「失敗に強い人、弱い人」
今の日本、子どもの頃から大事に育てられ失敗経験が少ないためか、失敗に弱い人が多くなってきているような気がしてなりません。ちょっとした失敗で立ち直れなくなってしまったり、失敗を恐れて何事にもしり込みしてしまうような傾向が強くなってきているようです。
先日発表された日米中韓の高校生の意識調査でも、日本の高校生のこのあたりの傾向が際立っていました。「偉くならずに、のんびり」が他国に比してだんとつに高くなっていました。
もう一つ、日本社会にも、失敗に弱い人をどんどん作り出しているようなところもあります。学校、職場、社会全体が、失敗することを過度に責めてしまう雰囲気があることです。
一つの例を挙げれば、交通事故などでの業務上過失に対する厳罰化傾向です。相手を傷つける意図はない過失ですから、それを厳しく罰してもしかたがありません。それにいつかあなたも同じような加害者になってしまうかもしれません。こうした傾向が強まると、人は萎縮してしまいますし、再起不能となってしまいます。
失敗に強くなるには、社会の失敗文化、とりわけ失敗をしてしまった人に対する扱いや考え方が変わる必要があります。しかし、今の日本の社会、その兆しはありません。安全・安心への志向が非常に強くなっているからです。そのことを知った上で、個人の努力として、失敗に強くなるための考えや方策について考えてみたいと思います。
まずは、「何事も」失敗しないで完璧にすることを自らの信念にしないことです。車の運転での失敗は困りますが、趣味のテニスの試合での失敗はどうということはありません。新規プロジェクトの遂行での失敗はどうでしょうか。
つまり、領域に分けて、失敗しても良い領域を作り、そこでは大いに失敗を楽しむのです。失敗するほど精一杯、力を出しきることの爽快さを味わうのです。失敗に強くなるには、失敗経験は不可欠ですから、こうした領域でたぷりとそれを経験しておくことです。
失敗に強くなるためのもう一つの方策は、失敗によって起こったことの対処力をつけることです。もしあなたの失敗によって相手に迷惑がかかってしまったら、まずは、誠心誠意、誤ることです。損害を与えてしまったら、それは補償しなければなりません。
3つ目は、失敗から学ぶことです。失敗はそれほど頻繁には起こりません。ですから、起こってしまった失敗を振り返って、なぜ失敗したのかの追及を自分なりにしてみるのです。安易な言い訳で済ませてしまわないで、なぜ失敗したのかを自らの知識を総動員して追求してみるのです。ここでは、事の真実はそれほど大事ではありません。その追求の過程であれこれと考えたことを、次に生かすことが大事になります。そうすれば、失敗は、あなたの貴重な知的財産になっていきます。
多少の失敗などものともせず、ただひたすら直進あるのみという人もいます。たとえば、タイプAと呼ばれる性格の人です。忙しさを苦にせず、熱中して徹底的に仕事をし、自身満々で競争心の旺盛な人です。野口英世がそうだったようです。偉業を成し遂げるタイプですね。
自分もこんな人になれれば、と思われた方もいるはずです。しかし、性格は無理して変えようとしてもあまりうまくはいきません。長年にわたってあなたがそれなりに努力をして作りあげてきたものだからです。
それに、「失敗に強い」という観点からは、こうした人は要注意です。
なぜなら、失敗なんのそのですから失敗に強いようにみえますが、小さい失敗から学ぶことをしないため、いずれ取り返しのつかない大失敗をおかしてしまう可能性があること、失敗への対処力が身についていないためひとたび失敗するとさらにひどい状況を作り出してしまうこと、さらに、他人の失敗に異常なほど厳しいことの3つの理由からです。
失敗に強い人とは、前の述べたような、失敗経験をしながら、そこから学べる人です。たとえるならば、柔道の受身が巧みな人のようになれることです。