王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

中華航空機 爆発・炎上

2007-08-21 06:53:34 | 社会
爆発・炎上の中華航空機、駐機後に燃料が一気に漏れる(読売新聞) - goo ニュース

爺はラジオでこのニュースの第一報を聞きました。 飛行機が爆発炎上 乗客は無事らしいが乗務員の安否が確認できない---なんていっていました。

夕方TVのニュースで火災発生の状況を見ると大惨事と紙一重であった事がわかりました。

台北と那覇を結ぶ国際便があるのですね。しかも乗客が10人ほどでパラパラなんて事はなく今回は乗客158人とか! たいしたものだ

飛行機が炎上する中、前後の脱出装置を使って乗客がばらばらと滑り降りて来ます
しばらくして降りてくる人がいなくなると気体が爆発して炎が激しくなりました。
本当に間一髪だったのですね。
ここで爺は驚きました。
空港の人でしょうか小型の消火器で右側の火災部分に消火液をかけています。しかし火災の規模に対し消火水が少なく、まさに焼け石に水です。
他の人は化学消防車の到着を待つか、呆然としていたのでしょう。
小型であれ消火器を持ち爆発や類焼の危険を冒して消火を試みたこの男性を尊敬します。

さて乗務員の男性が操縦席右の窓から脱出していますね。あの時点で操縦席後ろの脱出装置には熱くて近づけなかったのでしょうか? 空港と最後まで連絡を取っていて脱出のタイミングを逸したのでしょうか? 良く判りません。

それと脱出した乗客が結構手荷物を持っているのですね。
さすが台湾人(中国人?)と変な感動を覚えました。しかし脱出の際のマニアル(手引書)からすれば手荷物持ち出しは厳禁ですよね!

別の話に寄れば、乗客はベルトを外し降りる仕度をしていたとありますから、乗務員が火災が発生しているとの認識が全く無かったのでないでしょうか? 幸いにも脱出装置を取り出し、手荷物に躓いて踏みつけられたり圧死する旅客が出なくて何よりでした。

そうだとすると、お手柄は那覇空港の地上整備員でこの飛行機の火災に気づき操縦席と連絡を取った方達でしょうか? それとも情報は生かされず、何とか脱出できただけ?なのでしょうか。今後の安全の為には、検証が必要でしょうね。
とにかく全員が無事で良かった。良かった。


読売新聞:
那覇空港で20日、着陸・駐機後に爆発、炎上した中華航空120便=ボーイング737―800型機、猷建国機長(47)=は、着陸直後に燃料タンクから右主翼下の第2エンジンに燃料を供給する管に不具合が発生し、駐機後、短時間に大量のジェット燃料が機外に漏れ出した可能性が高いことが、国土交通省などの調べでわかった。

 この結果、エンジンの余熱で引火したとみられる。同省航空・鉄道事故調査委員会は、燃料管部品の整備ミスや製造不良がなかったか調査を進めている。

 国交省は20日、事故機と同型のエンジンを搭載している日本航空、スカイマーク、エアーニッポンの各社に対し、保有する計23機の緊急点検を行い、結果を報告するよう指示した。(引用終わり)
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線路上の男性を救助 神奈川県警巡査

2007-08-20 06:37:09 | 社会
線路上の男性「無我夢中で救助」=神奈川県警緑署の下田巡査 (時事通信) - goo ニュース

公務員の悪行が絶えませんね。大騒ぎでは防衛省次官の退官拒否。軽い所では数日前にも警察官がご婦人にチン○コを出して見せて捕まっていました。

今回は警察官による爽やかな話です。
報道によれば18日昼前JR東神奈川駅で自殺を企て線路に侵入した老人(69歳)を抱えて線路外に避難した男性がいました。その時電車は50メートルほど手前で停車したそうです。
この勇気ある人は神奈川県警緑署勤務の警察官下田巡査(30歳)で当直明けで帰宅の途中であったそうです。 あの日は横浜界隈は薄曇りでいつもよりは涼しかった。それで冷静な判断が下せたという訳でもなかろから、平素の心構えが良かったので、ためらわず救助に体が動いたのだと思う。
若い警察官も自殺志願の爺ちゃんも無事でよかった。
事故の巻き添えで電車が遅れ迷惑した人が1万人とかならなくてそれも良かった。

下田巡査さん 有り難う


時事通信:
横浜市神奈川区のJR東神奈川駅で18日、ホームから線路へ飛び込んだ男性(69)を救助した県警緑署地域課の下田憲司巡査(30)が19日、取材に応じ「線路上にあおむけで大の字になる男性を無我夢中で救助した」と当時の状況を振り返った。県警は同巡査の表彰を検討している。(引用終わり)

写真:下田巡査 
コメント (1)
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「童話 二宮金次郎の一生」を読む

2007-08-19 06:25:21 | 本を読む
友人が夏休み前に森実与子著「童話 二宮金次郎の一生」という小冊子を送ってくれました。 友人と森さんが知り合いの為、おすそ分けに与った様な訳です。

A5版62頁の小冊子です。童話という割には挿絵は一話に一つ時に加えて金次郎の銅像写真が入る程度で、かなりの漢字が使われています(勿論漢字にはルビが振ってありますが)。小学校中学年向けですかね。

さて金次郎といえば校庭にあった「薪を背負い本を読んでいる髷姿の子供の銅像」
いまでは「篤農家」なんて良く判らない言葉で記憶しています。何をされた方なのでしょうか?
童話は編年体です。二宮金次郎は1787年(明治維新まで80年)小田原市栢山(かやま)でかなり裕福な百姓家に生まれました。しかし5歳の時台風に襲われ田畑は全滅。 父は無理がたたり病気がちになります。14歳の時父が亡くなり16歳の時には母も亡くなります。銅像はこの頃の必死に働く姿を現しているのでしょう。

兄弟三人は離散しますが24歳の時には父の田畑を取り戻し一町四反の百姓になっていました。
その後も奉公先で財政再建に取り組むなど広く知れ渡り小田原藩主大久保忠真(ただざね)公の耳に入りました。公は何とか藩の財政再建を金次郎に任せたいと思いましたが家臣の反対で実現できません。「百姓身分の者に武家が指揮命令させるなど誇りが許さない」という訳です

それでも公は分家の宇津家4000石桜町領(栃木県二宮町と真岡市の一部)の再建を頼む事にしました。
120年前の元禄期には百姓家433軒が今は156軒に減り、人口は1915人が749人へと60%も減少しているのです。米の取れ高も3100俵から800俵へと減っています

有能な家臣を小田原から送ってもなんともしがたい所まできていました。
再三の要請に金次郎も断りきれなく、現地視察の上、引き受けをきめるとして35歳(1821年8月に現地に出向きます。

さて金次郎は視察の結果を大久保公の前で披露します
「宇津家の石高は4000石ですが、この十年間桜町領の米の取れ高は平均936石でした。復興実現まで、宇津家は900石の旗本と考えれば良いのです。痩せた土地なので上手くいっても2000俵が限度でしょう」
大久保公は答えます。
「任せる。宇津家の復興までは900石、復興後は2000石とうい限度をしっかり守らせよう」

百姓がやりがいを持って安心して働ける環境つくりが金次郎の目標でした。その為大久保公から年貢の引き下げを取り付けたのです

この為政者と財政再建者の取り分の決め事を森は〝分度(ぶんど)〟と呼んでいます

かくして分度により翌年1822年3月桜町領再建の10年計画が決定します。
小田原藩より藩士並みの身分を与えられ23年には家族共々下野の国桜町に移住します。

現地では身長185センチ、体重95キロの色黒で大きな駕体と大声で多くの百姓の反感と役人の非協力を乗り越えてゆきます。

計画二年目には年貢米の分度1005俵に対し500俵も上回りました。
金次郎はこの内300俵を「備蓄米」として残し200俵を売却、田畑の整備や借財の返済にあてました。
3年目は不作で1005俵を僅かに上回るだけ、4年目はあまりの始末ぶりに百姓の不満や下役の不平から始まる訴訟などありましたが、豊作で1000俵、翌年には1020俵の余剰米が生まれました。この時期全国で百姓一揆が起きている中で稀有なことです。

爺注:
童話の中からは宇津家の900石の分度と年貢として1005俵の関係がはっきりしません。 一石は180キログラム、一俵が60キログラムとすると宇津家は俵換算で2700キロ俵、その内年貢が1005俵 つまり四公六民なのでしょうか? この辺りが良くわかりません

さて変わらず繰り返す村民の反感と役人の抵抗を処理して天保2年(1831年)金次郎45歳になりました。復興事業開始から10年(爺注:8年と思うが)成果は大いに上がりました。正月大久保公の前で金次郎は経過報告をします
金次郎は藩公より「お前のやり方は論語にある以徳報徳である」と激励され引き続き復興の任に当たる様命じられます。

こうして天保3年(1832年)に第二次復興計画が始まります。
しかし時代は「天保の大飢饉」にあたり日本中では餓死者が続出しました。
桜町領も例外ではありませんでした。
ここで金次郎の「篤農家」或いは「農政家」としての凄みは天候不順を数年規模と見極め、天保4年には寒さに強いいも、大根、かぶなどを作らせ、翌年から3年は寒さに強いヒエを作ることを命じあわせ畑の税を免じました。
天保4年と7年の大飢饉を桜町領は3300俵の備蓄米により飢饉や餓死とは無縁の生活を送ることが出来ました。

この間の取り組みは広く近隣に知られるところとなりました。
彼の手法を取り入れ再建に成功したところ役人が百姓の下目付けないと失敗した所、最後は日光神領の開発を手がけ3年目の1856年「御普請役」という微禄ですが幕臣に取り立てられますが間もなく70歳で亡くなりました。
神領の開発は家族や門弟に引き継がれ30年計画を半分の15年で達成しました。
門弟達は金次郎のやり方の改革を報徳社と名付け広めました。
この冊子も社団法人大日本報徳社によるものです
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日経平均 1万5千300円割れ

2007-08-18 07:28:38 | 経済
日経平均1万5273円、1年ぶりに1万5300円割る(読売新聞) - goo ニュース

15日から昨日17日までの3日間、あまりの暑さに脳味噌が煮えてしまい何も考えない日を送っていました。

なんとその間に米国のサブプライムローン(住宅融資)問題に端を発して東京の株式市場で日経平均は17日、前日より874円安の1万5273円をつけました。
3日連続では1500円を越える下げ幅となったそうです

この背景には円買いドル売りの為、円が一時111円台にまで急進した事もあるとの事。

FRB(米連邦準備制度理事会)は17日午前(日本時間同日夜)公定歩合を0.5%の緊急利下げを発表。
欧米で株価の反発が起きているとの事。
今週の市場は取引終了ですから、週明け20日これらの状況を踏まえ東京がどう反応するかが注目される所です。

ところでこの様な事が起きたので日銀は8月の金利値上げを見送るようです。爺の様な素人から見れば日本の公定歩合は機会を見て米国と合理的な差にまで詰めないと不自然な円安が是正されないと思うのです。

マスコミはこぞって今回の円高で自動車、電機、鉄鋼等の輸出関連企業の業績悪化を懸念します。でもそれは一面で輸入もあるのですから、石油、穀物、原材料の輸入価格は間違いなく下がるのであってそれとの差し引きを考えるのが大人の報道でしょう。

貿易収支、一声10兆円/年間の黒字は政府がドルを買い上げ米国債を買うので日本の庶民の懐を素通り。日本の資材が使われ儲けはわが身に還らないから国内が豊かにならない(デフレの潜在的原因)
「景気が良くなればとか経済成長が2%になれば」とかを前提に国策を立てても絵になっていないのだよ。
60数年前「今度の海戦で敵の主力部隊を撃滅すると4年間言い続けて自分が全滅した日本海軍と同じである」
この辺りの事は時間があれば1月15日のエントリー「日銀利上げをけん制 大田経済相」を読んでください。

さて週明け市場がどう反応するか? 見ものである。


読売新聞:
 米国の低所得者向け住宅融資(サブプライムローン)問題に端を発した株式・金融市場の動揺は17日も続いた。

 東京株式市場の日経平均株価(225種)は、外国為替市場で一時、円が1ドル=111円台まで急騰したことを背景に、前日より874円81銭も下落、3日連続で今年の安値を更新して取引を終えた。

 一方、米連邦準備制度理事会(FRB)は17日午前(日本時間同日夜)に緊急利下げを発表、これを受けて欧米株は反発している。

 日経平均の下げ幅は、米国で情報技術(IT)関連株の急落をきっかけに起きた2000年4月17日(1426円4銭安)の下落以来、7年4か月ぶりの大きさ。終値は1万5273円68銭と、昨年8月7日以来の1万5300円割れとなった。東証株価指数(TOPIX)も前日比87・07ポイント低い1480・39で、昨年7月19日以来の1500割れとなった。(引用終わり)
写真:ロイター
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暑いですね!

2007-08-17 08:50:08 | 社会
埼玉と岐阜で最高気温40・9度 熱中症による死亡相次ぐ(共同通信) - goo ニュース

昨日は横浜でも36度とか言っていました。
朝からというより未明の内から暑かったですね。
爺は恒例のお散歩を老妻から止められました。行かなくて正解だった様です。
全国では自宅にいただけで熱中症?で亡くなった方が出たとか。

そんなわけで一日中エアコンをつけて(28度では涼しく感じないのですが部屋から出ると物凄い暑さに気づく)高校野球を見ていました。
とても読書や考え事が出来る状況ではありませんでした。

だらだら、ぐずぐず、のろのろ 何とか無難に乗り越えたようです


共同通信:
日本列島は16日も猛暑が衰える気配を見せず、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で、それぞれ気温40・9度を観測。国内の最高気温を74年ぶりに更新した。これまで、1933年に山形市で観測された40・8度。このほか、埼玉県越谷市、群馬県館林市、岐阜県美濃市で40度以上の気温を記録した。気象庁は熱中症などへの警戒を呼びかけた。熱中症が原因とみられる死亡は、17日午前0時現在の集計では、計12人に上った。(引用終わり)
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