あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

カドローナ リマークス

2011-07-30 | 日記
クィーンズタウンの話の続きである。
ボクのクィーンズタウンでの仕事はスキー場までのドライバー。
ガイドではない。
ガイドはちゃんとついていて彼がお客さんの案内をする。
もちろんボクはガイドをできるぐらいの力はあるが、あんまりしゃしゃりでるのもナンだからドライバーに徹している。
スキー場へ着けばあとは帰る時間まで自由だ。
1日中好きなように滑って、これでお金がもらえるのだからスキーが好きな人にはたまらない仕事だ。
天気やお客さんの様子に合わせて、日替わりであちこちのスキー場へ行く。
先日はカドローナへ行った。
このスキー場には3回ぐらいしか行ったことがない。最後に行ったのは15年前だ。
この山は全体的に緩やかなので初級者や中級者向き、どちらかと言えばファミリースキー場である。
急斜面やオフピステもあることはあるのだが、あっというまに終ってしまう。
オフピステスキーヤーのボクにはあまり魅力はない。
ここはハーフパイプやパークが売りで、そういった系統の人達が集まるらしい。
滑りはさておき、そこは山である。
山頂から裏を見ればクィーンズタウンの方まで見渡せるし、反対側にはワナカ方面の湖も見える。
正面の山脈も雪をかぶって美しいし、遠くにはセントラルオタゴの丘が雪化粧で連なっている。
だがこんなきれいな場所にいながら感動は薄い。
車でガーっと上がってきて、そのままリフトに乗って、あまりに手っ取り早く来たからだろうか。
たぶん下から自分の足で登って来て、この景色を見たらもっと感動することだろう。
ボクが行った日はとんでもない強風で、「良くこの状態でリフトを動かしているな」と思っていたらすぐに止まってしまった。
その後はそのまま観光。まあこういう日もあるだろう。

翌日はリマーカブルス。
正式名称はThe Remarkables なのだがこちらの人は略してリマークスと言う。
ここに住んでいる日本人はさらに略してリマと呼ぶ。
ボクはリマと聞けばペルーの首都リマを思い出してしまうし、この呼び方が好きではないのでリマークスと言っている。
ちなみにコロネットピークはこっちの人はコロネット、日本人はコロピーと呼ぶ。
リマにしてもコロピーにしても日本人の間でしか通用しない言葉だ。
こうやって略語で新しい言葉が生まれるのは日本人の血筋なのか。日本人独特の略しかたというものもある。
言葉という物は生き物なのだと、つくづく思う。
お客さんを連れて山へ上がったら、その後は自由である。
滑り放題、ただしここではリフト券は出ない。
はっきり言ってしまえばここの会社がケチなのだが、そんなことは今始ったことではない。
リフト券を自分で買うか、もしくはハイクアップ。滑り放題は登り放題でもある。
ボクは迷わずハイクアップを選んだ。リマークスのバックカントリーはなかなか良いのだ。
ザックにスキーを縛り付けて歩き始める。
圧雪してある場所は歩きやすい。
リフトの下をくぐるときにだれかが上から声をかけた。
「リフトの方が楽だし速いぞ!」
「分かってるよ。俺はハイクアップが好きなんだ」
「そりゃいいや。がんばれよ」
こういうやりとりに心が和む。
リフト1本分を上がり、そこからはゲレンデの喧騒から離れる。
誰もいない中、一歩一歩雪を踏みしめて登る。
誰かとワイワイ行くのもいいが、一人でこういう世界に入って行くのも良い。精神性が高まる。
雪崩の心配をするほど雪はついていないし、リラックスしながら山を楽しめる。
このコースは夏山ハイキングでお客さんを案内するコースで、自分の庭のようなものだ。だが夏と冬では景色は完全に別物だ。
尾根まで出れば別の世界が広がっているの分かっているが、今日は風も強く単独行である。新雪があるわけでもなし、無理に登ってもしかたない。
安全第一。レイクアルタまでで充分だ。
レイクアルタは直径300mぐらいの小さな湖で、冬になると凍りつきその上に雪が積もる。
ボクは湖の真中まで行き、立ち止まった。
夏場はいけない場所も、季節が変われば行ける。
スキーは雪山を移動する道具でもある。
岩山に囲まれた雪原に一人。
景色は恐ろしいほどに美しく、感覚は研ぎ澄まされる。
決して答えの出ない問い、自分の存在価値の答えの一つを実感する。
この山は若いときに何回も来ているし、この場所も通ったことも何十回もある。
だがその時には滑ることにばかり意識が向いていて、こんなにゆっくり止まったことはない。
歳をとったからか、山に対する感覚も変わってきた。
変化は常に自分の中から起こる。その変化を楽しめるようになると世界は広がる。
天気が良ければここで昼寝なんてのもいいが、風は相変わらず強い。
自然の中では人間は無力である、という法則を再確認。
数分でゲレンデへ戻り、あっというまにデイロッジへ戻る。
お手軽バックカントリー無事終了。
この日滑ったのは1本だけだが、密度の濃い1本だった。
こんな日もよろしい。
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クィーンズタウン

2011-07-27 | 日記
今ボクはクィーンズタウンに来ている。
夏の間、働いていたタンケンツアーズのボスに呼ばれてやってきたのだ。
先々週ボスのリチャードが電話口でこう言った。
「7月終りの1週間は誰もいなくなってしまうんだ。そこでオマエの助けが必要だ。それにオマエ長いことこっちで滑ってないだろ?たまにはこっちで滑ったらどうだ?ドライバーの仕事だから昼間は滑り放題だぞ。」
確かにボクは以前はクィーンズタウンでスキーのガイドをしていたが、ここ10年ほどはカンタベリーのスキー場ばかりだ。
たまにはクィーンズタウンやワナカの冬景色も見てみたい。
正直、気持ちは大きく動いた。
「そんなこと言ってもなあ。深雪の面倒もあるし、ミセスの了解を得なきゃあならんしなあ・・・」
ボクは電話口から女房を盗み見た。
一部始終を聞いていた彼女は仕方ないわねという顔で首を縦に振った。我ながら良く出来た女房である。
「ヘイ、リチャード、ミセスがOKを出したぞ」
というわけでバタバタとクィーンズタウン行きが決まった。

会社が飛行機を予約してくれて24日の朝、空港へ行った。
チェックインを済ませ登場口へ行ったがなかなか搭乗できない。
そのうちにアナウンスが入り、クィーンズタウンが大雪の為しばし天候待ちをするとのこと。
結局、1時間後フライトはキャンセル。バスで行くことになった。
飛行機なら55分、バスなら休憩も入るので7時間。
気が重いが天気に文句を言っても始らない。
すべての結果を肯定的に受け入れること。自分への課題でもある。
バスに揺られテカポを越えオマラマへ、そしてその先にはリンディスパスという峠がある
この道は雪が多ければ閉鎖にもなる。そうなったらバスの中で一晩を明かすこともありうる。
絶妙のタイミングでバスドライバーがコメントを入れる。
「前にこれと同じことがあったんだけど、その時は夕方4時にクライストチャーチを出てクィーンズタウンに着いたのは朝8時でした。」
こうなるととにかく無事にクィーンズタウンに着いて欲しい。それだけだ。
リンディスパスは案の定雪道。積雪5cm。今はまだ通れるがこのあとも通れる保証はない。
かなりゆっくりだがなんとか越えると、その向こうにはきれいな星空が広がっていた。
星空の下、バスは快調に走る。
だがクィーンズタウンの近くまで来るといきなり星空は曇り、辺りは大雪となった。
道路の上にも10cm近く積もっている。
車をピックアップして普段は20分の道を30分かけて走る。
目の前の車が雪で滑り路肩から落ちて誰かの家のフェンスにぶつかった。
結局トモ子さんの家にたどり着いたのは9時半を回っていた。
家を出てから13時間か、長い1日だった。

次の日は仕事がキャンセル、急に休みになった。
仕事は休み。山には新雪。
この状態で滑らずして何をせよというのだ。
ボクはいそいそとコロネットピークへ向った。
この山で滑るのは13年ぶりぐらいか。
20年前ボクがスキーを覚えたのもこの山だし、女房と初デートしたのもここだ。何かと想い出は多い。
コロネットは地形が複雑で毎日滑っていても飽きない山だ。
91年から3シーズン、ボクはここで仕事もせずに毎日毎日スキーをした。俗に言うスキーバムというやつだ。
その時にパウダーの楽しさを知り、その白い粉はボクの人生さえも変えてしまった。
この日もパウダーは軽く、複雑な地形は遊ぶ所が多く、僕は充分に楽しんだ。ノスタルジックな思いに浸りながら。
だがここはリゾートでもある。
リフトは自動改札、人口降雪機は300台。駐車場まで道は舗装されている。
カフェでコーヒーを頼めば、自分の番号と注文した物がスクリーンに表示される。
何と言っても高速リフトである。
深雪が小さい時に、初めてリフトに乗った時の言葉を思い出した。
「チェアリフトってすごいね。座ってるだけで山の上に着いちゃうんだから」
ロープトーとTバーしか知らない人がリフトに乗るとこうなる。
ともあれコロネットピークはニュージーランドで一番進んでいるスキーリゾートだろう。
ブロークンリバーとは対極の位置にある。
たまに来るのにはいいかもしれないが、自分のホームはここではない。
はっきりとそれを感じた。
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43歳

2011-07-22 | 日記
昨日になってしまったが、ボクは43になった。
毎年誕生日には何かしら書いているが、あれからまた1年が経ったのか。
時間が経つのは早いものだ。
子供の時には時間が流れるのは遅く感じられた。
1日は長く、1年というのはとてつもない時間だった。
それが今や時間の流れは加速して、娘はみるみるうちに大きくなり、自分はそれと同じスピードで老けている。
時間の流れというものは年齢に応じて早くなるものらしい。
今年もこの前、年が明けたと思ったら、あっという間に半分が過ぎてしまった。
その間にもボクはオカリトへ行ったり、クライストチャーチで地震があったり、日本で津波があったりと色々な出来事やドラマはあった。
そういうドラマを感じながら、毎日毎日はあっという間に過ぎ去り気がつけばボクも43になっていた。
43といえば、もう立派なオヤジである。
若いものにはついていけないと開き直り、最新のipodとかiphoneとかとにかくそういう物など見向きもしない。
やれば便利なのは分かっているが、やらなくても今の環境に満足してしまっているのでやらない。
今やメールやインターネットは当たり前だが、一昔前パソコンが普及し始めたときのオジサン達の心境はこういうものなんだろうな。
できることなら携帯電話も持ちたくないが、今の世の中それはそれで不都合なことがあるので仕方なく持っている。

記念すべき?誕生日はポーターズで過ごした。
朝、山に登る時にはガスで真っ白、何も見えないような状態だったが、ボクが着くと同時に雲は晴れていき、青空が出た。
やっぱりボクは晴れ男だ。
山の頂上に上ってみれば見事な雲海が広がっていた。
この山も雲海の中に入っていてもおかしくないような状態なのだが、晴れ男のボクに山の神が天気を恵んでくれた。
雪の状態もまずまず。10cmぐらいの新雪か。パウダーきっちりおいしくいただきました。
そうそう山の神から誕生日のプレゼントもいただいた。
ボクはゴミを拾う。町ではあまり拾わないが山とか川とか海とか、まあ自然の中では拾う。
程度にもよるが、そういったことを「ちくしょう、こんな所にゴミを捨てやがって」という気持ちも今では持たずにたんたんとやる。
リフト乗り場に向かう道でも目に付いたゴミは拾ってポケットに入れておき後で捨てる。
知り合いの子供とゆっくり滑っているとゲレンデの真ん中にゴミが落ちていた。
ボクはそれを拾おうとしたら、それはゴミではなく20ドルのお札だった。
ボクはそれを山の神からのプレゼントだと思い、ありがたくいただいた。

帰る途中ではスマイリーズのケイコさんにワインをいただいた。
家に帰ってみれば女房が超旨いローストポークを焼いてくれたし、デザートも普段は買わない高級お菓子の店のケーキだった。
ボクはとことん幸せをかみしめた。
幸せは常にそこに有る物なのだが、それを意識して毎日を過ごすとこういうイベントの幸せはさらにアップする。
これを幸せ倍増の法則という。今ボクが作った。
ミクシーやフェイスブックからも続々とメッセージが届く。
みんなありがとう。
ボクはいろいろな愛に包まれている。
家族の愛、友人知人の愛、そして山の愛。
こうして43の誕生日は楽しく過ぎた。
さいさきいいぞ43歳。
何か面白い事が始まるような、そんな予感でワクワクするのだ。

今、この文を書いている時にも、ちょっとした余震があった。
だが全ての出来事を他人のせいにすることなく自分の責任として肯定的に前向きにとらえる覚悟があれば、恐れるものは何もない。
ただただバラ色の世界が目の前に広がっている。
全ての迷い、不安、心配、恐れは自分の心が作っているものだ。
それに気がついた時に、それらは消え新しい世界が広がる。
ボクはこの先、さらにパワーアップ、ワクワクしながら生きていくのだと思う。
そして新しい世界を作っていくのだ。
それはボク一人だけではない。
ボクも君もみんなで。

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大人の社会

2011-07-17 | 日記
「ん、なんだこりゃ?」
晩御飯を作ろうとして台所に入ると、冷蔵庫のドアに何か貼ってある。
どうやら深雪が作ったものらしい。
A4の紙に色々な色で何か書いてある。どれどれ。
タイトルはWinter Heating Rules、冬の暖房のルールね、フムフム。
1 ドアは全て閉める。何故ならそこから熱がにげるから。
2 暗くなったらカーテンは閉める。窓の隙間から熱が逃げてしまう。
3 タオルを丸めてドアの下に置く。バスルームのドアなど。
4 シャワーを浴びるときは窓を開ける。鏡が結露しない。
5 すごく寒い時はガスヒーターを使う。ガスヒーターは家全体を暖められるから。
6 晴れた日には窓を開ける。太陽の陽は家を暖める。暖房は全て切る。
7 カーテンはきっちりと閉める。隙間から熱が逃げてしまうから。
項目の下には電気ストーブの絵と女の子が「これを忘れないように」と言ってる絵が漫画っぽく描いてある。
ボクは娘に言った。
「素晴らしい。これは学校でやったのか。どういう風にやったのか教えてくれ」
「これは今学期のテーマなのね。youtubeでenergy wiseというのを見て勉強したの」

ニュージーランドは電気が豊富な国である。
日本とほぼ同じ国土に人口は400万人。
電力の6割は水力発電でまかなわれ、3割は火力、1割は地熱、風力、太陽である。
原子力発電所はこの国にはない。
そもそも国の政策が、核を作らない使わない持ち込まない、という非核三原則だ。
人口が400万人しかいないので、まあ原発はなくても充分やっていけるわけだ。
一般の家庭では料理を作るのもお湯も暖房も電気である。
田舎では暖炉や薪ストーブの家もあるが都市部では電気のヒーターが占める割合は大きい。
暖房やお湯を沸かすのにガスを使うことは使うがほとんどの家は電気である。
市民の生活は電気の上になりたっている。
その豊富な電気に甘えずに、なんとかやっていこうという前向きな姿勢があちこちに見える。
電力会社のコマーシャルは、「便利ですよ。だからジャカジャカ使いなさい」というものではなく、「無駄なところは省いて賢く使いましょう」というように。
社会が大人なのだ。
娘は日本で言えば小学校4年生だが、学校の授業でこういったことをやるのは素晴らしいことだ。
それもyoutubeを使って、というのが今時らしい。
こういったものは使い方次第で毒にも薬にもなる。
教科書を丸暗記するだけが勉強ではない。
足し算引き算も大切だが、人間が社会の中で生きていく上で大切なものもある。
真の教育というのはこういうことだろう。
さらに子供がこういうことを学び、家で目立つところに貼れば家族もそれから学ぶ。
限りあるエネルギーを無駄にしない、という真理はこうやって普及する。

今年は冬が来る前に家の窓を二重窓にした。
といっても大々的な工事をしたわけではない。
薄いセロファンのようなものを窓枠に合わせ両面テープで貼り付けるのだ。
それをヘアドライヤーで暖めるとしわが伸びきれいになる。
これはDIYでできる簡易二重窓である。
両面テープとセロファンのセットのパッケージで売られている。
友達のレネにこの話を聞いて、ピンと来た。これだ。
直感に沿った行動で間違いはない。
即行動に移し、その結果窓の結露はなくなり、明らかに家の中が暖かくなった。
娘の部屋は家で一番寒い部屋で、冷え込みがある時はよくコンコンと咳をしていたが、今年はそれも解消された。
自分が自分のために、家族のために、環境のために、行動を起こす。
こういう自発的で間違いのない仕事は気持ちがいいものだ。
さらに親がそういう行動をすることを見て子供は学ぶ。
そして学校で電気のことなどを学び、それらはリンクされ自発的に不必要な場所のスイッチを切るというような行動へと移っていく。
素晴らしいことではないか。

ボクは娘にあらたまって向き合い問いかけた。
「一つ質問をしよう。電気を無駄にしないというのは大切なことだ。必要ないところの電気を消すのは良い事だ。」
「うん」
「じゃあ深雪は電気代がもったいないから電気を消すのか?それとも電気がもったいないから電気を消すのか?」
娘はそんな事を考えたこともなかったのだろう。黙って考え込んだ。
「今その答を出さなくてよろしい。答が出たら自分の胸にしまっておきなさい。そういうことを考えることが大切なんだよ」
質問を投げかけるのは親の役目だ。
大人の社会から学ぶことは多い。
それは個人の行動の選択へもつながっていく。
同時に個人が社会に試されているとも言えよう。

電気代がもったいないから電気を消すのか?
電気がもったいないから電気を消すのか?
子供だけでなく、世界中の人に問いかけたい。
その答は心の中にある。
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フォークス日記 後書き

2011-07-15 | 
西海岸へ行ってから数ヶ月が経ってしまった。
この時は一気に書き上げるつもりだったのだが、この後にクライストチャーチの地震、そして日本の地震が起こり、ボクの身の回りにも大きな変化があった。
あの時歩いた大きなクレバス、ブルーミストはどうなったのだろうか。
氷に押されてつぶれてしまったかもしれないし、氷が開いて底なしのクレバスになったのかもしれない。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
物事は常に移ろいで行く。
なくなるからこそ愛おしいのだ。なくなった物事を嘆くのはちょっと違うと思う。
それに対しあの時、あの瞬間に感じた感動は永遠の物であり、今もボクの心の中に在り続ける。

以前ルートバーンを一緒に歩いた人が言っていた。
「自分は都会の団地に住んでいて、その環境はこの森とはかけ離れている。だけどたとえ日本の都会にいようと目を閉じて意識を飛ばせばいつでもこのルートバーンの森に帰って来られる。」
その言葉が忘れられない。
ボクも今はクライストチャーチだが、いつでも西海岸の氷河、土ボタルのいるトンネル、そしてリムの森へ飛ぶことはできる。
それは自分の経験という財産がそうさせるのだ。
そしてその経験は、その地に住む友によってより大きなものになる。
自然との繋がりと同じくらい人との繋がりは大切だ。
ボクは良い友を持ったことに感謝をする。
今さらだが、タイ、キミ、マー君、すばらしい夏休みをありがとう。
いつでもクライストチャーチの我が家に来てくれ。
次はボクが君達にもてなしをする番だ。
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フォークス日記 11

2011-07-14 | 
トンネルトラックの感動の余韻に浸ったまま町へ戻る。
町はボクの想いなぞ知らんというぐらいに、普通のたたずまいだった。
車に戻り帰り支度をする。
時計の針は4時を回っている。
NZの夏の日は長く、太陽に付き合って遊んでいるとついつい遅くなってしまう。危険だ。
明日はルートバーンの1日ハイキングが入っている。いつまでも遊んでもいられない。
ここから5時間のドライブが待っている。まあ暗くなるころには着くだろう。
タイとマー君に短い別れを告げる。
男の別れはさっぱりしたものだ。
たとえ遠くに住んでいようと、お互いにやるべきことを分かっていれば多くの言葉は必要ない。
体は離れていても、僕らは心の奥深くで繋がっている。

フランツジョセフから峠を越えてフォックスの町まで30分ほど。
ここで念のため給油をしておこう。
この先数百キロ、ワナカまでは町らしい町はない。
給油を済ませ車へ戻ろうとしたら美女に声をかけられた。
仕事を終えたキミがガソリンスタンドへ来ていたのだ。
「やあやあ、キミ。やっぱり会えたね」
「こんにちは。ちょうどひっぢさんの事を考えていたんですよ」
「俺もね、もう一回お礼を言いたいなと思っていたんだよ。やっぱり会うべく人には会えるようになっているんだな」
「今日は今まで遊んでいたんですか?」
「ああ、朝オカリトに行って、昼からはトンネルトラック。いやあ良かったよ。またこの国にやっつけられちゃったね」
「それはよかったですね。今からクィーンズタウンですか、気をつけてドライブしてくださいね」
「うん。今回はいろいろありがとう。またどこかで会おう。それまで、アディオス」
最近はこういう出会いにも驚かなくなった。お互いに良い状態でいるとこういう出会いは頻繁に起こる。シンクロニシティーというやつだ。
出会いに驚かないが嬉しいものである。
人との繋がりは大切なものだし、自分も相手も良い状態でいる証でもある。
素直に喜ぶべきことだ。

車を南に走らせる。
クィーンズタウンまで5時間ほどかかるが、僕はこのドライブは嫌いではない。
車の交通量は少なく、変化に富んだ道は飽きることがない。
同じ距離を走るにしてもずーっと牧場の中だったりすると単調で飽きる。
この道は海岸線あり、原生林あり、峠あり、氷河あり、氷河の侵食でできた湖あり、盛りだくさんだ。
フォックスからハーストまではポトカーフの原生林の中を走る。
ある場所では樹齢数百年の大木が道路ギリギリまで立っている。
路肩の反射板も木に直接つけられている。
ここを走るときはいつも窓を全開。森の空気を感じながら走るのは気持ち良い。
ハーストから川沿いに内陸に入っていく。
リムの木は徐々に数を減らし、見慣れたブナの森へ変わっていく。
この変化もボクは好きだ。
車を走らせながら、道端に立つリムたちに向かってつぶやく。
「リムたちよ、今回も又やっつけられちゃいました。ありがとな。又来るからね」
今回の旅日記のしめくくりはこんな感じかな、などと思いながら車を快調に飛ばす。
だがそこは西海岸。
簡単には旅を終わらせてくれない。



ハーストからしばらく走ると、峠に差し掛かる所で車が道の真ん中で止まっていた。
国道は100km制限、日本でいえば高速道路だ。
その国道で車が道の真ん中に止まるということは、何かがある。
車を止めて降りてみると、雨の影響で土砂崩れがあったようだ。
木が何本も倒れ、道路をふさいでいた。
これが原因か。
僕の前には車が2台。ということは崩れてまだそんなに時間も経っていない。そこにいる人はみんな途方にくれている。
ニュージーランドで最もへんぴな場所だ。携帯電話はもちろん使えない。
助けを呼ぶにしても一番近い民家はハースト、そこまで30分ぐらいかかる。反対側も同じで一番近い民家まで30分以上かかる。
そこに行けば斧かチェーンソーはあるだろうが、助けが来るまで最低1時間はかかるだろう。
なんとかならんものか、ボクは倒木をまじまじと眺めた。
アスファルトで舗装してあるところは木の幹が太く折れそうもないが、舗装をはずれた所は枝も細く人間の力でも折れそうだ。
倒木のところは水が流れているのでサンダルに履き替え、枝を掻き分け反対側まで抜けてみた。
倒木が邪魔している場所は10mぐらいか。その間の枝を取り払えば車1台分ぐらいのスペースはできる。
やってみるか。
ボクは枝をボキボキと折り始めた。
周りの人が遠巻きにボクの作業を眺めている。
それもよかろう。最初から他人に期待をしていない。自分一人でもできると思いこれを始めたのだ。
時計を見ながら作業をする。5分、10分。始めは自信もなくダメで元々などと思っていたのだが、時間が経ち道が切り開かれていくに連れ、できるという強い自信に変わっていった。
自信ができると迷いは消える。作業のペースも上がる。
そこに道ができて自分が通れるビジョンがはっきりと見えた。
「私も手伝いましょうか?」
若い男の人が声をかけてきた。
「おお、ありがとう。頼むよ」
こうなると不思議なもので、次から次へと作業に加わる人が増える。
ポケットナイフについてる小さなのこぎりで枝を切る人もでてきた。
見も知らぬ人が集まり、一つの目標に向かい各自ができることをする。
愚痴を言う人は一人もいない。ネガティブな想いを持つ人は、この輪がまぶしすぎて近寄れない。
時にはジョークと笑いが飛び交い、和やかな雰囲気で作業は進む。
誰かに強制されるのではなく、全て自発的な行動だ。やっていて気持ちが良い。
40分ほどで車1台分のスペースができた。
ボクはみんなに言った。
「さあ、もういいだろう。みんなよくやってくれた。ありがとう。ここを通るときは気をつけて通ってくれ」
車に戻り、エンジンをかける。
ボクが最初に通る権利がある。
みんなが見守る中、地面を荒らさないよう、そろそろと通る。
これなら乗用車ならば問題はなかろう。大きな車は通れないが、それは仕方ない。道具もないし全ての人を助けることはできない。
倒木を抜けて、反対側の人にも声をかける。
「手伝ってくれてありがとう。みんな気をつけてな。良い旅を。」



かなりの時間、道がふさがっていたのでボクの前には車はいない。
誰もいない道を快調に飛ばす。
途中で4駆のトラックとすれ違った。
工事車両らしいし、彼らが何かの道具を持っているだろう。
とんだ旅の終わり方だが、これも経験。経験は財産である。この財産は目に見えないが自分を豊かにする。
又一つ、西海岸の思い出が増えた。
次にこの場所を通る時に、今日のことを思い出すだろう。
こうしてボクの西海岸への想いは膨らんでいく。
今年の夏休みが終わった。





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動いて考えてまた動く

2011-07-09 | 日記
娘の深雪は9歳、日本の小学校ならば4年生だ。
毎日こっちの学校に行っているが、週に1回日本語の補習校にも行っている。
そこでは日本で使う教科書を使い国語と算数の勉強をする。
子供の国語の教科書に『動いて考えてまた動く』という話があった。
今は現役を退いてコーチをやっている陸上競技の人の話だ。
内容は自分の経験を元に、行動し失敗や成功という経験を得てそこからさらに考えて行動をすると良い結果が得られる、という話である。

ある時、深雪に学校へ持っていくお菓子を作らせた。
今まではチョコチップクッキーを作っていたが、それにも飽きてきたのだろう。
自分で本を見ながらチョコレートマフィンを作った。
ボクも女房も何も言わず、自分一人で好きなように作った。
できあがったマフィンはそこそこ美味しかったが、チョコチップが底に沈みそこが焦げ付いてしまった。
「さあさあ、オマエは自分でこれを作った。すばらしい事だ。よくやった。次は考えることだな。今回はチョコチップが底に沈んだから焦げ付いた。それならば底に沈まないようにすれば良くないか?」
「どうやって?」
「そうだな、例えばチョコチップなしのマフィンを型に半分入れて、チョコチップは後から入れるとかな」
「ああ、そうか」
「そうやって考えてまたやってみる。上手くいくかもしれない、失敗するかもしれない。どっちの結果が出てもオマエの経験となるんだからな。失敗を恐れるな。お父さんなんかオマエぐらいのときにお菓子を作ったら塩と砂糖を間違えて、しょっぱいケーキを作っちゃったんだよ」
「ええ?それ食べた?」
「いや、不味くて食べられなかった」
「あはははは」
経験は笑い話のネタにもなる。

深雪の教科書の話ではないが、まずやってみるということが大切なのだが、行動の最初の一歩が出ない人は多い。
特に新しいことを始める時には「上手くいかないんじゃないか」という想いが芽生え尻込みして行動にうつせなくなってしまう。
人間は常に不安、心配などネガティブな面を持つものだ。
それは自分の心から生まれる。
逆に言えば上手くいくイメージがわけば全てが上手くいく。
もしくは無心でやってみたらできちゃった、ということもある。
僕自身、いろいろなものを作っているが、やってみたら意外と簡単だった、ということは多い。
まずはやってみること。そして仮に失敗をしたとしてもそこから次に発展すればよいのだ。
だが今の世の中、失敗を恐れるのかすぐに聞く。
行動をしないで聞く。
行動をすれば質問はより具体的なものになるのだが、行動と思考がついてこないので質問も抽象的なものになる。
なんでもいいから教えてくださいというように。
さらにネットが普及したことによって、気軽に聞けるようになった。
自分で考えないで聞く。
聞くほうも匿名、答える方も匿名なので、内容は薄い。
無味無臭、あたりさわりのない言葉だけが飛び交う。
ボクは人に物を聞くときには、それを知っていそうな人に聞く。
料理のことならシェフの友人に、コンピューターのことならそれに詳しい人に。
人に聞くことは悪いことではない。
昔から言うではないか、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
だがそれには自分で考えるという、自分の責任がついて回るものだ。
考えることを放棄して、都合のいい情報だけをゲットするというのは、今の世の中の流れがそうさせているのだろうか。
できることならば人に聞かないで自分で考えて、さらに次の行動へ移すのが良かろう。
失敗をしたならば、何故失敗をしたのか。失敗を繰り返さないためにはどうすればよいのか。
成功したなら上手くいった原因をつきとめ、さらにそこを伸ばしてよりよいものを作っていくというように。
人に聞く場合でも、それを鵜呑みにするのではなく、自分でもその点を納得してやる、ということに意味があるだろう。

行動の原動力は気持ちである。
何事も本人が、さあやろうと思わなければ始まらない。
周りが「こうすれば?」と言ったからという受身でやるのと、自分がその気になったからという自発では、結果も変わってくる。
絵を描くのが好きではないが、本を読むのは好きという子供に絵を描かせても上手くはいかないだろう。
それならばその子は本を読んだほうが、その子のためでもある。
その子もその時が来れば絵を描き始めるかもしれない。
その時が来ないかもしれない。それは自分で決めることだ。
娘はお菓子作りを始めたばかりだが、最近では自分で台の上に必要な道具を出して、一人でてきぱきとやっている。
親バカだがボクはそんな娘を見るのが好きだ。
チョコチップマフィンはボクがチョコチップを買うのを忘れているので頓挫したままだ。
動いて考えてまた動こうとしたら、親がいいかげんなので動けなかったというお話である。
今日こそはチョコチップを買おう。

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フォークス日記 10

2011-07-06 | 
トンネルの中はひんやりとした空気が流れていた。
足元には絶えず水が流れている。
入り口付近は明るいが、先に進むにつれ光も届かなくなり闇の世界へと変わっていく。
ある程度先へ進み振り返ると明るい光が見えるが、進行方向は漆黒の闇である。
両手を壁につたわらせながらソロソロと進む。
こうなると目を開けていても閉じていてもたいして変わらない。
大丈夫だと聞いていたが、目の前に岩の壁があるのではないか、顔をぶつけるのではないか、という思いが頭をよぎり、時々手を前に出し何も無いことを確認しながら進む。やっぱり心配は自分の心から生まれるものだ。
数分も進むと外の明かりの全く届かない完全な闇にボクは包まれた。
あおしろみどりくろ、とはこの国でボクが見た色の話である。
青は空の青、海の青、湖の青、川の青、氷河の青。
白は雪の白、雲の白、氷の白。
緑は木々の緑、草原の緑、コケの緑、シダの緑。
そして洞窟の闇に色があるとするならば黒である。
黒一色の闇を進むと、目の前にほのかな淡い青白い光の点が現れた。
土ボタルだ。
この虫は蚊の幼虫で洞窟などに住み、明かりを出して他の虫をおびき寄せ食べてしまう。
成虫には口が無く、わずか数日のはかない命だ。
幼虫は小さな糸ミミズのようなもので、洞窟などの天井から2~3cmの糸を何本も垂らし、その間を横糸で移動する。
明るい時に見るとあまりきれいなものではないが、闇の中では青白い光は幻想的でプラネタリウムのようだ。
北島のワイトモや南島のテアナウではこの土ボタルを見るツアーもある。
先に進むにつれ、青白い点は数を増しボクの頭上には宇宙空間のような星空が広がった。

「うわあ、ヤバイ」
自然とそんな言葉が口から出た。
ちなみにボクは普段ヤバイという言葉は使わない。
ヤバイとは本来、危ないという意味があるが、若い世代ではこの言葉を、ものすごくすごいとか、時にはものすごく美味しいという時に使う。
そんな言葉が出てくるほど、この見方はヤバイ。
土ボタルを見たのは初めてではない。だがこんなふうに見たのは初めてだ。
土ボタルの数で言えばテアナウやワイトモのそれははるかに多いし綺麗だ。
だが観光地となってしまった場所ではこの感覚はつかめない。
この場所にはこの場所なりの良さがある。
やっぱり今回もまた、この国にやっつけられてしまった。
とことんこの国は奥が深い。
歩く前の情報が少なかった分、感動も大きい。
ここまで来て、何故タイが明かりを使わないで、しかも一人ずつ間隔を空けて歩かせたか理解できた。
確かにこのトンネルトラックを歩くのには、この歩き方がベストだ。
ガイドというのはその場所のベストな楽しみ方を知っている人間である。
アウトドアガイドのもてなしは、その場その時での最高の楽しみ方を教えることだ。
これは日本の心に通ずるものがある。
和食の真髄とは素材の旨みを最大に引き出すことである。
茶の心とはそこにあるもので最高のものを出してもてなす気持ちだ。
禅の教えの一つである一期一会は、その瞬間の中に全てを見出すことだ。
ニュージーランドの自然という素材の旨さを最高に引き出し、そこに来た人に楽しみというもてなしをする。
それがガイドの腕なのだ。
そしてそれを突き詰めていくと、その人の人間性、価値観、人生哲学へと発展していく。
タイがガイドをしている現場を見たことはない。
だがヤツと話をして、ヤツのブログを読めば、ガイドとしてどうやってお客さんと接しているかは分かる。
タイも良いガイドに育っている。
こういう若き友を持ったことに喜びを感じる。

トンネル内は相変わらずの闇で、見えるものは青白い点だけだ。
体は歩きながらだが、ボクの意識は青白い光の間を飛んでいく。
さながらスターウォーズの小型飛行艇みたいなものに乗って星の間を飛ぶように、青白い光の点の間をカーブを描きながら意識は飛ぶ。
これもまた小宇宙である。
ボクはこの宇宙遊泳を存分に楽しんだ。
先ほどまでの不安はどこかに飛んでいってしまった。
先へ進むのがもったいないような気がして、ゆっくりゆっくりと歩いた。
この瞬間の中に全ての物事はあり、それを感動が包む。
トンネルの奥深くで大きく曲がりやがて外の光が見え始めた。幻想的な土ボタルもいなくなる。
小宇宙へのトリップから現実世界へ戻ってきた。
トンネルを抜けた場所は崖の中腹で特に何かがあるわけではない。
その先にもう一つトンネルがあるがそこは立ち入り禁止。
ヘッドライトをつけてトンネルを歩き、この場所にたどり着いても感じるものはないだろう。
やはりこのトラックの一番の見所はトンネル内のあの小宇宙だ。
「いやあ、タイよ。良い経験をさせてもらった。ありがとな。この歩き方は自分で見つけたのか?」
「いや、これは俺も地元の友達に連れてきてもらったんですよ。その人は満月の夜にここに一人で来るなんて言ってましたよ。でもこれは人によっては恐怖で進めなくなる人もいるでしょうね」
「確かにな。心の奥に影があったらそれがでっかくなっちゃうという人もいるだろうな」
僕らは恐怖に押しつぶされることもなくトンネルトラックを満喫した。
それはやはりガイドと案内される人との信頼関係も関係する。






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父性愛

2011-07-02 | 日記
母性愛という言葉がある。
読んで字のごとく、母親の愛である。
これは自分の子供が可愛くて可愛くて、子供が存在するだけでいいの、という愛である。
子供の健全な成長のためならなんでもする。目の前に障害があるなら取り除いてやる。
子供の安全のためなら自分を犠牲にすることさえも苦と思わない。
子供の痛みは自分の、いやそれ以上の痛みである。
実際、親は自分の痛みには耐えられるが子供の痛みには耐えられない。
子供が病気になれば、母親はいたれりつくせりで看護する。
一昔前なら病気の子供を背負って夜中に医者の戸を叩く、というものだ。
これは無償の愛であり、見返りは求めない。見返りがあるとすれば子供の健全な成育だ。
この愛は一歩間違うと、子供を甘やかすことになる。
母親が子離れできずに、こどもから判断する機会を奪うことはよくある話だ。
特に母親と息子という関係では多いのではなかろうか。
子供から決断することを奪うばかりか、自分の価値観さえ押し付ける。
「○○ちゃん、あなたは何も考えなくていいのよ。あなたのことは全てママが決めてあげるわ。あなたはママの言う通りにやっていればいいの。そうすれば一流の学校に行けるし一流の会社に入れるのよ」
ボクの周りにはいないが、こういうバカ親も世の中にいるはずだ。

最近ではそんなバカ親にもなれない、自分の子供に危害を与えるというものも出てきた。
動物だって自分の子供をすすんで傷つけたりはしない。
それは自分が虐待されたとか、それぞれの理由があろうが、人としてという基本的な物がない人も世の中にはいる。
虐待される子供も可哀そうだが、虐待する親も可哀そうだ。
ずいぶん重いカルマを背負っているが、これは自分で解決するしかない。
虐待としつけは違う。
今はこの区別もできないような世の中だ。
親にとって、特に母親にとって、子供の痛みは自分の痛みである。
子供は自分の中から産まれた存在で、自分の分身でもある。
そんな分身に痛みを与える時には、自分の心はもっと傷つくであろう。
ボクは子供の頃、父親によく叩かれた。
家にはケツを叩く用の棒があり、僕たち兄弟は悪さをすると、「ケツを出せ」と言われバチンと叩かれて育った。
昭和中期だったら別段珍しくもないことだ。
でも一度だけ母親にビンタをされたことがある。
その時に母親はボクを叩き、泣いた。
ボクよりも母親は痛かったことだろう。

母性愛が子供に尽くし痛みを和らげ障害をとり除くものならば、父性愛は子供を突き放し時には痛みを与え障害を置くものだ。
母性愛は無条件の愛で、父性愛は条件付の愛だと誰かが言っていた。
子供の行く手にハードルを置き、それを乗り越えた時に誉める。
次に置くハードルはさらに高いものを置き、子供に自分で超えさせて、できた時にはもっと誉める。
痛みを与えるのも父親の役目だ。
子供が間違った方向に進みそうな時に、痛みを与え気づかせる。
娘が2歳ぐらいの頃、来客の前だったが食べ物を投げて遊ぶ娘の手を思いっきりひっぱたいた。
当然、娘はワンワン泣いた。
ここで母親の出番である。
腫れた娘の手を女房はさすってあげた。
痛みが落ち着いた後に娘にきっちりと説明をした。
食べるものを粗末にすることは、人間としてやってはいけないことなのだ。だから叩いた。
娘はしっかりと理解し、二度と繰り返すことはなかった。
「まだ小さいのに、なにも叩かなくても」
そういう声も聞こえてきそうだが、女房の口からその言葉はなく、ひたすらやさしく娘の手をさすり続けた。
よくできた母親である。
子供にとって父親は怖い存在であるべきだと思う。
これもまだ娘が小さい時の話だが、女房の母親が洗濯物を畳んでいて、畳むそばから娘がそれを引っ掻き回していた。
「何をしている、お前は!」
ボクは烈火のごとく怒り、娘を怒鳴りつけた。
娘は怖がり、その場で泣き出した。
落ち着いた後に、娘と向かいあって話し、娘がやったことは人の好意を踏みにじるものだと教えた。
きっちりと教えれば小さくても子供は理解する。
それには親が誠心誠意をもって全力であたらなければいけない。
「まだ小さいから分からない」というのは親が教育を放棄する言い訳だ。
それを教えることが親の務めである。

ある父親と話したが、娘がテレビを見すぎて困る、「テレビを見るのをやめなさい」と言っても言うことを聞かないそうな。
ボクに言わせれば簡単なことだ。
テレビをしまえばいい。
それは父親の役目だ。
父親はやると言ったらやるんだぞ、というところを見せなくてはならない。
以前も書いたが、僕の父親はチャンネル争いをやめない僕たち兄弟の目の前でテレビを叩きつぶした。
昭和の頑固親父だ。
その時には父親を恨んだが、今ではそんな父親に感謝をしている。
当たり前の状態に、喜びはない。
テレビの無い状態を知ることにより、テレビを見る喜びを感じるのだ。
子供がその事に気づくためなら、自分がテレビを見るのも我慢するべきだ。
その時に父親は嫌われ者になるだろう。
だがそこでテレビ以外の楽しみを教えるのも父親の役目だ。
何かがなければ幸せになれない、というのは本当の幸せではない。幸せは常にそこにあるものだ。
それに気づいたときにテレビを再び出せば良い。
だいたい今時の父親は子供に嫌われることを恐れていないか?
子供のご機嫌をとるだけの父親になってはいけないと思う。
それでも厳しくするだけでは息が詰まってしまうので、時には甘さも必要だ。
そのバランスが大切なのではなかろうか。
母性愛と父性愛、片親でもこれを両方持っている人はいる。
両親がいても、バランスの取れていない家もある。
子供がどう育つか、それは自分自身の内部を見つめることに鍵がある。
だって昔からよく言うじゃないか、『子は親の鏡』だってね。
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