あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

同じ匂いの男

2024-12-22 | ガイドの現場


人との出会いは全てご縁とタイミングであり、会うべく時には出会い、会わない時には絶対に会えないようにできている。
旧知の兄弟分のガイドの山小屋というヤツからの話で「オレ達と同じ匂いのする人がいて…」というところから始まりトントン拍子で話がまとまり、撮影ツアーをしたのが今年の1月。
オレ達と同じ匂いのする人とは風景写真家のトシキ、本名は中西敏貴、その業界ではすごい人のようである。
最近写真を始めた不肖の弟子トモヤも名前を知っていたし、カズヤの嫁さんで雪山で写真を撮っているミホも知っていた。
どれぐらいすごいかは僕もよく分かってないが、ググればすぐに色々出てくるので各自で調べるように。
何から何まで人に教えてもらおうとせずにそれぐらいやろうね。
山小屋の紹介から実際に出会うまでトシキとは電話で話しただけだったが、なにかこうしっくりくるような感覚を電話を通じて感じていた。
空港では出会ってすぐに打ち解けて、旧知の友のように僕らは仲良くなった。
1月のツアーはクィーンズタウンをベースにして、天気を見ながら昨日はルートバーン今日はマウントクック明日は西海岸という具合に毎日がアドリブ、僕が最も得意とするような旅だった。
その時に西海岸へ行って森の撮影をして感動し、もっともっとディープなスポットを撮りたいという具合で今回のツアーが決まった。
考えてみれば1年のうちに2回もニュージーランドに来るなんてすごいことだなぁと思うが、まあそういったのもご縁なのだろう。



今回のツアーはクィーンズタウンから始まり西海岸をメインに周りクライストチャーチで終わるという行程だ。
前回のツアーの時に色々と話をして、僕が勧めたのは12月前半。
どこもかしこも忙しく駐車スペースを探すのに一苦労する気違い沙汰のクリスマス休暇になる前のこの時期は、わりと落ち着いている。
一応ツアーのスタートとフィニッシュに宿、それから半日だけヘリ氷河ハイキングは押さえてあるがそれ以外は食事も含め全てその場で決めるというスペシャルツアー。
そういうのが嫌という人は来ないし、どちらかというとそういうのが好きという人達が集まるのでこちらも楽である。
前回とメンバーがほぼ同じなので、僕がどういうような人間かみんな分かってくれているという点でも楽だ。
12月の頭に空港でトシキと出会い、同じ匂いのするおっさん同士でハグをした。
こうやって書くと加齢臭プンプンですげえ臭そうだが、当のトシキは全然おっさんっぽくなく、シュッとして格好良くてダンディーである。
泥臭いブルースばかり聴いている僕とはえらい違いだ。
初日はみんな長旅で疲れているので軽く観光ドライブで近郊のモークレイクへ。
ここは一言で言えば「何もないけど良いところ」で山に囲まれた湖があり施設はトイレだけだ。
だが氷河で削られた谷間を抜けて、羊や牛が間近にいるドライブはニュージーランド初日にうってつけだ。
トシキもお客さんも大喜びで写真を撮る。
ただ普通の撮影と違う所は僕が「ええ?そんな所を撮るの?」と思う所で撮るのだ。
そしてできあがった画像を見せてもらうと、自分が見ている景色とは全く違う世界がある。
この不思議な感覚はツアー最終日まで、そのまま続いた。
空港で皆を出迎える朝に少し時間があったので、昔からの友達でバンド仲間のマサとお茶をした。
「午後に少し時間があるのでどこに行こうかなあ」などと話していてモークレイクの話が出て、「あそこなんかお客さんが喜ぶんじゃないの?」という話になった。
自分でも何回も行ってるが、今回はその存在をすっかり忘れていたのだがマサの言葉で思い出した。
朝のうちに降っていた雨も止み、初日の軽い足慣らしとしては最高である。
その日の朝には忘れていた場所を友の言葉で思い出し、皆がハッピーになるとは面白いもので、こういうのもご縁とタイミングなのだろう。



ルートバーンの森では普通の1日ハイキングの行程をあきらめて、好きなだけ時間を取り好きなだけ写真を撮るというぐあいだ。
前回はルートバーンの1日ハイキングをして、物足りずにもう一度ルートバーンお代わりをしたぐらいである。
持論だが、山の楽しみ方は百人いれば百通りある。
命をかけて山を登る者もいれば、その山を見ながらビールを飲む者もいる。
ルートバーンのような山道をマラソンのように駆け抜ける者もいるし、2泊3日の行程をあえて5日かける人もいる。僕がそうだった。
鳥が好きな人は鳥が出てくると動かなくなってしまうし、花が好きな人は花を愛でる。
以前見ていいなぁと思ったのは森の中で絵を描いている人だった。
こうでなければいけないというものはなく、他人のやり方に茶々をいれず、自分のやり方を見つければ良い。
そのあたりは人生に通ずるところがあるような気がする。



ワナカ湖畔からのマウントアスパイヤリング、スキー場から湖を見下ろす展望、ハースト峠近辺での滝、それぞれの所で写真を撮りながら西海岸へ。
今回はフォックスグレーシアーという小さな村に4連泊である。
フォックスに4連泊?なんて普通のツアーではありえないが、そこはそれ普通のツアーではないのでこれでいいのだ。
フォックス氷河のヘリハイク、雪山を映し出す湖、荒波しぶく海岸線、幻想的な土蛍、手付かずの原生林。
写真の題材には事欠かない。
ホテルから歩いて5分ぐらいに原生林の中を歩くコースがあり、そこは森も綺麗なのだが土ホタルが間近に見える。
トシキは朝の4時ぐらいから、それこそ朝飯前に三脚を担いで森に行き写真を撮り、夜は暗くなる10時ぐらいからまた森に写真を撮りに行く、という毎日だった。
嬉しそうにトシキが写真を撮っている姿を見ると、この人は心底から写真を撮るのが好きなんだなぁと思う。
だからプロになっているんだろうけど、やはり好きとか楽しいというのは人間の行動の最大の原動力なのである。
西海岸はニュージーランドで一番雨が多い場所で滞在中も1日雨に降られたのだが、その雨の中でニコニコしながらうっそうとした森の写真を撮っている姿は正直かっこ良かったのだ。



僕とトシキはまるで旧知の間柄のように話をするし、ディープな話もポンポンと出る。
共通の友である山小屋の話もすると、北海道のお客さんがのってきて山小屋に会ってみたいなどと言う。
「あー、ガイドの山小屋に行って奴に会ってあげてくださいな、喜ぶと思うよ。『おー、聖に会ったか、ちゃんと仕事してたか?そうかそうか、それは良かった』なんてエラそうに言うだろうからさ」
「北海道へ来たら遊びにきてくださいよ、山小屋さんと一緒に飲みましょう」
「あーそれも面白そうだね。いつか絶対、爺いになるまでにやろう」
トシキは昔はスキーの選手だったという事でスキー業界の話でも盛り上がる。
ただし写真の話になると僕はチンプンカンプンで話には加われないので横で「へえ」とか「ふーん」とか聞いてるだけだ。
「たぶんこれって、スキーをやったことがない人の前で、山回りがどーのこーのとかターンの切り替えがどーのこーのって話をしてるようなものだよね」
「そうそう、もっと例えると雪温でワックスがあーだこーだ言ってるような話ですよ」
そんな話をしながら笑い合うのである。



南島の西海岸一帯はテワヒポウナムという世界遺産の一部である。
意味はポウナム(ひすい)の取れる場所。
鉄を持たないマオリにとって、硬いポウナムは刃物にもなるし道具や装飾品や武器にもなる。
その特別な石が出る特別な場所なのだ。
当然ツアー中はそういう話にもなるし、何回もNZに来ているお客さんのK氏は自分も欲しいなと言う。
トシキも自分も一つ欲しいなとつぶやいたので、これはと僕は思いついた。
もう何年前か忘れてしまったが、山小屋が僕にひすいの首飾りを託したのだった。
自分は常に首からぶらさげているので、山小屋のポウナムを仕事用のバッグに縛りつけていた。
それをトシキにプレゼントした。
山小屋がどういう心境で僕に託したかわからないポウナムだが、何年もぼくの仕事に常についてきて、そしてトシキへと渡った。
石との出会いもご縁とタイミングである。
その後、フォックスを出てホキティカまで来て、念願の買い物タイム。
ホキティカはポウナムのお店がたくさんあり、実際にそこで研磨加工して売っている。
お客さんにもそこで買うといいよ、とは伝えてあった。
お昼の後の自由時間では各自にお店を覗き気に入った石を買うのだが、お客さんのK氏の物欲に火がついたのか、幾つもあちこちの店でポウナムを買っていた。
K氏のポウナム欲はとどまることを知らず、最終日にクライストチャーチで空港へ行く直前にも石屋さんへ行きポウナムを購入した。
石との出会いも一期一会なので、これでいいのだ。



ツアー最後の晩は西海岸の街グレイマウス。
ここにはモンティースという老舗のビール工場があり、晩飯はそこでビールを飲みながらである。
ツアー途中からお客さんとかトシキがプロレタリア万歳を聴き始めたようで、割とその話題で盛り上がった。
トシキが何か良い事とかかっこいいセリフを言うと、「あ、プロレタリアで収録すればよかった」という具合だ。
ちなみに聞いてもらった感想は「思ったよりマイルド」なんだそうな。
みんなもっともっと過激なのを期待しているのだろうか。
まあプロレタリアという言葉自体がブルジョアジーに対しての言葉だから、一般庶民の立場からズケズケと「支配者どもFUCK!」ぐらいのものを期待するのだろう。
でもまあそこはそれ対立を煽っているのではないので、あんなぐあいなのである。
運転中に助手席のトシキが動画のカメラを向けて何か一言というから「自由市場経済を基盤とする資本主義社会では全てのものが商品と・・・・」とやり始めたら困ってたな。
最終日の晩はモンティースのブリューワリーということもあり、ぼくもよく飲んでトシキと何か良い話をしたようだが、いつものごとく良い話は忘却の彼方へぶっ飛んでしまい、楽しかったという思い出だけが残るのであった。



楽しい時というのはあっという間に過ぎてしまう。
最終日はアーサーズパスを超え、キャッスルヒルで撮影をしてクライストチャーチへ。
飛行機は夜なので夕方までにクライストチャーチへ行けば良い算段だ。
アーサーズパスを越えたらそこはぼくのホームグラウンドみたいなものだが、今回はそのホームが大変なことになっていた。
ブロークンリバーのスキー場入り口くらいが山火事で1000ヘクタールぐらい焼けてしまった。
1000haって普通の人にはあまりピンと来ないだろう、ぼくも来ない。
ツアーが始まるぐらいから燃え始め、しばらくは道も通行止め、この道が通れなかったらどうしようか、などとトシキとツアー中も話していたのだ。
幸いに雨が降り鎮火して道が通れるようになったが、国道の両脇は一面の焼け野原、考えていた洞窟も森の小川も立ち入り禁止。
それでも今回の目玉のキャッスルヒルは被害を受けなかったようで無事到着。
トシキが嬉々として写真を撮り、その撮ってる姿をぼくが撮る。
当たり前だがカメラを構える姿がカッコイイ。
何万回なのか何十万回なのか、カメラを構えてきた男のオーラがにじみ出る。
雪の斜面に立っているだけで上手いスキーヤーは分かる、というのと同じことだ。
プロの背中ってそういうもんだろう。



クライストチャーチで服を着替え荷物をまとめて、K氏の物欲を満たすために石屋さんに行きポウナムをめでたく購入し、さあ空港へ向かおうという所で助手席のトシキが悲痛の叫び声をあげた。
なんだなんだどうしたんだ、と思ったら他のお客さんも同時に「え〜!?」という声をあげた。
どうやら日本行きの飛行機が10時間遅れになってしまったとのこと。
空港まで数分という場所にいたので、取り急ぎチェックインカウンターへ。
すったもんだの末、航空会社がホテルも手配してくれてオークランドまではチェックインができて、あとは翌朝オークランド空港での再チェックインということで話がまとまった。
このグループはニュージーランド到着時に通関で時間がかかり、国際線のターミナルから国内線のターミナルまでダッシュしたと言っていた。
だがクィーンズタウン到着後は全て順調で天気も味方になってくれて、念願の氷河ヘリハイクもピンポイントで飛べた。
持っている人は持っているんだな、と思いながらツアーを続けてきたが最後の最後にこれだ。
飛行機が大幅に遅れると、日本へ着いてから北海道へ帰る便も変わってしまう。
日本行きの飛行機はさらに遅れ13時間遅れ、トシキはその日に家に帰れず結局羽田にもう一泊することになったとメッセージがきた。
チェックインを済ませ、近くのレストランで通夜のような食事をして空港でみんなを見送った。
ツアーのメンバーとは硬い握手を、トシキとはおっさん同士のハグをして皆と別れた。



山小屋が言い始めた『同じ匂いのする男』との関係がこんな風になっていくとは思わなかったが、だから人生って面白いんだ。
それもこれも全てご縁なのである。
熱き友情などという言葉はそれこそ昭和のそれであろう。
平成になったらそんなものはダサいとされ、令和の今では死語だ。
自分だってその言葉を聞いて思い浮かぶイメージは、沈みゆく夕日の中で泣きながら抱き合う星飛雄馬と伴宙太だ。(分からない人は分からなくてよろしい)
だけど全ての物事が、電話や宿の予約や支払いさえもがスマートになるこの時代にこそ、この古くてダサくて泥臭い『熱き友情』という昭和の言葉をあえて使いたい。
ちなみに僕の外見は古くてダサくて泥臭い昭和の頑固オヤジであるが、トシキはダンディーで格好いいオヤジだ。
そんな外見が全然違う僕らを繋いでいるのは、心の奥底にある芯なのだ。
この芯のつながりがあるからこそ、違うことをやっていても互いに認め合う関係が成り立つ。
浮世の物事に心を乱す事なく、己の中心を見据え己ができる事をする。
言い方を変えれば、方向性とバランスと行動だ。
さらに熱きといれたのは、自分の心の奥にある脈々とした想いである。
何が正しくて何が間違っているか簡単には分からない情勢でそれでもなお、自分自身の芯を信じて生きて行く。
見た目はクールでも情熱を持ち写真を撮り続けるトシキの心の熱さを感じるし、自分も自分の芯を信じて生きて行く熱いオヤジだと思う。
それがあるからこそ熱き友情という絆で結ばれる。
山小屋がいう同じ匂いとはそういうことだ。

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2024年

2024-01-24 | ガイドの現場
ちょっと今更感はありますが、新年明けましておめでとうございます。
新年早々地震だの火事だの大変な幕開けとなりましたが、あおしろみどりくろ読者の皆様のさらなる御栄達を祈っております。
今年も途切れ途切れの更新となりますが、忘れた頃に更新されるこのブログ、これからもご贔屓にお願い申し上げます。



堅苦しい挨拶はこれぐらいにして、いつもの調子に戻ろう。
年末年始から今まで、大きなツアーが二つ続きブログのページを開く余裕がなかった。
大晦日から年始はツアーの真っ最中で、いろいろ大変なニュースをチラホラ聞きながら、お客さんと一緒に美味しいものを食べ美味しい酒を飲み美しい景色を眺め楽しい時を過ごした。
ご両親は自分と同世代、母上様は死んだ父と同世代、その孫たちは自分の娘と同世代というご家族との旅は楽しく、特に母上殿を案内するのは自分の死んだ母を案内する感覚でもあった。
久しぶりにクィーンズタウンの街でお客さんと飲み、昔住んでいたボロ家がおしゃれなバーになっている話をして、外からそのバーを眺めていたら中から「ああ、聖さん」と声がかかった。
友達の息子がその店でバーテンダーをやっており、彼が僕を見つけ声をかけてきた次第である。
その流れで一杯やっていこうという話になり、イケメンバーテンダーが作るカクテルで再び乾杯ということになった。
旅の醍醐味とはこういうハプニング性であり、こういう嬉しい人間同士の繋がりが起こる時は良い波に乗っている証拠だ。
そういう時はその場に居合わす人が全てハッピーになれる。
お客さん、ガイドである自分、イケメンバーテンダー、周りの人々、幸せの波動は伝播して幸せの空間を作り上げる。
でもまさか自分が若いころに住んでいた薄汚いアパートで30年後にこんなことになるなんて、当時の僕は夢にも思わなかった。
人生とはつくづく面白いのである。



二つ目のツアーは写真家とお客さんと一緒に、山を歩き風景写真を撮るツアー。
この話は北海道に住む兄弟のような男、山小屋絡みの話だ。
山小屋の話はこのブログでも度々出ているので省く。
山小屋が来た
他にもいくつかヤツの記事を書いているので、興味がある人は探してくれ。
去年も2ヶ月ほど南島を自転車で廻り、旅の前後には我が家に滞在し大いに飲み食いしたのだ。
そんな山小屋から連絡があったのが去年の半ばぐらいか。
知り合いの写真家がニュージーランドへお客さんと一緒に行き山歩きをしたい、ついては誰かいいガイドを探している。
そこでニュージーランドで山歩きのガイドならあいつしかいないだろうと白羽の矢が立ったのだ。
山小屋曰く、その写真家はオレ達と同じ匂いがする人だから心配するな。
ふむ、まあヤツがそう言うのだからそういうことだろう。
宿や車の手配は古巣タンケンツアーズにお願いをして、トントン拍子にツアーが決まった次第である。
普通のツアーは国内を移動しながら名所を見て回るのだが、今回はかなり変わったツアーでベースとなるクィーンズタウンに5連泊、そこから日帰りで毎日の行く先を決める。
その日の天気やお客さんの様子を見ながらプランを立てていく。
昨日はマウントクック今日はルートバーン、さて明日はどこへ行こうかね、といった具合である。
晴れた時にはどこに行っても綺麗なのだが、雨天の時にはここに行けば小雨になるのでこの辺りで雨雲をやり過ごす、といった具合でガイドの腕が試されるのだ。
さらに写真撮影のツアーなのでじっくりと時間をかける。
きれいな森なぞ普通に歩いて1時間のコースを2時間も3時間もかけるのだ。
これはこちらとしても嬉しい。
とあるツアーをやった時には、ここが今日のハイライトという場所で時間もたっぷりあるのに写真をパチパチと撮って「もう写真撮ったからいい、次へ行こう」などと言われたこともある。
今回のメインはルートバーンの森歩きだったのだが、あまりの森の綺麗さにもう一度行きたいとリクエストがかかり帰国直前の日に再び行ったぐらいだ。
ガイドの想いとお客さんのリクエストが合致するとこういうツアーができあがるのだな。



そうそう肝心な写真家の話だが、山小屋が言ったとおりの人柄だが、大きく違うのはオレ達のように泥臭くなくもっとオシャレでスマートでかっこいい。
オレ達がミシシッピの泥臭いブルースなら、向こうはニューヨークのジャズといったところか。
それでも根底で繋がるところがあるので、話がぴったりと合致する。
自然観、東洋と西洋の考え方、宗教哲学、社会観、人生観、死生観、根っこで繋がると枝葉の違いは気にならない。
むしろ活躍する場所、生活の場、自己を表現する方法、取り巻く環境、そういった表面的に現れる違いを自分と違う視点で見るようで楽しい。
森で撮った写真をみせてもらったが、普段自分が見慣れている景色がこんな絵になるのかと驚いた。
今更ながら彼のウェブサイトを覗いてみたが、いやはやすごい写真を撮る人なのだと気がついた。ほんとに今更だな。
興味ある方はぜひ覗いていただきたい。
中西敏貴



そんな具合に2024年は明けて、気がつけばもう1月も半ばを過ぎている。
久しぶりにクィーンズタウンやミルフォードサウンドやルートバーンの森に行って想ったことは、当たり前だがやはり美しい場所だなと。
人間は比較することで判断する生き物である。
どんなに美しい場所があろうと、ずーっとそこに居ればその美しい景色は当たり前となり感動は薄れる。
しばらく離れることにより、感覚が研ぎ澄まされ美しい景色を堪能することができる。
そこに美しい景色があることは知っている。
だが知識として知ることで人間は全て分かった気になってしまう。
そこを実際に訪れて自分の肉体をその風景の中に放り込むことによって、見て聞いて触れて感じる。
それが生きることでありライブなのだと、3年ぶりのルートバーンの森に教えてもらった。
こうやってお客さんに喜んでもらう仕事をしているが、最近はこれが天職なのだろうかという想いが増した。
今回あげたツアーの他でも、ニュージーランド旅行の目的が僕に会うために来てくれる人がいる。
そういう人がいる限りこの仕事を続けていきたいと思うのだ。
天職とは、もしその仕事をしなくても生活できるような状態になったとしても、その仕事をやり続けるかどうかだ。
写真家はきっと写真を撮り続けるだろうし、歌手は歌いつけるだろうし、僕はきっとガイドを続けると思う。
その根底にあるのは情熱、パッションだ。
その情熱がなくただ惰性でやっている人や金を稼ぐためにやっている人もいるだろうが、そんな付け焼き刃はすぐにメッキがはがれる。
自分の事を過大評価しないように戒めるのはある程度は必要だが、そろそろ僕も自分自身に対する自信がつき始めた。
それは出会うお客さん達の反応を見れば分かるし、リピーターとなって帰ってきてくれる人の顔でも見える。

傲慢にならぬような自信を持ち、卑屈にならぬような謙虚さを持つ。
そんなバランスを保ちながら、2024年を生きていこうと思うのである。


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ガイドって一体何だろう。

2023-04-12 | ガイドの現場


また一つ、風変わりな夏が終わろうとしている。
コロナ禍からというもの、社会は洗濯機で撹拌されたがごとく変化をし続けている。
社会が変化をしているのだから、自分の生活も変化する。
ブドウ畑の仕事を辞めたのは去年のクリスマスの事だ。
労働とは何か、仕事とは何か、お金とは何か、社会とは何か、人生とは何か。
そういった事柄について考えに考えた挙句にたどりついたものが、プロレタリアという概念だった。
働くということを金を稼ぐ手段として考えていた20代の頃には、こういう概念は生まれなかった。
労働というものを『自分の時間と労働力を売る』として考えると社会の見方も変わる。
その上で思ったのが、雇用主と労働者は上下関係ではなく、対等の立場であるべきだということである。
労働力や時間の売り手も買い手も、どちらかが上だと思っていたらうまくいかない。
雇用を商売の取引として考えると面白いかもしれない。
中身がないのに高い値段をつけたら誰もそれを買わない。
運良く買われたところで、その値段に見合う価値がないと判断されたら取引は中止される。
逆に買い手にとって安く有能な労働力があったとしたら、それを手放そうとはしないだろう。
それらを判断するのは、賃金、労働時間、労働環境、作業内容、そういった条件で契約が交わされる。
そしてそれらの条件に付随しつつ、なおかつ、いやひょっとすると一番大きな要素となりうるものが人間関係だ。
人間関係がうまくいっていない職場では、どんなに給料が良かろうが幸せにはなれない。
これは僕の意見であり、中には金さえ高けりゃいいという人もいる。
思うに多少賃金が安かろうがこの人の為ならやるぞ、という人間関係ができている所は強い。
僕が今まで働いていた職場でもそういう所は多々あった。
商売の取引でも似たようなことってあるだろう。
逆に感情は一切無視して、ただ金銭だけのつながりというものも多数ある。当然だ。



プロレタリアという言葉で自分を表して最初に考えたのは『自分の時間の買い手は自分が決める』というものだった。
それまでも、自分のボスは自分で決める、と漠然と思っていたがそれよりもはっきりとした形で表れた。
言語化というのはこういうものだろう。
その結果、それまで働いていたブドウ園をやめることとなった。
本音を一言で言うと「全然ロックじゃねえ!バカな金持ちの道楽にこれ以上付き合っていられるか!」以上。
今まで数々の職場、学生時代のアルバイトから数えれば50は超えるであろう、そういった現場で働いてきた僕が持っている信念がある。
無能な上司の下で働くことは、人生の無駄であり哀しいことだ。
今回は直属の上司ではないが、ブドウ園のオーナーがバカな金持ちで信用に足らない人間だったというわけだ。
ついでに言えばそのバカな金持ちが新しく雇い入れた社長も大バカ野郎だった。
毎日つきあってきた葡萄には未練があったが、そいつら揃いも揃って大馬鹿野郎共の経営陣には何の未練もなくあっさりと辞めた。
人の縁が切れる時とはこういうものだ。
もともと葡萄畑の仕事も人のご縁で始まったものだった。
その人とのご縁は切れることなく、今年のブドウの収穫も手伝ったし時々お酒を飲む仲である。
僕はそういうご縁を何よりも大切にする。
人は城 人は生け垣 人は堀
戦国武将 武田信玄の有名な言葉であるが、この言葉が雇用主の在り方だと思う。






そして再び旅行の業界に舞い戻り、仕事をしながら考えた。

ガイドって一体なんだろう?

はい、ここでタイトルに戻ってきました。
いやあ長かったね。
さらにここからが長いので好きな所で脱落してほしい。



ブルシットジョブの話でも書いたが、僕は労働には3種類あると考える。
まずは生産や採取という分かりやすい労働。
次にケア労働という、人のお世話や社会を維持する労働。
そしてブルシットジョブ。
ガイドとはこの中ではケア労働に属する。
ケア労働というのは幅が広いが、一番わかりやすいのが直接人の面倒を見る仕事。
看護師、介護士、医者、母親、主婦、教師、保育士、栄養士、料理人、娼婦などなど。
それから社会を維持する全ての職業。
建築、消防、警察、運輸、水道やガスなどのインフラ、清掃、商い、修理、販売、ちょっと変わったところでは軍人もここに入ると思う。
あとは人を喜ばせる仕事。
ミュージシャン、アーティスト、プロスポーツ選手、芸人、エンタメ。
大きく3つに分類したが、この中でも複数にまたがっている仕事もある。
そこで改めてガイドという仕事を考えてみると、先ずは案内人、直接的に人のお世話をする仕事である。
不慣れな土地に着いた時に、その土地に精通した現地人を雇うという形態は古今東西、大航海時代以前から人類がやってきたことだ。
武力で脅して無理やり従事させたか、正当な賃金を払って雇うのかは別問題だ。
そこにあるのは言語も含めて現地の人が持っている情報である。
情報というものは商品にもなる。
どこでどういう釣り方をすれば魚が釣れるという情報を持っているからこそ、フィッシングガイドという職業が成り立ち、安くないお金をお客さんは支払う。
今の世の中は情報はネット上でいくらでも出てくるので、情報はタダという考えを持つ人は多い。
そういう無料の情報と、僕らガイドが喋る情報は何が違うのか。
それは自らの体験に基づく言葉の重みであろう。
そしてそれは個々の経験、人生観、思想、生き様、によって構成される。
死というものに直面したことのない人が言う「命だいじに」と、実際に死体を運んだことがある人が言う「命だいじに」は重みが違う。
そして情報というものは常に変化をする。
基本的には、現地の人の生の情報、ということだろう。
うどん県でタクシーの運ちゃんに地元の人御用達のうどん屋に連れて行ってもらう。
「以前はあの店は美味かったんだけど、今はここが旨いよ」
そんな地元の声を聞けるのも旅の醍醐味だろう。



ガイドの素質として欠かせないのがエンタメ性である。
あるスイス人のスキーインストラクターの言葉。
「日本のスキーインストラクターはジョークの一つも言えない」
これを全ての人に当てはめるわけではないが、言い得て妙だと思う。
海外で言うスキーインストラクターはスキー技術を教えるだけでなくガイドの役割も果たし、夜はお客さんと一緒に食事もするし酒も飲む。
だからお客さんは推しのインストラクターを指名して、滞在中は一緒に時間を過ごす。
そこにはスキー技術だけでなく、知識教養や哲学、人間性、エンタメ性、そういった事が含まれていて、お客さんはそこに価値を見出しお金を払う。
日本ではスキーインストラクターとはスキー教師である。
ガイドとお客さんというより、教師と生徒という上下関係でスキー技術を教えることだけが仕事と考える。
今のスキー業界のことはよく知らないが、自分が日本のスキー業界にいた頃はそんな具合だった。



喜ばせるのはお客さんだけではない、自らを楽しめさせる事も大切だ。
自分が楽しめなければお客さんを楽しませる事はできない。
これが長年ガイドを務めてきた僕のガイド哲学だ。
「もうこのコースは飽きました」とほざいたガイドが昔いた。
こんなヤツにガイドされるお客さんは可哀想だな。
お客さんにその言葉を聞かれなくても、想いは態度に現れる。
山歩きのガイドは毎日同じコースを歩くこともある。
でも昨日と今日と明日は違うものだ。
昨日つぼみだった花が今日咲いた、昨日の風でこの木が倒れた、昨日見れなかった鳥が今日は出てきた。
自然とは常に変化をするものである。
その変化を感じ取り、そこに身を置く事に喜びを感じ、感動をお客さんと共有するのがガイドの姿であろう。
基本的にその国が好き、その土地が好き、その状況が好き、生きている今が好き、という思考で案内するのが本質だと思う。
自分はこんなに苦労した、この国で住んでいるとこんなに大変な事がある、という苦労話を売りにするようなガイドにはなりたくないものだ。



ミルフォードサウンドというフィヨルドがあり、ニュージーランドの中ではマウントクックと並ぶ二大観光スポットだ。
大手旅行会社が企画するツアーには必ずと言っていいほどここが含まれる。
神秘的な原生林、氷河を載せた山、垂直に切り立った断崖絶壁にある手彫りのトンネル、神秘的なフィヨルドの先に広がるタスマン海。
本当に素晴らしい場所なのだが、いかにせん遠い。
ミルフォードサウンドまでのツアーは、99%クィーンズタウンからの日帰りで、片道300キロぐらいある。
行きはそれなりに良いのだが、帰りは来るときに見た景色が広がり、特に最後の2時間は単調ではっきり言ってつまらない。
ほとんどのお客さんは眠るが、僕の場合は自分の人生の些細な出来事や経験などを落語調で話す。
これも10年以上前の話だが、僕がドライバーで別の日本人がガイドという仕事があった。
こういう仕事はガイドになる人はやりにくいだろうと思い同情する。
ガイド会社によっては地元のお土産さんと提携を結び、そのお土産の話を帰りのバスの中でする事が義務付けられているツアーもある。
クィーンズタウンまでたどり着く最後の2時間、延々とお土産の話をされるのだからお客さんとしてはたまったものではない。
時にはその事でクレームが出ることもある。
その仕事では関西出身のベテランガイドと一緒になった。
その人がやはり最後の2時間にお土産の話をしたのだが、これがすごかった。
お店の商品を景品にしてクイズ方式でお土産の話をするのだが、これが面白いのなんの。
関西特有のお笑いのノリで、商品をネタにお客さんの回答もアドリブでギャグにしていく。
バスの車内はどっかんどっかんの大爆笑で、横で聞いている僕もゲラゲラ笑いながら運転をした。
関西の血があるとはいえ、お土産の商品を元にこれだけの話を作り上げるのはたいした才能である。
普段は長い道のりだが、あっという間にクィーンズタウンに着いた。
当然ながらそのツアーではクレームなんぞ出るわけがなく、お客さんは満足気にバスを降りて行った。
たぶんお土産も買ったことだろう。
その人はもうガイドも辞めてしまったが、ガイドの芸風というものを勉強させてもらった。
とは言えガイドは芸人ではない。
芸人ではないのだが芸人のエッセンスを取り入れるのはありだと思う。
僕の場合は落語、それも江戸落語をベースにしたような話をする。
関西弁の人は、お笑いのノリとかも当然ある。
それがガイドの個性というものに繋がっていく。



最後に特殊な例だが、スピリチュアルの世界でもガイドという言葉を使う。
『導き』というものだろうか。
こういう例えを出すと、導く人が偉くて導かれる人が下というように、上下もしくは優劣の二極で考えがちだけどそうではない。
これもご縁のようなものと考えるとわかりやすいだろう。
前出したミルフォードサウンドのツアーをした時の話である。
ミルフォードの1日ツアーはオプションで、クィーンズタウンまで飛行機で遊覧飛行で帰れる。
この遊覧飛行はマウントクックのそれと並んで、ニュージーランドでトップ2の景色の良い遊覧飛行だ。
ミルフォードサウンドまで行きは地上からの景色を眺め、帰りは空から地形を見るというのがベストである。
景色もさることながらクィーンズタウンまで45分ぐらいで着くので時間の短縮にもなる。
ただし値段も高い、そして天気が悪かったり風が強ければ飛ばない。
その時のツアーは、お客さん15人ぐらいで添乗員1人というグループだったが、そこに1人参加の30代の男性Sさんがいた。
天気は最高でみんながクィーンズタウンまで飛行機で帰ることになったが、Sさん1人が飛ばないでバスで帰ることを選んだ。
クィーンズタウンまでの帰り道の4時間、僕は彼の相談を受け悩みを聞いてあげ、自分なりの人生哲学などを延々と話した。
Sさんは深く感銘を受けたし、僕もSさんとの時間が楽しかったので、クィーンズタウンに着いてから一緒に食事をして酒を飲みまた話した。
別れ際に彼が言った言葉が忘れられない。
「僕のこのニュージーランド旅行の目的は聖さんに会うためだったんだと今となっては思います」
ガイド冥利に尽きるとはこういうことだ。
実際にクィーンズタウンに着いた時の彼の顔はすっきりとして、何か憑き物が落ちたような、そんなさっぱりした感じだった。
彼の人生の中で何かしら想う時だったのかもしれない、そんな時に何気ない僕の言葉が響いたのだろうか。
SさんとはそれからもSNSを通じて繋がっている。
また別のお客さんは、僕に会って一緒に飲む為にニュージーランドに毎年のように来てくれた。
お客さんではないが、栄光の北村家二軍のえーちゃんが言うには、何かしら人生の節目、転職を考えたり永住権が降りた時などにひょっこり僕が現れるそうだ。
またこのブログでも何回もでている、弟子のオトシとの出会いも運命的だった。
その後の彼の人生を変えたのにも、僕との出会いが少なからず影響している。
こういったことを『導き』などと言ったら、すぐに「お前、何様だよ!偉そうにしてんじゃねえぞ」みたいに炎上するかもしれないな。
なのでこういったもの全て『ご縁』と言おう。
これなら誰にも文句を言われることもなかろう。
この世はご縁で成り立っていると言っても過言ではない。



そのご縁だが良いものばかりではない、というと語弊があるな。
良い悪いで判断したくないからだが、時には会いたくない人や嫌いな人と会うこともある。
だがその時には嫌な思いをしたとしても、後から見るとその時に会って良かったと思うこともある。ないこともある。
それが気づきのタイミングというものかもしれない。
金に意地汚い人との出会いが昔あったが、こういう人にはなりたくないな、と反面教師になった。
良い出会いだと思うご縁も、嫌な出会いのご縁も、そういうものだと考えると気が楽になる。
昔のお客さんでとんでもなくイヤなクソババアがいたが、その人との何かしらのご縁があったことは認めるがその人自身は大嫌いだった。
もう今は生きていないだろうが、そんなクソババアでも死ねば仏様だ。
あの時のご縁とは一体なんだったんだろうなぁ。



自分で気づかないうちに、出会った人の人生を変えるかもしれない。
それがガイドというものなのだろうか。
お客さんの機嫌を取るような卑屈にならず、自分はすごいんだというような傲慢にもならず、謙虚と自信の中間でバランスを取る。
物事の本質を掴み、森羅万象全ての物に感謝の意を持ちながら、自分がやるべき事を淡々とやる。
現状に満足して足を止める事なく、ゆっくりでも一歩一歩坂を登っていき、登ってきた道筋が人の大きさとなる。
厳しさと優しさを持ち合わせた中に、人との付き合い方を見出し、ユーモアも忘れない。
最後に付け足すと、ガイドは仕事が終わった時にお客さんがありがとうと言ってくれる素晴らしい仕事である。
その点から見ても非常にやりがいのある仕事ではないか。

ガイドとは何か。
その答えを一生かけて見つける旅をするのもよかろう。

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南へ 漁師との出会い

2021-02-11 | ガイドの現場
病気や怪我というのは嫌なものである。
だからこそ健康であることのありがたみを知る。
でも健康である時はそれが当たり前なのでわざわざそこに焦点を当てない。
当たり前のことに人は感謝をしないのだ。
本当はそこが大切なんだけどね。
膝の腫れが引くまで数日寝込むとさすがに気が滅入る。
それでも医者に行き「たいしたことはないからまずは自転車に乗って動け」と言われ、自転車で犬の散歩をやると気が晴れた。
単純だな。
腫れはどんどん引いていき、ゆっくりだが歩けるようになり庭仕事もできるようになると、もっと気も晴れ世の中が明るくなった。
ますます単純だな。
1月はのんびりリハビリしながら畑仕事かな、などと思っていたら電話が鳴った。

「急な話で、来週なんだけど仕事できますか?ティマルから始まって5日間、クィーンズタウン行ってミルフォードとか市内観光とかやってテカポ行って戻って来るルート」
「え〜、車の運転は大丈夫だけど、歩きはまだ完璧じゃないよ」
「大丈夫大丈夫、歩く仕事じゃないから、観光ドライバーガイドだから。そういうわけでお願いしまーす」
そんな具合にバタバタと仕事が決まった。
このご時世にガイドの仕事があるのはありがたいことである。
山歩きの仕事はまだ無理だが、まあドライバーガイドなら大丈夫だろう。
それに久しぶりにクィーンズタウンへ行けば、全黒の蔵にも顔を出せるし、バンド仲間とセッションできるかもしれない。
お客さんは日本人4人で船乗り、というところまで分かっているが、そこから先が分からない。
貨物船の乗組員なのか、漁船の漁師なのか。
ニュージーランド初めてなのか、それともずーっとこっちにいる人なのか。
食べ物はどういうのが好みなのか、ひょっとすると日本食に飢えているのか、などなど。
宿はキッチン付きなので、何でもリクエストに応えられるよう、炊飯器やら米やら、そば、うどん、調味料、カレーのルーなど、そんなものまでも一応車に積み込みティマルに向かった。

いつもの事ながら、お客さんと出会うまでは、どんな人が来るのか分からない。
お客さんと出会い、色々な話をするうちに向うのバックグラウンドが分かってくるのだ。
それにはこちらの身の上も伝える。
かと言って自分の話ばかりするのもいけない。
その辺のさじ加減が難しい。
ありきたりのつまらない人生論など聞きたくない、それよりも血湧き肉躍るような話を聞きたい、というのが人情だ。
僕は今まで色々な経験をしてきたので、お客さんはわりと僕の身の上話も喜んで聞いてくれる。
若い時の経験は財産、というのはこういうことだ。
お客さんは50代から60代ぐらいのおじさん3人と、33歳の若者K。
若いのが助手席に座るので、自然とKから色々な話を聞く事になる。
彼らは北海道の道東、釧路の辺りの人で、数年前に乗っていた舟がニュージーランドの会社に買われた。
舟が買われるということは乗組員も一緒に買われる、ということだ。
それまでも漁でニュージーランドには良く来ていたので、この国のこともよく知っている。
日本人の乗組員が6人にインドネシア人の船員が30人ほど。
今はティマルの港がベースとなり、そこから漁に出てホキなどの深海魚を取っている。
一回の船出でだいたい3週間から1ヶ月ぐらい、港に帰ってきて1週間ぐらいの休みがある。
だが彼らには家がない。
漁が休みの間も舟に住む。
街には自由に行けるのだが、基本寝泊りは舟の上で、同じ船員と顔を付き合わせる生活を続ける。
1年に一回、舟の修理で40日ぐらい漁に出ない時があり、その時に日本に帰るのだが、今は簡単には帰れない。
みんなのストレスも溜まるだろうからと、会社が今回のツアーを手配した。
僕が日本人船員の4名、もう一つは二十数名のインドネシア人のグループだ。

ティマルからオアマルを経てモエラキのビーチを散策している時に、日本の父親から電話が入った。
前回の北島ツアーの時もそうだったが、父は仕事の時を狙うように電話をかけてくる。
前回、北島ツアーでトンガリロで時間があったので、年賀状がわりに絵葉書を送ったのだ。
「おい、お前、字が上手くなったなあ。今までで一番上手だったぞ」
「そりゃ、ありがとう。今はツアーの最中でモエラキにいるぞ。丸い岩のある海岸。」
「おお、確かダニーデンの近くだったな」
「そうそう、よく覚えているな」
老人は遠い過去のことは覚えているが、その日のお昼ご飯を食べたかどうか思い出せないという。
ひとしきり親戚の誰それが死んだだのという話を聞いて、僕はいつもの言葉で電話を切った。
「じゃあ死ぬまで、元気でな。好きな物を食いまくってポックリ死んでくれ」
僕も本当は去年の5月に日本に帰る予定だったがそれもできず、今のままなら親の死に目にも会えない。
まあそれも仕方なかろう。

パーマストンから内陸に入り、クロムウェルの馴染みのフルーツショップへ立ち寄る。
今の時期はサクランボ、あんず、モモ、ネクタリンなどが旬である。
いつもならツアー客で混雑する店内も人はまばらだ。
多分今シーズン最初で最後のツアーだろうと、顔なじみのオバちゃんに挨拶をした。
明るい話題はなく、オバちゃんの愚痴を聞くだけ聞いて、店を出た。ふう。
クィーンズタウンではレイクビューのホリデーハウスに3連泊。
聞くとクィーンズタウンには以前1回来たことがあると。
「あの時は時化でブラフから動けなくなっちゃって、しょうがないからブラフからタクシーでクィーンズタウンまで来たんだよ。」
「へえ、そりゃタクシーの運ちゃんも喜んだでしょう」
「まあね、運ちゃんの分も街のホテル取ってやったからね。でもクィーンズタウンへ来る道も大雪で運転も大変そうだったけどな」
ブラフは南島の最南端の街でクィーンズタウンまで普通に走っても2時間半ぐらいかかるだろう。
金払いのいい客はどこでも喜ばれる。
これは世の常である。

二日目はミルフォードサウンド1日観光。
ミルフォードサウンドはニュージーランド観光の目玉と言っていい場所だ。
シーズン中は何回も来る場所だが、今年はこれが最初で最後だろう。
普段は大型バスが何十台も止まる駐車場もガラガラ。
最近ではそれでも駐車場が足りなくてバスを停める際のゴタゴタがあったのだが、それが嘘のようだ。
そしてお昼時のクルーズは1日で一番込み合う時間帯で、普段なら何百人もの人が舟に乗り込むのだが、この日のお客さんは20人程度。
自然を味わうという観点から見れば、今は最高の状況である。
だがツーリズムビジネスという方向から見れば、これではやっていけない。
夏休みでクィーンズタウンはそこそこの賑わいを見せているが、わざわざミルフォードサウンドまで足を延ばす人はそれほど多くない、ということだろう。
この先、夏休みが終わったらもっと人の行き来が少なくなるはずだ。
人が少なくなれば収入も少なくなる。
施設や道や国立公園の管理には当然金もかかる。
バスや舟や飛行機などの機材は使ってナンボのもので、使わなくても物は古くなっていくので何らかの金はかかる。
バス置き場で長いこと使われないバス、空港近くで野ざらしになっているレンタカー、ミルフォードサウンドで繋がれたままになっている観光船。
漠然と感じていたツーリズムビジネスの衰退が、ガラガラの施設を目の当たりにすると心に重くのしかかってくるのだ。

人が少ないのでいつもの大型船は出さずに、小さめの舟で湾内を回る。
この辺りは南緯45度ぐらいで赤道と南極の中間。
船乗りの間では『吠える45度』という言葉があって、45度を超えてそれ以上南へ行くと、海が吠えるように波が荒くなる。
というような説明をいつもお客さんにする。
船乗りでもない僕が偉そうに船乗りの話をするのだ。
「え?そうなの。そんなの知らなかったよ」と本職の船乗りのお客さんが笑った。
「うちらが行くのはだいたい48度ぐらいだからなあ」
ううむ、きっと想像を絶する世界なんだろうなあ。
低気圧の真っ只中ということもありタスマン海に出るとうねりが高くなり、船長がアナウンスで注意を促した。
舟に乗っている人もバランスを保とうとしている横で若いKが言った。
「ベタ凪ッス。」
いやあ、海の上ではかないませんがな。

翌日は市内観光。
ゴンドラに乗ってリュージュ、バンジージャンプ、アロータウン、ジェットボートツアー、ワイナリーなどなど。
もちろん全黒の酒蔵見学もありだ。
そういう所での金の使い方がすごい。
ワイナリーでは一番高い180ドルのワインをポンと買う。
街中でノースフェイスの店に立ち寄れば、パッと見たジャケットのサイズだけ確認して、袖も通さずに買う。
店員も「ご試着ですか?え?お買い上げ?あ、ありがとうございます」と驚く。
まあ普通は驚くわな。
「ええ?それで着てみて気に入らなかったらどうするの?」という素朴な疑問には
「そん時は誰かにあげちゃう」と実に気前が良い。
レストランでも値段をさほど気にせず、食べたい物を食べ飲みたい酒を飲む。
「シェフのおすすめコース人数分、あと生ガキを20個ほどもらおうかな」
なんて注文をして、コースの中で気に入った物があれば追加注文。
もちろん全黒の酒蔵見学の時も純米大吟醸をお買い上げ。
毎度あり〜、チーン。
Kは毎晩カジノへ行き、1日数千ドル単位で勝ったり負けたりしている。
まあ、普段の生活では金を使うことがないのだからそうなるのか、それとも性格だからか。
そこで「会社からのお金がこれだけで・・・」なんて話をするとしみったれた気分になるのだ。
金銭感覚がここまで違う人と出会うことは稀なので、それはそれで楽しいものもあった。
いろいろ美味しい物もおごってもらったしね。
ケチくさくないっていいねえ。

クィーンズタウンからワナカを経てマウントクック。
シーズン真っ盛りで普段は賑わうホテルだが、今は閑散とした雰囲気が漂う。
眺めを売りにしているホテルだが、地元の人が簡単に泊まれる値段ではない。
ここでも超多忙な時を知っているだけに寂しさが募るばかりだ。
だがその反面、人が少ない分自然を堪能するには良い。
どこもそうだが、あまりに人が多いと大自然を味わうという雰囲気ではなくなる。
大自然の中にいながら『観光地』になってしまう。
今なら簡単に歩ける観光トラックも良いだろうな。
そして振り出しに戻ってしまうが、大自然の中の観光施設は人がいないとさびれた雰囲気になる。
不思議なものだ。

その晩はテカポ宿泊。
テカポでは定番の湖畔レストランで晩御飯。
若いKはここでもコップ酒をぐいぐいあおる。
普段、海にいる時には全く飲まない。
それでなのか、だからなのか、この旅行中は毎晩かなりの量を飲んでいた。
クィーンズタウンでは毎晩カジノに行っていたがテカポにはカジノが無い。
村にひとつだけあったスロットマシンのある酒場も火事で焼けてしまい、ギャンブルは何もない。
健全な村だ。
若いKはかなり酔っ払っていて、ぼくもかなり酔っ払っていたので、付き合って遅くまで話をした。
友達のシノちゃんも働いていて、仕事が終わった後に話につきあってくれた。
酔っていたので何を話したかあまり覚えてないが、若者の悩み、葛藤、愚痴につきあった。
同じ人と毎日共同生活をして、1年以上も日本に帰らず、ストレスも溜まっていることだろうし別のものも溜まっているだろう。
たまには違う人と話をして、風を通すのもいい。

最終日はテカポからティマルへ帰るだけだ。
まっすぐ走れば1時間半の距離である。
途中の街で寄り道をし、ビール醸造所でお昼を食べて、早い時間にティマルへ戻った。
本来ならそこでお別れだが舟を見せてくれるというので、Kの案内で見学させてもらった。
船首にはレーダーやら計器類が並ぶブリッジ。
片隅には立派な神棚があり、いつも御神酒をお供えするそうだ。
全黒の大吟醸もお供えするのかなぁ。
食堂、調理場、洗濯場、風呂、トイレ、という居住区は限りあるスペースを使った機能的な造りだ。
だが40人もの男が生活をする場として考えると、正直狭い。
若いKの部屋を見せてもらったが、狭くて乱雑な船室の壁には女のヌードのカレンダーがかかっていた。
船乗りのイメージそのままで、思わず笑ってしまった。
Kの仕事場である機関部、取れた魚を捌いて凍らせる作業場、そして凍らせた魚を入れる船倉。
これらの設備はさながら工場である。
小さめの工場がそのまま船の中にある、という感想だ。
狭い通路で機関長と呼ばれていたお客さんとすれ違う。
彼はすでに仕事用の作業服に着替えて仕事に向かうところだった。
生活の場は仕事の場でもある。
ブリッジに戻りコーヒーをいれてもらった。
不思議なことに、船に戻ってくるとおじさん達やKの顔つきが海の男の顔になった。
いい顔だ。
「これからはホキのフライを食べる度に皆さんの事を思い出します。どうぞこれからもご安全に魚を獲ってください。僕がそれを美味しくいただきます。」
みんなと固い握手を交わし船を降りた。

クライストチャーチまで2時間のドライブの間、思いを馳せる。
一つの仕事をやり終えた充実感、自分の家に帰って家族に会える安堵感。
久しぶりに見たリゾート地での先が見えないツーリズムの暗さ。
たまに再開してセッションをした仲間の笑顔。
雑多な感情が渦を巻く中でのドライブは悪くない。
そして想いは再び、海の世界へ飛ぶ。
別れ際にわずかだが彼らの世界を覗かせてもらった。
すごい世界だった。
逃げ場のない海の上の狭い空間に何十人もの男が生活する。
時にはいざこざもあるだろう。
ケンカの末に海に投げ込まれてしまえば、はいそれまでよ、おさらばえ〜。
警察だってどうこうできるわけでなし、事故として処理されてしまう。
この船ではそういうことはないが、他所の船ではたまにあると言う。
そりゃストレスだって半端なものではないだろう。
ああいう人達が獲った魚を食べているのだ。
仕事とは言え、過酷な環境で生きている人が高給を取るのは当たり前だ。
これからは「魚が高い」とぼやくのをやめよう。
高くて当たり前だ。
自分に欠けていたのは感謝の心だ。
頭で考える感謝と心で感じる感謝は違うものだ。
それに気がついた事が今回の収穫だ。

住む世界が違う、という言葉があるがまさにそれだった。
人生観、価値観、生活の場、金銭感覚、全てが違う。
彼らと繋がっている物があるとすれば、心の奥底にある「自然の中では人間は無力だ」という虚無感のようなものだろうか。
そこにあるのは死生観であり、故に刹那的になるのではなかろうか。
人間の営みさえも自然の一部として考えるのならば、今の狂った世の中も自然界の出来事の一つだ。
自然の中では、じたばたしてもどうしようもない、というような開き直りの極意。
そして船に戻った時、海の男の顔になった時、自分に出来る事やるべき事をたんたんとやる態度。
僕は僕なりに想うことがあった。
コロナの渦はさまざまなところで影響を与え、その波紋は今も広がっている。
今まで知らなかっただけで、今回のように見ず知らずの人も影響を受けている。
自分だってガイドの仕事がこの先いつあるのか分からない。
そうならないことを祈るが、ひょっとするとこれが最後かもしれない。
でも何かしら自分にできること、自分がやるべきことをやっていこう。
彼らとは二度と会わないかもしれないが、彼らとの出会いは深く胸に刻まれた。
一期一会。
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北島ツアー

2021-02-02 | ガイドの現場


気がつけば2月に入ってしまった。
ブログを書くタイミングというものがあり、良い内容の話があるがタイミングが合わなくてお蔵入りしたものも多数ある。
書くのが遅いというのもあるが、物事が風化する前にちゃんと残しておくことも大切かな、などと思うのだ。
混乱、困惑、混沌の2020年の締めくくりは北島ツアーだった。
12月の後半に13日間という長いツアーで、お客さんは海外からの留学生。
ニュージーランドに留学をしているが、夏休みだが家に帰れずにいる子ども達で、出身は日本、台湾、韓国、中国、香港、トンガ。
ちなみに全員男子高校生で、ある意味あいにおいて楽である。
僕はサブのドライバーガイド、メインのガイドは学生の旅行に長けたベテランガイドのダーモットが付いた。
そして学校からは引率の教師が一人。
おじさんガイド、男子高校生14人というなんとなくむさ苦しい御一行様だ。



初日の朝、クライストチャーチを出発し北上、カイコウラで昼食後、ピクトンへ。
ピクトンで早めの夕食後フェリーに乗りこんだ。
旅というのは非日常である。
車に乗ったまま船に乗り込むというのでワクワク感が高まる。
このフェリーが遅れた。
予定では夜の10時半にウェリントンに着くはずが、2時間遅れの12時半。
それからホテルチェックインやらなんだかんだで眠りに付いたのは2時近くだった。



翌日、旅の興奮からか早めに起きてしまったので街を散歩した。
首都ウェリントンはあまり良く知らない。
いやウェリントンどころか北島を良く知らない。
ニュージーランドに来て数十年になるが、南島からほとんど出ることなく過ごしてきた。
ウェリントンには10年ぐらい前に友達の結婚式で来たぐらいだ。
♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい そんな歌を思い出しながら、ウェリントンの街を歩く。
娘の深雪は今は大学1年生でウェリントンのビクトリア大学へ通う。
子どもが親から離れ自分の人生を進んでいく真っ只中である。
親離れする時というのは、親も子離れする時だ。
子どもから離れ、改めて自分の人生について考える時なのだ。
ここが娘の住む街かあ、などと妙に感慨深く街を眺めた。



その日は移動日、ウェリントンからヘイスティングスへ向かう。
地図でしか見たことのない地名の街を通過する。
穏やかな山並みがあり、牧場に牛や羊がいる光景は南島に似てはいるが、やはりどことなく違う。
メインのガイドのダーモットがいろいろと説明をしていくれるのが有難い。
夕方にはヘイスティングスに着き、そこではキャンプとバーベキューだ。
今回のツアーは朝飯と夕飯も僕らが作る。
当然食材の買い出しなどもあるので、かなり忙しい。
夕飯が終わり、ほっと一息ついたところで、昔の知人がヘイスティングスに住んでいたことを思い出した。
初めてワーホリでニュージーランドに来た時にクィーンズタウンのお土産物屋で一緒に働き、英語の下手糞な僕をなにかと面倒を見てくれた。
最後に会ったのは20年ぐらい前のことだろうか。
それからは音信も途絶えてしまった。
こちらから連絡を取れば思い出すだろうが、そうでなければ僕のことなど忘れているだろう。
それはこっちだってお互い様だ。
この先、ましてやヘイスティングスに来ることはもう無いだろう。
あの人にも今生で会うことはもう無いかもしれない。
会うも縁なら会わぬも縁の 宿命(さだめ)なり。
そうやって自分を慰めて生きていこう。



ネイピア、タウポを経てロトルアで2泊。
連泊の合間に市内観光が入る。
南島で長年ガイドをやっている者の視線で北島の観光地を眺めるのもなかなか良い。
連泊ともなればそれなりに時間に余裕ができる。
街を一人でブラブラと歩いていると、街角で歌っているマオリのカップルがいた。
曲の合間に彼らに尋ねた。
「俺の知り合いでロトルア出身のナイロとダニエルって兄弟がいるんだが、知っている?昔クィーンズタウンに何年か居て、彼らにマオリの歌を教わったんだ」
雲をつかむような話だが、ナイロは音楽の方ではそこそこ有名だと言っていたのを思い出した。
「ええ、よく知ってるわよ」
「ええ?本当?今もロトルアにいる?」
「しばらく前にタウランガに行っちゃったわ。」
「そうかあ、彼らは今も元気でやってるのかねえ?」
「うん、とっても元気よ」
「ありがとう」
マオリの歌の師匠にも会えずか。
でも元気でやっているなら、それでいいだろう。



ロトルアを出てしばらく走り、映画ロードオブザリングスで有名なホビット村へ立ち寄る。
あの映画が好きな人には聖地のような場所だ。
以前出会ったお客さんも「これから北島へ行ってホビット村に行くんですう。もう楽しみで楽しみで」と言う人も何人かいた。
そこは現場のガイドがついて一緒に歩き色々と説明をしてくれる。
なるほど色々と興味深いが、同行した子供達のほとんどは映画を見たこともなければ興味も無い。
ガイドの話をつまらなそうに聞いていて、1時間で飽きてしまったようだ。
ぼくだって自分でドライブをしていたら高いお金を払ってまで来ないだろうが、仕事でこういう場所も来れるのは役得というものだ。
その後コロマンデル半島のフィティアンガへ行き、再びキャンプそしてバーベキュー。
そして大都会オークランドへ。



オークランドに着いたのは12月23日の午後だった。
オークランドでは街の中心のユースホステルに2泊、買い物には便利だが交通事情は悪い、普段なら。
世間はクリスマス休暇に入っていて、街の中心部はガラガラだ。
オークランドでは市内観光と自由行動。
僕もブラブラと街を歩く時間ができた。
僕が初めてニュージーランドに来たのは1987年の5月。
高校を出たばかりで日本から飛び出し、この街で3ヶ月英語学校に通った。
ショートランドストリートというドラマのタイトルの道にその英語学校はあった。
その場所に行ってみたが今では建物も変わって当時の面影は全く残っていない。
若い時に通った坂をぼんやり見つめ、当時の事を色々と思い出した。
初めて親元から離れ、初めての海外、初めてのホームステイ、初めてできた外国人の友達。
思い出はセピア色で、甘くもあり苦くもあり塩辛くもあった。
ただ間違いなく自分の青春の1ページがあった。
その時にホームステイをした家の親父さんが亡くなった話を聞いたのが20年ぐらい前か。
その後は連絡も取れなくなり、奥さんも今では生きていないだろう。
恩を返せなかったな。
学校の先生だった人は今でもオークランドに住んでいるが、今回はなんとなく連絡をしなかった。
仕事で来ているので時間がない、と言い切ってしまえばその通りなのだが、今回はそのタイミングではなかった。
人との縁が、なんとなく疎遠になる時はある。
それはそれで仕方のないものだろう。
誰もがそれぞれの生活があり、人間というものは常に動いているものなのだ。
30年前の自分と10年前の自分と今の自分は違うし、互いの環境だって違う。
それでも、いや、だからこそ、生で会うことができるというのは、何かしら運命のようなものを感じるのだ。



オークランドの初日は外食で、宿のすぐ近くの中華にいくことになった。
このツアー初の外食だ。
相方のダーモットに子供達の面倒を頼んで、その晩はユカちゃん夫妻と会った。
ユカちゃんは昔一緒に仕事をして、それ以来付き合いが続いている。
二人は最近オークランド郊外でカフェを初めて、自分達でも驚く具合に全てがトントン拍子に進んだ。
地元の評判も良く、コロナで大変なご時勢でも順調にやっていると言う。
彼女が昔働いていたという日本食の店に連れて行ってもらい、お酒を飲みながら話をした。
たしかに彼らは良い『氣』を持っていた。
なるほどな、こんな気を持っているのなら、その話はうなづける。
周り、これは人間社会も霊的な世界も含め、それがその人達に、これをやりなさいと道を指し示すことがある。
そういう時は全てが上手くいく。
そしてそれをやっている時の人の顔は輝いている。
それが『氣』というものなのだと思う。
こういう人と会っていると氣をもらえるし、こちらからも送るので互いに高まる。
エネルギーを奪い合うのでなく、互いに分け与える。
そういう時の場は和やかで刺々しいところがない。
会えない人もいるならば 簡単に会える人もいる それもまたご縁。
オークランドの夜はそうやって更けていった。



クリスマスの日にオークランドから北島の真ん中辺りにあるナショナルパークへ移動。
クリスマス休暇の移動ラッシュとずれるので道は空いていて快適なドライブである。
ナショナルパークではユースホステルに3連泊。
クリスマスの日というわけで、僕がローストポークを作りクリスマスディナー。
そしてちょっとしたクリスマスパーティー。
ナショナルパークでは当初はトンガリロクロッシングという1日ハイキングを予定していたがキャンセル。
代わりに近くファカパパスキー場のゴンドラに乗ってそこからちょっとした散策。
この辺りの山は全て火山であり、場所によっては白い煙をあげている。
普段見ることのない火山帯の散策は非常に興味深いものがあった。
トンガリロ国立公園。日本から来る山歩きツアーで、北島ハイキングなら必ず寄る場所。
南島ならばアオラキマウントクックのような場所だ。
風光明媚で今回のツアーの目玉なのだが子供達はそんなの興味無く、できることなら宿で1日ゲームをしていたいという人もいた。
まあ本来クリスマスに本国に帰るはずがそれができなくて、周りが勧めるから仕方なくこのツアーに参加しているのだ。
かわいそうと言えばかわいそうだが、感動というものの強要はできない。
ニュージーランドの自然を見たくてツアーに参加する、そういう人と一緒に歩き感動を共有していた去年は幸せだったなあ、とそれができない今になってあらためて思うのだ。





そんな矢先にやってしまった。
坂道を歩いていた時に膝を変にひねってしまったのか、何かしら違和感があった。
最初は痛みも腫れもなかったので、普通に歩いていたらだんだん腫れてきて、膝が曲がらなくなった。
痛みはないのだが膝が曲がらないので、歩くのもびっこをひいて歩くので難儀だ。
ツアーはその後はウェリントンへ移動して一泊。
そしてクライストチャーチへ帰るだけという行程なので、なんとか無事こなした。
ツアーが終わったのが12月30日の深夜。
激動でカオスの2020年の暮れはそんな具合だった。
そのおかげで2021年は人生初の寝正月になった。
普段ならば、超忙しい時でとても怪我だ病気だなんて言ってられない時期である。
いままでとは違う世界に住んでいるのだな、とも思った。
その後、膝の怪我はたいしたことがないことが分かり、順調にリハビリを続けていた。
1月はのんびりリハビリしながら庭仕事かなあ、などと思っていたら電話が鳴った。

続く・・・・・・のか?この話?
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夏のお仕事

2019-12-16 | ガイドの現場
夏が始まり、僕も忙しくなってきた。
気が付けば冬が終わって全然ブログの更新もしていない。
兄弟分の山小屋が来たり、夏に向けて引っ越しをしたり、会社の飲み会でいつものように飲みまくってギター弾いたり。
その他諸々の出来事もあったが、ズルズルと12月になってしまった。
なんか面倒くさくなってしまったし、このまま終わっちゃおうかな、などと少しだけ思ったりもした。
でもこんなブログでも楽しみに待ってくれている人もかなりの数いるのだ。
やめるとなればみんな優しいから「気が向けば書けばいいじゃないですか」とか
「その時が来るまで気長に待ってまーす」などと温かいメッセージをくれることだろう。
「バカヤロー、ここまでやってもうやめるとはなんだ。さっさと書けよ、あんぽんたん」
なんて言葉をもらったら、こっちだって「てやんでえ、こん畜生、やってやれるか!もうやめる」となるのだが、そうもいかない。
仕事が忙しかったというのもあるが、晴れたら晴れたで庭仕事などをしてしまう毎日なのである。
まあ今日は雨降りの休日なので久しぶりに机に向かう気になったわけだ。



11月後半から12月前半は仕事が忙しく、あっちこっちへ飛び回っていた。
あるツアーでマウントクックからクライストチャーチの空港へ送るという仕事があった。
お昼にマウントクックでお客さんと合流して、午後はハイキングの予定だったが大雨の上に雷までなり出しハイキングはキャンセル。
今年はとにかく雨が多く、20年ぶりの雨でどの湖も軒並み水位が上がり、湖沿いの場所では洪水に対する対策をしていた。
西海岸では洪水により、道も閉鎖されていた。
聞くとお客さんの行程も毎日雨で、雨の中をハイキングしてきたという。
もう雨はうんざりだと。まあそりゃそうだわな。
それなら天気の良い所で時間を取りましょう、ということになり翌日の朝、雨のマウントクックを後にした。
テカポに向かう途中で雨も上がり、所々で写真撮影の休憩などいれながら、バスを走らせた。
テカポの湖も水位は高く、ルピナスも水没。
滅多にないことなので、僕も呑気に写真を撮った。



テカポから30分ほど走り、フェアリーに着く頃には空はすっかり晴れ渡った。
昼食に名物のパイを公園で呑気に食べ、呑気にウクレレを弾く。
ひたすら呑気なのである。
この時点ではその1時間後に何が起こるのか全く気付いていなかったのだ。
フェアリーからジェラルディンを抜け、国道1号線にでようとした時に異変に気が付いた。
国道に出る所で車が渋滞して動く気配がない。
何だ事故でもあったのか?と思いながらバスを停め、道の真ん中で交通誘導していた人に事情を聞いた。
その先のランギタタという川が最近の長雨で増水し、洪水になっていて通行不可能。
今も水位は上がっていて、今日明日の復旧は無理。
ついでに迂回路の方も閉鎖中。
これにはさすがの僕も驚いた。
ランギタタ川にかかる橋は2か所。そのどちらもクローズとなればクライストチャーチに行けないのだ。
雨の多い西海岸でならこういうことはたまにあるのだが、カンタベリー地方でそれが起こるとは長い経験でも初めてである。
すぐさま事務所に連絡を取り、手配会社に連絡してもらう。
お客さんの日本へのフライトは明日早朝。
今日中にクライストチャーチに行けないということは、日本への飛行機にも乗れないということである。
行程が全て変わってしまうのだから、今後の宿泊そしてフライトその他を全て組みなおさなくてはならない。
どのみちこれ以上は北へ行けないのだから戻るしかない。
ジェラルディンでトイレ休憩を兼ね、仕切り直しといういわけだ。
手配会社から頻繁に携帯に電話がくる。
「聖さん、ダニーデンに夕方7時までに着くのは可能ですか?」
「それは可能です。」
「じゃあ、そっち方面に走らせてください。また連絡します」
あわただしく電話が切れ、数分後にまたかかってきた。
「ダニーデンのフライト取れませんでした。クィーンズタウンに6時15分というのはどうでしょう?」
「いやそれは無理。」
「わかりました、また連絡します」



陸路が無理ならば空路しかない。
この日のうちにクライストチャーチかオークランドまで飛べば、翌日の日本行の飛行機に乗れる。
だがグループは総勢15人。15人分の席を確保するのは難しいだろう。
僕は車を走らせながら、マイクでお客さんに向けて話した。
「えー皆様、トラベルの語源はトラブルと申しまして、旅というものはいろいろな事が起こるものでございます。天変地異によるルートの変更、荷物の紛失、泥棒や置き引きやスリと言った犯罪。病気やケガなど健康上の問題。果てはお客様同士の痴話喧嘩から刃傷沙汰まで、実に様々なことが起こるものなんです。そういった局面ごとに困難を乗り越えて、前に向かって進んでいく。何か人生と共通するものがあるではありませんか。お客様は今この車がどこに向かっているのか分からない。添乗員さんも分からない。運転している僕もとりあえずどうなってもいいように分岐点には向かっているもの、その後はどうなるか全く分からない。誰も何も分からない。これぞ正真正銘、本物のミステリーツアーが今始まりました。」
車内に笑いがあふれ、拍手までおきた。
お客さんは全員山歩きの人である。
自然の中ではどうしようもないことがある、ということを身をもって知っている。
自然を恐れ自然を敬い、人間の小ささを知る人は強い。
こういう人達と一緒にいると仕事も楽しい。
実際にその時に僕は状況を楽しんでいた。
行程表通りにツアーを進めるのは当たり前の話である。
だがこんな状態でこの後どこに行くのかも分からないなんて、そうそうある話ではない。
もうドキドキワクワク、気分は昂る。
嵐が来る前にワクワクするような感覚と似ている。
昔一緒にやっていた相方JCの口癖「ピンチはチャーンス」というフレーズが頭に浮かんだ。



結局の所、その日のフライトは確保できなかったようだ。
そうなると今度は、じゃあ今晩はどこに泊まるの?という話になる。
翌日以降の行程も全く決まっておらず、手配の人も頭を悩ませたことだろう。
電話でのやり取りの末、ワナカに宿が決まった。
ただし確実なのはその晩までで、翌日以降は臨機応変にということだ。
こういうのは大好きだ。
人にはきっちりと決められた通りにやるのが好きな人と、ある程度のラインが決まれば後は状況に応じてやるのがいい、という人がいると思う。
僕はまさしく後者であり、楽器の演奏もアドリブとか大好きだし、料理もその場にあるもので旨い物を作るというのが好きだ。
だがアドリブだって基本があってのもので、料理も音楽も基本ができていないでアドリブをやってもうまくいかない。



ワナカに泊まった翌日、会社から連絡がありその翌日のクィーンズタウン発の飛行機が取れて、ワナカに連泊が決まった。
ホテルは街の中心から離れた所なので1日ワナカの市内観光の仕事になった。
ワナカの湖もかなり増水していて、湖に一番近い道路はクローズだし、湖沿いの店舗は土嚢を積んで警戒をしていた。
ただ地元の人には悲壮感は無く、滅多にみられないような状況を楽しんでいるようでもあった。
僕らの市内観光も洪水見物のような雰囲気になった。
普段は車がビュンビュン通っている所で犬と水遊びをする人もいたし、スケートパークではたまった水で泳ぐ子供もいた。
生活に支障をきたすような時には真摯にその対処をするが、そうでなければその状況を楽しんでしまう。
ニュージーランドのそういうところが好きだ。









その翌朝の早朝、クィーンズタウンの空港までお客さんを送り、お仕事終了。
お客さんは結局二日遅れての日本帰国となった。
夏はまだ始まったばかりだ。







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雑多な日々

2019-08-14 | ガイドの現場
8月は冬で一番忙しい時であり、僕もいろいろな仕事をする。
お客さんも色々で欧米の人もいればアジア圏の人も来る。
車も小さいものから10人以上乗るバン、22人乗りの四駆のバスや45人乗りのスクールバスまで。
先週末は、そのスクールバスでテカポへ二泊三日の小旅行。
中国人の学生40人、付き添いの大人5人をバスに乗せて出かけた。
子供達はまあまあ行儀良く、バスの中も綺麗だった。
生徒会長のような子がいたのだが、これがまあアイドルのようなイケメン。
しかもバスの中のゴミを拾って集めるなどと、まことにあっぱれな好男子。
こいつはモテるだろうな。
それに対して、引率の校長先生がいたのだが、こちらは絵に描いたような中国人のおっさん。
休憩場所でタバコのポイ捨ては当たり前、声はうるさくマナーは悪く自己中心的で、生徒に威張り散らす有様。
「おっさんよ、ハンサムボーイの爪の垢でも煎じて飲め」と心の中で僕は言った。
行程はスキー1日、マウントクックでの半日ハイキングというものだったが、天気が荒れに荒れた。
スキー予定日にスキー場はクローズ、マウントクックへ行けば大雪でハイキングどころではないという状態。
結局雪の中のドライブをして帰ってきた。
テカポから帰ってきた直後は休みでクレーギーバーンのパウダーデー。
仕事で山に上がるのと休みで山に上がるのとは違うものだ。
休みの後はポーターズ。
風が強く、リフトは一番下だけ、それも時々止まるという具合の1日だった。
こんな具合にいろいろあるけど、まあそれも色々と楽しいのだ。
今日は街で半日仕事なので、こうやってゆっくりブログを書くヒマもある。
仕事で専門学校の地質工学とでもいうのか、実際に地面を掘って調査をしている会社へ行った。
そこでは自分が住んでいる付近の地層のサンプルを見させてもらった。
地下20mの地層なんてのは、普通の生活をしてたら絶対に見ることの無いものだ。
これまた経験。
明日はまたスキー場。
そして今週末は再びテカポへ高校生を連れてスキートリップ。
もうしばらく忙しい時が続く。



このバスは普段はダーフィールド近辺を走っているスクールバス。人数が多い時にはこれを借りる。



ツアー初日のテカポ。この日は綺麗に晴れたが、嵐が近づいていたのが分かっていた。



翌日はスキー場はクローズ。なのでマウントクックまでドライブ。



除雪をしてくれたので、なんとか走れた。



まあ、こういうこともあるよね。



プカキまで戻れば、雪は止んでいた。



テカポもその晩から雪になり翌朝は雪景色。



テカポから帰ってきて、翌日は休み。そしてパウダーときたら行くしかないっしょ。



気心知れた人と行くスキーは楽しいのだ。



雲の具合が幻想的でまた好し。



絵になるのお。



ブラウニーとアレックスとも合流。駐車場バーベキューでビールをご馳走になった。



翌日、仕事に戻り、ポーターズへ。風が強かったので早上がりして、みんなで記念撮影。



日替わりで色々な景色が通り過ぎていく。
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西海岸ツアー

2019-06-11 | ガイドの現場
日本から帰ってきてすぐ、西海岸への二泊三日のツアーがあった。
クィーンズバースデーで連休なので、西海岸へのツアーをボスが企画した。
この仕事があったので日本から帰ってきたのだ。
お客さんはブラジル人、イタリア人、オーストリア人、日本人、みんな高校の留学生だ。


ツアーの前日から天気は崩れ、当日は荒れに荒れた。
カンタベリー地方は大雪でアーサーズパスはクローズ。
仕方ないのでかなり遠回りになるがルイスパスを通って行こうとしたらこちらもクローズ。
こうなったらどうしようもない。
スプリングフィールドでどうしようかと悩んでいたら、道路が開いた。
ブロークンリバーへ向かう道も雪景色。
30度を超える日本から帰ってきてすぐに真冬になってしまった。



雪の峠道を超えて、いざ西海岸へ。
西海岸へ来てみれば天気は良くなり、海に沈む夕日が見えた。



行程ではフランツジョセフに一泊、そしてプナカイキに一泊してクライストチャーチへ戻る。
本来は1日目の早い時間にフランツジョセフに着き、氷河を見に歩くというものだったが、夜に着いたのでそれもできず。
翌日は見事な快晴だったのでフランツジョセフの氷河が良く見える場所まで散策。



ここへ来るのも久しぶりだ。
以前はタイに案内されて氷河の上を歩いたが、その時は河原を歩き氷河の末端部までたどり着けた。
今では氷河が後退して簡単には末端部までたどりつくことができない。
なので氷河ハイキングはヘリを使うしかない。
たかだか10年ぐらいでの話だ。
でも氷河のすぐ前まで行けるのも彼らには非日常である。





ハイキングの後でドライブをしてプナカイキへ。
パパロア国立公園、小さいながらも独特の雰囲気がある。
名所のパンケーキロックからもはるか彼方にマウントクックとマウントタスマンが見えた。



夕方には見事に海に夕日が沈む。
僕はブラジル人の子供たちに言った。
「ブラジルではこの景色はないだろう」
「ああ、確かにそうだね。」
ブラジルの西側はアンデス山脈があるので西海岸はない。
もっともクライストチャーチでもクィーンズタウンでもこの景色は見られない。
これもまた非日常。
「今日も一日ありがとさん。」僕は呟き、沈む夕日に手を合わせて拝んだ。



ツアー最終日は、朝一で近くのトルーマントラックを歩く。
最後に来たのは14前前、深雪が3歳ぐらいの時にヘイリーの家にキャンプに行った時だ。
その時の話を書いたなあと思い探してみると、あったあった、お蔵入りになるところだった。
ここでこうやって探し当てたのも何かの縁なので、記録としてアップしておこう。
森を抜けてビーチまで、30分ぐらいのコースだかなかなか良い。
砂が固まったもろい地盤が波で浸食された崖から一筋の滝が流れ落ちる。
砂浜は外からは見えず、隠れ家のようなビーチである。





次はシャンティタウンという明治村のようなところに立ち寄る。
蒸気機関車でトコトコ森の中を走り、昔の製材所を見学して、砂金取りもする。
僕はシャンティタウンなんかは30年ぶりだ。
来たことだけは覚えているが、それ以外は全て忘れてしまった。





そうやって盛りだくさんのツアーも帰り道。
来る時とは打って変わった、晴天の雪景色の中を行く。



連休最終日、快晴で雪景色とあって、国道は大混雑。
スキーシーズンより多くの車があった。
スキー場の山も真っ白、オープンまであと3週間。
今年はどんな年になるかな。


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季節はずれの大雪。

2017-11-12 | ガイドの現場
11月前半というのは日本ではゴールデンウィークぐらいの陽気である。
町では花が咲き乱れ、牧場では生まれたばかりの仔羊が跳ね回る。
太陽の軌道は高く、日が沈む時間は日増しに遅くなる。
気温は上がり、人々の気持ちも夏に向かっていく。
普通ならばそうなのだが、季節外れの大雪が降った。
雪になりそうだという予報が出た翌日、妙に静かな朝だと思いカーテンを開けて驚いた。
家の外は真冬のような雪の世界。
5cmぐらいも積もっただろうか。
平地でこれぐらいだから山ではどれぐらい降ったか分からない。
これが冬だったら「わあ、パウダーだ」と無邪気に喜ぶのだが、スキーシーズンはとっくに終わっている。
ルートバーンはどうなっているんだろうと思い、仕事に向かった。







町へ行く道の周りも銀世界。
美しい景色だが農家の人は大変だ。
生まれたばかりの仔羊はこの雪で死んでしまう。
この日の仕事はルートバーン1日ハイキング。
バス2台で山に向かった。
舗装路はすでに雪が無かったが、山道に差し掛かるころから道にも雪が出てきた。





森に入ると雪で倒れた木が道をふさいでいた。
そんなに大きい木ではなかったのでみんなで「よいしょよいしょ」と木を動かす。
バスは四駆ではないので、ちょっとした坂でもタイヤが滑って登れない。
お客さんに頼んでバスの後の座席に座ってもらい、後ろに過重をかけてなんとか登山道の入り口に着いた。







この前日もルートバーンを歩いたのだが、その時には小雨だったものが夜の間に寒気が入り、辺りは雪景色に変わっていた。
1日でここまで景色が変わるのが、自然相手の仕事の醍醐味だな。
すでに雪は止み、雲の間から青空も見え始めている。
天気は回復に向かっているが、木の上に積もった雪が溶け雨のように落ちる。
カッパの上下を着て歩くとまるで大雨の中を歩いているようだ。
倒れた木が道をふさいでいるのも何か所もある。
道は雪が溶けてどこもかしこも水たまり。
きれいな景色だが、歩くのは楽ではない。
結局本来の行程である山小屋にはたどり着けず、途中で引き返した。







天気が回復すると気温は上がり雪はすぐになくなる。
帰るころには平地での雪は全くなくなっていた。
この翌々日に再びルートバーンへ行ったのだが、その時には普段通りの森の姿に戻っていた。
1日限定の雪のトレッキング。
こういう仕事も良いものである。
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秋深し

2017-04-28 | ガイドの現場
秋が深まってきた。
秋とは深まるものなんだな。
日本語って素敵だ。
この時期のニュージーランドは黄葉が美しい。
日本の旅行会社も黄葉を盛り込んだツアーが増える。
ニュージーランドの秋はポプラや柳が黄色になり、それが美しいので黄葉なのだ。


さらに今年は秋の冷え込みが少ない。
いつもなら3月後半ぐらいから、ベッドから出るのが億劫になるような日がある。
そうなると黄葉も4月前半ぐらいからで4月後半には落葉してしまう。
黄葉を見るツアーも、ガイド同士が「まだあそこにはかろうじて残っていたよ」などと言い合い、それを探して車を走らせる。
今シーズンはそんな心配もない。
それに冷え込みが少ないので普段なら黄葉にならないでそのまま散ってしまうような場所でも、黄色が美しい。



そしてアロータウンはカエデなどの木も多く、赤と黄と緑の組み合わせが美しいのでここは紅葉である。



今年はアロータウンに住んでいるのだが、この町が一年で一番ごった返すのがオータムフェスティバル、秋祭りの日だ。
いろいろなイベントもあるし、出店や屋台、それにパレードもある。
今までは何かと忙しく、祭りに来たことは無かったが今年は地元、歩いて行ける。
その日の仕事が朝のうちに終わったので、あとはのんびりと祭り見物。
屋台で買い食いをし、出店を冷やかし、パレードを見物。
みんな楽しそうでいいな。











物思いにふける秋。
想うことは数あれど、うまく文にできそうもない。
そうこうしてるうちにもうゴールデンウィークだ。
僕の夏の仕事もあとわずか。
今年はゴールデンウィーク明けまで仕事が入っている。
夏の仕事が終わって時間ができたらまたゆっくりブログでも書こう。
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