あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

山小屋、旅立つ。

2016-10-29 | 
山小屋という名前はもちろんニックネームである。
北海道で「ガイドの山小屋」というお店をやっていることから「山小屋さん」と呼ばれているこの男。
僕と同じ年で仕事も同じようなことをやっているし、物の考え方も同じなので僕らは兄弟と呼び合っている。
ヤツは1年おきにNZに来ては2ヶ月近く自転車の旅をする。
かれこれ10年近くのつきあいになろうか。
前回、日本に行った時にはヤツの家に転がりこみ、2週間ほど飲んで食って気が向いたら自転車の乗ってという日々を過ごした。



ヤツの旅の最初と最後は我が家で過ごすのが常である。
今回もいつものようにやって来て、ビールをたらふく飲み美味い物をたらふく食って過ごした。
ただ飲み食いしていたわけでもない。
庭木の剪定、トレーラーに切った枝を積み込み捨てに行ったり、ガレージの土間の修繕などなど、できる男なのだ。
自家製ビールも一緒に作り、オノさんの所で二人仲良くボキボキやってもらい、その後でビールも飲んだし、プチ観光もした。



そんな山小屋が地図を見ながら悩んでいた。
旅のルートを決めかねていたのだ。
今回は2ヶ月ほどかけて南島を1週する。
クライストチャーチを基点に北上する時計回りのルートか、南下する半時計周りのルートかで悩んでいた。
基本的に雨の時は走らないので、心境としては晴れが続く時に出発したい。
だが天気は不安定で1日後には強い雨雲が来そうだ。
そうなるとそこで停滞になるので、それなら出発を延ばそうかな、という気になるのも分かる。
またこの国の場合、局地的に天気が変わるので、ここから南は雨だが北は晴れ、ということもよくある。
それがはっきりしてれば踏ん切りもつくのだろうが、今回は北へ行っても南へ行っても同じような天気なのでまた迷ってしまう。



山小屋と僕とは似通っているところも多いが、違うところもある。
ヤツは旅のプランに関してはわりと細かく、ノートに時計回りだとこれぐらいにクィーンズタウンを通過してとか、反時計回りだとこうなってとかいろいろとシュミレーションを書き込んで計算している。
出発して方向が決まれば、選択も少なくなるのだが出発前だと選択が多い。
選択が多いと人は迷うものである。
僕が提案した、分岐に来たら棒を投げて出た方向に進むという案はあえなく却下。
僕の旅は行き当たりばったりで、この前日本に行った時もギリギリまでプランを決めず、自分をニュートラルな状態に置くことを意識した。
いろいろな友人知人宅に泊めてもらうことも多かったし、トークライブなんてこともしたので事前に連絡もしたが、基本は行き当たりばったり。
それで全て上手く行ったのだから、我ながらたいしたもんだと思う。
最近は旅をする機会も減ったが、いつかは知らない街で棒を投げて出た方に向かって進む旅をしたいものだ。



さてそんな出発前に頭を悩ましている山小屋に悪魔のささやきを一言。
「まだアフガニスタン料理、食ってないだろ?」
あえなく滞在決定。
その晩は二人でアフガン料理を買いに行き、親父に「ハウメニピーポー」と聞かれ、今回はそれに「マイフレンド」という言葉がついた。
メシは文句無く美味く、ニュージーランドに居ながらにして中央アジアの味に兄弟も満足。
とんでもなく美味い物を食うと「ムフフフ」と気味の悪い声を上げるのがヤツの癖だ。
4人前の料理がその日の晩飯と次の日の朝飯と昼飯でやっとなくなった。



我が家での滞在も1週間になり、ヤツの奥さんの由美ちゃんが「まだ聖さんの所に居るの?」と言い出す頃、山小屋の重い腰も上がった。
うちとしては1ヶ月でも2ヶ月でもいてもかまわないのだが、そうもいかない。
曇りだが暑くもなく寒くも無く風は無風、出発にはまずまずの天気に、ココの散歩を兼ねて一緒に自転車で走った。
公園の外周道路は車と交差しないのでチャリダーに優しく、犬も喜んで一緒に走れる。
公園の外れで僕とココは山小屋を見送った。
2ヶ月で3000キロぐらい走るのだろうか。
僕にはとてもまねできないが、それによって見えるものもある。
次にヤツと合流するのはクィーンズタウンでだ。
さてと僕もそろそろ夏の準備でもしようか。

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カルチャーショック

2016-10-20 | 
家の近く、わりとよく通る道に気になるレストランがあった。
看板にはアフガニスタンと書いてある。
アフガニスタン料理?聞いたことがないな。
たぶんイスラム系の食べ物なんだろうなという想像はできた。
この店がぱっとしない外観で、あまり目立つわけでもない。
それでも町の中の幹線道路沿いに何年も前から存在し続けるということはそれなりに人気があるのかなどと、そこを通る度に考えていた。
「あそこのレストラン、美味しいらしいよ」
という情報をどこからともなく女房が持ってきて、それならいつかテイクアウェイでもしてみるか、と思って数ヶ月。
冬の忙しい最中、僕も女房も仕事で帰りが遅く晩飯を作るのが面倒くさいという時に、娘と二人でその店に行ってみた。

週末の夕方とあって店内はけっこうな賑わいぶりで、テーブルも何席かあるのだが半分ぐらいは埋まっている。
入り口にはテイクアウェイの人が何人か待っている様子。
カウンターの中ではイスラム系のオヤジが一人で忙しそうに働いている。
他に店員は見当たらない。
しばらく待たされそうだな、これは。
「なあ、あきらめて別の店に行こうか」と僕。
「きっと美味しいよ。ちょっと待っても買っていこうよ」と娘。
「そうか、そうだな」
老いては子に従え、ではないが娘の言うとおりに待つことにした。
店の入り口には立て看板にメニューが10ぐらい、チキンだのラムだのが書いてある。
良く分からないのだが娘と相談して、3つその中から適当に選んで順番を待った。
そうしているうちに、僕らの後ろからも行列が出来て、さらに店内で食べる人も来てテーブルも満席になった。
これだけ混雑しているのに、相変わらずオヤジが一人でバタバタと働いている。
オヤジが僕らに聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
「え?俺たちは二人だけど、注文したいのはこのメニューの4番と5番と8番で・・・」
ということを言ったのだが親父はもう一度
「ハウメニ ピーポー」
「だから4番と5番と8番を注文したい」
親父は首を横に振ると僕の後ろの人に聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
後ろの人はツーとかスリーとかワンとか言い、親父は僕らを無視して調理を続けた。
なんなんだここは一体?
近くで待っていた常連らしきインド人が笑顔で言った。
「ここはそういう店じゃないから」
「そういう店じゃないって?」
「まあまあ大丈夫だから、待ってみなよ」
相変わらず親父は忙しそうに働いている。
焼き物のコーナーでは大串に刺された鳥とラムが時折炎を上げながら焼かれている。
その面倒を見ながら、ライス、サラダ、カレーを盛り付けて、テーブルの客を呼ぶ。
客の方も心得たもので、アフガニスタン語か何か分からない言葉でやり取りをしながら、それを受け取り自分のテーブルへ運ぶ。
そして、その客が他のテーブルに座った白人の客にも料理を運んだりしている。
どうやらここはメニューは一種類。
ラムとチキンの串焼き、チキンのオーブン焼き、サラダ、ライス、カレー。
これを人数分に出すようだ。
料金は一人一律20ドル。
テイクアウェイとしては高いが、とにかく量が多い。
そうか、そういうことか、なるほどな。
親父は僕らの方は全く見ないで、てきぱきと働き続ける。
雰囲気は頑固親父で「うちは一見さんはお断りだよ、全く分け分からんヤツが来やがって」そんなオーラさえ出てると思うのは考えすぎか。
このまま無視され続けたらどうしよう、と心配になる頃、やっと僕らの方を見て言った。
「ハウメニ ピーポー」
「お忙しい所、誠に恐れ入りますが、3人分包んでいただけませんでしょうか?」
とは言わないがそんな気持ちで「スリー」と言った。
親父はニヤっと笑い「ラム、チキン、オーケー?」
「オーケー、オーケー」
てきぱきと3人分包み料金は60ドル。
現金を無造作にジーンズの尻ポケットに突っ込むと、笑顔でサンキューと言い握手をした。
ふう、こんな店があるんだなあ。



家に帰ってから、さあ晩飯だ。
まずは鳥肉の焼き物、強火で焙るように焼いた鳥肉はスパイスが効きすぎず、シンプルに美味い。
ラムも同じく、羊臭さをあまり感じさせず、かといってスパイスが強すぎもせず美味い。
ご飯はインド料理のそれより長細いヤツだが、ふっくらと炊けていて、しかもスープで炊いてあるんだろう、うっすらと味がついている。
そしてもう一つの鳥の焼き物はオーブン焼きなのだが、これまたジューシーで表面は香ばしく絶品。
インドのタンドリチキンにちょっと似ている。
さらにカレーもついていて、このカレーがインド風のカレーとも違い、シンプルに美味い。
このカレーとご飯の組み合わせも最高。
とにかく全てが美味いのだ。
味を文で表現するのは難しいのだが、インドと中近東の間ぐらいの香辛料の具合か。
地理的にもたぶんその辺りに位置するのだろう。
中央アジアと言うんだろうな。
昔、中国を旅した時にシルクロードを奥へ奥へ行き、たどりついたのがパキスタンとの国境にある街だった。
そこは政治的には中国なのだが、地域も社会も文化もイスラムのそれで、ここが中国と言うことの方がおかしい、そんな印象を持った。
ふとそんな中央アジアを思い出させるような、そんな味がした。

その晩は3人分を頼んだのだが、とても3人では食いきらない量である。
日本だったら6人分だろうな、きっと。
我が家は大食いの類だが、お腹がペコペコだったのに食いきれず次の日に残った。
これで一人20ドルは決して高くない。
この味でこの量、なるほどな、パッとしない外観の店がつぶれずに繁盛しているわけだ。
それよりなにより、店の入り口にあるメニューの意味は一体・・・。
「うちはそういう店じゃないから、文句があるなら他所へ行きな」
なんてことは言わないだろうが、メニューはあれど客に選択の余地無し。
アメリカでは客により多く選択を与えるのが良いサービスと言う考えがあるそうな。
確かにサブウェイでサンドイッチを買うと良く分かる。
サンドイッチの中身を選んで、パンの種類を選んで、チーズの種類を選んで、それを焼くか焼かないか選んで、サラダの中身を選んで、ドレッシングを選んで、最後に塩コショウをふるかどうか選ぶ。
僕も今でこそ慣れたが、最初は慣れなかったし、僕の周りにはどうやって買えばいいのか分からないので買ったことが無いという人がいる。
選択恐怖症というものがあるのかないのか分からないけど、そういう人は買えない。
まあサブウェイを食べなくても日常生活には全く支障をきたさないからどうでもいいんだけど、その面倒くさいシステムがアメリカっぽいとも言える。
その考えと全く正反対、客に選択の余地を与えず、「これが美味いんだから黙ってこれを食え!」というノリのこの店。
なんか日本の頑固親父に共通するものがあるようで、僕は大いに好きになってしまった。
これで不味ければ話にもならないのだが、美味いのだから文句もない。
ニュージーランドは西洋の社会に入るのだが、その中でアメリカ資本主義への反骨精神。
そういえばアフガニスタンはアメリカと旧ソ連の間でボロボロにされた国だな。
そういったこと全て含めて、僕にはカルチャーショックだった。
自分が昔住んでいた家から歩いて5分ぐらいの場所に、そんな店があったなんて。
こういう発見があるから人生は楽しい。
ついでに言えば、このブログのために写真を撮ったのだが、この看板。
真ん中のピラミッドやらスフィンクスやらって・・・エジプトだよな。
それにこのAFGHANの文字だけ字体が違うぞ。
もともとエジプト料理で、そこだけ後から書き替えたのかも。
そのいい加減なノリも美味けりゃOK。
何はともあれこのお店、クライストチャーチに来た折にはぜひとも行って、4番と5番と8番を注文していただきたい。



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シーズン終了

2016-10-06 | 日記
今シーズンも冬が終わった。
思い起こせば変な冬だった。
先ずシーズンに入る直前に大雪が降った。
ロープトーは雪で埋まり、メンバー達が掘り起こし、公式オープン前のパウダーを滑った。
今年はいい年になりそうだという期待の矢先に大雨が降り、雪が全て流れて消えた。
オープン予定の日が来ても雪は降らずオープンできず、結局開いたのは7月の終わりだった。
予定よりも1ヶ月以上も遅いオープンだったが8月はそこそこ。
9月にはいつもなら何回か雪は降るのだが1回降ったきり。
積もり方はいつもとは違いあっという間に雪は消え、あっというまにシーズンが終わった。
全てが今までとは違う。
行く途中にレイクリンドンという湖があるのだが、今までに見たことがないくらい水位が低く湖自体が小さくなってしまった。
世界に目を向ければ湖が消滅してしまったり、川がなくなってしまったり、はたまた川や池の色が急に変わったりそんなニュースはいくらでもある。
今までにないことが起こっている。
植物だってそうだ。
花の咲き方が違う。
こちらでも桜がありこの時期は見事に咲く。
桜という花は見事に咲き、その散り様も見事なものだが、今年は咲いている期間が異様に長い。
曇りの日が長く続いたのが直接の原因だろうが、これだって今までとは全く違うものだ。
ニュージーランドのブナの木は3年から6年に1回、大量に花を咲かせ大量に種を落とす。
今まではそうだったのだが、最近ではこの周期も変わり毎年のようにこれが起こっている。
植物も今までとは違うということに気がついているのだろう。
もちろん動物だってそうだ。
魚や動物の大量死というニュースは世界のどこかで常に起こっている。
そして空から魚が降ってくるなんて、普通では考えられないようなことが起こっているのだ。
クライストチャーチの地震だって、今までにない所で地震が起こった。
世界でも今までに地震が起こらなかった場所が揺れている。
そういう世の中で僕らは生きている。
闇雲に恐怖をあおっているわけではない。
気象をはじめ、自然のパターンが今までとは違うのだ。
そしてこれからも『今までにないこと』は起こり続けることだろう。
そういうものなのだ。
そこに恐怖を見るのか希望を見るのかは個人の判断である。

話を気象に戻すと、ジェット気流というものがあるそうで、これは北半球には北半球の、南半球には南半球のジェット気流があり、グルグルと回っているそうな。
この北半球のジェット気流が赤道を越えて南半球のジェット気流に混ざってしまったというニュースを見た。
もちろん今までには無かったことらしい。
その影響かどうかは分からないが、中近東や東南アジアなど今までに雪など降ったことがないような場所で雪が降った。
逆に今まで降っていた場所で降らなくなったとも言える。
それでもどこかに行けば雪はあるのだから、金を出してヘリに乗ったり、自分の足でえっちらおっちら登ったり、どらえもんに頼んでどこでもドアをだしてもらったり。
そうすれば雪山へは行けるのだから、スキーというものはなくならない。
ただスキー場というものを考えるとそうはいかない。
スキー場というものは雪がふんだんにある場所に造られるものだ。
まあそりゃそうだわな。
今までは雪がふんだんにあった場所なのだが、その今までが通用しない世界になっているのはしつこいくらいに書いた。
ある場所は人工降雪機という機械を導入して雪を降らせるだろう。
その為には金もかかる。
当然リフトの料金も上がる。
これは仕方なかろう。
そしてそれができない場所は閉鎖となるだろう。
これもまた自然の道理で仕方のないことだろう。
ニュージーランドのクラブフィールドは非営利目的で経済に依存しないシステムなので、たとえ悪いシーズンが続いても存続できる。
だが営利目的のコマーシャルフィールドはそうはいかない。
スキー場だけの問題ではなく周辺の交通機関、宿泊施設、商店など地域全体の問題でもあるし、もっと視野を広げると道具や衣類のメーカーなどにも影響を与える。
つくづくスキー業界というものは水商売なのだと思う。
雪が溶ければ水となって流れてしまうのだ。
そしてまた消えてしまうものだからこそ、その瞬間ごと季節ごとの感動もある。
これからの世界がどうなるかは分からないが、今はただ一休さんが残した言葉を信じるのみ。

「大丈夫、なんとかなるから心配するな」



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