テント日誌(番外編) 98~99日目
2011年12月17日(土) 快晴(最高気温10度/最低気温3度)
早いもので、経産省前のテントも98日目。いつの間にかパリ・コミューン(72日間)よりもずっと長くなり、100日が見えてきた。
多田謡子反権力人権賞授賞式のため、福島から上京する。テントに立ち寄りあいさつを交わす。テント前に座り込んでいるのは国労組合員でJR退職者のSさん。年明けに予定されている中野勇人さんのマラソンや、佐久間忠夫さんのハンストについて少し話す。
あいかわらず、経産省からは「テント内でガスストーブを使うな」などといろいろなことを言ってくるそうだ。原発を推進し、国民には東電の電気を押しつけながら自分は東電からの電気を買わず、PPSの電気を使っているご都合主義の経産省ごときにとやかく言われる筋合いはない。
正午頃、経産省の腕章を付け、作業服を着た職員とおぼしき男性が1人、テントを疎ましそうな目つきで見ながら通り過ぎた。誰のせいで福島がこんな事態になっていると思っているのか! 本当は胸ぐらをつかんでやりたかったが、経産省廃止法案を自分で作って各政党に提示した私はいわば経産省に退場宣告をした人間だ。こんなクズ官庁にもう用はないし、時代の役割を終えた経産省は「新自由主義歴史博物館」でも作って、経団連と一緒にそこにぶち込んでやればいいと思っている。
正午過ぎ、いったんテントを辞する。今年、「多田謡子反権力人権賞」に福島原発との闘いからは2個人・団体が選ばれた。双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんと、脱原発福島ネットワークである。この他、女性のための医療実現に尽力した佐々木静子さん、「非正規」滞在外国人の権利のために活動してきた“ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY”が受賞者である。
この賞は、華々しく闘い、勝利した人に輝かしく贈られるものではない。最も困難な情勢の中で、時には倒れながら底辺で最も苦しい闘いをしてきた人たちに光を当て、彼らを鼓舞するための賞である。それ故に、この賞の受賞は闘いの終わりを告げるものではない。それでも、この賞を受賞できる人たちはまだいい。この影には表彰されることもなく、光さえ当たることのない困難な闘いが10倍、100倍はあるのだ。
受賞4個人・団体からの発言はいずれも強い印象に残った。要点だけ示しておくと、“ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY”の弱冠29歳の若き理事からは、この国のお寒い入管行政の影で見えない存在だった「不法」滞在外国人の権利獲得の手段として、法務省入国管理局への外国人「集団出頭」の闘いが紹介された。年越し派遣村と同じ社会的弱者の「見える化」「可視化」がその後の在留特別許可につながっていった。日本には、単純労働のための在留資格がないため、多くの外国人が「技能実習生」と称して送り込まれ、企業の勝手な都合で在留許可が切れて以降も劣悪な条件で働いている。そうした「不法」滞在外国人から生まれた子どもには国籍すらない。日本が出生地主義でなく血統主義を取っているためこのような問題が起こるのだという。
最近は何でも「法に触れているか、否か」だけでしか物事を見ようとしない日本国民が増えたが、我々と同じように彼らにも生活がある。政府の究極の仕事は国民を食べさせることだ。文革当時の中国で、「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのがよい猫だ」と発言した政治家が「修正主義分子」として失脚したことがあったが、どんな崇高な理想を掲げようとも、国民を食べさせられない政府がよい政府であるわけがない。
佐々木さんからは、子宮筋腫でない女性に子宮筋腫と診断し、子宮と卵巣まで摘出するという1980年の「富士見病院事件」を受け、女性のための医療実現に尽力した様子が報告された。被告だけでなく女性全体の闘いにすること、そのために病院内で開いた勉強会には医療職だけでなく、女性なら事務員でも清掃員でもみんなに参加してもらったという。「みんなが参加」「身分による区別をしない」「女性全員の闘いにする」は、いずれも今日の闘いにも通用する重要な示唆、教訓である。
石丸さんからは、放射能に鈍感で頼りにならない中高年男性と敏感で頼りになる女性との対比が鮮やかに語られた。最近の闘いを見ていると、原発に限らずあらゆる運動が「金権鈍感オヤジ」をどうするかの話題になる。1%の支配側にいるこの「金権鈍感オヤジ」を若者と女性でどうやって包囲し倒すかがすべての運動分野で問われている。ちなみに、余計なお世話と思われるかもしれないが、「鈍感オヤジ」は運動陣営内部にもいる。思い当たることのある方は猛省していただきたい(もっとも、自分で気付く人はたいした問題ではない。根拠もなく「俺だけは違う」と思っている者こそ真の鈍感オヤジなのだ)。
脱原発福島ネットワークの佐藤和良・いわき市議からは、原発被爆者援護法制定運動の意義が語られた。戦争責任を曖昧にしてきたことが今日の結果を招いたという問題意識は私たちと同じだ。原発事故は、私たちの住んでいるのが「人類史上まれに見る犯罪国家」だということを明らかにした。どんな運動分野からでもいい。庶民を痛めつけると高くつくという前例を作り、この犯罪国家に屈辱を強制しなければならない。
交流会の司会者から、石丸さんを推薦した人間として、何かあいさつしてくれと私にマイクが回ってきたので、概略、次のように話した。
「4人の話に大変な感銘を受けました。ここに来る前に、経産省前のテントに寄ってきたのですが、このテントの良いところはリーダーや偉い人がいないことです。みんなが対等の当事者として生き生きとやっている。女性であれば事務員や清掃員の人にも勉強会に入ってもらったという佐々木さんのお話を聞いて、差別をしないところがテントと同じだと思いました。11月に私の地元、白河で「白河・水俣展」がありました。親身になって水俣病患者の相談に乗り、治療にも当たってきた原田正純先生という方が、「公害が発生したから差別が生まれるのではない。差別があるところに公害が持ち込まれるのだ」と仰っていると聞いて、福島と同じだと思いました。
この会場にいらっしゃる方々は、皆さんどんな小さな差別もゆるがせにせず闘い続けてきた人ばかりだと思います。私たちの闘いをもっともっと多くの人に広げていきましょう。原田先生の仰るように、差別のあるところに公害も原発も基地も持ち込まれるのだとすれば、みんなが差別をなくすことで公害も原発も基地もなくせると思います。ですからもう一度原点から考え、みんなで自分の周りにある一番小さな差別からなくしていく。そういう闘いを私はこれからしたいと思っています」
午後7時半過ぎ、テントを再訪する。98日目と書かれた日めくりを見ながら、この数字はどこまで伸びるのだろうとふと思う。放射能漏れも止まらないうちから再稼働だ、冷温停止だ、原発輸出だと野田は寝言を言っている。この策動と、それに対する広範な怒りが存在する限り、この数字はいつまでも伸び続けるだろう。
98日前、突如として現れた「解放区」。女性テントの中では、老若男女が集い「反基地と反原発、未来の想像力」と題したイベントの最中だった。「犯す前に犯すと言いますか」と言い放った防衛局長の暴言に抗議して、沖縄でも女性の闘いが繰り広げられ、このテントにも持ち込まれている。その国の文化度は、女性や子どもがどのように扱われているかを見ればわかる。福島でも沖縄でも、女性の扱われ方は野蛮な未開文明国並みだ。最低だな、この国。
普段、この時間の女性テントは男子禁制だが、イベント時は入れるという。「秘密の花園」に足を踏み入れると、こたつでお菓子を食べながら楽しそうだった。
10月、女たちの100人座り込みを支えた「ひまわり」さんに出会った。連れ合いから話は聞いていたが、ひまわりのように周囲を明るくできる、その名に違わない人だ。生活用品など「何でも揃ってるね」と私が驚きの声を上げると「そうでしょう? 今、ないのはキッチンくらいですよ」と笑っている。
夜9時半頃、イベントも終了して引き上げようという頃、椎名さんが戻られた。
田中龍作ジャーナルでの凛とした姿に惹かれて、是非「謁見」願いたいと「ひまわり」さんに事前にお願いしたら快諾してくれた。ようやく実現した「謁見」である。和服に身を固めたそのお姿はやはり凛としている。この人がテントにいるだけで、困難なことがあっても「何とかなるさ」と思えてしまう。カリスマ性とまでは言わないにしても、不思議な魅力を持つ女性だと思った。
福島原発事故以降、高濃度汚染された福島での困難な闘いに私は何度も絶望し挫折しかけた。そんなとき、励ましてくれたのは連れ合いの他、こうしたすてきな女性たちとの出会いだった。彼女たちがいなければ、この困難に立ち向かうことはできなかっただろう。連れ合いには感謝しているし、すてきな女性たちにはいくら感謝しても足りないくらいだ。日本社会の「一方」にはこうしたすてきな女性たちがいる。彼女たちが水を得た魚のように生き生きと活動し続ける限り、まだ希望を棄ててはいけない。女性テントは今や希望の光なのだ。
日本社会全体をこのテントのようにしなければならない。それが自分に課せられた使命だということを、佐々木静子さん、そしてテントの女性たちから学んだ有意義な1日だった。もし日本社会全体がこのテントのようになれば、そのときこのテントは不要になる。日めくりの数字が止まる日が1日も早く来ればいい。
夜も更けてきた。第1テントに戻った私は福島の現状をいろいろ聞かれた。夜11時半過ぎ、床に入った。毛布1枚を床に敷き、寝袋に入って身体の上にも毛布を2枚掛ける。「寒いぞ」とさんざん周りの人に言われたが、福島では寝室に暖房を入れないと室内でもこのくらいの寒さになることがよくある。それに慣れているせいか、寒くは感じなかった。
99日目 2011年12月18日(日) 快晴
7時起床。外務省前はまだイチョウの木が金色に染まっている。その木から落ちてきた金色が歩道に散らばっている。
経産省の向かい側は財務省だ。来年度の予算査定が大詰めを迎えている頃だろう。財務省の関係者から以前聞いたことがあるが、財務省の建物の中にはコンビニがあり、24時間営業している。24時間需要があるから営業しているわけで、「国のため」といえば聞こえはいいが、官僚たちがそんな働き方をしているようでは、ブラック企業がはびこる世の中もなくならないと思う。
テントのメンバーがテント前の歩道を掃除していたので手伝う。箒を手にイチョウの木から落ちてきたらしい金色を掃き清める。最近の情勢を見ていると、資本主義は自分の目の黒いうちに滅びるかもしれないという気がする。義務としてではなく喜びとして働くことが、来るべき新しい社会に向けた予行演習のような気がしたのだ。
箒を片付け、コーヒーを1杯いただいた後、メンバーに丁重にあいさつして、午前8時半前、テントを辞した。空は今日も快晴。
明日はいよいよ100日目、記念日のお祝いだ。
ふと、川柳を思いついた。最後に1句。
「寒風を 越えてひまわり 100日目」
(文責:黒鉄好)