4月18日(土)高照寺で春の法要が開かれるため、家人と出席しました。
これまで、お寺にはお葬式以外では行ったことがありません。
お袋が亡くなってから、住職が自宅へ毎月2回お参りに来てくれるので身近な存在になりました。
これからはお袋がやってくれていた檀家としての活動に参加しなければなりません。
法要にあたっては、仏具の磨きの仕事があり家人が参加しました。
当日は、2時からお勤めがあり全員でお経を唱えます。
普段、会話以外に声を出さないので、30分ほどのお経でも喉が痛くなりました。
お経の意味を理解しないといけないなぁ~と感じました。
その後、布教使の長田住職の法話と、昨年に亡くなった5家族の合同追悼法要がありました。
法話は堅苦しくて難しい話かと想像していましたが、話慣れている方で冗談も交えられて、楽しく話を聞くことができました。
その話の中で、記憶に残った概要です。
真宗では生と死は一体のものとして考えられ、生きしものは必ず死が訪れる。
死は悲しいものではなく、いかに生きるかが大事。
死後の世界に地獄があるという考えもあるが、この世にも地獄はある。
「獄」とは、獣と犬(獣)が両方から言い争っている様で、意志が通じない状態をいう。
争いごとや、自分の言うことが理解されず、自分の存在が認められないことが、この世の地獄といえるかもかもしれない。
「孤独」こそが、人生で一番辛いこと。
周りに人がいても、賑やかな場でも、家族の中にも孤独はある。
サラリーマン川柳の「父帰る 一番喜ぶ 犬のポチ」「父帰る 娘出かける 妻眠る」は笑えるが、皆さんは・・・?
「冷たい飯と冷たい茶は我慢ができても、冷たい言葉と冷たいまなざしには耐えられない」という諺もあります。
心温かい安らぐ家庭、和と協調の職場であることを願いたいですね。
(撮影:iPhone5)