随分前から探し回っていた史跡が山塚古墳です。
平将門を討ち、都へ凱旋途中の藤原秀郷が東山道の下枝辺り、宇曽川に架かる橋で将門の首に追いつかれたとの伝説があり、秀郷は将門の首に歌合戦を挑み、歌が出てこなかった将門の首が落ちたとされています。
その地には「歌詰橋」との名が付くのですが、秀郷は近くに将門の首(骸全てとも…)を祀る塚を作ったと言われているのです。
後年、宇曽川の氾濫に乗じて塚から抜け出した将門の首は下流の荒神山辺りで力付き、ここに塚(前方後円墳)が作られて「平流山」と呼ばれた伝承もあり、平流山は以前に確認したことがあり、毎月連載を書いている『DADAジャーナル』でも紹介しています。
ただ、秀郷が作った塚というのが、個人ではなかなか特定できずにモヤモヤしていたのですが、久しぶりに歌詰橋に寄ったので周りをウロウロして見つけました。
時代的には合わないようですが、伝承地に巡り合うことができて良かったです。