あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

蔵人日記

2018-03-31 | 酒人
蔵人の日々は続く。
冷え込んで山に初雪が降った日、『吊り』という仕事をした。
大きなタンクで米を発酵をさせると、醪(もろみ)というものができる。
この醪を布袋に入れ吊るし酒を搾るのである。
ドロドロの液体を10リットルごと袋に入れ、口を縛る。
船と呼ばれる大きな入れ物の上にマヌカの棒を渡し、袋を吊っていく。
船の中には絞ったばかりの原酒が貯まっていくわけだ。





使い終わったタンクを横倒しにして洗う。
タンクの中に頭を突っ込んで洗うわけだが、この作業がなかなかくる。
何がくるかと言うとアルコールがくるのである。
タンクの中にはアルコールが気体となったものが充満しており、そこに入るのだから否が応でもその気体を吸い込む。
すると頭がクラクラして酔っぱらってしまうのだ。
と言ってもへべれけになるわけではないが、飲むのとは違うアルコールの吸収の仕方だな。
こんなことも仕事をしてみて初めてする体験だ。
この年になって新しい経験をするのはなかなか良いものである。



船の中に溜まった原酒を取り出していく。
最初の方は白濁した濁り酒のようなもので、これを荒走りと呼ぶ。
その後で澄んだ酒が出てくる。
これが中取りと呼ばれる。
やはりいつものように味見をするのだが、あらばしりと中取りでは味が違う。
旨いのである。
人の言葉を借りるなら青りんごのような香りだと、ナルホド。
ううむ、できることならこの中取りのところだけ飲んでいたいな。
その後で出る酒は『攻め』なのだそうな。
荒走り、中取り、攻め。
ううむ、酒の世界でもこういう言葉があるのか。
日本語っていいなぁ。



何日かそうやって袋を吊るすのだが、袋の中心部に液体が溜まるのでそれをもみほぐす作業もする。
時にはヘマもする。
あまりに強くもみすぎて袋を破き、中の酒粕をぶちまけてしまった。
幸い大事にはならなかったが、何事もほどほどにということだな。
その後で袋をタンクに戻し上から石で重しをして最後の酒を搾りだす。





そうやって搾った酒をここでは『ふね』と呼ぶ。
ちなみに最初に吊って搾った酒は『つり』と呼ぶ。
ふねとつりでは味が違うのである。
吊りの方が味がすっきりしているのが僕でも分かる。
そうやって搾り出した後に酒粕が残る。



搾ったばかりの酒は真っ白の液体で、スパークリングワインのような酸味がある。
この原酒を何日か置いておくと、透き通った上澄みの下に白い澱(おり)が溜まる。
上澄みを取り出す作業を「澱引き」と言う。
目で見て透明な酒を取り出し、白く濁った酒を集めて置くとまたそれが澱と酒に分かれまた取り出しという作業を繰り返す。
澱引きをした後はフィルターをかけてこして、きれいな原酒ができる。
このフィルターで僕のビールを濾したら、もっと旨いビールができるんだろうな。
澱のところは発酵が進むのでピリピリした味になるが、澱を取り除くとまろやかな味になる。
旨いものを作るにはいろいろな作業があるのだ。



そうやってできた原酒はアルコール度が18パーセントぐらい。
これに割り水を足して15パーセントぐらいにして製品になる。
ここでブレンドの工程となる。
一回に作る量をバッチと呼ぶがバッチごとに味は変わる。
米も山田錦や五百万石を使う時もあればアメリカ米を使う時もある。
麹はネルソンの味噌職人ゴーティーから仕入れているようだが、前回は乾燥麹というものを使ったようだ。
常に試行錯誤を繰り返している。
ビール作りも同じだが、同じ材料を使っていても出来のいいバッチもあれば、それほどというものもある。
そりゃ毎回毎回出来がいいのに越したことはないが、菌は生き物である。
菌にも機嫌のいい時も悪い時もあろう。
全黒の場合、1回に作ったものにただ水を足すのではなく、3つのバッチをブレンドする。
このブレンドの具合が杜氏の腕の見せ所でもあるわけだ。
新潟に居た時に聞いた話だが、地元の人は「今年はあの杜氏がどこの酒蔵に行った」というような話を聞き、そこの酒を買うのだと。
本当の職人というのはそういうものだろう。





杜氏デイビッドがブレンドの具合を決め、このバッチを何リットル、こっちのバッチを何リットル、という具合に指示を出す。
それに従い正確に分量を量り、酒が出来上がる。
もちろん工程ごとの味見は欠かせない。
全黒の場合、「吊り」だけのブレンドは「雫しぼり」、「ふね」だけのブレンドは「ワカティプ、スリーピングジャイアント」、「吊り」と「ふね」のブレンドは「オリジナル」という商品名となる。
そうやってできた酒を瓶詰にして、再び火入れ。
そこにラベルを貼り、やっと商品となる。
いやはや、色々な工程があるとは思っていたけれど、実際に自分が関わってみるとそれが良く分かる。





杜氏というのは酒造りの最高責任者であるが、酒だけ造っていればいいというわけではない。
組織が大きくなれば、酒造り、梱包、営業、販売、その他諸々と分業になるだろうなということは理解できる。
全黒の場合、小さな蔵なので杜氏デイビッドが何でもやる。
何でもやるのだが、人間一人がやる仕事量は限りがある。
そこでデイビッドの女房のヤスコが販売、梱包、発送、シール張りなどの仕事もする。
まさに家内制手工業だ。
二人従業員も雇っているが手が足りない時には今回のように僕も臨時で雇われた。



さらに蔵には見学者や来客も来る。
その対応も杜氏がする。
あらかじめ来客者が来ることが分かっていればそれなりの準備や段取りもできるのだが、飛込みで来る人もいる。
NZ初の酒蔵と言うことで話題性は高く、どんなところでやっているのか見たいというのは、まあ考えられる心理だ。
そして人の好いデイビッドは酒蔵の説明、試飲などの対応をすると作業が滞ってしまう。
僕が働いていた期間でも何回かそういうことはあった。
不意の来客で時間を取ればその分作業が遅れ、帰る時間も遅くなる。
それでも嫌な顔一つせずに対応するのは、人が好いからなんだな。



さて肝心なお味である。
以前に比べ格段に味は旨くなっている。
去年のロンドンでの日本酒チャレンジでは堂々と金賞を受賞した。
そりゃ獺祭とか農口とかそういうようなお酒にはかなわないだろうが、全黒は素直に旨いと思う。
第一、不味い酒だったら蔵で働く気にもならない。
ロンドンで賞を取ったからか、そのロンドンから大口の注文も入った。
200本近い注文で、僕らもロンドンに送る酒の瓶詰めで大忙しだ。
ううむ、この酒が地球の反対側の店に出るのか。
日本で取れた米でニュージーランドで酒を造り、それがロンドンで消費される。
地産地消とは程遠いものだが、それを言っていたらイタリア産のパスタだって食えないし、南米産のコーヒーも飲めなくなってしまう。
旨い物のためには人間は労力を惜しまないものなのだ。



酒を作ってその後に出るのが酒粕。
カスと呼ばれるぐらいに大量に出る。
一回のバッチで100キロ近い酒粕が出る。
これで作る甘酒がこれまた旨い。
けっこう酒が残っている酒粕なので、甘酒でも酔う。
甘酒にしてもそんな多量には使えない。
そのまま捨ててしまうにはもったないので、何か有効利用はないかと皆いろいろと考える。
魚や肉を漬け込んで料理に使うのは一般的だ。
アロータウンの家主は酒粕を蒸留水と混ぜ、それを濾して化粧水を作っている。その名も『全白』。
僕も何十キロという単位で酒粕を貰った。
次回クライストチャーチに帰った時には酒粕石鹸を作ろうかと考えている。
それから思案しているのは酒粕ビール。
ビールを作る行程の途中で酒粕をいれてみたらどうか。
今年のブロークンリバーのビール大会にはこれで挑戦しようか。
夢は広がる。



寒い1日の終わりに杜氏デイビッドに頼み込む。
「なあ、今日はなんか熱燗で一杯やりたいから、何かちょーだい」
杜氏はその場で余っている酒をブレンドしてペットボトルにいれてくれる。
ひょっとすると心の奥では「こいつガバガバ飲みやがって」と思っているかもしれないが、人が好いからかとにかく何かしらくれる。
家に帰って日本酒に合う肴を造ってチビリチビリとやるのが楽しい。
だが飲み過ぎにはくれぐれも注意。
酒を扱う仕事は二日酔いでは絶対にやりたくないものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔵人デビュー

2018-03-24 | 酒人
3月も半ばになるとガイドの仕事も減ってきて時間もできる。
そしてこういうタイミングでボスから話が持ち掛けられた。
「お前、蔵を手伝ってくれないか」
蔵とは酒蔵のことである。
ニュージーランド初の日本酒造りというものをうちのボス連中がやっている。
なんとも面白い人達なのだ。
最初の頃は味も安定していなく当たりはずれもあったが、最近では味も安定してきている。
僕も恩恵を受けて酒粕をもらったり、出来立ての酒を飲ませてもらってる。
生産量も増えてきて人手が足りなくなったので手伝ってくれという話がきたわけだ。
そんな面白そうなことを断る理由はどこにもない。
僕は二つ返事で引き受けて、蔵人デビューとなったわけである。
酒造りの責任者、いわゆる酒蔵の総監督を杜氏と言う。杜氏はデイビッド。
日本の酒蔵で修業をしたり、いろいろな所で研修を受けて資格を取ったり、頑張ってきた。
几帳面で真面目な性格の彼は、いいかげんで大雑把な僕とは対照的だ。



ビール造りは相変わらず続けているが、酒造りに関しては全くのシロートである。
杜氏デイビッドに言われたことをハイハイとやる。
何事も最初は下働きからである。
やることは器具の洗浄とか瓶詰作業。
やってみて改めて気づいたのが徹底的な殺菌消毒。
ここの蔵ではすべての器具を使う前に熱湯を通す。
僕は何年かビールを作っているがけっこう適当にやっていて、それでもなんとかやっている。
趣味の領域でやっている分にはそれでもいいが、売り物として出すにはそういうわけにもいくまい。
商売としてやっていくのと、自分が飲むためにつくるのとは違う。
これはどんな業種でも同じだろうが、プロがやる仕事と素人がやるのでは違うものだ。



行程の一つで火入れという作業がある。
これは火落ち菌というものを省く作業だ。
この菌があると、その場で飲む分には体に害はないが、後々で酒を台無しにしてしまう。
63℃から65℃の間で3分間。
出来立ての酒を一升瓶に詰め、それを大鍋に並べお湯を張り加熱。
温度計をにらみながら3分したら急速冷却。
一升瓶の蓋をテープでグルグル巻きにして、冷蔵庫で保管。
こういった作業も大量に造るのには、効率の良いやり方があるのだろうとは思う。
それにはそれなりの設備投資も必要である。
全黒の場合は家内制手工業。
チマチマ、せっせと作業を繰り返すのだ。



少量生産ゆえに値段にも反映する。
ここの酒は決して安いとは言えない。
日本酒ゆえに日本で売っている日本酒と比べられる事も多い。
日本では一升瓶の日本酒が2000円ぐらいで買えるが、ここでは4合瓶で5000円ぐらいになろうか。
日本に比べれば、べらぼうに高いがそれはここでの人件費、材料費、税金、その他もろもろでこれぐらいの値段になる。
これは仕方のないことだと思う。
高いと思えば買わなけりゃいいだろうし、払う価値があると思えば買うだけだ。



そもそも単純に高い安いという値段だけで人はその物を判断する。
安けりゃ飛びつくし、高けりゃ文句を言う。
もう何年も前か、ある日本人の集まりで納豆を作って売ったことがある。
その時に知り合いの人に「高い」と文句を言われた。
値段は1パックで1ドルぐらいだったような気がする。
自分としては儲けを出す気はなく、ボランティアのような感じでやったのだが、とにかくそう言われた。
僕は頭にきて「じゃあ買わなくていいです」と断った。
だいたい自分でやらないやつが、そういうことを言う。
じゃあ自分でやってみろって言うんだ。
それ以来僕は自分が造った物を売るのをやめた。



もろみというものを絞ると真っ白いお酒ができる。
これを置いておくと、白く濁った部分と透き通った上澄みに分かれる。
この上澄みを取り出す作業をおり引きと呼ぶ。
これを何回も何回も繰り返し澱を徹底的に取り除く。
そうして出来上がったものが原酒だ。
原酒の時点ではアルコールが18パーセントぐらい。
これに割り水と呼ばれる水を足して14パーセントぐらいまでアルコールを下げ、再び火入れをして商品となる。
当然ながら原酒の方が濃くて旨い。



作業の合間に品質チェックも欠かせない。
要は味見である。
そこへ至る行程により、酒の味も変わる。
出来立ての火入れをしていない生酒をチビリチビリと舐めながら仕事をする。
大事な酒を扱うのだから酔っぱらってヘマをしては元も子もない。
それでもタンクの底に残った酒を集めてチビリ。
瓶詰めにして余った酒をチビリ。
分析し終わったお酒を貰ってはチビリ。
そんな具合で仕事をするのである。



そしてやはり生の原酒は旨い。
こんなことを書くと皆の心の声がきこえてくるようだ。
「こんなこと書きやがって、この野郎。自分ばかりいい思いをしやがって。俺にも旨い酒を飲ませろ」
いやいや、それはやはり売り物ではありませんから、お客様にお出しすることはできませんがな。
農家でもそうだけど、生産者は一番旨いところを食するのだ。
新潟に居た頃、地元の人が自分達用に作っている米を食わせてもらった。
売っているコシヒカリとは違い「こんなに旨い米があるんだ」とびっくりした。
それを味わいたければ自分で作るか、もしくは身内になるしかない。
あとは大金持ちになって酒蔵のオーナーになる、という手もあるな。



ともあれ蔵人になってみると、いろいろと違う面も見えてくる。
この年になっても新しい経験ができることは素晴らしいことだ。
経験イコール財産であり、またガイドネタが増えた。
しばらくはガイドと蔵人の二足のワラジを履く日々である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする