彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

産の宮

2021年04月23日 | 史跡
文和4年(1344)足利義詮が京都を追われて、後光厳天皇と共に美濃に逃れました。

その後、京都を奪還し戻る時、義詮の妾女は妊娠したまま義詮に同行して東山道を進みますが今の彦根市で産気付き男子を出産します。
義詮は家臣や侍女を付けてこの地に母子を残して先を急ぎました。

やがて男子は夭折し、義詮の妾女は出家します。
その関連地に作られたのが産の宮です。








残された侍女たちはこの地の竹で葛籠を作り生活したとされていて、この地は今は「葛籠町」となっています。

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