彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:「川手主水の墓」

2007年08月15日 | 史跡
大坂夏の陣で井伊家先鋒として木村重成軍と戦い討死した川手良列の養父・川手主水良則の墓が最近彦根市南川瀬町で発見されました。


川手主水は、三河国武節城と河手城の2つの城の城主・河手主水助景隆の嫡男として誕生。武節貫治とも名乗っています。
当初は武田信玄の家臣・山県昌景に仕えて多くの手柄を立てて信玄からも「若手ながら覚えの者」と賞賛されました。


武田家滅亡後に他の武田家臣と共に徳川家康に仕えています。
徳川家康は、木俣守勝に武田家臣団を統括させて井伊直政に託します、この時に主水も直政の家臣になったのでしょう。

そんな主水の正室は直政の姉・高瀬姫です。


関ヶ原の戦いの時は、直政の代わりに直政の居城・高崎城を守りました。
このような活躍から、彦根藩では4000石の家老となりました。


しかし、養子・川手良列が大坂夏の陣で井伊直孝と木村重成が激突した若江の戦いで討死。
良列の息子の代で断絶してしまいます。


幕末の大老・井伊直弼は藩祖・直政の姉の家系が滅んだ事を惜しみ、自らの甥に川手家を再興させましたのです。
コメント (2)
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