あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

帰宅

2014-12-21 | 日記
仕事が一段落して次の仕事まで間があいたので一時帰宅。
マウントクックから始まる仕事があるので、それに合わせてボスが休みをくれた。
今までも時々帰ってはいたのだが、午後に帰り次の日の朝からツアーというような忙しさでゆっくりと庭をやる時間もなかった。
今回は丸々2日の時間があるので一気に庭をやってしまおうと思うのだ。
まずはにんにく。
去年のニンニクがまだ残っているのだが収穫の時季になってしまった。
今年は調子に乗って300株。
女房に編んでもらって友達にプレゼントをしようと思う。
もちろんこの時季ならではの生ニンニクもいけるな。
ニンニクを抜いた場所には長ネギを植えるか。
温室の中もスペースがあいたので夏野菜を何か植えるかな。

ニンニクを収穫しながら僕はニンニクに言う。
「ありがとな、大きくなってくれて。我が家で、友人宅でおいしく食べてもらってください」
人間とは生かされている存在だ。
それを忘れて傲慢になっているところに今の世の問題がある。
謙虚にそしてなおかつ卑屈にならず、大地の恵みに感謝をしつつ食べ物をいただく。
この想いを持っていれば何も怖れるものはない。
そしてそれを感じつつ行動も必要である。
庭の手入れとはまさしく手を土に入れること。
ニンニクを収穫し、雑草を抜き払い、固くなった土に鶏糞を混ぜ耕す。
曇りだが夏の日は暑く、汗がしたたる。
気持ちの良い汗だ。
こういう労働は好きである。
作務とは日常の仕事を一生懸命やる事により、その中から悟りを開くこと。
一心不乱に野良仕事をしていると心が落ち着きすっきりする。
まだまだ悟りの境地には届かないが、確実に自分がその方向に向かっているのを農作業をしながら感じる。
瞑想が静ならば作務は動、といったところか。
どちらも自分自身と繋がることである。

働くという言葉、『はた』と『らく』からできている言葉で、はたとは他人のこと。
他人を幸せにするという事が語源なのだ。
それがいつのまにか、はたらく=金儲けになってしまっている。
ガイドという仕事はまさに人を幸せにする仕事で、僕はこの仕事が好きだ。
同時に野菜作りも人を幸せにする仕事で、こちらも好きだ。
前者はお金になり、後者は(僕の場合)お金にならない。
だがどちらもありがたくさせてもらう大切な仕事である。
昔バスドライバーをやっていた時は、仕事がイヤでイヤで朝仕事場に行くのが苦痛だった。
心がそんな状態ではうまく行くわけは無く、結局1年でその仕事をやめた。
今はそんな事は全くなく、毎回『今回の仕事はどんなかな』とわくわくしながら仕事へ行く。
山小屋がこの前来て、ツアーの直前に気合を入れている僕を見て言った。
「そうか、闘いが始まるのか」
「兄弟よ、それは違う。闘いではなく愉しみが始まるのだよ」
案の定、ツアーはうまくいきお客さんは満足して帰ってくれた。
お客さんが満足してくれて、自分も納得した仕事の後のビールは美味い。
世の中に自分が好きでもない事を仕事にしている人がなんと多いことか。
嘆くべきことだ。
そこから見れば、僕はなんと恵まれた状況にいるのだろう。
自分自身と自分を取り巻く環境に感謝である。
同時にイヤな事を仕事にしている人も、それはその人が選んだ選択なので可哀そうと思うがどうしようもない。

もう一つ、全くお金にならないがはたらいていること、人を幸せにしていることがあった。
このブログの更新。
自宅に帰るとパソコンがあり、キーボードがあるので文が進む。
読者の中にはこのブログを心待ちにしている人もいるだろう。
読み手によっては毒にも薬にもなるこのブログ。
想うことは数あれど、想うことを全てさらけ出したら猛毒になってしまう。
ほどほどに薄めたり、毒がきつすぎる物は書かなかったり。
だけどまだまだ続くのでこれからもお付き合いのほど、よろしく。
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ツアーの合間に。

2014-12-16 | ガイドの現場
ツアーからツアーへ。
多忙な毎日である。
家に帰っても、畑をいじればあっというまに時間は経ってしまい、翌日からまたツアーへ出る。
体は大変だが心は荒んでいない。
全て自分が選んだ道であり、自分の心が身の回りの状況を作り上げている。
行く先々で人に会いお酒を飲む。
ガイドの仲間と一緒に飲むこともあれば、お客さんに高いワインをおごってもらうこともあるし、ついこのあいだはボスと一緒に飲んだ。
僕が飲む酒はいつも楽しい酒だ。
普段の生活でイヤなことがなければ、常に良い酒である。
イヤなことを忘れるために飲むのはダメだ。
たとえ酔って忘れても根本的な解決にならない。
それよりもイヤなことがあれば素面の時に解決して、その後に楽しく飲む。
これに限る。









先日はマウントクックで遊覧飛行に乗せてもらった。
冬にヘリスキーで飛んだが、やはりここの山はすごい。
こういう所へ来ると言葉が景色に追い付かず、口を開けばバカの一つ覚えのように「すごい」という言葉しか出てこない。
氷河の上に降り立ち、山に向かって拝む。
心からわき上がるのは感謝だ。
晴れてくれて素晴らしい姿を見せてくれる山の神に感謝。
高い料金を気前よく払って飛んでくれて、そこに自分を連れてきてくれるお客さんに感謝。
気持ちよく仕事をさせてくれる職場のボスに感謝。
家を空けるのに理解のある家族に感謝。
そして健康で元気に仕事ができ、美味しいお酒が飲める自分に感謝。
山に向かってそういった思いを唱える。
言葉として口に出すことは大切だ。
そこに言霊がある。









ガイド同士で飲んだ時にあるガイドが言った。
「リスクマネージメントは想像力だ。」
なるほど確かにそうである。
一番悪い状況を想定して、そこから引き算をしていきリスクを回避する。
山の天気というものは変わりやすく、そこにさまざまな人的要素が加わり事故は起きる。
今この場でこういう事故があったら自分はどういう行動を起こすか。
チームや同行者にはどういう指示を与えるか。
そういうようなシミュレーションを頭の中で思い浮かべることにより、リスクは減らせる。
それには想像力が必要なのである。
スキーパトロールの仕事をしていても、無線を聞いてこの人があの場所にいてあの人がどこそこにいて、こういう状況なので自分はこういうふうに動く。
こういうことが当たり前にできて一人前になるのだが、命じられた事はできるが自分で考えて行動ができない人はどうするのだろう。
とにもかくにも、そのように俯瞰(ふかん)で物事を見る事が大事なのだ。
俯瞰とは全体を上から見ること。
そこにいる自分、それを取り巻く状況や人などを全体で見ること。
もちろん自分の目では見えない。
そこで想像力が必要なのである。
街で車を運転していても、周囲の状況を俯瞰で見るように心がけている。
前の車はどういう車種でどういうドライバーか、後ろの車はどういう運転をする人か、対向車のスピードとライン取りはどんなものか。
その他、天気、路面状況、光の加減や風など無数の情報を整理して、そこの中で走る自分を上空から見る。
だが当然ながら全ての人がこれをできるわけではない。
今日も運転をしていたら遅い車が数十台の車を引き連れて走っていて、その列の中にいる自分を俯瞰で見てしまった。
これからの季節、こういう人はもっと増えるんだろうな。
やれやれ。
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