人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

子ども甲状腺がん裁判 原告発言

2022-01-28 22:32:54 | 原発問題/一般
27日、東京電力を提訴した甲状腺がん患者6名のうち、何人かの発言内容を入手しました。一般メディアには決して載ることのない原告の「肉声」です。

取材した記者の方から、転載許可を受けたので、以下、転載します。

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◎原告

福島県出身の原告です。今回東京電力を訴える集団訴訟に参加し、東京地裁に提訴しました。

私はがんと診断された後、「この甲状腺がんと福島原発事故の因果関係はありません」とはっきり言われました。その時の何とも言い難い気持ちと母の涙は今でも忘れられません。

がんと診断される前は、東京にあこがれ、自分のやりたい仕事に就いてばりばりお仕事をしているキャリアウーマンにあこがれていました。ですが、がんと診断され手術を行った後は、体調がずっとすぐれず、何事も体調を優先していかなければならない状況となり、一度はやりたかった仕事に就きましたが、体調を考慮し、その仕事をやめ、今はあまり動かず定時で帰れる事務の仕事をしています。

今回の裁判では、原告の6人のうち4人は再発・転移をしています。私と同じく、行きたい大学や就きたい仕事を諦めた人、がんを理由に正社員として雇ってもらえず苦しんでいる方もいます。また、私たちは震災当時もあった避難者に対する差別があったこともあり、この事実を人に話すことで差別を受けるのではないかと恐怖を感じ、誰にも言えずこの10年間を過ごしてきました。

私たちと同じ状況の子どもたちが今、約300人います。私たち以外の苦しんでいる子どもたちのためにも、私たち6人が声を上げることでこの状況を少しでも変えたい。そんな気持ちでこの裁判に挑んでいます。少しでもよい状況になることを心から願っています。

最後に、このように私たちを支える方がたがいることは私たちにとってすごく大きな励みとなっています。支えてくださっている方、弁護士のみなさんには心から感謝しています。

◎原告の母親

福島県から上京した原告の母親です。先ほど東京電力を訴える裁判を東京地裁に提訴しました。

私自身の思いとして一番強いのは、やはり原発事故と病気との因果関係について決着をさせたいというものです。息子がXX年の時、原発事故は起こりました。私は当時、被ばくには気をつけていたほうでしたが、息子は毎日外出していたので徹底していなかったと思います。XXにいたために危機感はあまりありませんでした。

がんと診断された時は、何がいけなかったのか、XXから避難するべきであったという思いはどんどん強くなってきていました。がんを診断する過程で、穿刺細胞診の検査を受けましたが、長い針を3回刺され、涙をこぼしているところをそばで見ていて、胸が締めつけられる思いでした。

がんを診断され、経過観察することになりました。甲状腺がんの手術が必要と医師から言われている中で、なぜそれが過剰診断と言われてしまうのか納得が行かず、現在に至っています。息子としては、がんを体の中に抱えていたくないという気持ちが強かったようです。実際、検診に行く度ごとに、がんはどんどん大きくなっていきました。

XX年の時、担当の先生に手術を勧められました。今も傷がなかなか直りにくく、その傷を見る度ごとに心が痛みます。友達の中には、自分よりも先に手術をし、その後再手術、再発して肺に転移した方もいます。そのために不安を本人も抱えています。

今通院している病院の医師には直接、被ばくが原因かという問いかけもしています。「今の段階では何とも言えない」と言われています。ただ、この病院でも手術する件数は圧倒的に増えているという回答をいただいています。それが答えなのかなと私の中では理解しています。

原発事故から11年になり、事故は風化しつつありますが、なかったことにしない、そういう願いを持っている親もいます。こういう被害者が今も同じく苦しんでいる、増えているという気持ちを共有していきたいと思っています。

このような裁判の原告になる決断をした息子を誇りに思っています。日頃支えてくださっている方や弁護士のみなさまには心から感謝しています。どうぞこのことを伝えてください。

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