雨、雨、雨。
小屋の中は石炭ストーブが赤々と燃えているが、外はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨である。
今回の仕事はミルフォード一泊二日。
お客さんをミルフォードサウンドへ送り、夕方4時半の船が出航したら次のピックアックは明朝9時。
それまでは自由。自分の為の時間である。
普通ならミルフォードサウンドにあるロッジに泊まるのだが、ピークシーズンで一杯の為、ホリフォードにあるガンズキャンプに泊まることとなった。
ここには何回か来た事はあったが、一度は泊まりたいなあと思っていた場所だ。こうしたいなあ、と思っていると、とことんそうなるように出来ている。
ガンズキャンプはホリフォードリバーのほとり、原生林に囲まれたところにひっそりとある。ニュージーランドの中でも最も人里離れた場所の一つだ。
ここの開拓者のガンさんの名前からガンズキャンプである。頭上にはマウントガンがあるはずなのだが雨で何も見えない。
夕方5時ごろガンズキャンプに着いた。プライベートキャビン3号室は予約済みである。
プライベートキャビンと聞くと聞こえがいいが、そこはそれガンズキャンプである。
こじんまりとした山小屋は六畳ぐらいの二部屋に別れ、一つは寝室、一つは居間だ。
居間には石炭ストーブ、流し(水は出るがお湯はない)、ソファー、椅子、テーブルがある。寝室には二段ベットが一つ。必要最低限の物はあるが余計なものは何もない。
キャビンの前にはトタン葺きの駐車スペースがある。その前にはホリフォードリバーが流れ、その向こうに森が広がる。
ここで雨の森と川を眺めボケーっとするのも悪くない。
ストーブに火をいれ、頃合を見計らって石炭をくべる。小屋の煙突から煙がもくもくと出て周りの森に消えていく。今晩の自分の城が出来上がった。
この周りもちょっとした散歩道はあるが、この雨では気軽に歩くという気分にもなれない。
椅子を外に出し雨を眺める。
ボクは山小屋のテラスなどで雨を見るのが好きだ。
何百億という雨粒は、あるものはコケを潤し、あるものは岩肌を伝わり、あるものはシダからしたたり、目の前の川に呑まれ大きな流れとなり海へつながる。
おおいなる自然の営みがここにある。
トーマスとこの先のモレーンクリークを歩いたのは何年前だっただろう。森を抜け湿地帯を通り岩肌を上った思い出がよみがえる。息を呑むほど美しい、あの池も今は雨の中だろう。
その時の経験は自分の財産となり自分自身を大きくした。
対岸の森は雨に煙る。この国特有のくすんだ緑色が美しい。見えるものは木々だが、あの下にもシダは生い茂り地表は厚い苔で覆われている。
何億という無数の命にボクは囲まれている。
森のエネルギーをひしひしと感じ深呼吸。体の中にエネルギーが入ってくるのが分かる。
こうなると指先はピリピリとしびれ、木々の一つ一つが浮かび上がって見える。緑色は美しさを増し、雨の匂いが漂ってくる。
目を閉じて音に意識を集める。雨は強さを増し屋根のトタンを叩く。川がゴーッと流れる音が響く。
ボクは今、幸せだ。
幸せとは常にそこにあるものなのだ。
こんな場所でギターがあったらなあ。
ぼくはダメモトで管理人のオフィスに行った。ひょっとしたら誰かが捨てていった、絃が何本か切れているボロボロのギターがあるかもしれない。
「あのう、ここには借りられるギターなんてのはないでしょうか?」
「あら、あなたギターを弾くの?あるけど絃が一本切れているのよ」
「一本?じゃあ5本は残ってるんですね。借してもらえませんか?」
「いいわよ、ちょっと待っててね」
おばちゃんは奥からケースに入ったギターを出してきた。切れているのは6弦だけで、予想に反してちゃんとしたギターだ。
「チューニングは合ってると思うわ。どんな曲を弾くの?」
「マオリの曲なんかを少しね」
「あら、いいわね。私はカントリーをやるのよ。ギターは明日返してくれればいいわ」
「ありがとう。お借りします」
ボクはテラスにすわりギターを弾き始めた。
この景色の中ではマオリの唄だろう。それが一番この景色に合うからだ。
民族音楽と景色とは関連がある。
南米アンデスを旅したときには、『コンドルは飛んで行く』のようなパンパイプの音がアンデスの山々の景色に合った。
南太平洋を旅した時には、沈む夕日にヤシの木のシルエットという景色がウクレレとかハワイアンのような音に合った。
シルクロードを旅した時には、哀しげなびわのような弦楽器の音が、砂埃が舞う砂漠の街の風景に合った。
アルゼンチンではアコーディオンとギターのマイナー調のアルゼンチンタンゴがブエノスアイレスの町の景色に合った。
民族音楽というのはその地で生まれた音楽である。そこの景色にぴったり合うのが当然と言えば当然だろう。
そしてここニュージーランドでは、マオリの唄なのだ。
ギターを弾いて唄を歌う。
ガンズキャンプの親父がボクの曲にあわせ、踊りながら仕事をしていった。
悪くないぞ。全くもって幸せである。
親父が去ってからもボクは歌い続ける。
観客は雨だ。
ボクの歌声は雨に煙るフィヨルドランドの森に消えていった。
小屋の中は石炭ストーブが赤々と燃えているが、外はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨である。
今回の仕事はミルフォード一泊二日。
お客さんをミルフォードサウンドへ送り、夕方4時半の船が出航したら次のピックアックは明朝9時。
それまでは自由。自分の為の時間である。
普通ならミルフォードサウンドにあるロッジに泊まるのだが、ピークシーズンで一杯の為、ホリフォードにあるガンズキャンプに泊まることとなった。
ここには何回か来た事はあったが、一度は泊まりたいなあと思っていた場所だ。こうしたいなあ、と思っていると、とことんそうなるように出来ている。
ガンズキャンプはホリフォードリバーのほとり、原生林に囲まれたところにひっそりとある。ニュージーランドの中でも最も人里離れた場所の一つだ。
ここの開拓者のガンさんの名前からガンズキャンプである。頭上にはマウントガンがあるはずなのだが雨で何も見えない。
夕方5時ごろガンズキャンプに着いた。プライベートキャビン3号室は予約済みである。
プライベートキャビンと聞くと聞こえがいいが、そこはそれガンズキャンプである。
こじんまりとした山小屋は六畳ぐらいの二部屋に別れ、一つは寝室、一つは居間だ。
居間には石炭ストーブ、流し(水は出るがお湯はない)、ソファー、椅子、テーブルがある。寝室には二段ベットが一つ。必要最低限の物はあるが余計なものは何もない。
キャビンの前にはトタン葺きの駐車スペースがある。その前にはホリフォードリバーが流れ、その向こうに森が広がる。
ここで雨の森と川を眺めボケーっとするのも悪くない。
ストーブに火をいれ、頃合を見計らって石炭をくべる。小屋の煙突から煙がもくもくと出て周りの森に消えていく。今晩の自分の城が出来上がった。
この周りもちょっとした散歩道はあるが、この雨では気軽に歩くという気分にもなれない。
椅子を外に出し雨を眺める。
ボクは山小屋のテラスなどで雨を見るのが好きだ。
何百億という雨粒は、あるものはコケを潤し、あるものは岩肌を伝わり、あるものはシダからしたたり、目の前の川に呑まれ大きな流れとなり海へつながる。
おおいなる自然の営みがここにある。
トーマスとこの先のモレーンクリークを歩いたのは何年前だっただろう。森を抜け湿地帯を通り岩肌を上った思い出がよみがえる。息を呑むほど美しい、あの池も今は雨の中だろう。
その時の経験は自分の財産となり自分自身を大きくした。
対岸の森は雨に煙る。この国特有のくすんだ緑色が美しい。見えるものは木々だが、あの下にもシダは生い茂り地表は厚い苔で覆われている。
何億という無数の命にボクは囲まれている。
森のエネルギーをひしひしと感じ深呼吸。体の中にエネルギーが入ってくるのが分かる。
こうなると指先はピリピリとしびれ、木々の一つ一つが浮かび上がって見える。緑色は美しさを増し、雨の匂いが漂ってくる。
目を閉じて音に意識を集める。雨は強さを増し屋根のトタンを叩く。川がゴーッと流れる音が響く。
ボクは今、幸せだ。
幸せとは常にそこにあるものなのだ。
こんな場所でギターがあったらなあ。
ぼくはダメモトで管理人のオフィスに行った。ひょっとしたら誰かが捨てていった、絃が何本か切れているボロボロのギターがあるかもしれない。
「あのう、ここには借りられるギターなんてのはないでしょうか?」
「あら、あなたギターを弾くの?あるけど絃が一本切れているのよ」
「一本?じゃあ5本は残ってるんですね。借してもらえませんか?」
「いいわよ、ちょっと待っててね」
おばちゃんは奥からケースに入ったギターを出してきた。切れているのは6弦だけで、予想に反してちゃんとしたギターだ。
「チューニングは合ってると思うわ。どんな曲を弾くの?」
「マオリの曲なんかを少しね」
「あら、いいわね。私はカントリーをやるのよ。ギターは明日返してくれればいいわ」
「ありがとう。お借りします」
ボクはテラスにすわりギターを弾き始めた。
この景色の中ではマオリの唄だろう。それが一番この景色に合うからだ。
民族音楽と景色とは関連がある。
南米アンデスを旅したときには、『コンドルは飛んで行く』のようなパンパイプの音がアンデスの山々の景色に合った。
南太平洋を旅した時には、沈む夕日にヤシの木のシルエットという景色がウクレレとかハワイアンのような音に合った。
シルクロードを旅した時には、哀しげなびわのような弦楽器の音が、砂埃が舞う砂漠の街の風景に合った。
アルゼンチンではアコーディオンとギターのマイナー調のアルゼンチンタンゴがブエノスアイレスの町の景色に合った。
民族音楽というのはその地で生まれた音楽である。そこの景色にぴったり合うのが当然と言えば当然だろう。
そしてここニュージーランドでは、マオリの唄なのだ。
ギターを弾いて唄を歌う。
ガンズキャンプの親父がボクの曲にあわせ、踊りながら仕事をしていった。
悪くないぞ。全くもって幸せである。
親父が去ってからもボクは歌い続ける。
観客は雨だ。
ボクの歌声は雨に煙るフィヨルドランドの森に消えていった。