金沢出発の日、東京へ向かう。
北陸新幹線に乗れば3時間で東京へ行けるが、旅情もへったくれもない高速鉄道には興味はない。
速さなら飛行機の方が速い、しかも値段が安く次の日のことを考えて東京までは飛行機で行くことにした。
ヒデと奥さんが小松空港まで送ってくれて、僕らは硬い握手をして別れた。
飛行機から白山が見えるかと期待したが、雲に覆われ霊峰は見えず。
この山とは結局今回は会えずじまいだったが、それもまあご縁というものだろう。
1時間ちょっとのフライトで大都会東京へ。
東京では旧友Mと会い、彼がガイドとなってくれた。
M
さてどこに行こうかという話になり、浅草はどうかと提案されたが観光客がうじゃうじゃいて、店の人もそれを見込んでいるような場所には行きたくない。
それよりも観光客があまりいない所で日本を感じられる場所はないかと聞いたら、それならMが昔からよく行っていた北千住にある昭和の喫茶店に行こうという話になった。
北千住という町には来たことがない。
名前は聞いたことがあるが、東京の東の方というぐらいしか知らない。
どんな所かと駅に降り立ち、お目当てのコーヒー屋さんに向かう途中でも居酒屋や立ち飲みの店などフラフラ入りたくなってしまう、とても危険な町だ。
近くに大学があるのだろうか斬新な芸術系のチラシがベタベタと貼られていて、他の東京の町とは明らかに違う。
持論では音楽でも美術でもファッションでも芸術というものはある程度の都会で生まれるもので、そこに住む人間によって作られている。
そういうのは都会が持つ良いエネルギーだ。
とにかくそんな雑多な街を抜けていくと、あったあったありましたよ。
まさに昭和から抜け出たような外観で、渋い爺さん婆さんがやっている喫茶店。
店に入りお勧めのコーヒーをいただく。
正直に美味しい。何がどう美味いという事は上手く言えないが、香り良く酸味と苦味と旨味のバランスがよいのは分かる。
僕はまるでタイムスリップをしたかのごとく、店の雰囲気に飲み込まれた。
お店の電話が黒電話というのも徹底してさらに良し。
なんか白馬の絵夢を思い出したが、こういう店が実存して社会の一部を作っているのを見ると、やっぱり日本大丈夫じゃないかと思う。
その後はちょっと移動して根津神社でちょうどつつじ祭りというのをやっていて見学。
色とりどりのつつじが満開でこれはこれで綺麗だ。
観光客もある程度いるが、あまり気にならないぐらいの混み方である。
バランスが崩れない程度の人の賑わいは大切なのだな。
そしてそのまま歩いて谷中へ。
どうでもいい話だが谷中は鬼平犯科帳で同心の木村忠吾が見回りをさぼって、谷中のいろは茶屋に出入りしているのを鬼平に見つかった、あの谷中である。
もちろん当時の面影は全くなく、今は昭和の面影を残す下町の商店街だ。
だが観光客のための街でなくそこに住む人のための街であり、通りには佃煮屋とか総菜屋とか瀬戸物屋とか庶民の店が立ち並ぶ。
これはこれで楽しく時間があるのならばゆっくりと浸りたくなるような街だ。
北千住もそうだったが、同じ東京でも場所によってこうも雰囲気は変わるものなんだな。
一部分だけを見て全体を把握しようとするのは人間の本性なのだろうが、東京という大都会の違う一面を見る事ができたのはこれまたよい経験である。
Mと別れ新宿へ。
夜は別の友達と会うことになっている。
前回新宿に来たのはゲイのユーマに会って二丁目を案内してもらうというものだったが、今回は西やんという友達と久しぶりに会うのである。
西やんとは実際には3回ぐらいしか会っていないが、ネットを通じてかれこれ20年近くのつきあいがある。
またあれこれ書くと長くなるので昔の話を貼り付けておこう。
百レボと愉快な仲間達
アジトと呼ばれている中華の店でビールを飲みながら近況報告とか世界情勢とか色々と語る。
僕が行くということで会いたいという人が何人かいたが、みんな都合が合わなくて結局は西やんと2人で、後から西やんの上司なのか友達なのかごっちゃんも参加する。
みんなでワイワイやるのも良いが、心の芯が同じ方向を向いている人とじっくり話すというのも良い。
人に会うというのが今回の旅の大きな目的だが、じっくりと人と話をする事の大切さを感じる事は多々あった。
西やんの話を聞くと、コロナ禍の間に飲食店は時間短縮だの営業縮小だのを半ば強制された。
このアジトと呼ばれる店では、窓をテープで貼り明かりが外に漏れないようにして、中で酒を飲んでいたという。
なんか反政府勢力の集まりみたいで、やっている事は楽しく明るく酒を飲むという愉快痛快な話だ。
時代が変われば命をかけて陰々滅々になるだろうが、時代と環境が違うので社会構造は同じでも暗さが違う。
そんな話を聞きながらやっぱりこの人は同志なんだなと思った。
住む所ややっている事は違えど、芯で繋がる関係は固い絆のようなものを感じる。
互いに相手の事を尊重尊敬しつつ、自分の道を突き進む姿が今の人間に必要なことなのではないか。
向こうも僕から何かしらのエネルギーを受け、僕も西やんとごっちゃんから刺激を受けた。
そこには奪い合いでないエネルギーの交流、突き詰めてしまえば愛が根底にある人間関係が存在する。
結局のところ、答えはそこにあり逆に言えば答えはそこにしかない。
実にシンプルだ。
新宿アジトにて今回の旅の最後の夜を堪能した。
北陸新幹線に乗れば3時間で東京へ行けるが、旅情もへったくれもない高速鉄道には興味はない。
速さなら飛行機の方が速い、しかも値段が安く次の日のことを考えて東京までは飛行機で行くことにした。
ヒデと奥さんが小松空港まで送ってくれて、僕らは硬い握手をして別れた。
飛行機から白山が見えるかと期待したが、雲に覆われ霊峰は見えず。
この山とは結局今回は会えずじまいだったが、それもまあご縁というものだろう。
1時間ちょっとのフライトで大都会東京へ。
東京では旧友Mと会い、彼がガイドとなってくれた。
M
さてどこに行こうかという話になり、浅草はどうかと提案されたが観光客がうじゃうじゃいて、店の人もそれを見込んでいるような場所には行きたくない。
それよりも観光客があまりいない所で日本を感じられる場所はないかと聞いたら、それならMが昔からよく行っていた北千住にある昭和の喫茶店に行こうという話になった。
北千住という町には来たことがない。
名前は聞いたことがあるが、東京の東の方というぐらいしか知らない。
どんな所かと駅に降り立ち、お目当てのコーヒー屋さんに向かう途中でも居酒屋や立ち飲みの店などフラフラ入りたくなってしまう、とても危険な町だ。
近くに大学があるのだろうか斬新な芸術系のチラシがベタベタと貼られていて、他の東京の町とは明らかに違う。
持論では音楽でも美術でもファッションでも芸術というものはある程度の都会で生まれるもので、そこに住む人間によって作られている。
そういうのは都会が持つ良いエネルギーだ。
とにかくそんな雑多な街を抜けていくと、あったあったありましたよ。
まさに昭和から抜け出たような外観で、渋い爺さん婆さんがやっている喫茶店。
店に入りお勧めのコーヒーをいただく。
正直に美味しい。何がどう美味いという事は上手く言えないが、香り良く酸味と苦味と旨味のバランスがよいのは分かる。
僕はまるでタイムスリップをしたかのごとく、店の雰囲気に飲み込まれた。
お店の電話が黒電話というのも徹底してさらに良し。
なんか白馬の絵夢を思い出したが、こういう店が実存して社会の一部を作っているのを見ると、やっぱり日本大丈夫じゃないかと思う。
その後はちょっと移動して根津神社でちょうどつつじ祭りというのをやっていて見学。
色とりどりのつつじが満開でこれはこれで綺麗だ。
観光客もある程度いるが、あまり気にならないぐらいの混み方である。
バランスが崩れない程度の人の賑わいは大切なのだな。
そしてそのまま歩いて谷中へ。
どうでもいい話だが谷中は鬼平犯科帳で同心の木村忠吾が見回りをさぼって、谷中のいろは茶屋に出入りしているのを鬼平に見つかった、あの谷中である。
もちろん当時の面影は全くなく、今は昭和の面影を残す下町の商店街だ。
だが観光客のための街でなくそこに住む人のための街であり、通りには佃煮屋とか総菜屋とか瀬戸物屋とか庶民の店が立ち並ぶ。
これはこれで楽しく時間があるのならばゆっくりと浸りたくなるような街だ。
北千住もそうだったが、同じ東京でも場所によってこうも雰囲気は変わるものなんだな。
一部分だけを見て全体を把握しようとするのは人間の本性なのだろうが、東京という大都会の違う一面を見る事ができたのはこれまたよい経験である。
Mと別れ新宿へ。
夜は別の友達と会うことになっている。
前回新宿に来たのはゲイのユーマに会って二丁目を案内してもらうというものだったが、今回は西やんという友達と久しぶりに会うのである。
西やんとは実際には3回ぐらいしか会っていないが、ネットを通じてかれこれ20年近くのつきあいがある。
またあれこれ書くと長くなるので昔の話を貼り付けておこう。
百レボと愉快な仲間達
アジトと呼ばれている中華の店でビールを飲みながら近況報告とか世界情勢とか色々と語る。
僕が行くということで会いたいという人が何人かいたが、みんな都合が合わなくて結局は西やんと2人で、後から西やんの上司なのか友達なのかごっちゃんも参加する。
みんなでワイワイやるのも良いが、心の芯が同じ方向を向いている人とじっくり話すというのも良い。
人に会うというのが今回の旅の大きな目的だが、じっくりと人と話をする事の大切さを感じる事は多々あった。
西やんの話を聞くと、コロナ禍の間に飲食店は時間短縮だの営業縮小だのを半ば強制された。
このアジトと呼ばれる店では、窓をテープで貼り明かりが外に漏れないようにして、中で酒を飲んでいたという。
なんか反政府勢力の集まりみたいで、やっている事は楽しく明るく酒を飲むという愉快痛快な話だ。
時代が変われば命をかけて陰々滅々になるだろうが、時代と環境が違うので社会構造は同じでも暗さが違う。
そんな話を聞きながらやっぱりこの人は同志なんだなと思った。
住む所ややっている事は違えど、芯で繋がる関係は固い絆のようなものを感じる。
互いに相手の事を尊重尊敬しつつ、自分の道を突き進む姿が今の人間に必要なことなのではないか。
向こうも僕から何かしらのエネルギーを受け、僕も西やんとごっちゃんから刺激を受けた。
そこには奪い合いでないエネルギーの交流、突き詰めてしまえば愛が根底にある人間関係が存在する。
結局のところ、答えはそこにあり逆に言えば答えはそこにしかない。
実にシンプルだ。
新宿アジトにて今回の旅の最後の夜を堪能した。