皆さんは、彦根城築城以前の彦根付近の地図をご覧になった事はありますか?
滋賀大学経済学部附属資料館に残る『彦根古図』を見ると、芹川が彦根山の東側を北に向かって流れ、彦根山の北側にあった松原内湖に流れ込んでいた事が見て取れます。
彦根在住の方がイメージしやすい地名でお話すると、平田山の北にある中芹橋から城東小学校の辺りを通り、彦根城の麓を通って陸上競技場の辺りまで流れ込んでいたのです。
でも、今の市内をイメージするとそんな所に川は流れて居ませんよね。
芹川は、400年前まで先ほどお話した流れでしたが、彦根城築城に伴い大掛かりな土木工事が行われて、今の私たちが知っているような真っ直ぐに琵琶湖に注ぎ込む流れになったのです。
川の流れを変えるのというのは、想像を絶するような工事が必要となりますが、彦根山の地形を考えた時には南側の防備が弱かった為、南側の防備を強化する必要性があったのです。
こうして、芹川の流れを変えることで、城の南側に川でありながら堀となる軍事的な防御施設を作りあげたのです。
そんな、芹川の改川工事の終了後に護岸の為に植えられたのが、今に繋がる芹川並木になります。
植えられている木は、桜・欅・榎など500本以上。四季に応じて様々な植物が芽を吹き、花を咲かせて、秋には色付きます。
並木の中で一番大きな木は、高さ1.5m・幹の周囲が450㎝近くある欅の木で、この木以外にも、大きな欅の木は50本以上あるそうですよ。
『彦根カルタ』には“通りゆく 芹川堤に けやきの木”と詠われています。
元々は軍事的な目的で流れが変えられた川でしたが、今は自然一杯のウォーキングコースとして人気を集めています、自然と触れ合いたい時にゆっくり散策されてみてはいかがですか?
↓『彦根古図部分』(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
http://longlife.city.hikone.shiga.jp/serinature/03/01b.html
滋賀大学経済学部附属資料館に残る『彦根古図』を見ると、芹川が彦根山の東側を北に向かって流れ、彦根山の北側にあった松原内湖に流れ込んでいた事が見て取れます。
彦根在住の方がイメージしやすい地名でお話すると、平田山の北にある中芹橋から城東小学校の辺りを通り、彦根城の麓を通って陸上競技場の辺りまで流れ込んでいたのです。
でも、今の市内をイメージするとそんな所に川は流れて居ませんよね。
芹川は、400年前まで先ほどお話した流れでしたが、彦根城築城に伴い大掛かりな土木工事が行われて、今の私たちが知っているような真っ直ぐに琵琶湖に注ぎ込む流れになったのです。
川の流れを変えるのというのは、想像を絶するような工事が必要となりますが、彦根山の地形を考えた時には南側の防備が弱かった為、南側の防備を強化する必要性があったのです。
こうして、芹川の流れを変えることで、城の南側に川でありながら堀となる軍事的な防御施設を作りあげたのです。
そんな、芹川の改川工事の終了後に護岸の為に植えられたのが、今に繋がる芹川並木になります。
植えられている木は、桜・欅・榎など500本以上。四季に応じて様々な植物が芽を吹き、花を咲かせて、秋には色付きます。
並木の中で一番大きな木は、高さ1.5m・幹の周囲が450㎝近くある欅の木で、この木以外にも、大きな欅の木は50本以上あるそうですよ。
『彦根カルタ』には“通りゆく 芹川堤に けやきの木”と詠われています。
元々は軍事的な目的で流れが変えられた川でしたが、今は自然一杯のウォーキングコースとして人気を集めています、自然と触れ合いたい時にゆっくり散策されてみてはいかがですか?
↓『彦根古図部分』(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
http://longlife.city.hikone.shiga.jp/serinature/03/01b.html