彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

日本100名城「小谷城」訪問記

2011年01月09日 | 日本100名城と続100名城
今日から『江~姫たちの戦国~』が放送になるので、その前に小谷城に行ってきました。
でも、この時期の小谷周辺は雪である可能性がめちゃくちゃ高いです。

…というか積もってました小谷城(笑)
この為に、番所跡から本丸まで登って引き返すだけの簡単なコースだけにして、季節が落ち着いてから再び訪問する事にしました。



…というわけで、番所跡のすぐ近くにある場所に車を停めて出発です。
まずは、朝倉義景が陣を張ったとされる金吾丸

番所より外側なのは、どんな意味があるのでしょうか?
そして番所跡へ

けっこう広いく曲輪でした。

ここから御茶屋敷跡までの間に琵琶湖が見える場所があります。

江は幼すぎたでしょうが、お市や茶々はこの景色を楽しんだのでしょうね。
そして御茶屋敷前も通り

ここからまた進むと馬洗池に到着、ここに馬場があったそうなのですが、こんな山の中に馬を何頭も連れてくるのは、当時では普通だったのでしょうか?

池の奥は馬舎があったそうです


そして、本丸直下の赤尾屋敷へ…

雪が行く手を遮りながら、それに逆らって進むとあります。

赤尾屋敷は、浅井長政が自害した地でもあるのです。

長政もまさか娘が大河ドラマの主人公になるとは思わなかったでしょう。

そして本丸を目指します。

千畳敷と呼ばれる大広間では、長政とお市の婚礼が行われました。またこの曲輪のどこかで江が誕生したとも言われています。



ここのは石垣が積まれた場所があり、この上に何らかの建物があったとも推測されるようです。




本来はこれより先がメインになるとも言えるのですが、雪の為今回は断念。
大堀切で引き返しました。

次の機会に登りたいと思います。

また、清水谷からも攻めて行きたいですね。

余談ですが、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』では小谷城落城の際に、炎上する場面は最小限に抑えられていました。実際も炎上した痕跡は見つかっていないそうです。
コメント
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