戦国怪談話と言いながらも、厳密には戦国時代に怪談話を探すことは難しいです。それは戦国時代が殺し合いの時代だったからです。
人を殺すのが当り前の時代に、怪談なんて信じていたら敵を討つことはできません。ですから厳密には後で考えられた怨念話や祟りが多くなります。
そんな戦国時代に、大和国(奈良県)に果心居士という仙人がいました。
安土城ができた頃、果心居士は地獄絵図の屏風を持って織田信長に面会します。信長は迫真に迫る屏風を気に入って値を問うと、居士は「信長さまの想いのままに」と答えるので、信長は金100両を用意しました。
信長が家臣らを呼んで屏風を見せるのですが、絵の質が悪くなっています。信長が果心居士に問うと「100両の価値に相応しい絵にいたしました」と言ってその場から消えたのです。
そんな果心居士は、大和の領主であった松永久秀とも親しくしていました。
この久秀、織田信長が「主殺し、将軍殺し、奈良の大仏を焼くという普通の人間なら生涯に一度も行わない大罪を三つも行った人物」との評価を下すほどの人物でした。
久秀は、親しい果心居士に対して「自分は恐怖を感じたことが無い、怖がらせてくれ」というので、真っ暗な中に久秀を置いたのです。
そして久秀の前にやせ細った女性が立ち恨みを言いました。それは亡くなった久秀の正室で、女好きの久秀を嗜め、恐ろしい姿で久秀を空ろに見る姿に久秀は悲鳴を上げたのです。
最後に、豊臣秀吉が天下を統一してから、果心居士が秀吉に呼ばれました。秀吉も怖い想いがしたいと言うので、真っ暗な中に若い女が秀吉を睨んだそうです。その女は秀吉が織田家に仕えた頃に出た合戦で、秀吉が犯して殺した女でした。
この秘密は誰も知らなかったはずが、果心居士によって暴かれたので、秀吉は女の姿に怯えるとともに果心居士の存在に恐怖を感じて殺そうとしました。しかし豊臣家臣に囲まれた居士は、鼠の化けて去って行ったといわれています。
人を殺すのが当り前の時代に、怪談なんて信じていたら敵を討つことはできません。ですから厳密には後で考えられた怨念話や祟りが多くなります。
そんな戦国時代に、大和国(奈良県)に果心居士という仙人がいました。
安土城ができた頃、果心居士は地獄絵図の屏風を持って織田信長に面会します。信長は迫真に迫る屏風を気に入って値を問うと、居士は「信長さまの想いのままに」と答えるので、信長は金100両を用意しました。
信長が家臣らを呼んで屏風を見せるのですが、絵の質が悪くなっています。信長が果心居士に問うと「100両の価値に相応しい絵にいたしました」と言ってその場から消えたのです。
そんな果心居士は、大和の領主であった松永久秀とも親しくしていました。
この久秀、織田信長が「主殺し、将軍殺し、奈良の大仏を焼くという普通の人間なら生涯に一度も行わない大罪を三つも行った人物」との評価を下すほどの人物でした。
久秀は、親しい果心居士に対して「自分は恐怖を感じたことが無い、怖がらせてくれ」というので、真っ暗な中に久秀を置いたのです。
そして久秀の前にやせ細った女性が立ち恨みを言いました。それは亡くなった久秀の正室で、女好きの久秀を嗜め、恐ろしい姿で久秀を空ろに見る姿に久秀は悲鳴を上げたのです。
最後に、豊臣秀吉が天下を統一してから、果心居士が秀吉に呼ばれました。秀吉も怖い想いがしたいと言うので、真っ暗な中に若い女が秀吉を睨んだそうです。その女は秀吉が織田家に仕えた頃に出た合戦で、秀吉が犯して殺した女でした。
この秘密は誰も知らなかったはずが、果心居士によって暴かれたので、秀吉は女の姿に怯えるとともに果心居士の存在に恐怖を感じて殺そうとしました。しかし豊臣家臣に囲まれた居士は、鼠の化けて去って行ったといわれています。