心の風景 認知的体験

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1月30日の閲覧数の時間分布

2013-01-31 | Weblog

午前
時間 閲覧数
0 時 81 PV
1 時 73 PV
2 時 124 PV
3 時 106 PV
4 時 82 PV
5 時 84 PV
6 時 89 PV
7 時 90 PV
8 時 65 PV
9 時 85 PV
10 時 123 PV
11 時 130 PV
午後
時間 閲覧数
12 時 115 PV
13 時 86 PV
14 時 121 PV
15 時 76 PV
16 時 100 PV
17 時 114 PV
18 時 97 PV
19 時 160 PV
20 時 95 PV
21 時 90 PV
22 時 97 PV
23 時 69 PV


宅配

2013-01-31 | 心の体験的日記
やたら宅配広告が目に付く
利用したい気持ちがあるから

きょうの郵便うけ
なんと釜飯の宅配
しかも我家のすぐちかく

我が団地の年齢構成
60歳代がピーク
利用層がいるはず
電話1本でいいらしい
やってみるかなー
広告には食欲をそそる釜飯の写真がずらり
1000円代

じつは、冷凍もので1食ずつパックになっているものを
10食ほど購入してみた
まーまーいけるのだが、これを毎食はあきる


会話の3つの機能

2013-01-31 | わかりやすい表現
会話の3つの機能
 会話には3つの機能があります。
 一つは、心の中に溜まっていた思いを吐き出させる「カタルシス機能」です。話してすっきりした、聴いてもらってありがとう、という気持ちにつながります。
 2つは、「親しみを高める機能」です。会話の頻度と親しみとはほぼ比例関係にあります。
 3つは、「情報交換と発想触発の機能」です。うわさ話からビジネス上の情報交換、さらに研究上の発想触発まで多彩です。

田舎の高規格公園

2013-01-31 | 心の体験的日記
緑と水の豊かな田舎に突如、見事な公園がある
人っ子ひとりいない
それでも、実によく整備されている
田舎だから公園は不要とはいわない
しかし、立派な箱物と同じように思えてならない
これがこれからは、防災拠点名目で
さらにあちこちにできるのかなー
でも、間違いなく子孫のために形として残る
だからよいのかなー



あっはっは、自分の本を買うようにとアマゾンが言ってきました

2013-01-31 | 心の体験的日記
海保博之 様

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教育学の本









養護教諭のコミュニケーション―子どもへの対応、保護者・教師間連携のポイント
海保 博之

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大学の授業と教員

2013-01-31 | 教育
大学院を3年で中退して、先輩からの誘いで、25歳で徳島大学に助手として就職したのが、大学教員としてのスタートでした。その後、創設されたばかりの筑波大学へ移り30年、そして、こちらの大学ですでに7年。合計して45年という次第です。
 その間、ほぼ半世紀、大学も変わりました。
 一番の変化は、大学が教育機関へと変わったことだと思います。
 学生もまじめに授業に出席し、そして良い成績で卒業することを大学生活の第一義的な目標とするようになりました。
 先生方も、教育熱心になりました。授業案(シラバス)をあらかじめ作り、教室では趣向を凝らした授業を展開し、さらにFD(教員の授業研究会)や学生よる授業評価も義務づけられ、授業に熱心にならざるをえなくなってきました。
 これには、直接的には文部科学省の行政指導の大変化、つまり大学自治尊重から大学のあらゆることへの介入政策への転換が大きく影響しています。それまでの日本の大学の支配的風潮であった、研究重視にかこつけての(?)教育面のいいかげんさの放置を許さない政策への転換でした。
さらに、企業側からの、採用しても「使えない」新卒者が多いとの苦情への対応もありました。
 ・コミュニケーション能力のある学生を育ててくれ!
 ・グローバル人材を養成してくれ!
 ・やり気のある学生を育ててくれ!
というわけです。
 一方では、不易の部分もあります。
 それは、大学教員のメンタリティです。大学というれっきとした組織のメンバーではありますが、研究者としての独立独歩の世界が保証されていることからくるものです。それを象徴的に示すのは、個室研究室が与えられていることです。そこでの思索、探求活動への情熱が大学の生命線との認識は、たぶん、これからも不易な部分として残り続けるはずですし、そうあってほしいと思っていますが、
組織の少し上から眺めていると、ついつい、―――――。(笑い)

演習で発想力とプレゼン力と討論力を鍛える

2013-01-31 | 教育

●演習で発想力とプレゼン力と討論力を鍛える
昔の大学の演習は、原書講読だった。英語やドイツ語の文献や本を読むのである。今でもそのスタイルで演習をしている教員も結構いる。
筆者は、すでに25年前くらいから、そのスタイルの演習はやめている。演習は、専門の学習を通しての学生の発想力とプレゼン力と討論力の訓練の場にしたいとの思いからである。
こういうねらいの授業は、最近では、専門教育の中ではなく、教養授業の一貫としておこなわれようになってきた。結構なことである。しかし、もっと専門教育の中でも、専門知識の活用訓練とセットにしておこなうこともあってよいと思っている。ただ、ひたすら先生のお説拝聴スタイルから脱却するきっかけの場として演習を活かすのである。
この思いを実現すべく、あれこれ努力を続けてきたが、どうも今ひとつうまくいったという実感をもてないままである。筆者のこれまでのささやかな試みを紹介してみる。
「発想力」
「専門知識の過多は問わない。自分の頭を使って考えるように」をスローガンに、わかりにくい表現の具体例を発掘することを課題に課す。想定される具体例を報告することが多いが、時折、感心するような例を報告してくれることがある。こんな時は本当にうれしい。しかも、1学期より3学期のほうが、そんな時が多い。授業効果と勝手に思いこむことにしている。学生には力を発揮する場と方向性をうまく与えてやることの大切さを実感させられる。
「プレゼン力」
一番進歩が著しいのがプレゼン力である。回を重ねるごとにうまくなっていく。しかも、資料作りも、コンピュータを駆使して見事なものを作る。
アドバイスは次の3つ。
・最初に何を発表したいのかをはっきり言う
・口頭発表だけでなく資料(紙、OHP,パワーポイント)を用意す
 る
・資料の読み上げはしない
「討論力」
討論力は、質問力と応答力とからなる。演習で一番問題は、これである。学生の口が重くて、なかなか思いを口に出してくれないのである。
そこで、ここでも、斉藤孝氏の本から示唆を受けて、演習の授業の冒頭に、「質問遊び」をして、まずは、質問するにも技術があることを納得してもらうようにしている。
質問遊びとは、たとえば、一人が自己紹介をする。その内容について、3人が一つずつ質問をする。3人の質問が終わってから、そのうちから一つ、答えたい質問を選び、答える。これを繰り返すと、
質問にも質があることがわかってくる。それがわかってもらうだけでも大きい。それでも、ワンセンテンス質問を自発的にするくらいまでにしか到達しない。
討論力のほうは、手がつかない。最近の学生は、仲間とのつながりを大切にするので、甲論乙駁する討論のような危ない場には近づかない。丁々発止の議論を期待するのは無理。時折、挑発質問をするが、だんまりを決め込まれてしまうことが多い。今やってみたいと考えているのは、ディベート(debate)の導入である。

本のカバー

2013-01-30 | 心の体験的日記
本のカバーにはさまざまな趣向が凝らされている
このデザインで食べている人がいる

それだけに、カバーは捨てがたいものが多い
ネガポ辞典のカバーがあまりに素敵なので
目立つところに掲げてある

捨ててしまうと、本の魅力が半減
さらに、あとからあの本、というときの
貴重な検索手がかりになる

ところが、図書館では、このカバーを全部きれいに捨てる
だから、図書館の棚は暗く陰気

ここまで書いて、そういえば
公民館の図書は、カバー付きであることに気がついた

たかがカバーされどカバー である



マスクをとって!!

2013-01-30 | 心の体験的日記
耳が遠い
大事な会議などは、補聴器を使う
最近、インフル対策でマスク装着の人が多い
装着のまましゃべられると
聞こえないことが多い

補聴器、
電池の入れ替えが細かい作業でなかなかやりにくいのと
装着すると現実から隔絶される感じになり
できるだけつけない
これがまたときおり装着すると違和感をもたらす
しかしこれからは花粉の季節
マスクのまま話す人相手が多くなる
考えどころ



知的中間層の消失

2013-01-30 | 教育
まずは、ショッキングなデータから。
 Benesse教育研究開発センターが高校2年生4464人を対象におこなった勉強時間に関する調査データです。

偏差値45~55の中間層の生徒(人数割合で4割弱)の勉強時間が、1990年と比較すると(2006年時点)ほぼ半減しているのです。

現在では、さらに、状況がひどくなっているのは、文部科学省が勉学時間の保証を言いだしていることからもわかります。ちなみに、トップ層の勉強時間は高いレベルで変化がありませんから、知的格差が拡大していることになります。

これは、知的中間層の消失といってよいかもしれません。「経済的」中流層が解体されつつあるらしい昨今、「知的」中間層まで解体されてしまうとすると、日本、これはどうなるのでしょうか。

ただ、そうした層が、今、大学進学率を55%にまで押し上げているところもあります。そこには希望があります。彼らになんとか勉学の習慣をつけさせ、さらに、社会人として必要な知的基礎力を
つけて大学から送り出せれば、知的中間層の解体を防げます。

教員管理用の授業評価は危険]大学の授業

2013-01-29 | 教育

●教員管理用の授業評価は危険
授業評価をして、へたな授業をする教員とのレッテルを貼られてしまった教員はどうするか。
そこでFDが登場して、なんらかの改善方策が採られるのが王道である。
ところが、必ずしもそうはならないことが多い。自己努力だけを期待して、それでも悪い評価が続く時は、昇進や昇給で差別されるというようになると最悪である。
さらに、学生からの容赦のない評価に授業意欲を減退させてしまうようことも起こりうる。評価に弱いのは学生だけではない。
こうしたこと以外にも、学生による授業評価の短所もいくつか指摘されてきた。たとえば、
・評価が甘くなる
・最先端の内容より説明しやすい内容や学生に受けの良い内容し
 か取り上げない
 ・学生を厳しく訓練しなくなる
今はまだ導入時の混乱、戸惑い、不慣れなどがあるように思う。これが定着してくれば、評価結果の有効活用も期待できる。しかし、アンケート型の授業評価が授業改善のすべてではない。

●学生の反応を絶えずモニターする
自分の授業がうまくいっているかどうかは、その時その場での学生の反応を見ていれば、かなりのところまで自分でわかる。
寝ている学生が多ければ、授業が単調になっているのかもと疑ってみる。ちょっとざわついたら、板書の文字がわかりにくいのかもと疑ってみる。学生の目が輝いていれば、その話題は興味を引くことがわかる。
さらに、これも筆者がかつて試みたことであるが、授業評価ノートを回覧して、何かあれば書き込むようにさせた。単位取得に関する希望が多いが、中には、真剣に講義内容についての質問が書かれていることもあって、参考になった。
要は、学生の気持ちを理解しながら、授業をすることである。そのスタンスを陰に陽に、絶えず学生にメッセージとして伝えながら授業をすることである。そうすれば、おのずと授業改善のヒントが日々の授業の中から得られるはずである。そう思って、自分は毎日の授業をしてきた。

5年後に重要となると思う能力・スキル

2013-01-29 | 教育

社会人が5年後に重要となると思う能力・スキル「大学問題」

ベネッセの調査によると
ベスト3は、
1) プレゼンテーションスキル
2) 問題解決力
3) リーダーシップ
  いずれも、大学での学びに必然的に組み込まれている能力・スキルである。
  ただ、それが明示的ではないだけである。
たとえば、演習を考えてみよう。
テーマを与えられて、あれこれ調べる。それを皆の前で報告する。これによって、
プレゼンも問題解決力が身に付く。
さらに、演習の運営を学生にまかせれば、リーダーシップの訓練にもなる。
だから、大学は、学問を学ぶ場でいいのだ。
それを真剣にやれば、おのずと、社会人として必要な能力・スキルが養えるのだ。
しかも、それが豊かであればあるほど、将来の転移可能性は高いのだ。
いたずらに、直接、プレゼン力や問題解決力を養うような訓練は、表層的なものに終わってしまうであろう。


授業評価をしてもらってわかったこと]大学での授業」認知と学習の心理学

2013-01-28 | 教育
●授業評価をしてもらってわかったこと
 筆者は、30年前、同じ内容の教職の授業を週4コマやっていた時、自分の授業で自分の講義についてのアンケート型の評価を実施してみたことがある。その結果が、図中に示されているグラフである。

図 専攻別授業評価の結果

 個別の項目の結果はさておき、興味深いのは、同じ内容の講義でも、対象学生によって評価が異なることである。しかも、板書のようなかなり客観的に評価できるものでも、対象学生によって評価が異なっている。

 教育心理学の中に、教授法の効果は、子供の適性によって異なるとするATI(Aptitude Treatment Interaction;適性処遇交互作用)という概念がある。筆者が得た結果は、まさにそれを授業評価の場で実証した形になっている。

 この結果をみて、「紺屋の白袴」を痛く反省して、以後は、クラスによって少しずつ内容や講義の仕方を変えるように心がけたことがある。