05/11/6海保博之
8章 コンピュータ・ゲームで楽しむ
8.1 書斎でのひそかな楽しみ
●一人こっそりマージャンゲーム
●昔覚えた遊びの復活
8.2 手軽さ
●遊ぶのに努力がいる
●遊びの面倒さこそ大事
●コンピュータゲームは子供にさせるな
8.3 即応性
●反応があるのはうれしい
●人間になじむ即応
8.4 上達する
●仕掛けを知る
●頭の使い方の上達
8.5 コンピュータゲームに熱中させるもの
●達成感
●」挑戦心
●集中力
●コントロール感
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8章 コンピュータ・ゲームで楽しむ
8.1 書斎でのひそかな楽しみ
●一人こっそりマージャンゲーム
書斎に入ると、まずは、コンピュータを立ち上げる。そしてまずやることは、HPにその日の「認知的体験」を書くことと、麻雀の一人ゲームである。
1回およそ10分。これで頭をならしてから、おもむろに仕事にかかる。しかし、書斎を出るまでに、1回のゲームで済むことは、実はまれで、原稿が書けなくなってしまったような時、一段落ついて次の仕事にかかる時などにも、つい、ゲームのファイルをクリックしてしまう。時折、家内に見つかり、ばつの悪い思いをすることもある。
●昔覚えた遊びの復活
麻雀は大学生時代に覚えた遊びである。今考えると、よくあれほど暇な時間があったものと、びっくりする。しかし、友人4人とのゲームは実に楽しかった。さすがに、就職してからこれまでは、まったくしなくなった。時間もないし、仲間もいない。
それが、ある日、大学院生からコンピュータで麻雀ができることを教えてもらってからは、ほとんど日課の遊びになったのである。
いつでもどこでもできる一人麻雀ではあるが、それでも、自分なりにルールを決めて自己規制はしている。そうしないと、際限がなくやってしまう不安があるからである。そのルールは、「半チャン一回だけにする」「特定のパソコンだけでする」である。
それでも、このルールを破りたい誘惑にかられてしまう。ルール破りをして自己嫌悪に陥ってしまうことも、これまで何度となくある。
それほどまでしてやってみたいと思わせるコンピュータ・ゲームの魅力はなんであろうか。3つ取り上げて、分析してみることにする。
コラム「麻雀救国論」*******
日下公人氏は、文藝春秋(05年8月号)のコラムで、「麻雀には運と理論とスピード(リズム)とがある」として、その効用を論じたあとに、こんな提案をしている。
1)少子化対策には麻雀を
結婚しないのは伏せてあるパイをあくまで測定しようとするから婚期を逃してしまう
2)理論倒れを防ぐには高校から麻雀を
理論やデータが集まってからでは遅い。運にかけることも必要。
3)公務員試験にも麻雀を
自分がプレーヤーになってやってみなければわからない。
4)政策立案者はリズムがよい人にせよ
物事を決めるには、待ったや早あがりなど複雑なリズムがある。
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8.2 手軽さ
●遊ぶのに努力がいる
4人麻雀で一番苦労するのは、4人目を誘うこと。不思議に3人までは簡単にそろうのだが、4人目を見つけるのが難しいことが多い。遊びたい一心であちこちに頼み込むことになる。
ところが1人麻雀には、こうした煩わしさがない。やりたいときに誰になんの気兼ねもなくできる。
努力しなければならない遊びも世の中にはたくさんある。人集め もそうだが、わざわざ一定の場所までいかなければできない遊び、精巧な道具をそろえなければならない遊びなどなど。
それにくらべれば、コンピュータ・ゲームのこの手軽さは驚くべきことといってよい。
●遊びの面倒さこそ大事
話がいきなり飛ぶが、この手軽さ、遊びに入るまでのさまざまな面倒が障害になって遊びに消極的になりがちな高齢者には、うってつけの遊びの環境を提供している。高齢者の持っている残存能力の維持にも有効だと思う。ポルノ映画を見せて元気づけるのもよいが、こうした知的ゲームで頭を使ってもらうこともぼけ防止の対策としてあってよい。なぜ、ゲームメーカーはもっと高齢者向けのゲームソフトを開発しないのだろうか。市場としてはこれからどんどん拡大一方なのに。不思議でならない。
脳の活性化と称して、毒にも薬にもならない単純計算を高齢者にさせて喜んでいる現状にはなんともはがゆい思いである。
●コンピュータゲームは子供にさせるな
それに対して、子供がこうした手軽なコンピュータ・ゲームで遊ぶことにはまったく賛成できない。全面禁止にしたいくらいである。
遊びに友達をさそう。ことわれれる。落胆する。それでも別の友達に声をかけてみる。そうした過程で培われる社会的スキルは、子供が将来生きていくには必須である。
ゲームをする中でのさまざまな社会的交流も、遊びならではのものがある。勝負を競う遊びなら、勝つ喜びと同時に、負けた相手を思いやる気持ち、相手を出し抜く戦略を編み出すための知力も陶冶できる。
すべて手軽ではない。しかし、子供にとっては、この手軽でないさまざまな面倒こそ、学びの恰好の機会であり素材なのである。
こんな懸念もなんのその、ゲームメーカーは次々と新手のゲームを開発しては、子供の心を虜にしている。こんなことをしていると日本の将来が危ういとさえ思ってしまう。杞憂にすぎないことを切に願うものである。
8.3 即応性
●反応があるのはうれしい
クリックすると、ただちにコンピュータのほうからの反応がある。その反応速度は、人間の時間感覚からすると、はるかに速い。その早さに促されるようにして次の手を打つ。いつもコンピュータのほうから反応を催促されているような焦燥感さえ感じてしまうほどである。
オペラント条件づけの原理を応用したプログラム学習を開発したスキナーは、いくつかの学習原理を提案している。その一つに、即時強化の原理がある。学習者が何か回答したら、それに対して即座に正しいか誤っているかをフィードバック(強化)せよ、という原理である。
コンピュータ・ゲームには、意図的か否かはわからないが、この即時強化の原理が実に巧みに作り込まれているのがわかる。
相手が当たりパイを捨てれば、ただちにロンと表示される。その瞬間がたまらない。これが、捨ててからロンまで何秒かたったらどうであろうか。気が抜けてしまう。
即時強化の原理には、学習、遊びを継続させる強い力がある。次の強化を得たいがために次の反応を、そしてまた次の強化を得たいがために次の反応を、−−−−−という、継続性のある反応を促す強力な仕掛けになっている。
●人間になじむ即応
しかし、4人麻雀でのゆったりしたり、あせったりといった、あの人間的な時間のオーダーは一人麻雀にはない。次々とパイを捨ててはその結果をみるだけである。楽しみは、ほんのわずかな戦略上の工夫と偶然性の妙だけである。麻雀はそれだけでも充分に楽しい。
それはそれで結構なのだが、即応性にも怖いところがある。
コンピュータ・麻雀では自らの手を決めるまではどれほどの時間をかけても文句は言われない。それはそれでありがたい。問題は、ひとたび行為をすると、それに対してただちに反応があることである。その「ただちに」は、コンピュータの時間オーダーであるナノ秒(10億分の1秒)とはいわないが、ほとんど瞬時なのである。
人間に備わっている時間オーダーでは、瞬間とは20ミリ秒(1000分の秒)程度である。20ミリ秒ずらして、左右に何かをみせると、両者がほぼ同時に出たかのように見える。
実際は、何かの反応をしてから(継時的に)次の反応が出てくるのが自然なのだが、反応するとほぼ同時という感じでコンピュータが反応してくるのは、非常に不自然である。したがって、疲れる。
しかし、考えてみると、我々は、果てしなくスピードを追求してきた。
**図
歩くよりも速い馬、馬より速い蒸気機関車、それより速い
飛行機 エスカレータの速度
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コンピュータもまったく同じである。かつては、反応が遅くていらいらさせられた。因子分析という複雑で大規模な計算は、一晩がかりだった。それが、今は、秒単位で結果が出てくる。
速いことはそれほど悪いことではない。むしろ、うれしいことのほうが多い。しかし、コンピュータとのつきあいをより人間的なものにすることを志向するインタフェース設計では、人間の時間感覚のオーダーにコンピュータの反応のオーダーを合わせることがあってもよいかもしれない。コンピュータ側に少し待ってもらうくらいのインタフェースである。そんな時代になったのである。
8.4 上達する
●仕掛けを知る
コンピュータ・ゲームの魅力のその3は、上達である。
麻雀ゲームは、基本は、乱数ベースで全体が進行しているようであるが、その中にも、プログラマーによるいくつかの仕掛けがあるらいしきことがわかる。たとえば、捨てパイがおしくなる配パイがなされるとか、かんちゃん待ちのあがる確率が高いとか。こうしたシステムのくせがわかってくると、あまり負けないですむ。したがって、今では、3回に1回くらいはトップになれる。
もちろん、こちらの戦術上の進歩もある。いずれにしても、ゲームをすることでゲームに上達しているという感覚を持てるのはうれしい。それがさらなるゲームの継続を動機づける。かくして、いつまでたっても止められない。止めるつもりもない。
●頭の使い方の上達
上達には、運動技能の上達の意味で使うことが多い。しかし、目に見えないため、そして、無意識の世界で事が進行しているために見落とされることが多いが、認知技能(頭の使い方)の上達もある。麻雀ゲームの上達はこちらのほうである。
運動技能の上達については、次章「テニスが上達しない」でじっくりと考えてみる。むろん、両者には共通するところも多いが、ここでは、覚えたり、考えたり、判断したりといった認知技能の上達について考えてみることにする。
コンピュータの麻雀ゲームは、自分の場合は、すでに4人ゲームで腕を磨いていたので、特別に上達したということはない。せいぜい、コンピュータ側のいくつかの仕掛けに対して対応することができるようになってきたに過ぎない。
しかし、4人でする本物の麻雀ゲームは、パイの名称から始まって、ルール、点数の数え方などまずは膨大な量の基本知識の記憶が必要とされる。にもかかわれず乱暴なことに、ごく基本的な事だけを教えてもらうとただちに実践である。当然、負ける。それがバネになって寝ても覚めても麻雀のことばかり考えている。したがって、上達も速い。ともかく、勝ちたいの一心である。動機づけは上達の原動力である。
そして仲間との実践(遊び)の中で学ぶことの凄さ。仲間とのやりとりの中で、その時その場で必要な知識を頭にたたき込んでいく。わからなければ聞く。教えてくれない時は場の中で自得する。そして最終的には、相手をたぶらかす言動などかなり高次の技能まで一気に自得することになる。
たかが遊び、されど遊びである。ここで習得した知識と技能を列挙してみたらゆうに一冊の本ができるのではないか。
その知識は、世の中にでても陰に陽に役立っていると思っている。
コラム「頭の中の知識の分類」***************
認知の科学は、知識の科学でもある。どのように知識を獲得し、貯蔵・更新し、さらに活用するかの科学である。
そこでは、知識を次のように分類している。
宣言的知識(——についての知識)
・意味的知識(一般性のある知識)
・エピソード的知識(いつどこで何があったについての知識)
手続き的知識(何かが出来ることーー技能——を支える暗黙の知
識)
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8.5 まだあるコンピュータゲームに熱中させるもの
コンピュータゲームの制作者は人の心を読む天才ではないかと思うことがある。こうすればユーザが喜ぶということを知悉しているかのごとく、ユーザを夢中にさせる仕掛けを次々と繰り出してくる。
それはさておき、さらにコンピュータゲームに夢中にさせる心理的な特性を挙げてもう少し考えてみる。この1割でも、教師が教材開発で使えたら、教室で子供はもっと授業に夢中になってくれるかもしれないとも思うからである。もっとも、子供はゲームでたっぷりとそうした趣向を経験ずみなので、ちょっとやそっとでは食い付いてこないかもしれないのだが。
さて、まずは、達成感から。マージャンゲームでも、「今日は勝つぞ」「今回は勝つぞ」という達成目標を立ててやる。一人マージャンでも自分にそう言い聞かせてからはじめるのがおかしい。
そして勝てば、してやったり、で気分が良くなる。負ければ気分は良くない。つい、もう一回、となりがちである。
ゲームやギャンブルには、勝ち負けという目標を立てられるので達成感も敗北感も簡単かつしっかりと味わうことができる。これが人を夢中にさせる。
さらに、敗北感が達成感をより一層際立たせる。負け続けてもそれはより高い達成感を味わうためのスパイスに過ぎない。かくしてギャンブル狂への道まっしぐらとなってしまう。
仕事ではこれほどはっきりとしかも短時間で達成感を味わうことはできない。へたをするとそれをまったく感得することができないままに終わってしまうことさえある。それを安易に補償するような機能がゲームやギャンブルにはある。
●挑戦心
達成感と挑戦心は、セットである。何かを達成しようと挑戦するからこその達成感である。挑戦心が強いほど達成感もある。
あまり達成目標が高かったり、あいまいであったりすると、挑戦心も湧きにくい。世の中の仕事の目標にはこんなものが意外と多い。しかし、コンピュータゲームでは、そのあたりが、実にうまく細工されている。
最終的な到達目標を知らせた上で、そこにたどり着くまでの目標に段階をつけるのである。まずは、ここまでがんばってみよう、というものをはっきりと見せるのである。それがクリアできたら次のより上位の目標をはっきりと示す。これなら、挑戦心もわく。
実は、これも、スキナーのオペラント条件づけから派生してきた行動形成の原理(逐次形成の原理)なのである。
図 逐次形成の過程
学校に行けない子供に、まずは、朝起きることができるようにする、次は食事をする、次は鞄に教科書などを入れる、次は、———というように、下位目標を一つずつクリアさせながら最終目標まで子供を導くのである。挑戦心と達成感とを巧みにコントロールする原理である。
この原理の巧みな点は、すぐそこに見える目標を達成するために挑戦心を刺激して、達成感を味わわせ、有能感をも高めるところにある。
即応性のところで、何かをするとただちに何かが起こる仕掛けについて述べた。この仕掛けは、集中力の持続にも極めて効果的である。
コラム「注意の3x2特性」******
人の注意の特性には、次に示すような特性がある。
○選択
「自己コントロールができる」(能動的側面)
例 ラジオの音声に耳を傾ける
「自己コントロールができない」(受動的側面)
例 大音響のするほうを思わず向く
○配分
「自己コントロールができる」 (能動的側面)
例 BG音楽を聴きながら勉強する
「自己コントロールができない」 (受動的側面)
例 携帯の内容のほうに注意が引き付けられる
○持続
「自己コントロールができる」 (能動的側面)
例 眠くなってきたので喝を入れて注意を持続する
「自己コントロールができない」 (受動的側面)
例 同じ作業を長時間すると注意が持続しない
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誰しもが悩まされるのは、注意が持続しないことである。仕事をしていても勉強をしていても、不本意に注意の集中力が低下してきて、能率が上がらなくなってしまう。
とりわけ、仕事や勉強が強制されたものであったり、興味関心がないものだったりすると、集中力はすぐに枯渇してしまう。
学校の1校時は、小学校では45分、中学高校だと50分、大学だと90分が普通である。授業を聞くような仕事だと、だいたいこのあたりが、注意集中の限界なのかもしれない。
しかし、コンピュータゲームでは、注意を絶えず引き付けておく仕掛けがあれこれたくさんあるので、飽きを感じないで済む。
その一つが、即応性である。何かするとすぐにそれに対する反応がある状況は、注意水準を絶えず高く保つのに効果的である。
2つは、画面の動き、変化である。絶えまなく何かが動き、新しい状況が出現する。それをとらえるのに、注意が必要となる。
3つは、動きと変化の偶然性である。予想しない動き、変化が注意をとらえる。
4つは、色彩の多彩さである。色は、原色や対比によって目立ちやすさを演出できる。目立つものには注意が引かれる。
コンピュータゲームが注意を集中させる仕掛けを挙げてみた。これにユーザのゲームに対する興味関心が加われば、おのずと注意が引き付けられて長時間にわたりゲームに熱中できる。
こうした仕掛けは、たとえば、教室で子供の注意集中を持続させたいような時に使うこともできる。ただし、これについては、コラムのような異論もある。
コラム「子どもに穏やかな学びの環境を」**********
ハーリー著「コンピュータが子どもの心を変える」(大修館書店)
よりの一節である。
———学習は確かに楽しいものであるが、同時に努力を伴うものであるということを忘れてはいけない。---色鮮やかなマルチメディアの世界に浸って「学習せよ」と子どもたちを奨励するのは、集中力と根気に欠ける精神を育成せよと言うに等しい。————
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さらに、不本意に注意を持続させると、ストレス状態になることもあるので要注意である。かつて、テクノストレスというのが話題になったことがある。コンピュータで仕事をする人々があまり長時間にわたり集中した状態で仕事を続けたために、気がついたらストレス状態になってしまったのである。ゲームだけでなく、コンピュータそのものが注意を集中させるものになっていたのである。
今では、コンピュータを使った仕事の労務管理が徹底してきて、強制的に休憩を入れるようになってきている。
コラム「ネット依存症」******************
オンラインゲームやチャットというのがある。自分ではしたことがないが、これにはまってしまい、四六時中それをしたり、
それが頭をはなれなかってしまうらしい。ネット依存症と呼ばれている。
朝日新聞(05/12/2付)によると、中国・北京での約1万5千人の若者についての大規模な調査によると、ネット中毒の徴候のある者は23.5%にのぼっている。
中毒症状がひどくなると、「現実よりネット上でより幸せを感じる」ようになり、遅刻、欠勤など日常生活に支障をきたす。
みずからで使用時間と場所に制約を課す以外に方策はない。
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キーを押してもマウスをクリックしても画面がまったく変化しないようなことが、筆者のコンピュータでは実によく発生する。再起動をかければ現状回復ができることを知ってはいるが、つい、あれこれキーを叩いては画面変化を期待してしまう。
何かをしても何も起こらない環境は実に気持ちが悪い。
人間の行為は、環境を変えるための道具である。したがって、行為をしたらその目的に従って環境の変化が起こってくれないと、気持ち悪い。
何かをしたら何かが起こる環境を、応答的な環境という。子供の有能感を育てるのに大事だとされている。泣いても誰も応答してくれない。すばらしいことをしても誰も誉めてくれない。悪いことをしても誰も叱ってくれない。こんな環境は考えただけでもぞっとする。
コンピュータゲームには、過剰なまでの応答的な環境が用意されているのは、これまでに述べてきたことからもおわかりと思う。
コラム「熱中体験」****
チクセントミハイ、Mの熱中(flow)体験をここで紹介しておく。フロー体験とは、慶應大学教授・鹿毛雅治氏によると「時の経過や体の疲れなどを意識せず、その活動以外のすべてを忘れ、その活動に完全に没頭するという主観的な状態」である。その特徴は次のように整理される。
・時間を忘れさせる ・迅速なフィードバック
・技能のアップ ・集中
・統制感 ・自己意識の喪失
・自己目的化 ・時間感覚の喪失
まさに、コンピュータゲームに熱中している状態が、これであることがわかる。これをゲーム以外の勉強や仕事で体験できたらすばらしいことになる。
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