このブログで、万葉歌碑を取り上げるのは、昨年の12月に書いたのが最後、ほぼ9か月ぶりである。最近は、古墳ばかりなのでたまには万葉集というのもいいでしょう。
さて、今回は、石舞台公園を祝戸の方角に抜ける途中に、玉藻橋というコンクリート造りの車1台分ぐらいの幅しかない、小さな橋は、飛鳥川に掛かっている。そのたもとに「玉藻橋」と題された万葉歌碑が置かれている。
歌碑には「明日香川瀬々に玉 . . . 本文を読む
飛鳥寺というと、日本で最初の本格的な寺院が作られたところであり、飛鳥の観光スポットでもひときわ多くの参拝客、観光客でにぎわうところである。かくいう私も小学校の頃から幾度となく訪れている。 特に最近は、飛鳥寺西方遺跡の発掘調査が、何か年か継続して行われており、その現地説明会に参加するたびに、そのついでに寄っているようなところがある。 そのためか、通常の入り口になっている東門よりも反対側の西門から . . . 本文を読む
飛鳥寺から北へ向かうと三叉路となり、突き当りを左に向かうと飛鳥坐神社の鳥居と社殿がある鳥形山の姿が見える。神奈備山にふさわしく非常に形の良い姿を見せてくれている。 飛鳥坐神社は、その創建は古く、平安時代には、すでにこの場所で祀られている記録がある。そして、式内社として、延喜式の神名帳にその名が見えるという。 現在の祭神は、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日比売神(賀夜奈留美命のこと)、大物主神 . . . 本文を読む
石舞台古墳から岡寺、飛鳥寺に向かう道沿い、古民家が立ち並ぶ街並みの中に、犬養万葉記念館がある。以前は、南都銀行明日香支店として使用されていた。この記念館が開設されたのが、平成12年のこと。早くも20年近い歳月が経っている。 そういえば、開設されてすぐ、家族でここを訪れて、犬養先生の著書「明日香風」を購入した記憶がある。考えれば、僕が万葉集に関連した本を最初に詠んだのは、高校生の時、同著「万葉の人 . . . 本文を読む
中尾山古墳の発掘調査の公開があったので、調査現場の見学と同時に、近くにある高松塚古墳も見て回ることにした。昔、初めて飛鳥を訪れた時は、まだ、高松塚古墳周辺は公園として整備されている途中で、周辺は田んぼばかりで、古墳に行くのも、万葉歌碑がある小丘の前の道を南からミカン畑を通って入っていったような記憶がある。
その頃は、高松塚古墳も現在のような、シルクハットのような姿ではなく、竹藪の中にこんもり . . . 本文を読む
法隆寺、東院伽藍にある會津八一の歌碑。以前は、法隆寺の近くの民家にあったらしいのだが、近年、この場所に移設されたものである。東院伽藍から中宮寺に向かう道、ちょうど伝法堂と鐘楼の前辺りにある。
これまで幾度となく、この道を通っているのにも関わらず、全く気が付かなかったというか、むしろ歌碑があることは知っていたものの、どこにあるかわからなかったし、てっきり東院伽藍の伽藍の中にあるのだと思い . . . 本文を読む
橘寺から石舞台古墳の方に歩く遊歩道を歩いていくと、南都銀行の明日香支店のそばに一つ万葉歌碑が置かれている。歌碑のすぐ下には、飛鳥川が流れている。飛鳥川を見ると、いつも思うのだが、川の流れがけっこう速いような気がするのだけど、どうだろう。 飛鳥川については、少し調べてみると、源流は、高取山北東麓にあり。、手谷川と行者川が奥飛鳥の栢森集落内で合流して、飛鳥川となり、明日香村中央部を北へ流れ、橿原 . . . 本文を読む
橿原バイパスから、藤原京の横を通って飛鳥に入る県道の道沿い、明日香川に甘樫橋が架かるあたりに、万葉歌碑が一つ置かれている。歌碑のすぐそばには、農産物直売所「あすか 夢の楽市」があり、いつも多くの人で賑わっているのだが、意外と万葉歌碑があることに気づく人はいないような感じで、サイクリングやハイキングを楽しむ人たちもあまり歌碑の前で立ち止まる人はいないようだ。
歌碑のある場所の道を挟んですぐのと . . . 本文を読む
美しい棚田で有名な稲渕。そこから少し川に沿った造られた集落を歩いていくと、飛び石と書かれた道標があり、案内に従って、飛鳥川の方へ田んぼの間を降りていくと、飛鳥川を渡るための飛び石(石橋)がある。
その飛び石へ降りていく道のほとりに万葉歌碑がポツンと置かれている。
歌碑には、「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」という歌が万葉仮名で記されている。揮毫はもちろん万葉 . . . 本文を読む
飛鳥国営公園の石舞台古墳の前にある休憩所の横に、小さな万葉歌碑が建てられている。少し奥にあるためか、意外とこの歌碑に目を止める人は少ないようで、僕も十数回はこの場所に来ているが、この歌碑の存在には、今回初めて気づいた。
歌碑の周りにかなり雑草が生い茂っていて、なかなか気づきようなないと言えばそれまでなのだが。
なかなか読みにくい状態ではあるが、歌碑には、「御食向かふ 南淵山の 巌に . . . 本文を読む
川原寺跡前の万葉歌碑のある場所から、田んぼの中の道を南へ歩いていくと、橘寺の前に出る。この橘寺も、小さい頃から何度となく来たことがある。遥かな昔は、日本書紀の天武天皇9年の条に「橘寺尼房失火、以焚十房」という記載があるように、多くの建物が建って栄えていたようである。
東門の前にある五重塔の基壇や礎石、心礎などで往時の姿を偲ぶことができる。
創建当初は、中門、塔、講堂、金堂が一直線に . . . 本文を読む
明日香村の中央大通りとも言える県道155号線を東に向かって歩いていくと、史跡川原寺跡が右手に見える。その道を挟んだ向かい側に、橘寺の聖徳皇太子御誕生所と書かれた大きな石碑がある。
この辺りの田園風景は、段々畑が橘寺の白い壁まで続いていて、非常に飛鳥らしい景色である。
ちょうど9月末ということで、黄金色に色付いた稲の穂先と真っ赤な彼岸花が咲いていて、日本の秋だなあと思う光景だった。
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甘樫丘の東麓を走る道路を歩いていると飛鳥川と交わる。川には飛鳥橋と呼ばれるさほど大きくない橋が架けられており、その脇には、小さなポケットパークがある。
このポケットパークの周りには、コスモス畑があり、ちょうどこの場所を訪れた時は、コスモスの花が満開であった。
そしてポケットパークには、柿本人麻呂の歌を記した万葉歌碑が、ポツンとひっそりと立っている。
そして、その歌碑には、 . . . 本文を読む
飛鳥の万葉文化館へ行く時、奥山から岡寺を通って石舞台古墳の方へ抜ける県道15号線を使っていくことが多い。万葉文化館前の交差点の周辺に万葉歌碑が1基あるということは知っていたのだが、交差点の周辺を見回してみてもその姿も影も見えない。何度となくその周辺を通るたびに気にはしているのだが、見つけることはできなかった。
そして、先日万葉文化館から飛鳥資料館へ向かって歩いていった時に、ようようにして見つ . . . 本文を読む
四条通を東へ進むとちょうど東大路通と交わる三叉路の行き止まりにあたる場所に八坂神社がある。この辺りは京都でも一二を争う人通りの多い場所になる。そういえば、いつの間にか漢検の漢字ミュージアムなるものも出来ていた。
大勢の人が行き交う八坂神社であるが、神社の本殿には、参拝する人が多くいる中、本殿の東側にひっそりと八坂神社の摂社や末社に挟まれて、一つの灯籠が立っている。
平忠盛灯籠 . . . 本文を読む