横浜の代表的な観光地といえば、山下公園、中華街、元町があり、現在はみなとみらいエリアも賑わいをみせています。
近代史的には、幕末の開港期から横浜の繁栄が始まったと言えますが、実は最初の開港は横浜ではなく東海道五十三次の神奈川宿でした。
その神奈川宿近辺に住む私としては、今まであまりにも身近にあり、特に興味を持っていなかったため全く訪れていませんでした。
昨年、御朱印集めをしている妹が、この神奈川宿にある寺社仏閣で御朱印を拝受してきました。
この神奈川宿内には、母校の創立者であるアメリカ人宣教師で医者であるヘボン博士が開いた施療所があります。
明治学院の始まりは山下公園近辺に開いたヘボン塾とされていますが、ヘボン博士が日本で最初に活動を始めたのはこの施療所となります。
神奈川宿内にある寺院のひとつ、慶運寺の参拝時にご住職との雑談を交わしている最中に神奈川区役所発行の「神奈川宿 歴史の道」をいただきました。
▲「神奈川宿 歴史の道」
▼見開きで紹介されている東海道五十三次の神奈川宿の全体図
この図から旧東海道は、国道15号線から国道1号線の青木橋を渡って神奈川台町へ続いていたことがわかります。
昨年、この身近にある神奈川宿の寺院を数カ所参拝していますので、今後数回にわけて紹介していこうと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
広重の絵を見ても判りますが、恐らく今の15号線のあたりが当時の海岸だったんでしょうか。
私も最近地元の歴史や地名などに残る痕跡に興味を持ち始めていますが、今自分が住んでいる辺りが昔はどういう所だったのかが段々と判ってきて楽しいです。中には恐ろしい地名や言い伝えもあります。
地元は観光名所から少し離れていますが、開港時の痕跡が神奈川宿に残っています。
開港時の各国の領事館が近くに設置されていたことは知ってはいましたが、見に行ったことはありませんでした。神奈川宿は地味な史跡ですが、すべて訪ねてみたいと思います。
神奈川宿のほかには、横浜市は北条家の旧小机領であったので小机城趾、関連する寺社仏閣なども行ってみたいと思っています。
ちなみに戦国時代の北条氏は、妻の実家がある茨城の佐竹氏と勢力を争い、茨城県の石岡辺りが最前線となって衝突していました。
>恐らく今の15号線のあたりが当時の海岸だったんでしょうか。<
そうだったと思います。日本初の鉄道も海を埋め立てて横浜へ敷かれていました。