クィーンズタウンの話の続きである。
ボクのクィーンズタウンでの仕事はスキー場までのドライバー。
ガイドではない。
ガイドはちゃんとついていて彼がお客さんの案内をする。
もちろんボクはガイドをできるぐらいの力はあるが、あんまりしゃしゃりでるのもナンだからドライバーに徹している。
スキー場へ着けばあとは帰る時間まで自由だ。
1日中好きなように滑って、これでお金がもらえるのだからスキーが好きな人にはたまらない仕事だ。
天気やお客さんの様子に合わせて、日替わりであちこちのスキー場へ行く。
先日はカドローナへ行った。
このスキー場には3回ぐらいしか行ったことがない。最後に行ったのは15年前だ。
この山は全体的に緩やかなので初級者や中級者向き、どちらかと言えばファミリースキー場である。
急斜面やオフピステもあることはあるのだが、あっというまに終ってしまう。
オフピステスキーヤーのボクにはあまり魅力はない。
ここはハーフパイプやパークが売りで、そういった系統の人達が集まるらしい。
滑りはさておき、そこは山である。
山頂から裏を見ればクィーンズタウンの方まで見渡せるし、反対側にはワナカ方面の湖も見える。
正面の山脈も雪をかぶって美しいし、遠くにはセントラルオタゴの丘が雪化粧で連なっている。
だがこんなきれいな場所にいながら感動は薄い。
車でガーっと上がってきて、そのままリフトに乗って、あまりに手っ取り早く来たからだろうか。
たぶん下から自分の足で登って来て、この景色を見たらもっと感動することだろう。
ボクが行った日はとんでもない強風で、「良くこの状態でリフトを動かしているな」と思っていたらすぐに止まってしまった。
その後はそのまま観光。まあこういう日もあるだろう。
翌日はリマーカブルス。
正式名称はThe Remarkables なのだがこちらの人は略してリマークスと言う。
ここに住んでいる日本人はさらに略してリマと呼ぶ。
ボクはリマと聞けばペルーの首都リマを思い出してしまうし、この呼び方が好きではないのでリマークスと言っている。
ちなみにコロネットピークはこっちの人はコロネット、日本人はコロピーと呼ぶ。
リマにしてもコロピーにしても日本人の間でしか通用しない言葉だ。
こうやって略語で新しい言葉が生まれるのは日本人の血筋なのか。日本人独特の略しかたというものもある。
言葉という物は生き物なのだと、つくづく思う。
お客さんを連れて山へ上がったら、その後は自由である。
滑り放題、ただしここではリフト券は出ない。
はっきり言ってしまえばここの会社がケチなのだが、そんなことは今始ったことではない。
リフト券を自分で買うか、もしくはハイクアップ。滑り放題は登り放題でもある。
ボクは迷わずハイクアップを選んだ。リマークスのバックカントリーはなかなか良いのだ。
ザックにスキーを縛り付けて歩き始める。
圧雪してある場所は歩きやすい。
リフトの下をくぐるときにだれかが上から声をかけた。
「リフトの方が楽だし速いぞ!」
「分かってるよ。俺はハイクアップが好きなんだ」
「そりゃいいや。がんばれよ」
こういうやりとりに心が和む。
リフト1本分を上がり、そこからはゲレンデの喧騒から離れる。
誰もいない中、一歩一歩雪を踏みしめて登る。
誰かとワイワイ行くのもいいが、一人でこういう世界に入って行くのも良い。精神性が高まる。
雪崩の心配をするほど雪はついていないし、リラックスしながら山を楽しめる。
このコースは夏山ハイキングでお客さんを案内するコースで、自分の庭のようなものだ。だが夏と冬では景色は完全に別物だ。
尾根まで出れば別の世界が広がっているの分かっているが、今日は風も強く単独行である。新雪があるわけでもなし、無理に登ってもしかたない。
安全第一。レイクアルタまでで充分だ。
レイクアルタは直径300mぐらいの小さな湖で、冬になると凍りつきその上に雪が積もる。
ボクは湖の真中まで行き、立ち止まった。
夏場はいけない場所も、季節が変われば行ける。
スキーは雪山を移動する道具でもある。
岩山に囲まれた雪原に一人。
景色は恐ろしいほどに美しく、感覚は研ぎ澄まされる。
決して答えの出ない問い、自分の存在価値の答えの一つを実感する。
この山は若いときに何回も来ているし、この場所も通ったことも何十回もある。
だがその時には滑ることにばかり意識が向いていて、こんなにゆっくり止まったことはない。
歳をとったからか、山に対する感覚も変わってきた。
変化は常に自分の中から起こる。その変化を楽しめるようになると世界は広がる。
天気が良ければここで昼寝なんてのもいいが、風は相変わらず強い。
自然の中では人間は無力である、という法則を再確認。
数分でゲレンデへ戻り、あっというまにデイロッジへ戻る。
お手軽バックカントリー無事終了。
この日滑ったのは1本だけだが、密度の濃い1本だった。
こんな日もよろしい。
ボクのクィーンズタウンでの仕事はスキー場までのドライバー。
ガイドではない。
ガイドはちゃんとついていて彼がお客さんの案内をする。
もちろんボクはガイドをできるぐらいの力はあるが、あんまりしゃしゃりでるのもナンだからドライバーに徹している。
スキー場へ着けばあとは帰る時間まで自由だ。
1日中好きなように滑って、これでお金がもらえるのだからスキーが好きな人にはたまらない仕事だ。
天気やお客さんの様子に合わせて、日替わりであちこちのスキー場へ行く。
先日はカドローナへ行った。
このスキー場には3回ぐらいしか行ったことがない。最後に行ったのは15年前だ。
この山は全体的に緩やかなので初級者や中級者向き、どちらかと言えばファミリースキー場である。
急斜面やオフピステもあることはあるのだが、あっというまに終ってしまう。
オフピステスキーヤーのボクにはあまり魅力はない。
ここはハーフパイプやパークが売りで、そういった系統の人達が集まるらしい。
滑りはさておき、そこは山である。
山頂から裏を見ればクィーンズタウンの方まで見渡せるし、反対側にはワナカ方面の湖も見える。
正面の山脈も雪をかぶって美しいし、遠くにはセントラルオタゴの丘が雪化粧で連なっている。
だがこんなきれいな場所にいながら感動は薄い。
車でガーっと上がってきて、そのままリフトに乗って、あまりに手っ取り早く来たからだろうか。
たぶん下から自分の足で登って来て、この景色を見たらもっと感動することだろう。
ボクが行った日はとんでもない強風で、「良くこの状態でリフトを動かしているな」と思っていたらすぐに止まってしまった。
その後はそのまま観光。まあこういう日もあるだろう。
翌日はリマーカブルス。
正式名称はThe Remarkables なのだがこちらの人は略してリマークスと言う。
ここに住んでいる日本人はさらに略してリマと呼ぶ。
ボクはリマと聞けばペルーの首都リマを思い出してしまうし、この呼び方が好きではないのでリマークスと言っている。
ちなみにコロネットピークはこっちの人はコロネット、日本人はコロピーと呼ぶ。
リマにしてもコロピーにしても日本人の間でしか通用しない言葉だ。
こうやって略語で新しい言葉が生まれるのは日本人の血筋なのか。日本人独特の略しかたというものもある。
言葉という物は生き物なのだと、つくづく思う。
お客さんを連れて山へ上がったら、その後は自由である。
滑り放題、ただしここではリフト券は出ない。
はっきり言ってしまえばここの会社がケチなのだが、そんなことは今始ったことではない。
リフト券を自分で買うか、もしくはハイクアップ。滑り放題は登り放題でもある。
ボクは迷わずハイクアップを選んだ。リマークスのバックカントリーはなかなか良いのだ。
ザックにスキーを縛り付けて歩き始める。
圧雪してある場所は歩きやすい。
リフトの下をくぐるときにだれかが上から声をかけた。
「リフトの方が楽だし速いぞ!」
「分かってるよ。俺はハイクアップが好きなんだ」
「そりゃいいや。がんばれよ」
こういうやりとりに心が和む。
リフト1本分を上がり、そこからはゲレンデの喧騒から離れる。
誰もいない中、一歩一歩雪を踏みしめて登る。
誰かとワイワイ行くのもいいが、一人でこういう世界に入って行くのも良い。精神性が高まる。
雪崩の心配をするほど雪はついていないし、リラックスしながら山を楽しめる。
このコースは夏山ハイキングでお客さんを案内するコースで、自分の庭のようなものだ。だが夏と冬では景色は完全に別物だ。
尾根まで出れば別の世界が広がっているの分かっているが、今日は風も強く単独行である。新雪があるわけでもなし、無理に登ってもしかたない。
安全第一。レイクアルタまでで充分だ。
レイクアルタは直径300mぐらいの小さな湖で、冬になると凍りつきその上に雪が積もる。
ボクは湖の真中まで行き、立ち止まった。
夏場はいけない場所も、季節が変われば行ける。
スキーは雪山を移動する道具でもある。
岩山に囲まれた雪原に一人。
景色は恐ろしいほどに美しく、感覚は研ぎ澄まされる。
決して答えの出ない問い、自分の存在価値の答えの一つを実感する。
この山は若いときに何回も来ているし、この場所も通ったことも何十回もある。
だがその時には滑ることにばかり意識が向いていて、こんなにゆっくり止まったことはない。
歳をとったからか、山に対する感覚も変わってきた。
変化は常に自分の中から起こる。その変化を楽しめるようになると世界は広がる。
天気が良ければここで昼寝なんてのもいいが、風は相変わらず強い。
自然の中では人間は無力である、という法則を再確認。
数分でゲレンデへ戻り、あっというまにデイロッジへ戻る。
お手軽バックカントリー無事終了。
この日滑ったのは1本だけだが、密度の濃い1本だった。
こんな日もよろしい。