あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

犬バカ日誌

2011-10-29 | 日記
犬を飼い始めて1週間。
ココアはうちに来た時より一回り大きくなり、首輪の長さも調整した。
ニュージーランドでは義務化されているマイクロチップもやったし、役場で犬の登録もした。
医者にも連れて行き注射もしたし、まあ色々と手間とお金がかかるものだとあらためて知った。
ココアはしばらくの間家の中に入っていたが、ある時家の中でウンコをして女房の逆鱗に触れ、それ以来そとで寝起きしている。
最近ではあきらめの境地に達したのか、中へ入りたいとせがむことも少なくなった。
犬小屋は未だ設計の段階で材料もそろえていない。
木造平屋建て切妻屋根の、いかにも犬小屋です、というような犬小屋を考えているのだが、あまり進んではいない。
段ボールで作った仮の小屋で気持ち良さそうにすやすや寝ているのを見ると、ついつい先伸ばしになってしまう。
早く作ってやらなくてはなあ、と思いつつ畑仕事をしてしまったり、家事仕事に追われたりする毎日である。



ココアが家の庭で興味を引いたのはニワトリである。
ニワトリエリアを仕切っているネットのところへ鼻をつっこみ、ニワトリにつつかれたりもした。
今のところ体長は犬が長いが体高は同じぐらい、ケンカをしたら人生経験の長さでニワトリが勝つだろう。
興味を持ってニワトリの所を犬がウロウロするのは一向に構わないが、その時にそこに植えているニンニクを踏むのはたまらない。
何回ここはダメだと言っても動くものがあればついついそっちへ走ってしまう。
それならばと柵をつくることにした。
ちょうど庭の隅の気を剪定したところで手ごろな枝がゴロゴロある。
そこにあるものを使うというのは僕の基本的なものの考え方である。
新しく物を買わずに、そこにあるものを工夫して新たな物ができるのは嬉しいものである。
定規で測ったように真っ直ぐにとはいかないが、適当に曲がっているのもそれはそれでよろしい。
柵ができると不思議なもので、菜園という趣きが強くなった。
出来上がりに満足して、そこに子犬がいる風景に満足して、眺めてしまう。
そうなると、まだ枝はあるから柵をのばそうかなどと考えてしまい、それなら芝生をはがして畝をもうひとつ増やそう、ということになり犬小屋作りがどんどん遅れていく。
すまん、ココアよ。もうしばらく段ボールの小屋でかんべんしておくれ。



この時期の犬とはとにかく可愛いものである。
最近はココアを連れて娘を迎えに行くが、隣のクラスの子供まで「見て、ミユキが子犬を連れてきたわ」と大騒ぎである。
子供達が集まりココアは頭をなぜてもらう。とてもよろしい。
ボクはココアに言う。
「オマエの人生で今が一番人に可愛いがってもらえる時だからな。こころして可愛がってもらえ」
この犬はラブラドールの血が強いが、ハスキーも入っているし、母犬はテリアが強く入っていた。
目の色が青っぽいのはハスキーの血を引いているからか。
要は雑種である。
ちなみに前川清も少し入っていて、首をかく時にそれが良く出る。
こっちの人も犬好きな人は必ず声をかけてくれる。
「あら~可愛いワンちゃんね。ラブラドール?」
「ええ、テリアとかハスキーとか混ざっていますがね」
こちらの人は前川清を知らないので、そのことは言わない。
「まあ、そうなの。でも可愛いわねえ」
見知らぬ人と犬を挟んで話をするのも悪くない。



土曜日の早朝、散歩に出た。
ココアはまだ引き綱になれていないので、綱をつけての散歩を嫌がる。
綱がなくても逃げるどころか、ある程度離れると不安になるのか追いかけてくる。
心配なのは車道に飛び出してしまうことと、他の犬に襲われることだ。
週末の早朝ということもあり車は1台も通らず、他の犬との遭遇もなく僕たちは散歩を楽しんだ。
近くのカンタベリーパークでは起きたばかりの羊達が心配そうにこっちを見ている。
朝もやが立ち込める中、ボクは手を合わせ瞑想し、犬は好きなようにその辺を走り回る。
犬のいる生活に人間も慣れてきた。
犬も我が家の暮らしに慣れつつある。
幸せのバイブレーションは犬にも伝わり、この世界を広げていく。
とてもよろしい。





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ラグビーワールドカップ

2011-10-24 | 日記
ラグビーのワールドカップが終わった。
ここ1ヶ月は街でもオールブラックスの旗をつけた車が多かったし、家にオールブラックスの旗を掲げる所もあった。
テレビのニュースでも毎日オールブラックスの事を報道していたし、学校の休みもワールドカップに合わせ普段と変えてしまうなど、とにかく国中でワールドカップ一色だった。
ラグビーが嫌いな人は国外に逃げていたのではないか、それぐらい国中で盛り上げっていた。
嬉しかったのは普通のテレビで主だった試合がライブで見れたこと。
なので我が家でもテレビの前で観戦した。
特に決勝は、ハラハラドキドキ。特に最後の20分は自分の心臓の鼓動が分かるくらいにドキドキした。
心臓の悪い人はこれで死んでしまうんではないか、というぐらいの試合展開だった。
それだけに勝った喜びも大きい。ボクも感動して涙がにじんだ。

ラグビーのワールドカップが始まったのは1987年、24年前である。
ニュージーランドで開催され、その時にオールブラックスが優勝した。
これは今となっては人に自慢できることだが、その時にボクはオークランドにいて決勝をイーデンパークに見に行った。
その時にはラグビーのルールも知らず、生でラグビーなぞ見たこともなかったのだが、周りの観客と一緒に盛り上がりオールブラックスが点を取る度に喜んだ。
試合が終わった後は皆グラウンドになだれ込み選手を囲む。
今では考えられないことだが、当時たいして混乱もなかったのは観客も節度を持って行動していたからではなかろうか。
当時のパンフレットには選手のプロフィールに職業という欄があり、メカニックとかファーマーとかドクターとか何かしら仕事があった。
その頃はまだラグビーのプロリーグは無く、皆アマチュアだったのだ。
ワールドカップと言ってもショービジネスではなく、田舎の大会といった雰囲気だった。
古き善き時代である。
決勝は当時通っていた英語学校の友達とバスに乗って試合を見に行った。
チケットは街のスポーツショップで売っていて、50ドルぐらいだったような気がする。
その時は友達に誘われるままに行ったのだが、今から考えるとその経験はボクの大きな財産である。
なんといってもワールドカップがある度に人に自慢できる。
この経験はどんなに金を積んでも、今はできない。
過去は過ぎ去ってしまったものであり、同時にその瞬間とは永遠のものなのだ。

ボクは日本のブラジル、清水の出身なのでサッカーには詳しいが、ニュージーランドへ来るまでラグビーの事は何も知らなかった。
もちろん自分でやったこともないし、今でも細かいルールはよく分からない。
でもこの国にいるうちに、世界のトップクラスレベルの試合を見ているうちに、目は肥えてきてラグビーの面白さが分かるようになってきた。
ラグビーというスポーツは面白いもので、試合の終了はタイムアップでもゲームセットでもなく『ノーサイド』である。
世界中であれだけ人が転ぶスポーツはない。
汚い言葉は当たり前、相手を引きずり倒しボールを奪う。
とても乱暴なスポーツだ。
でも試合が終わればノーサイド。
時間の間は全力で敵をやっつけるが、それが終われば敵も味方も審判もなく皆一つ。ワンネスの精神だ。
とはいえ勝負というものは読んで字のごとく勝ちと負けはある。
勝てば嬉しいし負ければ悔しい。
決勝で負けたフランスは悔しそうだし、勝ったニュージーランドは満面の笑みである。
勝ちたいが為に一生懸命やるのだし、負けたくないから一生懸命やる。
だが表面上に現れる勝ち負けだけでなく、その下にあるノーサイドの精神。
これはこれからのスポーツにおいて重要な位置を占めていくことになるだろう。
そしてもうひとつラグビーを語る上で大切な言葉。
One For All,All For One.
一人は全員のために、全員は一人のために。
ラグビーを見ていれば分かるが、自分が引きずり倒されながらも味方にパスをつなぐ。
味方を盾にして後ろのボールを持った選手を前に進める。
自分が自分がというエゴではなく、目標に向かって全員が一つになる。
これはスポーツに限らず、いろいろな面で人間が学ばなくてはならないことの一つだ。

ともあれニュージーランドが優勝したことは嬉しい。
嬉しいことは嬉しいと素直に喜んで良い。
24年前の優勝の瞬間がボクの心の中で存在し続ける。
そして24年後のホームでの勝利もボクは忘れないだろう。
たかが人口400万人の国が世界を制した。
このちっぽけな国が、ノーサイドの精神のラグビーというもので世界の頂点に立ったということも、何かしらの意味があるとボクは見ている。
そして今、けが人続出、ボロボロのオールブラックスにエールを贈る。
よくやった。お疲れ様でした。
押忍。
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2011-10-22 | 
以前から犬を飼いたいと思っていた。
犬がいれば隣のクソ猫が畑にクソをする問題も解決する。
何をやってもうちの庭でクソをする猫を追っ払うより、自分の犬を飼ってトイレをしつける方が楽だろう。
そしてどうせ飼うなら子犬から育てたいとも思っていた。
こうなればいいな、という想いは実現する。
それにはタイミングは必要不可欠だ。
そのタイミングが合った時に物事はとんとん拍子で進む。



犬が欲しいと言いはじめたのは女房である。
彼女は日本でも犬を飼っていた。女房は犬と話ができるそうだ。
ボクが仕事で家を空けるうちは無理だったが、今年の夏はクィーンズタウンにも行かないことになり、それなら犬を飼いましょうということになった。
そして週末にSPCAに行って見てみようという話になった。
SPCAとは飼い主のいないペットなどを預かり、ペットが欲しい人や貰い手が来たらそこで受け渡すというような場所だ。
午後にSPCAに行くとして、午前はリカトンブッシュのサタデーマーケットに行くことにした。
このマーケットは数年前に始まったものだが、庶民が集まるサンデーマーケットに比べてレベルが高い。
場所柄というのもあるだろうが、そこに来る人もちょっとハイソで売っている食べ物も美味しそうなものが多い。
もちろん値段もそれなりである。
リカトンブッシュにはカヒカテアの原生林が残っており、中を散歩できるようになっている。
ボクがこの街で好きな場所の一つでもある。
ブッシュをフェンスで囲み動物が入れないようにして、中でキウィも放している。ただし夜行性のキウィを昼間見ることはできない。
この国で一番古くからある木、魚で言えばシーラカンスのような生きた化石の木がカヒカテアだ。
そんな木々の合い間を散歩して、マーケットで買い物を済ませ、帰ろうとした時である。
子犬を2匹連れたカップルに出くわした。
漠然と、『あ、これかな』と思ったが後から考えれば、これだったのだ。
世の中に偶然はない。
出会いは全て必然であり、そのタイミングにピンと気づく時もあれば、後から考えて「ああ、あの時な」と思うこともある。
そのカップルに話を聞くと子犬は売りに出しているという。
一匹は茶色のメス、もう一匹は白いオス。生後9週間。
ラブラドールだがハスキーの血も混ざっているそうな。
ハスキーと聞いて女房の目が輝いた。
ボクは茶色い子犬を抱き上げ、聞いてみた。
「オマエ、どうだ、うちの子になるか?」
子犬はペロペロとボクの顔を舐めた。可愛いぞ、これは。
ボクはこの子犬が気に入った。なんといってもこういう出会いのタイミングだ。
深雪ももちろん異存なし、それどころか目をキラキラさせて乗り気まんまん。当たり前だ。
女房は冷静に即決を避けた。
その場で買ってもいいぐらいの勢いだったが、午後SPCAに行くことにもなってるし、ちょっと間を置くことにして連絡先だけもらいマーケットを後にした。



その日はペットショップに行ってブラブラと見たあとにSPCAに行った。
SPCAにも同じくらいの子犬はいたがピンと来ない。
そこの子犬ならリカトンブッシュで会った子犬の方がいい。
家に帰りネットで犬の売買をみたが、やっぱりピンと来ない
そして初めての出会いから数日後、女房が茶色い子犬を買うことに同意した。
そうと決まれば善は急げ。僕はその場でもらった番号に電話して、数時間後に深雪と一緒に引き取りに行った。
子犬は親兄弟から離れた寂しさか、車の中でクーンクーンと鳴き続ける。それを深雪がしっかりと抱きかかえる。
そして我が家に家族が一人、ではないな、一匹増えた。
さて、名前である。
子犬にはリリーという名があった。女の子の名前である。
ボクはこの名前があまり好きではなかった。
リリーは英語でLiLy。英語のLは舌先を前歯に触れるように発音する。
日本語のらりるれろとはちょっと違う。
やってみれば分かるが日本語でりりーと言うのときちんと発音してリリーというのは違う。
犬が正確な発音でなかったら振り向いてくれない、なんてことになったら悲しいではないか。
それにもっと言いやすい名前が良い。
ボクとしてはポチが良かったのだけれど、あえなく却下。
再び家族会議の結果、深雪がつけたのはココア。色がチョコレート色だから。単純でよろしい。
呼ぶ時はココと呼ぶ。まあこれならいいか。



さて犬の住みかだが犬小屋はまだできていない。
なのでダンボールで仮の小屋を作った。
犬を飼うにあたり、犬は家の中にいれない、外で飼う。と宣言をしたのだ。
1日目の晩は寂しいのだろう。外でクンクンと鳴いていたが、心を鬼にして外に出しておいた。
2日目は朝から大雨、それでもガレージに非難場所を作ったりしていたのだが、濡れてブルブル震える姿に女房が負けた。
犬を中に入れてしまった。
「あーあ、入れちゃった」
こうなるんじゃないかな、と心の片隅で思っていたが、やっぱりそうなった。
一度家の中に入れてしまったら、ダメと言ったら絶対ダメというガンコ親父のきびしい愛のムチも使えない。
犬から見れば「さっきは入れてくれたのに何でダメなの~?」と思うことだろう
外で飼うにはちゃんとした犬小屋を作ってあげて、自分の居場所を確保してあげてからだな、と妥協案を出した。
それでも家の中のキッチンは死守せねばならない。
ボクは台所を砦として、入り口に防衛線を張り、入ってこようとする時は大声で怒鳴りつけた。
そのかいあってか、どうやらここは入ってはいけない場所らしい、とすぐに学んだ。
何回も同じ罠で捕まる隣のクソ猫より賢いようだ。



家の近くには大きな公園があり、犬の散歩に最適である。
ココは慣れない首輪が邪魔になるのか、しきりに首の辺りをかいている。
物憂げに首をかく時の顔は、前川清にそっくりである。
犬も散歩になれていなければ、深雪も犬の散歩は始めてだ。
それでも初心者同士、ヨタヨタ散歩する姿を後から眺めるのはなかなか良い。
庭で畑仕事をやっていると、いたずらもするのでその対策も考えなければならないが、隣のクソ猫のクソを始末するよりよっぽどいい。
深雪がハンモックで本を読み、その横で子犬が遊んでいる。
やっぱり幸せはここにあるのだ。
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2011-10-18 | 
ボクは自分の庭が大好きである。
天気が良い日は1日中庭にいる。
土を耕したり、雑草を抜いたり、野菜に水をやったり、ニワトリの世話をしたり、木々の枝を切ったり、やることはいくらでもある。
自分が植えたリンゴの木が花をつけたらそれがうれしいし、豆類が実をつけたら「もっと大きくなってくれよ」と応援してしまう。
ある日、庭仕事をしていると娘が来て言った。
「ねえ、お父さん、みーちゃんハンモックが欲しいなあ」
「おお、そうか、あるぞあるぞ」
ボクはガレージからハンモックを出してきた。
このハンモックは何年も前に日本からのお客さんがおみやげに持ってきてくれたものだ。オトシ君よ、ありがとう。
ハンモックはずーっとガレージの中にあったが、日の目を浴びる時が来た。
庭の片隅の木の間につるすと娘は大喜びである。
そこで満足そうに本など読んでいる。

遠くからゴミ収集車の来る音が聞こえてきた。
車は家の前に止まりうちのゴミを集めている。
ボクは作業の手を止め、手を合わせ拝んだ。
家のゴミを持っていってくれてありがとう。今日1日この人が事故などにあうことなく気持ちよく仕事ができますように。
時間は短いが、深く集中して祈る。
ハンモックから深雪が聞いてきた。
「何を祈っているの?」
「ん、あのゴミを集める人にありがとうってな。それからあの人が事故にあわずに気持ちよく仕事が出来ますようにって祈ったのさ」
娘は嬉しそうな顔をして、再び読書の世界へ入っていった。
人にそれを強制するのでなく、自分が実践をする。
その姿を見て子供は学ぶことだろう。
子は親の背中を見て育つ。

今、考えているのは庭に温室を作ること。
温室があれば苗を育てるのもいいし、寒さに弱い野菜も育てられる。
温室もホームセンターに行けば売っているがそれではつまらない。
自分で作りたいのだ。
友達が教えてくれたサイトで見たのは。ペットボトルを利用するやり方。
同じ大きさのペットボトルの底を切り重ねていくと筒になる。
それを並べて壁にとか天井に使うというやり方。エコだ。
これはペットボトルを集める方が大変そうだ。
もしくは近所の廃材屋で家を解体した窓枠などを買ってきて作るやり方。
どちらにするかまだ決めておらず、毎日庭でイメージを膨らませている。
そのタイミングが来たら、パタパタとできるだろう。その時には又ブログのネタにすることにしよう。
そうこうしているうちに家族会議で犬を飼うことが決まった。
そうなれば犬小屋も自分で作りたい。
どんな犬小屋にしようかとか、どこに置こうかなどなど楽しい想像は膨らむ。

今日もボクは庭を見て考える。
数年前、ここに越してきた時から格段の進歩があるが、まだまだうちの庭は進化するだろう。
目を閉じ深呼吸をし、庭の野菜に、木々に、ニワトリに、そしてここに住めるということに感謝をし手を合わせる。
目を閉じていても目の前に明るい光を感じ、目を開ければ植物の一つ一つが鮮やかな緑で輝く。
空は青く、雲は白く、太陽は黄金色に輝く。
この世界は何と美しいのだろう。
ボクはこんな庭が大好きである。

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10月16日 ブロークンリバー

2011-10-17 | 最新雪情報
10月になっても山に雪は降る。
先週は20cm以上の降雪があった。
だが日差しは春のそれであり、雪はすぐに緩む。
それでも踏まれていない場所は気持ちが良く、人はノートラックの場所を求めハイクアップをして快感に身をゆだねる。
パーマーロッジではビールとバーベキューとおしゃべり。
この時期は街にいると山がどんどん遠くなる。
気持ちを奮い立たせ山に向かい、一度上がればやっぱり山はいいなあ、と思うのだ。



ノートラックの場所を深雪が滑る。新雪の滑りがさまになってきた。親バカか。



いたる所で雪崩は起こる。そのわずかな隙間を人は滑る。



子供が小さい時には足の間に挟み、大きくなると牽引する。



誰かが上から気持ち良さそうに下りてきた。



たまには親子で写真を撮ってもらう。



その奥の快感を求め、人は登る。



スキー博物館にありそうなモノスキーもここでは現役だ。



尾根の上に千切れた雲が浮かんでいた。この雲が好きなのだ。



先週あった雪洞がトンネルになっていた。



急斜面の滑りもさまになってきた。これも親バカ。



この一瞬の中に全てがある。そしてそれは永遠でもある。



帰り際に振り返ってみれば祭りの跡があった。
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10月9日 ブロークンリバー

2011-10-13 | 
10月に入り近辺のスキー場は軒並みクローズ。
この辺で開いている所はマウントハットとブロークンリバーだけだ。
この時期になると山に雪はあっても人が来ない。
先週はブロークンリバーでも20cmの新雪があったが、タイミングが合わなかった。
週末、天気が良くなるのを見計らって、オークランドから帰ってきた女房も一緒に家族でブロークンリバーに出かけた。
この日はクラブフィールド2回目というユタカも一緒だ。
彼は元ガイド、今は専門学校で建具の勉強をしているという。オリンパスに1回行ったことがあるがブロークンリバーは初めてだ。
金曜日に西海岸に住むタイから連絡があった。
週末にブロークンリバーに上がるという。
それならホワイトベイトを持ってこい、こっちからは自家製卵を持っていくぞと。
今年はまだホワイトベイトを食べていない。それを楽しみに僕らは山に向かった。
他のスキー場がクローズ、そして天気の良い日曜日、学校は春休みとあって駐車場はいっぱい。
グッズリフト乗り場にも行列ができ30分ほどの待ちがあった。
以前は駐車場から30分かけて歩いていた。それを思えば30分待ちというのはトントンだ。
だが人間の慣れというのは恐ろしいもので、これぐらいの待ちでもイラっとしてしまう。
まだまだ人間ができていない。
雪の状態は、日の当たらない場所はガチガチ。日が当たり緩んだ所を狙って滑る。
春の山の楽しみ方である。
上へ行くとすぐにタイに出会った。ユタカも言葉を交わす。
ユタカはタイと1回だけ面識があり、又会いたいと思っていたそうだ。
こうなればいいなと思ったことは実現する。それにはタイミングというものも大切だ。



パーマーロッジに着き、先ずはビールを1本。
ひたすらのんびり、これが春スキーだ。
女房と娘はここで読書。ゆったりするために本を持ってきてある。
ボクとユタカは山頂へ向かう。
100人いたら100通りの山の楽しみ方がある。こうでなければいけないというものはない。
山頂まで行けば奥の景色も見える。
ボクには見慣れた風景だが、ユタカは感動の渦に巻き込まれているようだ。
そりゃそうだろう。
自然が好きで山が好きでスキーが好きな人がここに来て感動しないわけがない。
彼はガイドをしていたぐらいなので、この辺の地理にも明るい。
アーサーズパスの主峰ロールストンもすぐに見つけられた。
全てを説明しなくても、1教えれば10理解できる。こういう人と一緒に行くとこっちも楽だ。
そしてアランズベイスンへ。スキー場のメインから全く見えないところで広大なエリアがあるというのは魅力だ。
ここへ来れば人工構造物は一切なく、気分はバックカントリーである。
自然の中に身を置くことにより、人は人間の小ささを知り自然の雄大さを知る。
そこらじゅうに雪崩の跡はあり、時と場合によっては人は埋まって死ぬ。
人間は自然の中では無力であり、死は常に隣り合わせのものだ。
故に生きているこの瞬間の大切さもそこにある。
山は何も言わないが、自分の心を通してそれを教えてくれる。
フィールドは常に学びの場であり、自分が試される場でもある。



パーマーロッジに戻り昼飯だ。
お目当てのホワイトベイトを持っているタイはまだどこかで滑っているのだろう。
まあそのうちに来るだろうから、自分の持っている物を焼き始める。
いつもこの時期は来る途中にアスパラを買い込んで、持参のベーコンでアスパラベーコンをするのだが、今日はアスパラが無かった。
行きつけの肉屋のグルメチーズソーセージを焼く。
ソーセージは大きいので半分に切って焼く。焼いているうちに中のチーズが溶けてにじみ出てくる。旨そうだ。
ちょど焼けたころ、タイとキミがパーマーロッジに戻ってきた。
いよいよメインディッシュのホワイトベイトである。
そそくさと準備を始めたタイに言った。
「タイよ、知ってるか?ポルシェだってフェラーリだってガソリンが無きゃ走らないんだぞ」
「はあ、まあそうですね」
「だからオマエもこれを飲みながらやりんしゃい」
ボクはスパイツのロング缶をヤツに手渡した。
こうでなけりゃ始まらない。
先ず卵を黄身と白身に分け白身を泡立てる。黄身も良く溶きホワイトベイトを入れ、泡立てた白身をそこに入れざっくり混ぜる。そして焼く。
「このレシピはアイヴァンが教えてくれたんだけど、これが一番美味いんですね」
タイが言う。
アイヴァンは僕達の共通の友達で、鴨撃ちもすれば、海に潜りクレイフィッシュも取る。自然の中で採れる食べ物は山菜、木の実、獣から鳥、魚介類、何でも取る男だ。
前回の話でさんざん白人の味覚をこきおろしたが、こういう繊細な味を作るワイルドな男もいる。
そして美味いやり方があれば、すぐに自分の物として取り入れてしまうのが僕達日本人だ。
タイが西海岸で取ってきたホワイトベイト、東海岸の家の庭で取れた卵がブロークンリバーでご馳走になった。まるで交易所だ。
「うわあ、黄色い!」
キミが叫んだ。。庭の菜っ葉を食べて育ったニワトリの卵は黄色が濃く、そしてこくがある。
持参したレモンを絞り、パンにレタスをはさみ、いただきます。
焼き上がりはふっくら、ホワイトベイトの白身の繊細な味、卵のこく、シャキシャキのレタス、風味付けのレモン。全てが完璧だ。
深雪も喜んでガツガツ食う。子供が健全な食べ物を喜んで食べる姿は宝だ。
しかもこのロケーション。雪山、青空、家族、友人、美味い食い物、ビール。
欲しいものは全てここにある。





パトロールのヘイリーがやってきてサーモンを焼き始めた。
タイがホワイトベイトのパテをヘイリーに差し出す。
ヘイリーにとってホワイトベイトは珍しいものではない。ヤツはちょっと味見して残りはカナダ人のスタッフにさらにおすそ分け。
こうやって幸せのバイブレーションは人から人へ伝わる。
なんとなくヘイリーと2ショットで一枚パチリ。この男とは長い付き合いだが一緒の写真はほとんど無い。たまにはこういうのもいいだろう。
焼きあがったサーモンをわさび醤油でヤツが食い、半分ぐらい残っているのを僕達のテーブルにドンと置き、「残り全部食っちゃえ」と言い残し去っていった。
テーブルの上には、これでもかと言わんばかりにご馳走が並ぶ。
横で見ていた人が「ソーセージにホワイトベイトにサーモン?次は何が出てくるんだ」と目を丸くしていた。
筋書きなら前菜に春の味覚アスパラベーコンだったけど、とてもそれは食いきらなかった。
アスパラが無かったというのも、これまたタイミング。
持ってきたベーコンはタイに西海岸に持って行ってもらう。ブロークンリバー交易所だ。





食後の運動に再びアランズベイスン。
雪山体験のグループが雪洞を掘った跡が残っており、深雪が中に入って遊ぶ。
いつかはこういう所で親子でキャンプをするのもいいだろう。
そして最後の1本はアランズベイスンから駐車場までのロングラン。
雪は適度に緩み滑りやすい。
「気持ちいい~」
女房が歓声をあげて滑ってきた。
そう、スキーは気持ちのいいものだ。
一番下まで滑ると雪はなくなり小川が流れている。
その小川の水をすくって飲む。
雪融け水は芯から冷たく、そして旨い。
何の心配も無く流れている水を飲める場所で僕たちは遊ぶ。
これこそが至上の喜びであり、こういう場所にいられることに感謝なのだ。
帰り際に振り返り、山の神に別れを告げる。
自分が感謝の心を忘れずに謙虚な気持ちで山に向かうことで、山は大きな喜びを人に与えてくれる。
僕たちは自然のエネルギーを充分にもらい帰路についた。


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食文化論

2011-10-07 | 
ルートバーンの1日ハイキングの帰りなど、お客さんにこういう質問をよくされる。
「ガイドさん、クィーンズタウンで安くて美味しいお店を教えてください。」
「安くて美味しいお店?そんなのクィーンズタウンにはありません。ボクが教えて欲しいぐらいですよ。安くて不味いお店はあります。高くて美味しいお店もあります。高くて不味いお店もあります。だけど安くて美味しいお店はないんですねえ、これが。残念ながら。」
「じゃあ、お勧めのニュージーランド料理のお店などありますか?」
「ニュージーランド料理ときましたか。ではニュージーランド料理について一緒に考えてみましょう」
かくして、ガイドトークの食文化論が始まる。
アメリカ料理、カナダ料理、オーストラリア料理、ニュージーランド料理、イギリス料理、どれもあまり聞かない。イギリス料理などは不味くて有名だ。
これらは英語を話す白人、アングロサクソンの文化圏である。
アングロサクソン民族の特徴としては徹底した合理主義だ。
そしてまた民族的にみて味覚音痴でもある。
基本的に食べ物とは栄養を補給するためであり、味にうるさくない。合理的だ。
同じ白人でもラテン系の国ではフランス料理、イタリア料理、スペイン料理などと独自の食文化が発達した。
だがアングロサクソン系の国では食文化と呼ばれる物は発達しなかったのだ。
僻地への探検が秀でたというのも関係があるかもしれない。

イギリス系の男の特長として、出された物を不味そうにボソボソ食う、というものがある。
美味い物を作れば、ウマイウマイとガツガツ食うのだが、不味くても黙って食う。
「こんな味噌汁飲めるか!」とちゃぶ台をひっくり返すようなことはしない。
海原雄山のように、ちゃんとできるまで作り直させるようなこともしない。
奥さんが作ったスパゲティを食べて「やっぱりスパゲティはアルデンテでなけりゃダメだ」などとは口が裂けても言わない。
そんなことをしようものなら奥さんに「じゃあ、あなたが作りなさいよ」と言われてしまう。
それだけはヤツらにとってどんなことがあっても避けなければならない。
自分が作るぐらいだったら奥さんが作った不味い料理を黙って食べた方がましだ。
さらに出された料理の味もみないで塩コショウをバラバラと振ってしまう。
作る方としてはすごく楽だ。
ちょっと薄めに味付けをしておけば、勝手に塩コショウを振り、黙って食べてくれる。
和食の板前が真剣勝負、素材の味を最高に引き出すためにギリギリの塩加減で料理を作るのとは対極の位置にある。
そして彼らは食に対して保守的でもある。
進んで新しい物を取り入れようとしない。
時に度が過ぎ、他の民族が食っている物を批判することもある。大きなお世話だ。
保守的なので毎日同じようなものでも文句を言わずに食う。
作る方も楽でよろしい。合理的だ。
合理的だが、これでは食文化は発達しない。

白人の名誉にかけて言うが、全ての人がこうというわけではない。
個人のレベルで言えば腕のいいシェフはいるし、きっちりと味の分かる人はいる。
新しい味を作ろうとする人もいる。
友達のシェフはボクが漬け込んだイクラを味見して、自分だったらこれはこうやって使うというようなことを言っていた。
レストランで、うなるぐらい美味い物を食べたこともある。
ジェイミー・オリバーのように食を通して社会に働きかける人もいる。
逆に日本人でも食に無関心な人もいる。
だがそれはあくまで個人レベルの話で、民族的にみればやっぱり味音痴の人達だ。
その証拠にここでどういう和食の店が流行るのか見れば分かる。
最近は日本食がブームになっているが、韓国人経営や中国人経営の日本食の店もある。
そういうところはちゃんとダシをとらないで、どぎつく甘辛く味付けをしてしまう。
繊細な味がわからない人には、そういうどぎつい味がうける。
うけるからと言って日本人がやっている日本食レストランでも、べたべたに味付けをして素材の味を台無しにしてしまう所もある。
それを食べた人は日本食とはこういうものだと思い、繊細な日本食文化が崩れていく。嘆かわしいことだ。
人間の味覚というのは子供の時に何を食べたのかで決まると言う。
子供だからと手を抜かず、きっちりした物を食べさせるのが親の役目だ。
最近はアングロサクソンに限らず、中国人だろうが日本人だろうが味覚が失われつつある。
化学調味料に慣れきってしまうと、本物を食べた時に物足りなく感じてしまうのだ。
その結果べたべたした味の物へと進んでいく。

ある時女房がこう言った。
「前にイギリス人の男の人に、日本人は集まるとすぐに食べ物の話になる、と言われたわ」
確かにその通りである。
日本人が集まると、どこの店が美味いとか、どの食材がいいとか、日本のあの味が懐かしいとか、とかく食べ物の話には事欠かない。
ボクがガイドトークをしていても一番盛り上がるのは食べ物の話だ。
それぐらい食というものは日本人にとって大切なものなのだ。
だから食の文化が発達した。
食べ物に関心の薄いイギリス男からすれば、そんなことにエネルギーを費やすのは馬鹿馬鹿しいことで合理的ではないのだろう。
バケツを逆さから見れば、底が無くフタが開かない入れ物だ。

食文化が発達するのに好奇心はなくてはならないものだ。
これをこうしたらどういう味になるのだろう、と思わなければ何も生まれない。
例をあげてみるとイチゴ大福なんてものはどうだ。
大福とイチゴという食感も甘さの種類も全く違うようなものを一つのお菓子として作り上げてしまう。
好奇心あればこそ、食に対する関心あればこそのものだ。
さらに保守的でないということは、他の民族の文化への関心や興味もある。
そして自分流にアレンジして独自のものも作ってしまう。カレーはインドが起源だが今や立派な日本食である。
ボクはインド人が作ったインドカレーも好きだし日本のカレーも好きだ。
日本でアレンジされてそのまま定着した食べ物はいくらでもある。
カツ丼、カツカレー、アンパン、カレーパン、餃子、ラーメン、タラコスパゲッティなどなど。
世界中で日本ほど食のバラエティに富んだ国はないと思う。
そして見知らぬ土地へ行けば、そこの名物料理を食べたいと思うのも食に関心があるからこそだ。
名物に旨い物なし、という皮肉な言葉があるが、これは商業ベースに乗ったものは名物でも不味くなるという意味合いを含んでいる。
その土地で出来たものでそこに住む人が知恵と技法をこらして作ったものはやはり旨い。
日本という国は南北に長く地形に富んでいる。
九州と北海道では採れる物も違えば味付けだって違う。
新潟ではコンビニで売っている地元のおばちゃんが作ったおむすびが感動的に美味かったし、広島のあのお好み焼きも美味かった。実際に食べたことはないが京都では伝統を重んじた食もある。
島ではそこで取れた魚と島の焼酎が絶妙だったし、山へ行けば山菜やきのこが絶品だ。
地酒なんてものもある。
そういった地域性による違いが大切なのだ。
文化というものは狭い地域から生まれる。グローバルと名を打った均一化では文化は廃れる。
伝統もあり、他所の文化を取り入れる柔軟性もあり、新しい味を作り出す創造性もある。
日本人ってやっぱりすごいな。
そしてニュージーランドへ来れば、そこの土地の旨い物を食べたいという好奇心。
そういったこと全てを含めて日本の食文化なのだ。

ボクはお客さんに言う。
「そういったわけでニュージーランド料理とはこれ、というようなものはないんですよ。」
「そう、残念ね」
「でも美味しいものはありますよ。この国は野菜でもお肉でも素材の味が美味しいんです。だから腕のいいシェフのお店に行けば、何を食べても美味しいです。逆に下手なシェフのお店に行くと素材の味台無し、何食べても美味しくない、ということです。」
そしてクィーンズタウンでも自分が時々行くお店を紹介する。
ボクは自分が美味いと思った店、プライベートでも行く店しか人に勧めない。
物でもそうだ。自分が美味いと思った物だけを人に勧める。
最近は友達ゴーティーが作った味噌をクライストチャーチで売っていて味噌屋の手先のようなことをしているが、もし不味かったらいくら友達が作るものでも人には紹介しないだろう。いや逆だ。ボクの友達は不味い物を作らない。
ブログで何回も書いているが、この味噌は旨いぞ。
ボクがこれを人に勧める理由はいくつかあるが、まず美味いこと。これは食べれば分かる話だ。
そしてその地で取れた物を使っていること。
中国で取れた大豆を日本へ運んで製品にしてニュージーランドへ持ってくる。もしくはカナダで作ったオーガニックの味噌をニュージーランドへ持ってくる。
どちらにしてもエネルギーの無駄遣いだ。地産地消のモットーに反する。
この味噌はネルソンでとれた大豆とブレナムで取れた塩で作っている。それをクライストチャーチとかクィーンズタウンで消費する。移動エネルギーは少ない。無駄を省くということは気持ちが良い。
そして生産者が昔ながらの伝統的なやり方で味噌をつくっていること。
ゴーティーいわく、大量生産の味噌を寝かせる期間は2週間ぐらいだそうな。それに対してゴーティー味噌は6ヶ月寝かせる。
じっくり時間をかけて寝かせる間に、生きている麹菌が味噌を熟成させる。さらに時間をおくほどに旨みは増す。発酵のために味噌は冷蔵庫でなく常温で保存する。
日本の祖先たちが試行錯誤しながら作り上げてきた食文化をニュージーランドで取れる物で再現する。
そこにある物で最高の物を出す、というのは茶のこころだ。
日本の文化は奥が深い、そして全てが繋がる。
たかが味噌、されど味噌である。
崩壊しかかっている日本の食文化を守る大事な仕事をゴーティーはしている。
こういう人をみると無条件で応援したくなってしまう。全力で応援する。我武者羅に応援する。押忍。
天と地の理にかなったシステムというのは全てがうまく回るようにできている。
エネルギーの無駄がなく、健全な食材で、日本の文化を守りながら、健康にもよく、そして旨い、みんなハッピー。言うことなしだ。
これがなければ、これはできない、というのは何か違う。
たとえ日本にいなくても、ここにあるもので日本の文化は感じることができる。
それは心の奥にある光を見つめることによって成り立つのだ。
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スパゲッティ ミートソース

2011-10-04 | 日記
前回に引き続き食べ物の話である。
ある友達から、食べ物のレシピを書いて欲しいとリクエストがあった。
ボクはかなり大ざっぱ、かつこだわるところにはこだわる、という人間なのでレシピは無いに等しい。
分量は全て目分量で適当。適当とはいいからかげんではなく適度な量である。
こんな作り方をしているので毎回微妙に味が違う。プロにはなれない。
材料も家にある物の傷み具合などで入れる量も変わる。
毎回アドリブであり、気分で味が変わる。
手が滑って調味料を入れすぎた時など、全体の量を増やすなどリカバリー技術も必要だ。
こんなレシピは参考にはならないかもしれないが、ポイントごとのヒントはあるだろう。

今回は得意料理のミートソース。
まず大きめの鍋に油を入れる。
油はオリーブオイル(家ではエクストラバージン)かオイルにガーリックや唐辛子、ローズマリーなどのハーブを漬け込んだ油を使う。
刻みニンニクをいれ炒める。オイルにニンニクの香りがしっかりついたところで挽き肉投入。
挽き肉は安い挽き肉で充分。
ここで塩、コショウ、ナツメグ、月桂樹の葉っぱを入れる。コショウとナツメグは挽き肉のにおい消しになる。肉料理には欠かせないスパイスだ。
そこに玉ねぎ、パセリ、ニンジン、サンドライドトマト、シルバービートの茎をみじん切りにして一緒に炒める。
ワインが残っていればこの時に入れる。無くても可。
そしてトマト缶を入れ、隠し味にウスターソースを少々。いたみそうな生のトマトがあればこれも一緒に入れて煮込む。
弱火でトロトロと煮込み、ブイヨンで味を調える。ボクが使うのはオーガニックの野菜ブイヨンだ。
その他気分でトマトペーストを入れたり、味をみてトマトソースを入れたりもする。
一発でバシッと決まる時もあれば、なかなか決まらない時もある。料理もライブなのだ。
火を止めたら鍋ごと保温できる容器で数時間味を染み込ませる。
これでできあがり。
挽き肉とトマトだけのボロネーズというソースもあるが、ボクは野菜が入った方が好きだ。

昔、長野のスキー場の麓にあるペンションで、毎晩料理を作ったことがある。
そこではイタリア料理と中華料理を日替わりで出していた。
オーナーは豪快な人で、彼のレシピはこうである。
「イタリア料理なんてものはなあ、自分がワインを飲みながら作ってな、ワインに合う味だったらいいんだよ」
そこでは塩尻産のワインの一升瓶が調理台の真ん中にドンと置かれ、ボクとオーナーはワインを飲みながら
料理を作っては
「お、お、こんな美味しいのが出来ちゃった。オーナー、これ赤ワインに合うから食べてみてよ」
「お、旨いなあ。お主、良い出来だぞ。オレはこんなのだぜ。こっちも食ってみろ」
「ん~、美味い。オーナー、こりゃ美味いよ。」
「だろ?オレって天才かな」
「天才、天才」
「だろ?そうじゃないかなと思ってたんだよ。ガハハハ、もっと言って」
「天才、天才」
「ガハハハ。まあ、お主、ワインでも飲め」
「はい、いただきます。乾杯」
そんなことをやりながらお客さんに出す料理と家族スタッフの飯を作っていた。
おかげでデザートへたどり着く頃には二人ともいつもへべれけだった。
ちなみに中華のレシピはワインがそのまま紹興酒になる。いたってシンプルなレシピである。
ボクはそうやって料理を覚えたのでイタリア料理と中華料理は、このレシピで一通りできる。



スパゲティはバリラ。
嬉しいことに最近ではスーパーマーケットでバリラのパスタが買える。
バリラは青い箱に入ったパスタでイタリア産だ。このパスタは美味い。
イタリアスキー界のスター、アルベルト トンバのスポンサーでもある。トンバも食ってるかどうか知らないが。
パスタはこれ、とボクは決めている。腐るものではないので安売りの時にまとめて買い置きしてある。いざという時の非常食にもなる。
イタリア産のパスタをニュージーランドで食うということは地産地消のモットーに反するが、これぐらいは許してもらおう。
パスタを美味しく茹でるコツはたっぷりの湯で茹でる。
そこに塩をかなり多めに入れる。
量は湯を舐めてみて、はっきりと塩の味が分かるくらい。
ブレナムの天然塩をこれに使うのはさすがにもったいないので、これには安い塩を使う。
火加減は鍋の中で麺が軽く踊っているぐらい。
パッケージに書いてある茹で時間は8分。
だが8分では芯があり固い。
後は茹で具合を見ながらあげなさい、ということなのだろう。さすがイタリア。さすがバリラである。
アルデンテにするには9分半ぐらいが目安だ。
アルデンテとは、スパゲティの中心に髪の毛1本分だけ芯が残る、固ゆでのことを言う。
ニュージーランドではその言葉自体存在しない。ここの人は腰の無いうどんのようなスパゲティが好きなのだ。
レストランでアルデンテのスパゲッティを出したら、茹だっていないというクレームが来るだろう。
なのでボクはレストランでスパゲッティを頼まない。
自分で作ったほうが美味いからだ。ウソだと思うなら家に来なさい。
たかがスパゲッティのゆで方だが、シンプルなだけに奥は深い。
鍋でソースと絡める時には、固めに茹でて鍋の中の熱で最後まで火を通す。
一流のシェフになるとウェイターがテーブルまで持っていく時間も計算にいれて料理を作るそうだ。
大ざっぱでいい加減なイタリア人が、こと食べ物のことになると細かくなる。
こだわりがあるのだ。こういうこだわりは大好きだ。



スパゲティを茹でている間に付け合せのシルバービートのバター炒めを作る。
ミートソースで茎の部分を使い、緑の葉っぱの部分は取ってある。
足りない分は庭からさらに取ってきて洗ってザクザクと切る。
シルバービートのような野菜は外側から葉っぱを取っていくと内側からどんどん出てくる。
春になって暖かくなり野菜の育ちも活発になってきて消費がおいつかないぐらいだ。
とてもうれしい。
スパゲッティが茹で上がったらザルにこぼし、オリーブオイルを絡める。
皿に盛りミートソースをかけ横にシルバービートを添える。
そこにパルメザンチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノである。
このチーズはジェラルディンのチーズ屋さんで作っているもので、サダオが家に来る時はいつもお土産に買ってきてくれる。
固まりのやつを使う分だけその場で粉にする。
本場イタリアのパルミジャーノ・レッジャーノは食べたことが無いが、ニュージーランド産のこのチーズも香りよく旨い。
細かく削られたチーズがパスタの熱で溶け。、ソースと混ざり合う。
ソースは牛肉の旨み、野菜の甘み、トマトの酸味、スパイスの微妙な辛味のオーケストラだ。
スパゲティの茹で上がりもアルデンテで上々。
ここで赤ワインでもあればいうことなしだが、あいにく空けかけはない。まあがまんしよう。
深雪も喜んでバクバク食べる。
子供が自分の作った物を喜んで食べることは、この世の至福でもある。
全ての物事に感謝して、今日も美味しくいただきます。
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