安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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桃花台新交通ピーチライナー、力尽きる。

2006-03-18 22:01:14 | 鉄道・公共交通/交通政策
桃花台線、今秋廃止へ(中日新聞)

オンラインニュースばかりでなく、16日付の中日新聞朝刊1面にもデカデカと記事が出た。
このブログでも再三、ピーチライナー問題を追ってきたが、どうやら今度こそ終わりのようだ。運営している第三セクター会社、桃花台新交通のピーチライナー運営資金は9月には枯渇するらしい。もうこの先、愛知県が融資をするとも思えないし、どう頑張っても9月には社員の人件費も列車の運転にかかる電気代も払えなくなる、ということだろう。沿線住民からは存廃の判断を先送りするよう求める意見が出たそうだが、電気代や職員の給与は9月以降、誰が払うの?

桃花台ニュータウンの人たちには申し訳ないが、当ブログ管理人は廃止やむなしの姿勢を取ってきた。それは今でも基本的には変わっていないが、もし高蔵寺駅までつながっていたら…とか、新交通システムでなく既存の鉄道方式で、無理をしてでも名鉄小牧線あたりと乗り入れできる形にしていれば…等々、悔やまれる点は多々ある。とりわけ高蔵寺延長が実現しなかったのは大きな痛手だったと思う。

ただ、全国的に新交通システムの営業成績は思わしくない。桃花台新交通が全国初の廃止事例となるが、そのほかの所もまだ問題が顕在化していないだけで、これから経営危機が深刻化するところも出るだろう。
新交通システムの弱点は、他の路線との相互乗り入れができないところにある。鉄道・軌道はネットワークであってこそ力を発揮するからだ。輸送力の面でも、新交通システムは確かにバスを上回るが、軌道のあるところしか走れない分、機動性という意味でバスに劣る。いかにも鉄道とバスの悪いところだけをつなぎ合わせたような中途半端な交通機関なのだ。
鉄道ファンの立場から見て楽しい乗り物であることは確かだが、少子・高齢化、そして地方の疲弊という時代の流れを見ると、むしろこれからの時代は名古屋ガイドウェイバスのような交通機関にこそ未来があると思う。専用軌道を走るから都心部では渋滞知らずでスイスイと走り、続行便をどんどん出すことで新交通システム並みの輸送力も確保できる。需要が少ない時間帯は簡単に減便でき、専用軌道を降りればどこにでも走れるので需要に応じた柔軟な行先設定もできるからだ。一見、新交通システムに似ているようだが、バスのように柔軟な機動力と鉄道・軌道のように大きな輸送力を併せ持っているという点で新交通システムと正反対の乗り物なのである。

話は多少脱線するが、中日新聞の記事が桃花台ニュータウンのような大規模新興住宅地~人工的に開発された大規模団地~を、住民が「終の棲家」にできるかどうか、という問題提起をしていることは、今後の高齢化社会を考える上で重要な点であるように思われる。
それは、多くの人々が住んでいるにもかかわらず、住民の人間関係がおしなべて希薄な大規模住宅で最期を迎えることが人間にとって幸せか、という本質的問いかけであるように私は思うからである。だがそれは、昔ながらの村落的ゲマインシャフトが溶解し、個人主義的ゲゼルシャフトに収斂していく中で日本人ひとりひとりが自ら選び取った道でもあるのだ。

このように考えると、桃花台新交通の廃止は、単なる一交通機関の問題ではないようにも思えてきた。極端に個人主義化し、他人を慮ることのなくなった現代人が、他人と空間を共有しなければならない公共交通を好きこのんで使うわけがない。全ての日本人がそうではないことはもちろんだが、都市化の進展の中で人と人との「ふれあい」が溶解していくことが公共交通苦戦の背景にあるとしたら、これはもう立派な社会問題である。鉄道を初めとする公共交通復権は、ひょっとすると地域社会の復権と表裏一体なのかもしれない。

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