休日の後、再びリマークス。
この日の天気は快晴。絶好のハイクアップ日和だ。
スキー場に着き、お客さんを送り出した後、一人で登り始める。
ゲレンデから奥へ入ると、とたんに雰囲気が変わる。
静寂に包まれた空気。
山が湖をぐるりと囲みボクを見下ろす。
これだ、この雰囲気、これが好きなんだ。
登っていると携帯電話にメッセージが入った。
友達のマイクが上がってくるというので合流することになった。
山の中でもここは携帯が通じる。これは便利だ。
ちなみにクラブフィールドでは携帯は通じない、だが不便だと思ったことは一度もない。
あれば便利は、無くても平気。JCとの合言葉である。
無いなら無いなりに人間は適応できるものなのだ。
いや、むしろこれだけ情報が発達した世の中で、携帯が通じない場所というのは、ある意味重要なのかもしれない。
マイクと合流した後、ルートを決める。
ルートはグランクローというバカでかいシュートに決定。
ここはシングルコーンとダブルコーンの間の沢で、この場所で一番目立つ場所だ。
湖を渡り、登り始める。
予想していたことだが、登り始めるとボクはマイクにおいていかれる。
マイクは友達のキヨミちゃんのパートナーで、二人でビジネスをやっている。
どういうビジネスかと言うと、お客さんの車をルートバーンの起点に持って行き、ルートバーンを走りぬけお客さんが乗ってきた自分の車を拾って下る。
このサービスを頼めば、お客さんはバスの時間を気にすることなく好きなように歩け、終点には自分の車が待っているということだ。
彼らは夏の間、何回も何回も多いときには毎日のようにルートバーンを走る。
彼らでしかできない商売だと思う。
そんな体力の塊りのようなマイクがすいすいと登る。
しかもヤツはスノーボード。それに加えて装備は無し。
こちらと言えばバックカントリー用のフル装備。ザックの中には水とランチまで入っている。
おまけにボクのブーツは山用ではなくレーシング用である。
今に始ったことではないが、レース用のブーツという物は山を登るようにはデザインされていない。ハイクアップは正直ツライ。
「それなら山用のハイクアップがしやすいブーツを買えばいいじゃん」
と言う人がいたら、その言葉をそっくりそのままボクの女房の前で言っていただきたい。
しかし最大の問題点は体が重いというところなのだが、それは見て見ぬふりをしておこう。
先頭を登る人を見てマイクが言った。
「やつらを追い抜けるぜ」
「オマエならな。俺には無理だし、そんなのやりたくない」
先頭を行った人が降りてきた。気持ちよく滑るとは言いがたく、かなり慎重にスピードをコントロールしながら滑って来る。
それもそうだろう。
この斜度なら普通にコケただけでも下までは止まらない。
滑って来る人を横目に、急な斜面に手をつきながらよじ登る。
気を抜くと背中のザックに引っ張られバランスを崩しそうになる。ここで落ちたら下までまっしぐらだ。
何回もうやめよう、この辺でじゅうぶんじゃないかと思ったことか。
一歩踏み上げ、左手のストックを前にさし、右手を雪の壁につく。そしてまた一歩足を上げる。延々とその繰り返し。
登り始めて3時間。なんとか稜線までたどり着いた。
稜線ではマイクが待ちくたびれた顔で待っていた。
上りきった瞬間にそれまでの疲れや、もうやめようと思った気持ちは消える。
それに代わり達成感、充実感、満足感が心を満たす。
ヘリでここに来たとしてもこの気持ちは味わえない。
稜線の手前は雪がついていて足場もあるが、向こう側は断崖絶壁だ。
恐る恐る岩の隙間から奥をのぞくと湖が横たわり、眼下にはワイクリークが伸びている。
この谷間を歩いたのはもう8年ぐらい前になるか。
夏の間、スキー場まで車で来て、雪が全くないタソックの野原を歩いた。
スキー場を出ると人口構造物が一切見えない谷間を、湖沿いを走る国道まで数時間かけて歩いた。
ボクはこのコースを堪能し、ここでもニュージーランドという国にやっつけられてしまったのだが、別のガイドは「タソックばかりでつまらなかった」と言った。
何をどう感じて良しとするかは本人の自由である。そのガイドとの付き合いはすでに無い。
このワイクリークというコースは雪があるときにバックカントリーのスキーツーリングでも楽しそうだ。
これは以前から思っていたが、こうして冬景色を見るとそのイメージは膨らむ。
たぶん何年後かにはそれをやるのではないだろうか。
そしてこの場所を見上げて今日のことを思い出すだろう。
待ちくたびれたマイクは冷えてしまったのだろう、寒そうだ。
「マイク、今日は俺はこれ1本だけだからここで時間をとるよ。先に下りてくれ」
「この斜面を降りるのは大丈夫かい?」
「ああ、俺なら大丈夫。問題ないからカフェかどこかで会おう」
「オマエと滑るのは初めてだから、どれぐらい滑れるのか分からなかったけど、そうだな、じゃあ先に行くよ」
マイクが去り僕は一人になった。
昼飯を食べながら、ゆっくりと景色を見る。
レイクへイズ、アロータウンの町並み、その向こうにマウントアスパイアリング。
遠くにはレイクハウェア、そして彼方にマウントクックが堂々とそびえ立つ。
音は風の音だけ。天気は良く、もう少し風が弱ければ昼寝でもしたいくらいだ。
天気は良いがそこは2300mの高さの雪上。
じっとしているとさすがに冷えてくる。
ここにとどまりたい気持ちを押し込めて滑り出す。
斜度は50度を超えているだろう。滑っていかないと下が見えない。
アイスバーンではないが雪は固くしまっており、かなりの急斜面でしかも狭く、連続ターンなどする気にもならない。
しかも今は一人。途中には岩も何箇所か出ている。
慎重に確実にターンを刻み、くびれの場所をこえると斜度も多少緩やかになりオープンバーンが広がる。
その後はヒャッホーと歓声をあげながら滑る。
2年前に同僚のエロルと、夏のハイキングの仕事をここでした。
その時に彼がここを滑った話を聞き、羨ましがった自分がいた。
「いいな、俺もここを滑りたいなあ」という思いは、自分が気づかないうちに現実となった。
とことんそういうふうに出来ているらしい。
下の方まで滑ってきた時に携帯に電話が入った。
マイクのパートナーのキヨミちゃんが仕事を終えて山に上がってきた。
カフェで落ち合う約束をして10分後、人ごみのスキー場のカフェでお茶を飲む自分がいた。
3時間登りの20分下り。
今日もまた1本だけだったが、もちろんこんな日も最高である。