だらだらと書き連ねたこの話もそろそろきちんと終わらせよう。
日本から帰ってきたのは4月の終わりぐらいだったから5ヶ月も経ってしまった。
冬が始まるまでに終わらせようと思ったのだが、その冬も終わり春になり桜も散ってしまった。
新宿での後は、羽田に泊まり次の日の便で香港経由で帰ってきた。
と一言で片付けられるぐらいで、大きな発見も感動もなかった。
強いて言うならば香港での数時間の滞在の間に、別の都市が持つエネルギーのようなものを一瞬だけ感じたぐらいだ。
ニュージーランドに帰り再びこの国の自然に包まれ、いろいろ考えた。
一体自分は何のためにここに存在するのか。
答えは出ないが、その鍵のようなものは今回の旅で閃いたような気がする。
それは自分の足元を固めるような印象だ。
今回の旅で見て聞いて味わい感じた全ての経験、これがあるから旅は面白いのであり深い意識を呼び起こすような感覚だ。
漫画おいしんぼに出てくる話をしよう。
パリで活躍している日本人のアーティストがフランスでの活動をやめ日本に帰ってきた。
その人の言う事には、どうも心が奮い立たない、アートそのものに興味がなくなってしまった。
才能のある人なのにそれはもったいない、どうすればその人が再びやる気を出してパリでの活動を続けられるようになるかと、山岡と海原雄山がその人に食事を出す。
山岡は本場と同じフランス料理を出してもてなし、氏も喜んでそれを食べ、これはどこそこのレストランの味だとパリを懐かしんだ。
そして一言「東京でこれだけの物が食べられるのならパリにいなくてもいいですね」
一方雄山が出したものはおむすびとキョウリの漬け物。
もちろん至高の料理なので厳選した物を最高の状態で出すのだが、ただそれだけである。
だが画家は質素な料理に感動して、日本人の自分の基を感じ取りフランスでの活動を続ける決意をする。
そういう話だが今の自分にはそれが痛いほど沁みる。
自分も若い頃からニュージーランドへ来て色々やってきて自分の足元がぐらついているような感覚があった。
日本人としての誇りを忘れ、日本人である事が恥ずかしいなどと思った時期もあった。
最近は自分の軸のようなものができてきたが、今回の旅ではそれを再確認するような感覚である。
それはふと訪れた神社の境内だったり、友人達の活動であったり、ガンコに自分のやり方を貫いている店の人だったり、散りゆく桜であったり、そういった全てを感じ取り自分の故郷というものを強く感じた。
だからこそ自分はニュージーランドで思いっきりやれるのであり、それなくしての生活は考えられない。
人間は一人では生きていけないが、自分も色々な人とのご縁や物事などに支えられている。
その奥に湧き出る感情は感謝である。
たくさんの友が招いてくれてもてなしてくれてお土産までくれた。
手料理をご馳走してくれた人も、お店でご馳走してくれた人も、自分が作った物をくれた人も、僕に似合う物を買ってくれた人も、全て最高のおもてなしだった。
おもてなしという言葉が一時流行ったことがあったが、もてなすというのは表面的に相手に気に入られようとすることではない。
心底相手の事を想い、自分が出来ることで相手が喜ぶことをする。
相手が喜ぶ姿に自分の喜びを見出し、共に楽しい時間と空間を共有する。
自分が出来ることを見極めるためには、自分自身を見つめなくてはならない。
一見相手のための行動でも自分の中心を見る、自分と相手それは表裏一体のものだ。
突き詰めれば実にシンプルな話なのだが、答えは自分の中にある。
そういった深い事を含めてのおもてなしなのだ。
漠然と分かっていた事が、より強くより深く理解でき今はそれが信念となりつつある。
今回出会った全ての人達とタイミングが合わずに会えなかった全ての人達に感謝を捧げ、今回の話を終えるとしよう。
日本から帰ってきたのは4月の終わりぐらいだったから5ヶ月も経ってしまった。
冬が始まるまでに終わらせようと思ったのだが、その冬も終わり春になり桜も散ってしまった。
新宿での後は、羽田に泊まり次の日の便で香港経由で帰ってきた。
と一言で片付けられるぐらいで、大きな発見も感動もなかった。
強いて言うならば香港での数時間の滞在の間に、別の都市が持つエネルギーのようなものを一瞬だけ感じたぐらいだ。
ニュージーランドに帰り再びこの国の自然に包まれ、いろいろ考えた。
一体自分は何のためにここに存在するのか。
答えは出ないが、その鍵のようなものは今回の旅で閃いたような気がする。
それは自分の足元を固めるような印象だ。
今回の旅で見て聞いて味わい感じた全ての経験、これがあるから旅は面白いのであり深い意識を呼び起こすような感覚だ。
漫画おいしんぼに出てくる話をしよう。
パリで活躍している日本人のアーティストがフランスでの活動をやめ日本に帰ってきた。
その人の言う事には、どうも心が奮い立たない、アートそのものに興味がなくなってしまった。
才能のある人なのにそれはもったいない、どうすればその人が再びやる気を出してパリでの活動を続けられるようになるかと、山岡と海原雄山がその人に食事を出す。
山岡は本場と同じフランス料理を出してもてなし、氏も喜んでそれを食べ、これはどこそこのレストランの味だとパリを懐かしんだ。
そして一言「東京でこれだけの物が食べられるのならパリにいなくてもいいですね」
一方雄山が出したものはおむすびとキョウリの漬け物。
もちろん至高の料理なので厳選した物を最高の状態で出すのだが、ただそれだけである。
だが画家は質素な料理に感動して、日本人の自分の基を感じ取りフランスでの活動を続ける決意をする。
そういう話だが今の自分にはそれが痛いほど沁みる。
自分も若い頃からニュージーランドへ来て色々やってきて自分の足元がぐらついているような感覚があった。
日本人としての誇りを忘れ、日本人である事が恥ずかしいなどと思った時期もあった。
最近は自分の軸のようなものができてきたが、今回の旅ではそれを再確認するような感覚である。
それはふと訪れた神社の境内だったり、友人達の活動であったり、ガンコに自分のやり方を貫いている店の人だったり、散りゆく桜であったり、そういった全てを感じ取り自分の故郷というものを強く感じた。
だからこそ自分はニュージーランドで思いっきりやれるのであり、それなくしての生活は考えられない。
人間は一人では生きていけないが、自分も色々な人とのご縁や物事などに支えられている。
その奥に湧き出る感情は感謝である。
たくさんの友が招いてくれてもてなしてくれてお土産までくれた。
手料理をご馳走してくれた人も、お店でご馳走してくれた人も、自分が作った物をくれた人も、僕に似合う物を買ってくれた人も、全て最高のおもてなしだった。
おもてなしという言葉が一時流行ったことがあったが、もてなすというのは表面的に相手に気に入られようとすることではない。
心底相手の事を想い、自分が出来ることで相手が喜ぶことをする。
相手が喜ぶ姿に自分の喜びを見出し、共に楽しい時間と空間を共有する。
自分が出来ることを見極めるためには、自分自身を見つめなくてはならない。
一見相手のための行動でも自分の中心を見る、自分と相手それは表裏一体のものだ。
突き詰めれば実にシンプルな話なのだが、答えは自分の中にある。
そういった深い事を含めてのおもてなしなのだ。
漠然と分かっていた事が、より強くより深く理解でき今はそれが信念となりつつある。
今回出会った全ての人達とタイミングが合わずに会えなかった全ての人達に感謝を捧げ、今回の話を終えるとしよう。