王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

ナサニエル・フィルブリック 「復讐する海」を読む その2

2007-06-06 00:28:39 | 本を読む
これは「復讐する海」その1の続きです
これまでの粗筋:
1820年11月20日米国ナンタケット島を基地とする捕鯨船「エセックス号」は全長26メートル、尾の横幅12メートルもある雄のマッコウクジラに二度も体当たりされほとんど瞬時に沈没してしまいます

ここからが続きです
他のクジラを追っていた一等航海士と船長のボートも本船が見えなくなったのに気づき引き上げてきます
辛うじて浮いている船体に穴を開け三艘のボートに飲料水、食料、資材、ゾウかめなどを積み込みます しかしショックで次の動作が起きません

二日後本船が完全に水没したのを機に我に返った幹部(船長・一等と二等航海士)は「一番近い陸地をめざす」べく協議をする
帆をつけ20センチ程の応急波除を打ち付けた彼等のボートは風の方向にしか進む事が出来ない。後戻りしてガラパゴス諸島とその先の南米に行くには潮流にも逆らい3200キロ以上航海しなければいけない これは不可能である
次はここから西1900キロ余りにはマルケサス諸島、更に南数百キロにはトゥアモトゥ諸島が有る。その西ソシエテ諸島はこの場所から3千数百キロで、運がよければ30日足らずで行き着く事が出来る
ただマルケサス諸島の原住民は食人を好むとの旅行記を知っていた。ソシエテ諸島の情報はない ここでも食人の風があるのでないか
二人の航海士に反対され船長は考えた

二人は現在地から2400キロ南下し変風帯に入り東に3000キロ航路をとれば南米大陸に行き着く。1日110キロ進めば約60日分のパンと水で間に合う
ナンタケット出港後3日目に本船が横倒しになった後と同様、船長は部下の進言にしぶしぶ同意した
結果論であるがマルケサス諸島の食人の風は誤解であり、その西側の諸島にも中国向け貿易の商船は頻繁に出入りしており食人の風は噂としてあっても、それを打ち消す事実もふんだんに有った。又ソシエテ諸島の中でタヒチは1797年以来英国伝道団が活躍していた この時点でもかなり普遍化していた事実を幹部は認めなかったし知らなかった 
ここで又リーダーシップと幹部の資質が問われる 生き残りのキャビンボーイは書く「この致命的な誤りのため何人の命が失われることになったであろう?」
メルヴィルも記す「彼等は食人族をおそれタヒチを避けた。そこで風に逆らって数千キロも遠回りする航海を選んだ」
 
さて次は20名の船員と3隻のボートの乗り合わせである。一等航海士のボートは破損がひどく6名がやっとである 船長と2等航海士のボートに7名づつだ
20名の構成は9名がナンタケット出身の白人、5名がそれ以外の地域出身の白人そして黒人6名である
捕鯨ボートの乗り組み同様、ここでも船長はナンタケット出身者を最も多く4名(船長を含め5名がナンタケット出身---爺注:本は5名と書いてるがこれではナンタケット出身者とボートの乗り合わせに矛盾が出る、書き手が混乱したのであろう)、一等航海士はナンタケット2名(航海士を含めナンタケット出身は3名)、その他の白人2名それに黒人1名だ。 2等航海士(ナ・白はその他白人2名と黒人4名の乗り組みとなった
以下は爺の乗り組み表である
ボート1:艇長船長(ナ・白)、ナ・白4名、その他・白1名、黒人1名で計7名
ナ・白はオウエン・コフィン、チャールズ・ラムズデル、バージル・レイの3名の名がわかる
ボート2:艇長一等航海士(ナ・白人)、給仕ナ・白のトマス・カーソン、ナ・白1名、その他・白人2名、黒人1名の計6名
ボート3:艇長2等航海士(ナ・白人)その他・白の2名、黒人4名の計7名
サバイバルの原点が強い積極的リーダーの有無に掛かるとしたら難破の前から重い病気(結核と思われる)の2等航海士に率いられる6名のクルーはナンタケット出身者でかつ団結の精神の強い船長のクルーより不利と言えるかもしれない
名目上3隻20名は船長の指揮下だが、いつなんどき離れ離れになるかもしれないので独立したグループでもあった
各ボートに乾パン90キロ、水246リットル、かめ2匹が配分された
3人の艇長は規律維持のためピストルで武装した
この状態で風を待ち南米をめざし帆走を始めた3艘は荒れ狂う大海の中、奇跡的に一緒であった 又2等航海士のボートは羅針盤・象限儀(天体高度観測器)・新アメリカ航海ハンドブック(航海用地図?)を持たないので他とはなれたら迷子になってしまう だが船長も緯度はわかっても経度はわからないとの理由で数日後には緯度の計測を止めてしまうのだが

地獄の様な30日がボートで過ぎ12月20日朝、島が見えて上陸した

観測とハンドブックを照らし合わせデューシー島と検討をつけた(実際にはそれより110キロほど西のヘンダーソン島であったが)
鳥、かに、小魚等で飢えは凌げるものの真水が見つからない 2日後に引き潮の後水際の海底から1日2時間だけ真水が回収(満潮では塩水になる)出来る場所を見つけて飲料水の確保が出来た
休養とボートの修理も5日で島中の生き物を食べ尽くし出帆の決断をするときが来た
ハンドブックに因ればチリ沿岸まで4800キロ、これまで航行した距離の2倍、しかし南東1200キロほどにはイースター島がある事がわかった。これならチリまでの3分の1以下である この島に付いても何も判らなかったが、そこに向かう事にした
これまでに帆走で無甲板のボートで外洋を航行する事の無謀さを知った「既知の危険の方が未知の危険よりはるかに大きい事に気づいた」のであった

もしそうであれば西か西北に目的を取れば楽に、確率高く平和な島にたどり着けたであろうに

さて出帆に当たって全員の意思確認すると二等航海士の舵取り(白・そ)トマス・チャペル、船長のボート水夫(白・そ)セス・ウィークスと一等航海士の水夫(白・そ)が島に残る事を申し出ます
爺がこれまでの読み込んだ情報と合わせると上陸時では以下の様な乗り組み組み合わせでした
ボート1:
艇長;ジョン・ポーラッド・ジュニア(白・ナンタケット島出身)通し番号(1の1--通し番号1でボート1に乗り組み、以下同じ)、、舵取りオービッド・ヘンドリックス(白・ナ)通し番号(2-1)、水夫オウェン・コフィン(白、ナ)通し番号(3-1)、水夫チャールズ・ラムズデル(白・ナ)通し番号(4-1)、水夫バージライ・レイ(白・ナ)通し番号(5-1)、水夫セス・ウィックス(白・その他)、水夫サミュエル・リード(黒人)通し番号(6-1)
ボート2:
艇長;オウエン・チェス(白・ナ)通し番号(7-2)、舵取りベンジャミン・ロレンス(白・ナ)通し番号(8-2)、士官付ボーイのトマス・二カーソン(白・ナ)通し番号(9-2)、水夫アイザック・コール(白・そ)通し番号(10-2)、水夫ウイリアム・ライト(白・そ)、水夫リチャード・ピーターソン(黒人)通し番号(11-2)
ボート3:
艇長;マシュー・ジョイ(白・ナ)通し番号(12-3)、舵取りトマス・チャペル(白・そ)、水夫ジョセフ・ウエスト(白・そ)通し番号(13-3)、水夫ローソン・トマス(黒人)通し番号(14-3)、水夫チャールズ・ショウター(黒人)通し番号(15-3)、水夫アイザック・シェパード(黒人)通し番号(16-3)、給仕人ウイリアム・ボンド(黒人)通し番号(17-3)の20名である
その内赤字の3名が島に残留を希望したので20-3=17名でイースター島を目指す

これからの惨劇を予想して著者は軽く述べる:
不確実で長い航海で生き延びる確立の高いのは脂肪率が高いか代謝効率が良い体質である。難破以前の食事により黒人は白人より劣っていたと思われる。今黒人水夫は他のクルーより弱ってきているのは明らかだ

12月27日3人を残しヘンダーソン島を出帆した
その3に続く
コメント
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