05/12/16 「安全・安心の心理学」新曜社
危険情報活用力
———知は力なり
●大学ハザードマップの悲惨
昔在籍した大学は、理念的にも物理的にも外に開かれている。したがって、誰もが簡単にキャンパス内に入れるようになっている。ということは、必然的に犯罪も多くなる。そこで、ある時、大学当局が詳細なハザードマップを作り、HPや印刷物で公表して注意を喚起した。
ヒューマンエラーの授業で早速、ハザードマップ公表のことを話してみた。なんと9割の学生が公表の事実を知らなかった。残りの学生も公表のことは知っているが内容は知らないと答えた。内容までチェックした学生はわずか2名であった。
せっかくの危険情報がこれではまったく意味がない。もっとも、あまり危険を強調し過ぎて、若者の冒険心、挑戦心の旺盛さを殺ぐようになってしまっても困るが。
●まずは危険情報の収集が大事
一般に情報活用力と言う時には、情報の収集、編集、保持、運用の4つのフェーズがある。それぞれのフェースごとに危険情報活用力を高める方策を考えてみることにする。
まずは、危険情報の収集から。
危険情報の特徴は、そのほとんどが、マスコミ、教師、保護者さらに、仲間などからの間接情報というところにある。危険にみずからが遭遇することは極めてまれだからである。そこで、間接情報をどれほど自分に引きつけて収集できるかどうかが、ポイントになる。
前述の我が大学の例では、情報活用力の最初のフェーズがまったくだめなのだから、その後に続くフェーズも当然、機能しないことになる。
危険情報の収集は、お仕着せものではあまり役に立たない。通学路の危険性が指摘されるようになってからは、子どもと保護者、教師が一体になって、危険箇所の点検をして危険マップを作成するような試みが見られるようになったが、自分に引きつけて自分から情報を収集していくことが絶対に必要である。
そのことを支援するために、さまざまなメディアを使った犯罪、事故の告知、さらにそれらの発生現場には、道路でよく見かける「死亡事故発生現場」の看板のように、その旨を一定期間報知する仕組みがあるとよい。それ以外にも、いわゆるリスク・コミュニケーション(−>)に工夫を凝らす必要がある。
筆者はドライブが趣味である。しかし、事故を起こすのが怖い。そこで、新聞の最下段にある事故欄は必ず目を通すようにしている。事故原因にまで言及した記事は少ないが玉に瑕だが、それでも、何時頃、どんな状況で事故が起こったのかはわかる。これには、危険感受性を高める副次的な効果も期待できる。
●危険情報の編集
行政や警察がその地域の危険情報の網羅的な収集には一番適切な役割を果たせる。それを公開して個人的な危険情報の編集や保持に役立てなくてはなにもならない。
その点の認識が行政、警察にも、個人にもないように思えてならない。通り一遍の危険情報の広報や告知が多すぎる。もっと住民一人ひとりが自分に引きつけて読んでくれるような工夫をする必要がある。
たとえば、空き巣の具体的な手口をイラストで示す、被害の場所を地図で示す、被害者の声を載せる、効果的な対策を示すなどなど。
いずれにしても、そうした公共的な危険情報は、個人的な危険情報の収集の限界を越えた情報を提供してくれるので貴重である。両者を適切に組み合わせて編集することで、有効な知識として保持されることになる。
さらに情報編集力に抜きんでた力を発揮するマスコミに期待するところも大きい。いたずらに低劣な好奇心だけを刺激するような報道も多いが、次の危険を防止するという観点からの解説的な報道にも目を向けてほしい。その効果ははかりしれないものがある。
●危険情報の保持と運用
保持されている情報は、新しい情報を取り込むことによって更新されるが、一方、使われることによっても、どんどん新たに編集され内容が更新される。情報の取り込みと活用が、危険情報の有効な運用の決め手になる。
危険な現場で、頭の中にある関連情報が活用されることが一番であるが、頭の中の知識は、いつもそれほど都合よく引き出すことができるわけではない。
こうした知識運用のくせを考えると、一つには、前述したような、過去に発生した危険の現場に、その旨を告知、表示することが、一つの有効な対策として考えられる。それを見るたびに、関連知識が想起されることが期待できる。
さらに、危険が発生したら、その背景まで含めた解説情報を点検することである。ニュース解説でもよい。関連する本のざっと見でもよい。それによって、知識が高度化し、断片的な知識を体系化することができるからである。
危険は発生頻度が低い。したがって、この2つの方策だけでは限界がある。防災の日、交通安全週間などのように、危険について考える時間や日を定期的に設けることも、知識の活性化という点で効果がある。
さらに有効な方策は、危険予知訓練(=>)であるが、それについては、項をあらためて考えてみる。(K)