもスピードはどんどん上がっているんですか?」
「今はスピードを上げるのより電子機器関係を進めているんです。最高速で飛ぶのは緊急の時ぐらいです。あまりにロスが大きいから。それよりもコンピューターとか、機体なんかもエンジン以外は鉄を使ってないんですよ。まあ特殊なプラスティックみたいな物ですね」
「へえ~、だけどもしボクがその最新鋭の戦闘機を見ても、何が何だか分からないんじゃないでしょうかね?」
「たぶんね」
「それよりもボクには『この飛行機は翼が3枚もある』とか『この飛行機は大きいなあ』とか『この飛行機はずんぐりむっくりだなあ』ぐらいの誰が見ても分かるような航空ショー、まあニュージーランドの田舎の航空ショーが良いです」
センセイはニコニコと頷くのであった。

滑走路のはずれから低いエンジン音と共に見たこともない飛行機が来た。
「これは何をする飛行機ですか?」
「これは水に着水できるんです」
ナルホド、言われてみれば機体の下は船底のような形をしているし、羽根だって機体の上についているのはその訳なんだろう。
「元々はパイロットが海に不時着した時の救出用。機体の後ろの方に丸い窓があるでしょう。あれがパカっと開いて人を救出します。あとは対潜水艦用に爆撃もできる。舟はダメだけどね。遅いからねらわれちゃうでしょ」
確かに遅い。ゆっくりと滑走路を走り、ゆっくりと離陸していく。
ゆっくりと飛ぶ姿はダンボという愛称もある。耳で空を飛ぶ象さんのダンボだ。こういうネーミングのセンスは好きだ。
「今はもう使ってないですよね」
「今はねえ。だってホラ、形だって古いでしょ。羽根を支える支柱がついていたりして」
「フムフム」
「今はねえ、もっともっともっとすごいのがあるんだよ。日本の自衛隊が持っているスゴイのがあるよ」
どれくらいスゴイのかボクの乏しい想像力では思い浮かばないが、とにかくスゴイんだろう。

航空ショーとは飛行機が飛ぶのを見るだけではない。
会場内にはいろいろと飛行機に関連する物を売る出店や食べ物の屋台も出る。要は飛行機のお祭りなのだ。
航空ショーのロゴが入った帽子やシャツ。おもちゃやラジコンの飛行機。パイロットが被るヘルメット。鉄製のプレート。GPSなどの電子機器。遊覧飛行やニュージーランド空軍のブースもあり、その横ではセスナなんかも売っている。
会場の外れではランドローバーがズラズラと並んでいるし、昔のトラクターや消防車の展示もある。
古い機械が好きな人にはたまらないだろう。
散歩に行っていたセンセイが帰ってきて嬉しそうに言った。
「いやあ、探していたエンジンがありましたよ。迷わず買っちゃいました」
飛行機のエンジンっていくらぐらいするんだろう。マニアってすごいな。
センセイは第二次大戦当時の飛行機を復元するプロジェクトもやっているそうだ。
個人で何百万円もそれにつぎ込んでいるらしい。その世界ではスゴイ人なのかもしれない。
そんなセンセイが言う。
「私は本も書いているんですよ」
「へえ、どんな本ですか?」
「何冊か出しているんですが例えば『日本の小失敗』。これは第二次世界大戦の日本軍の失敗ですね。いろいろとあるでしょう。補給線が伸びきってしまったとか、暗号が筒抜けだったとか、そういう大きな失敗ではなく、小さな失敗もたくさんあったわけです」
「フムフム」
「例えば戦車の操縦のマニュアル。アメリカ軍はマニュアルがマンガだったわけです。基本的に頭があまり良くないからね。それに対して日本は漢字でズラズラ書いたのを読んで暗記させたわけです。戦車の操縦を覚える前に漢字の勉強をしなきゃならない」
「ナールホド。それは面白いですね」
「まあ、そういう数々の失敗が重なっていったわけですね」
新しい知識を得ることは楽しい。
戦車の操縦を覚えるのに費やすエネルギーが少なければ、余ったエネルギーを他のことに使える。
戦争は合理性の社会だ。より合理的にやったものが勝つのは当たり前だ。
合理性というのは白人の世界で生まれた誇るべき文化だと思う。
特にイギリス系の合理主義というのはスゴイ。
どこかの本で読んだが、イギリスの交通ルールはムダが無くスムーズに交通が流れるよう考えられている。
例えばラウンドアバウトというシステムがある。交差点にあるロータリーのようなものである。
大きいものは2車線、3車線もあり幾つもの道とつながっている。小さなモノは三叉路とか十字路などだ。
これは平面の交通を交差させる場合、どうすればより安全に滞らせることなく交通を流すか、という問題である。
基本的にロータリーは時計まわりで中にいる車は絶対優先。まわりの道から来た車は右から来る車に道をゆずる。
車が来なければ、もしくは安全に入れるならば入ってよし。
ドライバーは右からの交通に注意を集中させる。左側から車は来ないしラウンドアバウト内を渡る人間もいない。
このシステムの原則としては、システムを使うヒト(運転手)がきっちりと理解することだ。
でないと、『ホラ、今、行くところでしょ!』と後ろの車に思われてしまうし、システム自体を滞らせてしまうこともある。
もう一つの原則は、ルールを守ること。
どこの観光客か知らないが一度、ラウンドアバウトを逆に入った車を見たことがある。
事故にはならなかったが、立ち往生していた。こうなるとシステムは全く機能しない。
だがそのシステムを理解している人達が使えば実に効率良く交通を捌く。
もちろんシステムにも弱点はある。交通量が多すぎると滞るので信号による規制も必要になってくる。
しかしある程度の交通量でこんなに上手いシステムをボクは知らない。
車の来ない交差点で赤信号に止められてじっと待つようなバカげたことも起こらないわけだ。
このシステムが生まれたのがイギリスだがそこには『最小の規制と最大の自制』がある。
システムが円滑に動く為に自分の心を制してルールに従う。イギリス人の美徳である。
自分を中心に世界が回っている中国や、我先にという血の気の多いラテンの国では絶対に生まれないシステムなのだ。
もう一つギブウェイというものもある。
直訳すると道を与えなさい、要は道をゆずりなさい、である。
ラウンドアバウトの周りにも必ずある。
小さな交差点などにあり、安全が確認できれば行ってよし、止まる必要はない。相手がいれば道をゆいずりなさい。
日本にはこういうのはないのかな。
全てストップ、一旦停止。これは『最大の規制』である。
見通しの悪い場所や事故の多い場所で車を止めるのは仕方がない。安全の為だ。
だが安全が確認できるところで車を完全に止める必要はない。ガソリンのムダだ。
これだって最初から人に何かを譲るという観念のない中国や、行っちゃえ行っちゃえというラテンの国では生まれない。
必要なのは自制心である。
イギリスの国民性はジョークのネタにもなっているぐらいだ。
これはドイツの真面目さともちょっと違う。ゲルマン民族は時間にも几帳面でラテンとは大きく違う。
昔働いていたペンションのオヤジが豪快に笑いながら言っていた。
「日本とドイツが戦争で負けたのはイタ公のせいだぜ。ヤツら時間通りに来ねえんだから負けるわけさ。だから次やる時はイタ公抜きでやろうぜってことになってんだ」
まあ、それぐらい国民性というものは強い。
そこでイギリス系のバカがつくくらい生真面目な性格は合理性の社会で大成功をおさめる。
人間がルールに従って機械というものを操作する。
人と物との良い関係もあった。壊れれば自分で直して使い続ける。そこには愛がある。
クラッシックカーを見るのも好きだし、昔のゴーグルをつけてゆっくり走っている老夫婦を見ると手を振りたくなってしまう。
羨ましくても自分ではできないが、そういう人達は皆暖かい雰囲気に包まれている。
蒸気機関などというモノも大好きだ。そこには当時の人類の科学の先端が常にあった。
今や過去の遺物になってしまったようなモノを、今でも大事に動かしている人達もいる。
昔の飛行機を飛ばしている人も同じ雰囲気を持っている。
飛行機の進化はそのまま文明の進化でもある。
羽根は2枚から1枚になりプロペラからジェットエンジンになった。
機体を軽くし特殊な装備を付け、コンピューターで制御するようになった。
戦うために。
人を殺すために。
悲しいことだ。
もういいじゃないか。
戦を止め力を合わせれば今の人類の科学は格段に進歩するはずだ。
過去の戦争はショーのネタにして全ての人が楽しめばいいじゃないか。
だが人間は戦をやめず足をひっぱり合っている。
戦争という経験から何も学ばず、相変わらずいがみあっている。
過去は過去として目を背けず見つめて、今何をするべきか考える時だろう。
いつまで自分は正しく相手は間違っていると言い続けるのだろう。
そこからは何も始まらないし何も生まれてこない。
古いモノに愛を持ち、皆で楽しみ合うニュージーランドの田舎の航空ショーは最後まで和やかな雰囲気だった。

3日間のショーも終わった帰り道、ボクは皆を誘った。
「せっかくワナカに来たのだから、最後にちょっとだけ湖を見て帰りませんか?」
「いいですねえ、そうしましょう」
湖を見下ろす高台に立つと町と湖が一望できる。湖の周りのポプラが色づき始めている。
イースターホリデーということもあって、湖はボートやヨット、ジェットスキーなどで賑わっている。
「いいなあ、こんな所でヨットに乗りたいなあ」
センセイが言った。センセイはヨットもやる・・・が、普段は東京湾だそうだ。
「ボクはさっきの水に浮く飛行機、あんなのをここにドカーンと着水してほしいなあ。皆びっくりして喜ぶだろうなあ」
ニュージーランドでは水上飛行機をほとんど見ない。あちこちに滑走路はあるし、それよりもヘリの方が使いでがある。
テアナウ湖にセスナの水上飛行機が1台ある。その飛行機が飛ぶ時には皆なんとなく足を止めてみてしまう。
それぐらいここで水上飛行機は珍しい。
そんな場所にこんな飛行機を着水させて欲しい。
みんながびっくりするために。
へえ、あんな飛行機もあるんだなあ、と思うために。
戦うためではなく、人を殺すためでなく、皆で楽しむために。
機械とはそうやって使うモノだろう。

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看護婦

2016-05-30 | 過去の話
これは10年以上前に書いた話だろうか。
今はさすがに当時ほどカンゴシという言葉に違和感を覚えないが、今でもなおしっくりくるのはカンゴフの方である。


ある仕事で新婚旅行のお客さんに会った。
20代ぐらいの新婚旅行だと2人でイチャイチャしてガイドのボクが困ってしまうような人もいるが、今回のお客さんは落ち着いていて感じが良い。
旦那はボクと同じ年ぐらいで物静かなタイプである。
奥さんは30代前半ぐらいのきれいな人で、夫婦ともにとにかく落ち着いたという感じのカップルだった。
イチャイチャバカカップルのように常に2人でいて会話が2対1というのではなく、2人が各自きっちりと人格を持っているので人間として対等の立場で話ができるのがよかった。
ボクはブナの森を案内しながら彼女に聞いた。
「失礼ですがお二方は新婚さんでしょうか?」
「ええ、と言っても8年以上もつきあいはあるんですけどね」
「へえ、そうなんですか」
きっと忙しい仕事をしている人なんだろう。
「お仕事は?」
「看護師です」
「カンゴシ?ああ、看護婦さんでしょう。ボクは看護師という言葉がきらいでね。昔からずーっと看護婦でやってきたのだから看護婦でもいいでしょうに、ねえ。第一現場でやっている人はそんなの気にしていないでしょう。そんなくだらないことを言うのはウーマンリブとかさけんでいる人なんでしょ?」
「ええ、まあ、そうですね。スエーデンあたりでは○○シスターなどという言葉があって男性の看護師もそう呼ばれるんです」
日本と逆である。社会のレベルが高いとこうなる。
男と女は違う生き物である。個人差はあるが、男の得意な分野があれば女の得意な分野もある。
看護という分野に関しては女が断然優れている。看護婦で何が悪い?
社会的な権利において男女は平等であるべきである。
例えば選挙権、学生となる権利、仕事をする権利などだ。
だが男と女が全て何でも一緒の権利を持つ考えに間違いがある。立ちションをする権利はどうなる?
女にだって子供を産むという男には逆立ちしたってできないことがあるじゃないか。
今、看護婦という美しい言葉はなくなりつつある。
せめて看護師などではなく、つい最近まで一般的でなかった男の方を看護夫とすれば読み方はカンゴフで今まで通り問題はないだろうに。
こんなつまらぬ事に余計なエネルギーを使っているので物事の本質が見えてこない。
「じゃあ旦那さんは?」
「医者です」
「ナルホドね。ボクはスキーパトロールをやっていましたから、けが人を送る方だったんです。雪山では基本的に何もできないから、とにかく固定して運ぶだけです。『あーあ、これからお医者さんや看護婦さんがこのねじれた体とか飛び出した骨を治すんだ。大変だなあ』とか思いながらね」
「いえ、現場の人は大変ですわ」
「お互いに現場じゃないですか」
「そうですね」
「専門は?」
「ICUです」
ボクはアルファベットが並んでいるのは苦手だ。
「へえ・・・ふうん・・・そのえっと何でしたっけCPUですか?」
「ICUです」
「それそれ、それは一体何ですか?」
「集中治療室ってことです。急患や交通事故などの緊急の時のものです」
「そうですかあ、じゃあ旦那さんも?」
「はい同じです」
「それは大変な仕事ですね」
大都市の病院の集中治療室なんて、それはスキーパトロールとは比べものにならないぐらい血なまぐさいものを見ているだろう。
それと同じくらい人の死というものも見ているのだ。
死とは何だろう、生とは何だろうという答の出ない質問を繰り返してきたに違いない。
2人に落ち着きがあるのはそこから来ているのだろう。
「それよりガイドさんも大変じゃないですか。私達みたいな素人を案内して」
自分が何者かを知っている人、とある分野で秀でた者は自分の事を簡単に素人と言える。
確かに山の世界では素人だが医療の世界では彼等はプロだ。
その強い自信は素直に自分を見つめている。強い人でもあるのだ。
「全ての人が知識や経験を持てるわけではないですよね。でもお二人のように自然を楽しみたいという人はたくさんいます。その為にガイドはいるんです」
「ガイドになる条件は?」
「ガイドの条件とは資格もありますが、先ずガイドが楽しむこと。ガイドが楽しめなければお客さんだって楽しめないわけです。だから申し訳ないけど、今この時もボクはお二人より楽しんでいます。楽しむためには時には知識も必要ですから、それを分け与えるのがガイドだと思っています」
彼女は静かに頷いた。
美人が素直に頷くというのはなかなかいいものだ。
この美しさは彼女の内面からきているものだろう。
ボクは看護婦や医者といった職業を尊敬する。
職業を尊敬するのであって、個人ではない。
中には金もうけや出世欲に目がくらんだ医者もいるし、自分のことしか考えない看護婦だっているだろう。
でも、もちろんいい人だってたくさんいる。
純粋に『人を助けたい』という気持ちを持ち続け、現場で働く人をボクは尊敬する。
もちろん仕事となれば常にお金はつきまとうが、それ以前に働くことの原動力に愛がある職業は立派だと思う。
時には職種というものが個人の人格を作っていく場合もある。
消防士や救急隊も立派な仕事だ。人の為に自分の身を危険にさらす。
家族とか友人とかの為ならともかく、赤の他人のためにそれをする。
これはなかなか出来るものではない。愛に基づいた職業である。
人間がどういった職業を選ぶかはその人の自由である。
中にはやりたくないことを仕事にしてしまうこともあるが、それもその人が決めたことなのでボクの知ったことではない。
それよりも自分でその道を選び、第一線の現場で働く人はいい顔をしている。
厳しさと優しさが同時にあり、人生の深さを知っている顔なのだ。
ボクは今までボクが出会ったり友達になった看護婦さんの事を思い出しながら森を歩いた。
こういう仕事もいいもんだ。



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マオリ4

2015-04-13 | 過去の話
日本から手土産の日本酒を持ち帰り数日たったある日、僕は隣のダニエルに呼びかけた。
「ダニエル、今晩の予定は?」
「別にないよ、兄弟」
「じゃあ上へ来て一杯やるか?ナイロも呼んで来いよ」
「わかった。兄弟」
彼等が上がってきたので、僕はグラスに日本酒を半分ぐらい入れて手渡した。
銘柄は忘れてしまったが特上の純米吟醸だ。
彼等はクイクイと一気に飲み干してしまい、横にいたヘナレが慌てて小さなぐい飲みを出してきて言った。
ヘナレは日本にいたことがあり、僕が持ってきた酒のありがたみを知っている。
「オマエ達もっとチビチビ味わいながら飲むんだよ。これはいい酒だぞ」
ヘナレの言うとおり兄弟のペースで飲んだら五合瓶など30秒で空になってしまう。
ヘナレは少し口に含むとじっくりと味わい言った。
「ウマイ酒だなあ。こんなにいい酒を飲んだのは何年ぶりだろう。きっと日本に行った時以来だ」
ナイロもダニエルもヘナレを真似てチビチビとやっている。
「どうだナイロ、こんな酒は冷やして飲むのがいいだろう」
「確かにな。熱くして飲むのはどんな時だ?」
「それは好みの問題だ。寒い時に熱燗でキュッとやるのも悪くない。ただこの辺で普通に売っている酒なら熱くしてもいいが、こんないい酒を熱くしたらもったいない」
「ナルホド」
兄弟達もこの酒のウマさを理解しかけたころボトルは空になってしまった。
ウマイ酒は封を切ってその場で空けるに限る。もったいない、などといって台所の片隅に置いておくなどもってのほか。
ウマイ酒はウマイ時に飲みきるのがウマイ酒に対して、ウマイ酒を造った人に対しての礼儀である。
ナイロがギターを持ち出しポロリポロリとやり始めた。それを見てダニエルもギターを持った。
ギターならこの家には事欠かない。僕のアコースティックギターが1本。ヘナレのエレキギターが1本、アコースティックギターが2本、そのうち1本は12弦ギターだ。住人3人でギターが4つの家なのだ。
さらにアフリカかどこかのドラムが二つ、尺八、マオリのフルート、ハーモニカ、マラカスなどなどこの家は鳴り物にあふれている。
僕等は家では音楽を聞いているか、ギターを弾いている時間が長い。
テレビはほとんど見ない。この家ではチャンネル1、日本で言えばNHKみたいなものしか映らないからだ。
ヘナレも僕も『まあそれでもいいか』といったかんじで直そうともしない。唯一の不満はラグビーが見られないことぐらいだ。
テレビをほとんど見ないのでその時間を、ギターを弾く、本を読む、山をボケーっと眺める、物思いに耽る、酒を飲むなどなど有意義に使うことができる。
ナイロがギターで先導してダニエルが徐徐に同調していき、2人の呼吸が合い歌が始まった。
曲名は『テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ』恐ろしく長い。あまりに長いので僕等は『アウエ』と呼んでいる。
♪アウエ・ワイルア・イーヨ・マトゥア
イーヨ・マトゥアという名の神に捧げる詩だ。
ダニエルたちが歌っているのを聞いて僕も歌いたくなり、彼等の家で歌詞を見せてもらいカタカナで書き写し、何回も唄ってもらい、一夏かけてやっと覚えた。
「この歌はマオリのゴスペルなんだな。歌詞だってそうだろう、だからメロディーラインも美しいんだ」
ヘナレが言った。
唄が一段落して、僕はナイロとテラスで山を見ながら話した。
「ナイロ、僕がマオリの音楽を好きな訳は、この景色とこの空の色にピッタリ合っているからなんだよ。うまくは言えないけど、この地で生れた音楽だからなんだろうな」
「そうさ、音楽は人間の内部から湧き上がってくるものだ。オレが初めてクィーンズタウンに来た時の話だ。飛行機の窓から美しい山、湖、川が見えた。それがそのまま詩になるから慌てて書き留めたんだ。他の人が全員降りてもオレは機内で書いていた。ここはそれぐらい素晴らしい場所だ」
「ナルホドねえ」
ナイロは優れたミュージシャンでもあり、近々彼のCDが出る予定だ。
音楽のセンスがある人間というのは何をやらせても上手く、ドラムを叩けば『こんな音、こんな叩き方があるんだ』と感心してしまうし、キーボードだって弾く。
さすがにヘナレの尺八は吹けなかったが、マオリのフルートも吹く。
「それとオレが好きなのはオマエ達兄弟の会話だ。オレにはオマエ達が何を喋っているのか全然分からない。だけどマオリの音の響きが好きなのさ」
「その気持ちは分かる。オレはな、オマエとイクが日本語で話をしてるのを聞くのが好きだ」
「聞いていたのか?」
「ああ、みんなでワイワイやっている時に、オマエ達が輪の外で日本語で話をするだろう。そんな時にもオレは耳をそばだてて、ちゃんと聞いていたよ。意味は全く分からないけどな」
「ナイロは韓国には行ったことがあるんだよな。韓国語と日本語は全然違うだろう」
「ああ、全く違うな。オレは日本語の響きが好きだ。これは理屈じゃない。だからオマエとイクの話が好きなのさ。もっとどんどん喋れ」
「そんなこと言われると意識して話しづらくなるな」
「何、普通にしていればいいのさ、兄弟」
部屋に戻りイクにその事を話しているとナイロと目が合った。
ヤツがニヤリと微笑んだ。

ナイロはスキーをやらないので、あまりスキーの話になることはない。
その点フラットメイトのヘナレはスキーヤーなので、雪の上で滑る感覚を理解してくれる。
ある夏の終りの1日、南島南部は雪に見舞われた。ニュージーランド南島では夏でも雪が降ることがよくある。
数日たてば消えてしまう雪だが、周りの山々はあっという間に冬化粧になった。
リマーカブルスの岩の窪みに雪がたまり凹凸がくっきりと浮かび上がる。冬は一年で一番美しい時だ。
テラスから見えるセシルピークも中程から上は白い雪を乗せ夕暮れに染まる。
ヘナレが尺八を吹きながら部屋からでてきた。そして言った。
「わあ、ビユーティフル。冬みたいだな」
「良いオープンバーンが見えるね。あそこは滑った事はある?」
「いや、まだ無い」
「あんな所滑ったら気持ちいいだろうな。自分があそこを滑るとしたらどういうラインを通る?」
「ピークの下の岩場を右にかわしその横からだな」
「オレなら逆にトラバースしてドロップインかな、その下のオープンバーンのど真ん中だ」
「ナルホドナルホド」
彼はヘリスキーガイドなのでこの辺りの山々は自分の庭のように知っている。
マオリのスキーヤーというのは以外に少ない。
もともと温かい所から来た人達だから、住んでいるのも気候が温暖な北がほとんどだ。北島のスキー場は知らないが、南島のスキー業界で働いているマオリを僕は3人ぐらいしか知らない。
ヘナレもそれは前から思っていて、ヘイリーと初めて会った時『お、こんな所にマオリがいるぞ』と思ったらしい。
そういえば十年以上も前の話だが、当時のニュージーランドスキーチャンピオンは、サイモン・ウィ・ルトニというマオリである。何年間もチャンピオンだった記憶がある。
「ヘナレはどんな板を使っている?ファットか?」
ファットとは幅広のスキーのことで、新雪の中で浮力がある。
「うん、そうだ。ヘッジは?」
「わりと細めのやつに乗っている。オレは新雪の中で板を潜らせるのが好きなんだ。板と下半身が雪に埋まり、それがバサッと浮き上がるのが気持ちいいんだ。わかるだろ?」
「分かる、分かる」
「オレの夢はねえ、頭まで新雪の中に潜るような場所でシュノーケルをつけて滑る事さ。よっぽど条件が良くなければそんな事できないけどね」
「だけど仕事で重いザックを背負ってみろよ。ファットは楽だぞ」
「そりゃそうだ。だから夢の話をしているんじゃないか」
「そうだよな」彼は素直に同意した。
「そうやって板を潜らせるような滑りだと、幅を取らなくて良い。幅が10mもあればそれで充分だ。どうだお得だろう」
「全くだ。なあ、オマエと一緒にスキーをしたいなあ」
「ああ、おれもそう考えた所だよ。都合を付けて来ればいい」
「ヘッジはこっちには来ないのか?」
「たぶん来ないよ」
ヘナレはズルイナという顔をしたが、僕が普段滑っているスキー場がどれくらい素晴らしい所か知っているのでそれ以上は言えない。
「そうだ、話は変わるが尺八の説明書を読んでみてくれないか?」
「お安い御用だ。どれどれ、ふむふむ、なるほど」
「何て書いてある?」
「尺八は竹林の中を拭きぬける音がイメージとなっている。野外で出来た楽器なので屋外で吹くのが好ましい。それ自体でも演奏に適している」
「おお、それはいい」
「今のオマエさんがそれじゃないか。もっとどんどん吹け」
竹林の中を抜ける風の音が、暮れなずむ雪山に吸い込まれていった。

季節は流れる。
様々な命を乗せた天体の半分では長さに違いはあれ、夏という季節に別れを告げる。
季節の違いは温度差となり環境を変え、そこに住む生き物全ての生活を変える。もちろん人間の暮らしにも大きく影響を与える。
夏はトレッキングガイドの僕だが、もともとはスキーヤーであり、冬の到来とともに仕事場も変わる。
秋は僕にとって別れの季節だ。
クィーンズタウンを去る日が近づいたある日、ナイロとテラスで山を見た。
「ナイロ、日本の音楽で君に聞かせたい歌がある」
僕はCDをセットした。ビギンの一期一会。
「この人達は沖縄という所の人達だ。日本の南、小さな島の話だ。この楽器は弦が4本のちょっと変わったギターで『一期一会』という名がついている」
「イチゴイチエ」
「そう一期一会」
「なにか意味はあるのか?」
「人と人の出会いは、1回限りという意味だ。こうやってナイロと出会うのも今日が最後になるかもしれない。ひょっとすると再び会う事があるかもしれない。それは誰にも分からない。だからこそ今、この出会いの瞬間を大切にする、というような事だ」
「なるほど、イチゴイチエ、いい言葉だ」
「なあ、もしもだ、もしも将来、何かの仕事で日本に行って、その時にマオリの唄を歌える人が必要だ、なんて言ったら来てくれるかい?」
「お安い御用だ。兄弟」
「そんなこと実現するかどうかなんて分からないぞ。ひょっとすると10年とか20年の先の話になるかもしれない。ひょっとすると5年先の話かもしれない。それは誰にも分からない。ただ夢を持つのは悪くないかなと思うんだ。実際、今年オレはマオリの友達を日本に連れて行った。数年前に夢見た事なんだ」
「ああ、いつでも声をかけてくれ、兄弟」
「それにしてもナイロは31だろ。最初に友達になったのがダニエルだから、ナイロは何となくオレにとってもお兄さんのような気がするよ。とても年下とは思えない」
「それはオレが持っている知識がそうさせるのさ」
ナイロの言う知識とは、学校の勉強とは別の知識である。
マオリに生れ、言葉を話し、音楽を奏で、武道を伝える。
先祖の声に耳を傾け、そこから新しいものを作り出す。
彼の体に流れるマオリの血、という知識なのだ。


テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ

この想いをあなたに イーヨ・マトゥア
なぜあなたは怒りを見せるのか
私達は尋ねる
最後の力であなたをたたえる 
答えてください 神よ
探していた事をお許し下さい
そして照らしてください
昼と夜を創りあげた神よ
痛みはあなたの名前の音と共に去る
照らしてください 
あなたの信者より
イーヨ・マトゥア・コレ
私達の声が届きますか 父よ
この深い泣き声が
私以上に未来の無い者の泣き声が
より正しい事を知らない者の泣き声が
この想いをあなたに イーヨ・マトゥア


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