あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2023年を振り返る

2023-12-27 | 日記
普段は暇な師(先生)も忙しくなり走ると書いて師走。
ずいぶんと師に失礼な言葉だなと思うがこれはコンプライアンスに引っかからないのだろうか?
でもこういうユーモアを含んだものが日本語の面白いところであり美しいところである。
さて今年も残すところあとわずか。
人並みに1年を振り返ってみる。
自分の身の回りの話では、ぶどう畑の仕事を辞めツアー関係の仕事に戻ってきた。
これはコロナも終わりに近づき観光客が戻ってきたという社会現象と重なるところがある。
ぶどう畑の仕事自体は好きだったが、自分はやはり農業のプロではないなとはっきりと気づいたのもある。
同時に自分が身を置く世界が自分という人間を求めている、求められている所で仕事をするのはありがたい事であり嬉しい事でありやりがいのある事であり自分の使命でもあると言えよう。
新しい出会いもあったが旧知の人が鬼籍に入ったり、昔からのお客さんが帰ってきたり、遠方から朋が来たりしてそれなりに充実した日々を送った1年でもあった。
ツアー関係の仕事をしながらも相変わらずインプットは続き、歴史、哲学、社会、宗教、言語学、食、文化人類学など全てをひっくるめた人文学という物を学んでいる。
この学びは来年以降も続いていくだろう。
最近はコテンラジオから民主主義という物を学んだ。
これは簡単に言い表せられる事ではないが、自分が漠然と考えていた民主主義とはほど遠い所に真実というものがある事に気がついた。
こうやって書くと民主主義が分かったというようにとらえられてしまうが、そうではなく今もなお完全に分かったわけではないし、そう簡単に分かるものでもなかろう。
ただ今までのの自分の思っていたのが全体の1%ぐらいだった事に気がつき、解像度が上がったという具合だろう。
民主主義の構造を理解し歴史を学ぶと現代が見えてくる。
なぜ今の世の中がこういう状態なのか、今まではでは見えなかった視点で世の中を見て自分なりに理解ができた。
これが学ぶ喜びというものだろう。
この1年もそういう学びはたくさんあり、まだまだ進化をするような気がする。

自分という個人をとりまく社会も変化を続け、今まで表に出なかった事が明るみに出たり、あるいは闇に葬られる類のものもある。
2020年に始まった奇妙なパンデミックの時期、その積み重ねの上に23年という年があった。
これまでと同じように世界のどこかでは戦争があり、芸能人のスキャンダルがあり、スポーツではどこかのチームが勝ちあるいは負け、有名人の訃報があり、政治家は相変わらず腐りきっている。
出来事だけを追えば、そう言えばそういうこともあったなと思い出すが、直接自分に関わらなければ全て他人事で対岸の火事だ。
戦争や災害で可哀想な人がテレビに映し出されるが、見ている自分は食べ物にも困らずヌクヌクと生活を続けている。
そうやって1年というものがあっという間に過ぎ去った。
光陰矢の如しと言うが、この年になるとなのかこの年だからなのか時間の経つのが速く感じる。
年寄り連中が歳を取るに従って時間があっという間に過ぎると言ってたが、まさにそれだなと実感するのだ。
これは不思議な感覚だなぁ。
年の瀬になり、どれ今年を振り返って偉そーに社会を分析してやろうなどと思いつき書き始めたはいいが、なにが起こったのかすぐに思いだせない。
ネットで23年の出来事と検索すれば、1月はこういう事があり2月はこれこれがありと出てはくる。
それを見れば、ああそう言えばそういうこともあったなあ、あの時は自分は何をしていたと思い出す事はできる。
その瞬間ごとには精一杯生きていたはずだが、一連の流れとして結びつかない。
自分の頭の中でのこの1年の思い出と、ネットで出てくる情報から呼び起こされる事が違うということだろうか。
自分というミクロの視点と社会というマクロの視点の違いか。
そこをごちゃ混ぜにして話を書き始めたから、こんなまとまりのない文章になってしまった。
結局の所、よく分からない事が分かったという哲学者のような言葉でとっ散らかった話を締めよう。

皆様よいお年をお迎え下さい。




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コンニャクの花

2023-12-05 | 
今更ながら半世紀という時間を生きてきた。
その間に色々な経験をしたものだ。
どうでもいいような経験もあるし、自分の軸を作り上げるような貴重な経験もした。
ちなみに自分は徹底現場主義であり、現場で行うことがこの世の全てだと思っている。
これは自分の思想なので、そう思わない人に無理やりこちらを振り向かせるつもりはない。
ただ世の中で、知った気になっている人があまりに多いので、今回は一言物申す。
例えば何か知らない事があったとしよう。
そうするとすぐにググって答えを見つけ、あたかもそれが自分の知識のようにエラそーな顔をする。
確かに知識を身につけるのは良いことであるが、何か違うような気がするんだよなあ。
そうやって取って付けた知識と、身を持って体験した知識は明らかに違う。
全ての知識を自分の経験から得るのではとても足りないので、人は外から知識を得る。
知識を得ることでも、例えば1冊の本を読んである事象について語るのと100冊の本を読んで事象を語るのでは違う。
本当に100冊の本を読めば、ともすれば正反対の事が書いてあるかもしれない。
それらの情報を自分でふるいにかけ、自分が信じるものを選ぶという事をやっているのだ。
これは知識の厚みとでも表現すればいいか。
スマホでちゃっちゃと得る情報とはわけが違う。
そして又、人は家族がやっていた事や、自分の所属した組織でやっていた事を、自分の経験と混合してしまう節がある。
A君は僕の家でニワトリを飼っているのを見て「うちの爺ちゃんちでも飼っていた」としたり顏で言ったがそれは文字通り爺ちゃんが飼っていたものであり、A君がやった事ではない。
ニワトリの雛を買ってくるのか自分で孵すのか、そして雛から成鳥になるまで大事に育て、卵を産むようになったら殻を強くするためにカルシウムなど餌に混ぜ、卵を産まなくなったらその鳥を殺すところまで。
それは爺ちゃんがその時々で判断して起こした行動であり、その責任は爺ちゃんにあるのだが身内という事でA君は自分でやった気になってしまったのだろう。
B君はうちの庭を見て、農業高校の実習でやったから自分は農業のことは分かります、とこれまたしたり顔で言った。
確かに実習では作業をしたのであろうし、農業の事は勉強したのであろう。その自負が自分は知っています的な態度に表れていた。
学校でやる事はカリキュラムに沿って行う実習であり、この時期にはこれをやりなさいという事を先生が教えてくれる。
誰がレールを敷いたかは考えず、敷かれたレールの上を走り自分が全てやった気になってしまう。
こういう勘違いをする若者に送る言葉はこれだな「農業は毎年一年生」
これは何十年も専業で農家をやってきた人が言う言葉だから重みが違う。
トライアンドエラーのエラーから学ぶ事は多いのだ。
経験を積みあげて自信も付き、なんとなく分かるようになった頃に考えられなかったような出来事が起こり失敗する。
これは農業に限らず、どの仕事でも生活でもあることだ。
そうやって失敗をするから経験値が上がるのだが、結果至上主義の世の中は失敗を負の面でしか見ない。
だから料理のサイトでも「失敗知らずの⚪️⚪️」などという言葉が使われる。
失敗は低評価の元であり出世の妨げであるので、失敗をしない事を前提とした実につまらない人間が出来上がる。
一つ失敗をしたら何故そうなったのか冷静に分析し研究しそうならないように工夫するのが人間だ。
そしてそれでもうまくいかない事が起こるのが農業なのではないだろうか、と思う。



タイトルとは全く違う方向に話が行ってしまったのだが、今回言いたい事は経験を積め!である。
我が家ではコンニャク芋を育てて数年経つが、今年初めてコンニャクに花が咲いた。
コンニャクの花は『悪魔の舌』と異名が付くように、細いグロテスクな棒状の花であり、お世辞にも綺麗とは呼べない。
そして又、臭いのである。
どんな臭さかと言うと、動物の屍体の匂いである。
温室の中でこの匂いがした時には壁の向こうでハリネズミが動けなくなって死んでいるのかと思った。
壁の向こうの隙間なのでどうしようもなく、そのまま分解されるのを待つしかないと諦めてもいた。
だがなんとなく違うぞと思い始め、さらに日中の温度が高くなると匂いが強くなることも分かった。
何かの拍子でコンニャクの花の根元に顔を近づけると、あの腐乱死体の匂いがした。
これかあ、この花の匂いかあ、と思いそこからコンニャクと花のキーワードで検索すると、コンニャクの花にはそういう匂いがすると出ている。
実体験を持ち、それをネットで検証するという、時代に反逆するようなやり方でコンニャクの花は臭いという知識を僕は得た。
コンニャクの花が臭かろうがどうだろうと実生活には全くもって影響を与えず、本当にどうでもいい情報である。
ただこういう事を体験として知ることで、自分の人間性の厚みが0・001ミリぐらい厚くなったであろう。
情報には自分が実際に経験した第一次情報と、出処が分かって検証もされている二次情報と、出処の分かっていない三次情報とがあある。
僕がガイドをやっていて喜ばれるのは自分の経験、すなわち一次情報の厚みであろう。
山を歩いたことがない人がどれだけ知識をつけようが、実際に山を歩いている人の言葉の重みにはかなわない。
若い世代に常に言っている「若い時の経験は人生の財産」というのはそういうことだ。
コンニャクの花は臭いという、本当にどうでもいいことでブログの話がまた一つできた。
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