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選挙」今日の論考

2016-10-29 | 今日の論考
「選挙」今日の論考

●選挙に行かなくなった
 18歳学生を預かる教員という立場から、あまりおおっぴらにはできないのだが、ここ5年くらい、すべての選挙での投票の棄権をしている。理由はきちんとしている。年寄が日本の政治の主導権を握るような状況はよくないとの思いからである。
同じ思いをブログに綴る人も多い。たとえば、
○「シルバー民主主義」という上品な名前で呼びますが、露骨にいえば投票者の過半数が60歳以上になった時代には、老人に迎合しないと選挙に勝てないという民主主義の現実
(池田信夫ブログ))
○たとえば平均年齢を80歳とすれば、20歳なら残り60年を生きていかねばならない。しかし、70歳であるなら、残りは10年となります。この2人が将来の政策などが問われる選挙で同じ1票というのは、むしろ悪平等ではないでしょうか。(笠木恵司ブログより)
こうした意見へのささやかな賛同からの投票の確信的な棄権である。
 有権者の世代別割合は、20歳以上80歳以下ではすべての世代にわたり10%台でそれほどの差はないのですが、世代別の投票率となると、どの選挙でも投票率は世代があがるにつれて高くなり、おおむね 20歳代の投票率は30%台で最低、もっとも高いのは、60~70歳代でほぼ70%台となる。したがって、票数になると、有権者数x投票率になるので、圧倒的に高齢者が決定的な影響を与えることになる。
 ちなみに、EU離脱と残留の国民投票では、残留を支持する割合の高い若者層の投票率が、離脱を支持する割合の高い高齢者層のそれの半分だったことが決め手になったとの推測がなされている。
こうした世代間格差を少しでも補正すべく、日本では、平成28年度の選挙から18歳以上の選挙権が行使できるようになったのだ。
まさに、わが意を得たりである。これで少しは、若い世代にも配慮した政治を期待できかもしれない。なにせ、選挙に勝つためには、人気とり政策(ポピュラリズム)がどんどん実行される政治の現実があるのだから。

●若者はなぜ選挙にいかない?
それにしても、若者の投票率――といってもこれまでは20歳以上30歳台だがーーは、なぜこれほど低いのであろうか。
いくつかあげられるが、表層的には、ともかく貴重な日曜日を「無駄にしたくない」「せっかくの日曜の楽しみを奪われたくない」といったことがあるかと思うが、もっと根源的には、自らの未来は自らが築く、あるいは築けるとの思いの強さではないだろうか。客観的に見れば、かなりひどい状況であっても、そこから自力で抜け出ることができる、あるいは抜け出なければとの思いの強さではないだろうか。
政治も含めて、他に頼らない自律心といってもよい。老人のメンタリティの対局にある心である。
したがって、自らにかかわる特定の政治問題以外には声をあげない、したがって、投票にもいかないということになる。
しかし、これも程度問題である。日本のように社会が成熟し、あらゆるところに政治的影響が及び、さまざまな制度化がなされるようになってくると、若者の自律心に基づいた努力だけでは、どうにもならなくなる。とりわけ、今の若者の老後にまで目をむければ。
制度化されたなかで少しでも声をあげて、制度を自分(の将来)向きに変えていかなければならない。


学術の国際交流がもたらすもの」今日の論考

2016-10-18 | 今日の論考
学術の国際交流がもたらすもの
 国際交流を考える前に、学術における交流の持つ意義を考えてみる必要がある。
 学術の交流の形態は、大は国際学会から、小は、ちょっとした研究会まで実に多彩である。なぜ、これほどまでに多彩になるか。
 それは、研究の展開のためには、「生の」情報収集と、異質なものとの直接接触ややりとりとが必須だからである。
 「生の」情報収集とは、研究活動のいわば「スパイ的」側面である。そこで収集される情報とは、たとえば、
 ・あの人があんな顔でこんなことを  言っている(人物評価)
 ・あの研究室であんなことを考えて  いる(動向)
 ・あの研究の現場ではあんな風に実  際の研究がなされている(研究の  ノウハウ)
 ・あの話のときの周囲の関心や反響
  がどうであったか(評価)
 もう一つ、異質なものとの直接接触
ややりとりとは、日常の研究現場で凝り固まってしまった頭をほぐしたり、アイデアチェックをしたり、新たなアイデアの創発を生む。
 こうしたことをするには、学術雑誌は、あまりに公式的過ぎる。また、インターネットも、言葉依存の限界にぶつかる。かくして、研究者は、情報交流と接触の現場に直接出かける、それも頻繁に出かけることになる。


「科学的常識」今日の論考

2016-10-18 | 今日の論考
「科学的常識」今日の論考
●医学的常識の怖さ
ダークツーリズムが流行とのニュース。その中で、ハンセン病施設見学が紹介されていた。これほどひどい、取り返しのつかない誤った医学的常識による被害の発生は重大である。
ほかにも大小取り混ぜて、あやまった医学的常識はたくさんある。
身近な例を一つ。
汗をかくスポーツ中の水分厳禁が常識がでった。それが180度変わった。どんどん飲めになった。たぶん、この常識が変わるまでの間には、かなりの被害者が出ているはずである。
最近は、癌治療の常識をめぐる論争もかまびすしい。

●科学的常識ってどんなもの
 医学に限らない。科学全般にわたり、「科学的常識」の問題は存在する。その常識がすなわち真実とはならないところに根本的な問題がある。
 科学の世界では、真実を求めての探求が行われる。そこでは、かつて真実とされたものがあっという間に誤りとされることもごく普通に起こる。起こることを前提に科学的な営みが行われている。稀には、その顛末がマスコミを賑わすこともあるが、科学の世界(学会)では、たんたんたる日常的な営みに過ぎない。
 問題は、科学の世界と世間との接点に発生する科学的「常識」である。
 世間には、科学的な事実、真実は、確固、普遍なもの(常識)との誤った信じ込みがある。とりわけ、学会やマスコミの権威づけがあれば、その信じ込みは動かしがたいものになる。

●科学的常識になりやすいもの
 自分が知りたいこと、関心の強い領域については、たやすく科学的常識を持ちやすい。
病気のような深刻でさしせまった領域から、ダイエットや健康のようなごく日常的な領域まで、科学的常識を求める範囲は広く、多彩である。
問題は、それが永遠の科学的真実とまではいかないにしても、「妥当な」科学的真実とは必ずしもならないことである。
「妥当な」の意味が面倒であるが他に言葉がない。だいたい次のような意味合いになる。
・その常識に従うと、少なくとも悪いほうにはいかない
・正しそうだという実感
・他の関連する科学的常識と矛盾しない
・世間的に?みて突飛ではない

●科学的常識の賢い使い方
 「科学的」が冠せられると、その提供者の専門的な権威づけによる暗示効果もあって、常識の域を超えて、絶対に正しい信念となりがちである。
信念になってしまうと、異なった常識は受け入れなくなり、その信念にもとづいた行動を強力かつ継続的にさせることになる。
これは功罪相半ばするし、常識と信念の堺も不分明なところもあるので、なんとも言えないのだが、たとえば、日常的なダイエットなどのように、状況が切迫していないならば、常識の域に留めて、あれこれの「常識」や「真実」との整合性をとりながらゆっくりと行動に移し、効果のほどを時折検証しながらくらいがよいかと思う。