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安全カウンセリング

2021-07-10 | 安全、安心、
安全カウンセリング ———被害者も加害者もケアが必要
「安全・安心の心理学」新曜社
●心のケア
日本でもようやく心のカウンセリングが定着してきた。そして、その実践もいろいろの場所でみることができるようになってきた。臨床心理士の資格制度の発足や、1995年から、最初はいじめ問題への対処のため、以後は心のケア全般にかかわる問題に対処するために、学校現場にスクール・カウンセラーが、非常勤ではあるが、配置されたのが大きい。
学校や地域で何か事件、事故が起こると、「児童生徒、住民の心のケアのためにカウンセラーの派遣を」が今では定番になっているほどである。これらを安全、安心カウンセリングと呼んでおく。
安全、安心カウンセリングには、被害者の心のケアだけでなく、加害者の心のケアもある。交通事故を考えてみればわかるように、被害者も加害者も心に傷を負う。両方に癒しと回復が必要なのだ。

●カウンセリングとは
ところでカウンセリングとは何をするのであろうか。
定義的に言うなら、「カウンセラーとクライエント(相談者)とが、もっぱら言葉を介したコミュニケーションによって、クライアントの心の悩みを聞き、それへの対処を考ることで、心の回復を計る営み」となる。
医者とは違って、クライエントへの物理的な処方はしないし、できない。あくまで、言葉的なコミュニケーションだけでクライエントの心の回復を支援する。
カウンセリングのねらいは、その段階によってことなるが、次の2つになる。
一つは、自分自身で自分の心の傷(悩み)を知ることができるようにすること。身体の病気でもそうだが、なんでそんな状態になってしまったのかがわからない不安を抱えているのは、そのこと自体がさらなる悩みを生み出してしまう。不安の因って来る原因をカウンセラーと共に探る営みがまず必要となる。
2つは、クライエントが自分で自分の心がコントロールできるように支援すること。心のコントロール不全は、とりわけ感情の領域では誰にでも頻繁に起こる。それだけに、その自己コントロールの方策を誰もが体験的に身につけていて危機的な状況にならないようにしている。クライエントは、その自己統制力を一時的に喪失して感情に流されて日常生活に支障をきたしている。これを回復させるのを助けるのである。そのためにのさまざまな心理療法***注1 や方策が考案されている。

●被害者の心のケア
被害者や家族や周辺の心身へのダメージは推測するに余りあるものがある。それだけに、周囲からの安易な同情は慎むべきだが、ほっておいてよいというものでもない。
そんな時が、安全、安心のカウンセラーの出番である。カウンセリングは、基本的に受け身である。クライエントのほうから出向いてこなければ、何もしない。しかし、ひとたび出向いてくれば、積極的に受け入れて、辛抱強く話を聞く。ただ聞くだけではない。傾聴するのである。相手の話を受け入れ、内容の確認をし、さらに心の内を話せるようにする。
これだけのことでも、心のケアになる。たとえ家族であっても、自分の心の内は明かしたくない気持ちがある。しかし一方では、それをじっくりと人に聞いてもらいたい気持ちもある。そんな時の傾聴は、カタルシス効果も期待できるし、さらに、話すことで、自分自身の心の内を自覚できるきっかけにもなる。
立ち直りるためにどんな方策や心理療法が良いかに関しては、クライエントの状態とカウンセラーの考えにまかせることになるが、心理療法については、非指示療法の立場を取るカウンセラーだと、あれこれとクライエントに指示するようなことはしない。それに物足りなさを感ずる人は、指示的カウンセリングの立場のカウンセラーをみつけるとよい。

●加害者の心のケア
ここでの加害者は、加害を認め、それに対する謝罪の心があり激しい罪悪感に悩んで人である。どんな加害者にも、というわけではないことを最初におことわりをしておく。
ちょっとした過失で加害者になってしまった人も、たとえ上述のような人であっても、法律的には業務上過失の罪が問われることがある。被害者に加えてもう一人の犠牲者が出ることになる。被害者の気持ちを考慮すれば当然という考え方もある。最近の日本社会は、ややこの傾向が強くなりすぎているように思う。一種の仇討ち心性である。
しかし、そう簡単にもう一人の犠牲者を出して良いものだろうか。それよりも、もう一度立ち直りのきっかけを与えるほうが、社会的にもメリットがあるという考えもあってよい。そんな時、本人自身の立ち直りを支援するシステムとして、安全、安心カウンセリングを用意しておきたいものである。
ある宅配便会社では、事故を起こしてしまったドライバーがカウンセリングを受けるようなシステムを作っているとのことである。本人を立ち直らせ、次の事故防止に役立っているらしい。(K)






注1 心理療法は、療法家の数だけあると言われるくらいに多い。主なものだけを挙げておく。精神分析療法、行動療法、認知療法、森田療法、来談者中心療法などなど。
 


危険情報活用力

2021-07-01 | 安全、安心、
05/12/16  「安全・安心の心理学」新曜社
危険情報活用力
———知は力なり

●大学ハザードマップの悲惨
 昔在籍した大学は、理念的にも物理的にも外に開かれている。したがって、誰もが簡単にキャンパス内に入れるようになっている。ということは、必然的に犯罪も多くなる。そこで、ある時、大学当局が詳細なハザードマップを作り、HPや印刷物で公表して注意を喚起した。
 ヒューマンエラーの授業で早速、ハザードマップ公表のことを話してみた。なんと9割の学生が公表の事実を知らなかった。残りの学生も公表のことは知っているが内容は知らないと答えた。内容までチェックした学生はわずか2名であった。
せっかくの危険情報がこれではまったく意味がない。もっとも、あまり危険を強調し過ぎて、若者の冒険心、挑戦心の旺盛さを殺ぐようになってしまっても困るが。

●まずは危険情報の収集が大事
 一般に情報活用力と言う時には、情報の収集、編集、保持、運用の4つのフェーズがある。それぞれのフェースごとに危険情報活用力を高める方策を考えてみることにする。
まずは、危険情報の収集から。
危険情報の特徴は、そのほとんどが、マスコミ、教師、保護者さらに、仲間などからの間接情報というところにある。危険にみずからが遭遇することは極めてまれだからである。そこで、間接情報をどれほど自分に引きつけて収集できるかどうかが、ポイントになる。
前述の我が大学の例では、情報活用力の最初のフェーズがまったくだめなのだから、その後に続くフェーズも当然、機能しないことになる。
危険情報の収集は、お仕着せものではあまり役に立たない。通学路の危険性が指摘されるようになってからは、子どもと保護者、教師が一体になって、危険箇所の点検をして危険マップを作成するような試みが見られるようになったが、自分に引きつけて自分から情報を収集していくことが絶対に必要である。
そのことを支援するために、さまざまなメディアを使った犯罪、事故の告知、さらにそれらの発生現場には、道路でよく見かける「死亡事故発生現場」の看板のように、その旨を一定期間報知する仕組みがあるとよい。それ以外にも、いわゆるリスク・コミュニケーション(−>)に工夫を凝らす必要がある。
筆者はドライブが趣味である。しかし、事故を起こすのが怖い。そこで、新聞の最下段にある事故欄は必ず目を通すようにしている。事故原因にまで言及した記事は少ないが玉に瑕だが、それでも、何時頃、どんな状況で事故が起こったのかはわかる。これには、危険感受性を高める副次的な効果も期待できる。

●危険情報の編集
行政や警察がその地域の危険情報の網羅的な収集には一番適切な役割を果たせる。それを公開して個人的な危険情報の編集や保持に役立てなくてはなにもならない。
その点の認識が行政、警察にも、個人にもないように思えてならない。通り一遍の危険情報の広報や告知が多すぎる。もっと住民一人ひとりが自分に引きつけて読んでくれるような工夫をする必要がある。
たとえば、空き巣の具体的な手口をイラストで示す、被害の場所を地図で示す、被害者の声を載せる、効果的な対策を示すなどなど。
いずれにしても、そうした公共的な危険情報は、個人的な危険情報の収集の限界を越えた情報を提供してくれるので貴重である。両者を適切に組み合わせて編集することで、有効な知識として保持されることになる。
さらに情報編集力に抜きんでた力を発揮するマスコミに期待するところも大きい。いたずらに低劣な好奇心だけを刺激するような報道も多いが、次の危険を防止するという観点からの解説的な報道にも目を向けてほしい。その効果ははかりしれないものがある。

●危険情報の保持と運用
保持されている情報は、新しい情報を取り込むことによって更新されるが、一方、使われることによっても、どんどん新たに編集され内容が更新される。情報の取り込みと活用が、危険情報の有効な運用の決め手になる。
危険な現場で、頭の中にある関連情報が活用されることが一番であるが、頭の中の知識は、いつもそれほど都合よく引き出すことができるわけではない。
こうした知識運用のくせを考えると、一つには、前述したような、過去に発生した危険の現場に、その旨を告知、表示することが、一つの有効な対策として考えられる。それを見るたびに、関連知識が想起されることが期待できる。
さらに、危険が発生したら、その背景まで含めた解説情報を点検することである。ニュース解説でもよい。関連する本のざっと見でもよい。それによって、知識が高度化し、断片的な知識を体系化することができるからである。
危険は発生頻度が低い。したがって、この2つの方策だけでは限界がある。防災の日、交通安全週間などのように、危険について考える時間や日を定期的に設けることも、知識の活性化という点で効果がある。
さらに有効な方策は、危険予知訓練(=>)であるが、それについては、項をあらためて考えてみる。(K)

 



安心、安全の心

2021-06-25 | 安全、安心、
05/11/24
安心、安全の心———安全も安心も心の問題としてみると

●安全、安心は人の基本的な欲求
図に示すマズロー*の5段階の欲求階層説はよく知られている。人は自己実現を目ざして成長していく存在ととらえ、その過程で、4つの欲求満足の段階を踏むとするものである。
この2段階目に、「安全(safety)と安心(stability)」の欲求満足がある。これが満たされた上での、自己実現へ向けてのさらなる成長ができるというのである。
「安全と安心」は、このように、人にとっての基本的な欲求の一つなのである。それが今、脅かされつつある(満たされない)日本社会は、このままほっておけば、自己実現が脅かされることにもなりかねない。

●安全と安心を保証するもの
 「安全と安心」の欲求に限らないが、およそどんな欲求も、すぐれて人の内部の心の問題である。しかし、それが保証されるためには、人をとりまく状況の力も大きい。「安全と安心」の心をもたらすのは、幼児であれば、親からの愛に満ちたケアーであるし、大人であれば、よそから侵害を受けない、いつもと同じ安定した生活環境である。
しかし、だからといって状況の力の強さにだけ目を向けば、「安全と安心」にまつわる問題は、解決するというわけではない。人の心にも充分に配慮する必要がある。人の心への配慮を欠いた「安全と安心」環境の設計は、へたをすると自己実現を妨げるものになってしまう可能性もあるからである。
たとえば、危険を恐れて子供を家の中に閉じこめてしまったり、失敗を恐れて挑戦的な仕事をしなくなってしまったりでは、本末転倒である。

●安全と安心は手段である
マズローもそうであるが、「安全と安心」は、それ自体が目的ではない。「安全と安心」ができる環境で、何かを達成することがねらいである。「安全と安心」はあくまで手段でしかない。誤解を恐れずに言うなら、仕事の内容、たとえば、戦争などでは、「安全と安心」は手段としては最適でないこともある。
「安全と安心」を自己目的化してしまうと、過度の法律的な規制、自由闊達な行動の抑制、些末安全主義への傾斜、リスクを恐れた保守主義が跋扈してしまう恐れもある。

●安全と安心を組み合わせてみると
「安全と安心」は、実は一体ではない。やや強引であるが、それをあえて直交させてみたのが、図である。安全の反対語「危険」、安心の反対語「不安」で4つの象限に分けてみた。こうしてみると、「安全と安心」は、ごく一部の世界をとらえているだけで、他にも関連する世界のあることに気づかされる。
第2象限「安全と不安」な世界は、遊園地などの遊具に作り込まれている。恐怖に耐えられるかどうかの不安が、遊具での楽しみを深めている。
第4象限「安心と危険」な世界は、旅客機に代表されるように、最新技術を駆使しての便益と安全の提供の一方では、ひとたび何かがあればすべて終わりという世界である。高度技術社会では、こうした世界が拡大の一途をたどっている。
第3象限「危険と不安」な世界は、「安全と安心」な世界の対極になる。この世界を極小化し、「安全と安心」の世界を極大化することが、「安全と安心」の科学や施策の大きなねらいとなる。また、個人の心の問題として、「危険と不安」を心の底に抱いてこそ「安全と安心」への努力がなされることになる。その際、第2象限,第3象限のような世界の存在も忘れてはないことを、この分類は教える。

●不安は安全の番人
 安全な状態が続くと、人は誰しもが安心する。しかし、それがあまりに長く続くと、安全を確保するための工夫や努力が次第になされなくり、安全を脅かす事が起こりやすくなる。そして、心の不安も高まってくる。それが危険の発生を防ぐ工夫と努力をさせることになる。
このように、不安は、安全の心理的な番人のような役割を果たしている。ところが、不安も安全馴れしてしまうと、感度が鈍くなってくる。それを防ぐには、1部で述べる危険予知力を磨くことであるが、ごく日常的な努力としては、事故、災害、犯罪のニュース内容をできるだけ自分の身に引きつけて考える習慣をつけることである。幸いなことに?、ニュース報道では必ず何件かのそうしたニュースを報道してくれる。これを活かすのである。(K)


 

図 「安全対危険」と「安心対不安」とを
組み合わせてみると
     安全
旅客機       警察


不安—————————安心
 BSE        
 戦争
    危険

脚注*
Maslow,A 1943  「A  theory of  human motivation」 Psychological
Review,50, 370-396


援助 ———助け助けられは当然なのだが

2021-06-18 | 安全、安心、
「安全・安心の心理学」新曜社より良い

援助
———助け助けられは当然なのだが

●都会の不思議
 最近、立て続けに、マンションで、姉妹が殺され、さらに女子高校生が殺害されるニュース報道をみた。例によって、近隣の人々の顔を隠したインタビューがある。そして、「どさどさというような大きな物音が聞こえた」「きゃー助けて、という叫び声や争う音が30分くらいにわたり聞こえた」などなどという。
不思議なのは、自らがその時に積極的に何かをした形跡がないことである。「助けてー」の悲鳴が聞こえた時に、近隣の方々が一斉に表に出てみるだけでも、状況はかなり違った展開になるかもしれないのにと思うのだが。

●傍観者効果
そうは言っても、実は、援助行動も援助要請行動もそれほど単純にはいかないことが知られている。
たとえば、傍観者効果。
衆人のいるところで、突然、胸を押さえて倒れたとする。周囲の人々が一致協力して助けてくれるであろうか。実際にこんな実験をした社会心理学者がいたのである。注1***
結論は、そんなことにはならない、周囲の人々はあくまで傍観者のままとどまっていた、となる。そこで、これを傍観者効果と呼んだのだ。他者の存在が、素直な援助行動を抑制してしまったのである。
周囲の人々が冷静なのだから援助を必要とはしない事態なのかも、と考えてしまったり、何もあえて自分が渦中の栗を拾うようなことをしなくとも、と考えたり、もし自分だけが援助行動をして失敗したりすると恥ずかしい、と考えたりしてしまうらしい。
いずれにも、そう言われてみれば、というところがある。

●それでも困っている人を助けたい
多彩なボランティア活動の存在にもみられるように、それでも、誰もが心のどこかに、困っている人をみたら、素直に返報なしに助けてあげたいという気持ちを持っている。その気持ちを実現する行動を愛他的行動という。傍観者効果は、衆人監視の社会的な場面での緊急事態であるがゆえの効果と考えたい。
愛他的行動は、他者に対する同情が基本になる。他者のつらい気持ちや困った状況を見て、自分も他者と同じような気持ちになれないと、行動にはならない。ただ、防犯、防災、事故対応にかかわる場面では、同情だけでは不足である。困った状況にいる人を見たら助けるのは、社会的な義務でもある。周囲の人々が自分のできること、するべきことをそれぞれがすることである。

●援助を良質なものにするために
地震災害地に援助物資として古着がどっさりと届き困惑している映像が報道されたこともあるように、助け、助けるにしても、ただやみくもに行動すれば良いというこものではない。
まず、援助要請行動のほうである。
何をおいても、援助してほしいことをしっかりと表現することである。
援助をためらわせる心理的な圧力もある。衆人に向けて援助の声をあげるのは、時と場所と状況によっては、かなり勇気がいる。警察に駆け込むほどには切迫していないのかもとの状況認識の甘さもある。これが、事態を悪いほうに向かわせてしまうこともある。注1*****
援助を受けるのは何も恥ずかしいことでもない。とりわけ、防犯、防災、事故対応の場では、それは当然の権利と言っても良い。それくらいの「強い」気持ちがないと、援助要請行動にためらいが出て、結局、どんな助けが必要かの表現が十分にはできないことになる。
さらに、必要な援助は素直に受けることである。日本人の美徳とて、遠慮と返報の心が強い。これが、援助の受け入れを屈折してものにさせてしまうことがあるので、要注意である。とりわけ、そすいたメンタリティを強く持つ高齢者では、その援助が必須であるにもかかわらず、そのことを言わない、受けとらないようなケースもある。
次は、援助行動のほうである。
援助要請行動ができないほど壊滅的、危機的な状況にさらされていることも多い。その状況の中から、何が最も緊急かつ重要な援助かを見きわめなくてはならない。事態認識力である。緊急時には無用な援助ほど迷惑なものはない。地震災害などにかけつけたボランティア活動の中に、そんなケースがたまにあったらしい。同情心に加えて状況認識力も必要である。
援助行動を効果的なものにするにはさらに、援助する人々の組織化が不可欠である。日本の行政組織は、その点、いつも見事な力を発揮する。上意下達型でもよい、あるいは、ネットワーク型でもよい。人々が組織の中で援助しているという意識を持つことが、円滑で効果的な援助行動につながるし、援助を受ける側にも安心感がある。一人でできることには限界がある。なお、別項で考えることになるが、その組織をより一層、効果的に機能させるためには、リーダー、サブリーダーの役割も、事態が緊急度を増すほど大切になってくる。日本社会では、この点が弱点ではないかと思うが、昨今の小泉政権をみていると、このあたりも改革が期待できそうである。(K)

注1 Latane,B, et al,1970   
注2 自宅には、防犯ブザーが5個、あちこちにおいてある。ある時、間違ってそのうちの1個を鳴らしてしまった。あわてていたので、止める操作をするまでにかなり時間がかかってまった。隣近所の様子をうかがったが、なんの変化もなかった。







気持ち動転時に人はどうする」

2021-06-14 | 安全、安心、

気持ち動転時に人はどうする、

気持ち動転時に人はどうする 

気持ちが動転しているときには、我々はどのような思考と行動をするのであろうか。
第1次評価とは、気持ちが動転したその瞬間に頭の中で自動的に発生する最小かつ高速の情報処理(評価)である。ここで注目されるのは、その情報処理が、自分の利害関心に関係しているかどうかを主な目的にしているところである。そして、この評価は、おおむね妥当なものである。

第2次評価とは、気持ちがやや落ち着いてきた後におこなわれる情報処理である。ここで、状況改善の可能性、責任の所在、将来どうなるかが慎重に判断される。相手に大怪我をさせてしまった交通事故を例にとれば、状況改善の見通しがなく、責任が脇見運転による自分にあることは明白で、もしかすると職を失う可能性もある、というような評価を下し、それに対応するネガティブな情動を強く体験する。ただし、この段階での評価は、熟慮的ではあるが、情動主導なので、しばしば、状況評価が限定的で論理性に欠ける。



安全と絵表示———とっさの時の命綱

2021-06-05 | 安全、安心、
「安全・安心の心理学」新曜社

安全と絵表示———とっさの時の命綱

●絵表示花盛り
 日本では、1964年の東京オリンピックを機会に、絵表示(icon)による案内が一気に充実した。言うまでもなく、そのねらいは、言語に依存しないコミュニケーションである。
 一般に、一つの絵表示が良い絵表示である、というとき,その良さを構成しているものには4つある。
 1つは、よく見えること(視認性)。
 絵表示は、狭い領域に描かれることが多い。絵の細部が見えないことがある。しかも、絵表示は、文字を読む時より遠くから見られる。したがって、細部の表示を捨てて、マクロな表示をすることになる。
 2つは、目を引き付けること(誘目性)。
 とりわけ、道路などでは、周囲の雑多な情報環境の中でも目につくようにする必要がある。色や大きさや掲載場所などを工夫して黙っていても注意を引き付けられるようにする。
 3つは、美しいこと(審美性)。
 目立つものが不快な感情を与えてしまうようでは困る。見る人の気持ちを豊かにするような芸術性のある絵表示であることも大事である。
 
 この3つは、人の知覚、感性レベルでの絵表示の良さの要件である。
 これに加えて、絵表示は、一目でわかること(理解容易性)も大事な要件になる。これが、4つ目の認知レベルの要件になる。以下、項を改めて、考えてみる。

●絵表示のわかりやすさ
 定義的に言うなら、絵表示のわかりやすさとは、まずは、符号化(頭の中への表示情報の取り込み)が容易であること、ついで、制作者の意図した意味を、容易に誤解なく思い浮かべること(表象化)ができることである。そのためには、基本的な留意点として次ぎの3つがある。
 1)内容の充足性
 ものやことを絵表示として表示するとき、その表示内容がものやことの本質的な情報を十分に描き出しているかどうかである。絵表示が指示するものやことが誤解されるようでは、十分な機能を果たしていないことになる。
 危険表示 図2***を例にとれば、表示内容の充足性とは、「What」と「Why」と「How to」の3つが描かれているかどうかである。
「What」は、「危険、警告、注意」、
「Why」は、「感電、転倒、巻き込まれ」
「How to」は、「近づくな、乗るな」である。
 なお、この例では、言葉も使って表示されているが、絵だけでは伝達効果が不安な場合には、言葉による補助も使うことになるが、言葉はあくまで補助である。
2)適度の具体性
 具象の表示は、得てして、あまりに具体過ぎて、情報ノイズが多くなる。逆に文字や特殊記号などのシンボル表示では、シンボルの約束事についての知識がないと、わからない。具象と抽象の間にある適度の具体性のある表示だと、誰にもわかってもらえる。この表示では、ものやことの特徴(示差的特徴)を際立たせて描かれていることに注目されたい。
 なお、見る人がシンボルの意味を知識として持っていれば、抽象的なシンボル表示は、表示が簡潔になるので、視認性が高くなるし、わかりやすくなる。このように、わかりやすさは、見る人の知識に依存しているところにも注目されたい。
3)同型性
 絵表示には空間的な広がりがあるので、そのイメージ表象にも空間的な広がりがある。空間的な広がりのあるものどうしの照合をするとき、とりわけ大事なのが、空間的な同型性である。絵表示が表す状況の空間的な位置関係は、イメージ表象のそれと一致している必要がある。
さらに、大きさの同型性もある。大きいものは大きく描かないと、イメージ表象との照合がすんなりとはいかない。

●緊急時の絵表示の役割
絵表示が備えるべき要件を述べてきた。絵表示は平常時よりも緊急時にその果たす役割は大きい。
緊急時には情報処理機能が低下する。そんな時に、文字でかかれた指示をじっくりと読んで対応するようなことは期待できない。一目見てするべき事がわからなければ、命を失うことさえある。そこに絵表示が果たす役割がある。
それだけに、前述した理解容易性の3つが極めて大事になる。図4を見てほしい。非常口の指示であるが、これでは、絵と矢印では逃げる方向が反対になり、混乱を起こさせてしまう。同型性違反を犯しているからである。
火災報知器のあり場所とその使い方、避難場所までの案内、電車など、での緊急停車などなど、そのわかりやすさを今一度、点検しておく必要がある。子どもや高齢者にも説明なしにただちにわかってもらえるかが絵表示のわかりやすさのポイントになる。(K)


後知恵バイアス

2021-06-03 | 安全、安心、
05/11/21 「安全・安心の心理学」新曜社

後知恵バイアス———後からならなんでも言える

●後知恵はいつも正しい
 何か事が起こってから、その原因に言及することを後知恵という。それにバイアスが付くのは、後知恵には、誤りが多い、あるいは真偽不明のことが多いからである。たとえば、
・自動車事故を起こした。あの時、もっと慎重に運転していれば
 よかった。
・地震で戸棚が転倒した。転倒防止棒を設置しておけば良かった。
いずれもそれなりに納得できる「正しい」原因のようであるが、本当にそうだろうか、と疑ってみると、たとえば、前者については、「慎重に」が心理的用語のために検証不能、後者は、転倒防止棒をしてあったとしても折れてしまって役立たずだったかもしれない。
このように、後知恵は、その真偽を問うことなく、自分自身に対しても、また人に事を解説する時にも、ごく普通に展開される一つの推論である。
自分で自分を納得させる推論としては、実に都合がよい。なにせ、自分の頭の中の知識を使っての推論なのだから。また、ニュース解説者などにとって、TVという情報権威付けのお膳立てもあって、その後知恵解説はすんなりと視聴者には受け入れられやすいし、視聴者にもそれでそれなりに納得してもらえる。
かくして、後知恵推論花盛りとなりがちであるが、繰り返すが、後知恵推論には真偽の確認が出来ないことが多いので、心ある人からすると、「そうは言うけど本当?」となりがちである。さらに、後知恵推論は、既有の知識の枠内に限定した狭い推論をしがちであるため、新奇な事態では誤る可能性が高くなる。
こうした後知恵推論が、事故の原因分析、犯罪の動機分析で使われるとどうなるであろうか。事故や犯罪が起こると、それが大規模かつ特異であればあるほど、どうしてそれが起こったのかを知りたくなるのは当然である。そこに後知恵推論への誘惑がある。

●事故の原因分析
事故が起こると、その原因は何かとなる。警察にとっては事故に関係した人々を裁くための論理を構築するため、一般には、次の事故の防止に役立てるためである。
事故分析は、事が起こってから時間を逆にさかのぼってその原因を探るので、逆問題と言われる。逆問題なので、当然、そこで展開する推論は後知恵となる。ただ、通常の後知恵推論とは違って、事故の場合には、多くの証拠が現場に残されることが多い。これが、後知恵バイアスを防ぐのに役立つ。たとえば、ブレーキ痕の長さから事故時のスピードをかなりの精度で推測できる。これは、後知恵ではなく、れっきとした科学的推論である。多くの事故分析では、こうした保全資料を科学的に分析することで、真の原因に迫る。
問題は、原因が錯綜していたり、どうにもわけがわからない時である。そんな時に使われるのが人為ミス説という後知恵の定番である。これなら、人がかかわる事故の原因としてはほぼ当たりである。これですべてが解明され、事は一巻の終わりとなる。しかし、このような形での人為ミス説は、思考停止のための概念装置でしかないし、次の事故防止のために実効性のある対策もままならない。

●犯罪者の動機分析
事故分析の人為ミス説と似たような後知恵の定番が、犯罪者の動機分析である。
こちらのほうは、たとえば、証拠にもとずいて殺人がどのようにおこなわれたかを完全に解明でき犯人が検挙されても、ひつようにおこなわれる。場合によっては、それによって、罪が軽くなることさえある。
犯罪の動機探しは、ほとんど証拠のない逆問題解きになる。「むしゃくしゃしていたから放火した」「無視されたから殺した」などなど。もっぱら犯人の自供からからーーこれも後知恵なので真実とは限らないことがあるーー、その動機を推論することになる。それが衆目の納得のいくものであれば、それで終わり。納得がいかない動機説明(供述)がなされると、最悪は精神鑑定となる。

●後知恵バイアスを克服する
後知恵バイアスと名を打ったために、後知恵が悪者のような話になったが、しかし、後知恵にもそれなりの利用価値があることは確かである。。
まずは、後知恵を無造作に使ったり、その真実性を頭から信じてしまうようなことがないように注意すること。そういうこともあるかもしれないが、別の可能性もあるかも、としれないと常に疑いの
心を持つ。
2つは、後知恵は、自分の既有知識を使っての推論である。したがって、知識の質を良質なものにする努力を怠たらないようにする。そうすれば、後知恵にも理ありとなる。
 3つ目は、あいまいさ耐性をつけること。浅薄な後知恵が展開されるのは、ともかく早くわかってしまいたい、何が何やらわけがわからないのはいや、との気持ちが強い時である。訳がわからない状態であれこれと思いをめぐらすことをを楽しめるくらいになれば言うなしである。
最後は、検証マインドである。事実や証拠による検証がなされるまで事の真実を納得しないメンタリティも必要である。科学的思考と言っても良い。(K)

安全とリスクの心理」心理学基本用語

2021-05-29 | 安全、安心、
安全とリスクの心理

  • リスク(risk )
リスクとは、「生命の安全や健康、資産や環境に、危険や傷害など望ましくない事象を発生させる確率、ないし期待損失」である(日本リスク研究学会)。数学的な表現をするなら、リスクは、危険の発生確率と損失の大きさの積の期待値として定義される。
リスクは、個人の生活はもとより、社会や国家の至るところで問題となる。
リスクゼロは理想としてはありうるが、科学技術の進歩は、ハイリスク・ハイリターン社会を作り出し、多彩なリスクを受容しながら万が一のリスクに対処することを余儀なくさせる。
  • リスク認知とリスク行動
(risk recognition behavior)
リスク認知とは、たとえば、原子力発電所をどれくらい危険なものとみなすかである。リスク認知は、事故の発生についての客観的な確率や災害の規模などよりも、「恐ろしさ」「未知性」「情報接触頻度」さらに、「リスク事象への能動的な関与の度合い」などの心理的な要因によっても強く規定されている。
リスク行動とは、リスクをどの程度まで見込んで行動するかである。これをリスク・テイキング(risk taking)行動という。航空機利用などのように、利便性が高いときは、リスクは低く見積もられ、行動として選択されやすい。

  • リスク補償( risk compensation)
高いリスクが存在するときには、それを避けるという消極的な方策と、そのリスクの発現を押さえるか除去する積極的方策とがある。後者の方策がとられたことがわかると、人は、安全裕度として事態をとらえ、危険を無視するようになる。これが長期間にわたると、また元のリスキーな事態に逆戻りしてしまう。これが「リスク補償」、あるいは「リスク恒常性」と呼ばれるものである。
  • ヒューマン・エラー
(human error)
人は必ずエラーを犯す。エラーは人であることの証であるかのようである。機械・システムの設計は、このことを前提にしないと事故が発生してしまう。
事故につながるような行為は意識化させたり、やりにくくさせたりするフール・プルーフ(fool-proof)、仮にエラー(故障)をしても、すぐには事故につながらないようにするフェイル・セーフ(fail-safe)、被害が発生してもそれが拡大しないようにする多層防といった、暗然工学上の工夫が必要である。
なお、ヒューマン・エラーには、大きく二つのタイプがある。ひとつはミステイク(mistake;思い込みエラー)である。勘違い、誤解などのように誤った状況認識による者エラーである。
もうひとつはスリップ(slip;うっかりミス)である。やるべきことをしなかったり、余計なことをしてしまったり、やる順序を間違えたりといったエラーである。もっぱら注意管理がうまくなされないことによって起こるエラーで、人のおかすエラーの大部分を占める。

◆リスク・コミュニケーション
(risk communication)
リスクをどのように伝えるかは、通常のコミュニケーションとくらべると、はるかに難しいところがある。たとえば、
・リスク発生確率の見積もりそのものが難しいので、どれくらいの確率になったら伝えるかの判断が難しい。
・リスクだけを強調すれば、誰もがその受け入れを拒否したり、逆に恐怖感をいたずらに高めてしまう。
・リスクをどのようなメディアを介してどのように表現すると効果的かがわからない。
・受け手のリスク認知、リスク行動に個人差が大きい。
・情報公開、説明責任についての最近の厳しい世論とどのように折り合いをつけるか。
こうした困難を克服しながら、最適のリスク・コミュニケーションを考えていくことになる。

■情報源の信憑性(credibility of information)
同じ組織が何度も誤った情報を提供したり、情報の小出しや隠蔽をすると、その組織から発せられるすべての情報の信憑性は格段に低下してしまう。
一般に、情報源の信憑性は、送り手が真実を語り、さらに専門的な知識を充分に持っていることが認識されることで保証される。そして、ときには、組織にとって不利な情報をも提供する(両面提示する)ことが要求される。

◆パニック神話(panic myth)
災害発生の警報や予知が一般住民にパニックを引き起こすとする、もっぱらマスコミの世界での通説のこと。
しかし、パニックの発生はむしろ稀で、危険からの脱出可能性に関するきちんとした情報が提供されれば、整然とした対応ができることが、いくつかの事例で確認されている。
組織事故・違反
  • 同調と逸脱
(conformity and deviant )
集団の雰囲気や集団規範に従うことを当然とする圧力に従って振るまったり考えたりすることを同調行動、それに反するのが逸脱行動である。
問題は、集団の雰囲気や規範には正当性がないため、他の集団や世間一般からみると不当ではあっても、当該集団のメンバーにはそのことの認識がしにくいことである。そこに、組織ぐるみのモラルハザード(moral hazard)、事故、違反が発生してしまう素地がある。

●不信(distrust)の形成
組織や人に対する信頼の形成には膨大な時間と努力がかかるが、不信のほうはごく短期間で形成されてしまう怖さがある。
不信の形成と増幅にかかわるのは、事故や違反行為などのネガティブ事象の報道が主であるが、マスコミ対応のまずさも不信を増幅する。たとえば、不充分な情報公開、情報の小出し、改ざん記録の開示、言い逃れ、嘘の発覚など。
  • 準拠集団(reference group) 
われわれはいろいろな集団にいやおうなしに所属している。その中で、集団内の文化を体得し、集団の規準(多くは暗黙であるが)に同調して行動し、その集団の一員であると認められることが心理的な満足や安定につながるとき、その集団はその人にとっての準拠集団という。
準拠集団は、その人の社会的なアイデンティティをつくることにもなる。学童期には学級、社会人になると会社や組織が準拠集団になる。
  • 集団思考
(groupthink)
「3人よれば文殊の知恵」ともいうが、一方では、集団で考えたために結論の質が悪くなってしまうこともある。こちらのほうをあえて集団思考とよぶが、むしろ集団的浅慮というほうが、内容にふさわしい。
集団的浅慮が発生してしまうのは、集団の凝集性が高くて異論を言えるような雰囲気がないときや、上下関係や好き嫌いなどの人間的な要素が議論に入り込む属人風土(岡本浩一)の集団の場合である。

◆リスキーシフト(危険偏向)(risky-shift)
集団討議で物事を決めると、そこには独特の決定傾向がある。リスキーシフトもそのひとつで、1人のときよりも危険を含んだ、しかし、利得の多い(ハイリスク・ハイリターン)決定をしてしまう傾向である。
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」である。決定の責任がメンバーに拡散して無責任状態になってしまうことが要因のひとつらしい。
◆悪魔の代弁者(devil's advocate)
組織の中で、あえて異論を唱え、それに反駁させることで、組織としての決定や行為の質を高めさせる役割を担う人のこと。
通常の組織では、上司がこの役割を引き受けるが、組織に染まっていて有効に機能しないことが多い。、
組織安全や違反を確保するための一つの方策として有効である。
なお、不正を外部に向かって告発する人(whistle•blower)とは違って、組織内での改善を志向している。

◆社会的手抜き(social loafing)
人と一緒に仕事をするとき、1人のときより手抜きをすることがある。他のメンバーに頼ってしまい、みずからは全体の仕事に貢献する必要がないと判断するフリーライダー(free rider)効果も、社会的手抜きの一つである。
集団のサイズが大きかったり、仕事の目標がメンバーの最もよくできる人に合わせられているときに起こりやすい。
◆傍観者効果(by—stander effect)
車中で暴漢に襲われたとき、誰も助けてくれないというようなことが起きるのはなぜか。誰かほかの人が助けるだろう(責任の分散)、自分だけめだちたくない(評価懸念)といったことにより援助行動が起こらないことがある。これを傍観者効果とよぶ。

  • 沈黙の螺旋階段
(spiral of silence) 
意見の対立する社会的な問題があったとき、一般に、多数意見のほうがおおっぴらに意見を公言しやすい。すると、それに影響されて多数派はますます増えて勢いづき、逆に少数派はますます減って沈黙しがちとなる。
最近のように、各種の世論調査が簡単にできて、メールによる意見表明ができるようになると、この傾向はますます著しくなる。
少数者が弱者の場合は、差別と直結してしまう怖さがある。



多重課題

2021-05-28 | 安全、安心、
同時に2つのことをする

  • 声にだして、1から順に数えながら、次の問題としてください
34+53=
66-39=
31+49=
61-45=
  • 声に出して、100から1ずつ引きながら、次の問題をしてください。
43+35=
88-49=
13+94=
71-53=

「解説」
両方とも多重課題と呼ばれるものです。2)の計算のほうが、かなりかなり難しかったはずです。注意の容量一杯を使わざるをえないからです。多重課題は日常生活の中ではごく普通に行われていますが、注意の容量を超えるとミスが発生します。

思い込みエラーを防ぐ」10年前の今日の記事

2021-05-09 | 安全、安心、
状況の中にある顕著な手がかりだけに基づいて、その時その場で活性化している知識だけが使われてしまい、思い込みエラーを起こさせることがある。          
とりわけ、即応を要求されたり、状況の激変のために、何が何やらわけがわからなくなってしまうような事態では、その時その場で目立つ限定された手がかりだけに基づいて駆動された知識だけを使って状況の解釈モデル(メンタルモデル)を構築しがちである。それが状況とのかかわりにふさわしくないとき思いこみエラーとなる。

指針1「目標をわかりやすく先に書く」
 
指針2「妥当な状況認識を支援する書き方をする」
 例 こういう時は(what)、こういうことだから(why)、こうする(how) 



権威主義はエラーの大敵

2021-05-07 | 安全、安心、
権威主義はエラーの大敵

専門性、管理者心性は権威主義を生みやすい。そして、安全に関する領域では、この権威主義は要注意である。

1)一方向のコミュニケーションになる
権威主義とは、「威張る」ことである。そこでは、指示は一方向的にしか流れない。どこか一カ所間違えると、それがそのまま、時には拡大されて伝達されていく。
——>疑問、意見を自由に言える雰囲気を作る
  例 ミーティングを民主的に

(2)思い込みエラーをおかしやすい
情報的に孤立しがち。したがって、自分の思い込みによる判断や行動をしがちである。
——>大局的に考える
——>即断即決しない
——>相談相手を身近においておく

(3)ミスが隠蔽されやすい
ミスがどれほどオープンになるかは、組織トップの権威主義の程度に依存している。警笛吹きは誰もがいつでもできるようにしておく必要がある。
——>ミス報告の一元化をする
   例 ミス駆け込み寺

(4)局所最適化の罠に陥りやすい
 自分のところだけが避ければ良いという組織の安全文化が出来がちで、包括的なものにならない。
——>安全に聖域なし
   例 安全に関しては権限侵入も認める



ヒューマンエラー————エラーを事故につなげないことこそ肝

2021-05-06 | 安全、安心、
安全・安心の心理学」より


ヒューマンエラー————エラーを事故につなげないことこそ肝心

●ヒューマンエラーの分類枠
ヒューマンエラーのあらわれは多彩である。したがって、どこに着目するかでその分類は様々なものが提案されている。たとえば、
・心的機能のどこで起こるエラーか
  例 知覚エラー 記憶エラー 判断エラー 実行エラー
・どんな作業で起こるエラーか
  例 「定型作業 非定型作業」「保守作業 点検作業」
・どんな原因によって起こるエラーか
  例 4M(Man   Machine  Management   Media )
それぞれ、分類の意義はそれなりにあるが、ここでは、人が何かの仕事をするときの一連の心的過程として、計画(plan)—実行(do)—確認(see)サイクルを想定し、それぞれの段階でどんなエラーが発生するか、という観点からエラーを分類したものを紹介する。注1***
○思い込みエラー
 計画段階で、誤った状況認識によって、誤った計画をたててしまい、それを忠実に実行してしまうエラーである。たとえば、
 ・名刺の肩書きを信用してしまい、詐欺にあった
 ・新システムが導入されたのに、旧システムの操作をしてしまった
 思い込みエラーは、うっかりミスほど多くは発生しないが、ひとたび発生すると、その検出は難しい。したがって、被害は大きくなる。
○うっかりミス
 実行段階でおこる、計画された行為とは異なる行為をしてしまうエラーである。たとえば、
 ・景色に気をとられ、あやうく車が対向車線に飛び出してしまった
 ・朝出がけに頼まれた薬を買い忘れてしまった
 エラーのほとんどは、こうしたうっかりミスである。うっまりミスでも、おかした瞬間にミスと気がつくことが多いので、すぐに訂正すれば、事故にならならない、あるいは、被害の拡大を抑えることができる。
○確認エラー
 実行したことが、計画通りになっているかを確認する際のエラーである。たとえば、
 ・信号のない交叉点で充分に左右の確認をしなかったためひやり
 ・2人で別々に確認することになっていたが、一人が大丈夫というの  で確認しなかった
確認ミスがないなら、事故になる前にチェックができる。しかし、確認行為にもミスが発生してしまうことがあるので、事は面倒である。また、確認ができるのは、計画通りに実行されているかをチェックするうっかりミスの場合だけで、思い込みエラーは、計画そのものを正しいと思っているので、確認チェックをすり抜けてしまう。

●「To err is human」
 エラーするのは人の常、エラーするから人間なのだ。だからといって、エラーし放題というわけにはいかない。エラーはしないで済むならしないほうが良いのはもちろんである。
そのためには、ヒューマンエラーにはどんなものがあり、それはどのようにして発生するのか、どうすれば防げるのかについての知識をしっかりと持ち、エラーをしないような安全な行為を自らが心がけることになる。
その上で、さらに、次に述べるような、エラーができない、あるいは
エラーが事故に直結しないような、エラーに強い安全環境を作り込むことである。

●エラーに強い安全環境を作り込む
まずは、エラーをしないような安全環境を考えることが先決である。高齢者家庭では、バリアーフリー、つまり行動を妨げる段差やスリップ、転倒防止の手すりなどが今はかなり普及してきているのは、好ましいことである。
この他に、ロックを解除してからでないとお湯がでないような仕掛け(フールプルーフ)、順番通りにしないと動かない仕掛け(インターロック)、うっかりハンドルを回しすぎても遊びがあるので急カーブしない仕掛け(冗長化)は、危ない行為をしないよう、あるいはしても大丈夫なように配慮した技術である。
次はエラーをしてしまったらどうするかである。
まずは、エラーをしたことの認識、つまり確認をきちんとすることである。エラーをした瞬間が最も確認精度が高いので、何かしたら、それが計画通りであるかどうかの確認をしっかりとするように習慣づける。あるいは、次の行為をするときに、それまでの行為が間違いなくできているかどうかを確認する。たとえば、外出時の一連のチェックなどなど。
行為の実行エラーには、エラーをしたとたん怪我や事故になってしまうことがある。たとえば、転倒。エラーと事故との距離が近いのである。こんな時には、事故、怪我の程度を緩和化する方策をあらかじめとっておく。下に厚いソファーが敷いてあれば、怪我は軽くて済む。エアーバックは衝突の衝撃を緩和してくれる。
最後の手段は、援助要請である。誰かの助けが必要であることを周囲の人々に知らせることである。これが、意外に素直にはなされないところがある。恥ずかしさや返報の面倒さや自力の回復期待やプライバシーの擁護など、余計な配慮が働いてしまうためである。注2*** 
事故対応、防犯、防災では、援助要請、それに対する援助行動は必須である。それも警察や行政への要請以前に、その時その場でのとりあえずの援助要請と援助行動がどこまで適切になされたかがその後を決める。
(K)



注1 PDSサイクルとエラー
注2 3章「援助行動」も参照


状況認識———何が起こっているかを知る

2021-05-04 | 安全、安心、

状況認識———何が起こっているかを知る

●緊急事態の特徴
緊急事態に慣れているのは、消防署員や救急援助隊員や警察官である。普通の人にとっては、緊急事態はほとんどいつもはじめて遭遇することになる。したがって、そこでは普段とはまったく違った状況認識や行動をすることになる。これも緊急事態の特徴の一つであるが、さらに3つの特徴がある。
一つは、時間切迫がある。心臓発作で倒れれば、ただちに蘇生手当が必要になる。
もう一つの特徴は、周囲の状況の中でそこだけが際立っているということがある。火災は、周囲の平静さから顕著に際立っている。
3つ目の特徴は、注目、注視である。ひったくりにあって大声をあげれば、周囲の人々はそちらのほうに目を向ける。
さらに4つ目の特徴を挙げると、平常な状況に早く回復するという目標が明確なことである。火事なら消す、交通事故なら怪我人を助け、車を片づけなければならない。

●はじめて状況に遭遇すると
 我々は、絶えず、今現在の状況がどうなっているかをチェックしながら行動をしている。そして、ほとんどは、その状況は、いつもの慣れ親しんだものである。したがって、無意識のうちに、行動にふさわしい状況認識をしている。
これが、旅行などではじめての場所にいったりすると、情報が一気に増えてくる。旅行なら、それは楽しみの一つであるが、これが緊急事態であったらどうであろうか。
緊急事態には、時間切迫がある。しかも、やらなければならない目標がある。周囲からの注視もある。そうした制約の中で、妥当な状況認識をするのはかなり難しいところがある。

●顕著なものに騙される
緊急事態には顕著性がある。それが、状況認識を誤らせる。手で胸を押さえてうずくまっていたら、すぐに心臓発作と判断してしまう。大声での言い争いは夫婦ゲンカと思いこんでしまう。つまり、注意を引きつける顕著な手がだけに基づいた判断をしてしまいがちなのである。
いつもと違った状況では、判断すべき情報が多く、しかも、あいまいである。たちまち何が何やらわけがわからないという状態になりがちである。しかし、状況は即断を求めている。となると、今眼前で目に付いた手がかりで自分なりの解釈ができるものだけに基づいて状況を認識しようとする気持ちになるのは当然である。
緊急事態の状況認識の方略としては、これはこれで有効である。いつまでもあれこれ迷って優柔不断のままでは、事態はどんどん進んでしまうからである。
問題は、こうした状況認識が妥当でない場合があることである。

●思い込みが怖い
普段の我々の状況認識は、認識の中核になる情報と、それを取り巻く周辺的な情報とが一体になっておこなわれる。いわば、ゲシュタルト的な認識をしている。それが、妥当な認識へと導く。
緊急事態のように、顕著な手がかりだけを周囲から孤立して認識をしてしまうと、その顕著さと孤立ゆえの判断、解釈の思い込みエラーの可能性が高くなってしまう。
かといって、あらゆる情報を吟味してからおもむろに慎重判断をする、というのでは遅すぎる。

●緊急事態での状況認識を妥当なものにするために
ここでは、繰り返すが、緊急事態の仕事をする人々についの話ではなく、普通の人々が突然、緊急事態に遭遇した時の状況認識の話である。こんな心構えが有効である。
1)あわてない
時間切迫は、人をあわてさせる。事態の進行速度のほうが人の行為の速度よりも速すぎてギャップが大きくなると、それを埋めようとしてあわてる。限界を超えて行為のスピードをあげるので、ミスしがちである。あわてないためには、自分の行為を実況中継するような気持ちで言葉にしてみるとよい。言葉が行為を調整してくれるからである。
2)大局的、多角的に考えるようにする
 思い込みによる誤った状況認識を避けるためには、情報的に自閉しないことである。事態を鳥瞰図的に眺めてみる、一歩引いて観察してみる、観点を変えてみる、などなど。
3)思いを口に出して周囲と情報交流を活発にする
 思い込みは頭の中で起こる。それをできるだけ口に出すことによって、周囲からのチェックを受けられるようにする。さらに口に出すことの効果は、自問自答による自己チェックをも期待できる。
3)いろいろの人の意見に耳を傾ける
 「緊急事態で役立つのは普段は役に立たない人」という冗談がある。それは、事態に巻き込まれていないフレッシュ・アイを持った人の意見を聞けという忠告でもある。思い込みエラーを防ぐには、周囲からものを言ってもらえる環境が必要なのだ。(K)







安全研修———研修は万全ではない

2021-05-02 | 安全、安心、
「安全・安心の心理学  新曜社

安全研修———研修は万全ではない

●安全研修のさまざま
組織に入るとすぐに、さまざまな研修を受ける。その一つに、安全研修も含まれる。
安全研修に限らないが、研修には大きく2つのタイプがある。
一つは、座学である。
椅子に座って、先輩や上司から話を聞くタイプである。提供される知識*は、もっぱら宣言的知識に分類されるものである。多くは、テキストに書かれるような内容(意味的知識)になるが、個人的な体験に基づいた知識(エピソード的知識)も一部含まれる。これによって、安全に関する組織の使命や内容の概要を知ることができる。
2つは、実践である。
仕事の現場、安全の現場ですることを身体を動かして学ぶのである。座学が、教え方にもよるが、提供できる知識量がかなり豊富であるのに対して、実践研修でできることはかなり限定される。そのレパートリも習熟レベルも初期段階にとどまることが多い。基本的なことに限定して、あとは、現場で、となる。安全研修に関しては、ここに、技能未熟によるエラー、事故の発生の芽がまかれる。「4月は病院にかかるな」との忠告も耳にしたことがある。

●研修と現場
研修はきれいごと、現場は3k(きつい、きたない、きつい)というように、ともすると両者は分離してしまいがちである。これがひどくなると、研修は組織が与えてくれた公認の休息時間になってしまう。とりわけ、安全研修の場合、安全な状態が長期間にわたり続き、誰もが安心し切ってしまっているような時———そんな期間が圧倒的に長く続くのが普通———には、こういうことになりがちである。
研修と現場とをいかにつなぐか、すなわち「現場密着の研修」をいかに企画実践するかは、研修担当者にとっては非常に悩ましい問題である。
これを解決するためには、現場から研修の課題を吸い上げる努力を怠らないことである。「こんなことで困っている」「こんなことを知りたい」との声が届くようにしておくことである。その上で、
研修の頻度、座学か実践かも含めた研修の形態ややり方を考えることになる。
もう一つは、OJT(on the job training)である。項をあらためて考えてみる。

●仕事をしながら安全を学ぶ
現場は学びの宝庫である。教師としては、仕事に熟達した先輩がいる。教材は目の前の一つ一つの仕事の中にある。しかも、いつもその気になれば、学べる環境がある。
したがって、OJTはうまく実践できれば、研修としては、その効果を期待できる。OJTは、T(訓練)をはっきりと意識しなくとも、自然に教え学ぶ関係ができてしまう職場もある。しかし、安全に関しては、自然のOJTに任せてしまうのはあまり適切とは言えない。それなりの研修体制の中に組み込んでおかないと、知識の空白や偏り、つまり当然知っているはずのことを知らなかったり、というようなことが起こりってしまうからである。
研修担当者は、誰に何を教えてもらうかをきちんと把握した上で、そのことを教師役に伝えておくことが必要である。

●OJTでは何を誰が教えるか
教える内容は、個別領域ごとの具体的なものになる。可能な限り、全体との関連づけ、座学で学んだ一般的、抽象化された知識との関連づけをしながらの指導が望ましい。
OJTのメンター(mentor;教師役  注1***)は、職場の先輩、エキスパートになる。
その多くは仕事に熟達している。時には職人の域に達している。教えるよりは仕事をするほうを好むタイプが多い。したがって、メンター役には不適ということもある。
乱暴な指導で新入社員が逃げ出してしまうようなこともあるらしい。師匠—弟子型の学びは、学びへの動機づけが高く、達成目標が明確な時には有効だが、会社での学びのモデルとしては、昨今の若者のメンタリティからすると、無理がある。
OJTを一つの教育としてきちんと位置づけて、ただそこにたまたまいた仕事のエキスパートをメンター役にするというような安易なやり方ではなく、研修指導の教育を受けたメンターのもとでのOJT教育を考えるべきであろう。
もう一つOJTで大事なのは、教え方である。
長年の経験の中で培ってきた知の多くは暗黙化されている。したがって、口で説明することがなかなかできない。実際にやってみせて学んでもらうしかない。実演と模倣による学びが必須である。
それを保証するためには、時間である。たった一度の学習機会だけでは学習効果はほとんど期待できない。要素動作の反復練習の積み重ねが必要である。その時間のスパンは、職人になると、何万時間に及ぶことさえある。

●現場力を高める
 最近、現場力の低下が叫ばれている。知識や技能の伝承がうまくいっていないためとの指摘があります。その背景には、大きな流れとして、コンピュータ化があると思いますが、やはり現場からの強い声もあるように、人の教育という原点に戻った対策が、とりわけ安全に関しては必要ではないかと思う。(K)




*脚注「知識の分類と教え方」
  宣言的知識 手続的知識

意味的知識 エピソード的知識

座学     実践

注2 楽天(株)では、ダブルメンター制度を取り入れている。
一つは、業務メンター。新入社員が所属する先輩社員がなる。言うまでもなく、業務全般のOJTの先生役である。もう一つは、マインドメンター。困った時の相談相手となる。別部署の先輩がなる。
(日経ビジネス associe,05/11/01号)