ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

春まだ早い貝塚・水間を歩く。

2016-03-26 23:59:04 | 旅行・レジャー
好天に恵まれた今日は、大阪府貝塚市の水間町一帯を散策した。
まず、南海・貝塚駅から水間鉄道に乗り、駅舎が出来て90年になるという終着・水間観音駅。

川沿いの桜も、まだチラホラ。

だんじりが宮入りするという、西葛城神社。

建立時に釘を使っていなかった事から別名「釘無堂」と呼ばれ、国宝に指定された孝恩寺。

さらに山に向かって進む。
阪和道の高架をくぐってすぐにあり、「農業庭園たわわ」。

ここでちょうどいい時間になったので、お食事タイム(笑)。

ここからは、登りをひたすら2km。
単調な登りだが、時折見える渓谷に癒される。

現在の貝塚駅付近にあった遊郭に居た遊女・お千代が非業の死を遂げた墓と伝えられる、「遊女の墓」。

坂を降り、一気に水間公園を目指す。
ラストスパートは、弘法大師によって開かれた遍照寺。

この石段がこたえる。さらに鬱蒼とした竹林を進む。

最後にして、最大の難関。休み休みに進んで水間公園がゴール。

歩きも歩いたり、2万歩オーバー。

いや~、いい運動になった…

さて明日の競馬は春の電撃戦・スプリンターズS。
本命は4歳牝馬・アルビアーノで行く。この馬は昨春のNHKマイルCで2着、秋のスワンSでは3歳ながら古馬の牡馬勢を一蹴した。
今回はミッキーアイルやハクサンムーンが前でやり合い、差し馬向きの展開が予想されるため有利とみた。
相手はビッグアーサー、ミッキーアイル、エイシンブルズアイで。

コメンテーターよ、素直に評価出来ないものか?

2016-03-25 22:26:10 | No Music,No Life.

昨日から今日にかけて、大変喜ばしいニュウスが入ってきた。
我が尊敬してやまない「歌う人間国宝」山下達郎の大ヒット曲「クリスマス・イブ」が、30年連続オリコン・シングルチャートインしたという事でギネス認定されたのだ。達郎はこの知らせを受け、昨夜コンサートを開いたNHKホールで観客に報告したそうだ。私もその中の1人でありたかったものだが、東京なのでおいそれとは行けず残念だ。

ところがそのニュウスについて、今朝の某局のラジオでコメンテーターのT・O氏が「クリスマス・イブ」について
「陳腐でウンザリ。アルバム『メロディーズ』はよく聴くが、この曲は飛ばして聴く」
と、耳を疑うような発言。リアルタイムでその発言を聴いてしまった私は、即その局に抗議メールを送った。

そのコメンテーターは、とにかく安倍首相・橋下徹氏について批判的でその切れ味は極めて鋭く、聴いていて痛快だ。
そして過去の発言をネットでひもとくと、達郎の熱心なファンでありアルバムも全て持っているようだ。しかし3年前に同じ番組で達郎について
「詞が陳腐」
と斬って捨てていたようである。

人の感性なんてそれぞれであり、私の感性も否定されたくはないのでこのT氏の感性についてとやかく言うつもりはない。
政治家について厳しい発言は痛快だが、彼らは国民の税金で食べているワケでありある程度の厳しい批判は仕方ない部分もある。

しかし、達郎は音楽家だ。確かに作詞は専門家ではないし、私自身決して全ての彼の詞が好きなワケでもない。
でも詞を書いて曲を書いてアレンジして演奏し、コーラスも自分でかぶせて…という作業を40年も続け、国民的ヒット曲をいくつも生み出している。
その一連の音楽に取り組む姿勢に、リスペクトする気持ちはこのコメンテーターにはないのか。

コメンテーターという商売は、とかく辛口な方がウケやすい。
しかし辛口な物言いをする事を、自己目的化していないか。早い話が、何でもかんでも辛口に語る事によって存在感をアピールしていないか。
今回の発言がどれだけ達郎ファンを敵に回すか、分かっているのだろうか。
攻撃する相手を、間違っていないか。

「クリスマス・イブ」を、「陳腐だ。もう沢山」と言う気持ちは、分からないでもない。
しかし批判されるべきはその作者ではなく、その曲をバブルでトレンディなクリスマスのBGMに使ってきた若者と、そのようなムーブメントを作ってきたマスコミではないのか。
あの曲は、「メロディーズ」のラストにひっそり収められている、知る人ぞ知る曲だった。それをいつの頃からか、上記のような目的で使う連中が出てきた。
「夏だ海だ、だった達郎が、今度は冬に儲けようとしている」
と揶揄され、我々ファンはひどく傷ついた。
このコメンテーターの発言は、それと大差ないように思えて、残念で仕方ない。

このコメンテーターに、今回のツアーでの達郎の発言を捧げる。
「ファンの中には、『もうこの曲は飽きた。やらなくていい』などと言う人もいる。しかしライブというのは、一期一会だ。
私もいろんな人のライブに行ったが、かつてのヒット曲をやらない人もいる。しかしせっかくその曲が聴きたくて足を運んだファンは、残念に思うはずだ。
なので私は、誰に何と言われようと『クリスマス・イブ』はやめません」

文化庁の皆さん、京都は大変ですよ…

2016-03-24 20:55:37 | 思うこと

文化庁が、京都に移転するそうな。
期待している人も居るだろうし、それで潤う人も居るので大変申し訳ないのだが、正直京都人としては職員の皆さんはさぞ大変だろうなと思う。
寺社仏閣をはじめとして文化的価値の高いものが沢山あるのはよく分かっているのだが…

たまに観光で数日居るだけなら京都は雅やかでいい街なのかもしれないが、私は個人的に京都ほど住みにくい街はないと思っている。
いや、正確に言えば
「京都人以外の人にとって、京都ほど住みにくい街はない」
という表現が的を射ているだろう。
京都市北区上賀茂に生まれ育った私が言うのだから、これほど確かな事はない。

道の狭さ・インフラの未整備ぶり、夏の暑さ・冬の寒さ、新鮮な食材のなさという物理的な住みにくさもさる事ながら、一番の障壁はマインドだ。
京都人は、観光客を大切にする。もちろん一部で足元を見てぼったくる観光業者も居るが、お客が納得されている場合もあるので問題にしにくい。
京都に数日居て、その雰囲気に魅了され「住んでみたい」と思われるのは正直なところかもしれないが、大半の人はエラい目に遭う。
京都に住む、という事はすなわち「京都人になる」、イコール「生まれた街の文化は捨てなさい」という事なのだ。
しきたりについてはもうとにかく一事が万事、「京都ではこうなのだ」と押しつけてくる。
私は京都人はそんなに腹黒いとは思わないのだが、思った事を素直には言わないフシはある。例えば最終的に受ける話でも、三度は断る。
四度目になって腰を上げるのが京都人なのだ。私も親兄弟すら信じられない、と思った事も何度もある。

学生時代を京都で過ごし、オトナになっていつか京都に住みたい、と思う人も多いようである。
私に言わせれば甘い。京都は学生をものすごく大事にする反面、社会人生活を送るとなると話は全く別なのだ。

土地もなく、道も狭く、気候も厳しく、菜っ葉の炊いたんと漬けもんぐらいしか日常食うモンもなく、たまの外食と云ってもいわゆる京料理や湯豆腐など食うはずもなくせいぜい王将や天一に行くのが関の山。それが京都だ。
いい季節には観光地という観光地が客とクルマで溢れ、買い物すらままならない。最近はそこにインバウンドも加わり、もう収拾がつかない。
京都駅から嵐山に行くのに、GWなどは3時間かかってしまう事もある。
逆に観光地から京都駅行きのバスに乗ろうものなら五条のあたりから全く動かず、
「お急ぎの方は、ここで降りて地下鉄に乗るか歩いて下さい」
と運転手に云われるのが日常なのだ。

そこにいざ文化庁の機能が来たからと言って、庁の仕事がうまく回るのかと云われると考えにくい。
職員さんも、さぞ通勤には苦労されるだろう。クルマがないと何処にも行けないのに、道が狭すぎる。
京都は建造物に高さ制限があり、マンションも高いものは建てられない。ホテルもしかりで、今以上マンション事情が悪化するのは避けたい。東京から出張してくる職員の宿泊施設確保も、困難を極めるであろう。

それでも京都に憧れ、京都に一度住んでみたかったという職員さんならいいが、そうでもない人はいわゆる「都落ち」みたいな気分になるであろう。
安心して下さい、明治維新の時に「遷都の儀」をやっていないので、ホンモノの都に来たんですよ(笑)…


今宵は「エッチなメドレー」と、「旅立ちのメドレー」。

2016-03-23 20:00:00 | No Music,No Life.

2ヶ月に一度、遊びで出演しているライブで恒例のギター弾き語り。
今回から新しい会場になった。演目は、以下の通り。

<春という字は『エッチな』という意味も!?~エッチな曲メドレー>
本能(椎名林檎)
~Body&Soul(SPEED)
~ひと夏の経験(山口百恵)
~ブーツをぬいで朝食を(西城秀樹)
~目を閉じておいでよ(バービーボーイズ)
~雨上がりの夜空に(RCサクセション)
~高速道路の星(王様)

<春は卒業・入学・就職…旅立ちの季節。旅立ちのメドレー(70年代シバリ)>
旅立ち(松山千春)
~いい日旅立ち(谷村新司)
~あずさ2号(狩人)
~心の旅(チューリップ)
~サムライ(沢田研二)
~出発の歌(上条恒彦と六文銭)
~銀河鉄道999(ゴダイゴ)

大滝詠一「DEBUT AGAIN」が、届く。

2016-03-22 21:13:16 | No Music,No Life.

もうコレが聴きたくて、大げさに言えば30年以上待っていた。今日ようやく、Amazonで届いた。
2013年12月30日に65歳の若さで急逝した、私にとって音楽の父である大滝詠一のセルフカバー集「DEBUT AGAIN(デビュー・アゲイン)」である。
もちろん大滝さん本人がリリースを望んだワケではなく、大滝さんの遺品をスタッフが整理していた中から偶然発見された
「他のアーティストに提供した曲の、大滝さん本人が歌ったバージョン」
を中心に集めたものである。
この中には曲提供の際「こんな風に歌って下さい」と聞かせたデモテープもあるし、数少ないライブ音源もある。
しかし中でも興味深いのは、女性に提供した曲なのにわざわざ大滝さんのキーに合わせて録音したバージョンもあるのだ。コレらは、明らかにデモテープではない。ひょっとして、何かのタイミングでリリースするつもりだったのか?

大滝詠一は、そのペンネーム「多羅尾伴内」のように、歌手・作詞家・作曲家・編曲家・エンジニア・DJ・評論家と7つの顔、あるいはそれ以上の顔を持っている。
ゆえに彼のアルバムは、彼自身の総力戦だ。大滝詠一が投げて、打って、走る作品ばかり。
それゆえに、大滝詠一を語るうえでその分厚いサウンドやアメリカン・ポップスへの造詣の深さばかりが語られ、ボーカリスト大滝詠一が語られる事はあまりなかった。もっと言えば、あのクルーナー唱法すなわち低く抑えて情感を込める歌い方が好きではなかった、という人も少なくない。やれコブシを回し過ぎだの、鼻にかけ過ぎだのとばかり言われた記憶がある。
私なぞ、それこそ中学生時代からかぶれたように大滝さんや達郎ばかり聴いていたので、何を歌ってもそのどちらかのモノマネ(にもなっていない)なのだ。どうしてくれようか(笑)。

ボーカルの上手さはカバー曲を歌った時に鮮明になる、と云われる。その意味で徳永英明や門倉有希などは、本当に上手いのだ。
カバーというのは、私に言わせれば喧嘩だ。すなわちオリジナルの歌手の声がさんざん耳にこびり付いている聴き手の感性に喧嘩を売り、勝たねばならないのがカバーである。その意味で天童よしみほど上手い人が、暮れの紅白で美空ひばりのカバーばかり歌わされては「ひばりとは、やっぱり違う」と言われてしまう。当たり前過ぎて気の毒だ。

ところが、大滝詠一に限ってはむしろ逆。彼が提供した曲はメロディラインからサウンドから大滝節が炸裂しまくっているため、
「この曲の、大滝さんバージョンを聴いてみたい…」
とファンはリリース当初から思い続けていたのだ。
それらの30年越しの回答、がこのアルバムである。
小林旭の朗々とした声が耳にこびり付いているからこそ、この「熱き心に」の心細げな歌唱を聴いてほしい。
鈴木雅之がいい声であるのはよくよく分かっているのだが、それでもこの「Tシャツに口紅」を聴いてほしい。
81年の「ヘッドフォン・コンサート」で一度だけ歌われた「風立ちぬ」を聴いてほしい。松田聖子では表現出来なかった世界がそこにある。
まるで30年以上探していた、ジグソーパズルの最後の一欠片が埋まったような思いになれるアルバムである…