◆ヒューリスティックス(発見的方法)(heuristics)〔心理学〕
問題を解くときにはアルゴリズムに従って、理詰めで1歩1歩解決に近づく方法と、失敗するかもしれないが、直観的に解に到達する方法がある。後者のような解き方をヒューリスティックスによるという。人は、このヒューリスティックスな解決を得意とする。ここには、制約された認知機能を有効に活用する知恵が反映されているものと思われる。しかし、ヒューリスティックスも、推論ミスに導く一定の認知的なバイアスの存在が知られている。
◆パターン認識(pattern recognition)〔1991年版 心理学〕
文字や図形、音声など空間的、時間的な広がりを示す対象が何であるかを認識すること。コンピュータによるパターン認識の性能が向上してくるにつれて、逆に、人間のパターン認識能力の優れている点が注目されるようになった。
機械でも人間でも、認識のモデルには二つある。特徴抽出モデルでは、あるパターンをそのパターンであると同定するのに十分な少数個の特徴との照合が強調される。鋳型照合モデルでは、パターンの定型的な鋳型との全体的な照合が強調される。
気持ち動転時に人はどうする、
気持ち動転時に人はどうする
気持ちが動転しているときには、我々はどのような思考と行動をするのであろうか。
第1次評価とは、気持ちが動転したその瞬間に頭の中で自動的に発生する最小かつ高速の情報処理(評価)である。ここで注目されるのは、その情報処理が、自分の利害関心に関係しているかどうかを主な目的にしているところである。そして、この評価は、おおむね妥当なものである。
第2次評価とは、気持ちがやや落ち着いてきた後におこなわれる情報処理である。ここで、状況改善の可能性、責任の所在、将来どうなるかが慎重に判断される。相手に大怪我をさせてしまった交通事故を例にとれば、状況改善の見通しがなく、責任が脇見運転による自分にあることは明白で、もしかすると職を失う可能性もある、というような評価を下し、それに対応するネガティブな情動を強く体験する。ただし、この段階での評価は、熟慮的ではあるが、情動主導なので、しばしば、状況評価が限定的で論理性に欠ける。
身体「心を元気にする文化」
「身体あってのものだね」
- 心と身体
心身問題にまともに立ち向かおうとすると、大変なことになります。心の哲学の解決不能問題の一つだからです。
それでも、心を研究する者は、心身問題には、それなりに見識が求められますから、自分なりの答え、立場はしっかりとしておく必要はあります。
自分の立場は簡潔に言うなら、「心は脳を超える」となります。
脳がなければ、心は存在しませんが、脳をとことん研究しつくしても、なお、脳では説明できない心の世界は残る、という立場です。この立場でないと、心理学の研究者としてのアイデンティティがなくなってしまうからです。
いずれにしても、心身問題、これくらいにします。
心の元気という観点から身体のことを考えてみたいと思います。その前にちょっぴり寄り道します。
- 身体の役割は多彩
身体には、心との関係から眺めると、3つの働きがあります。
一つは、認識の道具としての身体です。身体を動かすことによって世の中を知る働きです。
2つは、状況に働きかける道具としての身体です。頭で考えて動くことで状況を変えることができます。
3つは、知識の貯蔵庫としての身体です。これは比ゆ的な表現になりますが、知識は頭の中にだけあるのではなく、手足のような身体の末梢のあちこちに、あたかも埋め込まれているかのごとく存在しています。「手は脳の出店」といった人もいるくらいです。
- 心の元気にする身体の活用のコツ
- 「動かす」
身体の最大の特徴は動くことです。この特徴を生かせばいいのです。あれこれ難しいことは抜きにしてともかく動かすことです。
逆を考えてください。身体拘束です。介護の現場でこれがしばしば問題になるのも身体の自然に逆らっているからです。
動きたいときに動ける、動く、これが心の元気になります。それほど根拠があるわけではありませんが、こんなことも心がけるといいかもしれません。
心がつらいときほど激しく動く。
心が元気がないときは、のんびりゆっくり長く動く。
心が元気なときは、活き活き動く。
- 新しい喜び、楽しみを開発する
これまでやりたくてやれなかったのがダンスです。きれいな女性(である必要はないのですが)と、手と手をとり華麗にリズムにのって踊りまくる。これほど楽しくもうれしいことはないのではないでしょうか。
ダンスは一つの例に過ぎません。できれば、こうした動く楽しみをいくつか用意することをすすめます。
人間は横着ですので、動くのが自然で楽しいと言われても、ついついおっくうになってしまいます。そんな時の救いに、動く楽しみがあれば大丈夫です。
それには、上達する楽しさも伴うようにしておくことも効果的です。
ここで、ポジティブ心理学者の言説を引用しておきます。
「身体が生み出すほとんど無限の楽しみの可能性は、多くの場合、未開発のままとどまっている。(チクセントミハイ)」
これは、一時的で安易な快楽主義への導くになりがちですが、確かに、もっと身体で楽しむ、喜ぶ機会を意図的に多くしてもよいと思います。IT社会は何かとリアルな身体をおろそかにさせがちだからです。
動く喜びだけでなく、感ずる喜びもあります。
ニュース番組の定番になっている、グルメがその典型ですね。味覚の開発です。
今日のうーん「パチンコ」
2011-06-14 | 心の体験的日記
電力不足が懸念される夏場を前に、消費電力が多いパチンコ業界への風当たりが厳しい。インターネット調査でも「減らしていい」項目のトップになった。
(gooニュースより)
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パチンコ業界にはいろいろうわさがある
それにしても、繁盛しているお店は
平日でも広い広い駐車場がいつも満車
和田秀樹氏ならずとも
うーん である
パチンコ中毒者の数
馬鹿にならないらしい
ギャンブルは手軽にできてはいけないのかも
ラスベガスにわざわざ出かけてとなれば
中毒にはならない
しかも、最近のパチンコはギャンブル性がひどいらしい
あの換金システムは一体なんなんだ!
◆パニック神話(panic myth)
災害発生の警報や予知が一般住民にパニックを引き起こすとする、もっぱらマスコミの世界での通説のこと。
しかし、パニックの発生はむしろ稀で、危険からの脱出可能性に関するきちんとした情報が提供されれば、整然とした対応ができることが、いくつかの事例で確認されている。
Iさんのおすすめで挑戦してみた。
最初は、漱石の「吾輩は猫である」。
快テンポでこれはいける。保存して、
次は、以前買いそびれた「ホモサピエンス全史」。
内容が詰まっていて、耳からだけではきつい。
でも、久々に、アカデミックな内容に触れて、少し興奮。
当面、この2冊とともに、ベッド・ソファーで横になることにする。
やりたいことは、やらなければならないことの
向こう側にある
(蔭山英男)
向こう側にある
(蔭山英男)
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教育は、やらねばならないことを無理にでもやらせねばならない。
それをのりこえてくれないと、子どもがやりたいことができないからである。
そのことを、しかし、子どもにわからせることは、むすかしいし、むなしい努力である。
子どもは、教育を受けている期間中、なんで、こんな勉強をしなければならないの?
という疑問を抱えながら、勉強のつらさに耐えている。
耐えられない子どもは脱落していくか、
力がある子どもは、自力でやりたいことにはやばやと挑戦する。
教育は何を教えるかより、つらさ耐性の選抜機能のほうが大きいのかもしれない。