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第100回高校野球記念大会講評

2018-08-22 01:21:13 | 芸能・スポーツ
夏の全国高校野球記念大会は、大方の予想通り「やはり」大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。同一高校が春夏連覇を2回達成したのは高校野球史上初。桑田真澄・清原和博のあの「KKコンビ」を擁した80年代のPL学園でさえ成し得なかった快挙だ。

KKコンビ時代のPLも「憎たらしいほど強い」と言われたが、それでも1984年春の選抜で岩倉高校(東京)に負けたり、同じく84年夏の大会では、その後長く常総学院の監督として君臨することになる屈指の名将・木内幸男監督率いる取手二(茨城)に負けたりするなど結構取りこぼしもしている。もともと大阪代表にとっては、甲子園で勝つよりも大阪府予選で勝つほうが難しいといわれているが、甲子園に「出てくるのが当たり前」、出てくれば「優勝するのが当たり前」と認識され、負ければそれだけで厳しい批判にさらされるというプレッシャーの中、それでも下馬評通りに優勝してしまうところに大阪桐蔭の底力を感じる。当ブログの個人的感想だが、大阪桐蔭の強さは往時のPLすら上回っており、倒せるチームはここしばらくは現れないだろう。大阪桐蔭の「黄金時代」は、少なくとももう5年程度は続くのではないだろうか。

準優勝した金足農業(秋田)は、その84年の大会でKKコンビのいるPLを相手に中盤までリードし、あわや勝つかと思わせるほど互角の戦いを演じた過去があるだけに、開会式で学校名を聞いた瞬間、台風の目とまではいかなくとも小旋風くらいは巻き起こすだろうと直感的に思っていたらその通りになった。東北勢悲願の初優勝はまたもならなかったが、「黄金時代」を迎えた大阪桐蔭と対戦しなければならなかったことは大変気の毒だ。大阪桐蔭はいわば「別格」であり、事実上の優勝と思っていい。胸を張って秋田に帰ってきてほしい。

東北勢は、春夏合わせてこれで12回目(春3回、夏9回)の準優勝となった。毎回、あと1歩のところまで来ながらどうしてあと1つが勝てないのだろうと、東北に6年暮らした当ブログも大変悔しく思う。しかし、夏の大会に限ったデータだが、東北勢が決勝に進出したのは高校野球の前身、中等学校野球大会の歴史が始まった第1回(1915年)のほか、1969年、1971年、1989年、2003年、2011年、2012年、2015年(参考記事)。1915~2000年の85年間で4回しか決勝進出できなかった東北勢が、2001年以降のわずか17年間で今回含め5回も決勝進出したのである。大会期間中、「甲子園「四国凋落と東北躍進」の明らかな根拠~データで読み解く「甲子園」強豪地方の変遷~」(東洋経済オンライン)という記事が掲載されたが、四国勢凋落はともかくとして、東北勢の躍進についてはこの記事に異存はない(この記事に対しては、同じ期間での比較でなければ意味がない、などとする批判があるが、各地域が最も強かった時期を取り出して比較することにはそれなりの意味があるし、何十年もの間、高校野球を見続けてきた当ブログの皮膚感覚とも一致していて問題ないと考える。むしろ、同じ期間での比較でないと意味がないと騒いでいる人たちは、一昨年~昨年とセ・リーグV2を果たした広島が、今年も首位を走っているのに、巨人V9時代と同時期の広島とを比較して、巨人のほうが強いと主張するのと同じ誤りを犯している)。

大会全般を振り返っておこう。

今年は、通算100回の記念大会ということもあり、盛り上がったというより「盛り上がってくれなければ困る」人たちが、往年のプロ野球選手を次々登場させる「レジェンド始球式」を仕掛けるなど集客に向けた試みも抜かりなかった。通常は49校の代表校も56校と大幅に増やした。だが、結果的にはこうした仕掛けがなくとも十分に見ごたえのある大会だった。

今大会が面白かったのは、なんといっても大量得点差のゲームが少なく接戦が多かったことだ。大半の出場校がビッグイニングを作れる力を持っている中で、逆転可能な得点差(おおむね5点以内)に収まるゲームが多かった。そしてその結果として逆転試合も多かった。1~2年生の活躍が目立ったのも今大会の特徴で、来年~再来年に向けて楽しみが持続するのはうれしいことだ。

昨年春の選抜で1日のうち2試合が延長15回引き分け再試合となった「反省」を踏まえ、延長戦による選手の疲労対策として今年春の選抜から導入されたタイブレーク制(延長13回以降は毎回の攻撃を無死1、2塁からスタートさせる)は、選抜では適用される試合がなかったが、今大会は2試合が適用対象になった。タイブレーク制は、地方大会ではここ数年で徐々に導入され始めていたが甲子園では正式導入は今年からだ。タイブレークとはどういう意味なのだろうと思っていたが、「タイ」スコアをブレーク(破壊、打破)するという意味なのだと推測される。

このタイブレーク制が思わぬドラマを生むことになった。8月12日、大会8日目(2回戦)の星稜(石川)×済美(愛媛)戦。タイブレークの末、甲子園の長い歴史上初の逆転満塁サヨナラ本塁打によって済美が勝った1戦は、間違いなく球史に長く語り継がれる名勝負だろう。試合結果を伝えるインターネットの記事に対して、「星稜はいつも負けて伝説を残すチーム」だとのコメントがあったが、なるほどと思った(参考記事:星稜、また敗れて伝説 延長13回激闘「勝ちたかった」)。ついでに言えば、済美の中矢太監督は、かつて1992年の大会で、松井秀喜(星稜)にあの「5打席連続敬遠」を指示して社会問題となった明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督の教え子で、その大会にも明徳の選手としてベンチに入っていた。不思議な因縁のある試合だった。

新しい制度のため整理しておくと、タイブレークは決勝戦には適用されないが、決勝戦が延長15回で引き分け再試合となった場合、再試合には適用される。もちろん決勝戦以外にも適用だ。適用の場合は13回表の攻撃から。打順は前の回からそのまま引き継ぎ、無死1、2塁からスタート。出塁する走者は打者から見て最も遠い打順の2人(例えば、前回の攻撃が6番打者で終わったとすると、7番打者からの攻撃となり、走者は5、6番打者となる)。けがをした選手が治療するため一時的に代走を務める「臨時代走」の場合、投手は免除となるが、タイブレークの場合の走者は投手も免除とはならない。タイブレークのため出塁した1、2塁走者が生還した場合、自分の責任で出した走者ではないので、得点を与えた相手チームの投手には失点のみが記録され、自責点は記録されない――との運用になっている。従来の公認野球規則に沿ったもので、妥当な運用と言えよう。

当ブログは、タイブレークになれば後攻チームが圧倒的に有利なのではないかと予測していた。結果的には先攻チーム、後攻チームが1勝ずつで後攻チームが特段有利との結果にはならなかった。だがよくよく考えてみればこれは当然の結果で、もともと延長戦だからと言って後攻チームが圧倒的に有利なわけではない(毎回、サヨナラ勝ちのプレッシャーを相手チームに与えることができる一方、先攻チームは本塁打以外で大量得点を挙げ一気に試合を決めることができる利点があり、一長一短である)。その上に、両チームにとって公平な新しい条件が加わるだけだから、先攻チームと後攻チームの勝率に変化が出るほうがおかしいわけで、当ブログとしては不明を恥じねばならない。

タイブレークの導入は延長戦が延々続くという事態を避け、選手の過労対策という意味でも根本的対策には程遠いものの、一定の効果があったと思う。タイブレークが今後の高校野球を変えるかどうか、現時点では判断し難いが、延長13回以降の攻撃が無死1、2塁から始まるこの制度の導入により、今後は強攻策だけのチームに対して、バントなど小技で着実に走者を進めるタイプのチームが有利になる効果はありそうだ。特に決勝まで進んだ金足農業は、タイブレーク適用試合こそなかったものの、大会14日目(8月18日)の準々決勝での近江(滋賀)戦では3得点がすべてスクイズによるものだった。

ここ20年くらい、小技が使えなくても本塁打を打ちまくって相手を圧倒すればいいというメジャーリーグばりの大味なチームが甲子園の主流を占め、当ブログは辟易としていた。大技だけでなく小技も多用できるチームが上位に勝ち残れることを高校野球の「原点」と定義するならば、タイブレーク制の導入という思わぬ形で高校野球に「原点回帰」の可能性が出てきたと当ブログは考える。これは長期的に見ればよいことである。

タイブレークに関しては、「自分の責任で背負ったわけではない走者の生還で試合の決着がつくのはおかしい」との批判のほか、「過去の記録とタイブレーク制適用下での記録の整合性がつかなくなる」との批判もある。だが、どちらも当ブログはやむを得ないと考える。そもそも両チーム同じ条件なのだから許容すべきであろうし、タイブレークが適用されない試合にこの批判は当てはまらない。むしろ、1991年に行われた甲子園のラッキーゾーン撤去のほうが、全試合、全選手の記録に影響するのだから大事件だっただろう。ラッキーゾーン撤去の前後の記録さえ通算・比較されてきたことを考えると、この程度のことが問題になるとは思わない。

プロ野球に話は飛ぶが、「1964年に年間本塁打55本を達成した王貞治(巨人)と、2001年に同じく年間本塁打55本を達成したローズ(近鉄)ではどちらが上か」と尋ねられた場合、みなさんならどう答えるだろうか。1964年当時、巨人が本拠地としていた旧後楽園球場の両翼は90mに対し、ローズがいた当時の近鉄が本拠地としていた大阪ドームの両翼は100mである。これだけを見れば、広い球場で55本塁打を記録したローズのほうが上であるように思える。しかし、ローズが55本塁打を記録した当時の年間試合数は143試合であるのに対し、王が55本塁打を記録した1964年は年間140試合だった。この意味では、試合数が少ないにもかかわらず同じ本塁打数を打った王のほうが偉大だとの反論もできる。記録とはもともとそのようなものであり、結局は各自がそれぞれの価値観で評価するしかないものである。

100回記念大会の目玉企画「レジェンド始球式」に不思議な因縁を感じたのは、開会式初日、松井秀喜が始球式を行う第1試合を彼の母校、星稜が引き当てたことだ。昨日の準決勝でも、金足農業が出場する試合の始球式を桑田真澄(PL~巨人)が務めたが、1984年の大会におけるPL×金足農業の試合を知るオールドファンにとってはこれも不思議な因縁だ。

最後に、山口直哉(済美)、吉田輝星(金足農)など何人かの投手は地方予選から甲子園での敗退までを1人で投げ抜いたが、予想していた通り「投げ過ぎ」批判が上がった。近年は選手の健康管理の観点から、エース級投手を複数用意して戦うスタイルが主流になっている。これに対しては、元ロッテの里崎智也氏が「甲子園での高校野球で球数制限は必要か」(日刊スポーツ)と題する記事で「私は高校時代に鳴門工で野球をしたが、同じ部員で高校卒業後、野球を続けたのは私1人だった。1つ上の先輩にも聞いたが、1人しかいなかった。草野球などを除き、本格的な野球を継続する選手は一握り。野球部でも高校卒業後は、将来の仕事に向けて進む人が大部分で、全員がプロ野球を目指すわけではない」として投球数制限に反対している。しかし、「卒業後も野球を続ける選手がほんの一部」であることを理由に選手全員が不合理な精神主義に付き合わされる必要性はまったくないわけで、里崎氏のこの主張は時代遅れの誤ったものと言わなければならない。一部の不合理な行動に全体が支配され疲弊していくのは、野球界、スポーツ界に限らない日本社会全体の悪弊である。

「投球数制限が導入されたら、ぎりぎりの選手数で大会に出場している学校が不利になり、ますます学校間格差が開く」と里崎氏は主張しているが、別にそれでいいではないか。全国からプロ入りを目指す選手が集まってくる大阪桐蔭などは今や完全に「プロ野球予備校」状態であり、そのことの是非自体が問われるべき新たな段階に入っている。むしろ、今の状態のまま進むより、甲子園出場校を「プロ野球予備校」と「それ以外の健全な教育活動としての野球部を目指す学校」に分離し、それぞれを別の大会にするなどの抜本的改革が必要なのではないか。そう思わせられるほど最近の大阪桐蔭の強さは異常なレベルと言える。今後に向け、ひとつの問題提起としておきたいと思う。

東京の夏が昔より断然暑くなっている、とする報道もある。地方予選段階では、京都府大会が今年から最も熱くなる午後1~4時の時間帯の試合を取りやめ、従来この時間に行われていた試合をナイターに繰り下げる措置を取った(参考記事)が、地方予選段階でのこうした取り組みは甲子園での全国大会でも取り入れてはどうだろうか。

何かと話題の多かった区切りの100回大会も終わり、猛暑日続きだった異常な夏にもようやく陰りが見えてきた。100年の歴史の重みが積もり、すっかり国民的行事と化した高校野球だが、昭和の遺物とでもいうべき矛盾も噴出し、今後に向けた改革の方向性もよりはっきりしてきた。守るべき点は守り、改めるべき点はきちんと改める。それこそが、戦争や震災という苦難の中でもこの行事を作り、育て、守ってきた歴史の先人たちに対するあるべき姿勢だと当ブログは考える。関係者一同、そのために改めて英知を結集してほしい。

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