あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2024年 日本旅行記 3

2024-05-29 | 
一夜明け、再び僕は旅の空。
8時ちょうどのあずさ5号(2号ではない)で新宿を発つ。
駅のホームで列車を待っていたら白人の旅行者が荷物をガサガサやっていた。
彼のバックパックには見慣れたMacpacのロゴ。
「おはよう。ひょっとしてニュージーランドから?」
「やあ、そうだけど何でわかった?」
「いや、そのバックパック見たら分かるよ。ひょっとして白馬まで?」
「そうそう、スノーボードしに来たんだけど、まだ雪はあるかな」
「多分大丈夫なはずだよ」
彼は今はカナダでボード関係の仕事をしているが今回は旅行で日本へ。
しばし日本やニュージーランドやカナダのスキー事情の話で盛り上がる。
袖すり合うのも多少の縁、こういうちょっとしたのもご縁というものだ。
甲府までは満席の車内もその先はガラガラ、左手に南アルプスが出てきたら次は右手に八ヶ岳と存分に外の景色を眺めて旅をする。
松本から大糸線になり、田園風景から山あいの村落という具合に変化し、列車もスピードを落として走るのかレールのカタンカタンという音が心地良い。
これこれ、こういうのを求めていたのだよな。
鉄道オタクというわけではないが基本的に鉄道は好きで、子供時代は蒸気機関車の運転士に憧れたものだった。
あの2本のレールに感じる慕情は何なんだろうか。
ただ新幹線には何のロマンも感じられない。
前々回のジャパンライブツアーの時には東北新幹線、北陸新幹線、東海道山陽新幹線と乗ったが共通して言えることは、まるでチューブの中を移動するだけだ。
新幹線には一切の踏切はなく、高架やトンネルで一般の人間の暮らしとは切り離されている。
高速で走るという特性上仕方がないことかもしれない。
平面上の種類の違う交通機関を交差させるのは踏切か信号か、もしくは高架や下をくぐらせるトンネル(この時点ですでに平面上ではないが)となるのは理解できる。
そういった効率重視の交通機関と僕が求めている旅のロマンとは合致しない。
僕の望む鉄道の旅とは、民家の軒先をかすめたり、列車の窓から人様の庭が見えたり、田んぼの中の踏切で軽自動車に乗っているおじいちゃんおばあちゃんが見えたりとか、そういう暮らしの中に存在するものだ。
さらに追い求めるならば、客車の座席は進行方向に向かって座るもので通勤通学に使う車両の両側に一列で座るタイプでないもの。
線路は複線より単線、できることならば電車ではなく機関車が引っ張るタイプならば言うことない。
これで蒸気機関車なんてことになれば、それこそ興奮してしまう。
なんてことはない、これじゃあただの鉄道オタクじゃないか。
そんな僕の旅情を満たしながら白馬駅に降り立つとオトシが出迎えてくれた。



オトシとの付き合いは20年近くになるか、ニュージーランドで出会い、今では僕のことを人生の師匠と仰いでいる。
若い時はちゃらんぽらんでこいつは大丈夫かと思ったが、スノーボード好きな夢を追い続け、今ではスノーボードやスキー用品などの買取会社を運営して、自前のスノーボード製作販売も行う立派なシャッチョサーンとなった。
僕の師匠ごっこに付き合ってくれる一番弟子である。
今回の白馬滞在は基本的に奴の家がベースだ。
写真のブランコは奥さんのヤヨイで、本気で遊ぶ家を作っている感がすごい。
この写真はリアルハイジという名前でバズったらしい。
午後も早い時間に日帰り温泉で旅の疲れを癒す。
平日の昼間とあって客はまばらだが、シーズン中はこの温泉も満杯で行列を作って待つこともあると言う。
ええ〜、温泉に行列?と思ったがよくよく話を聞くと、ここもオーバーツーリズムの波はすさまじく、レストランが予約で一杯になると飯を求めてコンビニやスーパーへ行きその結果コンビニスーパーから食べ物が消えるということが起こる。
ランチ難民なんて言葉もあるし、お客さんが食うものがない夕食難民なんて言葉も初めて聞いた。
たまに日本に帰ってくると知らない言葉が生まれているものだ。
夕方、仕事を終えた娘と合流してお隣小谷村にあるオトシ宅へ。
そこには仕事を終えたシナとカオルがすでに来ていた。

この二人のことも紹介しよう。
二人は千葉で長いこと美容師として働いていたが一念発起して白馬で自分のお店を開いた。
二人ともオトシの古くからの友人で、ニュージーランドに何回も滑りに来て、その都度僕がガイドをした。
千葉ではそれなりに売れっ子の美容師で固定客もついていたようだが、そのお客さん達に別れを告げ自分の夢を追い求め白馬にやって来た。
こういう行動力がある人は好きだなぁ。
今では美容室は大人気で、先の先まで予約がびっしり埋まる。
僕は坊主頭で床屋とか美容室は何十年も行っていないが、もし自分の髪がフサフサで自由に髪型を選べるならば彼らにやってもらいたいと思う。
白馬界隈で髪を切りたい人は是非とも行って欲しい。

Hair Studio Senses



この晩はシナ夫妻、オトシ一家、娘の深雪と楽しい時を過ごした。
昨晩はネオンギラギラ日本最大の歓楽街でオカマとオナベと一緒に遊んでいたのだが、それとは程遠い山の中の一軒家で昔からの仲間と飲むという対比が面白い。
特にシナが持ってきた大吟醸が美味くてついつい飲みすぎてしまい、前日は新宿で遅くまで飲んだというのもあり、早々とつぶれてしまった。
みごと撃沈。



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2024年 日本旅行記 2

2024-05-24 | 
ホテルに荷物を置き、アルツ磐梯時代のパトロール仲間マヤと出会い歌舞伎町界隈をウロウロ。
この日は甥っ子のハヤトが新宿でライブをやるというので見に行く。
ハヤトは芸人の卵で、東京で暮らしながら仲間のお笑い芸人達とライブをする。
一組の持ち時間は4〜5分で次から次へとお笑いコンビとかトリオが出てくるシステムだ。
中には何が面白いのかよく分からないというのもある。
ハヤトは『たどころ』というトリオの中で芸名はキティ。
今回はじいちゃんとばあちゃんが詐欺にひっかかるというコントでハヤトの役は孫。
身内のひいき目かもしれないが、発声もよくできていてまずまずの出来だと思った。
ただ、芸の道は厳しいものなのだろうと素人なりに想像はできる。
ハヤトは夕方からもう一度ライブがあるので、僕は寄席で落語なんぞを聴き、その後に合流。
軽く飯を食い、いよいよ今回のメインである新宿二丁目へ。
前々回のブログでも書いたが、いろんな意味で芸の人ユーマがやっているゲイバーパニックハウスに行くのである。
前回ニュージーランドで出会ったユーマが「今度は私が新宿二丁目をガイドします」という言葉に釣られて僕がホイホイとやってきた。
ハヤトも芸人のはしくれ、ユーマのことは元々知っており、それなら是非一緒に行きたいというので同行することになったのである。
二人でなんか怪しげなビルの地下を降りていくと、あったあったありましたよ、パニックハウス。
恐る恐るドアを開けたら中は異空間。
カウンターがあってお酒が並んでいて一応バーの体裁を保っているが、おチンチンのおもちゃとか訳分からない小物がそこら中に転がっている。
そんな中でユーマが僕たちを迎えてくれた。



カウンターの向こうで働いている多分ゲイの人も加わり先ずはビールで乾杯。
この日は日曜日ということもあってか、僕たち以外にお客さんはいないので貸切状態。
聞くと金曜土曜はやはり人が多く、かなり賑やかになるそうだ。
隣の店からはカラオケの音が聞こえるが、週末はここもそうなるのだろう。
僕は正直カラオケが嫌いなので、静かなのがありがたい。
おかげでユーマとゆっくり話ができたし、ついでにプロレタリア万歳の収録もノリでやってしまった。
その晩は他にお客さんも来そうにないので店を閉めて別の店に行こう、とユーマが言い出した。
「聖さんを連れて行きたいお店があるんです❤️」
全くもって異存はない。
その晩はとことん新宿二丁目で遊ぶつもりで近くにホテルも取ってあるし、他の店というのも見てみたい。
店を出てユーマのガイドでブラブラと新宿二丁目を歩く。
ユーマ曰く、この狭い界隈に450軒のゲイバーやお鍋バーやレズビアンバーその他諸々の、言わゆるそっち系のお店がある。
中にはガチのその筋の人だけとか一見さんお断りのお店もあるそうな。
確かに辺りは一種独特の雰囲気があり、同じ新宿でも歌舞伎町や三丁目からちょっと離れるとこうも変わるものなのか。
これだけ狭い地域にそういう店が集まっているというのは世界にも珍しいそうで、これはそのまま日本の性差別の歴史を表しているのではなかろうか。
少数派、マイナリティというものが安心して暮らすために取る手段は同士で集まることであり、これはどの部族や民族や宗教でも同じ事だし、動物の世界でもある。
あるマイナリティが密集すれば、限られたその地域では多数派となり政治的なり武力的なりの力が生まれる。
田舎ではゲイというだけで特別視され差別迫害された人でも、新宿二丁目に来ればただの人になれる、ということは容易に想像できる。
そういう形でできたんだろうな、この街は。
根底にあるのは自分と違うものを認めず排他的になる人間の心だ。
日本の社会の側面を垣間見た。



ユーマが連れて行ってくれたのは二丁目からちょっと離れた所にある FTM Bar 2'CABIN
昔はゲイという呼び名ではなくオカマと呼ばれ、逆はオカマに対しオナベと呼ばれていた。
漢字で書くとお釜にお鍋ということで、これも掘り下げたら色々な話が出てきそうだ。
昔の言い方でおなべバー、今の言い方でFTMバーは、とあるビルの中にあるこじんまりとした店だった。
内装は落ち着いた木目で、カウンターが数席にボックス席が一つという大きさというか小ささというか。
キャビンとは船室とか小屋という意味があるが確かにそんな雰囲気であり、それが心地よい。
ユーマのゲイバーパニックハウスは、おチンチンがあっちこっちに転がっているような訳のわからない空間だったが、それとは打って変わったお店である。
そして目の前に居るのは、オナベのマサキとシュート、二人とも元は女で性転換をして男になったという人たち。
僕はボックス席の奥でオカマに挟まれて座っているという状況だ。
先ずはユーマがシャンパンを開けてみんなで乾杯。
話を聞くと彼らはタイかどこかで性転換の手術をしてオッパイやその他のものを取ってしまって男になり、今は奥さんもいて幸せに暮らしているそうな。
マサキもシュートも見た目には顔立ちの整った男の子といった印象で、言われなければ気づかないだろうな。
以前も書いたが、僕はオカマだろうがオナベだろうが、土鍋だろうが中華鍋だろうが圧力鍋だろうがすき焼き鍋だろうがフライパンだろうが気にしない。
だから自分もストレートだろうがカーブだろうがシュートだろうがスライダーだろうがフォークだろうがナックルボールだろうが気にしない。
なんか増えたが、大切なのは心の奥に愛と平和の心があるかどうかだ。
そうやってカテゴライズする事がナンセンスな世の中になりつつある。
自分が持っている価値観や先入観というものが実は社会によって定義されたものであり、その事を我々は認識していない、そろそろそういうことに人類は気づくべきだ。



ユーマが開けたシャンパンボトルが空になったところで今度は僕の番だろう、ボトルを注文した。
色がきれいだったし美味しかったので同じのをと思ったが、あいにく品切れということで別のシャンパンを出してくれた。
こういう時に旅人が酒場で不安になるのは、ぼったくられるんじゃないかという心配事だ。
世の中にはそういうお店もあるし、旅の本とか読んでも世界中でそういった事柄はいくらでも出てくる。
新宿にもぼったくりバーや暴力バーはある。
そこはそれ、今日はユーマというガイドがいるではないか。
見知らぬ街でぼったくられる心配なく安心して飲めるのは大きい。
そういえば僕もただいま計画中の企画だが、クライストチャーチのパブツアーを考えている。
市内のパブを何軒かハシゴしながら、ビールの歴史の話をしながら飲むというものだ。
けっこういけると思うので、早くモノにしないとな。



楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、新宿の夜は更けボトルも空いてそろそろお開き、時間は2時を回っている。
いつものごとく何を話したか覚えていないが楽しかった感覚だけが残っている。
僕にしてはこの時間まで起きているのも非日常、大都会にいるのも非日常、ユーマと一緒に飲んでいるのも非日常、オナベに出会うのも非日常、非日常のオンパレードだ。
旅というもの自体が非日常のものであり、人はそれを求めて旅をする。
旅をすることにより自分の住む環境と違う世界を体験比較し、客観的に自分の社会を判断する。
人に会うのも同じことで、自分と違う価値観や人生観を持つ人と会うことで自分自身を客観的に見ることができる。
帰り道の途中までユーマと歩き、ギンギラギン(死語)にネオンが輝く大通りでお別れをした。
考えてみれば不思議なご縁で繋がったものだが、こうして一緒の時を過ごせたということが嬉しい。
ホテルへ向かう帰り道、夜中の3時近くというのに歌舞伎町界隈は人通りも多くお店も閉める気配を見せない。
不夜城という言葉がふと頭に浮かんだ。

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2024年 日本旅行記 1

2024-05-21 | 
久しぶりに日本に行った。
5年ぶりの日本帰国である。
前回はコロナ前のことであり、父親に顔を見せるという目的があった。
その時はあまりあちこちに行かず、実家の静岡でほとんどの時間を過ごした。
その後でコロナ禍があり、世の中がいろいろと変わった。
自分のニュージーランドでの生活はブログに書いてある通りなのだが、コロナ禍の間に父親が死に、その財産整理やあれこれで帰ることになった。
昭和の頑固オヤジの典型のような父が死んだのはもう3年近く前になるが、死ぬ直前まで電話であれこれ話したし、痛みも苦しみもなく逝ったので大往生と言えよう。
実家の片付けや遺産整理が主な理由だが、もう一つ、娘が今年から八方尾根スキー場でスキーパトロールを始めたのでその現場も見てみようと思いついた。
ちょうど仕事も忙しい時期を終え、ポッカリと穴が空いたように3週間ぐらい何もなかった。
こういうのはタイミングであり、こういう時の決断は速い。
そんな具合で4月の頭に僕は日本へ降り立った。

日本へ帰るとなると、大騒ぎだ。
僕に会いたいという人が大勢いる。
家族親戚、古くからの友人、何回も来てくれたお客さん、昔の仕事仲間、新しくできた友達、仕事の後輩、弟子その他もろもろ。
人に会うだけでスケジュールが埋まっていく。
以前はそういう人があまりに多かったのでジャパンツアーをやった。
今回は時間も限られているのでエリアを絞って行動を決めた。
まずは実家のある静岡、そして娘のいる長野の白馬、白馬の先の北陸ぐらいをウロウロと回る。
北海道の知人友人からも当然連絡が来たが、スマン今回は行けん、と断った。
1週間ほど実家の片付けだの法的手続きうんぬんだのを済ませ、旅の空へ出たのは4月も半ばに差し掛かる頃だった。



実家のある清水から東海道線で沼津へ、そこから御殿場線で御殿場まで。
富士山を左手に見ながらぐるりと3分の1ぐらい周る。
それも車でなく電車での移動が旅情感を増す。
見知らぬ土地を旅する感覚は新鮮であり自分自身を活性化させる。
御殿場駅では弟分のリタローが迎えに来てくれた。
リタローは何年も前にクィーンズタウンで一緒に飲んだ仲であり、僕のことを兄さんと呼ぶ。
可愛い弟分も今では宿を経営し、子供も出来たから会いに来てくれ、静岡から長野へ行く途中に山梨へ是非寄ってくれということでヤツがいる山中湖に行くことになった。
御殿場から車で山中湖へ。
静岡では散り始めていた桜も御殿場あたりではまだ咲き始めで、さらに山に向かうと木々は冬の装いである。
まずは今晩のお宿だが、これがすごかった。
今はまだ工事中だが、いずれお客様用にする大きなモンゴル風のテントの前には富士山がどかーん。
1日1組限定の貸切キャンプサイトで、簡易サウナもある。
目の前に遮るものはなく、富士山を見ながら焚き火もできるのが売りだと言う。
すでに別棟の営業はしており、外国人観光客のお世話をテキパキするリタローの姿が微笑ましい。
機会がある人は是非とも行ってほしい。
https://inthemood.club/



自分も静岡の出で毎日富士山を見ながら子供時代を過ごしてきたが、それとはスケールが違う。
絶対的で圧倒的な存在感であり、確かに山岳信仰の対象になる山だ。
そうか、リタローはこういう場所で生まれ育ったのか。
人が住む環境が、その人の人格形成に及ぼす影響は絶対にあると思う。
温暖な気候の人はのんびりとするだろうし、雨が多い所の人は陰々滅々とした性格が多いと言う。
もちろん個人差は絶対にあるが、長い間そこに住む人々、例えばフィンランド人が無口であるとか、ラテン系の人が陽気というのはそういう現れだろう。
でっかい富士山を見ながら思ったことは、もしこの距離で噴火が起こったらそりゃあきらめるだろうなと。
なんかじたばた逃げてもどうしようもないだろう、というあきらめなのか吹っ切れる思いなのか。
そういう人知の想いの及ばないぐらいの存在感で、その奥にあるのは人間は自然をコントロールできないという当たり前だが今の社会では忘れられている自然崇拝の心だと思う。



山中湖にお昼に着き、友達のアキさんと久しぶりに会った。
アキさんは以前一緒に働いていた仲であり、今は山梨に住んでいるので午後を使って地元を案内してくれるという運びとなった。
このアキさんも面白い人で以前のブログで書いたので興味がある人はそれを読んでほしい。
蔵頭アキさん
お昼ご飯を食べながら互いの近況報告など話は尽きないが、いざドライブへ出発。
リタローもアキさんも口をそろえて言うのが、河口湖界隈はもうダメだと。
どうやらここもオーバーツーリズムの流れでひどいことになっているらしい。
地元の人たちが言う「もうダメ」とはどういう感じなのか、百聞は一見にしかず、そこを案内してもらおうか。
山中湖から河口湖へ向かう途中で鎮守の森が見えてきた。
近づくにつれどんどんそのパワーが強くなるのがはっきり感じられ、鳥居の前を車が通過する一瞬に見えた参道ではっきりとその存在を感じた。
北口本宮冨士浅間神社という神社で、富士山の周りにはいくつもの富士浅間神社があるが、北口本宮が社殿も立派だという。
なるほどな、どうりですごいパワーだ。
さらに車を走らせ河口湖へ。
富士急河口湖駅前を車で通過して、地元の人がもうダメだと嘆く意味が分かった。
観光客がそこらじゅうに溢れていて、どこもかしこも人の行列だし車は渋滞。
そもそもこれだけ大勢の人が訪れるように街が設計されていない。
街のインフラと来る人のバランスが崩れているのが原因である。
車から街を見ていると人でごった返している所にも普通の住宅はあり、ここに住んでいる人は迷惑をしているのだろうなと思った。
引っ越せる人は引っ越しているだろうが、諸々の諸事情で動けない人もいる。
観光客が増えてもその恩恵を受けない人もいる。
何が良い、なにが悪いという判断を簡単にするべきではないが、そういう状況だという事を理解するのは大切だ。
たぶん河口湖と同じ状況が日本中の観光地、いや世界でも起こっていることだろう。
噂のローソンの前を通り湖岸線に沿ってドライブをする。
折しも桜は満開であり、桜並木の向こうに河口湖が広がり、その先に富士山がどっかーんと居座る。
まさに海外からの観光客が求めるザ・ジャパンがそこにあった。
これは大勢の人が集まるのも仕方ないな。
だって綺麗だもの。
僕が見ても美しいと思う。
綺麗な景色を見たいという好奇心は誰でも持っている感情であり、なんぴとたりともそれを止めることはできない。
このオーバーツーリズムの流れはしばらくは止まらないだろうな。
河口湖の近くには、富士山と桜と五重塔という、誰もが見た事があるあの写真のお寺があるそうで、普段30分ぐらいかかる場所がこの時期には3時間ぐらいの行列になるという。
そんな時間の余裕は無いしそこまでして観光地を訪れたいわけでも無い。
河口湖、西湖とドライブをして富士の樹海に入り、道の駅で休憩。
そこでちょっとだけ、本当にさわりだけ遊歩道を歩いてみた。
富士の樹海と言うと、迷ったら出られないとか自殺をする人が多いとかそういうイメージがあるが、要は手付かずの原生林なのである。
火山岩の地表はびっしりと苔に覆われてその下には穴がボコボコと空いていてまっすぐには歩けない。
確かにこれは迷ったら抜け出せないだろうな。
でもそんなことより僕が感じたのは圧倒的な森の氣である。
ルートバーンなどニュージーランドの森を歩いている時に感じる原生林が持つ氣、あえて氣と書く。
それはおどろおどろしいものではなく、無数の生命が宿る、絶対に人間が作ることのできない森の命。
自分が知らないだけであって日本にも森はあるのだが、日本の場合は長い歴史があるので何かしら人の手が入っている場合が多いのだろう。
ニュージーランドと共通する原生林の氣を垣間見た。
同時に気づいたのは、神社がある鎮守の森が持つ氣とは全く異質のエネルギーであると。
エネルギーの質というものを強く実感した瞬間であり、そういう意味でも日本って凄いなと思うのだ。
この辺りまで来ると静岡の県境までもそう遠くない。この日の朝に地元清水を出てから富士山の周りを4分の3周ぐらいぐるりと周ったようような具合である。
山は見る角度で形を変えるが、富士山はどこから見ても円錐状の美しい山だ。
今回は富士五湖近辺の下調べを一切せずに、アキさんにガイドをしてもらったわけだが、地元の道を知り尽くしているだけあって実に効率よく、限られた時間内で色々と周ってもらった。
なんとなく自分にはこの旅のスタイルがあっているのではないかと思い始めた。
目的がありそこに向かうのも一つのスタイルだが、その地元に住む友人の声を聞き、彼らが僕のために連れて行ってくれる場所に行くというのが自分流の旅だろうな。
この後ニュージーランドに帰るまで、僕は行く先の下調べを一切せず、ただ友達が案内してくれる所、友達が僕に見せたいという所を流れに身を任せて見て回った。
夜はリタローと地元の居酒屋で飲んだ。
ニュージーランドの思い出話、コロナ禍の出来事、河口湖と山中湖の状況、富士山を軸とする自然体験ツアー、今のツーリズムとこれからの社会、話は尽きず久しぶりにじっくりと弟分とサシで話ができた。
酔ったついでにプロレタリア万歳の収録もやってしまった。
居酒屋で録音したから周りの音とか声がガヤガヤ入ってるが、これはこれで記録として取っておくのもこれまた一興。

プロレタリア万歳 リタロー編

快適なゲルでの一晩を過ごし、朝カーテンを開けるとまぎれもない存在感で富士山が居た。
朝日を浴びて神々しくそびえ立つ山。
自然と手を合わせ祈る気分になる。
僕が持っている信仰心とはこういうものなんだなぁ。
思い起こせば僕ら静岡人が見る富士山は西日が当たることはあっても、朝日を浴びる姿はない。
富士山の向こう側とこちら側ではこうも違うものだ。
たまにお国自慢で富士山をめぐり静岡側と山梨側で言い争うみたいなのがあるが、それこそナンセンスである。
そもそも誰のものなどという所有権の概念がアホらしい。
ぼんやりとそんなことを考えながら朝の贅沢な時間を過ごしていると、何やらもくもくと煙があがってきた。
そう言えばリタローが、年に一度の野焼きをすると言っていたが、このことだったのか。
今年はコロナも開けて大規模にやるそうで、あっというまに富士山は見えなくなってしまった。
朝のうちにちゃんと写真を撮っておいてよかったぁ。



野焼きで地元の仕事をしてきたリタローが帰ってきて出発。
この日は奥さんの誕生日だったそうで、娘と3人でディズニーランドに行くというので新宿まで乗せてもらう。
富士山の裾野から典型的な日本の田舎の景色を眺め、高速道路に乗ってしまえばあとは大都会東京までまっしぐら。
新宿で降ろしてもらい、リタロー家族ともここでお別れ。
僕は再び旅の空である。

続く
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