海保’*01/8/11 <保存用です>
日本語教師のための心理学 新曜社
海保博之(筑波大学「心理学系」)
1章 知の心理学エッセンス
1節 知の世界を成り立たせているもの
●知識と知力---知の内容
●情報処理モデル---知の構造と機能
●注意--知の資源
●メタ認知---知の世界のモニタリングとコントロール
2節 知識の獲得と運用
●異文化での知的活動を支えるもの
●知識の獲得過程
概要*************
日本語学習者の知の世界を知るために役立つ認知心理学的な視点と基本的な知識を紹介する。まず、知の世界を成り立たせている機構と機能を、家とそこに住む人々というアナロジーを使って説明する。ついで、知の世界で中核的な役割を果たす知識の獲得過程について、日本語学習者の知識獲得を想定して考えてみる。
****************
1節 知の世界を成り立たせているもの
●知識と知力---知の内容
たとえば、「外国人が日本語を操る」ときに展開される知の世界を成り立たせているものを考えてみる。
まずは、日本語についての知識(宣言的知識)が必要となる。コップを前にして、「コップ」という語彙が知識として頭の中にないと、「コップ」とは言えない。
もっとも、そのためには、物としての「コップ」が、「コップ」であるとする認識の成立が前提である。その認識を支えているのが、コップの表象である。表象とは、外界についての抽象的なシンボル世界で、イメージや命題(注1)から構成されている。乳幼児では、表象の形成が未熟であるが、日本語を学ぶ外国人では、表象はほぼ完全に構築ずみと考えてよい。
知識と表象があっても、「コップ」と発声するためには、もう一つ、コップとその表象とを照合して、日本語の対応する語彙を引き出して、声帯を動かす力が必要となる。この力を支えているのが、手続的知識である。
手続的知識は、行為を支える暗黙かつ自動化された技能にかかわる知識である。俗に言う、記憶力や思考力など「---力」を支えている知識である。「cupをカップと言う」は宣言的知識であるが、コップを目の前にしてコップと言えるのは手続的知識があるからである。
母語の運用のほとんどは、手続的知識によって支えられているが、外国語の運用の初期段階は、理解、発話などすべての言語活動において、宣言的知識が支配的である。外国語の習得の主流は、宣言的知識の運用訓練を繰り返すことで、それを手続的知識とすることである。
宣 言 的 知 識
コップの絵--->命題表象 イメージ表象
丸い
硬い
凹んでいる
発話/コップ/<---- 手 続 的 知 識
身体的表象?
図1-1 知の世界を構成するもの
さらに宣言的知識と手続的知識とについて話を続ける。
宣言的知識は、エピソード的知識と意味的知識とに分かれる。エピソード的知識は、体験を通して身につける知識であるところから、体験知とも呼ぶにふさわしい。異なる文化では異なる体験をするので、我彼の知識は、この体験知において異質性が顕著になる。
これに対して、意味的知識は、普遍的かつ真理性基準を満たしているもので我彼の違いは程度問題に過ぎない。体験知に対応させて、これを論理知と呼んでおく。
手続的知識にも、「いかに--するか」というルールの形で提供されるルール・ベースの宣言的知識に基づくものと、モデル(師範)の模倣という形で提供されるものに基づくものとがある。いずれも、長期間にわたる、認知的および運動的な技能訓練を経ることが必須である。
●情報処理モデル---知の世界の構造と機能
知の世界を、家にたとえると、知識と知力が家族のメンバー、そしてこれからの述べる認知のアーキテクチャーが建物である。どんな建物の中で家族がどんな生活をしているか(機能)をみていくことになる。
建物にもいろいろあるが、ここでは、図に示す情報処理モデルに限定する。
***********
状況 感覚情報貯蔵庫 短期記憶 長期記憶
図1ー2 情報処理モデル
********
まず、感覚情報貯蔵庫から。
ここには、目や耳などの感覚器官を通して外から入力された情報が、ほぼそのままの形で、せいぜい500ミリ(1/2秒)くらいの非常に短い間、貯蔵される。パッと目をつむったときに脳裏に浮かんでくるボンヤリとした映像は、この感覚情報貯蔵庫からの情報に基づいている。
情報は、感覚情報貯蔵庫に飛び込んでくるが、普通の状態では、それらは、ほんの少しだけしか違わない情報なので、情報間の融合が起こり、一貫かつ連続した動きを伴った映像を体験できる。映画のように、1枚1枚は静止した連続絵を50ミリ秒くらいの間隔でどんどん見せると、なめらかな動きのある映像が見えるのは、このためである。しかし、非常に短い間隔で、異質な情報を次々に見せられると、情報内容間の干渉が起こり、ある情報が欠落してしまうこともある。これはマスキング現象と呼ばれている。
短期記憶は、感覚情報貯蔵庫から抽出された情報を高々20秒程度の間だけ、保存しておくところである。長期記憶は、短期記憶で一定の処理がなされた情報を、知識として長期間にわたり保存しておくところである。それぞれの処理特性を、さらに概観してみる。
短期記憶は、そこに貯蔵しておくことのできる情報の容量に限界がある。その上限として、情報の単位(チャンク chunk; 主観的な情報のまとまり)にして、魔法の数7が知られている。
なお、ここで、チャンクとは、見た目のまとまり、あるいは意味的なまとまりのことである。たとえば、次の例を見てほしい。いずれも、文字、数字1個を1つの情報単位と考えると、限界を越えてしまうが、なんらかのまとまりを形成してしまえば、苦もなく覚えることができる。このまとまりがチャンクである。魔法の数7は、チャンクで数えたときの限界数である。
(a) NECIBMSONYHITACHI
(b) 0293534613
(c) 100110011001
(d) やまだたなかきくちすずきさとうたかはし
チャンクを「主観的」まとまりと言ったのは、どのようなまとまりが作られるかは、人によって異なるからである。たとえば、(C)「100-1100-1100-1」のようにチャンキングする人もいるであろうし、「1001-1001-1001」のようにチャンキングする人もいるであろう。このようにチャンキングの多くは、その人が長期記憶に貯蔵している知識に依存して「主観的に」決められる。
短期記憶では、入力された情報を頭のなかで(時には口に出して)リハーサルしながら、長期記憶に貯蔵されている知識を使って、処理目的にふさわしい符号化を行う。たとえば、覚えにくい言葉を覚えるときに、何度も何度も頭のなかで、あるいは口に出してその言葉をリハーサルする。そして、リハーサルしながら、たとえば、「メンタルモデル」なら、「メンタルは心的」、「モデルは仮説に類似したことば」、といったように、覚えるべきことばに対して長期記憶のなかにある知識を結びつけていく。これが符号化であり、こうしたりハーサルをただ言葉を繰りかえす維持リハーサルに対して、精緻化りハーサルと呼ぶ。この符号化の結果は、再び、長期記憶に転送され、符号化するときに使った知識と結びつけて貯蔵される。それによって、長期記憶の知識が活性化され、さらには更新される。
長期記憶では、短期記憶で符号化された情報を、既存の知識のなかに再び取り込み、長期間にわたり保存する。知識は、必要に応じて、検索されて、短期記憶に転送される。長期記憶での保存容量は、ほとんど無限、保存時間もほぼ永久的と考えられている。情報の圧縮や統合が絶えず起こるからである。百のことばで説明されたことが、たった1つの専門用語で簡単に置き換えられたり、似たことばが1つにまとめられたり(概念化されたり)することによって、保存スペースの節約がなされ、かつ保存の長期化---正確には更新---を可能としている。
半永久に情報が保存されているとすると、われわれが日常的に経験している忘却は、どのように考えればよいのであろうか。最近の記憶心理学の支配的な考えは、忘却が起こるのは、情報が消失してしまったからではなく、検索手がかりの不足や、速く思い出さなくてはといったようなストレスなどのために検索に失敗したからとされている(検索失敗説)。
●注意--知の資源
認知のアーテクチャーの一つとして紹介した情報処理モデルの中で、短期記憶に注意が注がれている部分があった。注意も、家のたとえを使うなら、家族全体が有する資産のようなもので、これが家族メンバー(知識と知力)の今現在の活動に強く影響している。
すなわち、注意が適切に配分されれば、短期記憶の働きは1時的ではあるがパワーアップするし、注意が不適切に配分されれば、パワーダウンしてしまう。
その注意の特性の際立った点を2つ挙げておく。
1)受動的面と能動的面とがある
大きな音がすれば注意は自然にそちらに向けられる。これが注意の受動的な面である。環境の中にある際立った対比は注意を引きつける。
これに対して、興味関心のあるものに意図的に注意を集中することもできる。これが注意の能動的な面である。何に注意するか(選択)、どれくらいの注意を注ぐか(配分)、どれくらいの期間、注意を向けておくか(持続)が「ある程度までは」自分でコントロールできる。
2)感情状態と密接な関係がある
おもしろいものには注意が注がれ続ける。びっくりすると注意が乱れる。気分が沈んでいると注意も散漫になる。緊張は注意を持続させる。
このように、感情状態は注意と密接な関係がある。特異な感情状態を作り出すストレスや動機づけは、注意に強い影響を及ぼし、ひいては、短期記憶での情報処理にも影響が出てくる。
●メタ認知---知の世界のモニタリングとコントロール
知のアーキテクチャーとしてやや際物であるが(注&)、最後に、図中にあるホモンクルス(homonculus)の機能にかかわるメタ認知についてふれておく。
人は誰しも自分の心について内省することができる。この内省という行為を支えているのがメタ認知である。
メタ(meta)とは、「後からafter」「越えてbeyond」「一緒にwith」
を意味する接頭語である。メタ認知も、認知が成立した後から、認知を越えて、認知と一緒に出現する。
もう少し具体的に言うと、メタ認知は、認知機能のモニタリング(監視)とコントロールのために次の4つの形で機能している。
○自己モニタリング
1)自分は何を知っているか(知識のメタ認知)
2)自分は何ができるか(能力のメタ認知)
3)自分の今現在の心はどうなっているか(認知状態の認知)
○自己コントロール
4)どのように心を働かせるのが最適なのか(心のコントロール)
いずれのメタ認知も、いつも十全に働くわけではない。しかも、メタ認知力は、認知機能や認知能力と連動しているので、たとえば、幼児では十分に機能しない。
ただ、最近は、このメタ認知を教育訓練によって高めようという試みが、大きくは自己教育力の育成というような教育目標のもとで取り上げられているし、、具体的な試みの一つとしては認知方略訓練などの形で学習指導の中に組み込む試みがなされている。
2節 知識の獲得と運用
●異文化での知的活動を支えるもの
日本語学習者の認知活動の基盤はすでに完成しているし、意味的知識も十分である。見かけの認知活動は貧弱であっても、それは、もっぱら日本語についての知識の不足による表現不全と、生活体験の違いによるエピソード的知識の不足によるものでしかない。この点が、子どもの認知活動との大きな違いである。
いずれの知識不足も、比較的、短期間の意図的な学習によって克服することになる。
認知活動
日本語の知識 日本での体験
転移
言語的知識 エピソード的知識
母語 自国での体験
認知基盤
図1ー3 認知基盤とさまざまな知識と認知活動
●知識の獲得過程
既有知識のうち、日本語についての知識とエピソード的知識の獲得過程が問題となる。いずれについても、おおむね、次の3段階に分けることができよう。
段階1 自国で獲得ずみの知識を転移することで、それが可能な領域と不可 能な領域との判別をする段階。
成人の日本語学習者の初期学習を支えるものは、子どもの学習とは違って、豊富な既有の知識の転移である。
転移を保証するのは、新知識と旧知識との類似性である。一般には、新旧の類似性が高いほど転移は促進されるが、正の転移には付随的に負の転移(誤った学習)も発生することが多い。とりわけ、手続的知識の転移の場合、ほとんど無意識的に既有の不適切な転移をしてしまうことが多い。母語の発音を引きずった日本語の発音や、挨拶のしぐさのお国柄がその典型例である。
最も高次なレベルの転移は、類推である。ベース領域(旧知識)とターゲット領域(新知識)との知識要素間の対応、さらに、各領域での要素の構造間の対応を、それぞれの類似性に基づいて判断することで、一気にターゲット領域の知識を獲得する。たとえば、自国の政治体制の知識を使って日本の政治体制を理解できたとすれば、それは類推によるものである。
類推には、負の転移を導くリスクがあるが、それを補って余りある効率的かつ良質の知識獲得をもたらすことが多い。
ベース領域 ターゲット領域
(既有知識) (新知識)
転移
類似性 理解
理解したい
もの/こと
図1-4 転移の構図
段階2 スキルベースおよびルールベースの知識獲得の段階。
スキルベースの知識獲得とは、模倣を通して行なわれる反復連合による知識獲得である。「本」を見せて/ホン/と発音して真似させるのが、その例である。
ルールベースの知識獲得とは、一定の規約のもとで知識を獲得することである。典型は文法の獲得である。その他にも、連合による知識獲得の非効率さを補う形で、至る所で明示的あるいは潜在的なルールに従って知識獲得がなされる。ルールの獲得は、知識の汎化と言う形で確認される。
いずれにしても、この段階が日本語学習では、類縁の程度や生活する領域にもよるが、かなり長期間にわたりる知的努力が求められるところである。
最初は、負の転移の頻繁な発生によって、やがて、獲得すべき知識量の膨大さへの不安によって、何が何やらわけがわからないという感じを伴う知的不適応状態に陥ることもある。強い動機づけがあればこの状態から抜け出ることができるが、効果的な学習方略の指導も必要とされる。
段階3 バイリンガル状態で知識の運用が安定する段階
ビアリストクら(1994)でも言及されているように、未だ、バイリンガルの認知過程には不文明なところも多い。図1-**に示したマクロモデルで言うなら、次のようなことが問題となる。
一つは、言語固有の意味表象がありうるか。2章で取り上げられる言語相対仮説によれば、ありうることになる。
2つは、翻訳システムの介在の仕方である。初期段階でのその介在は完璧に意識的だが、バイリンガル状態では、その介在を少なくとも意識させないが、それは単に手続的知識になったためなのか、それとも、本当に(?)介在しなくなったのか。
3つは、上の2つと関連するが、母語と日本語との併存は、それぞれが意味表象も含めて完全にモジュール化されているのかどうか。
翻訳システム
母語 日本語
α 意味表象 β
図1-5 バイリンガルの認知過程
注*****
注1 命題とは、意味の最小単位であり、意味を命題の組合せとして表現できる。表象としての命題(命題表象)と、文の分析単位としての命題とがあるが、両者は、対応していると仮定されている。
注2 ホモンクルスの存在を仮定すると、必然的にそのホモンクルスのメタ認知がさらに仮定できることになり、仮定の無限後退が起こってしまう。その意味において、科学方法論的には「際物」ということになる。ただ、日常経験的はメタ認知の存在は誰しもが否定できない。それを記述してみようというのがメタ認知研究である。
*************************
文献
Bialystok、E & Hakuta、K(重野純訳)1994「外国語はなぜなか身につかないか---第2言語学習の謎を解く」 新曜社
*******290行******************
記
日本語教師のための心理学 新曜社
海保博之(筑波大学「心理学系」)
1章 知の心理学エッセンス
1節 知の世界を成り立たせているもの
●知識と知力---知の内容
●情報処理モデル---知の構造と機能
●注意--知の資源
●メタ認知---知の世界のモニタリングとコントロール
2節 知識の獲得と運用
●異文化での知的活動を支えるもの
●知識の獲得過程
概要*************
日本語学習者の知の世界を知るために役立つ認知心理学的な視点と基本的な知識を紹介する。まず、知の世界を成り立たせている機構と機能を、家とそこに住む人々というアナロジーを使って説明する。ついで、知の世界で中核的な役割を果たす知識の獲得過程について、日本語学習者の知識獲得を想定して考えてみる。
****************
1節 知の世界を成り立たせているもの
●知識と知力---知の内容
たとえば、「外国人が日本語を操る」ときに展開される知の世界を成り立たせているものを考えてみる。
まずは、日本語についての知識(宣言的知識)が必要となる。コップを前にして、「コップ」という語彙が知識として頭の中にないと、「コップ」とは言えない。
もっとも、そのためには、物としての「コップ」が、「コップ」であるとする認識の成立が前提である。その認識を支えているのが、コップの表象である。表象とは、外界についての抽象的なシンボル世界で、イメージや命題(注1)から構成されている。乳幼児では、表象の形成が未熟であるが、日本語を学ぶ外国人では、表象はほぼ完全に構築ずみと考えてよい。
知識と表象があっても、「コップ」と発声するためには、もう一つ、コップとその表象とを照合して、日本語の対応する語彙を引き出して、声帯を動かす力が必要となる。この力を支えているのが、手続的知識である。
手続的知識は、行為を支える暗黙かつ自動化された技能にかかわる知識である。俗に言う、記憶力や思考力など「---力」を支えている知識である。「cupをカップと言う」は宣言的知識であるが、コップを目の前にしてコップと言えるのは手続的知識があるからである。
母語の運用のほとんどは、手続的知識によって支えられているが、外国語の運用の初期段階は、理解、発話などすべての言語活動において、宣言的知識が支配的である。外国語の習得の主流は、宣言的知識の運用訓練を繰り返すことで、それを手続的知識とすることである。
宣 言 的 知 識
コップの絵--->命題表象 イメージ表象
丸い
硬い
凹んでいる
発話/コップ/<---- 手 続 的 知 識
身体的表象?
図1-1 知の世界を構成するもの
さらに宣言的知識と手続的知識とについて話を続ける。
宣言的知識は、エピソード的知識と意味的知識とに分かれる。エピソード的知識は、体験を通して身につける知識であるところから、体験知とも呼ぶにふさわしい。異なる文化では異なる体験をするので、我彼の知識は、この体験知において異質性が顕著になる。
これに対して、意味的知識は、普遍的かつ真理性基準を満たしているもので我彼の違いは程度問題に過ぎない。体験知に対応させて、これを論理知と呼んでおく。
手続的知識にも、「いかに--するか」というルールの形で提供されるルール・ベースの宣言的知識に基づくものと、モデル(師範)の模倣という形で提供されるものに基づくものとがある。いずれも、長期間にわたる、認知的および運動的な技能訓練を経ることが必須である。
●情報処理モデル---知の世界の構造と機能
知の世界を、家にたとえると、知識と知力が家族のメンバー、そしてこれからの述べる認知のアーキテクチャーが建物である。どんな建物の中で家族がどんな生活をしているか(機能)をみていくことになる。
建物にもいろいろあるが、ここでは、図に示す情報処理モデルに限定する。
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状況 感覚情報貯蔵庫 短期記憶 長期記憶
図1ー2 情報処理モデル
********
まず、感覚情報貯蔵庫から。
ここには、目や耳などの感覚器官を通して外から入力された情報が、ほぼそのままの形で、せいぜい500ミリ(1/2秒)くらいの非常に短い間、貯蔵される。パッと目をつむったときに脳裏に浮かんでくるボンヤリとした映像は、この感覚情報貯蔵庫からの情報に基づいている。
情報は、感覚情報貯蔵庫に飛び込んでくるが、普通の状態では、それらは、ほんの少しだけしか違わない情報なので、情報間の融合が起こり、一貫かつ連続した動きを伴った映像を体験できる。映画のように、1枚1枚は静止した連続絵を50ミリ秒くらいの間隔でどんどん見せると、なめらかな動きのある映像が見えるのは、このためである。しかし、非常に短い間隔で、異質な情報を次々に見せられると、情報内容間の干渉が起こり、ある情報が欠落してしまうこともある。これはマスキング現象と呼ばれている。
短期記憶は、感覚情報貯蔵庫から抽出された情報を高々20秒程度の間だけ、保存しておくところである。長期記憶は、短期記憶で一定の処理がなされた情報を、知識として長期間にわたり保存しておくところである。それぞれの処理特性を、さらに概観してみる。
短期記憶は、そこに貯蔵しておくことのできる情報の容量に限界がある。その上限として、情報の単位(チャンク chunk; 主観的な情報のまとまり)にして、魔法の数7が知られている。
なお、ここで、チャンクとは、見た目のまとまり、あるいは意味的なまとまりのことである。たとえば、次の例を見てほしい。いずれも、文字、数字1個を1つの情報単位と考えると、限界を越えてしまうが、なんらかのまとまりを形成してしまえば、苦もなく覚えることができる。このまとまりがチャンクである。魔法の数7は、チャンクで数えたときの限界数である。
(a) NECIBMSONYHITACHI
(b) 0293534613
(c) 100110011001
(d) やまだたなかきくちすずきさとうたかはし
チャンクを「主観的」まとまりと言ったのは、どのようなまとまりが作られるかは、人によって異なるからである。たとえば、(C)「100-1100-1100-1」のようにチャンキングする人もいるであろうし、「1001-1001-1001」のようにチャンキングする人もいるであろう。このようにチャンキングの多くは、その人が長期記憶に貯蔵している知識に依存して「主観的に」決められる。
短期記憶では、入力された情報を頭のなかで(時には口に出して)リハーサルしながら、長期記憶に貯蔵されている知識を使って、処理目的にふさわしい符号化を行う。たとえば、覚えにくい言葉を覚えるときに、何度も何度も頭のなかで、あるいは口に出してその言葉をリハーサルする。そして、リハーサルしながら、たとえば、「メンタルモデル」なら、「メンタルは心的」、「モデルは仮説に類似したことば」、といったように、覚えるべきことばに対して長期記憶のなかにある知識を結びつけていく。これが符号化であり、こうしたりハーサルをただ言葉を繰りかえす維持リハーサルに対して、精緻化りハーサルと呼ぶ。この符号化の結果は、再び、長期記憶に転送され、符号化するときに使った知識と結びつけて貯蔵される。それによって、長期記憶の知識が活性化され、さらには更新される。
長期記憶では、短期記憶で符号化された情報を、既存の知識のなかに再び取り込み、長期間にわたり保存する。知識は、必要に応じて、検索されて、短期記憶に転送される。長期記憶での保存容量は、ほとんど無限、保存時間もほぼ永久的と考えられている。情報の圧縮や統合が絶えず起こるからである。百のことばで説明されたことが、たった1つの専門用語で簡単に置き換えられたり、似たことばが1つにまとめられたり(概念化されたり)することによって、保存スペースの節約がなされ、かつ保存の長期化---正確には更新---を可能としている。
半永久に情報が保存されているとすると、われわれが日常的に経験している忘却は、どのように考えればよいのであろうか。最近の記憶心理学の支配的な考えは、忘却が起こるのは、情報が消失してしまったからではなく、検索手がかりの不足や、速く思い出さなくてはといったようなストレスなどのために検索に失敗したからとされている(検索失敗説)。
●注意--知の資源
認知のアーテクチャーの一つとして紹介した情報処理モデルの中で、短期記憶に注意が注がれている部分があった。注意も、家のたとえを使うなら、家族全体が有する資産のようなもので、これが家族メンバー(知識と知力)の今現在の活動に強く影響している。
すなわち、注意が適切に配分されれば、短期記憶の働きは1時的ではあるがパワーアップするし、注意が不適切に配分されれば、パワーダウンしてしまう。
その注意の特性の際立った点を2つ挙げておく。
1)受動的面と能動的面とがある
大きな音がすれば注意は自然にそちらに向けられる。これが注意の受動的な面である。環境の中にある際立った対比は注意を引きつける。
これに対して、興味関心のあるものに意図的に注意を集中することもできる。これが注意の能動的な面である。何に注意するか(選択)、どれくらいの注意を注ぐか(配分)、どれくらいの期間、注意を向けておくか(持続)が「ある程度までは」自分でコントロールできる。
2)感情状態と密接な関係がある
おもしろいものには注意が注がれ続ける。びっくりすると注意が乱れる。気分が沈んでいると注意も散漫になる。緊張は注意を持続させる。
このように、感情状態は注意と密接な関係がある。特異な感情状態を作り出すストレスや動機づけは、注意に強い影響を及ぼし、ひいては、短期記憶での情報処理にも影響が出てくる。
●メタ認知---知の世界のモニタリングとコントロール
知のアーキテクチャーとしてやや際物であるが(注&)、最後に、図中にあるホモンクルス(homonculus)の機能にかかわるメタ認知についてふれておく。
人は誰しも自分の心について内省することができる。この内省という行為を支えているのがメタ認知である。
メタ(meta)とは、「後からafter」「越えてbeyond」「一緒にwith」
を意味する接頭語である。メタ認知も、認知が成立した後から、認知を越えて、認知と一緒に出現する。
もう少し具体的に言うと、メタ認知は、認知機能のモニタリング(監視)とコントロールのために次の4つの形で機能している。
○自己モニタリング
1)自分は何を知っているか(知識のメタ認知)
2)自分は何ができるか(能力のメタ認知)
3)自分の今現在の心はどうなっているか(認知状態の認知)
○自己コントロール
4)どのように心を働かせるのが最適なのか(心のコントロール)
いずれのメタ認知も、いつも十全に働くわけではない。しかも、メタ認知力は、認知機能や認知能力と連動しているので、たとえば、幼児では十分に機能しない。
ただ、最近は、このメタ認知を教育訓練によって高めようという試みが、大きくは自己教育力の育成というような教育目標のもとで取り上げられているし、、具体的な試みの一つとしては認知方略訓練などの形で学習指導の中に組み込む試みがなされている。
2節 知識の獲得と運用
●異文化での知的活動を支えるもの
日本語学習者の認知活動の基盤はすでに完成しているし、意味的知識も十分である。見かけの認知活動は貧弱であっても、それは、もっぱら日本語についての知識の不足による表現不全と、生活体験の違いによるエピソード的知識の不足によるものでしかない。この点が、子どもの認知活動との大きな違いである。
いずれの知識不足も、比較的、短期間の意図的な学習によって克服することになる。
認知活動
日本語の知識 日本での体験
転移
言語的知識 エピソード的知識
母語 自国での体験
認知基盤
図1ー3 認知基盤とさまざまな知識と認知活動
●知識の獲得過程
既有知識のうち、日本語についての知識とエピソード的知識の獲得過程が問題となる。いずれについても、おおむね、次の3段階に分けることができよう。
段階1 自国で獲得ずみの知識を転移することで、それが可能な領域と不可 能な領域との判別をする段階。
成人の日本語学習者の初期学習を支えるものは、子どもの学習とは違って、豊富な既有の知識の転移である。
転移を保証するのは、新知識と旧知識との類似性である。一般には、新旧の類似性が高いほど転移は促進されるが、正の転移には付随的に負の転移(誤った学習)も発生することが多い。とりわけ、手続的知識の転移の場合、ほとんど無意識的に既有の不適切な転移をしてしまうことが多い。母語の発音を引きずった日本語の発音や、挨拶のしぐさのお国柄がその典型例である。
最も高次なレベルの転移は、類推である。ベース領域(旧知識)とターゲット領域(新知識)との知識要素間の対応、さらに、各領域での要素の構造間の対応を、それぞれの類似性に基づいて判断することで、一気にターゲット領域の知識を獲得する。たとえば、自国の政治体制の知識を使って日本の政治体制を理解できたとすれば、それは類推によるものである。
類推には、負の転移を導くリスクがあるが、それを補って余りある効率的かつ良質の知識獲得をもたらすことが多い。
ベース領域 ターゲット領域
(既有知識) (新知識)
転移
類似性 理解
理解したい
もの/こと
図1-4 転移の構図
段階2 スキルベースおよびルールベースの知識獲得の段階。
スキルベースの知識獲得とは、模倣を通して行なわれる反復連合による知識獲得である。「本」を見せて/ホン/と発音して真似させるのが、その例である。
ルールベースの知識獲得とは、一定の規約のもとで知識を獲得することである。典型は文法の獲得である。その他にも、連合による知識獲得の非効率さを補う形で、至る所で明示的あるいは潜在的なルールに従って知識獲得がなされる。ルールの獲得は、知識の汎化と言う形で確認される。
いずれにしても、この段階が日本語学習では、類縁の程度や生活する領域にもよるが、かなり長期間にわたりる知的努力が求められるところである。
最初は、負の転移の頻繁な発生によって、やがて、獲得すべき知識量の膨大さへの不安によって、何が何やらわけがわからないという感じを伴う知的不適応状態に陥ることもある。強い動機づけがあればこの状態から抜け出ることができるが、効果的な学習方略の指導も必要とされる。
段階3 バイリンガル状態で知識の運用が安定する段階
ビアリストクら(1994)でも言及されているように、未だ、バイリンガルの認知過程には不文明なところも多い。図1-**に示したマクロモデルで言うなら、次のようなことが問題となる。
一つは、言語固有の意味表象がありうるか。2章で取り上げられる言語相対仮説によれば、ありうることになる。
2つは、翻訳システムの介在の仕方である。初期段階でのその介在は完璧に意識的だが、バイリンガル状態では、その介在を少なくとも意識させないが、それは単に手続的知識になったためなのか、それとも、本当に(?)介在しなくなったのか。
3つは、上の2つと関連するが、母語と日本語との併存は、それぞれが意味表象も含めて完全にモジュール化されているのかどうか。
翻訳システム
母語 日本語
α 意味表象 β
図1-5 バイリンガルの認知過程
注*****
注1 命題とは、意味の最小単位であり、意味を命題の組合せとして表現できる。表象としての命題(命題表象)と、文の分析単位としての命題とがあるが、両者は、対応していると仮定されている。
注2 ホモンクルスの存在を仮定すると、必然的にそのホモンクルスのメタ認知がさらに仮定できることになり、仮定の無限後退が起こってしまう。その意味において、科学方法論的には「際物」ということになる。ただ、日常経験的はメタ認知の存在は誰しもが否定できない。それを記述してみようというのがメタ認知研究である。
*************************
文献
Bialystok、E & Hakuta、K(重野純訳)1994「外国語はなぜなか身につかないか---第2言語学習の謎を解く」 新曜社
*******290行******************
記