金沢城を出て、バス停に行く途中で尾崎神社に寄りました。
お堀沿いを進みます。
途中で入った屋敷跡は、宇喜多秀家の正室豪姫が晩年を過ごした地に建つそうです。
金沢城大手門跡の石垣に縦長に積まれた、鏡石であろう巨石に興味を覚えたりしながら
お堀沿いを進みます。
途中で入った屋敷跡は、宇喜多秀家の正室豪姫が晩年を過ごした地に建つそうです。
そしてふっと目に入り立ち寄った尾崎神社。
小ぶりながらも立派な朱塗りの本殿は、もともと金沢城にありました。
加賀藩四代藩主前田光高が幕府に願いでて、金沢城北ノ丸に東照宮を勧進し、天照大神、東照大権現(徳川家康)そして光高の父前田利常を祀ったのです。
この時は東照三所大権現社と呼ばれていました。
明治時代になり尾崎神社に改称。金沢城が陸軍省の管理下に置かれたために城外に移築されました。
「金沢の江戸、北陸の日光」とも呼ばれていたと言われています。
建物の移築はあったものの、建物の多くが寛永20年(1643)からの物ですので、その意味では尾崎神社も立派な金沢城遺構ともいえます。
拝殿
神門
ここの御朱印はとても力強いものでした。神職さんがご多忙でなかなか受けることができないそうなのですが、訪れたときにはいらっしゃり「暑さに気を付けて」とお声掛けもいただきました。
これで、福井・金沢を一日で巡る鈍行列車の旅は終わりです。
井伊谷行きからあっちこっちと、たくさんの話にお付き合いいただきありがとうございます。