二ノ丸を橋爪門から出ると三ノ丸が広がっています。
河北門も火災(金沢城は宝暦の大火で多くが焼けました)で失われたのちに再建されましたが、明治時代に壊されたようです。
ニラミ櫓とは、「睨みを利かせる」と言う意味ではないか?とのことですが、宝暦の大火後に再建された時はニラミ櫓を作らなかったそうです。
この三ノ丸に入る門のひとつが河北門になります。
河北門も火災(金沢城は宝暦の大火で多くが焼けました)で失われたのちに再建されましたが、明治時代に壊されたようです。
平成22年に完成した今の建物は、宝暦の大火で焼ける前の姿とのことで、発掘調査で出た礎石をそのまま使っています。
河北門は、大手門から本丸に向かう時に通るので金沢城の正門との位置付けになっています。
まず、河北坂を登り一の門を潜りますが、門の右側には太鼓塀とニラミ櫓があり、その奥に前回紹介しました菱櫓の三層の建物が見え圧迫感を感じさせるようになっています。
ニラミ櫓とは、「睨みを利かせる」と言う意味ではないか?とのことですが、宝暦の大火後に再建された時はニラミ櫓を作らなかったそうです。
軍事施設のひとつを簡略化するのですから、幕府の許可も降りやすかったかもしれないですね。
そこから広めの枡口に入り高いニノ門を潜ってやっと三ノ丸に入ることができるのです。
三ノ丸から見た河北門