第97回夏の全国高校野球は、東海大相模(神奈川)の45年ぶり2回目の優勝で幕を閉じた。45年前(1970年)の優勝時、東海大相模の監督は原貢さん。いうまでもなく、原辰徳・巨人監督の父である。改めて45年という歴史の重みを感じる。
高校野球が始まって今年は100年の、記念ではないが節目の年。それなのに今年が第100回大会でないのは、太平洋戦争中の1943(昭和18)~1945(昭和20)年までの3年間、大会が中止に追い込まれたからである。1943年度に入学した生徒たちは、在学中、一度も野球ができないまま卒業しなければならなかった。戦後70年の節目でもある今年、改めて野球ができるほど平和であることに感謝するとともに、安倍政権の「戦争法制」を阻止しなければならないと思う。学生たちが白球ではなく黒光りする武器を持ち、甲子園の土の上ではなく遠い異国の土の上を行進しなければならなかった、あの時代を繰り返さないために。
今年の大会を一言で形容すれば、人気も実力も話題性も、すべて関東勢が独占した大会だった。特に早実(西東京)の清宮幸太郎は、まだ1年生ながら大物の予感を大いに感じさせ、ブームの様相すら呈した。1人の選手を巡ってここまでフィーバーが起きたのは、ハンカチ王子こと斎藤佑樹(早実→日本ハム)以来だろう。その斎藤が、プロ入り後は全く精彩を欠き、日本ハムでお荷物的存在になりつつあることを考えると、清宮には今後の頑張り次第で先輩を超える可能性は十分にある。ただ、斉藤がプロ入り後に精彩を欠くことになった最大の原因が、必要以上に彼をちやほやし、フィーバーを起こした周囲にあるだけに、清宮には斉藤先輩の轍を絶対に踏まないでほしいと思う。
例によって、個別の試合を取り上げて論評する余裕が当ブログにはないが、大会全体を概観すると、
(1)例年以上に「東高西低」が際立っていた
(2)打撃戦がほとんどを占め、ロースコアの投手戦がほとんどなかったものの、極端なワンサイドゲームも少なく熱戦が多かった
(3)失策があまりに多く、当ブログの我慢の限界をはるかに超えていた
――等が、今大会の特徴として挙げられる。
(1)に関して言えば、ベスト16のうち関東勢は早実、東海大甲府(山梨)、花咲徳栄(埼玉)、東海大相模、作新学院(栃木)、健大高崎(群馬)、関東第一(東東京)と7校。これに鶴岡東(山形)、秋田商(秋田)、仙台育英(宮城)、花巻東(岩手)の東北勢4校を含めると、16校中11校を関東・東北勢で占めた。
特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。
準々決勝(8強)段階でも、早実、花咲徳栄、東海大相模、関東第一、仙台育英、秋田商の関東勢4校、東北勢2校が残った(残る2校は九州国際大付(福岡)、興南(沖縄)の九州勢)。準決勝は関東勢3校、東北勢1校。今大会が、例年にも増して関東・東北勢中心の大会だったことに異論はないと思う。
関東・東北勢優位があまりに極端だったせいか、毎日新聞(参考記事:夏の甲子園:「打高投低」「東高西低」が顕著に)や、夕刊紙「日刊ゲンダイ」(参考記事:様変わりした甲子園勢力図 「東高西低」はいつから、なぜ?)などのメディアが相次いで「東高西低」問題を取り上げた。だが、一昨年(過去記事)、昨年(過去記事)とすでに「東高西低」を指摘している当ブログから見れば「今さら」感は拭えない。
(2)に関しては、ほとんどの試合が打撃戦だったが、追いつき追い越し、追い越されのシーソーゲームも多く、観客を飽きさせない実力伯仲の大会を象徴していた。
そして(3)だが、この問題を当ブログは過去にも指摘している。守備より打撃を優先させる野球であってもかまわないが、今大会で無失策試合は大会3日目、1回戦の敦賀気比(福井)-明徳義塾(高知)戦と、大会9日目、2回戦の鳥羽(京都)-津商(三重)戦のわずか2試合のみ。これ以外のすべての試合でエラーが記録され、中には記録に残るだけで1試合3失策以上の学校もかなりあった。
今大会は、特に打撃に関して言えば、各出場校の間に大きな差はなかったように思う。どのチームもビッグイニングを作る力があり、やや極端な言い方をすれば、初戦で敗退した学校も優勝した東海大相模も、こと打撃に関する限り、差はあっても紙一重に過ぎなかったのではないか。
打撃力に大きな差がないだけに、通常であれば試合の行方を決めるのは打撃力以外の部分(守備力、投手力)となる。先にエラーをしたチームから順に敗退し、甲子園を去るのが通例だが、今年はデータを見る限り、両チームともエラーが多いため、エラーが勝敗の行方に決定的影響を与えない試合も多かったように思う。相手より多くのエラーが記録されながら勝っている学校も多く、「エラーで失点しても、それ以上に打って取り返し、勝つ」というメジャーリーグ並みの試合をするチームが例年にも増して多かった。
そんな中、エラーの多かった今大会を象徴していたのが、大会4日目の第1試合、初出場の津商を相手に初戦敗退した智弁和歌山だろう。記録に残るだけで実に7失策を喫し、「長い監督生活の中でも、生徒たちがこんなにエラーをするのを見たことがない」と監督みずから声を絞り出さなければならないほど壊滅的な守備の崩壊だった。「エラーで失点しても打って取り返す」がいくら今大会の趨勢とはいえ、これほどの守備崩壊では取り返しようもない。対戦相手の津商も3失策。両校合わせて2ケタ失策という締まりのない試合こそ、今大会の象徴だった。
これまでの当ブログであれば、「守備力の強化が今後の課題。打撃ばかりでなくもっと守備練習を」と苦言を呈していたことだろう。しかし、毎年のように同じことを指摘しなければならないとすれば、それは日本の高校野球の質が以前と変わってきていることの現れかもしれない。多くの高校野球指導者がそうしたスタイルを容認し、問題とも思っていないのだとすれば、単に当ブログ管理人の頭が「古い」だけであり、ひょっとすると意識を変えなければならないのは当ブログのほうなのかもしれない。したがって、今回はそのような指摘はやめる代わりに、このような状況が長く続けば、日本のプロ野球が10年後、メジャーのような方向に大きく「様変わり」する可能性に触れるにとどめたい。
最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。だが、当ブログの見るところ、今大会の仙台育英よりも、2年連続準優勝を成し遂げた2011~2012年の光星学院(青森、現在の八戸学院光星)のほうが強かったように思う。
何人かのインターネット民が指摘しているように、東北勢は「東北勢初優勝の重荷」を背負いすぎているのではないか。特に、東北勢の中でも激戦区である宮城、岩手県勢には、被災地という事情もあり大きな重圧がかかっているように感じる。優勝なんてできなくてもいいし、「復興のために懸命に頑張っている地元の人たちへの恩返し」のような余計なことは考えず、元気に、のびのびと自分たちの野球をやりきるという姿勢に徹したほうがいいように思う。こんな言い方をするのは大変失礼だが、東北勢初優勝は、案外、期待されてもいないような意外な学校(山形県勢や秋田県勢の、例えば初出場校)によって達成されるのではないかという気が、最近はしてきた。
今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。トンネルは長ければ長いほど、抜けたときの明るさも喜びもひとしおである。そのように前向きに考え、次の機会を焦らず騒がず粘り強く待つことにして、当ブログ恒例の大会講評を締めくくりたい。
高校野球が始まって今年は100年の、記念ではないが節目の年。それなのに今年が第100回大会でないのは、太平洋戦争中の1943(昭和18)~1945(昭和20)年までの3年間、大会が中止に追い込まれたからである。1943年度に入学した生徒たちは、在学中、一度も野球ができないまま卒業しなければならなかった。戦後70年の節目でもある今年、改めて野球ができるほど平和であることに感謝するとともに、安倍政権の「戦争法制」を阻止しなければならないと思う。学生たちが白球ではなく黒光りする武器を持ち、甲子園の土の上ではなく遠い異国の土の上を行進しなければならなかった、あの時代を繰り返さないために。
今年の大会を一言で形容すれば、人気も実力も話題性も、すべて関東勢が独占した大会だった。特に早実(西東京)の清宮幸太郎は、まだ1年生ながら大物の予感を大いに感じさせ、ブームの様相すら呈した。1人の選手を巡ってここまでフィーバーが起きたのは、ハンカチ王子こと斎藤佑樹(早実→日本ハム)以来だろう。その斎藤が、プロ入り後は全く精彩を欠き、日本ハムでお荷物的存在になりつつあることを考えると、清宮には今後の頑張り次第で先輩を超える可能性は十分にある。ただ、斉藤がプロ入り後に精彩を欠くことになった最大の原因が、必要以上に彼をちやほやし、フィーバーを起こした周囲にあるだけに、清宮には斉藤先輩の轍を絶対に踏まないでほしいと思う。
例によって、個別の試合を取り上げて論評する余裕が当ブログにはないが、大会全体を概観すると、
(1)例年以上に「東高西低」が際立っていた
(2)打撃戦がほとんどを占め、ロースコアの投手戦がほとんどなかったものの、極端なワンサイドゲームも少なく熱戦が多かった
(3)失策があまりに多く、当ブログの我慢の限界をはるかに超えていた
――等が、今大会の特徴として挙げられる。
(1)に関して言えば、ベスト16のうち関東勢は早実、東海大甲府(山梨)、花咲徳栄(埼玉)、東海大相模、作新学院(栃木)、健大高崎(群馬)、関東第一(東東京)と7校。これに鶴岡東(山形)、秋田商(秋田)、仙台育英(宮城)、花巻東(岩手)の東北勢4校を含めると、16校中11校を関東・東北勢で占めた。
特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。
準々決勝(8強)段階でも、早実、花咲徳栄、東海大相模、関東第一、仙台育英、秋田商の関東勢4校、東北勢2校が残った(残る2校は九州国際大付(福岡)、興南(沖縄)の九州勢)。準決勝は関東勢3校、東北勢1校。今大会が、例年にも増して関東・東北勢中心の大会だったことに異論はないと思う。
関東・東北勢優位があまりに極端だったせいか、毎日新聞(参考記事:夏の甲子園:「打高投低」「東高西低」が顕著に)や、夕刊紙「日刊ゲンダイ」(参考記事:様変わりした甲子園勢力図 「東高西低」はいつから、なぜ?)などのメディアが相次いで「東高西低」問題を取り上げた。だが、一昨年(過去記事)、昨年(過去記事)とすでに「東高西低」を指摘している当ブログから見れば「今さら」感は拭えない。
(2)に関しては、ほとんどの試合が打撃戦だったが、追いつき追い越し、追い越されのシーソーゲームも多く、観客を飽きさせない実力伯仲の大会を象徴していた。
そして(3)だが、この問題を当ブログは過去にも指摘している。守備より打撃を優先させる野球であってもかまわないが、今大会で無失策試合は大会3日目、1回戦の敦賀気比(福井)-明徳義塾(高知)戦と、大会9日目、2回戦の鳥羽(京都)-津商(三重)戦のわずか2試合のみ。これ以外のすべての試合でエラーが記録され、中には記録に残るだけで1試合3失策以上の学校もかなりあった。
今大会は、特に打撃に関して言えば、各出場校の間に大きな差はなかったように思う。どのチームもビッグイニングを作る力があり、やや極端な言い方をすれば、初戦で敗退した学校も優勝した東海大相模も、こと打撃に関する限り、差はあっても紙一重に過ぎなかったのではないか。
打撃力に大きな差がないだけに、通常であれば試合の行方を決めるのは打撃力以外の部分(守備力、投手力)となる。先にエラーをしたチームから順に敗退し、甲子園を去るのが通例だが、今年はデータを見る限り、両チームともエラーが多いため、エラーが勝敗の行方に決定的影響を与えない試合も多かったように思う。相手より多くのエラーが記録されながら勝っている学校も多く、「エラーで失点しても、それ以上に打って取り返し、勝つ」というメジャーリーグ並みの試合をするチームが例年にも増して多かった。
そんな中、エラーの多かった今大会を象徴していたのが、大会4日目の第1試合、初出場の津商を相手に初戦敗退した智弁和歌山だろう。記録に残るだけで実に7失策を喫し、「長い監督生活の中でも、生徒たちがこんなにエラーをするのを見たことがない」と監督みずから声を絞り出さなければならないほど壊滅的な守備の崩壊だった。「エラーで失点しても打って取り返す」がいくら今大会の趨勢とはいえ、これほどの守備崩壊では取り返しようもない。対戦相手の津商も3失策。両校合わせて2ケタ失策という締まりのない試合こそ、今大会の象徴だった。
これまでの当ブログであれば、「守備力の強化が今後の課題。打撃ばかりでなくもっと守備練習を」と苦言を呈していたことだろう。しかし、毎年のように同じことを指摘しなければならないとすれば、それは日本の高校野球の質が以前と変わってきていることの現れかもしれない。多くの高校野球指導者がそうしたスタイルを容認し、問題とも思っていないのだとすれば、単に当ブログ管理人の頭が「古い」だけであり、ひょっとすると意識を変えなければならないのは当ブログのほうなのかもしれない。したがって、今回はそのような指摘はやめる代わりに、このような状況が長く続けば、日本のプロ野球が10年後、メジャーのような方向に大きく「様変わり」する可能性に触れるにとどめたい。
最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。だが、当ブログの見るところ、今大会の仙台育英よりも、2年連続準優勝を成し遂げた2011~2012年の光星学院(青森、現在の八戸学院光星)のほうが強かったように思う。
何人かのインターネット民が指摘しているように、東北勢は「東北勢初優勝の重荷」を背負いすぎているのではないか。特に、東北勢の中でも激戦区である宮城、岩手県勢には、被災地という事情もあり大きな重圧がかかっているように感じる。優勝なんてできなくてもいいし、「復興のために懸命に頑張っている地元の人たちへの恩返し」のような余計なことは考えず、元気に、のびのびと自分たちの野球をやりきるという姿勢に徹したほうがいいように思う。こんな言い方をするのは大変失礼だが、東北勢初優勝は、案外、期待されてもいないような意外な学校(山形県勢や秋田県勢の、例えば初出場校)によって達成されるのではないかという気が、最近はしてきた。
今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。トンネルは長ければ長いほど、抜けたときの明るさも喜びもひとしおである。そのように前向きに考え、次の機会を焦らず騒がず粘り強く待つことにして、当ブログ恒例の大会講評を締めくくりたい。