人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【書評】感情の政治学(吉田徹・著、講談社選書メチエ)

2016-09-07 22:34:00 | 書評・本の紹介
入院中、妻に頼んで地元の図書館で借りてきてもらった1冊。読破は退院後の9月7日になってしまった。

「それまで自分の中で常識となっていたことを転換させてくれる本」「それまで地球の周りを太陽が回っていると思っていた人々に、実際に回っているのは太陽ではなく地球のほうなのだとわからせてくれる本」ーーこれが私の「名著、好著」の基準である。そして、この基準に照らすなら、本書は名著、好著の部類に入る。

なによりも、「政治とはどのようにして発生するのか」という問いから出発しているだけに、本書が扱う内容は根源的で、刺激的である。そして、選挙と、デモ・集会など「選挙に回収されない政治的意思を回収させる政治的行動」に優劣を付けず、フラットに扱っており、そのどちらも民主政治のために必要とした点は大いに評価したい。

最も刺激的で、吉田らしいと思うのは、政治についての根源的な考察をしつつも、「選挙は権利であると同時に義務なので行きましょう。行かなければ、政治家に白紙委任したことになります」に代表される、いかにも学級委員的、総務省的なきれい事を言わず、逆に、選挙にかかるコストと政治から受け取るリターンを比べて、前者のほうが大きいことはわかっているから、合理的な市民ほど選挙に行かない方が正しい選択になる、と堂々と述べている点。「政策を良く吟味する有権者」ほど「選択肢がない」と嘆く一方、自分の会社の仕事のために自民党に投票する人々や、費用対効果を度外視して自分の理想のために共産党に投票する人たちのように、選挙が「合理的でない行動を取る人たちだけのものになっている」日本政治の現状を、よく考察している。これを読んでいると、ますます選挙に行くのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

新自由主義を関係性の政治で置き換えることを説いた第3章だけでも、カネを出して読む価値がある。かつて、労働組合や企業、地域社会などに組織化されていた人々が粉砕され、個人単位にバラバラにされている状況では、人は自分の身を自分で守ることしか考えられないようになり、そのことが新自由主義を生み出した、このような状況では、政治的に維持が必要な公共財は獲得できない、とする論考には説得力がある(例えば、保育や介護も公共財なので、市民が個人単位に粉砕され解体された新自由主義的状況で、ブログに「保育園落ちた日本死ね」と書き込むだけでは保育所は獲得できない、という状況のよい説明になっている)。

中道左派がどれだけ弱者救済や格差是正を訴えても無党派層がまったく選挙に出て来ないのに、橋下徹や小池百合子のような新自由主義ポピュリストが小さな政府を訴えると、一気に投票率が上がるのはなぜか。日本にいわゆる中道左派的「リベラル」層は存在せず、存在しているのはリベラルでも「ネオリベラリスト」(新自由主義者)だけなのではないかという疑問を私は以前から抱いていたが、その見方が正しいことが証明されたように思う(ただし、この見方にかなり私の主観が交じっていることは付記しておきたい)。

日本の政治がよくなるためには、難解な「○○主義」などではなく、隣人との関係をきちんと取り結び、粉砕された個人を再度組織化し、相互不信から相互信頼へ転換すること、とした吉田の提言には傾聴の価値がある。

とはいえ、「感情の政治学」というタイトルほど難しい内容とは思わない。平たく言うと「政治とは仲間作りのことである」ということを大まじめに論じたに過ぎない。学級委員選挙に立候補した児童生徒が「なあ、俺とお前って、仲間だよな」と言っている風景を「政治」レベルに引き上げて論じている本だという言い方もできる。私の本書に対する理解が間違っていなければ、労働組合や政治組織で「オルグ」(組織化)と呼ばれるものこそが本来の政治だということになる。

著者の吉田は、この本ではない別の場所で、「リベラルは組織化されていないから選挙ではからきし弱い」という趣旨の発言をしているが、本書でもその基本路線にはまったくぶれがない。(吉田は本書ではひとことも触れていないが、)自民党政権を倒したければ、反自民の人たちが、味噌もクソも一緒でかまわないから、徒党を組み、仲間作りをして、一致結束して行動すればいいということがわかる。

でも、それが一番難しいんだよなぁ。「あんなウ○コなんかと一緒に行動できるか」とすぐ結束を乱す者が現れて、市民派・リベラル派はいつもバラバラになる。選挙に勝つためならウ○コでも平気で食べる自民党を、少し見習わなければならないのかもしれない。

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