あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

グレートサミット 2

2010-10-31 | 
クィーンズタウンで休養後、撮影隊はグレーノーキーからダートトラックへ入る。
ダートトラックは数年前に歩いたコースで、その時にもボクはやっつけられてしまった場所だ。

http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees1.htm
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees2.htm

是非とも一緒に行きたかったのだが、そのときボクは別の仕事が入っていて行けなかった。
数日後にリチャードから連絡が入った。
撮影が順調に進んでいるのでダートトラックの先、アスパイアリング・ハットへ迎えに来いとのこと。
そして皆、フリーズドライの食べ物に飽きているので、カレーを作ってくれと。
尚アスパイアリング・ハットにはガスはあるが、鍋はないとのこと。
こういうことはボクは得意である。
スーパーで人数分の食料を買い込み、大鍋二つを用意してワナカへ向かった。
ワナカで昼飯を食べ、山へ行く道でヒッチハイカー発見。
普段はボクは拾わないが、この時はなんとなく止まってあげた。
男の名はデイビッド。オタゴ大学の学生で今日はアスパイアリング・ハットへ行くと言う。いい道連れができた。
ラズベリークリークの駐車場からアスパイアリング・ハットまでは2時間ぐらいの歩きである。
ひたすら平坦な牧場の中を歩く、あまり面白くない道だ。
さっき拾ったデイビッドに鍋を一つ持ってもらい。おしゃべりをしながら歩く。
このデイビッドという男、面白いことに裸足である。この国ではたまに道を裸足で歩いている人がいるが、トレッキングの山道を裸足で歩く人に会うのは初めてだ。
この日はこの夏で一番暑い日だった。それに増してこのルートは日陰が全くない。
わずか2時間ほどの歩きだが、フラフラになって僕は山小屋に着いた。
カレーを作っていると、撮影隊が小屋に着いた。
昨晩はカスケード・サドルでキャンプをしたと言う。快晴しかも満月。なんとまあ羨ましい。
コニカルヒルといいカスケードサドルといい、よっぽどツイてるなあ。
その晩は皆、カレーをガツガツ食う。ボクもそうだが何日もフリーズドライの物を食べていると、新鮮な野菜や肉を食べたくなる。
体がそれを求めているのだろう。血のしたたるステーキを食いたくなるし、レタスなんかを丸かじりしたくなるのだ。
翌日は町へ戻るだけなので、ゆっくりスタート。
昨日道連れになった裸足のデイビッドはカスケードサドルを越え、その先ルートバーンへ、撮影隊が通ってきたルートを遡る。裸足で・・・。
「デイビッド、がんばれよ、気を付けてな。」
「うん。昨日は乗せてくれてありがとう。クィーンズタウンで君に会いたかったらどうすればいい?連絡先はあるかい?」
「そうだなあ・・・。オレに会いたかったら、オレのことを考えてくれ。そうすればオレは現れるよ」
「アハハハ、そりゃ良い。そうだね、その通りだ」
普段はこんな事は言わないが、デイビッドだったら本当にそうなりそうな、そんな不思議な雰囲気を持った男だった。

撮影は順調に進み、あとはクライマックスのアスパイアリング登頂を残すだけとなった。
今回はポーター、荷物運びである。
クィーンズタウンからの小僧達はワナカまででお役御免。そこにアスパイアリングだけを撮る為にニュージーランドへやってきたカメラマンが加わった。
クィーンズタウンからワナカまではリチャードと話をしながらドライブだ。
僕らは家族のこと友達のこと人生のことについて語り合った。考えてみれば彼とは20年近くのつきあいがありながらこんなにじっくり話したことはなかった。
かなり深くスピリチュアルな事まで話は及んだ。彼と話をしていると何故か分からないが涙がにじんでくる。困ったものだ。
ワナカからは山岳ガイド2人が入り、計8人のグループである。
この仕事からボクは三脚担ぎになった。ここで撮影という所で三脚を立て、ボクはカメラに入らない所で待つ。
だいたいはカメラマンの後ろにいるのだが、場所が取れない所では草むらの中に寝っ転がったり、木の後ろで直立不動だったり。
そしてそこの撮影が終わると、また三脚を持って歩く。この繰り返しである。
前回泊まったアスパイアリングハットで一泊。
そこから1時間ほどは平坦な道が続き、川を渡ると急登が始まる。このルートはボクは初めてだ。
時に岩を掴みながら、時に木の根っこを握りながらよじ登る。
その合間にも撮影はあり、その都度三脚を立てボクは隠れる。
森林限界を超えると見晴らしは良くなり、午後の早い時間にフレンチリッジハットに着いた。
荷物を下ろし休憩後、アスパイアリングに登る撮影隊は装備の点検、ザイルワークの確認などをする。
ボクはやることがないので、昼寝&景色を見てボーッとする。空は雲一つない青空。日差しが強いが、標高が高い分風は冷たく気持ちがよい。
ここまで来るとアスパイアリングは近すぎて見えない。山に背を向けると、谷の反対側、目の高さにリバプールハットが見える。
数年前にあの小屋にJCと登った時にはビールを1ダースも担ぎ上げた。
ビールを飲みながらフレンチリッジハットを見て、いつあそこへ行くのだろう、などと考えていたのだが、こういうことになるとは、いやはや人生とは面白いものである。

翌日、ボクは自分の持ち物をフレンチリッジハットに置き、三脚その他重い物をザックに入れ登る。
ここから1時間ぐらい、雪が出てきてアイゼンをつける辺りまでがボクの仕事である。
しばらく登り、まもなく氷河に出るという所で休憩。
ここでヘリを待ち、全員が歩いているところを空撮するという。
このまま付いて行ったらテレビにも出るかな、という俗物根性が出たが、ボクはどっちみちこのすぐ先で引き返さなくてはいけない。
小屋に残してあるゴミを持って2日かけて歩いて来た所を戻り、その後2時間かけてクィーンズタウンまで車で戻る。今日の行程も短くはない。
なのでボクはこの場から下ることになった。
重い機材を皆に渡しザックを空に、皆に短い別れを告げて下る。ボヤボヤしているとヘリが来てしまうので急いで下る。
案の定下り始めてまもなくヘリの音が聞こえてきた。
皆がすばらしい景色の中をたんたんと歩いている絵の手前にボクがいたら台無しになってしまうので岩陰に身を隠す。今回は隠れてばかりだ。
ヘリが去って行ったら後は自分のペースで歩ける。
フレンチリッジハットに戻りゴミを片づけパッキングをして、しばし景色を眺める。
次にここに来ることはあるかな。何がどうなるか分からない人生だ。次回があるとしたらビールを持ってきたいものだ。
ここからは急な下りだ。昨日の上りで足首を軽くひねってしまったのでかばいながら歩く。
こんな所で動けなくなるようなケガはしたくない。
無事に降りたら後は平坦な歩きだ。
アスパイアリングハットに寄ってゴミを集め、炎天下の中を歩きフラフラになって駐車場につきクィーンズタウンに戻った。

数日後、連絡がありワナカへ撮影隊を迎えに行く。彼らはアスパイアリング登頂の後、近くの小屋まで戻りそこからヘリで戻ってくる。
ワナカから30分ぐらい走ったヘリポートで到着を待つ。
数年前にもここで撮影隊を待ったことがあった。
それはアメリカのテレビ局の仕事の時だった。のんびりと読書&昼寝をして、「これでお金を貰えるんだからなんと幸せな」と思ったものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/maori4.htm
まもなくヘリが着き、リチャードが降りてきた。
「ヘッヂ、やったぜ!俺たちはやったんだ!」
彼は熱くボクにそう言った。ヤバイ、また涙があふれてくる。
「おめでとう。リチャード、がんばったね」
実際、彼の仕事は大変だったと思う。
彼はコーディネーターということで現地での撮影許可、宿の手配、ヘリの調達、人集め、日本とのいろいろなやりとり、お金の計算まで、ボクだったらやりたくないなということを全部やった。
それに加え現場ではガイドとして撮影に参加した。
私生活でも一月後には家族で1年間仙台に住むことが決まっていて、おおわらわだったに違いない。
撮影が終わった喜びは彼が一番味わっているに違いない。
そうしているうちにヘリが再びやってきて撮影隊を降ろした。
「お疲れ様でした。どうでした、アスパイアリングは?」
「良かったけど、怖かったよ。片側が1000mぐらい落ちていて反対側も同じくらいのガケ。その上を一歩また一歩と進むんだけど、そんな歩きが10万歩ぐらい続くような、そんな感じ」
「うへぇ」
「だけどまあ無事に戻ってきて良かったです」
無事に山から下る。当たり前の事だが一番大切なことだ。
後はクィーンズタウンの街中とか飛行場などの撮影があるそうだが、これはまあ彼らにとっておまけみたいなものだろう。
ボクは翌日から普段のガイド業務にもどった。

ボクの家にはテレビがない。テレビがなくても全然困らないし、テレビのない生活が好きでもある。
テレビの番組は作り手によって毒にも薬にもなる。洗脳の道具にも成りうる。
ボクが小学校の頃、父親がテレビを目の前でたたきつぶして以来、ボクはテレビの無い環境で育った。
今となってはその父親に感謝をしている。
今の世の中、あまりにくだらない番組が多すぎる。
ニュースさえもエンターテイメントだ。
だがしっかりした作り手がきっちりと作れば良い物はできる。
できることならその良い物だけを見たいものだ。
そういう意味でも今回の番組は非常に楽しみである。

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グレートサミット 1

2010-10-31 | 
11月3日、夜8時からNHKの衛星ハイビジョンでグレートサミットが放映される。
これはシリーズものでこの回はMt.Aspiring,New Zealand である。
このロケをやったのが今年の1月半ばから2月にかけて。ボクもロケ隊に入り仕事をした。
最初の予定では8月ぐらいに放映されると聞いていたが、結局11月になったようだ。
この話を最初に聞いたのは去年の冬、ボスのリチャードが家に遊びに来た時だった。
リチャードとはかれこれ20年近くのつきあいがある。
ボクがどういう人間か分かってくれるので、彼の下で働くのはすごく楽だ。
「NHKのロケの話があるんだけど、ルートはホリフォードを遡ってルートバーンを抜け、ダートトラックを上がりカスケードサドルを超え、マウントアスパイアリングまで」
「うわぁ、すげぇルートじゃん。面白そう!それにしても日本のメディアの人でよくこんなルートを考えついたね。よっぽどニュージーランドの山に詳しい人がいるんだ。」
「いや、ルートを組んだのはオレなんだけど・・・」
「あ、やっぱりね。そうだろうな」
「テーマはペンギンのいる海から氷河におおわれた山まで。最初は西海岸から始まってアオラキ・マウントクックの山頂まで、なんて言いだしたんだよ」
「いやあ、それはムリでしょう」
人は山を標高で判断する。アオラキ・マウントクックは標高3754m、富士山より少し低いくらいだ。
富士山は誰でも登れるがこの山は違う。これをやるには6000~8000mの山を登るくらいの装備、経験、体力、知識、そして運が必要だ。
毎年この山、もしくはこの近辺で人が死ぬ。そういう山だ。
ボクはこの山には登らない。というか登れない。登ったら死ぬだろう。
第一山頂でまったりとビールなんか飲めないじゃないか。
ボクが山に登るのは、山の上でのんびりとビールを飲みたいからだ。
それにはこの国のトレッキングで充分だ。人には身分相応というものがある。
そんな厳しい山に重い撮影の機材など担ぎ上げるのなど、考えただけでぞっとする。
そこでリチャードが提案したのがこのルートである。
これならば楽ではないにしろ、実現は可能だ。
「そういうわけで、聖、オマエにもこの仕事を手伝ってもらうかもしれないぞ」
「任せて下さいよ、ボス。何でもやりまっせ」
そして夏が来た。

夏はいろいろなツアーが入って忙しい。
忙しい中でスケジュールをあれこれ組まれる。スケジュール管理が苦手なボクだが、この会社はそれも分かっていてくれるので楽なのだ。
ある日オフィスへ行くともう撮影は始まっていた。
リチャードが司会の人と何か話しながらオフィスの前の道を歩いている。
「ここが私達のオフィスです」
ボーッと見ていたボクにリチャードが目で合図した。
「オマエ、そこにいたらじゃまだから隠れろ」彼の目がそういっていた。
ボクはあわてて物陰に隠れた。
オフィスと言っても普通の家である。看板が出ているわけでもなし。
へえ、こんな所まで撮るんだ。まあ本番ではカットされるかもしれないけどね。
そんな感じでロケが始まった。
撮影隊は日本から司会進行、撮影、音声の3人。さらにアスパイアリング登頂の時にはもう1人山岳カメラマンが加わる。
主役はリチャード。彼がガイドになりこの国の植物や鳥の話をしながら進む。
それにポーターとして地元の小僧2人。1人は知り合いの息子だ。
この6人でホリフォード・トラックを海から遡る。
この時にはボクは呼ばれなかったが、ルートバーンに入るときにお呼びがかかった。
仕事仲間のカズキと共に指定された場所、ルートバーン・トラックのスタート、デバイドで撮影隊と合流した。
ルートバーンは普通2泊3日で歩き抜ける。全長39キロの縦走コースだ。マウンテンランニングの人なら3~4時間で走り抜けてしまう。
そこを1週間ぐらいの予定で天気を見ながらゆっくり進む。
ボクの仕事は荷物運びとキャンプ地選び。
ルートバーンはグレートウォークと呼ばれ、NZでも指折りのトレッキングルートである。
勝手にキャンプをすることは許されない。
山道から500m離れればキャンプをすることができるので、撮影隊から一歩先を進みキャンプ地を決める。
地図を見ながらこの辺りは、というような場所で一度荷物を置き、道なき道をガサガサと登る。
キャンプ地が決まれば全員の食事の用意だ。日本から山用の食料がどっさり送られている。
今回、初めて日本のフリーズドライを食べたのだが、これが美味い。さすが日本。味のレベルの高さがこんなところにまでおよんでいる。
1日の移動が普通に歩けば半日ぐらいの距離なので時間はタップリある。撮影というのはとにかく待ちが長い。
普段なら小休止ぐらいの場所で昼寝もできる。景色を眺めて好きなだけボーッとできる。待ちの間に展望の良さそうな所へ登ることもできる。撮影本隊は忙しいだろうが別行動のボクらは気楽なものだ。
こんな感じで撮影は順調に進む。
ルートバーンのメインはハリスサドルとコニカルヒルだ。
太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートがぶつかり合って断層になっている真上にある。スケールの大きい話だ。
ここはどうしても晴れて欲しい所で、撮影隊も良い絵が撮れるまで下手をしたら2,3日の天気待ちを考えていたのだが、行ってみると無風快晴の文句なしの天気。
ここは晴れていても海の方は白く霞んでしまったりするのだが、今回は西海岸の砂浜まではっきり見えた。こんなのシーズン中でも数回ぐらいしかないだろう。ボクが登った中でも文句なし、一番の天気だ。天は我らに味方した。さぞかしいい絵が撮れたことだろう。
だが山頂で彼らの撮影の様子を見ていて、ふと思った。
この人達は絵の素材とでしか、この国を見ていないのではないのだろうか?
彼らは撮影のプロである。良い絵を撮ることが全てなのだろうが、この状態で彼ら自身は感じているのだろうか?
数時間後、キャンプ地でリチャードがボクに言った。
「下ってくる時に撮影隊の1人が動けなくなってしまったよ。景色に感動しすぎちゃったんだろうな。仕事に戻るのにしばらくかかったよ。」
そうでなくっちゃ。ボクはその話を聞いて嬉しくなった。彼の感動が伝わってきて涙が潤んだ。年のせいか最近、涙腺がゆるくなっている。
きっと彼はこの国にやっつけられちゃったんだろう。彼がやっつけられた場所はコニカルヒルではなく、少し下った岩場だったのだ。
やっつけられる場所は人によって違う。
友達のエーちゃんのように何の変哲もないワナカの川沿いのキャンプ場でやっつけられる事もある。親友トーマスはクィーンズタウン郊外のスキッパーズでやっつけられた。
ボクは西海岸でやっつけられたし、友達の女の子はスキー場のてっぺんでやっつけられた。
高い山や、有名な場所、行くのに厳しい場所で常に起こるのではない。
それは空間、時間、その人の心がかみ合った時に襲う感動の嵐であり、それをぼくらはやっつけられたと呼ぶ。
山を下るとブナの森に包まれる。この先は日帰りハイクのコースで自分の庭のようなものだ。
フラッツハットには樹齢600年以上もあるようなブナの大木がある。ルートバーンの神様とボクは勝手に呼んでいる。
毎回日帰りハイキングの仕事の時には手を合わせてお詣りする。今回も撮影が順調に進んだ感謝を木に祈った。
町に帰り家に戻り先ずはビールだ。湖を見ながら5日ぶりのビールがのどにしみる。
無事に山から帰ってきた後の、仕事が順調に済んだ後のビールは美味い。


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ガイドという職業

2010-10-26 | ガイドの現場
ボクはガイドである。
厳密に言うとガイドという職業を選んだ人間である。
ガイドとはそこを訪れる人を案内し、楽しみ方を教え共にその場を楽しみ、報酬としてお金を貰う。素晴らしい職業だと思っている。
あるホテルのマネージャーをやっている知人が言っていた。
「ガイドさんはいいよね。何て言ったって、1日の終わりにお客さんが『ありがとうございます』って言ってくれるんだから」
全くその通りである。
彼は立場上、お客さんに謝る事がかなり多い。そういう人から見れば羨ましい仕事であろう。
ボクの仕事が終わったときに、全てのお客さんがありがとうと言ってくれる。
もちろんこちらもお金を頂くのだから、ありがとうございますと言う。
お互いにありがとうと言って別れる。素晴らしいことだ。
さらにありがたいことに、再びリピーターとなってボクの所へ戻ってきてくれる人も多い。
リピーターの人達はボクの考えや行動に共感を持ってくれた人であり、ボクと一緒に時を過ごしたいという人である。
時にはボクと一緒にお酒を飲む目的で、はるばるニュージーランドまで来てくれる。ありがたいことだ。
そういう人達に接する時、ボクは精一杯、誠心誠意を持って、がむしゃらに、楽しんでもらうよう努力する。同時に自分が楽しむことも忘れない。
お客さんが楽しんでくれる事、これが何と言っても基本である。基本であるがその為に自分が楽しむ。
例えばパウダーの日、ドカーンと山がオープンした。どこを滑ってもいいぞ、さあどこへ行く?
その日の天気、風、日の当たり具合や山の混み具合を見てベストのバーンへ行く。
自分がおいしい所を滑りたいから。
結果的にお客さんもベストのバーンを滑ることになる。
もちろん、初心者の人を上級コースへ連れて行くようなことはしない。それぐらいの分はわきまえている。
お客さんが楽しんでくれて、自分も楽しんで納得のいく仕事ができた時のビールは格段にウマイ。
あなたハッピー、わたしハッピー。
シンプルしょ?

ある時、知り合いのガイドがこう言った。
「このコースはきれいだけど、もう飽きました」
本人には言わなかったけど、こいつはガイド失格だなと思った。
ぼくらは同じコースを毎日歩く。
やっていることは一見同じことだ。
だが昨日と今日では違う。
昨日つぼみだった花が今日は咲いていた。
昨日立っていた木が今日になったら倒れていた。
昨日は雨だったが今日は晴れた。
天気、風、鳥の動き、草花の育ち、それに一緒に歩くお客さん。
昨日と同じものはない。
そういった違いを見つけ出し、一回限りかもしれないお客さんに伝えるのがガイドだ。
言葉に出さなくても、「あ~あ、昨日と同じだ」という想いはお客さんに伝わる。ガイド失格である。
別の添乗員がこう言っていた。
「こういう自然の中の仕事は常に変化があっていいですね」
その人はパリのルーブル美術館に50回ぐらい行ったそうだ。
そこは夏に行っても冬に行っても、朝行っても夕方行っても同じなんだそうだ。そりゃ当たり前だ。
自然は違う。毎回違う顔を見せてくれる。だから面白い。
時に優しく、時にきびしく、同じものは何もない。

ツアーの添乗という仕事もある。
ガイドと混合されることがよくあるが、違う仕事である。
添乗員にガイド並の知識を要求する。これは無理だ。
添乗の仕事は世界あちこちへ行く。行く場所全てに現地ガイドと同じような知識経験など持てるわけがない。
添乗の仕事とはツアーがスムースに行くよう、行く先々で心を配ることである。
ホテルチェックイン、レストランのオーダー、現地ツアーの手配などがメインの仕事だ。
物騒な所ではお客さんに注意を促すし、健康管理にも気を使う。それに加え、お客さんが楽しめるようガイド代わりに説明をする。
楽ではない仕事だと思う。
だがやりがいのある仕事だとも思う。
ある添乗員が言っていた。
「自分はニュージーランドに何回も来ているけど、お客さんにとっては一生に一度のニュージーランド旅行になるかもしれない。だけどその一回の旅をご一緒できることが嬉しいんです。自分にできる範囲で最高のニュージーランドを見て頂きたい。そんな形でこれからも添乗の仕事を続けていきたいと思います。」
立派なものだ。彼の目は生き生きと輝き、添乗という仕事をしながらもこの国を楽しんでいるのが見えた。
こういう添乗員と一緒のお客さんは幸せだ。一緒に仕事をするガイドも楽である。
お金を貰う方と払う方と立場は違えどグループ全体が暖かい雰囲気に包まれ、全員がそれぞれにその瞬間を楽しむことが出来た。
全てにおいて良しである。
別の添乗員はお客さんを自分がコミッションをもらえる店に連れて行くことしか頭になく、そのツアーでは日程上そのお店に立ち寄れないとグチをこぼしていた。そいつの目は死んでいて、エゴが渦巻いていた。
こういう人と来るお客さんは可哀想だ。
添乗の仕事もガイドと同じで、仕事が終わった後にお客さんがありがとうと言ってくれる仕事である。
それはその人の態度にもよるだろうが。

世の中には多種多様な仕事がある。
人に喜ばれる仕事もあれば、人に嫌われる仕事もある。
人の目につかない所で働く人もいれば、表舞台に立って注目される人もいる。
職業に貴賤は無いというが、平等でもないと思う。
それはその人の生き方の現れでもあるからだ。
だがやはり愛というものが原動力にある仕事は素晴らしいと思う。
何をするということは問題ではない。
人間としてどうあるべきかが重要なのだ。
ガイドという職業を選んだボクは、この先どこへ進むのだろうか。
誰にも分からないしボクも分からない。
だから面白いのだとも言える。
その瞬間ごとに自分のやるべきことをやるのみ。
今はただそれだけである。
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クライストチャーチのゴミ事情

2010-10-15 | 
家の台所の流しに立つと、目の前の窓から外がよく見える。
家の前の通りが緩やかにS字に曲がっていて、赤っぽい葉を茂らせた街路樹が並んでいる。
ボクはここから見えるこの道の風景が好きだ。
そんな通りに週に1回、道の両脇にプラスチックの入れ物が並ぶ。
毎週木曜日はゴミの日である。



クライストチャーチのゴミ収集はとても合理的だ。
各家庭に3つ、フタが色違いのコンテナ(容器)がある。コンテナは市で用意してくれた物だ。
緑色はオーガニック。
台所で出る生ゴミ、庭で出る芝生を刈ったものや雑草など土に還るものはこちら。
たぶんどこかでボカシを使って分解しているのだと思う。
黄色はリサイクル。
ガラスびん、ペットボトル、空き缶、紙などリサイクルできるものはこれに入れる。
その他のゴミは赤色のコンテナ。
子供でも分かる分別のシステムだ。
緑色は毎週、赤と黄色は各週の収集で、ある週は緑と赤の日、次の週は緑と黄色といったぐあいである。
その日には通りが全てその色になるので間違えることもない。
それを集めるトラックも赤、黄、緑色に塗り分けられている。
ゴミを考える上で一番気になるのは台所の生ゴミであろう。
我が家では生ゴミは庭で堆肥にしているが、全ての人がそれをできる訳ではない。
放っておけば腐って臭くなるし、虫だって寄ってくる。
市で普及された容器はフタもしっかりしていて虫も入らない。
週に1回の収集ならば腐敗する前に持っていってくれる。
リサイクルはどこかでまとめて細かく分別するのだろう。
リサイクルできる物は全てこの容器に入れる。
各家庭でさらに細かく分別するのを考えるとシステムは複雑になる。
これぐらいの分別のシステムがいいのだろう。
リサイクルとその他のゴミは基本的に腐る物はないので2週間に1回で充分だ。
合理的である。



コンテナには車輪が付いていて、傾けてガラガラ動かし家の前へ出す。
専用のトラックが来て、特殊なアームでガチッとコンテナを掴み持ち上げ、上からガサガサとゴミをトラックに入れる。
元の場所にコンテナを置いて、次の家にといった具合である。
このシステムだと働く人がゴミに接触しない。
合理的だ。
ある時、トラックがゴミを集めるのを見ていた。
家の前に止まって作業が終わった時にドライバーが話しかけてきた。
「どこから来たんだ?」
「日本だ」
「アリガトー」
ボクは笑いながら言い返した。
「どうもありがとう」
妻が言った。
「働く人に悲愴感がないわね」
確かにそうだ。
ゴミといった人間の生活から切り離せないもの、それでいてあまり人がやりたがらない仕事につきものも悲愴感は無い。
働く人がにこやかに生き生きと仕事をしている。



以前は人の手でトラックにゴミを入れていた。
運転する人とゴミを集める人、二人でペアになって仕事をしていた。
その作業は見ていても『大変だなあ』という想いを持った。
リサイクルだって以前はトラックを運転する人、集める人、トラックの中でビンと缶と紙に分別する人、と3人1チームでやっていた。
細かい分別作業を1カ所でまとめてやる、新しい機械の導入、各家庭にコンテナーを配るなどシステムを変えることにより、人が費やすエネルギーを減らす事ができるし、働きやすい環境ができる。
税金をこうやって合理的に使うのならば文句は無い。
このシステムで欠点があるとすれば、コンテナの中身が見えないので別の物を入れても分からないということだろう。
だがコンテナの大きさは普通に生活していれば充分な大きさだし、広報活動により各家庭で最低限の分別を促すことが出来る。
落ち葉の時期や木の枝を大量に切ったときには緑に1回で入りきれないが、そんな時は自分でゴミ捨て場に持っていくシステムもある。
昔話で村の人が持ち寄りパーティーでワインを持ってきてブレンドしたら水だった、という話がある。
自分1人ぐらいという考え、エゴがあるとこうなってしまう。
分別だってあまり細かく押しつけられたらやらない人だって出てくるだろう。
だが3種類位の分別なら誰でもできるはずだ。
それさえもやらないなら人間失格である。
行政がきちんと受け皿を用意してくれて、個人や各家庭がそれに沿って生活をすれば社会はずいぶんとすっきりする。
大人の社会とはこういう事を言うのだろう。

以前読んだ本でゴミ収集の話があった。
坂本信一著 『ゴミにまみれて』
日本のゴミ事情を現場からの視点で書いた本で、もう長いこと我が家の本棚に収まっている。
もう悲愴感の固まり、のような本だが、日本という国をあらわしていると思った。
ゴミのことで日本とニュージーランドを比較しても意味はない。
このシステムがどんなに良いものだとしても集合住宅が多い日本では不可能だ。
人口がこれくらいのニュージーランドだからできるわけで、それを違う環境で押しつけることは全く無意味なのだ。
ここは土地がたくさんあるので埋め立てができるが、日本ならばまず焼却しなければならない。分別のシステムだって変わってくる。
所変われば・・・なのである。



台所で洗い物をしていると通りの向こうからゴミの車が来るのが見えた。
なんとなくピンと来た。
以前からゴミを集めている所を写真に取りたいと思っていたのだ。
今がその時だ。
カメラを持って通りに出た。
トラックは作業をしながらゆっくりと近づいてくる。
『どうか今日一日、このゴミを集めている人が気持ちよく仕事ができますように』
トラックが来るまでボクは心の中で唱えた。
緑色のトラックが家の前まで来た。
ボクは手を挙げて挨拶をしたら運転席から陽気な声が聞こえてきた。
「オハヨーゴザイマース」
いつかアリガトーと言ってくれたあの兄ちゃんだ。
作業の様子をカメラにおさめたボクに彼は言った。
「シャシン、20ドル」
そして笑いながら次の家へと去っていった。
こういうのもいいもんだ。
それにしてもこのコンテナの色、どこで見たっけかなあ?
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鳥の声

2010-10-11 | 
この時期、ニュージーランドの夜明けは遅い。
デイライトセービング(夏時間)が始まったばかりだからだ。
だいたい明るくなるのは6時過ぎぐらいだろうか。
朝5時過ぎぐらいになると一番鳥が鳴き始める。
ヒネとミカンが起きて行動を始めるのも6時くらいだろう。
それぐらいになると様々な鳥が活動を始め、家の周りは鳥の声に包まれる。

先日、知人が日本に一時帰国した。
彼女曰く、帰国したときに泊まった家がバイパスのそばだったので24時間車の音がうるさかった。ニュージーランドに帰ってきて、鳥の声で目が覚めるのが嬉しいと。
なるほどなあ。分かる気がする。
ある場所にいれば当たり前の事が、別の場所では当たり前でなくなる。
時に違う環境に実を置くことにより、今まで当たり前だと思っていたことの有り難さに気付く。
水道の水を美味しく飲めることだって、そこにずーっといれば当たり前の事になり感謝の気持ちも生まれないだろう。
別の場所へ行き、常に水を買うような状況を体験することにより、美味しい水道水が飲める幸せを感ずるのだ。
病気やケガがあるから健康であることの喜びを感じるのと一緒だ。
特に若い時に世界へ出て違う体験をしてみることはいいことだ。
ボクも23年前にニュージーランドへ来ていろいろな経験をした。だから今のボクがある。
その時に会った人は40代の日本人夫婦。オーストラリアで何年か住んでいたが暮らしにくくなってきたのでニュージーランドに移ってきたと言った。
その人達の話を聞いて思った
人間は自由なんだ。
今まで『こうでなければいけない』と思いこんでいたことが『あ、これでもいいんだ』『ああ、こういうのもありなんだ』というような。
目からウロコがはがれるような、肩の力が抜けるような、そういう経験は必要である。

以前会った日本の若者は常に「日本の常識では考えられない」とぼやいていた。
そりゃそうさ。ここは日本じゃないんだから日本の常識は通用しない。
日本には日本の常識があり、ニュージーランドにはニュージーランドの常識があり、南米に行けば南米の常識がある。
自分の狭い価値観から抜けられなく、自分に都合の良い『当たり前』だけを求める。
こういう人は、日本の常識=世界の常識ではない、ということを再認識する必要がある。
常に日本の常識に縛られていたら、この国にいても何も見えないし何も感じ取れないだろう。
別れるときに彼に言った。
「君とは二度と会わないだろうけど、がんばりな」
ありがたいことに最近はこういう人にも出会わない。
そういうふうにできているんだろう。

「お父さん、ちょっとこっちへ来て」
深雪がベッドルームから呼んでいる。
時間は6時半、日はまだ昇っていないが空はだいぶ明るくなっている時間だ。
深雪はまだベッドの中にいるが、窓が大きく開いている。
「おはよう、なんだ、窓を開けて寝たのか?」
「ううん、鳥の声がたくさん聞こえるから窓を開けたの」
「そうか、いいだろ鳥の声で目が覚めるのって」
「うん、たくさんいるよね。これは何の鳥?」
「お父さんにも分からない。朝もっと早い時間だと別の声もきこえるんだぞ。ポッポーっていうような声だな」
「ふーん」
昨日はいつもより早く寝たので、今朝早起きしたのだろう。
時間が変われば環境は変わる。時間と空間はひとつのものだから。
違う環境で人に言われてではなく、自分からこういうことに気付く。
大切なことだ。
起きてきた深雪に聞いた。
「オマエ、さっき鳥の声を聞きながら何を考えていた?」
「うんと、遠くの鳥と近くの鳥が話をしてたの。何を話しているのかなって、聞いてたの」
「ウム、よろしい」
鳥たちのさえずりに混じりヒネとミカンの鳴き声も聞こえる。
同族に囲まれヤツらも幸せなことだろう。
鳥の国、ニュージーランドの朝はゆっくりと明けていった。
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エネルギーの無駄遣い

2010-10-07 | 日記
世の中、良いことばかりではない。
どこかでは悪いことも起こりうる。
まあ良い悪いというのも片側から一方的に見たものであり、逆から見れば善悪は反転する。
人は善いことをしながら悪事をはたらき、悪いことをしている影で善いことをする。
火付け盗賊改の鬼平も言っている。

庭で農作業中に休憩をしていた。
お茶をいれ、青空に吹く風に包まれホッとしていた時のことである。
遠くの交差点でトラックのクラクションが聞こえた。
近所は平屋ばかりなので、かなり遠くの音も聞こえてくる。
クラクションの音が無いこの国で、運転のプロであるトラックドライバーに強くクラクションを鳴らされるという事はよっぽどひどいことをしたのだろう。
数秒後パトカーのサイレンが聞こえた。サイレンはかなり早いスピードで移動しているようだ。
誰かが信号無視か何かをして、トラックのドライバーが怒り、近くにいたパトカーが追跡をしたのだろう。
サイレンはかなり長いこと聞こえ、町と反対方向に消えていった。
近所の道はそこそこ交通量も多く、たまにスピード違反を捕まえるパトカーのサイレンが聞こえる。
救急車のサイレンはもっと頻繁に聞こえる。

ボクは1人つぶやいた。
「なんてエネルギーの無駄遣いなんだろう」
交通ルールを守ればトラックの運ちゃんがクラクションを鳴らすこともなく丸く収まる。
交差点でルールを守るということは車を運転する上で基本中の基本である。
うっかりやってしまってパトカーに追いかけられたら、あきらめて素直に止まるべきだ。
逃げたらそれを追いかけるパトカーのガソリン、自分の車のガソリンを浪費する。ムダだ。
飲酒やドラッグなど逃げなくてはならない理由があるならば、それは自業自得である。
パトカーの警官だって余計な仕事が増える。ムダである。
最悪のシナリオは追跡された車が事故を起こし他の人を殺す事だ。
逃げた本人が勝手に事故って死ぬのは自業自得でしょうがないだろう。バカは死ななきゃ直らない、と昔からの言葉にもある。
パトカーに追跡された車が事故にあうのは時々ニュースで出る。ムダだ。
そう思っていると数分後、今度は救急車のサイレンが聞こえパトカーが去った方向に消えていった。
今度は救急車のガソリンの無駄遣いだ。それを運転する人のエネルギーの無駄遣いでもある。
さらにケガか死亡か知らないが、病院でそれを診る医者のエネルギーの無駄遣いもでてきた。

交差点のトラックのクラクション、パトカーのサイレン、救急車のサイレン。
この3つが別々の件で動いていることもあるが、タイミング的に一致してしまうのだ。
最悪のシナリオは人が死ぬこと。
せっかくあれだけの地震で死者0という快挙をなしとげたのに、人間はこうやって命をムダにする。
それに関わる人間のエネルギー、ガソリンや電気などのエネルギー、お金のエネルギーをムダにする。
世の中に偶然が無いのならば、これも必然なのか。善悪はなく全てを受け入れるべきなのか。
良い悪いはともかくとして、地震で死ななかった命を不必要な事で亡くす事ほどバカバカしいことはない。
生きるということはどういうことか、よく考えないのでこういうことが起こる。
この一件がどうなったのか調べる気力もないし、調べてみたところで意味はない。
同じような事はあちこちで起こっている。今回が良ければ済むという話でもなかろう。
人は生きていることが当たり前なので、そのことについてあまり深く考えない。
病気や怪我をして初めて健康でいることの有り難さを知るのと一緒だ。
生きることをつきつめて考えると、切り離せないのは死だ。
死ぬことを恐れるあまりそこから目を背けようとする。
死があるから生きるのであり、生きるから死ぬのだ。言いかえれば死ぬために生きるといってもいいと思う。
人間、死ぬときは死ぬし、死なないときはなかなか死なない。

地震という地球のエネルギーをうまく受けとめた社会の裏側では、こうやってエネルギーの無駄遣いをしている。
善いことをしながら悪いことをするのが人間の性ならば、これも必然なのだろうか。
♪人間なんてララララララララ~


コメント (5)
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木を植える

2010-10-01 | 
庭にリンゴの木を植えた。
先週、園芸センターで安売りをしていたもので、通常$30が$20になっていて衝動買いをしてしまった。
品種はフジ。
植える場所は鶏コーナーの一角で、日当たり良好の一等地である。
何年もほったらかしにしてあった土地を掘ってみると、中からミミズがわんさとでてきた。
こんなのヒネとミカンのご馳走だな。
作業をしていると鶏たちが喜んで虫をつついている。
大きなミミズは穴の中に入れ、乾燥鶏糞をまぜこむ。その上に土をかぶせ、りんごの苗を植えた。
リンゴの木の根が伸びるころには、ミミズたちがニワトリの糞を土に還してくれるだろう。
この種類には支えが必要なようなので、庭のキャベッジツリーの葉っぱを縛りヒモを作り、杭を立て苗を固定。そこにあるものを使う。
根本がニワトリに掘り起こされないよう、板を置く。
コンポストの液肥をたっぷりかけて作業終了。

収穫まで何年かかるのだろうか。
まあ気長に待つつもりである。
今年はこの他にもフィジョアの木と月桂樹の木を植えた。
フィジョアのフルーツは深雪のお気に入りだし、ボクは煮込み料理を良く作るので月桂樹の葉っぱは欠かせない。
次に考えているのはニュージーランドらしくキウィの木だな。
ちなみにキウィフルーツの原産は中国って知ってた?
近所の友達の家に立派なキウィの木があるので枝を貰ってきてさし木を試してみようと思っている。
去年植えたレモンは小さいながらも実をつけたし、友達からもらった桃の木もゆっくりと育っている。
今まで気が付かなかったが、庭の前にはサクランボの木もあり、去年は鳥に食われながらも実をつけ、我が家にも多少の恵みがあった。

フードフォレストの話を聞いたのはいつの頃だっただろう。
その森は全て食べられるもので成り立っていて、人がその中を歩きながら熟している物をその場で取って食べ歩くという。夢のような世界だ。
あるエリアの周りをぐるっと木で囲む。木は根が深いので地中深くにある水脈から水を吸い上げる。するとその木に囲まれた場所は潤うという。
なるほど理にかなっている。
木が育って実をつけるまでは時間がかかる。
野菜のようにはいかない。
野菜は芽が出て育って葉っぱを茂らせ、花が咲き実が付き種が出来て枯れる。わずか数ヶ月の命である。
木は何年もかかって大きくなる。大きな空間には長い時間がかかる。

時間と空間は密接な関係にあり、どちらかを切り離して考えてはいけない。
現代社会でおかしいところは時計というもので管理され、時間が空間から切り離されていることだ。これがそもそもの間違いなのだ。
小さい空間には小さい時間が流れ、大きな空間には大きな時間が流れる。
社会が動く上で統一された時間は必要かもしれないが、空間との関係を無視してはいけない。
大きな木には何百年というような時間の流れがある。
小さな野菜達には数ヶ月の時間がある。
どれも精一杯、各自の時間の中で生きている。

我が家のフードフォレストが出来るにはどのくらいの時間が必要だろうか。
そこには完成はなく、常に継続という形で進化を続ける。
ニワトリにエサが必要なように、植物にも養分は必要だ。
人間が働くことにより、植物は実をつけ、ニワトリはタマゴを産む。
それを人間がありがたくいただく。
共存共栄のフードフォレストを目指し、ボクはこれからも木を植えていくだろう。
こうなればいいな、と思ったことは実現する。
大切なのは最初の一歩だ。
理想のフードフォレストに向けてボクは一歩踏み出した。
コメント (3)
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