あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

学校の先生の夢

2013-04-30 | 日記
学校の先生になるのが夢、と言うわけではない。
今日見た夢で学校の先生となったのだ。
先生となったと言っても、どこかのクラスの担任になって教科書どおりに人に何かを教えるというものではない。
研修のようなものでどこかの学校に行き、一つの班、7~8人ぐらいの子供達に好きな教材で好きな教え方をするというようなものだった。
僕はその場にあった週刊誌(何故学校に週刊誌があるのか謎だが夢の中なのでこれでいいのだ)を読ませ何を思ったか何を感じたか話させた。
子供達は中学生から高校生ぐらい、いかにも勉強ができますという優等生から普通の女の子やツッパリ君までいろいろな子供がいた。
最初に話をしたのは優等生の男の子だった。
理論整然、堂々と色々な事のメリットとデメリットを並べ上げる彼に僕は言った。
「君はそうやってメリットとデメリットのことばかり話すね。でも今見えているところで悪い事に見えても結果を見れば良かったということはあるかもしれない。それは視点という狭い場所ではなく視野という広い範囲で見ないと分からない物かもしれないよ。ある人が大怪我をして病院に運び込まれた。その時は大変だったけど、そこで出会った看護婦さんと恋に落ち、その人と幸せな家庭を造りましたとさ。どうだい?こんな話もあるんだよ」
秀才君は分かったような分からないような顔をして立ち去った。
次に来たのはツッパリ君だった。
「俺は頭悪いから何が書いてあるのか分からないよ」
「じゃあ文を読まなくてもいいよ、絵とか写真とかも載ってるだろ?それを見て感じたことを話せばいいんだよ。今の学校のやり方だと君は落ちこぼれだよね。でもね、これからの世の中では君のような人が必要になるんだから。自分なりに考えてごらん。」
ツッパリ君はもう一度読んでから来ると言って席に戻った。
次に来たのは普通の女の子だった。
彼女は野球が好きなようで、本の中の野球の記事について熱く語り、僕はフンフンとそれを聞いていた。
そこにツッパリ君が戻ってきて、まだ話をしている女の子の後ろで早くこの子が終わらないかなという感じで待っていた。
ツッパリ君は明らかに何かをつかんだようで早く話をしたいという気持ちがあふれている。
女の子の話は終わらない。

そこで目が覚めた。
ええええ?そんなオチですか?と思うかもしれないが目が覚めてしまったのだから仕方がない。
僕だってツッパリ君が何をつかんだのか聞きたかったのだが、もう一度寝て続きを見られるわけでもなし。
ただこの夢は何かしら意味があるんだろうなあ、と感じた。
そしてこの話はブログで書く話だと感じた。たとえオチがなくとも。
パラレルワールドというものがあると僕は思っている。
それは今この世の中と全く同じようだが微妙に違う世界が無数に、それこそ星の数ほども存在する。
人が夢を見るというのはその世界を垣間見るのではないかと。
僕が繰り返し見る夢では、きれいな広い芝生の公園の中に3つの高い建物がそびえ立つ。
それらは近代的なデザインだが周りの緑に調和している。
建物同士は渡り廊下で繋がっており、中では人々が何かの仕事をしている。
建物の近くには綺麗な小川が流れ、その建物の中で働く人達がそこで息抜きをする。
そんな夢をよく見るのだ。
ある時はその渡り廊下から地上を見下ろしたり、またある時は芝生からその建物を見上げたりと。
今はまだ分からないが、そのうちにああこれだったのか、と思う時が来るのだろう。
それから時々見るのがスキーパトロールの夢だ。
これはその当時一緒に働いていた人が総出演、オールスターのようでなかなか面白い。
というわけでオチのない夢の話でした。
ちゃんちゃん。
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マジックハンド再び

2013-04-28 | 
僕は腰痛持ちである。
20代後半、アライでスキーパトロールをしていた時、きつい体勢で怪我人の搬送をおこなった。
その翌日、スタッフルームでブーツを履いている時にピキっときて動けなくなった。
無線で仲間を呼んで助けに来てもらうというありさまで、その後一週間は寝て過ごした。
まあ俗に言うぎっくり腰というやつだ。
それ以来、疲れが溜まると腰が痛くなる。
もうこれは一生つきあっていくものだと、半ばあきらめてはいる。
NZで住むようになっても腰が痛くなると鍼を打ったりカイロへ行ったりして、なんとかだましだましやってきた。
そんな時に出会ったのがオノさんだ。オノさんとの出会いは劇的だった。
クィーンズタウンの行きつけの店のトイレで隣同士で小便をしながら声を交わし、3分後には一緒にビールを飲んでいた。
オノさんの話は以前から人づてで聞いていたので、さっそく翌日やってもらって又一緒にビールを飲み、それ以来何年ものつきあいだ。
去年はオノさんの奥さんが日本語の補習校の先生で娘の担任だったりと、まあ家族ぐるみのつきあいなのである。
今回はもう1ヶ月以上も前になるが、忙しい夏が終わりかける頃、やはり腰が痛くなった。
女房はオノさんに見てもらえば?と言ったが、どうも違うような気がした。
なんとなくその時は連絡をする気にならなかったのだ。
腰の痛さを騙しながらツアーをして、クィーンズタウンで知り合いにマッサージをしてもらい、その時は事なきをえた。
そして仕事が一段落して、今度はなんとなく今がその時だと思いオノさんに連絡をした。
なんとなく、これは直感である。直感に沿った行動は全て上手く行く。
数日後の午後の最終に予約を入れてもらった。
いつものことながら、僕はその日の最後に予約を入れてもらう。
その後で一緒にビールが飲めるからである。
さてその日、いつものように施術用の服を着て、寝台にうつぶせに寝てゴリゴリとやってもらう。
カルテだと1年ぶり、去年の4月以来だと言う。
僕は1年に2回ぐらいは診てもらうようにしているが半年前は、オノさんに診てもらおうと思いつつ忙しい季節が始まってしまったのだ。
肩の辺りをグリグリと押されて僕は悲鳴をあげる。
「いたたたたた、痛い痛い!オノさん、痛いよ」
「そうだな、ここは痛いよな、でもなこう押さえるともっと痛いんだよ、ほら」
「あたたたたた、分かった分かった、分かりましたから」
そして力を抜く。
反対側も全く同じようにやり、そしてまた戻ってくると今度はそれほど痛くない。
その気持ちを察するようにオノさんが言う。
「あれ、もうほぐれちゃったのか、つまんないな」
この人は絶対Sだ。
そして腰。腰の横辺りをグリグリと押されると、痛いけどむずがゆいような場所がある。
そこもグリグリ、必死に耐えるがそこにオノさんが嬉しそうに言う。
「あれー、こんな所にもあったぞ、もうひとつ深い所だ、ほれ」
もう耐えきれない。言葉にならない悲鳴をあげる。
「うぎゃああああ!そこそこそこ。あやややや」
「今まで隠れてたな、もう見つけちゃったもんね」
確かに今まではその辺りで終わってホッとして黙っていた所があったのだ。でも隠していたわけでもない。
これからはここももっと深く揉まれるのか。
治るためにはいいことだけど、そこはすごおく痛いし、ちょっと複雑な心境である。
クィーンズタウンでやってもらったマッサージはオイルマッサージでその時に全身のコリをほぐしてもらった。
その時は全身ガチガチにこっていたようで、そんな状態でオノさんにグリグリやられたらと思うとぞっとする。あの時になんとなくオノさんじゃないと思ったのはこういうことか。
ただ、今回感じたのはオノさんの施術は深い所で効く。
その分、痛い。
だがその痛みは、良くなるための痛みである。
地球の脱皮に痛みが伴うのと同じ事だ。
そして又、いろいろなやり方があるのだと。
クィーンズタウンのオイルマッサージとオノさんの施術は、例えて言うならばヨガと気功の違いのようなものか。
どちらが上とか下とか言うものではない。その人に合ったものを選べばよいのだと。
痛いのはイヤだという人はいるだろうし、僕は全く気にならないがオノさんのしゃべりがどうも好きになれない、と言う人もいるかもしれない。
波長が合わない人とは無理に付き合わない。ただそれだけのこと。
僕はオノさんの施術が好きだし、その後で一緒に飲むビールも好きなのだ。
今度はちゃんと半年後に予約を入れよう。

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ズンバ

2013-04-25 | 日記
先日、女房に誘われてズンバに行ってきた。
最近、女房はズンバにはまっていて、週に何回かいそいそとズンバへ行く。
楽しみながら運動をするというのはとてもいいことである。
そうしているうちに女房が細くなってきた。
こうなると体が軽くなり動くのも楽になるのだろう。
ますます楽しくなるという好循環である。
この日は娘の友達とそのお母さんも行くということで、それならばということで家族でズンバに行った。
以前にも1回行ったことはあるが、まあ慣れないのもあるが難しいこと。
インストラクターの動きに合わせ足を上げようとしても、その足に重心が乗っていて上げられない。
そうやっているうちに自分が何をやっているか分からなくなりヨレヨレへロヘロである。
女房殿はと見ると、さすが若いころサルサのダンスを習ったというだけあり、きっちりとリズムに乗ったステップでついていっている。
これだけできたら、そりゃ楽しいだろうなあ。
やってみて思ったのだが、手を抜いててきとーにやってもできるし、きっちりと動けばかなりハードな運動になる。
まあそのさじ加減は自分で決めれば良いのだろう。
そして又考えた。
これはヨガにも通じていないかと。
動きもストレッチみたいなものもあるし、これはインストラクターにもよるのだろうが東洋的な動きもあった。
ヨーガの極意とは、ポーズを作ることではなくたとえそのポーズができなくともそこに向かう姿勢が大切なのだ。
そう考えると、たとえリズムについていけなくとも、ヨレヨレでヘロヘロになってようが、気持ちがそこに向いていれば良しということか。
だがやはりリズムについていって、キビキビと踊る姿の方がかっこいいに決まってる。
目の前でキビキビ踊る女房はかっこいいのである。

会場は中学校の体育館で、そこに30人ほどの人が集まっている。
ほとんどは女性で男は2人だけ。
中には還暦を越えたような人もいる。
もちろんそういう人はインストラクターのようには動けないが、それなりに楽しそうである。
こういう時に日本人は、自分は上手く踊れないから恥ずかしい、と言うように考えるがこちらの人は気にしない。
年寄りは年寄りなりに楽しんでいるのが伝わってくる。
いつも思うことだが、この国の老人は元気である。
スキークラブでも老人は多いが、皆元気で楽しそうで生き生きとしている。
そういう人達を見ると、自分もこういうふうに年をとりたいなと思う。
こうなりたい、と思うとそうなる。そういうふうにできているのだ。
逆に『こうはなりたくないな』という思いがあっても、最初の思いが反映されるので結局そうなってしまう。
平和活動をするか反戦活動をするかの違いと似ている。

まあそんなこんなで1時間も踊れば汗もかき、そのあとのビールも旨いということで、めでたしめでたしなのだ。
この先もズンバを続けるかどうかは正直なところ分からない。
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地球の脱皮

2013-04-21 | 日記
今ある社会の延長線上に未来はあるか?
僕はそう思わない。
そろそろ、ぶっ潰す時が来ているようだ。
こんな事を書くと、ぬるま湯に浸りきっている人は、やれ陰謀論だの、終末論だのと言う。
だが世の中を見れば、狂っていることは分かるだろう。
クライストチャーチの地震だって日本の震災だってその一環。
地球は洪水と干ばつを繰り返し、記録的な猛暑と寒さが入り混じる。
これからはもっとそれは大きくなるだろう。
今まではこれでやっていた、というのはこれからは当てはまらない。
大地はひび割れ、世界各地で大きな地割れ、シンクホールができている。
こういった天地異変というやつは地球の浄化作用だ。
地球が脱皮しようとしている。
脱皮に痛みはつきものだ。
ぬるま湯に浸り、変化を恐れる人は目に見える物にしがみつくだろう。
執着というやつだ。
生に対する執着は、誰のところにもやってくる死に怯える。
金に対する執着は経済崩壊というものに怯える。
物に対する執着はそれがなくなることを怖れる。
執着がなければ恐れも無い。
一切の執着を断ち切ることが、各個人がこの世に生まれてきた理由である。
とまあ偉そうな事を書いていると、「お前はどうなんだ?」という声が聞こえてくる。
僕は今や完全に輪廻転生を信じているので死に対する恐怖はない。
金に対する執着もない。
あまりになさすぎて、この世でやっていくには時々困ることもある。
物事ほどほどのバランスというものが必要なのだ。
物に対しても命と同じように寿命と言う物があると思っている。
利権、権力、社会的地位、などは最初から気にもとめていない。
この世に対しての憂いはあるもの、恐怖や不安というものを持っていない。
一休さんではないが「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ、なんとかなるから」というような感覚を常に持ち続けている。
この根拠の無い安心感はどこから来るのか。
畑仕事をしている時に気がついた。
自分は食べ物に囲まれている。
庭には家族で食べきれないぐらいの野菜が青々と育ち、果物の木も育っている。
片隅にはニワトリ達がいて、やはり消費しきれないぐらいの卵を産んでくれる。
それらに包まれる至福感、究極の愛の世界を感じた。
人間同士の争い事は全てエネルギーの奪い合いである。
そして古今東西、人間とは争いを続けてきたものだ。
その原点とは食べ物というエネルギーの奪い合いであろう。
今や、その食べ物を金で買うことが当たり前になり、今度は金を奪い合っている。
だが原点は食べ物だ。
食べる物と共存共栄で生きる。
これだけで人間はどこまでも幸せになれるし、本来人間があるべき姿だ。
そして脱皮後の地球が向うところはそこだと思う。
ただ、誰もが今すぐ僕のような暮らしができるわけではない。
都会に住んでいれば庭でニワトリを飼うなんて、夢のような話だろう。
でもニワトリは無理でも小さなプランターでイチゴを育てるなんて事はできるだろう。
自分で育てたイチゴは栄養価云々は別としても『気』を持っているはずだ。
その『気』をいただくわけである。
イチゴが無理ならばネギでもいい。ネギは強い野菜なので少々放っておいても枯れない。
「自分は○○だから無理だ」とは、やらない人の言い訳だ。
そうではない。
自分にできないことの言い訳をするのでなく、自分にできることをするのである。
自分にできることとは、自分自身を見つめれば自ずと分かる。
食べ物はお金を出して買う物、という意識から、たとえネギ1本であろうと自分で育て自分でいただく、という意識へ。
これが地球の脱皮に合わせた意識の改革であろう。

地震、地割れ、シンクホール、干ばつ、洪水、季節外れの猛暑、大雪。
地球が脱皮しようとしている。
同時に人間はいつまでたっても争いをやめないで、エネルギーの奪い合いを続けている。
ボストンの爆発だって自作自演だろうし、肥料工場の爆発だってミサイルが打ち込まれたものだと言う。
だがこういった情報はマスコミには出てこない。
テレビでは相も変わらず芸の無い芸人達が中身の無いお笑いをして、情報操作されたニュースを繰り返し流している。
本当に必要な事はもはやテレビや大手の新聞、マスメディアというものには出てこない。
このままいけば人類は滅亡する。
隕石がぶつかるか、火山が噴火するか、超巨大地震が来るか、分からないが滅亡する。
まあそうなったらそれでしょうがないかな、とも思う。
こんなふうに人類滅亡。音楽も付けて見てね。
ただし僕は明日こういうことが起こると分かっていても、野菜の種をまくことだろう。
明日世界の終わりが来ると分かっていてもリンゴの木を植える人のように。
それが自分にできることだから。

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土方

2013-04-18 | 

僕は若い頃からいろいろな仕事をやってきた。
高校の時には夏休みのアルバイトで土方もやった。
当時高校生のバイトは自給500円ぐらいが相場で、日給6000円というのは破格の給料だった。
仕事はきつかったが、朝から晩まで明るい時間の仕事で、施主さんが10時3時には飲み物を出してくれたりおやつを持ってきてくれたりと、健全な仕事だった。
そこで基礎コンクリートを打つ仕事をした。
土地を均し、水平をとって型枠を組み、鉄筋を入れてコンクリートを流し込む。
高校では建築科に進んだので、授業でコンクリートの破壊試験などというものもやった。
コンクリートは圧縮に強く引っ張りに弱い。そこで引っ張りに強い鉄筋を入れて鉄筋コンクリートを作り強度がどのように増すか、というような実験である。
学校の授業でやって知識を得ていたが、実際に現場でやってみて「なるほど、こういうことか」とあらためて感じた思い出がある。
というわけでその経験をいかして家のドライブウェイコンクリート舗装計画第三弾、作戦名は「三度目の正直者」。深い意味はない。
以前のブログでも書いたが、大体4m四方ぐらいの広さで道の方から第一期、第二期と舗装をして、工事はそこで止まっていた。
夏の間は仕事が忙しくてとてもそれどころではないが、時間にある程度余裕ができると土方の神が「さあさあ、続きをやりなさい」とささやきかける。
温室の神サマもいるのだが、どうやらそれは後回しのようだ。
一期工事ではきっちりと地面に点圧をかけたが、地盤がしっかりしているのと勾配が緩やかになったのとで二期工事からはちょうど良い深さに掘り点圧はせずにコンクリートを流し込んだ。
さらに一期工事は自分でコンクリートを作るという暴挙に出たが、二期工事はミキサー車で頼んだ。
三期工事もあらかじめ邪魔になる木は切ってあるので段取りはできている。
そしてある日突然。そう、思い立ったように作業は始まった。
土を削り水平を出して型枠を組む。
削った土はネコ(一輪車)で庭の隅へ運ぶ。
何故か分からないが一輪車のことをネコもしくはネコグルマと呼ぶ。
型枠を組んだら鉄筋を入れる。
鉄筋は近くのホームセンターで売っている出来合いを使う。
こういう土方の仕事はきらいではない。





土方という言葉で思い出したのだが、今や土方も差別用語なんだそうな。
バカバカしい話である。
じゃあ大工は?左官は?鳶はどうだ?
それらが差別用語でなく土方が差別用語だということがおかしい。明らかに土方を下に見ている。
家を一軒建てるのだって、土方が基礎を打って大工が建物を建てて鳶が足場を組んで左官が壁を塗る。
どれが上でどれが下という話ではないのだ。
第一、僕は差別用語という言葉が嫌いである。
めくら、おし、つんぼ、ちんば、かたわ。
どれも皆由緒ある日本語だ。
今まで何百年もこういう言葉を使い日本人はやってきた。
言葉自体はその状態を表すもので差別でもなんでもない。
それを差別用語と言うヤツの心に差別があるのだ。
言葉をすり替えても差別する心があったらそれが差別用語となる。
今や名作「ちび黒サンボ」も差別用語だと言うし、きわめつけは看護士。
この言葉も大嫌いだ。
人を看護するという事において男より女の方が優れている。
だから看護婦なのである。本質はそこだ。
なんで男の看護士のことを看護夫と呼ばないのか。
男と女は違うものなのにそれを認めず、全てを平等にしようというバカなヤツが言い出した言葉だ。
そういうヤツは、表向きは偉そうなことを言って大層な肩書きがあるのだろう。
だがそいつに差別する気持ち、人を看る仕事を一段見下す心がある。
なので看護婦という美しい日本語が消え、看護士という味も素っ気もない言葉が出回る。
この前出会ったお客さんはお医者さんだったが、会話の中で普通に「看護婦さん」と言っていた。
こういうお医者さんがいると、何故かホッとする。
戦後GHQが電通に、『言霊』という言葉は一切使わないようにきつく命じたと言う。
言霊、美しい言葉ではあーりませんか。
言葉には魂、霊が存在する。
端的な例をあげるが1日100回ありがとうと言う人と、1日100回ばかやろうと言う人。
これだけでその人の暮らしぶりが想像つく。
きちんとした言葉にはきちんとした霊がつき、荒れた言葉には荒れた霊がつく。
そういう僕も若い時はそれがカッコいいと思い、汚い言葉を使ったものだが最近は使わなくなった。
以前、車を運転している時、狭いコーナーで大型の車とすれ違った。
何の気なしにFワードを言ったのだが、その瞬間に石が飛んできてフロントガラスにぶつかった。
ストーンチップと言ってこちらではよくあることなのだが、それ以来僕は汚い言葉を全く使わなくなった。
英語の言葉にも言霊はあるんだなあ。
言霊というのは深く掘り下げれば、日本人のアイデンティティーや精神性の高さに繋がる言葉だと思う。
権力者が恐れているのは、その日本人の心である。なので『言霊』を禁止した。おおいに頷ける。
ここで土方に戻る。
土方とは穴を掘ったり、土を運んだり、土を積み上げたり、とにかくそういう土に関する仕事である。
僕はこの言葉が差別用語になろうが放送禁止用語になろうが使い続けるだろう。(看護婦も)
自分が若い時にちょっとだけだが土方をしたという経験、これも自分の財産である。





話がおおいにそれたが我が家のドライブウェイに戻る。
僕の土方仕事は、家の仕事の片手間にやる。
お弁当を作り娘と女房を送り出し、朝ごはんの片付けをして天気が良ければ洗濯などもする。
庭の畑に水をやり、鳥の世話をしてお茶など飲んでいると、犬のココが散歩に連れて行けとねだるのでマウンテンバイクで散歩に行き、羊とだだっ広い大地と空に浮かぶ雲を眺めていると時間などすぐに経ってしまう。
お昼を食べて後片付けをして、さて土方仕事というノリだ。
それも夕方になると娘が学校から帰ってきて晩御飯の仕度をという流れになる。
あくまでのんびり、クライストチャーチの復興のように日本で言えば超スローだがニュージーランドで言えばそれなりのペースで僕の土方仕事も進む。
それでも1週間もすると地面は均され枠も組みあがった。
そして鉄筋をいれて準備万端。
コンクリートの会社に電話を入れると翌日の午前という事でパタパタと話がまとまる。
コンクリートを均す道具もレンタルしてきて、いよいよ本工事である。
本工事と言ってもなんてことはない、ミキサー車で運んできたコンクリートをどかっと下ろし、人力でそれを均し表面を仕上げる、それだけのこと。
僕と女房がコンクリートを均し、娘は棒をプスプスと刺し中の空気を抜く、その周りで犬のココがウロウロする。
家族総出の作業で2時間ぐらいでなんとか仕上がった。
前回は隅に娘の手形を入れたので、今回は足型を入れた。
ついでにココの足型も取ろうとしたが、いやがって暴れるので足型は取れなかった。
作業は無事終わったのだが、コンクリートが一輪車一杯分余ってしまった。
さてどうしよう、捨てるのもなんだし、何か使い道はないかなあ、などと考えていたら女房が言った。
「ココの墓石を作ればどう?たぶん、うちらより先に死ぬんだろうし」
「そいつはいいアイデアだ。よし墓石作りだ」
ちょうど良い大きさの入れ物にコンクリートを詰め、嫌がるココを羽交い絞めにして強引に足型を取った。
その下にココと掘り込んで出来上がり。
これはガレージにでも入れておいて、その時がきたら墓石を立ててやろう。
生きとし生ける物すべてにやってくる死。
自分も含め、そこから目を背けずに今ある生を楽しむ事が生きるという事だと思う。

こうしてコンクリート舗装計画第三弾が無事終了した。
これで女房殿もドライブウェイの草むしりから大分解放され、その分のエネルギーは違う所へ使うことができる。
お金は多少かかったが、業者に頼むより大分安くできたはずだ。
もっとも業者がやるほど綺麗な仕上がりにはならなかったが、表面を削ればそこそこきれいになるだろう。自宅のドライブウェイぐらいこれでいいのだ。
やる事リストが一つ減ってホッとしたが、この横に花壇を作りたいというリクエストが入った。
一つ減って一つ増えたわけだが、これもおいおいとやっていく事にしよう。
我が家の改造も、この国らしくのんびりと進む。


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お弁当

2013-04-15 | 
どうも僕は一つの記事を書き始めるとダラダラと長くなり、まとまらなくなってしまう。
なので今回はさくっとお弁当の話。
最近は僕が娘のお弁当を作る。
今日の弁当はコロッケ弁当。
コロッケは昨日の晩御飯の残りである。我が家のコロッケは旨いぞよ。
材料はジャガイモと人参と玉ねぎと豚挽き肉。シンプルだが手間はかかる。その分旨い。
両端は普通のコロッケ、真ん中はカレーコロッケである。
梅干をご飯の隅にちょっとだけ入れる。日本人だなあ。
野菜は庭のプチトマトとブロッコリー。
朝採りブロッコリーをさっと茹でてお弁当に入れる。
こういうことをできるのが嬉しい。
新鮮というのは最高の調味料でもある。
食べ物というのは手を抜けば楽に作れるし、味もそれなりだ。
こだわりを求めれば、それこそきりがない。
最高の卵かけご飯を食べるためにニワトリを飼う、となってしまう。
だが茶の湯の心でもある『そこにある物で最高に美味しいものを出す』というコンセプトで作ったのがこの弁当、コロッケ弁当である。
弁当は娘が喜んで学校に持っていった。
これがこだわり親父の愛である。
さて明日は何弁当にしようかな。

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野菜の話

2013-04-09 | 
家では色々な野菜を育てている。
効率性だけ考えれば季節に合わせ一種類だけ育てればいいのだが、それではつまらない。
いろいろな物を食べたい、というのは人間の基本的な欲求である。
であるのでそれに沿って色々な野菜を作っているわけだ。
葉っぱものでは、シルーバービート、ほうれん草、キャベツ、レタス、こぼれ種から水菜なども育っている。
シルバービートは増えに増えて駐車場の砂利の隙間からも大きいのが育っている。
この野菜は市販の物はアクが強く、それで敬遠してしまう人もいるが、我が家のは土が良いのかアクがほとんどない。
ほうれん草のようにバター炒めにしてもよし、おひたしもよし、胡麻和えもよければ、味噌汁の具でもよい。
ホワイトソースにも合うのでグラタンやラザーニアにもこれを入れる。これで作る餃子がまた旨い。和洋中なんでもよしという野菜である。
レタスも時期が来ると勝手に芽が出て、周りの雑草を取り除いてあげれば良く育つ。
サニーレタスやコスレタスのような葉っぱをちぎって食べる物もあるし、玉になるレタスも育つ。
その辺で勝手に花を咲かせているので、来年もまた適当に芽が出てくるだろう。
思えば数年前、この家に移り住んできた時。庭は手入れがされておらず雑草がおいしげっていたのだが、雑草を刈り取った所に芽生えたのがこのレタスだった。
「ここに雑草も生えないぐらいレタスが茂って、そこから食べる分だけ取って食べられたらいいな」
その時はそう思った。
数年経ち、今その場所は立派な畑となり、色々な野菜で我が家の食卓を賑わせてくれる。
こうなればいいな、という思いは実現するのである。

ネギ類も豊富だ。
ネギはなんといっても強いのが良い。
放っておいても育つが手をかけてあげればもっと良く育つ。
餃子に欠かせないニラは株でも種でも育つ。
ニラの株分けは、これからやる事リストの一つだ。その前に土を耕さなくてはならないが。
赤玉ねぎも上手くできたし、庭の片隅には万能ネギもあさつきもある。
日本の長ネギも好調である。地面に深く植え、どんどん土をかぶせてあげれば白く甘い部分ができる。
これを串に刺して焼けば、それだけで立派な一品である。
固くなった葉はスープのダシをとったり、柔らかい葉っぱは肉じゃがやモツ煮などの煮物にもよい。
残った根っこを地面に戻しておけばそこからまた生える。
ネギの仲間かどうか分からないが、ニンニクも自家製。
1年分のニンニクを育て、乾燥させて編んで使っている。

豆類はソラマメを筆頭にランナービーンズ、インゲン、えんどう豆を作っている。
ソラマメは女房の好物なので毎年大量に作る。塩茹でにするとビールのおつまみによい。
ランナービーンズも好調で食べきれないぐらいに採れた。
えんどう豆は植えた場所が悪かったのか、芽を小鳥に食べられてほとんど育たなかった。まあこういうこともあるだろう。
枝豆を何回か試したが、昼夜の温度差が大きすぎるからか上手く育たなかったので最近は作っていない。
ネルソン辺りではよくできるそうだが、クライストチャーチではだめなのだろう。
ダメなものはあきらめ、この地で良く育つ物を育てればいいと思う。

根菜は人参、大根、ごぼう、じゃがいもなどなど。
大根は日本の『ときなし』という種類の種を売っていてそれを育てている。
ごぼうも『たきのがわ』という種類のものである。
最近ではこういう日本の野菜の種を売っているのがうれしい。
こういった根菜があるとモツ煮などの煮物が充実する。
人参は生でもたべられるのでサラダにも入れる。
ジャガイモはきっちりと畑で作ってはいない。
適当なところから雑草のように芽が出たものを育てるぐらいだが、取れたてのイモは塩茹でだけで充分に旨い。

夏野菜で言えば、トマト、きゅうり、ズッキーニ、茄子、ピーマン、とうがらし、かぼちゃ。
トマトは苗を買ってきて育てる。実が大きくなる種類とチェリートマトを4株ほど。
きゅうりはこれも日本のもの。立派なものがいくつも取れ、味噌をつけてもろきゅう、薄切りにしてサラダにと美味しくいただいた。
ズッキーニは3株。どれも良く育ち、うっかり収穫を忘れると30cmぐらいの大きさに育ってしまう。
ズッキーニは油と相性がいいので天ぷらも旨いし、オリーブオイルにニンニクをいためて香りをつけ薄く切ったのを塩コショウでシンプルに焼くというのも良い。
茄子も日本の種。実はこぶりだが味は良い。
今年は露地でやったので育ちはいまいちだったが、来年は温室で育ててみようと思う。
ピーマンも一株だけ育ててみた。
これも実はいくつかつけたが茄子同様だった。
とうがらしは鉢で植えたがこれまたよくできた。すごく辛いのと全然辛くないのができて食べてみるまで分からないというギャンブルのような所が好きだ。
生の唐辛子を刻んでタイサラダに入れるのも良い。もちろん焼いても揚げても良い。
かぼちゃは2種類。日本のくりかぼちゃと西洋カボチャ。
くりかぼちゃはおなじみ皮は緑で実は黄色のホクホクしたカボチャである。
これは天ぷらも旨いし和風に煮るのも旨い。
西洋かぼちゃは水気が多いので煮物よりオーブンで焼くのが旨い。
大きい実は人にあげたりもするが、小さいのもゴロゴロできる。
かぼちゃは堆肥の中から勝手に芽を出すので、時期が来るとそこらじゅうかぼちゃだらけになる。
そういったものは皮を剥き煮てペースト状にして、うちの卵とかぼちゃプリン。これがまた絶品である。
夏の野菜と呼べるのかどうか、ひまわりも今年は4株植えた。
大きな花をつけ、この前、種を収穫した。
家族で種の殻を割り実を取った。
これをフライパンで炒めると香り香ばしい木の実のような立派な食べ物となった。
これはサラダに振って食べるのが我が家のお気に入りである。

ハーブ、香草も何種類か。
コリアンダーはタイ料理に欠かせない。我が家自慢のチキンライスもこれを入れる。
この時期、種がたくさんついたので、来年はその辺から芽が出るだろう。
セロリもこぼれ種からそこらでできている。
野菜として食べるには株が小さいが、カレー、ミートソースなど煮物の香味野菜にするぐらいには育っている。
煮物と言えば、月桂樹の葉っぱ。
これは家の裏に植えた月桂樹の木が育ち、枝を剪定した後の葉っぱを乾燥させたもの。甘い香りが良い。
パセリもこぼれ種から立派な株が育った。
葉っぱをみじん切りにしてサラダに入れるし、茎は香りつけに煮物に入れる。
今は花が咲き種をたくさんつけたので来年も又その辺から芽を出すだろう。
バジルも一株植えたが、これが育ちに育って大きな株になった。
スパゲッティ・ジュノベーゼでもやってみようかな。
日本の香草、シソも好調。シソの葉っぱの天ぷらなんてのも好きだし、自家製スモークサーモンと一緒に食うのも旨い。
去年シソが大量に取れた時には、ジュノベーゼのバジルの代わりにシソを使ったシソベーゼが旨かった。
日本の野菜、春菊もあるが葉っぱを取る前に花が咲いてしまった。
ふき、そしてみょうがもあるがこれは植えた場所が日当たりが良すぎたのだろう、あまりうまく育っていないのでまだ収穫にはいたっていない。家の影のじめじめした場所に植え変えてあげようと思っている。
番外編は山芋。
苗をもらい、木が生い茂っている場所に植えて3年。そろそろ採っても良い頃だ。
これもうまくやれば増やせるだろうから、食べる分と増やす分を分けていくだろう。

果物に関してはいちご、ラズベリーがそこそこ取れる。
ニワトリコーナーには果物の木を何本か植えてある。
3年前に植えたリンゴの木、品種は冨士。これが今年は大きな実を10以上もつけた。
いちじくはまだ木が小さくて実も小さいが順調に育っているので、ゆくゆくは食べられる大きさの実をつけることだろう。
その他、洋ナシ、桃、フィジョアも成長中。これからが楽しみだ。

こうやって見てみると我が家の菜園は実に充実しており、野菜はほとんど買わないで済む。
僕は時間がある時はほとんど庭にいて、何かしら畑の仕事をしている。
植物によって日当たりを好む物、日陰を好む物。水をそれほど必要としない物、水をたっぷりやらないと育たない物、などなど個性がある。
コンパニオンプラントと言い、一緒に育てると良く育つ野菜、又は相性の悪い野菜もある。
連作障害の出る野菜は適当に場所を変えて植えるし、毎年同じところで育つ野菜もある。
さらに農業の基本は土作りである。
家では堆肥も作るし、ニワトリの糞はおがくずと混ぜて肥料にしている。
自分の敷地でこういうサイクルができるのは嬉しいことだ。
土に埋めた堆肥を犬が掘り起こしてしまったりとハプニングもあるが、こういう作業は楽しいことである。
働くという言葉の語源は、はた(他人)らく(楽、楽しい)他人を幸せにすることから来ている。
人を幸せにするには自分が幸せでなければできない。
働いてお金を稼いでそのお金で食べ物を買う。
これが今の資本主義社会の根底である。
今、その経済というものが崩壊しつつある。
それは本来、人を幸せにするための労働が、自分の利益のためだけに苦痛をともなった仕事となっているというのが一つの要因だと僕は思っている。
僕が野菜を作るのに費やす時間は少なくない。
できた野菜は売らないので、この労働ではお金を全く稼いでいない。
だがこれはお金を稼ぐための労働ではなく、人類が生きていくための労働なのである。
そういう仕事はやりがいがあるし、やっていて気持ちが良い。
何より自分を含め周りの人が幸せになれる。
直感に基づいた行動に間違いはない。
僕の直感がささやいている。「聖よ、次は温室じゃ。温室を作るのじゃ」
仕事もヒマになってきたし暖めておいた温室計画をそろそろ始めようかな。
コメント
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