新年度が始まった。
出会いと別れが交錯する季節、それが春。
「春なのに お別れですか」(「春なのに」/柏原芳恵)という歌がある一方で、「今、春が来て君は綺麗になった」(「なごり雪」/イルカ)という歌もある。「なごり雪」も、このフレーズだけ聴けばハッピーな歌のようだが、実際には「汽車を待つ君の横で時計を気にしてる」僕がいる。列車の発車時刻になれば、幸せな2人は引き裂かれることが運命づけられている。
最近はどうだか知らないが、少なくとも私の青春時代、恋に恋する乙女たちは、卒業していく先輩の制服の第2ボタンをもらうことに必死だった。いうまでもないが、第2ボタンは1つしかなく、それは去りゆく先輩が最も恋心を寄せる乙女だけに手渡される物だと決まっていたからである。
さて、そんな情緒的な文章の後に夢のない話で申し訳ないが、私にとって、今年の春は良いこと半分、形容しがたい寂しさ半分というところだろうか。
良いことのほうは、細かくて口うるさかった直属の上司が転勤でいなくなったことである。転勤先は一応、同一県内ということではあるが、出向していた私の組織から出身組織へ帰るということで、よほどのことがない限り仕事上の接点もないだろう。
ただ、仕事に関してはかなり石頭で細かかったが、人間的に悪い人物ではないということもわかっていた。辞令交付の後、課員ひとりひとりへ挨拶に回っていたが、最後に「頑張れ」と励ましてくれた上に、ありったけの笑顔を見せてくれた。それは、1年間のわだかまりを溶かしてくれるような笑顔だった。その瞬間、すっきりとした良い別れができたと思えた。
ところで、そんなことを言っている私自身が、出身組織を離れて今の組織に来ている出向の身だったりする。出向するときは「2年で戻す。何かあっても3年」と言われて出てきたが、この春でついに3年を超えて4年目に入った。
まぁ、人事に関する口約束なんて、鳩山内閣の政権公約並みに「軽い」というのは、サラリーマンを10年もやっていれば誰でも知っているわけで、そのこと自体はショックでも何もないのだが、私の心に少なからぬさざ波を立てたのは、出身組織の人事異動一覧を見たときである。
それを見るまでは、そろそろ帰れるかな、と期待をかけたりしていた。しかし、在任期間が比較的長かった人たちが、この春、一斉に異動してしまったのである。このせいで、私が帰れそうなポストはほとんど異動が完了してしまった。どうやら、出身組織は私の代わりを見つけ、もはや私を必要としていないように感じられた。形容しがたい寂しさ半分のほうはここから発している。
今年の10月、出身組織では新規事業のため新支所が立ち上がる。ここでもう一度、新支所に絡んだ人事異動が行われることになるが、ここで私に声がかからなければ、おそらく当分は「片道切符の旅」が続くことになるだろう。
もともと、(過去ログにも書いたが)クズ上司と対立し、「石をもて追われるごとく」出身組織を飛び出した私に戻る資格があるのか問われれば、その資格はないのかもしれない。よそ者の私を温かく迎えてくれた今の組織にしばらく身を置くというのも悪くない。いずれにせよ、今は仕事があり、帰るべき家があって、そこで妻が待っていてくれるだけでも幸せと言わなければならないのだろう。
鉄道ファンの間では今も「最長片道切符の旅」の静かなブームが続いている。出身組織に戻れないなら、最長片道切符の旅をしばらく続けてみるのも悪くない。その中から、新たな発見が生まれてくるのかもしれない。
出会いと別れが交錯する季節、それが春。
「春なのに お別れですか」(「春なのに」/柏原芳恵)という歌がある一方で、「今、春が来て君は綺麗になった」(「なごり雪」/イルカ)という歌もある。「なごり雪」も、このフレーズだけ聴けばハッピーな歌のようだが、実際には「汽車を待つ君の横で時計を気にしてる」僕がいる。列車の発車時刻になれば、幸せな2人は引き裂かれることが運命づけられている。
最近はどうだか知らないが、少なくとも私の青春時代、恋に恋する乙女たちは、卒業していく先輩の制服の第2ボタンをもらうことに必死だった。いうまでもないが、第2ボタンは1つしかなく、それは去りゆく先輩が最も恋心を寄せる乙女だけに手渡される物だと決まっていたからである。
さて、そんな情緒的な文章の後に夢のない話で申し訳ないが、私にとって、今年の春は良いこと半分、形容しがたい寂しさ半分というところだろうか。
良いことのほうは、細かくて口うるさかった直属の上司が転勤でいなくなったことである。転勤先は一応、同一県内ということではあるが、出向していた私の組織から出身組織へ帰るということで、よほどのことがない限り仕事上の接点もないだろう。
ただ、仕事に関してはかなり石頭で細かかったが、人間的に悪い人物ではないということもわかっていた。辞令交付の後、課員ひとりひとりへ挨拶に回っていたが、最後に「頑張れ」と励ましてくれた上に、ありったけの笑顔を見せてくれた。それは、1年間のわだかまりを溶かしてくれるような笑顔だった。その瞬間、すっきりとした良い別れができたと思えた。
ところで、そんなことを言っている私自身が、出身組織を離れて今の組織に来ている出向の身だったりする。出向するときは「2年で戻す。何かあっても3年」と言われて出てきたが、この春でついに3年を超えて4年目に入った。
まぁ、人事に関する口約束なんて、鳩山内閣の政権公約並みに「軽い」というのは、サラリーマンを10年もやっていれば誰でも知っているわけで、そのこと自体はショックでも何もないのだが、私の心に少なからぬさざ波を立てたのは、出身組織の人事異動一覧を見たときである。
それを見るまでは、そろそろ帰れるかな、と期待をかけたりしていた。しかし、在任期間が比較的長かった人たちが、この春、一斉に異動してしまったのである。このせいで、私が帰れそうなポストはほとんど異動が完了してしまった。どうやら、出身組織は私の代わりを見つけ、もはや私を必要としていないように感じられた。形容しがたい寂しさ半分のほうはここから発している。
今年の10月、出身組織では新規事業のため新支所が立ち上がる。ここでもう一度、新支所に絡んだ人事異動が行われることになるが、ここで私に声がかからなければ、おそらく当分は「片道切符の旅」が続くことになるだろう。
もともと、(過去ログにも書いたが)クズ上司と対立し、「石をもて追われるごとく」出身組織を飛び出した私に戻る資格があるのか問われれば、その資格はないのかもしれない。よそ者の私を温かく迎えてくれた今の組織にしばらく身を置くというのも悪くない。いずれにせよ、今は仕事があり、帰るべき家があって、そこで妻が待っていてくれるだけでも幸せと言わなければならないのだろう。
鉄道ファンの間では今も「最長片道切符の旅」の静かなブームが続いている。出身組織に戻れないなら、最長片道切符の旅をしばらく続けてみるのも悪くない。その中から、新たな発見が生まれてくるのかもしれない。