彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

11月20日、治承三年の政変

2012年11月20日 | 何の日?
治承3年(1179)11月20日、平清盛が治承三年の政変を起こしました。

鹿ヶ谷の陰謀以来、関係が表だってぎくしゃくし始めた平清盛と後白河法皇でしたが、それでも清盛の嫡男である平重盛が両者の仲介を行って何とか関係が保たれていました。
しかし、治承3年閏7月29日に重盛が病没し、同じ月に亡くなっていた清盛の娘の盛子の嫁ぎ先である近衛摂関家の領国と共に重盛の領国も法皇が没収したことから、清盛と法皇の関係がますます悪化したのです。


こうして、清盛のクーデターが勃発します。
11月14日、福原に居た清盛は軍を率いて京に入ります。
15日清盛が強硬に人事に介入し、驚いた後白河法皇は、今後自分が政治に関わらないことを申し出ます。
しかし、清盛の人事介入は続いたのです。
20日辰の刻(午前8時頃)、清盛の軍勢が法皇の住む法住寺殿を包囲。御所内は驚き大騒ぎになったのです。女性たちが逃げ出している混乱のなかで脱出を図ろうとした後白河法皇の前に、重盛に代わって平家の後継ぎになった平宗盛が現れ、「世が落ち着くまでの間、鳥羽殿に御移りいただきたいと父の入道清盛が申しております」と伝えて車に押し込み、そのまま鳥羽殿で幽閉したのです。


こうして清盛のクーデターは成功し、清盛は高倉天皇の権威を背景に政権を運営します。これは同時に後白河院政の終焉を意味したのです。
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