仙台育英の全国制覇を伝える地元紙、河北新報号外(PDF)
第104回全国高校野球選手権大会は、8月22日の決勝戦で仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8-1で破り、初の全国制覇を成し遂げた。仙台育英としてはもちろん初優勝。宮城県勢、東北勢としても初優勝。100年に及ぶ大会の歴史で、優勝旗の白河の関越えは初めて。快挙がついに成った。
ここ数年は、原発問題、JRローカル線問題にコロナ禍、ウクライナ戦争と内憂外患が続き、当ブログにとっても高校野球の講評記事どころではないのが実情で、2018年夏の大会(第100回)を最後に講評記事も書いていなかった。
コロナ禍の影響で、過去2年続いてきた入場制限もようやくなくなり、声を出しての声援禁止やマスク着用義務が残るものの、ブラスバンドや鳴り物・拍手・手拍子の応援は解禁となり、久しぶりに日常感が戻る中での大会となったが、今回の大会を講評する上で、前提条件として念頭においておかなければならないのは、新型コロナ感染拡大が始まる以前の「日常」を知らない野球部員(それは野球部に限らず、他部も同じだが)だけで構成される初の大会だったことだ。その影響は、甲子園の応援席に日常感が戻ってきた今回の大会全般にも、色濃く出ていたように思われる。
過去の甲子園講評記事でも書いているように、当ブログ管理人は平日日中は本業のため、テレビ中継を見られるのは土日祝の試合に原則、限られる。全試合を観ているわけでもない中、細かいプレーに至るまでの論評はできないが、今年の大会では、天候に恵まれ、雨天順延が1試合もなかった。わずかに開会式が30分遅れ、準々決勝が45分遅れの開始となったほか、日程消化は順調に進んだ。また、記録を改めて確認する必要があるが、延長戦が少なく、私の記憶では延長13回を越え、タイブレークとなった試合はなかったのではないか。
また、これも記録を確認する必要があるが、先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、「気がついてみれば大量得点差で逃げ切る」というパターンの試合が多く、逆転ゲームが少なかった印象を受ける。ワンサイドゲームでも、実際には、点差ほどの実力差があったとは当ブログは考えていない。どちらが先に流れをつかむかの違いだけで、実力伯仲、紙一重だったように思われる。先制点を挙げた仙台育英が、満塁本塁打で中盤に突き放し、逃げ切った決勝戦も、その意味では今大会の象徴だったように思う。準優勝の下関国際との間に、点差ほどの差があったとはまったく思っていない。
私は、コロナ禍の影響は、この点にこそ色濃く現れていたように思う。対外試合が制限され、今年の大会に出場した学校は、予選段階での対戦相手も含め、コロナ禍以前と比べ「場数を踏む」ことができていなかった。コロナ禍は全国どの学校にも同じ影響を与えているので、これにより有利な地域・学校/不利な地域・学校の差が現れたとは思わない。だが、対外試合の制限によって鈍った「実戦感覚」が取り戻せないまま、どの学校も苦労している様子が、当ブログのように長く「甲子園ウォッチ」を続けているとよく見えるのである。
特に、監督の采配には疑問を感じるものが少なくなかった。投手交代のタイミングなどにはとりわけそれを感じる。1~2点のビハインドの時にスイッチしておけば逆転の目もあり得たのに、決断が遅すぎ、4~5点差が付いてからようやく投手交代というシーンを何度も見た。上述したような「先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、気がついてみれば大量得点差で逃げ切るというパターンの試合が多い」という今大会の傾向に序盤で気づいていれば、ビハインドの少ないうちにスイッチしなければならないということが理解できたはずである。その意味では、最も実戦感覚が鈍っていたのは選手よりも実は監督だったのかもしれない。
その鈍った「実戦感覚」を、甲子園でいち早く取り戻した学校が上位に進む一方、それを取り戻すことのできなかった学校から順に散っていったというのが、大会全般を見た率直な感想である。強豪校、優勝経験を持つ学校といえどもこのコロナ禍の呪縛からは逃れられなかった。それでも、当ブログ管理人は「出てくれば必ず優勝」の実力を持つ大阪桐蔭が今回も出場してきたことで、大阪桐蔭の優勝は揺るがないだろうし、逆に言えば「大阪桐蔭を倒せる学校が出てくるかどうか」が今大会の唯一の見所だとすら思っていた。なので、率直に言って、東北勢初の全国制覇がこんなところで成るとは、大会開始時点では露ほども思っていなかった。
天理、智辯和歌山などの優勝候補が早々に散り、中盤で横浜、日大三など関東の強豪も散った。東北勢初の全国制覇の夢を再三にわたって阻んできたのは関東勢である。その関東勢と並んで、東北勢初の全国制覇の夢を3度も阻んでいる大阪桐蔭が残っている限り、あり得ないと思っていた。
東北勢初の全国制覇の夢がかなうかもしれないと思ったのは、準決勝で大阪桐蔭が下関国際に敗れる大波乱が起きてからである。下関国際の準エース・仲井の緩急をつけた巧みな投球術を前に、大阪桐蔭の強力打線がここまで苦しむのは、はっきり言って想定外だった。そして、その仲井が決勝で満塁弾を浴びるのはさらに想定外だった。エース級投手を5人も擁するという、甲子園の長い球史でも希な層の厚さで、仙台育英は甲子園100年、一度も成し遂げられなかった「深紅の大優勝旗の白河の関超え」の偉業を、ついに、ついに成し遂げた。2011年3月11日--東北の運命を狂わせ、多くの人を苦難に追いやった「あの日」を福島県で迎えた当ブログにとっても、この優勝は我が事のように嬉しく、喜びもひとしおである。
とはいえ、当ブログは7年前、第97回(2015年)夏の大会の講評でこのように書いている。
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特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。
最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。・・・今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。
-------------------------------------(引用終了)----------------------------------------
少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高い--今回の仙台育英の全国制覇で、7年前の当ブログの予測通りとなった。九州・四国勢は、強いときは強いが、弱いときは弱いというふうに、かなり波がある。これに対し、21世紀に入る頃から、東北勢は安定していて、とにかく1~2回戦段階で負けなくなっている。いわば東北地方全体のレベルが底上げされ、1~2回戦を多くの学校が突破し、上位に進めるようになったことが今日の状況を作った。その意味では、東北勢の2回目の全国制覇の日も、遠からず訪れるであろう。当ブログとしては、次は「福島県勢」の全国制覇を願っている。
第104回全国高校野球選手権大会は、8月22日の決勝戦で仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8-1で破り、初の全国制覇を成し遂げた。仙台育英としてはもちろん初優勝。宮城県勢、東北勢としても初優勝。100年に及ぶ大会の歴史で、優勝旗の白河の関越えは初めて。快挙がついに成った。
ここ数年は、原発問題、JRローカル線問題にコロナ禍、ウクライナ戦争と内憂外患が続き、当ブログにとっても高校野球の講評記事どころではないのが実情で、2018年夏の大会(第100回)を最後に講評記事も書いていなかった。
コロナ禍の影響で、過去2年続いてきた入場制限もようやくなくなり、声を出しての声援禁止やマスク着用義務が残るものの、ブラスバンドや鳴り物・拍手・手拍子の応援は解禁となり、久しぶりに日常感が戻る中での大会となったが、今回の大会を講評する上で、前提条件として念頭においておかなければならないのは、新型コロナ感染拡大が始まる以前の「日常」を知らない野球部員(それは野球部に限らず、他部も同じだが)だけで構成される初の大会だったことだ。その影響は、甲子園の応援席に日常感が戻ってきた今回の大会全般にも、色濃く出ていたように思われる。
過去の甲子園講評記事でも書いているように、当ブログ管理人は平日日中は本業のため、テレビ中継を見られるのは土日祝の試合に原則、限られる。全試合を観ているわけでもない中、細かいプレーに至るまでの論評はできないが、今年の大会では、天候に恵まれ、雨天順延が1試合もなかった。わずかに開会式が30分遅れ、準々決勝が45分遅れの開始となったほか、日程消化は順調に進んだ。また、記録を改めて確認する必要があるが、延長戦が少なく、私の記憶では延長13回を越え、タイブレークとなった試合はなかったのではないか。
また、これも記録を確認する必要があるが、先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、「気がついてみれば大量得点差で逃げ切る」というパターンの試合が多く、逆転ゲームが少なかった印象を受ける。ワンサイドゲームでも、実際には、点差ほどの実力差があったとは当ブログは考えていない。どちらが先に流れをつかむかの違いだけで、実力伯仲、紙一重だったように思われる。先制点を挙げた仙台育英が、満塁本塁打で中盤に突き放し、逃げ切った決勝戦も、その意味では今大会の象徴だったように思う。準優勝の下関国際との間に、点差ほどの差があったとはまったく思っていない。
私は、コロナ禍の影響は、この点にこそ色濃く現れていたように思う。対外試合が制限され、今年の大会に出場した学校は、予選段階での対戦相手も含め、コロナ禍以前と比べ「場数を踏む」ことができていなかった。コロナ禍は全国どの学校にも同じ影響を与えているので、これにより有利な地域・学校/不利な地域・学校の差が現れたとは思わない。だが、対外試合の制限によって鈍った「実戦感覚」が取り戻せないまま、どの学校も苦労している様子が、当ブログのように長く「甲子園ウォッチ」を続けているとよく見えるのである。
特に、監督の采配には疑問を感じるものが少なくなかった。投手交代のタイミングなどにはとりわけそれを感じる。1~2点のビハインドの時にスイッチしておけば逆転の目もあり得たのに、決断が遅すぎ、4~5点差が付いてからようやく投手交代というシーンを何度も見た。上述したような「先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、気がついてみれば大量得点差で逃げ切るというパターンの試合が多い」という今大会の傾向に序盤で気づいていれば、ビハインドの少ないうちにスイッチしなければならないということが理解できたはずである。その意味では、最も実戦感覚が鈍っていたのは選手よりも実は監督だったのかもしれない。
その鈍った「実戦感覚」を、甲子園でいち早く取り戻した学校が上位に進む一方、それを取り戻すことのできなかった学校から順に散っていったというのが、大会全般を見た率直な感想である。強豪校、優勝経験を持つ学校といえどもこのコロナ禍の呪縛からは逃れられなかった。それでも、当ブログ管理人は「出てくれば必ず優勝」の実力を持つ大阪桐蔭が今回も出場してきたことで、大阪桐蔭の優勝は揺るがないだろうし、逆に言えば「大阪桐蔭を倒せる学校が出てくるかどうか」が今大会の唯一の見所だとすら思っていた。なので、率直に言って、東北勢初の全国制覇がこんなところで成るとは、大会開始時点では露ほども思っていなかった。
天理、智辯和歌山などの優勝候補が早々に散り、中盤で横浜、日大三など関東の強豪も散った。東北勢初の全国制覇の夢を再三にわたって阻んできたのは関東勢である。その関東勢と並んで、東北勢初の全国制覇の夢を3度も阻んでいる大阪桐蔭が残っている限り、あり得ないと思っていた。
東北勢初の全国制覇の夢がかなうかもしれないと思ったのは、準決勝で大阪桐蔭が下関国際に敗れる大波乱が起きてからである。下関国際の準エース・仲井の緩急をつけた巧みな投球術を前に、大阪桐蔭の強力打線がここまで苦しむのは、はっきり言って想定外だった。そして、その仲井が決勝で満塁弾を浴びるのはさらに想定外だった。エース級投手を5人も擁するという、甲子園の長い球史でも希な層の厚さで、仙台育英は甲子園100年、一度も成し遂げられなかった「深紅の大優勝旗の白河の関超え」の偉業を、ついに、ついに成し遂げた。2011年3月11日--東北の運命を狂わせ、多くの人を苦難に追いやった「あの日」を福島県で迎えた当ブログにとっても、この優勝は我が事のように嬉しく、喜びもひとしおである。
とはいえ、当ブログは7年前、第97回(2015年)夏の大会の講評でこのように書いている。
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特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。
最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。・・・今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。
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少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高い--今回の仙台育英の全国制覇で、7年前の当ブログの予測通りとなった。九州・四国勢は、強いときは強いが、弱いときは弱いというふうに、かなり波がある。これに対し、21世紀に入る頃から、東北勢は安定していて、とにかく1~2回戦段階で負けなくなっている。いわば東北地方全体のレベルが底上げされ、1~2回戦を多くの学校が突破し、上位に進めるようになったことが今日の状況を作った。その意味では、東北勢の2回目の全国制覇の日も、遠からず訪れるであろう。当ブログとしては、次は「福島県勢」の全国制覇を願っている。