あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

9月27日 Mt.Hutt

2013-09-28 | 最新雪情報
マウントハットは風が強い山なのだが、この日も強風。
山頂へ行くリフトは動かず、途中まで行くリフトも午後に止まった。
それでも2週間ぶりに滑る感覚は新鮮で、自分はやっぱりこれなんだなあ、と思った。
ケガや病気をすると健康のありがたみが分かるが、当たり前にスキーができることのなんと嬉しいことか。
雪は春のそれでザクザクだが、パウダーだけがスキーではないと感じた春の1日である。


精神衛生上からも山は良い。癒されるのだ。


9月の終わりでもこの雪の量。


さすがにボトムまで行くと雪はなくなる。リフトの残骸は災害現場のようだ。来年はどうなることやら。


おなじみの雪上車。観光気分だ。


帰り道で川に寄り道して観光。


観光といえばジェットボートのツアーもやってます。


ではそれに乗ってちょっと上流へ。


ドライバーの兄ちゃんもノリノリでぶっ飛ばす。


川からの眺めは一味違う。


ここのジェットボートのツアーは、ボートのドライバーとボートを陸に引き上げる人の2人でやる。
もう一人のおじさんが僕たちがボートに乗っている間に虹鱒を釣り上げ、それをいただいた。
こういうことがあるからこの国は面白い。
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何が正しくて、何が間違っているのか。

2013-09-21 | 日記
最近は色々な本を読んだり、ネットで情報を得ることが多いのだが、今まで常識と思っていたことが次々と覆される。
自分が学校で習ってきたことの裏にはこんなことが隠されているんですよ~。
偉い人が言っている事が実は大嘘だったんだよ~。
テレビのニュースはヤラセなんだよ~。
まだまだ隠していることはたくさんありますよ~。
それに気がつかないように常識を信じていてくださいね~。
まあ、最後の声はおまけだが、なんと自分は常識というものに囚われていたのか。
その束縛が解ける感覚。
これはもう快感である。
実に気持ちが良い。
そして自分が漠然と感じていた『胡散臭さ』の正体。
同時に『どこかの偉い人が言っていた理論』ではなく自分が感じて信じる感覚(簡単に言えば家の卵は旨くて体に良い、といったこと)を再確認できるのだ。

経済というもので以前から感じていた胡散臭さ、どこで聞いたのか忘れてしまったが「世界中の富を総人口で分配すると足りない。それが経済の基盤となっている」という言葉。
なるほどな、と思っていたがそれを裏づけする話を読んだ。
その昔、人々は物々交換をしながら暮らしていた。
そのうちに貝殻や矢じりなどを使って交換するようになった。貨幣のはじまりだ。
そのうちに銀貨や金貨が出回るようになり、人々は金貨などを金庫に預け、金庫番から証書を受け取り、その証書で物を売ったり買ったりするようになった。
これが紙幣の始まりで、金庫番とは今の銀行だ。
しばらく経って紙幣が流通するようになると、金庫番は考えた。
「金持ち達が全員そろって金を引き出すことはない。それならこれを金の無い人達へまわしてもいいだろう。そして利子という形で受け取れば儲かるぞ」
ここで利子のトリックが生まれた。
金庫番はある村に総額で1億円を利息1%で貸したとしよう。
1億円はその村の中で流用され、期限が来てお金を返す段階でも村の中にあるお金は1億円である。
1%の利息分100万円はもともと存在しなかったものなのだが、利息分と言って金庫番は食べ物や土地を奪っていった。
これが、僕が漠然と感じていたもので、今の経済の基盤となっているものだ。
その後、金庫番=銀行家はどんどん大きくなり、戦争で両方にお金を貸すというようなこともやりながら膨れ上がって行った。
そして知らなかった中央銀行のシステム。
日本銀行というものも政府の機関だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
半官半民の組織で一応国が株の55%を持っているが、残りの45%は誰か別の人が持っている。
そしてそれが誰かは秘密。
そんなのを調べようとすればゴルゴ13に暗殺されてしまうのだろう、きっと。
ちなみに硬貨を作る権利は国が持っているけど、紙幣を刷る権利は中央銀行だ。
1万円札1枚を作るのにかかる費用は20円、それを国が1万円で日本銀行から買うというか借りるというのか、とにかくそうやってできているようだ。日本銀行ボロ儲けだなあ。
まあどこの国も似たり寄ったりで、中央銀行というもので国が成り立っている。
アメリカなどでもこのトリックに気がつきなんとかしようとした人は・・・暗殺されてしまうのだ。
その国の政府が自分達に見合うだけのお金を発行していればこんなことにならないのだが、なにせ金庫番の中央銀行はどんどん紙幣を作りまくってやりたい放題。
そして中央銀行を持たない国はアメリカに「ならず者国家」と呼ばれやっつけられてしまう。
ちなみにその国とは、イラン、イラク、アフガニスタン、北朝鮮、キューバ、リビア、シリア、スーダン、パキスタンなのだそうで、この国の名前を見ただけでなるほどな、と思ってしまう。
ロックフェラーというのは財閥だが、その昔こう言ったそうな。
「我に通貨発行権を与えよ。なれば権力者は誰でもよい」
そうですか・・・はあ。

世の中暗い話ばかりではない。
ハンガリーでは中央銀行を国から追い出す快挙をなした、なんてニュースも聞く。
ただこれは経済だけの話ではなく、戦争、エネルギー問題、政治、食の安全、医療、など全てに繋がる話なのだ。
銀行家が悪いと誰かを責めて済む話ではない。
それに人を責めた時点で自分を落としてしまうのは以前にも書いた話。
僕自身の考えでは経済は早かれ遅かれつぶれるものだと思っている。
その時にあわてないよう、毎日をあるがままに過ごすのである。
庭の野菜たちはすくすく育っている。
これこそが僕が信じるものだ。

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南島ツアー

2013-09-17 | ガイドの現場
数日間、仕事で南島ツアーへ行った。
雪も降れば晴れもあり、羊の渋滞あれば家の引越しありとフルコースのツアーだった。
冬の間は南に下りることもほとんどないが、数ヶ月ぶりに来ればやはり美しい所だと感動する。
感動、この心無くガイドは務まらない。
たとえ何百回来た所でも美しい物を美しいと思う心。
これがガイドの条件だと思う。



足の怪我はゆっくりと快方へ向かっている。
20代だったらもっと早く良くなるのだろうが、年とともに回復も遅くなっているのだな。
ケガや病気は何のためにあるか。
僕は健康の有難さを知るためにあるのだと思う。
たとえそれが治らないものだったとしても、それを受け入れ何かを学ぶチャンスというか機会なのではないか。
だから僕は『闘病』という言葉はきらいだ。
病気と闘うなんて人間の思い上がりの何ものでもない。
全ての出来事を自分の責任として受け止め、見た目には悪いような事にも感謝。
行き着くところは、生きている事に感謝なのではなかろうか。



足に負担をかけないよう、芝生に転がりながらニンニク畑の雑草を取る。
椅子に座りながら春蒔きの種をポットに植える。
無理に動くとピキっと痛みが走るので、それは体からのメッセージとして受け止め、それ以上は動かないようにする。
どんな時でも自分にできることをする。
自分にできることとは、徹底的に自分と向き合う事によって見えてくる。
僕のやるべき事とは何か。
今はまだ漠然として分からないが、この先の何か大きな変化と共に、自分が必要とされ、今まで以上に大きな仕事(世間一般の仕事という意味ではなく)が来る気がする。
その時を楽しみにしつつ、今日という日を楽しみながら過ごすのである。




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9月8日 Broken River

2013-09-10 | 最新雪情報
8月終わりから9月に入り何回か降雪があった。
この日も降雪3cm。
見た目にはいいのだがその下は固いバーンでしかも凍った雪の塊が転がっているという状態で非常に滑りにくい。
稜線付近は風が強く雪は飛ばされアイスバーン。
しかし飛ばされる場所があれば吹き溜まる場所もある。
それがどこか知っているのがホームの強み。
強風の中をガマンしてトラバースをしていくと、その先にパウダーバーンがあった。
風の影響を強く受けているが底突きなし。
本日のスイートスポットをいただいた。

メインのゲレンデに戻ってきた時にやらかした。
ラグビートーの滑車から外れているロープを直そうとした時にバランスを崩し転倒。
その際強く支柱にぶつかり打撲。
何年もここで滑っているが、こんなことは初めてだ。
古くからいる顔馴染みのメンバーが言った。
「何年ここにいようとぶつかる時はぶつかるんだよ」
機械という物は慣れた頃に事故を起こす。
自分にも慣れという油断があったのだろう。
骨が折れなかったのが不幸中の幸い。
1週間は滑れないが車の運転に差し障りはない。
どのみちこの1週間は観光の仕事で山には行かない。
痛い思いはしたが、いい教訓というわけだな。


今日の降雪3cm。低い所まで雪になったのがありがたい。


子供の成長は速い。そしてこういう場所で育つ。


パラグライダーとスキーを同時にやる人がいた。


「見た目はいいんだけどねえ・・・」そんな言葉が出る。


稜線付近は風が強く、吹き溜まる場所と飛ばされる場所が交互に現れる。


強風の中をトラバースして当てた1本目。文句なし。


青空、パウダー。ご馳走です。


週末はキッズウィークエンドという事で子供達も多かった。


そして僕の足はこのありさま。トホホなのである
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善いと悪いということ。

2013-09-05 | 日記
娘が小さい頃に良く聞いていた。
「それっていい事?それとも悪い事?」
今回は善悪について。
子供というのはまだ人生の経験が浅いのでそうやって聞くのだろうな。
良いことを求め悪を排除しようとする心。
クレクレ君は言う。「そうだよ、その何が悪い?」
だがここに思わぬ落とし穴がある。
勧善懲悪というのは日本ではモモ太郎だし、ハリウッド映画のヒーロー物は全てこれだ。
憎憎しい悪者に正義の味方が挑み、一時はピンチになるが最後には正義が勝つという決まりきったシナリオ。
これがエスカレートすると『悪者退治のためなら何をしてもいい』ということになる。
だって悪だもの。悪いヤツはやっつけなきゃ。
それが正義の味方の役目。
多少の被害はしょうがないさ。
正義のためなんだから。
自分は正しい。間違っているのは相手だ。
だから自分は戦う。

ああ、そうですか、はあ。
としか言いようがないな。

落とし穴はどこか。
その善と悪はどこから来ているのか。
自分から見れば善でも相手から見れば悪ということはよくある。
そしてそれをうまく利用する場合も多々ある。
特に戦争屋はそれだ。
メディアを上手く使い大衆をコントロールし戦争に持っていく。
敵と味方を作り両方に金を出し戦争をさせる、なんてのは今や当たり前の話だ。
モモ太郎を例に出したが、ドラえもんの話でのび太がモモ太郎になる話があった。
のび太とドラえもんが鬼が島へ行ってみると、そこに居たのは西洋人。
翻訳こんにゃくで話を聞いてみると、船が難破して島にうち上げられたと。
人に助けを求めても言葉は通じず、皆びっくりして宝物を置いて逃げ出す始末。
そのうちに村人から攻撃を受けるようになり、自分を守るために角を作って人を脅かした。
自分はただ生まれ故郷に戻りたいだけなのに。
どこでもドアで生まれ故郷に戻してあげて財宝はのびたが持って帰りめでたしめでたし、という話だった。

正義と悪ということは立ち位置が変われば逆転する。
これは国家の間ならば戦争だし、個人の間ならばケンカだ。
いずれにせよ、相手が悪いと言っている時は何も始まらない。
それは自分の正当化だ。
相手を認め自分を高めるという、魂の課題からはずれてしまっている。
それどころか、相手を悪と決め付けることで自分も下げてしまう。
たとえ何かのひょうしに一方的に被害を受けようとも、それは自分にも責任がある。
こういう話をしていくと「じゃあ私が悪いって言うの?」と言うクレクレ君がいる。
だーかーらー、善いとか悪いという話ではないのだ。
今、目の前に見えている現実とは全て自分が作り上げているいることで、それは全て自分の選択からきた行動の結果なのである。
全ての事柄において個人の責任はあるが、たとえ表面上は悪い結果に見えてもそれは各個人が悪いのではない。
責任と善悪を一緒にしてはいけない。

「じゃあ殺人事件なんかはどうなのよ?殺された人は可哀そうで殺した人は悪いじゃないの」
クレクレ君はしつこい。これぐらいの言葉で納得するならば最初からクレクレ君にならないだろう。
では説明する。
ある殺人事件があったとしよう。
一般的には殺した人は悪いヤツで加害者。殺された人は可哀そうな人で被害者。
こういう公式があてはまる。あくまで一般的な話でね。
魂の観点で言えば、殺した人は加害者でありながら被害者であり、殺された人は被害者でありながら加害者でもある。
2人で一つの事柄を起こしているのだ。
「じゃあ通り魔殺人は?」
それも同じ事。
表面的には全く関係のないように見えても、見えない所で両者は繋がっている。
それは今世だけではなく過去世からの繋がりもありえる。
心情的に殺された人は可哀そう、という気持ちは分かる。
だが見えるものだけに心を囚われると、そこから先は進めなくなる。
輪廻転生、これからはこの考えが当たり前の世の中になっていくことだろう。
それに気がつかないで死んでいく魂も数多くあるが、皆死ねば行く所は一つ。
その時に気がついて又新たな生となる。

泥棒だって同じだ。
盗むやつは悪ではない。
この世の心理に気がつかない可哀そうな人だ。
盗まれる方にも責任はある。
二度三度と泥棒に入られる人は自分自身を見つめなおす必要がある。
一度で気がつかないから二度三度と繰り返すのだ。
泥棒が悪いのであって自分は可哀そうな被害者、というドラマから抜け出さなくては何回でもくり返すだろう。
そして自分の持ち物、お金とか物とかに執着していればそれを失う事を怖れ、必要の無い施錠などをして泥棒を呼んでしまうことだろう。
そして盗む方は『自分さえ良ければいい』というエゴに心が支配されている事に気がつかない。
悪はないが罪はある。
犯した罪は自分で拭う。
天に向かってつばを吐けばそれは自分に落ちてくる。
落ち方もさまざま、それは人それぞれでやり方が違うだろう。
罪を憎んで人を憎まず、とはよく言ったものだ。

善悪の話から輪廻転生や罪の話まできてしまったが、全て繋がっていることなので仕方ない。
このあたりも掘り下げていくとキリがない。
それにもうクレクレ君にはついてこれない所まで話がぶっ飛んでしまった。
善と悪、これが全てではないということ。
そして人を悪と決めつける心の中に落とし穴があるということ。
これが今日の教訓です。


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父の日

2013-09-02 | 日記
昨日は父の日だった。
父の日は普段がんばっているお父さんに感謝の思いをよせる日、と子供及び世間一般は思うだろう。
僕はあまのじゃくな性質なのでそう思わない。
父の日だからといって感謝をするのはおかしい。
そんなのは常日頃から毎日感謝をするものだ。
もともと感謝を求めない方なので(感謝というのは求めた時点で違う物になってしまう)父の日という物を全く意識せずに過ごした。
あらかじめ娘にも言ってあった。
「お父さんは父の日のプレゼントなんかいらないからな」
巷はこの週末に『父の日セール』で一色。
量販店ではお父っつぁんが喜びそうな物が一番目を引く場所に並んでいるし、ラジオでも父の日のセールですよというコマーシャルがよく入る。
家ではテレビを一切見ないが(見れない)たぶんテレビでもそうやって購買意欲をかきたてていることだろう。
父の日、母の日、クリスマス、日本で言えばバレンタインデー、支配者はそういうイベントで大量消費を煽っている。
ここで極端なクレクレ君はこう言うだろう。
じゃあ僕がプレゼントを贈るのはダメっていうの?
そうではない。
コマーシャルに載せられて中途半端な安物を送り、「これぐらいでいいや」と自分を『いい子』にするためのプレゼント。
本当に相手の事を考え、見返りを求めず、相手が必要としている物のプレゼント。
同じものを贈るのでも違いが出てくるだろう。
それには表面だけではなく深く考えなければならない。
まあクレクレ君は深く考えないものなんだけどね。



昨日の午後、娘がケーキを焼いた。
チョコレートケーキである。
以前サダオがプレゼントしてくれた料理のレシピ本を見ながら誰にも頼らず一人で焼いた。
ご丁寧にチョコレートで字を書いた。
「おとうさん ありがとう みゆきとのり子より」
ハートマークとココの似顔絵入りである。
これには参った。感動である。
なにかコソコソやっているなと思っていたが、こういうことだったのだな。
こういうプレゼントは歓迎だ。
寝る時に娘に言った。
「今日はありがとな。お父さん、本当に嬉しかった。お金で買うプレゼントもあるけど、それはお前が稼いだお金ではないよな。それより今日のケーキはお前が働いて作ったプレゼントだ。自分がその場にあるものでできることをする。その結果、その場に関わった人が全て幸せになる。それが本物の愛だ。お前は本物の愛をお父さんにくれた。本当にありがとう。」
娘は照れくさそうに笑った。
父の日万歳だな。


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8月31日 Broken River

2013-09-01 | 最新雪情報
降雪から3日目のブロークンリバー。
この日はクロスの大会があり快晴の週末とあって、かなりの混み具合だった。
イベントの前に雪が降って本当に良かった。
雪が少ないとやっぱり盛り上がりに欠ける。
集う人の顔にも笑顔があふれる。
今回の降雪の前にクローズしてしまったスキー場もあるが、ほとんどのスキー場は息を吹き返した。
今シーズンはまだまだこれからだ。


朝、スキー場へ行く途中でお昼の食材を買う。


無人販売の冷蔵庫の中はこんな具合。


雪が無くて雪だしをしたアクセストーも雪がつき乗りやすくなった。


パーマーロッジに上がるとクロスのコースを仕上げていた。シーズンに数少ない圧雪車の出番だ。


アーサーズパスの最高峰、マウント・ロールストン。


降ってから3日経っても奥へ行けばこれぐらいの踏まれぐあい。これがクラブフィールドの良さ。


3日目です。


週末、快晴、イベントとあってパーマーロッジも大賑わい。


コワモテテレマーカー、パウダーを滑る。


今日の昼飯。近所のパン屋のチャバッタ・ブレッド。近所の肉屋のソーセージとベーコン。そして来る時に買ってきたアスパラ。地産地消。


通り過ぎる人が言う「おお、もうアスパラの季節になったか」
僕「麓は春だよ。今日来る時に買ってきたんだ。1本食べてみなよ」
「どれどれ、ほう、いけるな」
こんなやり取りが楽しい。


そりゃこんな笑顔になるよな。


クロスのゴールは特設プールを滑る。


イベントなのでDJもいる。


ゴールの様子。スピードが足りないと途中で止まり、ブクブクと沈んでしまう。


アランズベイスン。パウダーがまだ残っているがこちらは20分のハイクアップで戻ってくる。


愛に包まれた山だ。

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