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会話---心を元気にする習慣づくり③

2009-08-31 | ポジティブ心理学
会話---仲間を元気にする習慣づくり③  
「会話を元気づけに活用しないのはもったいない」

● たかが会話、されど会話
この年になると、人と話すことがかなり減ってきます。とりわけ、大学の教員は、研究室があるので、誰も来なければ、一日まったく会話なし、といこともしばしばです。さらに、家では、妻と2人。とりたてて会話と呼ぶほどのやりともそれほどはありません(不仲というわけではありません。念のため)。あらためて会話不足の自分に驚かされます。
それもあってか、最近やけに会話のことが気になります。とりわけ、女性の会話上手がうらやましくてなりません。
テニスコートにいくと、ゲームをまっている間、楽しそうに会話しているのは女性だけ。男は、お互い離れて座り黙ってゲームをみているか、順番がくるまで一人散歩です。
昨日の暑気払いでも、女性だけでなにやら盛り上がっていました。
話すように作られている女性脳と、勝つことを志向するように造られている男性脳との違いなんて話もどこかで聞いた気がしますが、確かに、遺伝的な性差の一面ではないかとは思います。
しかし、これほどいろいろ意味で大切な会話。
女性の独占物にしておいてよいわけはありません。
心の元気づけという点で、すこし考えてみたいと思います。

●会話の3つの機能
 会話には3つの機能があります。
 一つは、心の中に溜まっていた思いを吐き出させる「カタルシス機能」です。話してすっきりした、聞いてもらってありがとう、という気持ちにつながります。
 2つは、「親しみを高める機能」です。会話の頻度と親しみとはほぼ比例関係にあります。
 3つは、「情報交換と発想触発の機能」です。うわさ話からビジネス上の情報交換、さらに研究上の発想触発まで多彩です。

 となると、会話は「仲間を元気にする」だけでなく、「頭」「気持ち」も元気にする、まさに総合的な機能をもっていることになります。
 一応、3部「仲間の元気づけ」に入れておきましたが、せっかくですので、会話の心の元気づけ機能を総合的に考えみたいと思います。
●  気持ちをすっきりさせる(カタルシシ機能)
 話すと気持ちがすっきりするのは、どうしてなのでしょうか。
 気持ちは、普段はストレートに表に出してはいけないことになっています。腹が立っても、ぐっと抑えなければなりません。うれしくて舞い上がっても、それを素直に表現してしまうと仲間からひんしゅくをかってしまうこともあります。
 気持ちの表出には、一般的にほどほどの抑制が求められます。だからこそ、たとえば、酒席や晴れの席、あるいは一人のときなどでは、「どうぞ、ご自由に」となります。
 あるいは、気持ちの言語化をします。気持ちを言葉にするわけです。そのための語彙がたくさんありますね。
ネガティブのほうなら、「悲しい、つらい、凹んだ、――――」
ポジティブなら「楽しい、うれしい、幸福、――――」
 言語化することで、気持ちの世界に閉じ込められたエネルギーが知的世界に転化されます。そして、暴れ馬が御者の手綱裁きによって動くような感じになります。
 言語化にも、内向的に行う場合と、外向的に行う場合とがあります。いずれにも、カタルシス機能があります。暴れ馬のたとえを使うなら、御者の制御のもとで、馬場を動き回るようなものです。
 内向的に行う言語化の典型が、日記です。日記に、思いのたけを書く、あれです。
 外向的に行うのが会話です。
 会話をカタルシスとして機能させるためには、いくつかの工夫が必要となります。
① 聞き上手をみつける
 会話は相手があってはじめて成立します。ましてや、自分の思いのたけを受け止めて気持ちすっきりとなるためには、それなりの相手でないとうまくいきません。
 それになりの相手とは、聞き上手ということになります。
あなたの言うこと(思い)を、じっくりと共感的に受け止めてもらえる相手です。
自分の場合は、妻がそんな存在だったときがあったように思います。
 あなたの場合は、どうでしょうか。
② 自分が聞き上手になる
 聞き上手の相手を求める前に、自分が聞き上手になってしまうこともあります。それが、相手に聞き上手の大事さを実感してもらえることになります。会話は、相互的なものです。相互的であることを無視する会話をする人が結構、多いのも事実です。できれば、そういう人は避けたいですね。
「賢さは聞くことに由来し、後悔は話すことに由来する」なんて格言もあるくらいです。

● 親しみを増す
① 会話の親しみの機能は、初対面でもう発生している
 前後左右、見知らぬ人に囲まれたところに着席したとして、すぐに隣の方に挨拶ができますか。
 あるとき、これをしなかったばかりに、食事中、ずっとだんまり、気詰まりな時間を過ごしたことがあります。
② 秘密を話す
「実は、――」は、親しみを確実に増します。
自己開示と呼ばれているものですが、一種の秘密の共有です。会話の楽しみの一つでもありますね。
 うわさ話もこの類になりますが、一番は、自分のことを開示するものです。
 自慢話もありますが、これは、要注意です。むしろ、「実は、この前、振り込め詐欺にあいそうになってね」といった類の失敗話のほうが、親しみを増します。
 
● 頭を元気にする
 会話の3つ目の機能は、会話のもっている知的機能です。
 もちろん、ここでは、これまで述べてきた会話とは、内容が違います。
 知的内容です。たとえば、
・ 夕べ読んだ本の感想
・ 今気になっていること
・ 日本の政治についての意見
テーマはいくらでもあります。
こうした知的内容について、あなたはどれくらい仲間や家族と会話しているでしょうか。
あるいは、そもそも、こうしたテーマについて、問いかける仲間や家族がどれくらいいるのでしょうか。
多くは、こういうテーマについては、議論、討論の範疇になります。ことあらためて、たとえば、会議の場でやることになります。
しかし、その手前で、お隣さんとちょっと休憩のときに会話してみる、ということもあってよいのではないでしょうか。
やや「重い」会話になります。会話の暗黙のルールからすると、やや違反めいたところがあります。しかし、そこから発想のヒントが得られたり、解決の糸口が得られたりすることがあります。
我々研究者にとって、学会の場がこうした役割を果たしています。



心の理論

2009-08-31 | 認知心理学
「心の理論」という心理学の研究領域がある。
3,4才の幼児を対象に、彼らが次のようなこと(心理)がわかるかどうかを調べるものである。  
幼児でも、他人が心を持っていることを理解できるかどうか、換言すれば、人の心についての理論(子供なりの考え)を持っているかどうかを調べようというのが「心の理論」研究である。  
3,4歳の幼児でも、そのことを言葉で表現することはできないが、心についての理論をすでに持っているらしいのである。  
だとすれば、人はかなり早くから、心についての自分なりの理論を作りはじめていることになる。  
参考
たとえば、子安 「心の理論」 岩波書店   
渡辺ら訳「子供は心理学者」福村出版

健康・スポーツ心理学科 近況報告

2009-08-31 | 健康・スポーツ心理学


大学の夏休みは、9月16日まで。
夏休みは、
川北先生は、バスケの合宿で、北海道、
出雲先生は、テニスの合宿で長野。
石崎先生は戸隠でこども野外キャンプ訓練。

心理関係は市村先生を中心に、ポジティブ心理学プロジェクト立ち上げ準備。
さらに、京都立命館大学での心理学会への出席。
私は、OCとAO入試。

夏休みとは、大学の先生にとっては、結構、多忙な時期。
こうした目に見える仕事のほかに、夏休みならではの仕事がある。
それは、研究。
まとまった時間がとれる夏休みこそできることなのです。
でも、研究している大学の先生って、さぼっている、なまけているように、外からはみえてしまうようです。


出口調査にあたった

2009-08-31 | 心の体験的日記
昔、一度だけ、朝日新聞の世論調査で電話があった
昨日は、NHKの出口調査にあたった
なんだかうれしかった

でも、ゆうべは、11時まで速報をみていたが、
一度も、自分の選挙区の結果がでなかった

不思議だったのは、開票結果が出る前に、出口調査だけで
当確がばんばんうたれること
大丈夫なのか
でも
それに協力できたのはうれしい

買い物券の配布

2009-08-30 | 心の体験的日記
区会班長の仕事で、買い物券を22枚
配布しなければならない
押印か署名が必要
一回で半分は終わった
2回めで残り5軒
3回目で残り3軒
4回目で残り2軒

結局2軒は、領収書を届けてもらうことに

はからずも、宅急便やさんの苦労を実感した

もう一つ、呼び鈴を押して、家の中に動きがあるのは、
外からでも実によくわかることわかった
空き巣ねらいができるのも、これだなー

あれこれ、学ばせてもらった3日間だった

●事例1「乗客サービスを優先してしまった」

2009-08-30 | 安全、安心、
●事例1「乗客サービスを優先してしまった」

「ブレーキの効きがいつもより良すぎたので点検していた。しかし、お客のイライラ、クレームに耐えきれず、点検を打ち切り発車したが、今度は効きが悪くなり、停止位置をオーバーしてしまった。」

●事例分析
 仕事をするとき「---すべし」という使命(Mission)に基づいて、自分なりの目標をたてます。そのとき、「安全に関する目標」と「運行に関する目標(「時間通りに」「乗客に気持ちよく」など)」とがあります。  

そして、通常は、安全の使命・目標の制約の中で、運行上の使命・目標を達成します。   
しかし、現場で運転している人の頭の中ではいつもこうなっているとは限りません。時には、運行上の使命・目標が安全の使命・目標の制約をはみ出てしまうことがあります。この時起こるのが、目標の取り違えエラーです。  
目標間に葛藤が起こるような状況では、「人に親切にしたい」「乗客や患者を喜ばしたいという優しい気持ち」「自分の力を示したい(自己顕示欲)」「自分の力を確認したい(自己有能感)」「業績を挙げたい」「競争に勝ちたい」と言った気持ちが出てしまい、こうした目標の取り違えエラーによる事故を引き起こします。

●使命の取り違えエラーへの対処  
そこで、使命の取り違えエラーをしないためには、まずは、こうした気持ちを押さえること、さらに、会社の使命に従って、自分の頭の中の目標管理をきちんとすることです。ただし、会社の使命がきちんと明示されていての話ですが。

具体的には、
○目標の階層を明確にして安全目標を運行目標の上におく  
例「手順通りの安全運転」が第一、「サービス」「時間通り」はその次
○具体的な目標を意識する  
例「安全第一」より「安全の法規、手順の遵守」    

休息――心を元気にする習慣づくり②

2009-08-30 | ポジティブ心理学
休息――気持ちを元気にする習慣づくり②

「心の元気は休息から」

● 長時間労働
まずは、日本社会での長時間労働の一端から。
・毎日12時間近くの勤務で、時間外の手当ては全くなく代休もないという状況
・25歳から35歳では、週60時間以上働く人は3割近くにのぼっている(リクルートワークス研究所HPより)
・有給休暇にいたっては、わずかに年に8.5日(厚生労働省による)
 バカンス王国フランスでは、なんと36日
・新入社員に対して、「10年間はたこ部屋だと思え」と檄が飛ばされる

「労働基準法では、1日8時間、1週間で40時間を労働時間の上限」というれっきとした法律がありながら、この有り様です。

さすがに、自殺者3万人超えが11年も続いたり、うつ病患者100万という推計が出されたり、子育て中の働く女性から悲鳴があがり、少しは長時間労働の見直し機運が出てきているようですが、まだまだです。
働くことは良いことですが、働きすぎは、それが仮に自発的なものであったとしても好ましいことではありません。ましてや、強制されての働きすぎは、あってはなりません。
そういうことをさせる雇用者は法律で罰せられるはずなのですが、どういうわけか、日本ではそういうケースがあまりにも少ないように見受けられます。

●心で心のことを知るのは難しい
 働きすぎは、肉体的な疲労と精神的な疲労をもたします。
肉体的な疲労は、比較的自覚しやすいし、生理現象なので自分でもわかりやすいのですが、心の疲労となると、自覚が難しくなります。その理由について、少し長い余談になりますが、考えてみたいと思います。

まずは、構造的に、心の疲労に限りませんが、心で起こっていることを心で知ることは、難しいということがあります。
心理学を内省(みずからの心の中で起こっていることを報告させる)されたデータに基づいて作り出そうとする試みは、心理学の100年の歴史の中でさまざまな工夫のもとで行われてきました。
心のことは、心が一番よく知っているはずとの思いからなのですが、しかし、そのいずれも、限界につきあたってしまい、心理学の研究法の本流にはなりないままです。
しかし、まったく内省ができないわけではないのは、誰しもが知っていますし、内省の限界もまた誰しもがそれになり悩まされているところでもあります。
さらに困った心の現実があります。
それは、心の働きには、
何かをすることを志向する心(仕事志向マインド;task-oriented mind)と、
心が何をしているかをモニターする心(心志向マインドmind-oriented mind)
とがあることに由来します。
普通は、その心の働きの2つが、状況に応じて、一方の心が7なら他方は3というように配分のもとで働いています。
たとえば、今、この原稿をワープロで打ち込んでいますが、その仕事のほうに心は7くらい、残りの3は、あとどれくらいの時間、この仕事ができるかどうかとか、どうも今日は調子に乗れないなーとか考えています。前者が仕事志向、後者が心志向の働きになります。
ところが、心が疲労してくると、この配分がうまくいかなくなり、心志向マインドが機能しなくなってしまうのです。つまり、心の疲労を自覚できなくなってしまうのです。
かくして、心が壊れるまで働いてしまうことになるのです。
だから、法律で規制してでも、働きすぎないようにしているのです。

●休息のさまざま
仕事には、多かれ少なかれ、無理があります。持てる力を目いっぱい使います。アクセル全開で突っ走っているような感じですね。 

そんなときに、休息は、ガソリン補給のような役割を果たします。
その休息には、まず、積極的(アクティブ)なものと、受身的(パッシブ)なものとがあります。
 積極的な休息とは、たとえば、趣味活動のように、仕事とは別の領域で、それなりに楽しいことを一生懸命にやることになります。
 受身的な休息とは、たとえば、ごろ寝のように、心身をリラックスさせることになります。

もう一つ、休息分類軸として、短期の休息か長期の休息かがあります。
短期ー長期の区分けは、ここでは、一日8時間の間の休息を短期、それ以上を長期くらいの区分けでいきます。


* *************
    アクティブ
ラジオ体操   サバティカル
        
短期――――――――――長期

昼寝         病欠
    パッシブ

休息の分類とその例
*********************

さらに、どこを休めるための休息かがあります。
肉体的な休息か心の休息かですね。
いずれの休息もそれなりに大事になります。以下、こうした休息を心の元気という点から効果的にとるための方策を考えてみることにします
 
●心の休息を効果的なものにするには
 心の休息にも、頭の休息と気持ちの休息とがありますが、実際にはそれほどはっきりとは区分けできないので、ここでは、一緒に考えておきます。

①多彩な休息を用意しておく
前にあげた図にあるような休息をできるだけたくさん用意しておいて、TPOに応じて取れるようにしておくのが良いと思います。

②休息をスケジュール化しておく
 前に述べたように、心が疲労してくればくるほど、心の疲労に自分で気がつけなくなってきます。
 そこで、たとえば、10時になったら、コーヒーを飲む、1週間に3回は、ウオーキングをする、というように、休息するTPOを、あらかじめ決めておくのです。これによって、過度の疲労を防ぐことができますし、その時々で、自分なりの心の疲労の自覚ができます。

③仕事を持ち込まない
 私事になりますが、土日に10人くらいの仲間とテニスをしています。たぶん、暗黙のルールだと思いますが、お互いにどんな仕事をしているかは、ほとんど話しをすることはありません。
 ところが、それでもおかしいのは、しばしば、携帯電話がかかってきて、ゲーム中止ということが起こります。だいたい決まった人ですが、こういうのは、上手な休息とはいえませんね。
 もっとも、しょっちゅう、携帯電話している人が1人いますが。

 、

夏が終わる

2009-08-29 | 心の体験的日記
先日の会合
かなり年配の先生のあいさつ

もうこの背広、
着る機会もないだろうと思って処分しようと思った

そうなんです。
自分はそれほどの衣装持ちではないのだが、
それでも、この夏、クリーニングに昨年だしてまだ
きていない背広が
それも、ダブルで高価(だったはず)なものばかり
そういう背広を着ていくところが減った証拠

お年寄りが、ときには、場にふさわしくないほど立派な格好をしているのを
見かけることがあるが、
たぶん、もう一回きて、もう一回きて ではないかと思う

一度きればクリーニングにだすことになる
着なければ、かびが生えるかも

あれこれつまらない悩みで今、苦しんでいる(嘘)

1956年9月11日

2009-08-29 | 認知心理学
1956年9月11日。
ミラーは、この日をもって、認知科学の発祥の日として確定しているとの記述が、Gardnerの「認知革命」にある(p26)。この日を中日として、MITで開催された3日間のシンポジウムで、ニューエル&サイモンが、定理証明をする「ロジック・セオリー・マシーン」の発表し、チョムスキーが、「言語の3つのモデル」の概要を示したことを重視したからである。

さらに、「認知革命」からの引用。
私は認知科学を次のように定義する(ガードナー、1987翻訳年。
「認知科学とは、長い年月を経て問われてきた認識論上の問題に答えようとする、経験に基礎をおいた現代的な試みであり、特に、知識の性質、その構成要素、その源泉、その発展と利用にかかわるものである。」(p5)
 

領域固有性、状況 行動型ロボット

2009-08-29 | 認知心理学
領域固有性、状況 行動型ロボット

 見出しの3つの用語は、認知科学、認知心理学の成熟期1980年代のキーワードである。
 1970年代情報処理パラダイム全盛の中でも、人間の認知には、計算合理性ではとらえることのできない世界があることを示す研究が心理学者の側から散発的にではあるが、提出されるようになってきた。
 その一つは、思考の領域固有性である。論理的にはまったく同じ課題であっても、問題の表現を慣れ親しんだ日常的な場面に移すと正解できるようになる現象である。もっぱら、ウエイソンとジョンソンーレアード(Wason & Johnson-Laird 、1972)の4枚カード問題をめぐって一連の研究がおこなわれた。
 領域固有性は、その後、認知エキスパート研究においても広く検証されることになり、領域普遍な計算合理性を基本テーゼとしておこなわれてきた初期認知科学への強烈な一撃となった。



 1980年代になると、カーネマンとツバルスキー(Kahneman & Tversky1982)による社会的判断における固有のバイアス(ヒューリスティックス)の研究成果が公表されるようになると、この流れは勢いを増し、認知心理学の新たなパラダイムとして、状況的認知論を形成するまでになった。レイブとウエンガー( Lave &Wenger,1991)の認知エキスパートに関する仕事は、その集大成とも言えるものである。
 状況的認知論では、人間の認知を頭の外とのやりとりで捉え直す動きを作り出し、それは、必然的に、実験室的な認知から日常的な認知へと関心を向けさせることにもなった(たとえば、Neiser、 1982 )。
 人工知能も、こうした動きと呼応するかのごとく、ブルックス(B rooks、1986)が サブサンプション(包摂; subsumption)・アーキテクチャーと呼ばれる設計思想に基づいた行動型AIを開発した。センサーで駆動される複数のエージェント間の実行の優先順位に従って環境中を適応的に動き回る昆虫のようなロボットが開発されたのである。
 一方、1980年代中頃、もう一つの注目すべき動きが出てきた。それは、ラメルハートとマクレランド(Rumelhart and McClelland、1986)にはじまる並列分散処理(Parallel Distributed Proccessing)モデルである。さまざまな認知機能を脳の神経結合モデルとしてコンピュータ上で実現する、まったく新たな試みが爆発的に研究がおこなわれた

回想―――心を元気にする習慣づくり①

2009-08-29 | ポジティブ心理学
回想―――頭を元気にする習慣づくり①
「思い出話が元気を作る」
●回想療法
 高齢者用の心理療法、というよりケアー(介護、援助)技術の一つとして回想療法というのがあります。
 回想療法とは、過去の思い出を引き出して、高齢者の頭の働きを活性化し、さらに、過去を思い出させることによって、自分の人生の物語作りをさせようというものです。
 活性化とか物語作りという耳なれない言葉がいきなり出きましたが、これについては、のちほど説明することにして、話を続けます。
 自分も現在66歳。
 過去が忽然と思い出されることがあります。ほとんど何の脈絡なしに思い出すこともありますし、その時その場の何かに触発されて思い出すこともあります。
楽しい思いでもありますが、つらい、悲しい、思い出したくないことも思い出してしまうこともあります。
楽しい思い出は、気持ちを元気にしてくれますが、反対に、つらい思い出は気持ちを落ち込ませます。
できれば、楽しいことを思い出したいものですが、そう都合よくはいきません。
そこで、ここでは、もっぱら楽しい思い出の回想が、頭を元気にする話をしますが、その前に、つらい、悲しい思い出の回想はどうするかについて、先に一言述べておきます。
そんな回想はないのに越したことはないのですが、そんな思い出ごまんとあるはずです。そして、あるときふと脈絡なくそれが頭に浮かんできてしまいます。
でも、そうした回想も、実は、回想することで心が開放されるということもあります。無理にそうした回想を閉じ込めて思い出さないようにするよりも、むしろ思い出すことで、気持ちが楽になることもあります。そして、思い出すたびに悲しい、つらい気持ちがだんだん弱まって冷静に見つめることができるようになってくるところもあるはずです。
このように考えれば、回想も、プラスもマイナスも含めて、頭を元気にする心の働きとして活用していきたいものです。

● 回想ってどんなもの
記憶には、覚えこむ(記銘)、覚えたものを保存しておく(貯蔵)、保存しておいたものを思い出す(想起)の3つの局面があります。
回想は、想起の一つで、自分の昔々の経験(エピソード)を思い出すことです。
昔々のことを思い出すのですから、ちょっと前を思い出しのとは少し違っています。その違いのいくつか。
① 必ずしも事実が思い出されるわけではない
 一般的に思い出せる量も思い出した内容の正確さも、時間に反比例します。名前、場
所、エピソード、いずれも、昔になればなるほど思い出は曖昧になってきます。したがって、思い出せたとしても、どうしても不正確なものになってきます。
② 回想には一貫性がある
回想された内容は曖昧で不正確だとしても、思い出した人にとっては、それなりに一貫したものがあります。なぜかというと、一貫性があるように自分で記憶している内容を編集してきているからです。編集を促すのは、自分自身やあなたの周囲に常にいた家族などです。
 先ほど、「物語作り」という用語を使いました。記憶内容の一貫性のある編集とは、この物語作りと関係します。
③ 感情的な要素が入り混じっていることがほとんど
うれしいかったことや、反対に悲しかったこと、それも凄くうれしかったことや、反対に凄く悲しかったことがよく回想されます。
 回想されるのは、このように強い感情を伴うエピソードが多くなります。いたずらしてひどく叱られた思い出、艱難辛苦のすえ試験に合格した思い出などなど。
 ただ、その感情は、回想されるときには、客観的なものになっています。そういえば、あのとき、涙を流しながら喜んでいたなーとなります。
さて、ここが、回想療法に関係してくるのですが、心を元気にする回想内容は、言うまでもなく、ポジティブな感情を伴うエピソードになります。


●青年期は物語作りの混乱期
 ここで少しやや面倒で長に道草をします。でも、大事なことなのでちょっと我慢してお付き合いしてください。できるだけ、わかりやすく説明しますので。
 「あなたは何者?」といきなり聞かれても困ってしまうと思いますが、実は、中学生頃から、陰に陽に、こんな問に悩まされ続けているはずです。
・ 自分にはどんな才能があるのだろうか
・ 自分の性格は
・ 自分は人に好かれているのだろうか
 自分なりの世界(自我)が広く深くなっていく時期だからです。
 もとより「自分が何者?」かなんてビッグな問にただちに答が出せるわけではありません。でも、それが気になってしかたがないのが、青年期なのです。そして、青年期とは、その問の答を見つけるために、あれこれと格闘、葛藤する時期なのです。
 時には、使命感に駆られてのボランティア活動にのめりこんだり、時には、怠惰で自堕落な生活にはまり込んだり、となります。こんな時、あなたは自分なりの一貫性のある自分作り、つまり「自分物語作り」をしている最中なのです。
 青年期は、その「自分物語作り」が混乱しています。というより、いくつもの物語作りが同時進行しています。過去と現在と未来とが渾然一体となって進行します。
だから大変なのです。あまりの混乱ぶりに、心が耐え切らなくなってしまうことさえあります。その混乱が収まってくると、つまり、一貫性のある物語が出来上がってくると、青年期が終わりに近づいたことになります。

●頭を元気にする回想をする
 さて話を元に戻します。
 回想の一貫性の話でした。
 高齢者の回想は、青年期のこうした自分物語作りの経験も含めて、その時々でやってきた物語作りの経験の総まとめになります。一見すると、ばらばらな回想内容のようですが、
たとえば、今の自分をしあわせだと思っているひとは、幸せ物語を作りあげているエピソードを回想します。それは、たとえ、経験したときは、つらく悲しいものであっても、「あの経験があったからこそ今のしあわせがある」というように編集されることになります。

さて、では、どうすれば頭が元気になる回想ができるのでしょうか。
一つには、今現在が幸せと思えること、感じることです。
 幸せをと思う(幸福感)については、別のところで、大事なキーワードとして取り上げてありますので、ここでは、それほど深く考えずに常識的な意味でとっておいてください。
 なぜ、幸せ感なのか。それは、楽しい時には楽しいことが、悲しい時には悲しいことが思い出されるからです。これをポリアンナ原理と言います。
 もう一つは、幸せ物語を持つことです。
 自分の人生を振り返り、さらに、将来を見すえて、自分をポジティブな存在として自分なりに納得できることです。そのためには、幸せエピソードが必要になります。必要になれば、自然に思い出すことになります。
幸せ感と幸せ物語作りが幸せエピソードの回想を促すわけですが、実は、その逆もありえます。幸せエピソードの回想が、幸せ感をさらに強み、幸せ物語をもっと精緻はものにするのです。
つまり、幸せエピソードの回想は、幸せ感と幸せ物語と行ったり来たりきたりしているのです。この往復が大事になります。


  幸せ感    幸せエピソードの回想  幸せ物語

そして、こうした往復がどうして頭を元気するかは、おわかりですね。
往復ですから、どちらから出発してもかまいませんが、一番楽なのは、幸せエピソードの回想だと思います。これまでの人生を振り返って何かうれしかったことを一つでも2つでも思い出してみてください。だんだん幸せな気分になってくるはずです。
そして、自分をほめてやりたい気分になってきませんか。そこで、自分についての幸せ物語作りをするのです。「貧しかったけれども、お母さんはかわいがってくれた」「才能はあまりないと思うが、よくここまでがんばってきた」などなど、物語といってもそれほど大げさなものを考える必要はありません。自分の誇れるところをつないでいけばいいのです。
こうした好循環を促すのが、思い出品です。写真、表彰状、あるいは給料明細など。自分の場合は、自著です。そんなものを時折、引っ張り出しては、幸福回想にひたってみるのです。
 思い出すのは、頭の働きです。その働きが活発になします。それはとりもなおさず、頭が元気になることにほかなりません。
 

お盆後、回復、ならじ アクセス数解析

2009-08-29 | Weblog
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2009.08.25(火) 3286 PV 582 IP 1009 位

漸減傾向、止まらず
9月入り、一気回復を期待
たんたんと更新します

愛読感謝です

理香ちゃん映像と風景は桜氏提供
ありがとうございます