あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

大雪に思ふ。

2021-01-18 | 日記
越後から大雪の知らせが届く。
越後と言うと越後湯沢を連想する人も多いが、僕が言っているのは今の上越市の辺りである。
1990年代半ば、僕はその辺りで時を過ごした。
当時は20代後半、怖いもの失うものなど無くイケイケでやっていた頃だ。
雪の深さは定評のあるスキー場で、朝普通に出勤して夕方帰ろうと駐車場へ行くと車が雪で埋まっていてどれが自分の車か分からない。
雪かきをして車へたどり着いて端から掘ってみたら、違う車だったというのも2度や3度ではない。
しまいには雪が降る日は竹竿などを車の脇に立てて目印にした。
そんな場所だが地元の人は「昔の雪はこんなもんじゃあなかった」と言った。
確かに市街地では大雪の時に二階から出入りできるような造りになっているが、僕が住んでいた時にはそこまでの雪は降らなかった。
それでもそこに住んでいれば、雪かきという仕事からは逃れられない。
朝仕事へ行く前に雪かきをして、スキー場ではパトロールの仕事で雪かきをして、夕方駐車場で雪かきをする。
そんな日もあった。
おかげで雪かきがずいぶん上手になったものだった。

僕の出身は駿河の国、清水である。
ちなみに今では合併で清水は静岡市の一部となってしまった。
これは清水に限ったことではないが、日本中どこでも合併合併で昔の地名が失われ、代わりに由緒もロマンもセンスのかけらもない地名ができている。
時代の流れと言えばそれまでだが、地名には土地ごとの歴史があり、それが廃れていくのは憂べきことだ。
話が逸れたが、清水は上越とは本州を挟んだ太平洋側にあり、気候も温暖で雪なぞ降ったことがない。
九州で雪が降っても清水には雪は降らない。
風花(かざはな)と呼ばれる、晴れた日に微小な雪がチラチラと舞う現象が数年に一度起こるぐらいか。
清水では雪は降るのでなく舞う物なのだ。
そんな所に住んでいれば雪かきなどという仕事は一生することなく、それはテレビの向こうの出来事だ。
雪国の生活は大変だと頭では想像できても、経験しないしする必要もないから所詮は他人事なのだ。
頭で考えて理解するのと、実際に身をその場に置き経験して感じるのではえらい違いだ。
人間というのはかなりの頻度で、頭での理解で全てを分かったような気になる。
それに初めて意識的に気がついたのは20代の半ばだった。

僕はスキーパトロールの仕事で、福島県のアルツ磐梯というスキー場に居た。
新潟ほどではないがそれなりに雪の多い場所で、里も雪に覆われる。
あれは忘れもしない春の1日、仕事が休みで買い物に行く為、会津若松の市内へ行く道の交差点で信号待ちをしている時だった。
道の周りでは雪が溶け、雪の合間から草木が顔を覗かせて春の日を浴びていた。
なんの変哲もない、どこにでもある雪国の風景だ。
当時はスキー場近くの寮に住んでいて、里に降りるのも久しぶりだった。
信号待ちをしながら、ああ、里では雪もだいぶ溶けてきているんだなあ、と思ったその矢先。
周りの草木が穏やかな春の日差しを浴びて喜んでいる様子が心に飛び込んできた。
同時に草木だけでなく、人間を含めすべての動物、植物、虫などの微生物、そして大地までもが春の到来を喜んでいるのを心で感じた。
これはどう表現して良いのか分からないが、ある意味トランス状態、心が開いて森羅万象と一つになったというか。
覚せい剤などやっていないが文字通り『覚醒』してしまったのである。
「これが雪国の人が待つ春の訪れか」僕は思わず口に出してその言葉を言った。
それまでも長野のスキー場で何シーズンも雪山で過ごして、似たような景色は見ているはずである。
でも心の奥からそれを感じたのは、会津の田舎道が初めてのことだ。
これはその時の自分の年齢、境遇、人生と深く関わりあっている。
そしてその感覚をどんなに上手く表現しても人には伝わらない。
その後何年も雪深い上越で過ごしたが、その時と全く同じ感覚は得られなかった。
それでもそれを知る以前とは季節の移り変わりをより深く感じるようにはなった。
それを成長と呼ぶのかもしれない。

春よ来い 早く来い
歩き始めたみいちゃんが 
赤い鼻緒のじょじょ履いて
おんもへ出たいと待っている。

よく知られた童謡である。
昔は今よりもっと雪が深く、それこそ冬の間は外に出られなかった。
そのことを感じ取ったのは、新潟の能生という場所のスキー場で働いた時だった。
豪雪地帯の山間部にある旧家が雪に埋もれている姿を見て、この歌が心に飛び込んできた。
雪に閉ざされ春を待ち焦がれる心。
この感覚は雪の無い場所に住んでいる人には絶対に分からない。
頭では理解できても、心の奥底から感じることはできない。
歌の奥に秘められた想いとはそういうものだと思う。

話を元に戻すが、今回は日本海側を中心に大雪が降ったそうで、スキー場も除雪が間に合わなくてクローズした所もあった。
文字通り雪に閉ざされたわけで、「昔は毎年こうだったんだろうな」というメールを友達にした。
「地元の人が『海沿いでこんな大雪見たことない』ってマスコミが喜びそうなことを言っていたよ」と返信があった。
「いや俺が言う昔って上杉謙信の頃の話だけど・・・。」
戦国時代は全ての武将が京都へ登る機会を狙っていた。
名将と言われた上杉謙信も宿敵武田信玄に牽制されながらも上京をしようと試みたが、いかにせん北陸の雪である。
除雪機などない時代、今よりさらに雪は多く、大きな軍隊が通る道を確保するだけで疲弊してしまうことは想像出来る。
雪に閉ざされ上京することなく無念の最期を迎えた。
当時最強の上杉軍も雪には勝てなかったわけだ。

除雪をしたことがないという人の為に書こう。
除雪の何が大変かと言えば、雪の捨て場が無いのだ。
特に住宅が密集しているような市街地ではそれが表れる。
なので水の流れで雪を流す流雪溝なんてものもある。
新しい住宅地ではそういったものも無く、雪捨て場の為に隣近所とトラブルになるなんて話も聞く。
そしてまた新潟の雪は重いのだ。
スキーで滑って重い雪は、運ぶのも重い。
水分をたっぷり含んだ雪は重く、ちゃちなプラスチック製の道具だとすぐに壊れてしまう。
頑丈な道具は重く、それで重い雪を運ぶ。
これはかなりの重労働である。
雪が降って喜ぶのはスキーヤーだけで、住む人にとって雪なんぞ無い方がよっぽど良い。
今は除雪機という便利なものだってあるが、これだって買うのにお金がかかる。
それに屋根の上の雪下ろしに機械は使えない。
人力でせっせとやるしかないのだ。
こうやって考えると、雪国で生きる為に除雪に費やすエネルギーは計り知れないものがあるなあ。
それだけの苦労困難があるから、春を待ち焦がれる心、春を迎える喜びも大きいのだと思う。
「あの野郎、ニュージーランドでぬくぬくしながら、俺の除雪の話をブログのネタにしやがって」
というような友の声が聞こえてきそうだ。
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なんもやってねえでやってらんねえはねえだろ。

2021-01-11 | 日記
さあさあ今回は毒を吐くぞ。
覚悟のある奴だけついてこい。
前回は新年の挨拶だったから口調も丁寧で内容も抑えて書いたが、読み返してみると妙に大人ぶって日和見だ。
骨抜きにされちまったたのか?
お前の心の叫びはどこへ行った?
というような声が上の方から聞こえてきた。
なので心機一転、思うことを書きたい。
そもそもこのブログだって、自分を表現する手段として始めたのだ。
それがいつのまにか読者も増え、「ブログ楽しみにしてま〜す」なんて言葉を貰って舞い上がって。
人の顔色を伺うような、当たり障りの無い言葉を書き連ねてるだけじゃねーか。
全然ロックじゃねえ。
清志郎が草葉の陰で笑ってるぜ。
あーいやだいやだ、年は取りたくねーなあ。
そんなわけで、今回は辛口で攻めるつもりなので、僕ではなく俺で行こう。

俺は人を見るときに、その人が『何を言っているのか』ではなく、『何をやっているのか』で人を見る。
「あー、自給自足の生活っていいですよね。憧れますよ」
でもその人の庭を見れば、その人の想いまでも見えてしまう。
チョコチョコっと耕して、思いつきで買ってきた苗を植えて、それで自分は仕事をやった気になっている。
ふざけんじゃねえ、家庭菜園を甘く見るな!
野菜作りというのは点の仕事じゃない。線の仕事だ。
毎日の水やり、雑草抜き、虫取り、肥料などの散布、場合によっては剪定、そして収穫という一連の流れなのだ。
植えてそれでお終いではない。
そして多くの人が言う言い訳。
時間がないからできない、金がないからできない。
そういう人は金があっても時間があってもやらない。
ただ誰もが野菜を育てられるかと言えばそうでもない。
人には向き不向きがある。
こういうことは心の奥から出てくるものであって、強制されてやるものではない。
それならそれでその人は無理に野菜を作らなくてもいいじゃないか。
その分のエネルギーを別の場所で世のため人のために使えばいいと思う。
野菜を作らなくても、他人を幸せにしている人を俺はたくさん知っている。
そういう人たちは下手な言い訳をしない。

言うこととやってることが違う人というのはどこの世界にもいるものだ。
その極め付けがこれだ。
「金が一番大切じゃない」
だいたいそれを口にする奴ほど金には意地汚いということを、半世紀の人生で学んだ。
金は問題じゃないと言いつつ、金を使うのは自分にだけで人の事を全く考えないエゴの塊りみたいな奴はどこの世界にもいる。
俺の周りにも以前は居たが、嬉しいことに最近ではそういう人との縁もない。
きっと波が違って会わなくなったんだろう。
金は大切だ。
野菜がどれだけあろうと金がなかったら日々の暮らしに困ってしまう。
だがこれも程度の問題であり、どれだけ金を持っていようが「金が無い」と言う人はその言葉を言い続けるだろう。
昔の俺がそうだった。
高校時代はバイトをやりまくって、それなりのお金を持っていたが、「金がねえ」が口癖だった。
金があれば何でもできると思っていた。
まあ金があれば何でもできるのは事実なのだが、金に踊らされていた頃も若い時にはあったということだ。
先日、うちの頑固爺が日本から電話をかけてきた。
爺曰く「今は俺が自分の事を面倒見てられるけど、いよいよダメになったら身内だろうが他人だろうが介護をしてくれる人に日当を払おうと思っている。だからお前に残す金は無いからそう思え。」
僕はとても安心して、言ってやった。
「そりゃいいな、じゃあそれまで美味い物食いまくってポックリ死ね。」
「馬鹿野郎、俺だってそうしたいわ。だけど俺がこうやって自分の面倒見ながら長生きすりゃ、人に面倒をかける確率も時間と共に減っていくだろ」
確かにその通りだな。我が親ながら論理的だ。
「金の問題じゃない」という言葉は、自分が人に何かしらをしてもらう時に使うものではない。
自分が人にしてあげる時にこそ使う言葉だと思う。
父親の生き様から学ぶことはまだある。

話をもとに戻すが『何を言っているのか』ではなく『何をやっているのか』
その人がやっていることに焦点を当てると、直接その人に会わなくてもその人柄が見えることもある。
ある友達は米農家だが、別の友人の所でその米を食わせてもらった。
その米を食った時にあまりの旨さに感動した。そして思った。
ああ、これだけ美味い米を作るんだからあいつはいい波に乗っているんだろう。(ちなみに奴はサーファーだ)
奴が作った米には奴の心がこもっていた。
心があればこその行動がある。
後日、その米農家の友人に会ってその話をしたら、照れくさそうに笑っていたっけ。
逆にイライラするような人間関係も昔はあった。
「自分は日本でもラフティングガイドの経験はあり、こっちでもラフティングガイドとかアウトドアのガイドをやりたいんですよねー」
「じゃあカヤックで川を何回か下ってみて、自分なりのポイントなどをまとめてみたら?それぐらいの行動力があればすぐに雇ってもらえるぞ」
だがそいつは行動を起こさなかった。
そういう奴はきっと多いのだろう。
山のガイドになりたかったら山へ行け。
スキーガイドになりたかったらスキーをしろ。
アウトドアガイドになりたかったら、アウトドアの行動をしろ。
一人で行動できないヤツが人の案内なぞできるか。
何でも教えてもらえると思うな、自分の足で踏み出せ。
これは何もガイド業界の話だけでない。
全ての職種ひいては生き様にあてはまることだ。
「会社やめてやりたいことがあるんです」
「じゃあさっさと辞めてそれを始めろよ」
「でも…」
それができないもしくはやらないヤツはすぐに言い訳をする。
金がないから、時間がないから、人(家族も含め)が止めろというから。
全ては自己正当化で何てことはない、やらない言い訳なのだ。
なんもやってねえでやってらんねえはねえだろ。
やってらんねえのはなんもやってねえからだろ。
と竹原ピストルも歌っている。
そんな文句タラタラ、目が死んでいるようなヤツと付き合っていても、エネルギーを吸い取られてしまい人生の無駄だ。

それよりも俺の周りには生き生きと人生を謳歌しているヤツらばかりだ。
そういう人と会うと、お互いにエネルギーを高め合うのがよく分かる。
この前オークランドで会ったユカちゃんは、トントン拍子に事が運び郊外でカフェを始めた。
開店当初から地元の人にも大人気で上手く行ってるとのこと。
その話を聞かせてもらったが、自分達が想像していたよりも早く事が運んでしまったと。
話を聞いて感じたのが成功をしているのに傲慢では無い、どちらかというと謙虚でありながら謙虚の度合いも卑屈ではない。
良い頃合いの所にいるのだ。
良い波に乗るとはこういうことだ。
それは自分自身の芯があり、行動があればこそだ。
実際に会わなくても今やSNSで世界から友人達の活躍が見える。
おとしという友人(元はお客さん)は、会社を辞め白馬に移り住みスノーボード買取の会社を立ち上げ、さらに自分でスノーボードも作り始めた。
これなんぞは行動力のたまもので、彼らに送る言葉は常に「その調子でどんどんやりなさい」だけだ。
その人に感化されたのか美容師の友人も白馬に移り住み、楽しくやっているようである。
友人というより弟分というか家来もしくは下僕のカズヤは白馬でガイドの会社を立ち上げた。
昔からの相方JCは何もないところから、北海道に移り住み今は鹿撃ちの漁師だ。
自分で食肉加工の建物を造り、立派にやっている。
新潟でスキーパトロールのかたわら、雑貨屋をやっている友もいる。
その他、とても全てはここで書ききれないが友人達は皆それぞれの場所で、芯を持ちつつ自分のやるべき事をやっている。
とどのつまりは、やるかやらないか。
それだけだ。
みんな やってるか?
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謹賀新年 新しい時代の幕開け

2021-01-03 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
今年もまた、『あおあしろみどりくろ』筆者共々よろしくお願いいたします。
思えば昨年はいろいろとあり、いろいろありすぎてわけが分からないような1年でした。
忘れもしない2020年の元日、自分はマウントクックでハイキングの仕事だったのですが、晴れているにもかかわらずオーストラリアの山火事の煙で山が全く見えませんでした。
もちろんそんなことは前代未聞で今までにない出来事だったのです。
今から思えば、何かその後に来るいろいろな事柄を示唆するような幕開けでした。
2月に入ってからは大雨でミルフォードやルートバーンは壊滅的なダメージを受け、それに伴い自分の仕事も非常な混乱を極めました。
ミルフォードで足止めされたお客さんを送るため真夜中に車を走らせたり、ルートバーンが歩けなくなったものだから別コースを案内したり、長いガイド稼業でも今までにない事の連続でした。
それが落ち着いたら皆様ご存知のコロナ騒動、そしてロックダウンです。
そういえば冬のスキーシーズンも全く雪が降らずに散々な年でした。
こうして書き連ねると悪い事ばかりのようですが、そんな中だからこその気づきや出会いや今までにない経験もあり、自分なりに笑いとユーモアと自虐の精神を忘れずに何とかやってきました。
捨てる神あれば拾う神あり、といったところでしょう。

近況報告のようになりますが、前回のブログで書いたように12月前半はラベンダー畑の草むしり。
そして中旬から年末にかけては北島に長いツアーをしてきました。
北島なんてめったに行く事なく、それこそ20年ぶりぐらいでしょうか。
長いツアーの忙しい時間の合間に、自分なりに旅情を感じいろいろと思いにふけることもありました。
古い知り合いが住んでいたことを思い出したけどすでに連絡が取れなくなっていたり、また数年ぶりに会って親交を深めた人もいたり。
会うべく時に人は会うものだし、会わないというのもこれまた縁なのだと自分を慰めたり。
まあ色々なことを考えたりしたわけです。
そのツアーもいよいよ終盤という時にやってしまいました。
膝をひねったのか捻ったのか、とにかくその時には痛みも何も無かったのでその後もふつうに歩き続けたらだんだん腫れてきてしまいました。
何とか仕事は無事に終わらせたのですが、数日は腫れも引かずにトホホな年末年始を迎えました。
まあ考えようによっては怒涛の2020年の最後の最後に厄が来たとも言えましょう。

さて年も明けて、皆さんの気になるのは今年はどういう年になるかということでしょう。
ここから先は自分の考えなので、「お前さん、それは違うぜ」と思う人は読み飛ばしてもらって結構です。
まず、コロナ以前の世界と全く同じようにはなりません。
人によってはワクチンが発明されてそれを打てば、以前のように世界中どこへでも自由に行けると考えることでしょう。
だけどワクチンを打って云々という時点で以前とはすでに違う世界になっています。
それを踏まえた上で言うならば、貨幣経済に依存している人にはきびしい年となることでしょう。
もうすでに星の回りが変わり、魚座の時代から水瓶座の時代へと、大きな転機になってきています。
これについては深く触れませんが、ご自分であれやこれや調べてください。
人間は本質的に未知の大きな変化を恐れるところがあると思います。
そして今の現状こそ、世界中の誰も経験したことのない世界なのです。
古い世界の常識が通用しない社会と呼んでもいいでしょう。
そこで今までの価値観を持ち出してあーだこーだ言っても何も始まりません。
今年も酷いことは今まで以上に起こるでしょう。
だからと言ってそれが全て悪いのかと言えばそうばっかりでもなく、それによって良い変化もやってきます。
ある事柄が立ち位置によって良くも悪くもなります。
大切なのは各自の立ち位置なのではないでしょうか。
こんな時代だから自分を見つめ、自分の中心と繋がり、そして他人と繋がっていくことが大切だと思います。
今までのように勝ち組負け組というような、自分さえ良ければいい勝てばいい、すなわちエゴにまみれた人にはますます大変な時代になるでしょう。
経済は昨年以上に厳しいものになりますが、近江商人のような三方良しの考えを根底に持つ人には悪い影響は与えません。
それどころか時代がその人を求めるといったような、追い風が吹くこともあります。
実際に僕の回りにはこんなご時世でも良い波に乗っている人はたくさんいます。
新しい時代がやってくる、そんな年になると考えています。
良いも悪いも陰と陽。
光があるから陰もあります。
それらを全てひっくるめて受け入れ、自分の中心の道を歩んでいくような年にしたいと思いつつ、新年のご挨拶にかえさせていただきます。

2021年 新春
北村 聖

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